龍の賭け事 参

 顔面ごと地面へ叩きつけられたレイアは、そのままリングの上で伸びている。

 ルール上、このまま10カウントが過ぎれば自動的に敗北だ。立ち上がらないことには未来はない。



「1! 2! 3! 4! 5!」



 これで勝負は決まった。あとは10カウント目に合わせて歓声をあげるだけ。

 会場は、そんな短絡な思考のままただ黙り込みながら審判のカウントを、固唾をのんで見守るだけであった。



「〈魔王城〉の兵士長ともあろうお人が、まさかメイド業にかまけてたせいでスタミナ足らずなんて負け方は嫌やよ~」



 相手に聴こえているのかも分からない煽り声をレイアに囁くアヤメ。

 勝利を確信したような嫌味のようだがそれは違う。


 伸びたレイアを視界に捉え、両拳をいつでも次の一撃に移せるよう構えている。まさかここで負けるはずがない。まだまだ勝負を続けたい。彼女の拳を知りたい。

 ある種の祈りを声音に込めていたのだから。



「4! 5! 6! 7! 8!」


 

 あと2秒。もうレイアの敗北は間違いない。

 そう思われていたが……。



「9!」



 ラスト1秒。勝負が決する瞬間――――――


 レイアのドロップキックがアヤメの顔面に炸裂する。



「大事な顔を傷つけたお返しです」



 そう、一切の油断なく構えていたアヤメが対応できない速度で両腕を使って身体を持ち上げながら飛び上がり、見事なまでの脚線を描いたクリティカルな攻撃を決めきったのだ。



「女同士で顔の傷つけ合い、あまりええ絵面やないなぁ」


「この顔はクリスを魅了するためのモノ。仕返しの理由なんてそれぐらいですよ。男も女もありません」



 ……今やレイアのアイデンティティは外の世界への憧れでもブリューナクへの敬意でもない。

 幼い頃から家族同然に世話をしていたクリスフィアに対し、長い年月を通して芽生えた恋心。それに答えるためにも、彼女より強い人間でありたい。そんな愛だけに成り立つ想いなのだ。


 だからこそ、あの日全く同じ武術を使うようにみせかけ、全く別の武器で真正面からの不意打ちを喰らったことで考えを改め直した。


 愛しているからこそ、クリスフィアを倒さなければならない。


 〈龍人種ドラグーン〉が生まれながらに持つ闘争心プライドは、そのような歪んだ愛情を心身に響かせる。

 ならば、自身の持つを遣って戦わねばならない。


 そこで彼女は武器を捨て、膂力に優れた〈龍人種ドラグーン〉の種族的強みを活用し、四肢による徒手空拳を極めることに決めたのだ。だからこの大会への出場は、新たな戦闘スタイルで結果を残すことが目的だ。

 今回の一撃は、脚で疾走ろうが、腕で飛び上がろうが同等のスピードで移動できる膂力を利用し、足のリーチでより素早く攻撃を当てた。ただそれだけである。


 この全身を殺さず活かす戦闘スタイルこそ、〈龍人種ドラグーン〉流だ。

 大会ルールで制限された羽根の不使用が強みを殺すことにはイコールしない。 



「そちらに手番ターンなど回しません」


「ごふぅっ」



 レイアはアヤメの顔面にぶつけた両足を地へと落としながらしゃがみ込む姿勢に身体を動かし、一切の隙を見せないまま、飛び上がって右拳によるアッパーカットを炸裂させる。

 軽く蹴るだけで岩石をも砕く〈龍人種ドラグーン〉の、それも数百年単位で研鑽された肉体による飛躍をエネルギーにした拳を受けて耐えられるものはない。



「これ、まずいんとちゃいます」



 どうにも耐えているが、それでも、経験則でわかる。

 アヤメは相当な手練だが、あとで沈む。油断なき一撃を容赦なくぶつけてやろう。想いを込めながら残った左腕で胴体を狙った。



「ま、ウチはその程度で倒れるヤワな娘とちゃうんやけど」



 が、その腕をアヤメは両手で掴む。



「そんな!?」


 それも掴まれどころが悪かったのか全身の動きを不自由にする腕のツボを親指で押し込みながら、容赦なく、腕の骨を、筋肉をすべて破壊せんと力を入れ込んだのだ。

 振り払うことも許されない束縛は並行して左腕を軸にしながら神経が擦り切れるほどの痛みを全身へ響かせる。



「ぐがががががががががッッッッ!!!!!」

 


