不気味アンプリファイア

水谷威矢

吹雪の中連れ帰ったもの

 母と私と弟は所謂、見える人というやつだった。

 いつから見えているのかは自覚がないが、母が見えるようになったのは、父と結婚してからだそうな。

 私と弟はそれを受け継いでいるのかもしれない。

 そんな父は我が家で唯一何も見えないし感じない人だった。

 これは去年の冬に私が体験した話だ。

 冬休みに入る少し前、部活で帰りが遅くなり日が暮れてしまっていた。

 日が暮れたと言っても、その日は猛吹雪、とまではいかないが、それでも相当吹雪いていたと思う。

 吹雪いている日の夜は、暗くならない。

 街明かりか、山の向こう側からまだ陽の光が反射しているのか、辺りは薄紫色に染まる。

 手元ははっきり見えるのに影ができないのが印象に残っている。

 辺りは暗くはないが、吹雪のせいで視界は悪く、50m程先はもう何も見えなくなっている。

 こんな日は普通なら迎えを呼ぶのだが、今日は車がなく母は迎えに来れないのだと言う。

 仕方なく悪天候の中2km程の道を歩いて帰ることにした。

 学校から自宅まではほとんど国道沿いの道を行くことになるので、それなりに雪道でも整備されているし、車通りもあり、多少吹雪いていようが特に気にはならなかった。

 異変が起きたのは自宅まで残すところあと200m程になった時だった。

 突然突風が吹き、さっきまではまだそれなりにあった視界はあっという間になくなってしまった。

 国道沿いということもあり、道路の端を知らせる赤い矢印が点滅しているのが見え、辛うじて方向は見失わないで済んだが、それでも前へ進む足は自然と慎重になった。

 そんな時、突然誰かに声をかけられた。

「今から帰るとこ?」

 ぼおぼおと吹雪いている音がするとは言え、雪を踏み締める音くらいは聞こえるものだ。

 だが学校を出てからここに来るまで誰かの足音が聞こえてくることなどなかった。

 という事はずっとここに誰かが立っていたのだろうかと思いもしたが、直前まではそれなりに前が見えていたのだから人が立っていれば見逃すはずはなかった。

 じゃあ、今私に話しかけてきているのは一体誰なのか?

