慌てる乞食は貰いが少ない。

「よっ! 二日ぶりだなミャーケ!」

「——また、あなたですか……」


 三宅は心底面倒な顔を浮かべて、目の前のキャンバスに集中する。一晩世話になった三宅はあれから数日間、街に椅子を置いてまた似顔絵師として働いている様だ。


 しかし現状、全ての人間が彼女の存在を認識する事なく素通りしていく。再び稼げず食べれず休めず状態に逆戻りしてるが、それでも三宅は街で絵を描き続ける。


 その姿を尊重してか、アレックスは三宅が椅子を置く周辺を見回した。捨てられた木箱や再利用している家具に、何枚か貼り付けてある羊皮紙を眺める。


「おぉ……風景画は完璧に描けてるじゃねぇか。こっちで商売すりゃあ、金持ちや教役者がいくらでも飛び付いてくるぜ?」

「私は『似顔絵師』です。それは、暇つぶしのデッサンに過ぎません」

「んだよ〜。ミャーケの人物画は嫌いじゃねぇが、頭でっかちっつうか、顔のシワとかパーツとか、正直に描き過ぎっつうか」

「人の作業に口挟む前に、自分の仕事ぶりを改めたらどうなんです?」


 三宅の指摘は正しい。今日のアレックスは前とは違い、武器をいくつか背負った重装備。それなのに、戦いを放棄したかのように街を出歩いている。


「今日は、護衛で三人も死んで一旦引き上げたんだ。だから今、俺は暇で良いんだよ。あーあー、物騒で嫌になっちゃうぜ〜」

「あなたが言うと、深刻に聞こえません」


 アレックスの冗談混じりの喋り方に呆れながら、三宅は指でスラスラと、目の前の建物や通りすがる人々をキャンバスに描いていく。


 彼女は画材を一切使わずに、絵を羊皮紙や布地に描き起こしている。どうやら彼女には、対象物に対して絵を平面的に思い描く事が出来る魔法の力があるようだ。


「オラァ! さっさと歩け、化け物がッ!」


 穏やかなキャンバスに、荒げた声色こわいろが混ざり込む。三宅が軽く覗き込むと、街の大通りで鎖に繋がれた蜥蜴とかげの獣人が、街の兵士達から殴る蹴る等の暴行を加えられている。


「四文字で表すなら、悖徳没倫はいとくぼつりんと言いましょうか」


 そう三宅は状況を口にして、そのまま傍観を続けていると、街の人々も獣人に向かって石投げたり、暴言を吐き散らかしたりと、むごい状況が続く。それなのに隣にいるアレックスは横目で見たまま、何もしようとしない。


「いいんですか。あなたの様な大らかな騎士でもあろう人が、一方的な暴力を見過ごすなんて」

「……獣人は、ああされても仕方ない」

「どういう事です?」

「俺がガキの頃、土地の奪い合いがきっかけで獣人が移住した人間を皆殺しにした。それが、色々な国を巻き込む戦争に発展して——また、人がたくさん死んだ」

「どこの世界でも醜い争いはあるんですね」

「戦争に駆り出された俺の兄貴も、獣人にやられた。あいつらが先に手ェ出さなけりゃ、たくさんの人が死なずに済んだはずなんだ」


 いつもニコニコお気楽なアレックスが、恨みを込めた視線を獣人に向ける。そんな表情を見た三宅は、まだ知らないこの世界の姿を目に焼き付けようと、じっくりと観察する事にした。


「獣人の敗戦で、波乱の時代は終わったけどよ。生き残りや子孫は、ああやって捕虜にされたり、迫害され続けてるって訳だ」

「で、獣人なら何されても構わないと?」

「獣の血が混ざる人間だ、気味が悪いだろ」


 差別意識に関心がない三宅は、アレックスの嫌悪感ある言葉を聞き流した。暴行された獣人はそのまま、兵士達に連れられていく。何もできない無力感に縛られた三宅は、獣人迫害に対して目を逸らし、絵に集中する。


