友との再会と上天丼

 

 アーサーが酔いつぶれ、机に突っ伏して寝息を立てている横でミミクルも眠っていた。ミミクルには家が必要ないので、ここに夜も置きざりにしてもらっている。アーサーには一応、このマチに家があるらしいのだが、今日は呑み潰れてしまったようだ。


 ふたりの寝息しか聞こえないギルドの食堂。

 

 その扉を、

 ――こんこん、と

 何者かがをノックした。


 ――こんこん、こんこん。

 「ん、もう誰ー?こんな夜中に……寝かせてよー」


 ――こんこん、こんこん、こんこん。

 ノックの音はなりやまない。しつこくしつこく、蜘蛛の吐く糸のように粘り強く、根気強く、続く。


「うるさーい、文句言ってやる!」

 アーサーが立ち上がり、千鳥足で食堂の扉を開けたその瞬間とき

「えーい」

 アーサーは何者かに頭から液体をぶっかけられた。


 何が起こったか、理解できず呆然と立ちつくアーサーも少しずつ事態を理解しはじめ、強烈な異臭に鼻をつまんだ。


「くさッ!?なにこれ……血?」

「今日は牛の血でーす」


 素面しらふであっても意味不明な、予想以上に訳の分からない事態に遭遇したアーサーは、それでもアルコールに侵された脳みそをフル回転させて、ようやく答えに到達した。


「ということはあなた、デュラハンッ!?」

「えぇ、そうよー」


 気の抜けた返事が相手の胸のあたりから返ってくる。デュラハンらしく小脇に抱えた頭部はアーサーに負けず劣らず美しい。


 凝りに凝った装飾が施された漆黒の鎧は闇に溶けこみ、彼女の頭部から流れ出るシルクのような金の糸だけがかすかに灯りを反射している。


「ってことは私、もうすぐ死ぬってこと?この私がッ!?

 まだ借金返し終わってないのに……いや、それはどうでもいいか。

 死んだらもう借金返さなくていいから、むしろラッキー?いやいや、そんなわけないわね。まだやりたいこと、いっぱいいっぱいあるのに……えーーーん」

「ごめんなさい、違うんです。別にあなたの死を予言しに来たわけじゃないんです。  

 でも、せっかくだからやっておこうかなぁって」


 闇と同化する鎧の重厚さとは真逆に、首無し騎士デュラハンは手に抱えたクビから舌を出し、お茶目にそう言った。


「そうなの?じゃあ、別にどうでもいいわ。用がないなら帰ってちょうだい。せっかく、酔っぱらって気持ちよく寝てたんだから。冷やかしなら帰ってちょうだい。私はもう眠るから、帰ってちょうだい……」


 アーサーは自分のよだれが付いた机の方へと引き返し……いや、途中で力尽き床に倒れ込んだ。


「私が言うのもなんですが、寝る前にシャワー浴びたほうがいいですよ……」

「ぐー」

「あら、もう寝てる。

 ちょっと起きてよ。ミミクル、ここにいるんでしょう?

 今晩、『もう思い残すことはない、メイド姿のミミクルちゃんに会えたから、わしはその喜びをかみしめて死ぬ。推しに命を捧げるんじゃいッ!』って言って、死んだ老人がいたから分かってるのよ……って、起きないわね。

 もう、いいわ。自分で探すから……。

 あぁ、いたいた。

 ミミクル、こんなところにいたのね」

 

 手に持った頭部を机の上に置き、デュラハンは宝箱のふたを開けた。あ、皆さんはこれ真似しないでください、食べられちゃいますから……。こんなことされても反応できないくらい今のミミクルは人間界になじみきってしまっていた。


 宝箱の中で静かに寝息を立てているミミクルの様子をエリナはしげしげと眺めた。油断しきっているパジャマ姿のミミクルは涎を垂らし、「もう食べれないよ~」とベタベタな寝言を漏らした後、ようやく目を開けた。


「むにゃむにゃ……エリナッ!?どうしてここに?

