TWO LOVE

@satoyan4819

TWO LOVE

  前編


  1 はじまりは

 

 201X年5月10日土曜日

 一生に一度、有るか無いかの出会いが、間近に迫っていた。心ここにあらずの風采人の見かけ上のようすが、関空国際線到着ロビーを横切り、十六時半の時計を見て、航空機位置情報の前に立った。お目当ての中国広州中国南部広東省の省都便が、着陸態勢であることを知ると、シャツの胸に手を当てた。ジョークだが、かすかに動悸が伝わった。苦笑いが、「どうにもならん」とぼやき、税関審査場階下で足を止めた。ふ〜っと、二度、息を吐いた。

 プレッシャーをほぐす方法は、「もうこれしか無い」で、トイレへ行った。愛用のソフト帽を取り、鏡に顔を写した。思った通り口元がゆるんだ。多少落ち着き、一歩近付いた。自称、『おもろいツラ』に感謝を捧げ、更に寄った。キザを笑い、帽子を斜めに被った。「六十二を忘れるな」とうそぶいたのは、渋めのカジュアルジャケット、定番のバンドカラー白シャツ、洗い晒しのGパン、イタリア製スニーカーの後押しがあったからか。

「自称五十二。ばれたら?うう〜ん、まっ、なんとかなるやろ」

 詰まるところ、開き直りしかなく、うがいでスッキリ外へ出た。 

 

 二次元の女が三次元にやって来る。ガイド役の新堂英二は、インターネットをこう比喩し、仮想空間の過去を辿った。忘れもしない半年前と、今日に至る半月前へ。

 

 写真家が自分の作品を世に問う。たいそうだが、そんな思いで始めたフェースブック。それがただ一度だけよそ見した。新作に『いいね』をくれた中で、中国人の名前があり、気になったからだ。

 サイトを見た。斬新な絵の個展に驚き、感動し、流れで、女の写真へと、関心がいった。年は二十代半ばだろうか。あどけない笑顔は画風と違和感が無く、他方で、日本人的恥じらいは、何かしら感じるものがあった。画家への興味も合わせ、即行、友だちリクエストをした。年を思えば笑えるが、意外にもOKが返った。

 今風ラブストリーは、メルヘンチックストーリーは、こうして始まった。

  

 ロスアンジェルスの有名美術学校に、留学生として籍をおくYOYO・LEE《ヨーヨー・リー中国名李憂憂》。夜は外出しないのか、それとも孤独なのか、二十一時現地時間のコンタクトには必ず応えてくれた。話題はやはり絵画で、彼女の写真と同様、子どもじみた楽しい時間は、しばらくのあいだ続いた。しかしある時から通信は途絶えた。繊細な日本語を翻訳英語が表現することは難しく、誤解を招いたのではないかと推察した。いずれにしろ虚しさ、寂しさとともに、ショックは大きかった。これが半年前のことである。

 そして半月前。パソコン画面の片隅に、フェースブックから知らせが届いた。若い女の写真だった。記憶の断片が形を作った。嬉しさが戸惑いを押しやり、写真をクリックした。『元気?』のメッセージに、思わず、「忘れてなかった!」と、感激が声になった。

 元気の二文字に首をひねり、半信半疑の交信開始。

『日本語、勉強したの?』と、メッセージが夢でないことを願い送った。

 短くて長い八秒だった。

『うん。でも始めて四ヶ月、レベルは幼児程度よ』

 嬉しくてコーヒーがぶ飲み。

『英語よりまし。学校は?』

『つまらない、さぼる。じょせき《除籍》ね』

『YOYOらしい。久しぶりだけど、チャットやめてたわけは?』

『いやらしい男たちに悩まされて』

『美人だもの、仕方ないね』

『うれしいような、うれしくないような』

『分かる。最後のチャットはYOYOを心配して。読んでくれたの?』

『帰国してから』 

『半年前だよ。よく覚えてたね』

『忘れようにも、忘れない』

『忘れられない』

『そうか〜、はっはっは!日本語は難しい、おじさんの文章と同じ』

『と言うと、意味不明』

『最後のは特に』

『ごめん、悪かった』

『翻訳英語でしょ、あやまることない』

『けど、よく分かったね』

『初めてよ、ノートに写したのは』

『あれをノートに。泣けてくるな。でがんばってくれた、その結果』

『日本のパパはとてもやさしい人だと』

『わお〜!めっちゃ幸せ!百メートル、十秒切るかも』

『はっはっは!おもしろいのもやさしさ。決めた!これからはえいじと呼ぶ』

『えいじ? 照れくさいが、ひとつよろしくね』

『ひとつ?』

『あいさつだと思ってくれる』

『じゃわたしは、ほんとうの友だちだから、ふたつよろしくね』

『ふたつ?かわいい!パパに大受け。わっはっは!』

 メルアドも教えてくれた。しみじみとひとり言を洩らした。

「日本語が分かる。ありがたい。これで俺の気持が、真っ直ぐ伝わる」と。

 次の日さっそくチャット。

『日本語の勉強はどうやって?』

『夏目漱石と川端康成の小説。それとアニメで。あと文法はネットで調べた』

『レベルは幼児程度?うそだろ、わっはっは!兄弟は?』

『いない』

『一人っ子なんだ。お父さんの仕事は?』

『大学教授』

『じゃお母さんは?』

『父と同じ』

『ん?びっくりだなあ』

『引いた?』

『ちょっと』

『じゃもっと引くわね。父は遺伝子工学博士。母は物理学博士』

『うう〜ん、完全に引いた。YOYOの専攻は?これ興味あるな』

『文学部哲学科。意外でしょ』

『そうでもない。親は科学者だもの。分かるよ、俺はね。孤独?』

『うん。だからピアノレッスンは嫌い』

『楽器はみな同じだけど、ピアノは特別かもしれないね。絵は?』

『描いてない。描く気がしないの』

『原因は?』

『自分でもわからない』

『そいつは困ったな。じゃ日本へ来る。気分転換に』

『行きたい。でも父がなあ〜』

 親の血を引けば、いったいどれほどの女かと、会いたい気持が芽生えた。しかし世の中スピード時代とは言え、信じられないメールが、一週間後に届くとは。

 二十五才のお嬢様のその内容は。

『性格が明るくなった、すごく。当然両親もよろんだ。ごきげんの父が言った。なにかあったのかと。こたえた。フェースブックの友だちのおかげだって。もちろん女性だとうそついた。うふふ。そして日本へ行きたい、行けばわたしは必ず進化する。進化。学者の弱点ね。あっはっは。許してくれた。英二に会える、うれしい!』

