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にっちもさっちもいかなくなったスキュラとカリュブディスのあいだにはさまれたら、私ではなく、フランチェスキーニ司教に相談してみるといい。彼は外見から想像できる以上のリベラルだよ」

「……あなたと司教とはどういうご関係なんですか」

 回りつつあった酔いと昼間の疲れのための眠気がふっとんだ。

「古い友人だ」吸血鬼は意味ありげな微笑みをうかべた。「直接顔を合わせたことは一度もないが。向こうは私のことを、空想癖のあるポルフィリン症患者かなにかだと思っているだろうな。私はたまに、彼に稀覯本を貸したりしているんだ。文通相手なんだよ、向こうがまだあなたくらいのひよっこ神父だったころからの。私が、に理解のある祓魔師エクソシストを紹介してもらえないかと頼んだときに勧められたのが、あなただ」

「私はそういった方面に知見を持っているだなんて、ひと言も言った覚えはないんですが」

「だが実際適材適所だったじゃないか? まさか人狼のおまけつきとは予想していなかったが。彼は人を見る目があるね」

 もしそれが本当なら、これはふたりして私をとしているとしか思えない。

「それを判断するのは早すぎますよ、ノーランさん。あなたは胸に杭を打たれても、通説言われているようには肉体が消滅しなかったわけですし――」

「さっきニックと呼んでくれと言ったじゃないか」

 彼の軽口は無視して続ける。

「一度病院でX線レントゲン検査をしてもらえれば、なにかわかるかもしれませんが」

「レントゲン……ああ、淑女の下着ペチコートの下まで透かして見られるとかいって騒ぎになっていたあれか。そんなもので魂の座を見られるとは思わないがね」

 冗談を言っているのかどうなのか判断しかねた。

「そういえば、あなたのご先祖が吸血鬼となるに至った経緯はお伺いしましたが、あなた自身が、その、生命活動を停止したのは、いつごろ、どんな原因からだったのですか?」

 ノーラン氏は表情のうかがい知れない灰色の瞳をゆっくりと瞬かせていたが、おもむろに口をひらいた。

「私が死んだのは一四〇〇年代後半のロンバルディア戦争でのことで、私はミラノ側の傭兵隊長コンドッティエーリのひとりだった」

「失礼ですが、アイルランド郷紳のあなたがどうしてそんなところに?」

「さあね。自暴自棄になっていたんだろう。いっそのこと投石器カタパルト射石砲ボンバードで粉々になってしまえばいいと思っていたのかもしれないな。実際はつまらない死にかたをしたが」

「つまらない死にかた……ですか?」

「そうだ。華々しく戦って死んだわけじゃない。射石砲が暴発して石弾が砕け散り、破片が胸部を直撃したんだ。鎧をつけていたから即死はしなかったが、三日三晩高熱にうなされたあげく、気づいたら死んでいた」

 冗談を言っているような口調だった。

 彼はまたこちらの目をじっと見た。

「天国に迎え入れられるときは光の隧道トンネルを通って天使が迎えにくるというだろう。私は悪魔を見たんだよ」

 仮面のようなヴァンパイアの表情が一瞬、なにか鋭い刃物にでも刺されたような苦悩と苦痛にゆがんだと見えたのは、私の目の錯覚だろうか? 彼は相変わらず、肘を支えに、彫像のようにカウンターにもたれていた。

「もし、あなたの魂――というものがあればですが――が死せる肉体につなぎとめられているのだとすれば、それを物理的な意味で解放するには、肉体を完全に破壊するしかないとも考えたのですが」

「……あなたの口からそれを聞いたら、あの坊やは嬉々として実行するだろうな」

「ディーンにそんなことはさせません。それに、肉体からの解放がすなわち魂の救済というわけでもないでしょう」

「そういえばあなたは、あの黒人父子おやこの悪魔祓いのとき、亡くなった友人と恩師のゆくえを知りたくないかと誘われて、即座に断っていたな。本当に知りたくはなかったのか?」

 灰色グレーの瞳がちょっとこちらをのぞきこむような角度になる。そこにうかんでいる色はよくわからない――哀れみか好奇心か、それとも同じ誘惑か。

「興味がないといえば嘘になります。知りたくないわけがないでしょう。訊かなかったのは禁じられているからですが、万にひとつも彼らが真実を語ることがあるのなら、私はそのときこそ、フォースタス博士のように地獄に堕ちてもいいと思いますよ」

 ノーラン氏はしばらく黙っていた。

「――なるほどね。あなたの血が美味いというのはそこだよ。あなたは神を愛しているが、正直どちらでもいいと思っているんだろう――真実で救いがもたらされるなら」

「……私が異端ということになれば、あなたの目的は果たされないのではありませんか」

 私は上がってきた心拍数をおさえながら、用心しつつ言った。

「今のところその心配はしていないよ。あなたの祈りは地獄の使者にも私にも同じように効いたし、教会に呪われて死んだら、吸血鬼になる資格はじゅうぶんだ。どちらに転んでも私に損はない。無聊を慰める道連れができるのは嬉しいね。あなたとは趣味が合いそうだ」

 思わず顔をしかめると、ヴァンパイア氏はにっこりしたが、多分に皮肉が含まれていたと思う。



「おはよ、クリス。ゆうべは遅かったんだね。俺、先に寝ちゃったよ」

 翌朝、洗面所バスルームで顔を合わせたディーンはちょっと鼻をひくつかせて、

「めずらしく飲んだみたいだね。ビールと土のにおいがするよ。酔っ払って芝生の上で寝たの? まだちょっと早いと思うけどな」

「いいや、ちゃんとベッドで寝たよ」

 あとでシャワーを浴びて頭をすっきりさせよう――

「じゃ、よっぽど楽しかったんだね。――なんでニヤニヤしてんの?」

「ちょっとね」

 彼が『星の王子さま』を読んでいることは、ディーンには内緒にしておこう。

 言い回しが気になって尋ねると、ノーラン氏は気恥ずかしそうな顔つきになり、私がこらえきれずに大笑いしてしまったので、なおさら渋い表情で、

「私は『戦う操縦士』のほうが好きだ」と言った。

 それからとりとめのない話をして、ビールを何本かあけた(もちろん彼は一本も飲まなかったが)。

 日付が変わるころに、彼は礼儀正しく、送っていこうと申し出た。

「使っていない寝室ベッドルームがあるから泊まってもらっても構わないんだが、あなたが帰らないと、あの坊やが血相変えて電話してくるだろうからね。痛くもない腹を探られるのはごめんなんだ。ただでさえ胸を掻き回されたからな」

「夜分にお邪魔しました、ノーランさん」

「私はこれから仕事だよ、神父。いわば朝飯前というやつだ」彼はにやりとした。

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