水月鏡花・鏡花水月。

 三宅はどこまでも広がるヒマワリ畑と、アレックスの姿を脳内に思い描く。似顔絵師としてのプライドは一旦置き去りにして、記憶の中にある花畑と、騎士の姿を創造エイルクに乗せた。


「24フレーム2コマ打ちなら、ギリギリ……美術専攻でアニメーションの作り方、学んでおいて——正解でした」


 前に生きた世界の知識に感謝しながら、三宅は目を閉じて、全意識を描写に集中させる。右手からVR映像をうつし出すように、マイアの瞼の裏に向けて、ヒマワリ畑にいるアレックスの面影を描きうつす。


「アレックス……ッ!」


 マイアはしがみ付くように、三宅の右腕をギュッと掴んだ。そのか細い腕は、彼のものでは無いが、今——彼女の目の前にいるのだ。笑顔のアレックスが。


「うまく……動いてくれてる」


 三宅はマイアの邪魔にならない様、最小限の声で成功を実感した。創造エイルクを用いて、アレックスの姿を完璧にデッサンし、一枚一枚描き起こして動かしていく。


 そして彼の願い通り、背景には美しいヒマワリ畑。静止画という甘えは一切乗せず、同時進行で満開のヒマワリと、風に揺れる緑の大きい葉、澄み切った青空に流れる雲。自然の全てを作り出す。


(すいませんアレックスさん。私のイメージで、マイアさんをエスコートさせて頂きます)


 アレックスが夢見たあの花畑で、遂に二人の結婚式が幕を開ける。流石に声まで再現は出来ないが、マイアなら上手く補完してくれるだろう。


「……イッ!」


 三宅は声が出た。それもそのはず、2コマ打ちのペースでアレックスの人物デッサンを描き上げ、周りの背景も不自然無く動かしている。創造エイルクによる過密な情報処理の負担に右腕が耐えられず、ガタガタと痙攣し始めたのだ。現実的な痛みが、夢からまさせようとする。


「……ッッ〜!」


 しかし三宅は唇をギュッと噛み締めて、激痛に耐える。自身の腕が悲鳴をあげる事も覚悟して、マイアに提案したのだ。今更止める訳にはいかない。


「く……うぅ……ッ!」


 これを先延ばしにしてしまえば、花畑とアレックスの記憶が薄れ、ここまで鮮明な夢を描きうつす事が困難になる。だから三宅は、実行を急いだ。マイアに決断を持ち掛けた。腕の激痛に合わせて揺れる視界に、キャンバスにいるアレックスの笑顔が入った。


(ここで止めたら……アレックスさんに、下手くそって笑われますよッ!)


 三宅は唇が潰れる程食いしばり、左腕で今にも崩れそうな右腕を押さえた。夢の舞台で挙げられている、アレックスとマイアの最初で最後の結婚式を、自身の手でやり遂げるために——。


「アレックス……アレックス!」


 マイアが両手で、震える三宅の右手を支えた。創造エイルクによって、を起こしている状態だが、彼女は今、幸せな夢の中にいる。手放したく無いと、マイアは腕に縋った。


(絶対に……ッ最後まで、私が……面影を、描きうつします!)


 三宅は頭をフル回転させて、右腕の負荷に耐えながら、夢を一枚一枚丁寧に描き続ける。痛みで現実に引き戻されそうになる僅かな隙を利用して、ウォルドーに教えて貰った誓いの言葉を、見届け人である三宅は添えていく。


「愛の女神、エディーファ・ディガロの名の下にマイアに宣下する。貴女はアレックスを夫とし、如何なる事があろうとも、この世界と共に命尽きるその日まで、変わらぬ愛を捧げる事を誓いますか?」

「……はい。誓います」


 その言葉を受け取った三宅は、次にアレックスに対して誓いの言葉を添える。その返答を直接得られる事は叶わないが、この夢を、その姿を、描き切る事に全てを注ぎ、見届ける。


「繁栄の神、ボリス・ガヴァイの名の下にアレックスに宣下する。貴方はマイアを妻とし、如何なる事があろうとも、この世界と共に命尽きるその日まで、変わらぬ愛を捧げる事を誓いますか?」


 ——はい。誓います——


 アレックスの言葉をイメージから受け取った三宅は、苦痛に震える口元で微笑みを作り、確かなる二人の愛を祝福した。ヒマワリ畑とアレックスに動きを与え続ける腕は、長引く激痛と虚しい暗闇に引っ張られて、ちぎれる寸前だった。


(もう少し、もう少しだけ描かせてよ……!)