 両目をこすった。何度も読み返した。間違い無い。が、冗談かもしれず、事実確認の返信。『突然でごめん。日程はまだ決めてないけど、かならず行く』

 その日の夜。夢見心地が、星空に話し掛けた。

「俺の残りの人生。ひょっとして、変わるかもしれないよ」


  2 美女とナイト

 

 201X年5月10日土曜日

 我に返った。案内板が中国広州便の到着を告げていた。再びトイレへ行き、今一度鏡に向った。小学は空手、中学は柔道、高校、大学はラグビーと、スポーツ一筋の上背186センチ、目方88キロが、ガイド、プラス、ナイト《女性の護衛をする人》の資格もあると胸を張り、待ち人たちの仲間になった。

 下りエスカレーターが賑わってきた。大半中国語だ。緊張の極みが、手にした紙を広げ、高く掲げた。マジックで書きなぐったYOYO。人がばらけ、目を引く女が気付いた。笑顔が両手を振って応え、勢いでフロアへ飛び降りた。レトロなトランクを手に、ガイドの元へ走りかけた。するとおばさんの甲高い声が背中を刺した。

「你! 我忘了!《あんた!忘れものだよ!》」

谢谢ありがとう」で、画材の見えるノートバッグを手に、弾む足取りが、日本へ来た実感の前で止まった。悪戯っぽく、実感を仰ぎ見た。そして、クスッと笑った後の第一声は。

「英二。イメージどおりよ」 

 実年齢が頭から去り、ガイドが得意のボケで返した。

「喜んでいいの?」

「もちろん」

 お下げ髪にひさしが後ろの野球帽。表現に悩むスッピン美貌。襟がおしゃれな白いブラウス。紫の花柄ポシエット。紺の半ズボンがお似合いの長い足。バスケットシューズと順に追って、お嬢様を確認すると、歩きながら、難解日本語を試した。

「そそっかしい、意味分かる?」

「なんとなく」

 立ち止り、スマホの辞書を見せた。笑みが返った。

「写真と同じ。YOYOは珍しいよ」

「天然記念物にする?はっはっは!」

 二人の距離がいっきに縮まった。ソフト帽を取った。半世紀変わらぬスポーツ刈りをかき、遠慮気味に右手を差し出した。これには小首をかしげた。

「日本人も握手するの?」

「外人の真似しただけ」

「まねしなくても」

 荷物がストン、抱きついた。奇襲だ。面食らった。

「ストレートだね」

「自分の心に素直だけ。でもこうしてると、うふふ、わたしは子どもみたい」

 襟足から漂う甘い体臭。心は少年が、顔を紅くし、そろり体を放した。

「従って頼りになる。トランクは俺が。さあ行こう」

 阪神高速湾岸線を北上中の英国製ミニクーパー。緑と黒のツートンカラーが気入ったか、ご機嫌へ、肝心なことを尋ねた。

「スケジュールは?」

「四日泊まって・・・ごめんなさい、なにも決めてない」

「東京とか、大阪は?」

「都会はいや。中国を考えて」

「人が多いところはペケ、分かるけどさ・・・」

「英二の住む花の島は、わたしのあこがれ」

 チャットで自慢した淡路島。果たして期待に応えてくれるかだが、自信はあった。

「とりあえずホテルだな」

 少し間が空き、助手席がぽつりと。

「英二の家・・・」

 出し抜けのパンチ。仮想空間の友だちがふらついた。ふらつきながら考えた。

( 家は裕福。ホテル代を節約するなどありえん。だとすれば、チョンガーを疑ってるとか。しかし俺を信じてるのは事実。じゃあ本気なんだ。)

「男ひとりだよ」

 横目が否定を拒否する目とクロスした。鳶色の無垢な瞳が、これでもかの、二発目のパンチを見舞った。

「頼りになる・・・と言った」

 倒れそうになった。スピードを落とした。

「英二のことも知りたい」

 とどめのアッパー。ここに至って腹をくくった。独身至上主義者のお慰み《その場の楽しみ》だと。

「O K。日本のパパだもんね」

「それじゃ・・・」

「うん、泊まって」

「ありがとう。もう感激」

 おもろいツラの人間性。短時間ではあるが、感じ、見たか、双眸は潤んでいた。そして英二は、異国の女と過ごす五日間は、ロマン夢想家の生き様を見せる場だと思った。その手始めが淡路SA《サービスエリア》にある大観覧車。ルンルン気分を誘い乗った。シースルーゴンドラだ。

「どう?世界最長の吊橋は?」

「万物を創造した神がなんて言うかよね。それでここは悪意のない悪意」

 ガラス張りの足元。宙に浮いてる感覚。文学部らしいコメントに感心するも「英二、そっちへ行く」で、少し青い顔がくっついてきた。

「ナイトらしくなった」

「じゃ手も握って」

 この男にもロマンスはいくつかあった。しかし要望の経験は記憶に無く、ぐずぐずしてる間に手を取られた。しっとりした感触だった。これは育ちの良さだとこじつけ、誰が見ても親子が、頬を寄せ下界を見渡した。

「真下の左側が俺の住む町。家は・・・」

『目立つはずだが』は飲み込み、

「うう〜ん、分からんなあ」と、ぼかした。

「その方がいい。YOYOのいちばんの楽しみだもん」

「楽しみ?楽しみねえ〜」と他人事のように言えば、うつむき笑った。

「光がドラマチック。目に映るものすべてが、ドラマチック」

 夕方の斜光線が、風景を際立たせ、感動したのだろう。

 繋いだ手の腕時計へ目がいった。首を捻り自分のを見た。

「一時間遅れてるけど」

「うふふ。時差、忘れてた。なおす」

「好きな画家は?」

「モネ、それにミレー」

「てことは、光、空気感。だとすれば・・・」

 ピッタリの場所が頭に浮かんだ。夕陽が山の稜線に沈むまでまだ間がある。急いでゴンドラを降りた。早足になった。

「待って!わたしのナイトさん。なにか忘れてる」

 ナイトの職域に疑問を持つも、しっかり手を握り、数分後には、洋風の庭が広がるエリアにいた。人影は無く、樹間に乱れ咲く花々で、ゲストが歓声を上げ、日本離れした景観で疑問を投げた。 

「すてき!でも、ほんとうに学校なの?」

「先生も学生も見たことがない、山の上の不思議な大学」

 俗世間から遊離した環境。羨ましくもありで、ノートバッグからスケッチブック、クレパスと取り出した。そして、山並みの少し上にある夕陽を見て力んだ。

「ぐずぐずできない。直感勝負ね」

「久しぶりとは思えん」

「目がさめたの!」

「日本へ来た甲斐があった」

 樹々から差し込む光の帯。小道を彩るポピー。古い木のベンチ。絵になる。始まった。左利きだ。英二もカメラを取った。しかし驚きが写真を何処かへ追いやった。お口あんぐりの早さ。ダイナミックなタッチ。エキセントリックな光と花のダンス。なにもかもが衝撃であり、彼女の幾多の作品が頭に浮かんだ。

