第47話

      四十七


      夫


 間違いない、この家だ。私は観光地でもなく、人里離れた山中の集落のこの家の住所の書かれた小さな紙片を握りしめた。

 沙月は本当にここにいるのだろうか。ここが危険な場所だということは分かっている。だから普通に正面から訪ねるわけにはいかないだろう。どこか忍び込めるところはないだろうか。

 沙月が危険な目に合ってるかもしれない。焦りがつのるが、雪に足がとられてなかなかうまくすすめない。

 ちょうど家の周りを一周し、正面に戻ってこようとしているときだった。家の側にある大きな木の下に積もる雪が、少しくぼんでいるのが見えた。まさかと思って急いで近づくと、沙月がそこに倒れ込んでいた。半分以上、雪に埋もれている。

 私は間に合わなかったのか。沙月のすぐ側に、私は崩れ落ちた。もっと早く沙月の異変に気が付いていたら。いやもっと簡単だ。聞けばよかったのだ、大丈夫かと。言えばよかったのだ、心配しなくても良い、俺がついてると。

 沙月の安らかな顔を見る。周りの雪にわずかに反射する光に照らされて、一段と綺麗に見えた。

 白く照り映える沙月に不思議な神聖さを覚え、しばらくは触れることも出来ずにずっと見ているだけだったが、そうしているとニットを着ている沙月の胸元の部分がわずかに上下していることに気が付いた。―生きている?

 沙月の目が閉じられた。やっぱりだ。

「沙月、沙月!」

 私は急いで沙月の身体を抱き寄せた。すっかり冷たくなっているが、沙月の口元に近付くと、その息遣いをはっきりと感じ取ることができた。私は身に付けていた厚手のジャンパーで沙月をくるみ、抱き上げた。

 そのまま目の前の家の扉を、ガンガンと容赦なく叩く。ここは確かに危険な場所かもしれない。だが、目の前で死にかけている沙月を助けるために、私に迷いはなかった。


      妻


 目を開くと、心配そうな勝廣の顔がそこにあった。やっぱりさっきのは錯覚じゃなかったんだ…… 

「沙月! 良かった、目覚めて…… 大丈夫か? 俺が分かるか?」

「ええ……」

 なぜ勝廣がここにいるのかとか、勝廣に自分の罪を知られてはならないとか、そんなことは一瞬も頭をよぎることもなく、沙月はただただ安堵した。

 少しだけ頭を起こして周りを見回すと、そこには見慣れた光景、この数日寝起きした、お婆さんの家の自分の部屋だった。しばらく周りを見渡していたが、次の瞬間、意識を失う直前の記憶が濁流のようになだれこんできた。

 沙月はぱっと跳ね起きた。

「ここから逃げないと、あいつがいる」

 そう早口で言ったが、すぐに激しい頭痛に襲われ、うずくまった。

「だめだよ、まだ無理をしちゃ」

「あいつが、来るのよ。ついさっきまでいたんだから」

「そのことなんだけど……」

 勝廣がそう言いかけたときだった。玄関のチャイムが鳴った。沙月はビクッと身を縮めた。勝廣は何も言わずに階下へ続く階段を見つめている。勝廣が意を決したように立ち上がった。

 沙月は勝廣にすがりついた。

「行かないで、どこにも行かないで。側にいて」

 勝廣は沙月を安心させるように微笑んだ。

「大丈夫だよ。すぐ戻る」

「あいつは危険なのよ。あなたを失いたくない」

 勝廣はしゃがみこんで沙月の顔を正面からじっと見た。

「分かってる。大丈夫だから」

 そして勝廣は有無を言わさずに振り返り、階段を下りていった。


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