エピローグ 食べ歩きミミック その1


 ギルドの食堂の片隅の、小さな植木鉢の中でその『命』は、大切に大切に育てられていた。ラインハルトを、その呪いを食べて救ったお礼に、ギルマスからミミクルに贈られた小さな苗。


 毎日かかさずに水をやり、日に当ててやり、甲斐甲斐しくミミクルはその苗を世話をしていた。


「ミミクル、私にも一枚、噛ませてよ……私だって、桃の実を売って大儲けしたいんのよ」

「ダメ、です。これは私が食べるためのもので、売るためのモノじゃないんです」

「その苗木がさっきから金貨に見えてしょうがないのよ。それが立派な樹に成長したらゴールドでできた平たい実をつけるのよ、その実を売れば、たった一枚で家が買えるほど儲かるのよー……おろろん」

「アーサーさん、絶対に触らないでくださいねっ」

「うわーん、ミミクルが意地悪するー」


 これまでの経験から学んだミミクルはその小さな苗に、机に突っ伏して泣き真似するアーサーが触れることを、決して許すつもりはなかった。


「チャミルさん、見てくださいっ!また1ミリ、成長してます」


 ミミクルはモノサシをその苗木にあてて、その身長を毎日、測っている。


「ミミクル、まだ大分時間がかかるぞ。こんなことわざもある――桃栗三年柿八年。あと3年は実をつけるまで待たないとな……」

「3年……とっても長いですね。でも、待ち遠しいです」

「そうだな、今日はちょうどギルドの創立祭。年に一度のお祭りをあと3回、お前がここで迎えるころにはきっと大きな木になって、実をつけているはずだ」


 アーサーが、急に立ち上がった。


「そう、今日は創立祭。まさに年に一度の稼ぎ時。ラインハルトに逃げられた分、稼がないといけないのよ」

「チャミルさん、アーサーさんはラインハルトさんがお金を払ってくれるのを期待して、また借金を増やしたそうですよ……」


 ミミクルはここに来た時には理解できなかったアーサーの借金の天文学的な数字を思って、ため息が出る。それだけのお金があれば、どれだけのおいしいものが食べられたことか……。


 アーサーがミミクルの桃の木をうらめしそうな目で見つめているのには、そんな事情があることをミミクルは知っていた。


「まったく、懲りないな……コイツは」

「ということで、ミミクル、協力してちょうだい。今度はメイド服よりもずっとキワドい衣装で攻めてみるわ。バニーガールっ、ゴスロリっ、セーラー服ッ?いいえ、やっぱり露出の多さは正義なのよ!いっそビキニなんてどうかしらッ!!!」

「嫌です、アーサーさん」


 ――ぐーーー。


 ミミクルははっきりとアーサーの提案を拒絶する。


「私は今日のおまつりを全力で楽しむんです。りんご飴、フランクフルト、焼き鳥、牛串、焼きそば、たこ焼き……想像しただけでお腹が……」


 ――ぐーーー。


 再び、ミミクルのお腹が鳴り、チャミルとアーサーは笑った。


「まぁ、いいわ。今日は準備も出来てないし、ミミクル、私もあなたに付き合ってあげる、いいわよね?」

「は、はい……でも、絶対におごりませんからね……」

「ミミクル、私はあなたが呪いベゼルを食べてお腹を壊した時、とてもとても心配したわ。その時心配しすぎて、最近はご飯が喉を通らないし、お金もないからもう何日もご飯を食べてないけど、べつに気にしないで……私はミミクルが生きて、幸せそうにおいしいものを食べているのを見ているだけで嬉しいの……」


 ふらりと、アーサーがわざとらしくよろめく。その姿をみたミミクルは、心に作った対アーサー用の城郭が崩れ去る音を聞いた。


「しょうがないですね……ちょっとだけですよ、ちょっとだけ……」


 実は、今日のミミクルの懐はとても暖かい。ギルマスがアーサーには内緒でベゼル討伐のクエスト報酬をくれたからだ。あのアクマは長い間、ギルドの討伐対象になっていたが、居場所さえわからずに、そのクエストは誰も達成できなかった。