「現代の印象派!」

「あいまいって言葉を知ったとき、わたしの絵はこれだと思った」 

「曖昧?そうか、そうだよね。あいまいくん、次が楽しみだ」

「うふふ。名前変えようかな、YOYO・AIMI、どう?」

 微苦笑で応えた。場所替えだ。面白い植木鉢が雑然と並ぶ小さな庭で足が止まった。端の棚、上段で咲く、五輪の紫のアイリスと、夕映えの山々が、画家の感性を刺激した。

「英二。かたぐるま、むり?」

「台が高いもんね。OK!ただし、できたら早くね」

「待って。必要なクレパス、ポシエットに入れるから」

 迷いもせず色が決まった。スケッチブックを手にした。ソフト帽を捨て、股に首を入れた。バスケットシューズのくるぶしを握り締め、いっきに持ち上げた。そして上の指示に従い、前後左右と動いた。 

「止まって。この木の枝では?」

 下が首をねじ曲げ、頼りない幹を見てひと言。

「ナイトだよ」

「ごめんね。急いで描く」

 頭にスケッチブックを乗せ、早技が始まった。

「身長165センチ、体重50キロ。いかが?」

「おしい。1センチ高く、1キロ少ない。ついでにスリーサイズは85、51、86」

「俺の理想だ。しかし、ついでには聞かなかったことにする」

「わたしのすべてを知って欲しかったの。だいじょうぶ?」

「体力と忍耐。俺の自慢だ」

 男らしさが安心させたか、絵に集中。そして下はじっと我慢。やがて、

「英二、疲れたの?」と心配そうな声。

「揺れてる?」

「少し」

「エクササイズ、始めるか」

「始めなくてもいいよ、自慢は認めるから。あとどれくらいがんばれる?」

「終るまで、チャレンジ」

「五十二才、ほんとう?」

 ドキッが、体勢を立て直し、

「スクラムを思えば軽いもんさ」と見栄を張った。

 風景が色褪せ、重労働から解放された。疲れた首はチャイナ流マッサージ。

「まさかバイトしてたとか」と冷やかし、微妙に怒らせ、絵を見た。

「初めてよ、サーカス芸は」

「中国雑技団に画家がいた」

「はっはっは!英二、コメント聞かせて」

「ツァラトゥストラはかく語りき」と言って笑わせ、

「もう、まじめに」で、それなりの評論家になった。

「一見モダンアート。しかし印象派的な余韻が伝わって来る。例えば花。これだけ省略してるのにアイリスだと分かる、そしてだ。不思議な遠近感と独特の構図、幾何学的描写。計算した色調。そのうえサーカス芸。YOYO、君はまぎれもなく天才だ」

「英二がほめてくれるとその気になる」

「なってくれ。さあ、我がボロ家に帰ろう」

「ボロ家って?」

 そのまんまの英語で応えた。

「OLD HOUSE。ホテルにする?」

「ボロ家がいい!」

 爪先立ち、唇を尖らせた真剣さに気圧され、車に乗った。しかし一つ屋根の下に天真爛漫、規格外と来れば、何かしら胸が騒ぎ、「さてどうなることやら」の捨て台詞を残し、走り去ったのも、宜なるかな《もっともだ》である。



   3 素敵なボロ家


 201X年5月10日土曜日

 馴染みの魚屋を冷やかした。鮮度に難があると大将を困らせ、クルマエビを二割引でゲット。代わりにタイが娘のように美しいと持ち上げ、場を笑わせ、なるほどで、気前良く一割増し、二匹買った。要するにチャラ。続き、ヒマそうな洋品店へ。あか抜けたおばあちゃんが出て来た。バカにされそうだから、軽いノリで尋ねた。

「ゆかた、ある?」

「あると思う?」

「ないよねえ」

「あきらめのかい」

「あるの?」

「孫が一度着たきりのがさ」

「お古じゃなあ」

「ぜいたく言わない、ただなんだからさ。待ってな」

 持って来た。そしてゆかたを広げながら、客を見比べ、

「この人が着るんだろ。娘さんかい?トンビがタカを生んだ」と、しらっと言えば、「いやいや。ダチョウがツルを生んだ」で納得の爆笑、揚句、帯まで足してくれた。

 絵柄の金魚を数える無邪気女に、手際よく丈を合わせた。少し短いが許容範囲で、茶目っ気と太っ腹から、店に似合わぬグレーのスウエットヨットパーカーを買った。

 夜のとばりが降り始めた。腹が減る頃だ。町の人気屋台で車を止めた。タコ焼き二舟買った。よほど腹へりなのか、助手席が手を叩いた。

「お手軽食い物のスタンダード、タコ焼き。食べて」

「タコが入ってるの?」

「そう。それも本場、明石のタコ。おいしいよ〜」

 ひと口。目が点になった。

「やっぱり日本よね〜。おいしい〜!!」

 フウフウと息をかけ、爪楊枝つまようじが踊り、見る間にひと船ペロリ。次いで隣りを見て、

「英二。半分だけ・・・」と、おねだり。

「ディナーはご馳走だけど」

「じゃ前菜ね」

 呆れるもひと舟丸ごと渡した。これもきれいに平らげた。あっぱれ食べっぷり。遠慮無しのキャラ。やはり規格外だと再確認すれば、自販機を見てドアに手を掛けた。

「お茶、水、どちら?」

「水。あるの?」

「注文。女はお水」

「名詞におがつく。そうか〜女言葉なんだ。それじゃ、お水。うふふ、上品。日本人になった気がする」

「大いにけっこう。ボロ家もその調子でね」

「なんか、教育くさいな〜」

「礼儀を知る。その手始めさ」

 淡い期待を抱き、後部座席からカメラバッグを取った。中から小ぶりの魔法瓶を取り渡した。

「そいつは名水。キャップに入れず、ラッパ飲みで」

 言われた通りにゴクリゴクリ。

「ごめんね。からっぽになった」

「名水だもん。けどなんだな。絵になるよ、ラッパ飲みでもさ」

 左腕を抱き取られ、気分良く発進。

 海岸線に沿った国道を右折。なだらかな坂を登り詰め、左手の月極駐車場へ。そして、向かいの路地を数軒通り越せば、突き当たりが、木造二階建てのなるほどのボロ家。その先は道路を挟んで、灯りが目につくおしゃれな家が立ち並び、ボロ家側の周囲も負けてはいない。とにかくダントツ浮いているのだ。しかも宵の口とくれば不気味さも加わり、罵詈雑言口を極めた悪口も止む無しだが、そこは良家の子女。思い遣り、気遣いがあった。

