第37話 風太と祟り神②

風太ふうた、何をしてるんだい」


 天を撫でるようにぐんと伸びた竹林の中。樹冠の合間からこぼれる光に、まばらに照らされた顔が振り返った。


「おーう【老星ろうせい】。手頃な竹ぇ、刈ってんだ。そんあとカヤとシダも刈らねえとな」


 風太は持っているナイフ状の剣鉈けんなたを振った。適当な大きさの細竹を小気味よく切っていく。


「昨日、伝蔵でんぞうが逝ったばかりだろう。山仕事なんてまたにして、休めばいいじゃないか」


 【老星】は苦笑いで腕組みした。昨夜、クロの前で見せた冷たい眼光はなりをひそめている。


「親父はよぉ、ここ1、2年ずっと身体悪かっただろ。なんつーか、覚悟はできてたんだよな」


 そりゃ超悲しいけどよ。風太はそうつけ足しつつ、刈った細竹の枝を鉈で落としていく。変わらず営み続けることが、伝蔵への手向けだと言うように。


「もうすぐセベト祭りだろ。神穂屋かむほやこさえねえとよ。今日はその準備」


 神穂屋とはセベト祭りで神を迎え入れるために作る一間四方の小屋だ。カヤを組み合わせたものを細竹で補強し、中にお供えものや甘酒の甕を据える。【老星】を祀る祭事だ。


「もう前みてえにでっけー祭りはできねえけどな。当場元とうばもと大世話人おおぜわにんも、ぜーんぶ俺ひとりでやらなきゃだからよー」


 風太はカラカラと笑い、竹稈ちくかんだけになった細竹をカゴに入れていった。


「……なぜ笑っていられる」

「あ? なんか言ったか?」


 【老星】のつぶやきは風太の耳には届かなかったようだ。自分を祀る準備をしている青年を前に、【老星】の口がへの字に歪んだ。


「風太、もう白狩背しらかせにはお前ひとりじゃないか。そんなことを続けて一体なんになる?」


 風太に向かい合う神は、理解できないものに嫌悪感を示すように、顔を歪ませた。


「なんになるー? んなこと知らねーよ。まあ続けるっつーこと自体が大事なんじゃねーの?」


 風太は【老星】の様子など気にも止めず、カゴを肩に担いだ。

「次ぁ、山くだってカヤ刈りだ。暇なら手伝うか? ってお前にやらせるのはさすがにダメだわなぁ」


 風太はその言葉の通り山をくだろうと、【老星】の方へ歩き出した。

「のお、風太。このまま白狩背でひとり、死ぬつもりか?」


 【老星】の目が熱を失っていく。瞳の奥が冷たくなればなるほど、自然と口端が吊り上がり、昨夜の冷笑が顔面に張りついた。


「この先のことなんてよ、まだ考えらんねーわ。俺ぁ頭わりいかんなー」

「……そうか。だったらこの茶番、私が幕を引いてやろう」


 あと数歩ですれ違うそのとき、あたりの景色がぐにゃりと歪んだ。周りの竹が伸びながら歪み、歪みながら縮み、渦巻いた。立つ大地も波打ってへしゃげ、天地がひとつの混沌へと練り上げられていく。


「な、何だあ?」


 風太はドロドロに溶け混ざった風景の中に閉じ込められてしまった。けれどそこにいるのは風太だけではない。【老星】も同じく、閉ざされた異界に身を置いている。


「おい【老星】、なんだこりゃーよ」


 風太は助けを求めて【老星】の顔を見遣り、固まった。【老星】の左目から眼帯が外れていた。眼帯の下に隠された【老星】の目は、黒目と白目が逆になっている。


 氷光。春陽が急に陰ってブリザードに襲われるように、凍てつく眼光が風太の心臓を射抜いた。芽吹いた若葉を枯らせて散らすような、生あるものを拒むような冷たい目だった。


「お、おま……ろう、せ……」


 なんの熱も宿さない虚白の瞳孔が風太を見据える。今まで一度も見たことのない【老星】の表情だった。あまりの殺気に喉がひくつき、上手く言葉が出てこない。


「……っ」


 その視線はどんな言葉よりも雄弁に、風太の生命を奪おうとしていることを語った。【老星】の視界に捕らわれるだけで身体から活力が霧散して、風太は身も心も縮こまり動けなくなる。風太は思い知った。自分にはなんの価値もなく、ただここで死ぬことを運命づけられた弱者だったんだと。


「……お前と……白狩背と……心中するつもりなんてね、私には毛頭ないんだよ」


 【老星】が一歩、風太に歩み寄った。何気ない一歩が、風太にとっては死へのカウントダウンだ。風太は顔を強張らせて後退るが、足がもつれて尻もちをついた。


「私はね、自由になりたいんだ。この土地に縛られるなんてまっぴらごめんなのさ」


 凍てついた笑みのまま、【老星】はまた一歩風太へと近づいた。


(だ、誰か、助けて)


 しかし意識や感覚を惑わすことを得意とする【老星】の術中、外界の者の意識から外れる異界に風太はいる。例え風太の隣に誰か立とうとも、その存在に気づくことは限りなく不可能だ。神であろうとも、そう簡単に風太たちを見つけることはできない。


「私を祀るな、私のために舞うな、私のことを想うな」


 【老星】はゆっくりと屈み、その冷たい指を風太の首にからませた。


「お前にできることはたったひとつ。……私のために死んでくれ」


 細く白い指に満身の力が込められた。風太の白い首にぎりぎりと食い込んでいき、指と首の堺がなくなる。


「……か、……がは」


 気道が圧迫されて息ができない。風太は助けを求めるように【老星】の両腕にしがみついた。爪を肉に食い込ませ、そのまま神の腕をかきむしる。白い腕に赤い血がにじむが、【老星】は腕を這う蟻を無視するように、気にもとめずさらに力を込めていく。


「さあ、もうすぐだ。私をここから救ってくれ」


 風太は充血する目で【老星】の白と黒の瞳孔を凝視した。なぜ、怖い、助けて、死にたくない。混乱しながらも絶対零度の瞳に必死に訴えた。


「ははは、苦しいか? 可哀想な風太。もっと早くにこうしてやればよかった。お前の意識のない、寝たきりだったときに。そしたら怖い思いをせずにすんだだろう」


 【老星】は化け物じみた笑顔で風太の命を追い込んでいく。


「お前、目覚めたのがそもそも間違いだったんだよ。早く元の寝たきりに返れ。さあ、返れよ!」


 冷たい光に激情が重なった。無慈悲に締め上げられる首は今にも千切れそうで、風太の顔は真っ赤に鬱血していた。

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