 並の人間では耐えられない。失神どころでは済まずショック死しかねない。

 心を狂わせる痛みを前にしているが……レイアはとにかく耐えた。

 ここで負けるようならクリスフィアを倒すことなど不可能も同然だろう。



「今度こそ終わりやねぇ、メイド長はん」



 アヤメはトドメと言わんばかりに、左腕を掴んだままレイアの身体を宙へと持ち上げ、半月を描くようにぐるりと回しながらまたも地面に叩きつける。



「~~~~~~~~~~~~ッッッッッッ!!!!!」



 

 声にもならないうめき声をあげながらまたリングの上で伸びるレイア。



「まだトドメにはなっとらんようやねぇ……ッ! はよ優勝させてもらいたいんやけど」



 ……アヤメもまた、レイア同様に譲れない信念を以てこの場に立っている。

 彼女は〈呪魂具カースファクト〉の制限ともまた別の、脳の性質が原因で魔力を持ちながら魔法を使用できない制約を受け、この地に生まれた。百万人に一人。あまりにも希少な、どうしようもない不幸な体質である。


 魔法に特化し身体能力の弱い〈里人種エルフ〉でこの体質ではどうにもならないはずである。

 だが、不幸にも武力に長けた名家の生まれであり、世界に名を残す先祖たちの話を親に聞かされてきたせいか強さへの渇望に駆られてしまう。


 そこで“師匠”と彼女が心から敬愛している老婆と出会った。同等の制約を持ちながらも魔法を使用できなくとも身体に宿る魔力をコントロールして身体能力を強化する武術〈魔操武まそうぶ〉は彼女の人生を大きく変え、今もなお師匠と共に世界中を回り研鑽を続けている。

 この大会では、〈魔操武〉は魔法とカウントされない。だからこそ師匠から教わった業で、〈里人種エルフ〉の限界を越え、優勝し実力を世に示したいのだ。



「……」







 レイアはもはや立ち上がれない……今度こそ。

 観客の誰もがそう思ったが……。



「残念ながら、私には愛があるんですよッッッ!!!!」



 直ぐ様に四肢で蜘蛛の足の如く立ち上がらせ、そのまま手足すべてを遣った飛躍を通してアヤメに肉薄する。

 先程の掴みで左腕の骨も体組織もまともに機能しないはずなのに、痛みを無視して無理矢理動かしその動作を実現させた。

 〈龍人種ドラグーン〉の規格外な身体能力はタフネスにも影響しており、根性さえあれば多少の傷みは無視できる。レイアは、この程度の痛みで音を上げる女ではない。

 とはいえ、あと立っていられるのは10秒がせいぜい。だから、次の一撃で完全に決める……ッ!



「いい加減、死ねどすッ!」



 瞬間、双方の顔面に、右腕同士のクロスカウンターが炸裂した――


 寸分の狂いもなく、全く同じタイミングで、どちらも全身の筋力を振り絞った一撃をぶつけた。



「「……」」

 


 緊迫した状況下でも煽り合う2人。


 次はもう立ち上がれない。追撃も、距離を取る余裕もない。先に倒れたほうが10カウントのタイミングで負ける。

 会場すら皆黙り込み、何百人もの人の山が熱気を以て見守っていたはずが、瞬時に静寂な空間へと変わる。



「「……」」



 静寂は、1分続いた。

 そして……



「我慢比べで負けるんは癪やわ。メイドの癖にアホなスタミナやね」



 バタリ。と、アヤメは地へと倒れ込む。



「愛の力ですよ、愛」



 そして1秒ズレてレイアも、バタリ、と倒れた。

 その後審判は10カウントが行ったのち、



「『スデリオン』の優勝は、レイア・キーパーだぁ!!!!!!!!!!」



 後から倒れたレイアの優勝が決まった。

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