「歴史的建造物ね。貫禄ある〜!」

「YOYO。正直に」

「うふふ。ではアドリブで。ゲゲゲのなんとかさ〜ん!こんばんわ。いてるかな〜?ヨウカイさんに会いたいけど。えっ?なに?仕事中。じゃまたねえ」

 笑うに笑えないブラックユーモア。真に迫ったパフォーマンス。これには住人も、首筋、耳横とかくだけ。

「表札、変えるか。ゲゲゲの英二ってさ」

「ごめん、気を悪くした?」

「ちょっと。わっはっは!じゃおまけだ。不動産屋がマジで言った。骨董品的味わいがあっていいでしょ、だって」

「こっとうひん?はっはっは!」

「それでいつ建てたかと聞いたら、さあ〜知ってる人がいないですからな。じゃおたくの勘では?見当もつきませんわ。でこの家の正体はサッパリ分からず」

「なんか、この家らしい」

「中も外と似たようなもの。しかし改造が前提だったから、気にしなかった。問題はあと何年持つか。骨董品をじっくり見た。不動産屋が決めに出た。根性はしっかりしてます。根性?つまりガッチリしてるってこと?ええっ、当店のお墨付きです。自信たっぷりだったから、それで決めたんだ」

「おすみつきって?」

「保証」

「日本語らしいな。だけど、いくらおすみつきでも、台風が心配でしょ?」

「台風?知ってるの?」

「ネット時代よ」

「確かに。俺の神様のおかげだろ。でかい台風も堪えたからね」

「かみさま?はっはっは!安心した」

 英二の面白さを更に知り、改造した古民家風の窓、三歩近付いて懐かしい駅のベンチ、隣りの台上の信楽焼タヌキ。郵便受けのようだ。そして渋さが光る格子戸でワクワク感が高まった。察したか、住人が凹みの金具に手を当てた。思わせぶりに振り返り、目で笑い、クイズ風に言った。

「さて今回は」

「笑うと思う」

「読まれたか」

 気を持たせるように戸を引いた。壁のボタンに触れた。眩しいほど中が明るくなった。住人が帽子を取りしゃがんだ。見た。当たった。当たり過ぎて、腹を押さえ笑った。あまりのギャップに。別世界に。異国を感じさせる白い部屋に。

「ごめんね、笑ったりして」

「当然さ。しかし例外もいた」

「どんな人?」

「古いアパートに住む友人。感動したんだね、笑うよりもさ」

「わかる。わかるけど、やっぱりなあ」

「自分に素直だもんね。まあ上がって」

 青いタイルを敷き詰めた玄関。隅の三脚にソフト帽、野球帽と引っ掛けた。

「スリッパは?」

「はだしを楽しむ、俺の家は」

「じゃ掃除は毎日?」

「趣味の一つだからね」

 笑っていいかのゲスト、リビングへ上がった。漆喰壁の姿見に目がいった。いつもの自分に笑みがこぼれると、観葉植物の葉っぱに触れ、飾り気の無いリビングを見回した。家具は必要最低限で、広いスペースを楽しむ、そんな気持が伝わった。

「トランクはどこに?」

「とりあえずそいつに座って」

 重厚さと軽快さを併せ持つ、木製長椅子。

「ありふれてるけど、手間もヒマも掛かった面倒な奴でさ」

「究極の平凡、大好き」

「YOYOのコメントも大好き。わっはっは!」

 ゲストが近付いた。途端に階段下のブラケットが点灯、足が止った。

「センサーが俺を知ってんだ」

「ほんとう?」

「ジョーク。体感センサーだから。ギリシャが大好きでね」

「それでプラスター《漆喰》を。じゃこの部屋は?」

「説明は後でね、まっ掛けて」

 半分自製のカウンター付きキッチンへいき、背中合せのでかい冷蔵庫からペットボトルを取った。グラス二つに水を注ぎ入れ、横のミニテーブルへ置いた。

「先ほどの名水だけど、しつこいかな?」

「しつこくない。おいしいもん。売ってるの?」

「ある所でね。知らないだろうけど、まあ聞いて。仕事で青森県へ行ったとき、八甲田山に登ってね。途中、湧き水を溜めるおけがあった。桶、分かる?」

「うん、知ってるよ」

「見るからうまそうだ。備え付けの柄杓ひしゃくですくった。柄杓は?」

「知らない」

「水をくむ道具。飲んだ。うまい!市販の名水を越えた、ほんとの名水だった」

「それがあの水で、この水よね」

「もう一度、飲んでみて」

 舌先で味わい、喉越しを楽しむように飲んだ。表情がしあわせ。

「YOYOは言葉でなく、顔で気持を伝えるの。わかる?」

「分かり過ぎるくらい」

「ときどきくみに行くの?」

「一千キロ彼方の北の果てへ?」

 ゲストが紅くなった。

「日本の地理、勉強する!」

「特に国立公園をね。で、こいつは地元直送」

 名水をいっき飲み、話を元に戻した。

「大阪に住んでた頃、淡路へ釣りに行った。ほぼ毎週。その帰りだった。電柱の張り紙でこの家を知った。二十年前だったかな。風景はギリシャと比較にならんが、海のそばと花の楽園、もうこれだけで俺にはギリシャ。そして売値が安いことと」

「おすみつきだもんね」

「言わせてよ。わっはっはっ!」

「大工さんに頼んだの?」

「プロは一階、二階の工事と、水に関係したとこだけ。あとは一人でコツコツ、三年かかった。大阪から遠いし、仕事もあるだろ」 

「器用なうえに英二の自慢、体力と忍耐。おどろくことないよね」

「でもやっぱり驚いて。嬉しいからさ」

「じゃ顔見てて」

 思わず笑った!素直で、可愛い、ビックリ芸に。

「YOYOは多才だよ。つまりいろんな才能を持ってること。じゃ続きね。ここは元は三部屋あった。で見ての通り。二階は寝室と資料室兼、図書室」

 ゲストが檜の丸太そのまんまの二本の柱から、目を上げ、頑丈な梁、漆喰をうろこ状に塗った天井、壁と順に追った。そして終点は、焦茶のフローリングの真ん中で、存在感を示す飛騨唐松の大きなテーブルだった。これは時を経た貫禄があるものの、同素材に座布団を敷いた椅子が一脚あるのみ。何か滑稽だが、似たようなのが壁際に並んでいるのを見て得心。

