第二章『人に夢を見せる魔法』

報酬にささやかな、リンゴの木を。

「ミャーケ、連れてきてやったぞ」

「お姉ちゃんおはよー!」


 翌日の朝。不服そうな顔のアレックスと、ローブで身を隠すナルが、街に設営された三宅のアトリエにやってきた。


「おはよう、ナルちゃん。アレックスさんも街の入り口まで、わざわざご苦労様です」

「ったく、自分で責任持って家まで送ります〜って言っといて、実質全部、俺に押し付けやがって。後は任せたからな」


 アレックスは、ほらよと丸投げするがこの即席アトリエを見ている内に、彼の中に同情の念が湧いてきた。捨てられた家具や、木箱や樽を利用して、設営されているこの場所。彼女は毎日、ここで寝泊まりしているのだ。


「……おい、ミャーケ。意地張ってねーで、素直に風景画で商売しろよ。いつまでこんな、雑魚寝生活するつもりなんだ」

「問題無いですよ。この世界は、営業許可申請が不必要で気が楽ですし、私には魅力も財力もないので、野蛮な方に目を付けられる事もないですから」

「エイギョキョカ? はー……マイアだってミャーケには、屋根付きのベッドで寝て欲しいって、毎日心配してるってのに」

「お気遣いなく。……ただ、現状を四文字で表すなら、敝衣蓬髪へいいほうはつ……お風呂はなんとかしたいです」


 流石に女性として、我慢に限度があるのか、ホームレス生活の苦悩をこぼす。そこにナルが、三宅の腰に抱き付いてきた。


「お姉ちゃん。早くゴードンおじさんの所、行こ〜」

「うん、そうだね」


 三宅はナルに優しく頷いて、設営したアトリエを片付けながら、出かける準備をする。そこにアレックスが、重い鎧をガチャリと響かせて、話しかけてきた。


「俺ぁまた、護衛でしばらく街を離れるからな。困った事があったら、マイアを頼るんだぞ?」

「ん? あなたって仕事あったんですね。意外です」

「失礼な奴だな! 今日から、ちんちくりんお嬢様の護衛だ。実家まで、騎士団が丁重に送り届けるんだよ」

「あー……あの、御令嬢様ですか。言わせて頂きますが、私はあの方がやった事を、まだ許してませんからね」


 三宅がこの世界に転がり始めた頃、画家と聞いて肖像画を依頼した、貴族令嬢のシャルロット。似顔絵師特有の絵柄を受け付けられず、キャンバスを石畳に叩きつけた事も記憶に新しい。


「まぁまぁ、そう言わず許してやれって。ああ見えて、あのお嬢さんも苦労してんだぜ?」

「貧乏人に金持ちの苦労なんて、理解出来る訳がないでしょう。感情的になると物に当たる人自体、私は苦手です」

「じゃあ、俺が護衛中に言っておいてやるよ。ミャーケの絵を侮辱ぶじょくした事を謝るのと、また私を描いてくださ〜いって、おでこを地面に付けて頼めってな。ガハハハ!」

「ああいう人とは関わりたくもないので、余計な事しないで下さい」


 三宅は身支度を終えると、アレックスを無視してナルの手を引く。そのままアトリエを出発しようとするが、その前に後ろを振り返った。


「じゃあ、私達は行きますから。ちゃんと、護衛の仕事して下さいよ」

「お、おう……気を付けてな」


 二人を見送るアレックスは、重い腕を上げる。しかしそれは鎧のせいでは無い、まだナルに意地悪した事を謝れていない事が、おもりになっているのだ。三宅達が離れる度に、心のモヤモヤが増幅していく。


「……おい、ナル!」


 アレックスはたまらず呼び止めた。三宅が振り返ると、アレックスはガチャリガチャリと鎧を鳴らしながら歩み寄り、片膝を付いてナルと視線を合わせる。


「……昨日は、俺が悪かったよ……怖い思いさせて——ごめんな」


 申し訳なさを顔に滲ませて、謝るアレックス。それを見たナルは、影を落とすフードの下から、ニコッと笑って彼を許そうとした。


「大丈夫だよお兄ちゃん! わたし、平気だから!」

「今はまだ、獣人の事……苦手だけどよ。このお詫びは、絶対する。——そうだ。ナル、何か欲しいものないか?」

「ほしいもの?」

「ああ。お兄ちゃんしばらく外に出るから、どこかで、お土産買ってきてやるよ」


 そう言ってアレックスは、ゆっくりナルの頭に手を伸ばし、彼女の頭を優しく撫でた。三宅から見たら、不器用な騎士が作り笑いをしながら、無理矢理歩み寄ろうとしているだけ。だが、彼にとっては大きな進歩だろう。


「んー……なんでもいいの?」

「おう。あのちんちくりんお嬢様、金はあるから何でも買ってくれるぞ」

「なんであなたじゃなくて、あの人がお金を出すんですか」

「いーんだよ、どうせ報酬寄越すんだ。頼んどいて損はないだろ」


 いつも通りお気楽に話すアレックスに、呆れる三宅。お土産という言葉に期待を寄せたナルはしばらく、うーんと悩んでいたが、思い付くと挙手と同時に言った。


「わたしね、お家のおにわにリンゴの木をたくさんうえるのが夢なんだあ。だから『リンゴの木』がほしい!」

「おお、リンゴの木か。なんでだ? リンゴと言わず、果物がいっぱい入った樽とかでも良いんだぞ?」

「ほんとはね、森にリンゴがあるんだけど、怖いおじさん達がダメ〜っておこるの。だから、街までおつかいしないと、病気のママがこまるんだぁ」

「はぁ〜……四文字で表すなら、千荊万棘せんけいばんきょくですね。子供にこんな事言わせて、あなた達、恥ずかしくないんですか?」


 無邪気な子供の口から出る、差別の弊害を聞き取ってしまった三宅は、心底軽蔑した目でアレックスを見下げる。


「う……わ、分かった! リンゴ木な。家の庭に植えたら、毎日腹一杯食えるもんな!」

「うん! ママにリンゴ、いっぱい食べさせた〜い!」

「よしよし、お兄ちゃんに任せな!」


 アレックスはふんぬと立ち上がると、時間が迫っているのか、これ以上話しこまない為に、三宅に別れを告げる。


「じゃあ俺は、仕事に行ってくるから。ゴードンさんに宜しく言っといてくれ」

「分かりました。もしかして、ゴードンさんとお会いした事が?」

「おう。多分、の気分だろうな。街に出て絵を描いてた時があってよ、その中に見た事ねぇ花畑の風景画があったんだ。背が高くて、でっかい花弁の黄色い花でさ——」

「おい、アレックスこんな所で何してんだ、もう出発の時間だぞ!」


 そこにアレックスの同僚である騎士が、すれ違いざまに道草を食う彼を、軽く叱る。慌てた彼は、素早くその場から立ち去りながら、二人に手を振った。


「やべ! じゃあなミャーケ!」

「しっかり仕事してくださいよー」


 サボり癖のある彼に、その言葉を送った三宅はナルの手を引いて、同じ画家の魔法を持つゴードンに会う為、地下の道を目指す。話を傾聴していた三宅は、ある疑問をナルに聞こえない声量で呟く。


(それにしても『おじさん』と『ヨボヨボ爺さん』……ここまで印象に違いがあるのは、何故なんでしょう——?)

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