第15話 白狩背、強襲⑤

長戸ながと君、三虎みとらさん、黄昏たそがれです」

「えぇぇ、こんなときに」


 いまだに集会所の外では結界に阻まれて右往左往している人形たちが大勢いる。文音あやね的に泣きっ面に蜂状態だ。だが、世の中の酸いも甘いも味わってきた中年にはそうではないらしい。


「ピンチはチャンスですよ」


 こちらに向かってくる人影は2人。恐らくクロの言っていた死人使いは身を隠しているのだろう。


「三虎さん、僕と外で迎え撃ちましょう」

「えぇ! 外に出ちゃうんですか! むむむ、無理だと思います私」

「大丈夫。三虎さんの真価は開けた場所での一対多です。キミの身体能力に人修羅ひとしゅらが加われば、そう簡単にさっきのような不覚は取らない」


 茄子なすは文音の両肩に手を置いて力強く頷いてみせた。


「いいですか、キミは強い。高速で動き回ってかき乱してください」


 部下を見つめる分厚いべっこう眼鏡の眼差しには、揺るぎない信頼が乗っかっている。自信もそれを裏付ける実績もない三虎にとって、その信頼の光は体の芯に戦う火を灯し、奇襲で縮こまった心を温かく鼓舞した。


「や、やってみます!」


 自信はないけど、私が自分に自信を持つ必要なんてない。だって私の代わりに私を信じてくれる人がいるんだもの。文音は闘志を燃やしながら、臨戦するためにティアーズを点眼し、疑似現実トロメアを展開させた。


「長戸君、キミはここで待機だ。何が起こるかわからない」


 この切迫した状況で後輩は上司とともに前線に立ち、自分は非戦闘員たちと結界内に待機する。責任感の塊のような長戸がそんな命令を承服できるはずがない。


「相手が人である以上、私だって戦えます」

「違う。そうじゃないんです」


 長戸はジンを操ることができない。体内にチェインを取り込んで以来、個体としての完成度が飛躍的に高まったナノンは、その魂の構造が神的なものと結びつき難くなった。


 だからグリモアやタリスマンを扱うことはできないし、逆にヒュームやリュカオンほどジンの影響を受けはしない。モノリスに所属するナノンであってもジンを目視できない者は大勢いる。


 だがそうではない。優秀な部下を結界内に縛る判断は、そんなつまらない常識から下されたわけではない。茄子は長戸にそっと囁いた。


「キミには風太ふうた君を任せます。多分、あそこには橘広斗たちばなひろとがいます。いつ風太君が飛び出して行ってしまうかわからない。クライアントをしっかり守ってください。これはキミじゃなければ任せられない」


 風太を見遣ればすでに刀を鞘から抜き放ち、憎しみに顔を歪めている。素人が戦闘に紛れ込むほど危険で迷惑なことはない。長戸は渋々承知した。


「風太君」

「んだよ」


 窓の向こうを凝視して風太は茄子を見ようともしない。言うだけ無駄かもしれない、が。


「人形から滲むジンが見えますか?」

「ああ」

「僕と文音さんで人形を破壊しつつ、黄昏の2人を迎え討ちます。仲間が劣勢になれば、きっと死人使いは援護しようとする。風太君はこの集会所の近くで、人形を操るジンの動きに注視していてほしいんです」


 戦いながら、隠れている死人使いのジンの動きを探る余裕があるかはわからない。だから風太に役割を与え結界内に留まらせつつ、死人使いを炙り出そうと考えた。


「そりゃ聞けねえ話だなー。俺は橘をぶっ殺さなきゃなんねー」


 予想通りの返答。若者の激情を容易く御せるとは思っていなかったが、何事にも対話を信条とする茄子だ。まずは言葉で静止を試みた。


「風太君、クロさん。僕に害意がないことはわかってくださいね」


 本当は手荒なことなどしたくないがそうも言っていられない。茄子の手にしているグリモアがジンに作用し始める。


「吊るされた環 滔々とうとうと漂い 手折る羽 万象の苗床に沈み 青を揺るがせ、菌鎖廟きんさびょう


 ヘラジカが風太に静かにかしずくと、床がずぶずぶとふやけ黒く変色した。


「うおっ」


 腐れた床が抜け落ち風太の両足がずるんとはまると、それが合図となり穴から白い粘菌が凄まじい勢いで青年の体を覆い出す。


「おあああっ」


 ミチミチと不気味な音を立て、マッチョな菌に風太はされるがまま押し込められる。風太を飲み込みながら真っ白い子実体を形作る様は、さながら人間を餌に成長する凶悪な冬虫夏草とうちゅうかそうだ。


 ぼんっ。仕上げに風太の頭の上で毒々しい赤い傘が開き、巨大なきのこが姿を現した。その腹からは風太の顔がのぞいている。宿主を憐れなコメディアンに仕立て上げる生態を冬虫夏草が有しているかはわからない。


「う、動けねえ。茄子さん、何すんだよ!」


 顔以外の全ては巨大キノコに包まれてしまって、文字通り手も足も出ない。身体を揺すってどうにか脱しようとしても、巨大キノコは床底にがっちり根づき、ちょっとやそっとでは動かない。


「ぶはっ」


 気味の悪いリアルキノコの着ぐるみに身を包んだ風太を見、文音はつい噴き出してしまった。


「へ、へのこ神様だっ」


 それはまさにキノコとあそこを司る神の爆誕だった。空気が張り詰めた室内に困惑を、その後に然るべき笑い(失笑含む)を巻き起こし神は降臨された。


「あーちくしょー。てめえら笑ってんじゃねーっ」


 風太は満身の力を込めて体を揺さぶった。もちろんキノコの呪縛から逃れるために。しかし床底に張った菌糸の強靭さは、チックタックと巨大なへのこをメトロノームの振り子に仕立て新たなコミカルムーブメントを与えるにとどまらせた。


 へのこ神に受肉された風太が何を叫ぼうとも、それは阿呆の衣を纏って笑いのエッセンスのひと足しにしかならない。


(風太君にはちょっと申し訳なかったかな)


 降臨させた茄子本人すら風太を気の毒に思った。だがこれでいい。


「キミはここにいてください。結界から出るのは死にに行くようなものです」

「うっせーなー。あんたに俺の気持ちがわかんのかよ。邪魔すんな!」

「理解はしているつもりです。だから最善を実行する。そのキノコ、命に関わるようなものではありません。どうかじっとしていてください」

「クロォ! こいつをなんとかしてくれ!」


 自分の半身に懇願するが、クロとて風太が黄昏と戦えるとは思っていない。キノコの傘をぽむぽむ叩き、「お前はわしが守ってやる」と笑った。

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