「お客さんが多いの?」

「あいつを見たらそう思うよね」

「わかった。女の人がいっぱい来るから」

 清潔感と居心地の良さ。性別特定もそれなりに分かるが。

「ボロ家は女人禁制」

「じゃわたしは・・・」

「やんごとなきお方が、俺を知りたい。スペシャルのスペシャルさ」

「やんごとなきって?」

「家柄、身分がとても高い」

「わたしが?もう英二ったら・・・」

 感情ストレート派だ。放っとけば泣き出しかねず、話を続きへと。

「で、あいつは多目的テーブル。つまり食事も、仕事も、遊びもここでってこと。さて、前菜を信じて、ディナーだ」

「あの程度じゃ。あっはっは。趣味、料理。楽しみ」

「日本はめでたいとき、しゃれでタイを食べる。いかが?」

「おねが〜い!」

「じゃ風呂でゆっくりね。ついて来て」 

 リビングでただ一つのドアを開いた。十五歩ほどの廊下を挟んで右が浴室、更衣室、トイレ。向かいが作業室と記された部屋と物入れ。突き当たりはガラス戸、その向こうはネコの額の庭であった。

 先ずは更衣室へ。ゲストがトランクを開けゴソゴソ。茶色の紙袋を取り出した。

「はい、おみやげ」

 チャイナらしいパンチの効いた絵柄。笑いたいが、ここは真面目に。

「ありがとう。ええ〜と、お茶、かな?」

「そう。広州名物の鉄観音茶よ。ウーロン茶より香りが豊かで、飲んだ後甘みが残るの。日本人もおみやげに買う人気者ね」

「名前からすると、硬くてありがたいお茶。いかが?」

 にらまれた。次いで作業室に入った。

「仕事はここで?」

「うん。興味ある?」

「写真家の秘密を知る。見せて」

 例によってブラケット点灯。撮影関係の道具棚、窓際の民芸風PC机と関連機器、作業机と書棚、そしてスペースの残りは、ピンで止めた花の写真の数々。華やかさが無く全て地味だ。ゲストが順に追って行き、ある花で足を止め声を上げた。

「これよ!わたしがいいねしたのは」

「うん、そうだったね。それじゃさ、ハマユーに感謝しなくちゃね」

「ハマユー。すてきな名前。ハマユーさんありがとう。英二に会えたのも、ボロ家にいるのも、あなたのおかげよ・・・でも不思議。どうしてこんな色なの?」 

 青紫の色調が疑問になった。

「陽が沈む、夜になる。その間に撮ったから」

「絵ではムリかな?」

「人間の目は補正する。難しいかも。しかしYOYOなら」  

 左手を取られ、そのまま浴室へと。

 洗濯機、乾燥機、洗面台、整理ダンス、諸々の棚、そして大きめの風呂と見て、

「清潔。女でもこんなには」と、感心しきり。

「趣味は怠らない。ええ〜と、ゆかた着るかい?」

 笑みが消え、困り顔に。

「どうしたの?」

「始めてよ」

「着物の撮影経験が役に立つ、俺に任せて」

「英二はなんでもできる」

 いがぐり頭をかき、バスタブにお湯を流した。そして新しいバスタオル、フェースタオルと渡し、器用貧乏が料理に取り掛かった。


  4 ハプニング

 

 201X年5月10日土曜日

 素材が新鮮、故にシンプルで。タイづくしだ。先ず刺身。これはオリーブオイル、塩コショウで。次にゴボウのあら炊き、塩焼き、酒蒸しと続き、白ワイン、パセリのハーブで香りをつけたソテー、一押しの吸い物、他に野菜の天ぷら、最後にサラダ少々と、飛騨唐松が賑わえば、ドアが開いた。バスタオルだけのほぼ裸が、一歩踏み出し、胸を張り、両手は腰に、

「英二、感想は!」とチャイナ流、威勢の良さで迫った。

 これに即反応。我が目を疑った。ピチピチ容姿と、ピカピカ肌艶に。 

「夢じゃないよな」と口籠った。

 清楚な色香が、更に輪を掛けた。悟られぬよう尻をつねった。痛い!やはり現実。となれば、ここはそれなりのセリフだ。

「ビーナスが嫉妬する」

「カメラマンはプレイボーイ、だった」

「俺が?わっはっは!金魚、持って来て」

「きんぎょ?ああ、あれか〜」

 おかしくて仕方無いが、ゆかたを手に窓辺へ歩いた。椅子に鎮座するギターの弦に触れた。

「音色からして、かなりの腕前ね」

「さあ、どうかな。そいつはスペイン製でさ、ほら、音がボロ家を思わせるだろ?」

「うふふ、そうね。じゃなにか弾いて」とリクエスト。

 ではと、椅子に座り足を組んだ。まん丸乳房を微妙に露出した対面は、ゆかたを置き横座り。当然目線は外し、軽く練習後、『アルハンブラの想い出』を披露した。出来は?も拍手。次いで目はうっとりが、

「ノスタルジーが歌えって・・・ムーンリバー《オードリー・ヘプバーン主演のティファニーで朝食をの主題歌》。今のわたしの心」と、視線はほとんど映画。

「分かる、うん、分かるよ。けどさ、昔、昔の歌を知ってるなんて、もう驚きだね」

「オードリーはわたしの理想。美しくて、かわいくて、清らかで」

「YOYOも同じ。ただ近寄り難いか、そうでないかの差」

 飛びつかれた。弾みで弦が鳴り、バスタオルもずり落ちそうになった。照れ笑いが首の手を放し身を整えた。

 目の毒が足元に座った。しかし肌の香りが、鼻孔をくすぐる近さに、

「歌は立った方が。で、三歩後退」とそれらしく逃げ、不満げな顔だけを見て、含み笑いを隠せば、キーを合わせた。

「オペラの方が・・・」

「歌うと声が高くなるの」

「やっぱり天才だ。じゃオペラ風に」

 伴奏、歌い出した。

「♫Moon river ,wider than smile I’m clossing you in stile some day ・・・」

 意識してるのかメゾソプラノ《ソプラノとアルトとの中間》、途中からアルト《女性の最低音域》、そして終ると笑った。

「よ〜し、映画を思い出し、普通で、アルトでがんばる!」

「いや、YOYOはさ、メゾソプラノだよ。アルトだと苦しそうだもん」

「そうか〜、そうだよね。じゃメゾでがんばる」

 二度歌い、断然良くなった。しかしクラシック向きなのは明らかで、自覚したか、

「英二。いつか歌劇にチャレンジする」と、絵画以外にも意欲を見せたが、まさか、オペラ歌手として実現するとは、である。

 姿見の前でゲストの鼻歌が、懐かしき『赤とんぼ』へ変った。

「♫ゆうやけこやけの赤とんぼ・・・」

「今度は童謡。YOYOは底知れんな」

「ロスにいたとき日本の女の子が教えてくれたの。メダカの学校、どんぐりころころ、春が来た、ふるさと、背くらべなんか。中でもお気に入りは赤とんぼ。お母さんが英語で歌ってくれて、もう泣いちゃった」