 その報酬が設定されたのは大昔のことゆえに、桃の実を買えるほど高額ではないが、今日のお祭りは存分に楽しめそうだ。


 ミミクルはだから、アーサーには最初からお礼をしようと思っていたんだけれど……


「いいか、ミミック。お前、絶対にこのことはアーサーには秘密にしろ。命に代えても、決してこんな大金を得たことをアーサーにバレないようにするんだ。いいか、もしバレたらこのギルドにはいられなくなるぞ」


 怖い顔を近づけてギルマスがミミクルにそう忠告した時、その顔の恐ろしさに気絶しそうになりながらも、ギルドマスターの親心を心に刻んだ。


 だから、アーサーにはこのことは内緒だ。


 ちょうどその時、ミランダ・コゼットがミミクルを迎えに食堂の前に立ったことに気づく。


「ミミクル、いるか?」

「はい、ミランダさん。準備できてます」


 今日も律儀に重そうな鎧に身を包んだミランダに今日一日、ミミクルは付き合ってもらう。正式なギルドのクエストとして、ミミクルは彼女に依頼した。せっかくのお祭りなのに連れまわしてしまい、すこしだけミランダに申し訳なさがあるが、ミミクルのその気持ちははっきりと食欲に負けた。


「アーサー、お前も来るつもりか?」

「何よ、なんか文句ある?」

「そりゃあな。まぁでも、今日は依頼主様の……むぐっ」


 ミミクルはミランダの口を慌てて両手でふさぐ。どこからアーサーに感づかれるかわかったもんじゃない。


「ミランダさん、それは秘密にするって依頼で……」

「すまん、ミミクル、忘れてた。次から気を付ける」


 バレないように小声で話す二人のことをアーサーが胡乱うろんな目で見つめた。


「アーサーさん、何が食べたいですか?私はまずはたこ焼きですっ!」

「ミミクル、あなた……」

「な、なんですか……?」

「本当に食い意地が張ってるわね……一昨日まで入院してたのに……」

「そ、そうなんですよ……」


 ミミクルは人間の医者の命令でしばらく入院していた。先日、退院したばかりのミミクルが、もうミランダと約束してお祭りに繰り出そうとしているのを見て、さすがのアーサーも少し呆れたのかもしれない。


 ミミクル達がやってきたギルドの訓練場は、お祭り会場に様変わりしていた。出店が立ち並び、ギルメンだけじゃなくマチの住人も迎え入れて、とてもにぎにぎしい。時々うちあがる花火魔法ファイアフラワーが、その賑やかさにさらなる騒がしさと派手さを加えた。


 ミミクル達は早速、その人混みに紛れ込んだ。そうすれば、ミミクルの存在はあまり目立たない。そうミランダに提案され、ミミクルもその提案プランに乗った。ただし、ミミクルの宝箱は目立ちすぎるので布で覆って、誤魔化している。


「さて、たこ焼きの屋台は……」

「あっ、ありましたよ、あそこですッ!」


 ミミクルが指をさし、ミランダはその方向へと進んだ。ミランダには悪いが、ミミクルはとても気分がいい。行きたいところに自由に行ける。そして、好きな美味しいものが自由に選べ、食べられる。


 ミミクルの望みが今、確かに叶った。


 会場内にいくつも設置されたテーブルの場所取りをアーサーに任せ、ミミクルはたこやきの出店に突撃する。これ以上ない程の戦果を手に入れて、ミミクルは凱旋がいせんした。


「いただきますッ」


 手を合わせたミミクルは、ソースの匂いを肺一杯に吸いこんで、その卵みたいに丸っこいたこ焼きを口の中にほうりこむ。


 その瞬間、口の中で踊り出したのは上にかかったかつお節だけじゃあない。おとぎ話の竜宮城に来たように、たこと海苔の風味が手を取り合って踊っている。それをまろやかに包み込む、小麦粉の母の慈愛のような柔らかい食感。