 まさか私を探してきてくれたの?」

「別に探してないけど、たまたまね。あのまま礼も言わずに消えたから、ちょっとだけ心配はしてたわ。

 なんかよくわからないけど元気そうね」

「うん。なんかよくわかんないけど元気にしてる。

 あの時はありがとう。エリナはどう、元気?」

「私は相変わらず、クビがもげてるくらいで元気よ」

「じゃあ、いつも通りだ」


 エリナが鉄板の首無し騎士デュラハンジョークをかまし、ミミクルはいつもそうしていたように笑った。


「それで、あの女の人は何?なんか残念な美人って感じのあの人は?」


 エリナは床に倒れた血まみれの長身黒髪長髪の美女を指さす。


「エっ、エリナッ!?アーサーさん、死んじゃうの?」

「ううん、あれはただのジョーク。だから、心配しないで」

「ジョーク……?まぁ、いいや。彼女はアーサー。私を拾ってくれた一応の恩人。今は、なんていったっけ……そう、私のヒモみたいな感じ。食堂のお客さんに教えてもらった」

「ヒモってあんた、大丈夫なの?」

「たぶん、大丈夫。ギルマスが時々、助けてくれるから」

「ギルマス……?」


 ミミックがデュラハンにことの成り行きを説明し、二人はしばらく談笑を続ける。そして、一通りそれが終わった後でエリナはミミクルにこう尋ねた。


「それで桃は食べれたのかしら?」

「それが……」


 ミミクルは先日、アーサーに聞いた話をそっくりそのまま、エリナに繰り返した。


「うーん、やっぱりね。

 まぁ、頑張ってお金を貯めるか、もっと頑張って東に旅するか。

 あんたの好きにしなさい。

 いつか私にテレポートを教えた借りを返してくれる日が来るのを待っておくわ」

「うん、きっと返すよ」


 ミミクルは顔を赤らめて、改めて旧友との再会を喜んだ。


「あぁ、そうだ。あんたに言うことがあったんだわ」


 この場を立ち去ろうと玄関に向かったエリナが、首だけをミミクルの方に向けてそう言った。


「なあに?」

「くれぐれも人間には気を付けなさいね。ここの人たちは大丈夫かもしれないけれど、モンスターを見れば襲ってくる、そんな魔物より野蛮な連中もいることを忘れないで。

 

 私にあなたの死を予言させないでね。ちょっぴり悲しいから……」


 ミミクルがわかったと頷いたとき、暗黒騎士はすでに闇と同化してその場から消えていた。




「なんじゃこりゃーーーーーーッ!?」

 そんな叫び声がとどろき、食堂は元気な朝を迎えた。


「うわッ、何よ、これッ!?何なのよ、一体ッ!

 最悪、最悪よ……なんで私、血まみれなの?飲みすぎで血を吐いた?こんなにたくさん?いえ、いくら何でもこんな量、ありえないわよね……ミミクル、何か知らない?」

「……イエ、ナニモ、シリマセン……」

「うーん……とりあえず帰ってシャワー浴びるしかないみたいね……」


 血の足跡を付けながらとぼとぼと食堂を出ていくアーサーをミミクルは見送った。 

 アーサーに真実を話すときっとろくなことにならない……そんな予感がした彼女は秘密を胸に秘めたまま、床の血を雑巾でふき取り始める。

 血濡れた雑巾をバケツに絞り、ミミクルはひとり言を口走った。


「はぁー、これからどうしたらいいんだろう?」

 ため息を一つ。


「桃、食べたいなー。

 でも、旅をするには準備がいる。

 そのためにはお金がいる。

 商人から桃を買う、そのためにもお金がいる……はぁー」


 再びため息を漏らしたミミクルの足元で、金貨がちゃりんと音を立てた。宝箱の中でミミクルはそれを何度数え直しただろうか……。


「よし、決めたッ!」


 ミミクルは誰にでもなくそう宣言して、足元の金貨を握りしめる。


「とりあえず今、行きたいところに行ってみよう。

 ――テレポートッ!」


 目をつぶり光速で過ぎ行く景色を見ないようにしながら、ミミクルは転移魔法テレポートを唱えた。



「あら、いらっしゃい。お客さん、いつから来てたの?」

 しわがれた声がして、ミミクルは自分が目的地にたどり着いたことを悟った。

「あの、注文してもいいですか?」

「あぁ、開店にはちょっと早いけどいいよ」

 