「どこか哀しいもんね。じゃ歌って。ゆかたにピッタリだしさ」

 雰囲気に合ったソプラノ。しばし聴き入り、ゆかたを広げた。が、裸ではないかと、怪しき前を見て疑った。

「上は、まっいいとして、下は?」

「♫お里のたよりも絶えはてた〜。なし」

「つまり、A L L N O T H I N G。《何もない》」

「うん」

「あのさ〜、スカスカして気持悪いだろ」

「ときどき裸で寝るけど」

 あっけらかんである。《何事も気にせず、けろっとしている》

「俺が言いたいのはさ、服着たとき」

「待って。想像するから」

 想像で感覚を理解する。おかしくて吹き出しそうになった。しかし本人は、至って普通で、愛らしい瞳がクルクル回って結論。

「間がぬけた感じがして、なんか落ち着かないと思う」

「だろ。とにかくスッポンポンはダメ」

「すっぽんぽん?はっはっは!じゃ鏡見て。わたしのすっぽんぽん」

 バスタオルがぱらり。一瞬目をつぶった。そしてゆかたを目隠しがわりにし、この男らしさを、厳しい口調で言葉にした。

「親しき中にも礼儀あり。分かるかい?」 

「うん。前にも言った。礼儀を知るって・・・YOYOがきらいになった」

 声が泣きそうだ。これに今度は、優しさを言葉に包んだ。

「子どものYOYO、大好きだ。しかし大人であることも、忘れないで欲しい」

 感じるものがあったか、ゆかたの端から顔を覗かせ、

「英二といたら、わたしは子どもになるの」と、甘えるように言った。

 しかしこのままでは、間違いがあってもおかしくなく、それではと、ある映画を持ち出した。

「O K。マイフェアレディー《オードリー主演のミュージカル映画》のヒギンズ教授さ、俺は。子ども大人を、貴婦人にするためにね」

 ふわり、ゆかたを掛けた。鏡の裸体がチラリ目に入った。スリーサイズが嘘では無く、並みの男なら妄想に捕われただろう。が、この男は並みでない。ヒギンズ教授の想いが、慎み深い女への願いが、自然に口から出た。

「レディーになって」

 ゆかたの下にスリップを身に付け戻って来た。

「やっぱりよね〜、なんか引き締まった感じがする」

「洋服と同じさ。じゃあ始めよう」

 帯に手間取るも、ゆかたの着付けは楽で、目にも涼しいゆかた美人の出来上がり。

「英二、日本人になった」

「そうだね。じゃ髪は元のお下げ。日本のオードリーになるよ」

「うふふ。じゃていねいに編む」

 器用さは目を見張るものがあり、早さも絵と同じ。感心してる間に言った通りの麗しき女へと。そして何処で見たか、浮世絵の美人画を真似ると、『ふるさと』を歌い、途中で鏡の住人へリクエスト。

「写真、撮って」

 小型デジカメの感度光に反応する度合い。I S O感度を上げ、ブラケットの光だけで撮影した。モデルがモニターに語り掛けた。

「英二の年令が写ってる」

 ためらいもせず、正直人生の男が、後を追った。 

「YOYO。実はさ、年をごまかしてたんだ」

 よもやの不意打ち。直立不動の正直者を見た。純な気持が小さな声になった。 

「五十二才・・・じゃないの?」

「六十二」

「ショック・・・」

「すまん、悪かった。ホテルまで送る」

「帰れと・・・。いや!いや!」

 英二の胸にしがみついた。男は黙り、女は泣いた。そして突然の頬へのキスで、悲劇の幕は降りた。

「許してあげる。気持わかるから。英二、お腹すいた〜」

 気持分かる。嬉くて抱き締めた。

「救われたよ。YOYOありがとう」 

「もっと強く抱いて。心が感じあえるから」

 これは英二の望むところ。しっかり抱き、ゆかたの襟を整え、テーブルについた。

「俺の料理はシンプルがモットー。いかが?」

「短い時間でよくこれだけの料理を。よしっ!全部食べる」

「ついでだ。日本のお酒、吞んでみる?」

「うん、チャレンジね」

 悪酔いも考えたが、晴れ晴れしとた心が、盃を持たせた。とっておきを注いだ。

「じゃ乾杯!」で、盃を合わせれば、ちびちび、そしてぐいっと。

「おいしい!」

「これこれ。ぼちぼち飲む。ゆっくりね」

「Oui.Aboie lentement. Tu as compris.」

「フランス語、だよね。意味は?」

「はい。ゆっくりのむ。わかった。うふふ、鼻に抜ける発音が好きで覚えたの」

「語学の才能は知ってたけど、フランス語までねえ〜」

「ぼ〜っとしてる時間がもったいなくて勉強した」

 天才の一端を知り、それではと、上品語を再度持ち出した。

「じゃさ、お水の続きね。他には?」

「身近なものでは、お台所、お料理、お米、お魚、お酒、お醤油、お茶碗、お皿など。ついでにわたしの大好きなお風呂も。上品、ほんとうに」

「それ以外には?」

「ごがつく、ご住所、ご連絡、ご注文とか、ご主人、ご老人もあるよね」

「さすがだ。あと他には?」

「さま。お医者さま、お父さま。お客さま、お先生さまは、ないか、はっはっは!」

 ゲストの知能はやはり親譲りだと思った。

 柱時計が二十一時のチャイムを奏でた。歓迎会が始まった。タコ焼き二舟もどこ吹く風と食べまくり、よくしゃべり、よく笑い、気が付くと、おとなしくなっていた。見ればほんのり紅い顔が、箸を持ったままうつむいている。苦笑いが体を伸ばし、テーブルに顔をくっつけ見つめた。

「ちょこ《さかづき》三杯だったけど、寝てる。子どものように」

 背中、膝と手を回し抱き上げた。ぴくりともしない長い睫毛に、我が子だと思い、リビング端にある階段を上った。恐る恐るが寝室へ到達。床のダウンライト、ブラケットが勝手に点灯すれば、手製のベッドへ寝かせた。そっとシーツを掛けた。そして慈しみを込め、遠い国の、愛らしい女へ語り掛けた。

「YOYO。嘘つきじゃなかったら、正直だったら・・・友だちになってたかい?」

  

  5 プレゼント

 

