第20話 葉山風太②

(……う、嘘だ。……こんなこと、あるわけない)


 かろうじて意識は刈り取られずにすんだが、負ったダメージが大きくて体を動かせない。たちばなはせめて己の誇りを守らんと必死に自分を擁護する。

(……くそ、風太ふうたがブックマンだと。そんなのわかるわけないじゃないか。あのときはほんとにただのガキだったんだ)


 橘の帯びていた使命は茄子なすの推察通り、6年前に連れ去り損ねた風太とクロの誘拐だった。ようは過去の自分の尻拭いだ。


 かつて診療医として白狩背しらかせに入り込んだ橘は、村人と交流を深めながら黄昏たそがれの構成員になる資質のある人材の見極めと、力のある神の選別を行なっていた。


 ヒュームはマイノリティがゆえに独自のコミュニティを形成し、ナノン社会から距離を取って生活する傾向が強い。


 特にジャパニーズヒュームの中でも、体をいじることなく素のままでいることに強い誇りを持つ者にその特徴は顕著で、古来の日本人が山岳を信仰し、自然の歳時記に身を委ねながら生活していた頃をなぞるように山に入っていった。


 昔をなぞるだけならいいのだが、さらにはその生活様式を至上のものとし、自分たちこそが真の人間、真の日本人とのたまう者まで現れ、他を過剰に排そうとする危険思考に陥る輩もいた。この時代における新たな形のナショナリズムとでも言おうか。


 橘はそんな行き過ぎた排斥者たちに黄昏の思想をトッピングし、組織に取り込んでいくリクルーターだったのだ。


(順調だった。……順調だったんだ。村人の半数を引き連れ、【跫音きょうおん】も手に入れた。……せっかく地方のドサ回りから抜けられたと思ったのに)


 地道に神狩りやリクルートをしてきた実績を認められ、やっと組織内での地位も上がってきたというのに。貴重なブックマンと力のある神を見過ごしていたとわかって、またこうして白狩背くんだりまで出張る羽目になった。


 しかも6年前に自分が荒したせいで、警戒した白狩背の神々が蓬莱とこよに結界を張っていたのだ。不用意に立ち入ればすぐに自分の存在がバレてしまう。


 だから気乗りしなかったものの、モノリス職員たちに紛れて白狩背に忍び入ったというわけだ。


(こんなことなら身バレ覚悟で突入すればよかった。……まさかあんなに弱ってるなんて。くそっ、ほんとに何もかも上手くいかない)


 橘が里で診療医をしていた頃、白狩背の神々はまだまだ壮健だった。とてもじゃないが、そのすべてを相手に風太とクロを攫うなんて到底できないと判断したのだ。


 誤算だらけの白狩背強襲。


(でも、どうしようもないじゃないか。想定できる最善の手をとった、それだけだ。俺は何も悪くない!)


 その言い訳に耳を傾ける者は、この場にはいない。


 【夢見むけん】を地面から引き抜いた風太が、突っ伏す橘の眼前に立った。やばい、どうにかこの場を凌がなければ。しかし演技でも風太に命乞いなんてまっぴらごめんだ。


 矮小な誇りを守るため、橘は精一杯の力で仰向けになった。大の字に寝転がり大らかに振る舞うことで、この状況でも動じていないことを誇示しようとした。若きブックマンの険しい視線と視線がかち合う。


 あ、だめだ。橘はそう思った。俺の体裁を保とうとするブラフなんて、そもそもこいつの眼中にない。風太は俺をほんとに殺すつもりなのかもしれない。こいつは小さい頃から、穴熊だろうがウサギだろうが狩りでは容赦なかった。


 そう悟った途端、この状況を切り抜けるために橘の脳みそはニューロンを激しく発火させ、運命を手繰り寄せようとフル稼働する。


 一説には、人が死を覚悟するような危機的状況に陥ると、その危機から逃れたい一心で脳が助かる方法を探るために記憶を一斉に蘇らせる、そのことを走馬灯と呼ぶらしい。


 風太ごときに走馬灯? 記憶を探りながら毒づきさえし、それでも掴み取った記憶の一片――伝蔵でんぞうから聞いた風太の出生の秘密、これだと確信した。


「風太、自分の母親のこと知ってるか」


 仰向けのまま起死回生の一言を放った。口端を軽く上げ、つまらない話題でも口にするようにさえずった。


「あん?」


 橘のことしか見えていなかった風太が、不意打ちの母親に反応した。


「伝蔵さんからなんか聞いてるか?」


 風太の反応を注意深く探りつつもそんな素振りは露ほども見せず、橘は軽薄な口調で命を繋いでいく。


「確か、事故死ってことになってたな」

「……なってた、ってなんだよ。てめーふざけてんのか」


 思った通り、上手く風太を釣れたことに橘は安心した。あとは時間を稼げるだけ稼ぐ。橘の疑似現実トロメアが妖しく動いた。


「言葉通りの意味さ。お前の母親は事故で死んだ、そういうことにしたんだ。伝蔵さんがな」


 耳を貸す必要はない、命惜しさに適当なことをしゃべっているだけだ。風太はそう思いつつも、それ以上刀を動かすことができなくなった。


「伝蔵さんの奥さんはな、確かに交通事故で死んだんだ」


 風太ももちろん、伝蔵からそう聞いていた。何も矛盾することはない。


「……俺をおちょくってんのか?」


 凄む風太をヘラヘラといなす。主導権を取った橘は、さっきまで転げ回っていたことが嘘のように不敵にしゃべり続ける。


「まあ聞けよ。奥さんが死んだの、いつだと思う? お前の生まれる3年前だ」

「あ?」


 風太は怒りに染まった頭で考えたが、どうにも自分の生まれた年と計算が合わない。そんな風太の反応を楽しむ余裕さえ今の橘にはあった。自分の繰り出すカードで風太がどんな風に傷つくか、想像すると笑みが溢れる。


「まだわからないか。……お前の父親は伝蔵さんじゃないって言ってるんだ」


 橘の言葉が風太の鼓膜を震わせた刹那、風太の目の焦点が橘からずれた。橘を通り越し、その下の地面、さらには幾層の地層をすっ飛ばして、まるで地球の裏側をぼうっと眺めているような表情だ。


「5歳のときに難病で植物人間になったって聞いてるだろ? それも半分は嘘だ。お前は難病になったわけじゃない。5歳のとき、ある実験の被検体にされて植物人間になってしまったんだ。そして脳死状態のままこの白狩背に連れて来られた。伝蔵さんの手によってな」


 ショックのせいか表情を失った風太に追い打ちをかけるように、橘は次々と言葉を繰り出した。


 命を繋ぐためのものが、いつの間にか自分を優位にし、さらには風太を攻撃する刃となった。橘は楽しくて嬉しくて夢中になってしゃべり、風太はその空気の振動を無防備に浴び続けた。

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