第26話「落ちるまぶた」

 ポタポタ、と落ちる雫。首にかかるタオルにジワリと飲み込まれた。


 濡れた髪を乱暴に拭いながら、廊下とリビングを遮る扉が、ガチャッと開かれる。そこから現れたのは、薄ピンク色のサテン生地のパジャマを着た満月みつきだ。



「……ぷはっ」



 迷いのない足取りで、キッチンへと足は向かう。冷蔵庫の前で立ち止まると、グッと力を込めて開き、手を伸ばした。500mlのミネラルウォーターを掴み、キャップをひねり、口を付ける。


 ゴクゴク、と喉が鳴るほど、喉が渇いていたらしい。ペットボトルから口を離すと同時に、新しい空気を吸い込んだ。



「……破魔はま先輩、大丈夫かな」



 冷蔵庫の扉を閉めて、背を預ける。

 ふと、頭に浮かぶのは、どことなく頼りない先輩の顔、だ。今にも泣きそうなほど、目に涙をためている表情についつい心配になってしまうのか、ぽつりと零す。



「まあ、あの家には帰ってないから大丈夫だろうけど……事件って分かった瞬間、絶望的な顔してたか――ふわぁ……」



 壁になってくれている冷蔵庫に後頭部をこつん、と預けて目を閉じた。先ほどの疑問に結論付けるけれど、うーん、と眉根が寄る。


 事件性の高い案件が過去に破魔の家で起きたかもしれない。その事実に顔を真っ青にさせていたことを思い出すと、精神的には大丈夫でなさそうにも思えてくるのかもしれない。

 そんな彼女も慣れないこと続きで疲れが出てきたのか、大きな口を開けて、欠伸をする。



「ねむい」



 じわり、と目の淵に涙が溜まる。こらえようと目を細めるけれど、生理的なものは堪えようがない。ツーッ、と頬を伝わっていく。



(寝るのが怖い――なんて、帝くんにも相談できない……というか、出来ればしたくない)



 どこか憂鬱そうな目で見るのは寝室。

 寝ることに怯えている、その理由を口にすることはないが、自身の首に何かの感触を覚えたのか、優しくさすった。それでも、消えることのない感覚に顔を顰める。


 微かに感じる背筋の悪寒に一瞬、帝の顔を思い浮かべるが、ブンブンと首を振った。



(流石に今日は寝れる、かな)



 自分の気持ちとは裏腹で、疲労は蓄積されている。

 もうひとつ欠伸をすれば、自然と強張る身体の力が抜ける。言い聞かせるように胸に手を添えて、摩ると、ペットボトルを持ったまま、寝室に向かった。


 扉をガチャッと開ければ、右側にはクローゼット、部屋の中心にベッド、その隣にはサイドテーブルがあり、サイドテーブルの上にはベッドサイドランプが置いてある。極めてシンプルだ。

 ペットボトルをサイドテ-ブルに置いて、ベッドの中へと吸い込まれていく。



「……かえしてって、どういう意味、なんだろ」



 暗い部屋の天井を呆然と見上げて、呟く。

 泣きながら、声を潰して訴えていた一言の意味を、まだ誰も知ることが出来ていない。


 あの女性に憑依したかのように悪寒、苦しさ、気持ち悪さ、痛み――全てを味わったからこそ、その言葉に込められた意味が気になる。



「あの、人は……どんな……人、だった、んだろ……」



 男の人に辱められ、それでもずっと残った思いが、その一言だったからかもしれない。


 同じ女として色々思うところがあるのか、幽霊になってまで、この世に留まる理由を考えるが、そのまま意識を手放した。


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