 201X年5月11日日曜日

 自製縁台から自製フェンスまでの畑。十坪程度だが、英二にとっては貴重な菜園であり、旬を過ぎたエンドウをもぎ取っていれば、中から悲痛な声が。

「おめざ。仮寝床の俺がいない。ん?もしかして」

 あわてて縁台に上れば、ガラス戸が開いた。

「もう・・・バカ」

 抗議の涙目が、抱き寄せられるや、にっこり。

「シャワー浴びて来る。ちょっと頭痛がするの」

 風邪?土で汚れた手を引っ込め、膝を折った。ほっぺがおでこへいった。

「熱はないから、酒のせいだな」

「あれだけで」

「ビギナーだろ、量は関係ない」

「なれたら大丈夫?」

「酒飲みになるつもり?」

「うん、なる」

「頼もしいが、まっ、そこそこでね」

 意味不明のそこそこも、それなりに分かったか、足取りも軽く浴室へ入った。

 畑へ戻った。陽は高く、ゲストの睡眠時間を指で折った。

「半日寝てる、やはり大陸育ちだ」

 青空を行く悠々たる雲に、常識では計り知れない女が重なった。

 トランクにメモを乗せ、作業室へ入った。しばらくして開け放った入口から、湯上がりの肌の匂い流れ込んだ。振り向いた。爽やかブルーのワンピースに目が奪われ、ロマンチックに褒めた。

「草原を、緑の海を、風に吹かれて歩くYOYO」

「うふふ。英二ほど見た目と中身のちがう人、いないと思う。ボロ家と同じね」

「わっはっは!で貴婦人の三文字、あれを見て変った?」

「本気だもん。変わらないと」 

「よかった、効果があって。ちょうどいい、これを見て」

 グーグルアースの淡路島の地図。頬を寄せて来た。体臭だろうか。かすかにジャスミンのような香りがした。

「今日は二カ所。先ず牧場。場所はこの辺。拡大するよ」

 島のほぼ中央部、山間地が小さな牧場に変わった。

「西部劇にこだわる爺さんと、和牛が五、六頭だけの牧場。名前がカトウオサムだからOK牧場。笑えるだろ。格好もウェスタン。ラベンダーに囲まれたログハウスも絵になる。いかが?」

「メルヘンウェスタンね。楽しみ。次は?」

 大鳴門橋付近を拡大し、近くの公園を指差した。

「ここから見る橋と、小島、漁船、対岸の山並は、夕方が最高。また、振り向けば山の真ん中に住宅街があって、周囲は谷。今だと赤い若葉でドラマチック。ポイントは落日前」

「イメージだと透明水彩。持ってくればよかった」

「それじゃついでだ。画材店へ寄ろう」

「ごめんね。それと木炭も」

「木炭画ねえ。決めた!まとめてプレゼントするよ。スマホもいっしょにね」

「持ってるし、それに今日も入れてあと四日よ。ムダじゃない?」

「まっ、そのうち必要になるからさ」

「わからない、意味が」

 弱冠二十五歳で、女で、あれほどの絵が描けるのか。サイトの絵も含め、間違いなく天才だと確信していた。それが本気の言葉になった。

「YOYOがさ、日本で活躍する日が、きっと訪れる。それも近いうちにね」 

「英二は・・・もう友だち以上」

 感極まったか、目はウルウル、顔はクシャクシャ。

「そいつはありがとう。よしっランチだ。腹が減っては、名作はできん」

 アサリに小ネギを散らしたパスタ。おいしいを連発し、二皿片付け、のたもうた。

「いくら食べても太らないのよねえ」

「うらやましい。けどさ、がつがつ食べてるのに品は失ってない。これ不思議」

「時間は大切。だから食事は早く。でも親はうるさい。その結果、わかるでしょ?」

「涙ぐましいと言うか、YOYOらしいと言うか」

 これも才能だと笑い、出かける準備。そしていざ出陣となって、ドレスに注文が。

「Gパンは?」

「重い、かさばる」

「でパス。スラックスは?」

「ベージュのストレートだったら」

「それ。シャツは?」

「ピンクのポロ。いい?」

「文句なし。それと麦わら帽子、サングラスだな。これは画材のついでに買おう」

 ここまではいい感じ。しかし「着替えて来る」が、歩きながらドレスを脱げば、

「あのさあ、レディーになろうね」と、声掛けも、

「もったいない。時間が」と返され、あきらめ気味に唸った。

「うう〜ん、道は遠いな」

 何はともあれ、アクティブレディーに変身すると、親指を立て付け足した。

「昨日買ったあれ。ヨットパーカー、忘れないで。海辺は紫外線が強いからさ」

 淡路一番の街、洲本市へ。ホルペインの透明水彩セット、スケッチブックA3二冊、木炭、鉛筆、イーゼル、他もろもろを買い、リボン付き麦わら帽子、カジュアルサングラス、おまけに白のパンプス、デッキシューズと、気前良くプレゼントした。

「うれしいけど、ムリしてない?」

「こんな場合、俺は意地でも無理をする。しかし、YOYO以外は無理しない」

「英二ったら、もう・・・」と泣きそうになり、力任せにごつい胸を抱いた。

 続き最新のスマホも買い、テクノロジーの日進月歩を感じたか、

「使いこなす!」と宣言、足取りも軽やかに、最初の目的地へ向った。


  6 死を望む人

 

 201X年5月10日土曜日 

 山間の道路をミニクーパーが、軽快に走っている。段々畑、村里、田んぼ、雑木林と何度か繰り返し、丸太に刻んだOK牧場を横目に、地道へハンドルを切った。助手席のハミング途中でゴール。軽トラの隣りに車を止めた。合わせて、

「デッキシューズにする」で、サンダルから履き替えれば、軽く走った。

 乱れ咲くラベンダーに沿って玄関先まで来た。少し仰ぐほどのトーテンポールから目を移し、隣りの郵便受けにある呼び鈴を押した。返事がなく五度目で諦めた。

「インディアンよね。おじいさんが作ったのかな?」

「いや、変人からもらったとか」

「変人?はっはっは!どうして変人なの?」

「OK爺さんの友人がさ、アメリカ西部を旅行した。で帰国すると人が変わってた。急にトーテンポールを作り出せばね」

「変人さんの気持、わたしには理解できる」

「やっぱり、YOYOだ」

 芸術好きが、鳥の翼の彫り物に触れ、のんびり感へ名を呼んだ。すると樹木に縁取られた柵の中から、牛二頭がモウ〜。計六頭が、不審者扱いの目を向けてきた。

「疑ってる。牛肉は食べないから、牛さんに聞こうかな」

「俺も草食派。ひょっとするかも」

 ジョークを笑い、白い柵へ歩き寄った。三々五々集まった。足元の草からおいしそうなのをむしり取り、親分格へ差し出した。ぺろりと平らげた。催促か。他がモウ〜の合唱。次々に分け与えた。マジで尋ねた。