 嫌だ。嫌だ。と、三宅は現実に反論した。ずっと描いていたいと抗いながら、アレックスの前に、ウエディングブーケを持ったナルを描きうつした。


 夢の中にいるナルは、ニコッと笑ってブーケをアレックスに手渡す。本来ならマイアが持つべきだがここは夢の中。仲直りした二人が、もっと笑い合えますように。と、願いを込めて、三宅は描写した。


「私を、置いていかないで……」


 夢の終わりを予感してか、ガタガタ震えながら目元を押さえる三宅の手の隙間から、マイアの涙が溢れた。それを肌に感じた三宅は、まだ終わらせないと気合いを入れる。しかし、腕が痛みで泣き叫ぶ。早く終わらせるのが、似顔絵師だと訴えかけて来る。限界だ。


「……マイアさん……ッ、これ以上……ッアレックスさんを、細かく動かしてあげられませんッ!」

「ミャーケ……さん?」

「だから最後に……ッウェルカムボードを……、私から、二人にぃ……ッ」


 三宅は最後の力を振り絞って、夢の中にキャンバスを作り出す。まだまっさらな布地に、二人に贈ると決めていたウェルカムボードの似顔絵を、丁寧に描いていく。


「く……ッはぁ……ッ」


 右腕の激痛で、三宅は気絶寸前だった。だが、ここで止める訳にはいかない。似顔絵を描く。それが三宅の仕事なのだから。


「……ふッ……うぅ……」


 そして夢の中に描いた、似顔絵が完成した。肩を寄せ合い、笑顔を浮かべるマイアとアレックス。二人の間にニコニコ顔のナルをちょこんと入れた、お馴染みの漫画調似顔絵。


「……すごく、可愛いわ。ミャーケさん」


 マイアは感激の言葉を、目の前に添える。夢の中にいる花束を持ったアレックスと共に、三宅からのプレゼントをじっくり眺めた。ナルが、花が、空が、夫婦が、全てが温かい世界はゆっくりと停止し、遂に三宅の右腕は、現実によって引き戻された。


「くぁ……ッたた……すみま、せ……ッ腕が、もちませんで……した」


 三宅は右肩を抱えて、その場に崩れ落ちる。マイアから離された彼女の腕は、筋肉・骨・神経の全てが針に突き刺されたような痛みで、ブワァと絶叫を上げた。冷や汗が止まらない。強い吐き気が襲う。酸素が行き渡らない。


「ミャーケさん……ッ」


 現実に戻ってきたマイアは、目の前で蹲る三宅に飛び付いた。夢を描きうつした彼女は全身が脱力し、右腕はビキビキッと何回も痙攣した。


「……これくらい……しか、してあげられな……て——ごめんな……さ、マイ……アさん」


 薄暗く、悲しみが降り積もる現実の中で、マイアは意識が朦朧としている三宅を、全身で抱きしめて支える。


「素敵な思い出を……ありがとう。私とアレックスの夢を見せてくれて……叶えてくれてありがとう、ミャーケさん……」


 マイアを覆う絶望は、全て取り除かれていない。しかし三宅の描いた似顔絵が、夢を見失った彼女に忘れられない思い出を与えた。最後にもう一度、愛する人の笑顔を目に焼き付けた。それは未来に進む、微かな希望となるだろう。


「ああ……そう、です……だから、私は、四文字で……表すと、なんです……」


 三宅はボーッとする頭で、しどろもどろな言葉を口にする。しかし、それに間違いは無い。彼女が似顔絵師でいたいのは、思い出を誰かと共有したいから。描き残して忘れられない形にしたいから。あの遊園地の日からずっと、それは変わらない。



「これ……ずっと——大切に、します……」

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