24フレーム、休まず営業。

「いいな〜わたしも、絵が描けたらなぁ」


 ナルはゴードンのアトリエにある、キャンバスの人物画を羨ましそうに眺めていた。そこに三宅が、隣に並んで膝を曲げた。


「練習したら、ナルちゃんも描けるようになるよ」

「そうなの〜? でも、ゴードンおじさんは練習してもムリだって言ってたよー」

「そんな事ないよ。絵はね、模写とかすれば——」

「三宅。それ以上、ナルに期待をさせてはいけないよ」


 そこに、懐かしき故郷のヒマワリ畑を見終えたゴードンが、二人の背後に乱入してきた。


「この世界の生まれは、絵画のアウトプットが出来ない。これは、何百年も前から証明されている事だ。努力した所で、丸三角四角以上の描写は不可能なんだよ」

「あうとぷっとー?」


 ナルが首を傾げると三宅がスッと立ち上がって、振り返る。異世界に長らく居るゴードンの言っている事は間違いないのだろう。しかし、子供の味方である彼女は物を申すのだ。


「あのですね、今のナルちゃんは四文字で表すと、籠鳥檻猿ろうちょうかいえんなんですよ。将来の期待まで取り上げるのは、如何なものでしょう」

「仕方ないだろう。この世界の者は、現実的な夢や期待しか抱かない。だからナルは見ての通り、消極的なんだよ」

「……」

「はは、そう怖い顔をするな。絵を生業にする者は、どうも捻くれてしまうようでね。……だろう?」

「私は、夢ばっか見ないで現実見ろって言うタイプではないです。あなたとは違います」


 三宅は絵画の先輩であるゴードンに対して、不服な顔を隠さない。それを見たゴードンは何かを思い出したように、フッと笑うと右手をゆっくり上げた。


「夢が現実的だと、それはもはや『夢』じゃない。だから自分はここに閉じこもって……都合の良い夢を見ていた。だが、君のおかげで——目が覚めたよ」


 ゴードンが上げた右手をスッと下ろすと、先程馬しかいなかったキャンバスに、切り絵状の黒猫が浮かび上がる。


「夢は、……輝くものだ」


 そう言った後、キャンバスにいる切り絵の黒猫は命が宿ったように24フレームレート4コマ打ちで、自由に動き始めた。それを見たナルの獣耳がピンッと立つ。


「なにこれ! なにこれーッ!」

「さあ、捕まえられるかなー?」


 ゴードンが面白そうな笑みを浮かべ、操作するように右手を動かすと、黒猫はキャンバスを飛び出し、床から壁へとストップモーションアニメのように平面の中を動き回る。

 ナルは平べったい黒猫を、内に秘める狩猟本能をバネに追いかけた。アトリエ内にあるキャンバスに体当たりしない様に、ゴードンは上手く猫の位置を調整する。


「三宅。自分はこの世界を旅してみようと思う。今日の夜にでも、セノーテを発つよ」

「……随分、急じゃないですか」

「世界の色々な姿を、たくさん切り取って残しておきたいんだ。恐らく自分は、二度と此処には戻らないだろう。だから、このアトリエを——君に託したい」

「……」


 三宅は行き当たりばったりで、自分勝手な彼の決意に口を挟もうとしたが何も言えなかった。二度と此処には戻らない。色々な意味が、そこに集約されている気がしたからだろう。


「手描きの絵は、筆遣い・線や色のタッチ・置かれるもの全てに、作者の人生や感情が込められる。だが版画は『一瞬を切り取った絵』なんだよ」

「学生時代、美術の先生から聞いた事があります。版画は、平面絵画の中でも余計なディテールが無く、正に時間停止を形にした芸術だと」

「しかし複製が出来てしまう分、価値は手描きに大きく劣ってしまうがね。だが、より多くの人に『作者が直接触れた作品』を届ける事が出来る。自分は、そこに魅力を感じて……シルクスクリーンを触り始めたんだ」


 ゴードンは猫とナルの追いかけっこを面白そうに眺めながら、自身の人生を象徴する版画について、悠々と語っていく。


「三宅は——何故、似顔絵師を志したんだい?」

「私は……」


 三宅は夢中になって絵を追いかけるナルを見ながら、原点をふわりと思い出す。忘れもしない。誰かと一緒にいて、楽しかったを。


「一瞬の『出来事』と『表情』を形にしたくて……私は似顔絵師に、憧れたんだと思います」


 似た理由を述べる三宅に、ゴードンは微笑む。そして二人は絵を捕まえようと、ドタバタ動くナルを目で追いかけた。


「でも、私はまだ描けてません……私も、そしてその相手も、一生忘れられない『思い出』という絵を」

「そうだね……だからそろそろ——自分らは眺める事を、やめなくてはいけないね」


 ゴードンがスッと腕を下ろすと、動いていた切り絵は消しゴムをかけたように消えてしまった。突然獲物がいなくなってしまったナルは、辺りをキョロキョロ見回す。


「あれッ……いなくなっちゃった〜……」

「君と出会えて良かったよ三宅。これで、お別れだ」

「えーッ! ゴードンおじさん、どっかいっちゃうの⁉︎」


 意識を全て引っ張っていた絵が消えて、ナルの耳はゴードンの言葉を聞き取る。理由が分からない彼女はショックを受け、彼に飛び付いた。


「ごめんよナル。でもね、今まで描いた絵はここに置いていくから、おじさんの代わりに、絵を大切にしてくれるかい?」

「うぅ〜……。うん、分かった! わたしがだいじにする!」

「そう言って貰えて嬉しいよ、ナル」


 ゴードンは優しくナルの頭を撫でながら、自身の絵を受け取って貰える安心感で微笑む。もう思い残す事が無くなった彼は次にその手を三宅に向け、握手を求めた。


「お互い、誰かに夢を与えられる者に、なれたらいいな」

「……。そうですね」

「お近付きの印に、お互いの顔をデッサンして贈りあいたかったが——昔から画家同士、姿や顔は描けない制約なんだよ。全く、神って奴は抜かりないね」

「……私達の顔や姿を歴史に残すと、世界がガラリと変わってしまいそうですからね。だからこの世界は、これ以上進歩しないのかもしれません、四文字で表すなら……因循苟且いんじゅんこうしょですかね」

「はは、そうかもしれない。蝸牛角上かぎゅうかくじょうさえ無くなってくれたら、気楽に旅を楽しめるんだけどね」


 ゴードンと三宅は、ギュッと最初で最後の握手を交わした。この世界で残すべき絵とは何か——それを求めて、捻くれた画家達は真っ白なキャンバスを抱え、未開の地を歩き始める。

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