 もう一つ、口にほうりこむ。こんどは外側のかりっとした食感を楽しんだ。


 いくつか入っているその夢で満たされたボールをミミクルは一つ一つ違う味わい方をするように心がけた。


 外の食感、中身のやわらかさ、タコの活きの良さ、外にかかった薬味の風味と紅しょうがの刺激。


「ウマいっ!」


 ミミクルは一つ食べ終わると、そう声を上げて、次へと取り掛かる。


「ウマいっ!」

「ウマいっ!」

「ウマいっ!」

「ウマいっ!」

「ウマいっ!」


 あっという間に船の上の乗客はいなくなった。


「もう、なくなっちゃった……残念」

「まだ、買ってこようか、ミミクル」

「ミゼット、お願いね……もちろん、ミミクルのおごりで……」

「うるさい、アーサー。お前には聞いてない」


 ミランダの提案をミミクルが断ったのは、先ずは一通り、食べたいものを食べてからまた戻ってこようと思ったからだ。そんなミミクル達がいる机にギルマスとミミクルには見覚えのない人間がやって来て、声を掛けた。


「おう、ミミック。楽しんでるみたいだな」

「ミミック娘……久しぶり……」


 ギルマスの後ろにいる、げっそりやつれて疲れ果てた様子のローブの男に声を掛けられ、ミミクルは混乱する。知り合いのギルメンの顔を脳内で高速再生しているが、該当するメンバーの記憶ははない。


「ギルマス……誰ですか、この人?」

「ははっ、ランスロット。お前、恩人に忘れられてるぞ」

「……って、ランスロットさんッ!?」


 ラインハルトの呪いベゼルみたいに陰気な雰囲気を体にまとわりつかせているランスロットに、ミミクルは気づかなかった。


「今日は訓練場が使えないだろう?だから、修業は昼で打ち切って、俺たちも少し見てまわることにしたんだ、なぁ、ランスロット」

「ミミクル、俺が死んだら、ラインハルトに伝えてくれ……相棒、むこうで待ってるってな……」


 ギルマスの修行が余程しんどいのか、ランスロットはいつになく弱気なセリフを口にした。


「ギルマス……ランスロットさん、大丈夫なんですか?」

「なぁに、このくらいで音を上げる様じゃ俺の弟子とは呼べないなッ。なぁ、ランスロットっ!」


 ばしっばしっと音を立ててギルマスは、身に着けたローブに飲み込まれそうな程、肩を落としたランスロットの背中を、叩いた。妙にテンションが高いギルマスと真逆のランスロットはやがて人混みに紛れていく。


 その時、ランスロットが振り向いてミミクルに向けて、口パクでこう言った。


「た、す、け、て……」


 そう言ったランスロットの哀願するような瞳を、ミミクルはクビを振って頭から追い出す。今はやめておこう……でも、いつか助けてあげよう……。


 そんなことを考えているミミクルの右手には焼き鳥の串が4本、左手にはフランクフルト、アメリカンドッグ、りんご飴、綿あめが握られている。出店とミミクルのいる机を行ったり来たりしながら、ミランダ親鳥がせっせとミミクルひなに餌を運んでいる。


 その料理をミミクルは全力で味わい、全身で喜びを表し、次々にほおばった。


 香ばしい鶏肉の食べやすい一口、その間に挟まったネギの隠れたうまみ、同じお肉なのに全然、違うつくねの食感、フランクフルトのぱりっとした噛み応え、そこに入った香辛料の刺激、宝石のような飴にコーティングされた果実の優しい甘さ、天国に来たようなスイートな雲にふわっと包まれる。


 この日、ようやくミミクルに訪れた満足感は、そんないくつもの色の層が重なり合って出来た虹色の夢の架け橋だった。


「アーサーさん、次は何食べますか?どうしようかな、何がいいかなぁ……」

「ミミクル、私はもう食べられないわ……どうかしら、ミミクル?お祭りは食べ物だけが楽しみじゃないのよ、魔法を使った射的に力試し、豪華な景品付きのくじ引きなんかもあるのよ……」


 ミミクルのおごりで、ミミクルと同じメニューを完食したアーサーは大きくなったお腹をさすりながら、そう言った。いつものすらりとした体形が台無しなことも、食べ物以外の出店の話題のことも、ミミクルはそんなことは気にしない。食べ物以外のことは頭の中にも、胃の中にも今日のミミクルには入っていかないようだ。


「アーサーさんっ、まだ私はいけます。まだまだ、私はおいしいものをたくさん食べ続けますッ!」


 ――その時、ミミクルはあきれ返っているアーサーのその後ろに、””を見た。


 


 


 





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