第31話

      三十一


      夫


 次の朝、私が起きると沙月は既に起きていて、忙しく外出の準備をしていた。

「どうしたんだ? 何かあったのかい?」

 私が急なことに驚いていると、

「ごめん。お父さんの方の遠い親戚が亡くなったんだって。私もほとんど会ったことないような人で、葬儀も内々でやるらしいんだけど、私くらいは来てくれないかって言われて」

 よく見れば、上着の中に来ているのは喪服だ。

「そうだったのか。送ろうか?」

「ううん、大丈夫。バスで行くから」

「でもその恰好で外を出歩くのも大変だろう。送るよ」

「じゃあ、お願いしようかな」

 少し間が空いて沙月が答えた。だが、どこか歯切れの悪い口調だ。

「いや、別に良いんだよ。何か都合が悪いことがあるんだったら、沙月の好きなようにしてくれたら」

「そんなことないよ。送ってくれたら助かる。駅まででいいから」

 その言葉を聞いた私は、車を出す準備を始めた。



      妻


「聞いたでしょ。待ち合わせ場所を変更して。一駅先に」

 勝廣が部屋を出てすぐに、沙月は盗聴器越しに聞いているであろう東城の部下達に向かって小声で素早くそう告げた。

 やはりこの言い訳はまずかったかもしれない。だが、不自然にならずに一人で外出できるような言い訳を他に考えつかなかった。

 既に亡くなっている父の親族には、沙月が結婚していることは伝えておらず、父の葬儀のときに少しもめたので、これからも勝廣を紹介する気が無いことは勝廣も知っていたからだ。

 予告通り電車を一駅で降りると、やつらの車はきちんとそこにあった。さっきのメッセージを聞き逃さなかったようだ。近づくと勝手に扉が開いたので乗り込むと、東城はおらず、いつもの二人だけがにやにや笑っていた。

「盗聴器を随分うまく使いこなしてるじゃないか。俺達をアゴで使うような真似しやがって」言葉の最後だけ途端にガラが悪くなる。

「しょうがないでしょ。そもそも無理な相談なのよ、急な話だったし」

「まったく、お前の馬鹿な旦那が空気も読まずに仕事を休みだしてから、こっちもやりづらくてしょうがねえ」

 確かに沙月自身も勝廣が仕事を休むということで大いに戸惑っていることも事実だが、このような男達に勝廣をそのように言われるとさすがにカチンとくる。

「それを考えるのもあんたたちの仕事でしょ。勝廣は呉谷とも友達なんだから下手なことはできないわよ」

「俺達にそんな口きいていいと思ってるのか。お前たちもろとも消してもいいんだぞ。こっちは」

 それを聞いた沙月は一瞬激しい恐怖に襲われたが、直前に湧いた怒りがまだ治まっていないこともあって、すぐに負けじと言い返した。

「夫の家族は会社を経営してるし、夫もそこの役員よ。それだけの社会的地位のある人をそんなに簡単に殺せないでしょ?」

「ああ。だからお前も大変だな。そんなご家族に俺達みたいなのとつるんでるのがばれたらどうなるかな」

 沙月の形ばかりの威勢は、その一言によって、再び粉々に打ち砕かれてしまった。


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