「不幸に関しては感情移入しますが、あなたの様な人でも、大雑把に他者を蔑むんですね」

「んな事言ってもよ。許せねぇもんは、許せねぇんだって」


 アレックスの主張を聞き入れず、自分勝手に絵を描き進める三宅。ずっと街の被写体を観察していたせいか、ある違和感が彼女の微かな興味を強めていく。


「さっきから、こっちを見てるようですね」

「んん? 何が見てるってんだ」

「そこの家と家の路地の隙間に、誰かがいるんです。あれは……子供でしょうか」


 三宅は木箱から腰を上げると、隠れて見ている存在に対して手招きする。気づかれた事にビクッとしつつも、子供らしき存在は怯えながら影からこっそり見つめてくる。


「こちらに来て、構いませんよ」


 声量はないが、よく通る声で子供を呼ぼうとする三宅。その甲斐あってか、路地から真っ黒いローブに身を包んだ子供がゆっくりと歩み寄ってくる。


 服の袖は長く、フードで顔全体を覆っていて、その素顔は確認できない。正体が掴めない子供の右肘には、リンゴが何個か入ったラタン編みのバスケットがかかっている。


「……絵に、興味があるの?」


 こくり。と、子供は頷いた。三宅の絵に自ら興味を持ってくれた初めての存在。子供は視野の悪そうなフードの間から、キャンバスや風景画を見ようと更に一歩近付いた。


「待て」


 そこにアレックスの鋭い声が、二人の間を阻む。戦地経験がある騎士の勘か、彼は子供の頭に向かって手を伸ばし、一気にフードを外した。


「やっぱりな……ッ」


 周りの混乱を招かぬよう、アレックスはフードを強引に戻す。三宅の瞳に一瞬映った素顔は、銀色の毛並みをした狼型獣人の——幼い子供だったのだ。身の危険を感じた子供は慌てて、その場から逃げようとする。


「待って! 大丈夫、私達……何もしないから、逃げないで」


 三宅は悪意のない声で、子供を呼び止めた。しかしアレックスの固い鎧の手が、真っ黒いローブの首根っこを掴む。その反動で果物カゴから、二個のリンゴが地面に落下した。すぐさま三宅が止めに入る。


「何をするんですか!」

「治安兵隊に突き出す。狼型の獣人は、人の肉の味を覚えてるって話だ。野放しにできない」


 静かに暴れる幼い獣人に対して、アレックスは敵意の表情を向ける。先程まではこの世界の迫害について、興味が無かった三宅も子供の危機とあれば流石に黙っていられず、間に入って解放を求める。


「部外者意見は承知の上ですが、当事者ではない子供に罪はないでしょう。こういうのを四文字で表すなら、積悪余殃せきあくのよおうっていうんですよ!」

「だが、獣人のせいで俺の兄貴や仲間が!」

「あなたの理不尽には強く同情しますし、差別意識も惨事を考えれば、仕方ない事なのでしょう。ですが敵意や恨みを広げる事が、無念を晴らす解決になるとは——私は、思いません」

「……」


 三宅の鋭い訴えにアレックスの力が抜け、捕まっていた子供は解放されて地面に転倒する。そこに三宅が手を伸ばして、怯える子供に寄り添った。


「ごめんなさい、怖がらせて。私の絵、近くで見てみたい?」


 軽くパニックになっていた、狼型獣人の子供。しかし三宅の落ち着いた声と、優しく触れようとする手に安心感があったのか、子供は静かに頷いた。


「私は似顔絵師の三宅。あなたは?」


 獣人に近付こうとする三宅に、アレックスは信じられない表情を浮かべる。敵意の無い三宅の声かけで、真っ黒く覆われたローブに潜む少女の声に光が当たった。



「わたしの名前——ナル……っていうの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る