 そんなこと考えていると、「今日はもう帰るの?」とその誰かはまた声をかけてきた。

 自分と同い年くらいの女の子の声だと思ったが、どうにも聞き覚えがない声だった。

 依然として猛吹雪であり、視界がほとんどないためその誰かの姿を確認することもできない。

 声の近さからすると、すぐ隣にいてもおかしくないような声量だった。

 顔に雪が当たるのを我慢して声のする方へ向くと、道路側にうっすらと人影が見えた。

 歩道と道路の間には除雪で避けられた雪が子供の身の丈ほどにもなる山を作っていて、その人影は腰から上だけが見えていた。

 その瞬間に私は総毛立つのを感じた。

 決して寒さのせいではなく、純粋にその人影に恐怖した。

 その人影がある位置はどう考えても私から2mは離れた位置にある。

 にも関わらず聞こえる声は私の右耳のすぐ側だった。

「ねえ、もう帰るの?」

 三度目に声をかけられた時、気が付けば私は走り出していた。

 途中、何度も雪に足を取られ、氷で足を滑らせ、転びそうになりながらもなんとか自宅の前に着いた。

 その頃には吹雪はだいぶ収まり、視界もほとんど良くなっていた。

 辺りを確認してもそれらしい人影はない。

 やはり偶然あの場所に誰かがいて、遅い帰りねと私に声をかけてきたのだろうと無理矢理自分を納得させ玄関に向かい歩き出す。

 玄関の前に来てからなんとなくもう一度振り返ると、ちょうど玄関の防犯ライトがチカッと光り、私を照らし出した。

 当然、地面には私の影が映し出された。しかし、それはどうにもおかしかった。

 私の影は、腰から上が普通の人間のそれより明らかに歪んでいて、私の輪郭よりもかなり大きく映った。

 よく見てみると、どうやら誰かを背負っているような影に見えた。

 それに気がついた途端に、ずしん、と腰から上が重たくなった。

 本当に、人一人を背負っているかのような重みを感じた。

「連れてきてしまった」

 そう思った。

 また耳元で何か言われてしまわないか気が気ではなくなってしまい、振り向けばすぐに玄関の戸があるのに上手く足が動かせなくなってしまった。

 何かを背負っているような重みは感じるが、感触はない。

 息遣いを感じるわけではなかったが、それが私の右耳に顔を寄せてきたような気がした。

 ついに堪えきれなくなった私はまるで金縛りを無理矢理振り解くように振り返り、玄関の戸を思い切り開けて自宅の中に転がり込んだ。

 自分では気が付かなかったが、後に母が言うには私はものすごい音を立てながら玄関に倒れ込んできたらしい。

 幸いなことに玄関の近くに母が立っており、何事かと私の方へ寄ってきてくれた。

 依然として腰から上の重みはあるが、母には何も見えていないようだった。

 私が今起きたことを母に話すと、何度か私の背後にちらちらと視線を移していたが、最終的には「気のせいだったんじゃない?」という一言で片付けられてしまった。

 私と母のやりとりを聞いて弟も玄関に来ており、弟には何か見えていないかと思い聞いてみると、「肩と頭にめちゃくちゃ雪が積もってる」とだけ言って居間に戻っていった。

 いつもなら私と同じように見えているはずの2人に、この腰から上の重みの正体が見えていないと分かり私は絶望した。

 これでは誰に助けを呼べばいいのか分からなくなってしまった。

 そんな折、外から車のタイヤがぎゅうぎゅうと雪を押し潰す音が聞こえてきた。

 ばたん、と車の戸が閉まった音が聞こえ、少ししてから父が玄関に入ってきた。

「お、ちょうど今帰ってきたところだったのか。可哀想なことしちゃったな。パパが迎えに行けばよかったね」

 そんなことをいいながら父は私の肩に積もった雪を簡単に払うと、靴を脱いで居間に向かおうとした。

「どうしたの?頭も濡れてるから、早くタオルで拭かないと風邪を引いちゃうよ」

 そう言って父は居間に入っていった。

 私はそれを見て呆然としていた。

 いつの間にか腰から上の重みも消えている。

 あれがどこにいったのかは明白だった。

 私が仕方なく居間に入ると、空気が淀んでいるのを感じた。

 父は食卓テーブルに座ろうとしているところで、あれもそこにいた。

 父の腰と肩に手足のようなものを回し、しっかりとしがみついているそれは、全身が真っ白な布で覆われており、ぱっと見ただけでは人には見えず、バスタオルを体に何枚も巻いているかのようにも見えた。

「いやあ、今日はパソコンに齧り付いていたから、すごく肩がこったよ」

 そう言いながら父は首をぐるぐると回す。

 私にはその肩こりの正体がはっきりと見えているが、父には言えなかった。

「どうしたの?食べないの?早く食べないと冷めちゃうよ」

 父が居間の入り口で固まっている私にそう声をかけると、父にしがみつくそれはぶるっと体を震わせたかと思うと、顔と思われる部分をゆっくりと父の右耳に近づけていった。

 私はその時、きっと青い顔をしていたのだと思う。

 そんな私を弟が訝しげな顔で見ている。

 恐らくは、私に何かが見えているということが分かったのだろうが、弟は何も言わなかった。

 そうしているうちに、父にしがみつくそれは「早く食べないと冷めちゃうよ」と父の言ったことを鸚鵡返しのように反復しだした。

 もちろんそれは私以外には聞こえていない。

 気が付くと、父の耳元に向かって話していると思っていたそれは、いつの間にか私の方を向いて話しているようだった。

 目や口があるわけでもないのに、確かにそこが顔で、こちらを向いていると分かった。

 すると父が「あ、そうだ」と言いながら立ち上がり、冷蔵庫を開けた。

 冷蔵庫は私と迎え合わせになるように置いてあり、父が冷蔵庫の前に立てば、父にしがみつくそれも向こうを向くはずだった。

 だがそれは、ぐりん、と顔をこちらに向けた。

「早く食べないと、早く食べないと、冷め冷め冷めちゃう、よ?よ?よ?」

 段々と吃るようになってきたそれは、先程までとは違い、もぞもぞと体をくねらせるように動き出した。

「あーこれこれ」

 父はそんなことお構いなしに冷蔵庫から缶ビールを取り出してテーブルに置いた。

 父は母に飲みすぎないようにと注意を受けると「ビールは魂のガソリンだから」と言って缶を開けた。

 プシュッという音が鳴った瞬間、それは一段と体を震わせた。

「はははやはやはやはやくた、た、たべたべたべさめ」

 話す言葉ももう容易には聞き取れなくなってきたそれは、明らかに普通の状態ではなくなっているということが分かった。

 このままだと父はどうなってしまうんだろう。

 その時、コップに注いだビールを一口で半分程飲み込んだ父が「かぁーっ!沁み渡るー!」と大きな声を出したと思うと、父にしがみつくそれは「はははやあああああ!」と一段と激しく叫び、とたんに大きく膨らんだ。

「え」

 自然と言葉が漏れた。

 もしかすると、言葉ではなく声にならない叫び声だったのかもしれない。

 風船のように膨れ上がったそれは父の上半身全体を包み込んだ。

「ゲェッ」

 ビールを一気飲みした父が大きなげっぷをした。

 その途端、膨らんだそれは、「ゲェッ!」と父のゲップを真似たのか、それとも断末魔だったのかは分からないが、ばしん、と弾けた。

「いや失敬失敬。でもこれで1日の疲れも吹っ飛ぶよ」

 そう言う父の肩にはもうしがみつく腕はなかった。

 腰には足がまだ残されていたが、それも次第に霧散した。

 私には何が起きたのか分からなかった。

 ただ、家に入ってからずっと感じていた空気の淀みのようなものはもう感じられなくなっていた。

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