第21話「それぞれの夜」

 高級――とは言えないごく普通のマンション。玄関から一直線に伸びる廊下を渡れば突き当たりに扉があった。

 そこを開けば、一人暮らしにしては広すぎるリビングが広がっている。いや、ここは一人暮らしではなく、ファミリータイプの家だろう。

 リビングに来るまでの間にバスルーム以外に部屋があったのが証拠だ。


 壁際にあるテレビにも、部屋を照らす電球にも明かりは付けられていないから、真っ暗だ。


 4、5人掛けのソファの真ん中に身体を縮こまらせて座っている姿があった。

 寝付けないのか、ちょこん、と体育座りして膝に顎を乗せる。普段、ハーフアップしているサイドの髪が前へと垂れ落ちた。



「帝くんに言うつもりなんて――なかったのに、ね」



 心が視える。それは満月みつきの苦しみで、悩みだ。

 幼い頃に異常だ、と知った時から誰にも話したことはない。


 だからこそ、自嘲してしまうのかもしれない。



(それでも、言わずにはいられなかった)



 ぐっ、と唇を一文字にして、心に落とし込む。そう判断したことは間違いではなかった、と言い聞かせるように。


 亡くなった今でも、幽霊になって泣き続けている彼女を知り、平然と日常を送ってる怪しい人間を知り、どうして、黙っていられるだろうか。


 信じてくれるか、否か、それは誰にも分からない。当たり前だ、それは帝が決める事なのだから。

 でも、もしかしたら、人ならざるものを視る彼に期待していたのかもしれない。否定せずに、受け入れてくれることを。



「昨日ほど、心が視れたら……なんて、望んだ日はなかったな」



 なんて矛盾だろう、と乾いた笑みが出る。けれど、それくらい緊張していたのも事実だ。



「ほんと、帝くんはわからない。でも――」



 平然と、淡々と、否定するわけでもなく、嫌悪するわけでもなく、蔑むわけでもない。

 彼はそのままの満月を見ていた。



「優しいなぁ」



 それが何よりも安堵して、泣きたくなるほど、嬉しかったらしい。じわり、と心に温かさが広がっていった。



「……」



 チラリッ、と壁掛け時計に目を向ければ、もう夜中の二時を過ぎている。不安があるのか、瞳がゆらりと揺れた。



「あの人は、また泣いてるのかな……泣いてるよ、ね」



 こつん、と膝に額を当てて零れ落とす小さな、小さな呟き。

 誰かを心配しているようなのに、満月が泣きたそうにしているから、不思議だ。


 いや、人の気持ちに敏感だからこそ、自分の事のように感じてしまう。ある意味、悪い癖だ。



「……早く、早く、彼女が望むものがかえりますように」



 破魔はまの家で今日も涙を流して、同じことを望み続ける幽霊の女性を思うと、胸が痛むのだろう。

 ギュッ、と目を瞑り、彼女を思って切実に願ったのだった。



◇◇◇



「――――」



 ただ、カチカチ、と無機質な音が小さく響くリビングキッチンは静謐だ。

 外は闇夜が広がっており、部屋に明かりが灯ることもない。だが、二人掛けソファに人の影があった。


 何か考え事をしているかのように、両手を頭の後ろに回して横たわっている。規則正しい呼吸に肺が膨らんではしぼんだ。

 ベッドに行く前に寝落ちしてしまったのか、瞼も下ろされている。



「――来たか」



 ぴくり、と眉が動く。重そうなそれをゆるりと開けて、ふ、と壁に掛けられた時計を見上げる。針は2時を指していた。


 腹に力を入れれば、むくっと起き上がり、息を吐く。ガシガシ、と頭をかいて倦怠感のある目の行く先は、寝室だ。

 ゆるり、と立ち上がると視線の先へと歩いていく。



「シ、テェ……」

「アンタは何を探して欲しいんだ?」



 扉を開けて窓際を見やれば、床に座って泣く女性の姿。小さく嘆くその声に、ため息が出る。


 毎夜、繰り返される呟きに眉根を寄せるのも無理はない。けれど、帝の目に苛立ちはない。

 薄く開かれる唇から紡ぎ出される問いに、彼女はビクリ、と肩を揺らした。


 バッ、と振り返るが、頭を下げているから髪が柳の木のようになっている。髪の隙間から鋭く睨むとスッ、と姿を消した。



「……またか」



 このやり取りを何度繰り返せばいいのか、と気が遠くなる。積み重ねられる寝不足による体の倦怠感からため息が零れた。



「無害を主張するにはどうしたらいいんだ?」



 眠さと頭の重さに眉間にシワが寄る。帝は項垂れながら、頭を乱暴にかいて問いかけるが、それに答えるものなどいなかった。



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