第20話

      二十


      夫


 丁度いくつかの事務作業の狭間のタイミングだったので、私は兄のいる部長室を訪ね、今日から二週間ほど一気に有給休暇を取りたいと頼んだ。

 経営者の親族であることを利用して我儘を押し通そうとしたことなど、今までなかった。そのため兄も驚いて、最初は私の非常識を叱ったが、沙月との時間を取るためだと言うと、渋々ではありながらも最終的には了承してくれた。

 以前私に妻との時間を大事にするよう言った手前、退けることはできなかったのだろう。

 私は自分のブースに戻ると、部下達に自分が休暇を取る旨と、業務上のいくつかの伝達事項を伝えた。もうすでに何年も一緒に働き、信頼を置いている者も多いから、まあ大丈夫だろう。そのような引継ぎ作業をしていると、一刻も早く沙月に会いたい気持ちが湧き上がってきて、その日は定時前に会社を出た。



      妻


 次の日の朝、勝廣が車で出ていくと、沙月は外出の準備を始めた。準備はすぐに終わったが、それから三十分ほど家に留まっていた。忘れ物などで、勝廣が急に帰ってくることが稀にあるからだ。

 勝廣がもう戻ってこないと確信すると、沙月も家を出てミニバンの方に向かった。否が応でも速足になる。普通、主婦がホームセンターの駐車場に停めている他人の車に乗り込んだりはしない。近所の人に見られでもしたらどんな噂が立つか、想像もしたくない。

 車に近付くと、後部のパワースライドドアが開いたので、沙月は素早く乗り込んだ。おそらく誰にも見られていないはずだ。家からホームセンターまでの動線上にも監視カメラはない。おそらく奴らもそれを承知でここに車を停めているのだろう。ホームセンターの監視カメラからも、丁度見えづらい位置だ。

 今日は珍しく、丸刈りの方の男が運転席に座っていた。そして大柄な方の男は後部座席、沙月の隣に座っている。

 その男が「これ以上お前に秘密を知られるわけにはいかないからな」と黒く細長い布を取り出し、沙月の目を覆った。後ろで固く結ぶ。

「ホテルの時はこんなことしなかったじゃない」

「あの時は殺すつもりだったからな。それに今回は別のところに連れていくんだよ」

運転席にいる方が面倒臭そうに答える。それを聞いた沙月は一気に鳥肌がたった。

 走り出して五分ほど経った時だった。他に身体の拘束が無かったこともあり、少し油断していた沙月の頭が大柄な男の両手で掴まれ、背もたれに勢いよく押し付けられた。大きな体に乗りかかられているのを感じる。

 片方の腕で額を押さえつけられ、もう一方の手でハンカチのようなものを顔に押し付けられた。甘いような香りを感じてから間もなく、抵抗することもできないまま、沙月は意識を失った。


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