 腰の曲がったおばあさんが迎えてくれたその場所は、このマチで一番、評判のいい食堂だ。勝手は自分が食堂で働いているからわかっているつもりだったが、ミミクルは自分が変なことをしていないか、心配になった。下半身はキッチンからは見えないはずだし、まだ正体はバレていないと思う。わざわざ開店よりもちょっと前に来ているので、他の客もまだいない。


 一応、すでにギルメンに尋ねてこのお店のことをリサーチはしている。今のところ、その情報とミミクルの計画に狂いはない。


 年季の入った机の上の擦り切れたメニュー表を手に取り、ミミクルはそれをしげしげと眺めた。


『  ・上


   ・中


   ・並


    ご飯なしは銅貨1枚引き   』


 随分と潔いというか、不親切というかギルドの食堂とは随分と違うそれにミミクルは面食らった。値段もどこにも書いていない。不安はますます大きくなっているが、お代についても、あらかじめギルドのセンパイに確かめている。

 箱の中の金貨で十分に足りるはずだった。


「決まったかい?」

「はい、”上”でお願いします」

「そう、ちょっと待ってね。今、火入れるから……」


 ばちっばちっとキッチンの方で音がして、おかみさんが石を打ち合わせてかまどに火を入れたのがミミクルにも見えたが、その上に乗っている大きな鍋に何が入っているかまでは見えなかった。 

 やがて、鍋の中身それがぱちぱちとはじける様な小さな音を立て始める。おかみさんが箸を入れると音はさらに大きくなった。

 聞いているだけでうれしくなるような、小気味のいい音だ。かすかに漂う油の匂いとその音色がハーモニーを奏で、ミミクルの食欲を掻き立てる。

 心の中の不安は少しずつ消えていき、初めて来た店にも関わらず、ミミクルはいつものダンジョンに帰ったような安らぎを覚えた。

 発泡音が急に大きくなったのは、おかみさんが白い粉を付けた食材を鍋に投入したからだ。すこし心配になるくらいにぱちぱちという音が強くなり、それはおかみさんが箸で再び、それを取り出すまで終わらなかった。


「はい、おまちどうさま」


 金色に輝いている具材は器からはみ出していて、ミミクルの食欲と同じように暴れん坊だ。それに縦横にかかっているタレがそんな暴れん坊たちを網にかけてまとめ上げている。


「いただきます」


 そう言って、一番大きな具材をほおばったミミクルの口の中で、さらに勢いを増して具材が暴れだす。口内を元気いっぱい、ぷりっぷりの何かが弾け回っている。たれのかかったご飯をそこに覆いかぶせれば、暴れものはおとなしくなり、そして口の中に得も言われぬハーモニーを生み出す。


(お、おいしい)


 こんなおいしいものを食べたら、いつもだったら跳ねまわって喜ぶミミクルも、圧倒的な”天”の威に打たれたように静かに心の中で、そう感想を述べた。


 ミミクルは他の具材に箸を伸ばす。しゃきしゃきなもの、サクサクなもの、ふわっとするもの、しゃくっとするもの。すべてが圧倒的なおいしさでミミクルに迫ってくる。


「ふー」

 すべてをおなかに収め、ミミクルは深い息を吐いた。


「あんたみたいに美味しそうに食べる娘も珍しいね……」


 ことりと音を立てて、湯飲みがミミクルの前に置かれた。

 

 熱いお茶をすすりながら、満足感の余韻に浸っていたその時、

 ――がちゃり

 と、扉が開く音。


「おばちゃーん、もうやってる?」

「やってるよー」


 店にのれんをくぐって男が入ってくる。男はあたりをきょろきょろと見回してこう言った。


「あれ、おばちゃーん。

 前のお客さんのお代、机におきっぱになってるよ。

 忘れないうちに回収しておきなよ」

「あーいって、あれ?あの娘、いつの間に帰ったのかね……」


 ミミクルがさっきまで座っていた席には、空っぽになったどんぶりと上天丼の代金だけが置きざりにされていた。

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