「ねえ、おじいさん、知らないかな?」

 再び合唱。いっせいに牛舎へ頭を向けた。

「ん?なんか分かったような・・・」

 ひょっこり出て来た。一輪車を押すO K爺さんと犬が。

「天才は魔女だった!」と声を上げ、互いに目は白黒が、駆け寄った。

「ご無沙汰してます」

 ??の顔が耳を差し手を振った。

「聴こえない。去年撮影させてもらったときは、普通に話せたのに」

 そばに寄りこれでもかの声で。

「加藤さん、新堂です!ご無沙汰してます!」

 聴こえたか、個性派風貌を、記憶から引っ張り出した。

「おおっ、あんたか。この通り、いっぺんで聴こえんようになってしもうた」

「私の名前はヨーヨー。おいくつですか?」と次は、耳にくっつきアルトが。

「惚けそうで惚けん、九十二だ」

 カウボーイハット、しょぼくなった髭面、チエックのシャツ、サロペットジーン《胸あて•つり紐のついた作業ズボン》、凝った長靴と見て、今度は少し離れ、大きめのメゾソプラノで。

「かっこいい!」

 O K爺さん、顔をほころばせ、返した。

「さてさて、淡路にこんな美人がいたとは」

「おせじでもうれしい!」

「わっはっはっ!で、なんぞ用事か?」

「おじいさんの絵を描かせて下さい」

 フォトジェニック《写真うつりがよい》な風貌は、画家も見逃さなかった。

「わしを?あいにくだが忙しくてな」

「じゃ用事が終って」

「聞くが、なぜ描きたい?」

「おじいさんには不思議なオーラがある。奥さんは?」

「幸恵か。三年前、死んだ」

「さびしくないですか?」

「あの世へいくことが楽しみな奴にか」

「意味が・・・」

「つまり、女房に会えるからだ」

「オーラが今、はっきり分かった」

 若い女の観察力に口をすぼめ、しばらくして、また開いた。

「ヨーヨーと言ったが、中国人か?」 

「心は日本人の」

「道理で・・・。わしの絵か、まっいいだろ」

 顔がまだら模様の中型犬に目がいった。ウ〜ッと唸り、怒ってるのかと思えば尻尾を振った。

「初めて見ました」

「ミニチュア・オーストラリアン・シェパード。牧羊犬だが、小さな牧場じゃ、番犬に過ぎん。しかしよう間に合う。オッケー、手袋忘れた。持ってきてくれ」

 ジエスチャーで分かったか、牛舎へ飛んで行った。口に加え戻って来た。

「オッケー、かしこ〜い!」とはしゃぎ、むりやり首を抱いた。 

「こいつも描くのか?」

「おねがいします」

「待っとれ。直に仕事は終わる」

 犬連れ一輪車がおっとり去った。パストラル《牧歌的》な気分が歌い出した。

「♫おお牧場は緑、草の海風が吹くよ、おお牧場は緑、よく茂ったものだ、ホイ!」

「ソプラノがぴったり」

 笑みを交わせば、青雲を映す澄んだ瞳が、牧場周辺から牛舎の片隅に注がれた。

「描きたいものがいっぱいある。あれなんかも」

 役目を終えた酪農の道具類が、一つにまとめられ、生い茂るラベンダーの中で、OK爺さんの人生を物語っている。

「光もバッチリ、牛舎の壁もいい。やっぱ目のつけどころが違うな」

「水彩にする。水道は・・・」

 麦わら帽子のあご紐を締めながら、周囲へ目をやった。 

「この中にあるだろ」

 転がっていたバケツに水を入れ戻った。画家が視点を探していた。決まったのかイーゼル上のスケッチブックを取り、座り込もうとした。

「ちょい待った」

 ジージャンを脱ぎ、尻の下に敷いた。

「外国の小説に出てきた・・・思い出した、しもべだ。わたしのしもべになる?」

「もうなっとる」

 しもべの胸に顔を埋め、気合いが入るとバケツに筆を沈めた。いっときが過ぎた。紫の濃淡の中で、時を忘れた物たちが、O K爺さんを呼ぶように、歌い踊っていた。

「自由な子どもの絵、大人じゃ描けん」

「わかった?わたしが子どもなのが」

 勘弁して欲しいは、飲み込み、イーゼルを肩にした。そよ風に吹かれのんびり歩いた。山桜の影の荷車、作業着、ホーク、長靴が、画家の目を奪った。指差し言った。

「日常がある。あれにする」

 木漏れ日の光と影をしばらく見つめ、下書き無しが、勢いに乗って描き始めた。無造作で緻密な点の羅列が、描き終える頃には、言った通りの日常を感じるアートになっていた。そして気が付けば、英二の横にO K爺さんがにいた。

「不思議じゃ。こんなもんが絵になるとは」

「俺もそう思うよ」

「なにげないものに、魅力を感じるの」

「わしもそう言うことか」

 笑っていいのかだが、オッケーが代わりに吠えてくれた。

「もう一枚描かせて下さい」

「ああ、いいとも。その間わしは草刈りじゃ」

 畑へ向うO K爺さんからある花が蘇った。咲いていた。小さな川の柵のそばで。

「とっておきの花、プレゼントしよう」

 手を取りそこへ行った。緑の陰にひとかたまりのカラー《オランダカイウ》が、爽やかな風情を醸し出していた。

「シンプルでピュア。そして、わたしが思う沈黙の美。最高のプレゼントね」

 背景は新緑の林、牧場、そしてラベンダーに彩られたログハウス。イーゼルを立てるのももどかしく描き始めた。時間経過から力作であり、緻密さと省略の極みに写真家は酔った。  

「絵心はあったが、よかったよ、画家にならなくて」

「質問。どうして写真家に?」 

「大学卒業。組織は不向き。で考えた。この体で飯が食えるものを。土方以外でさ」

「それが写真。報道よね?」

「まあ聞いて。おふくろの、母親ね、吞み屋を手伝ってた学生にさ、客から声が掛かった。グァムへ行きたくないか?あなたは?カメラマン。荷物がいっぱいあって。その先は聞かずとも分かった。引き受けた。ロケが始まった。ソフトドリンクの撮影だった。専属の助手に遠慮しながら俺も手伝った。ふっふっふ」

「きもちわる〜い」

「ごめん。思い出してさ。モデルとの会話シーン、相手になれだ。もちろん後姿でね。なんでもいい、話をしてくれ。それじゃと、おでん、好き?相手はポカン。場所、季節、設定、完全ミスマッチだし、笑わせようと思ってね」

「おでんって?」

「話すより食べた方が。じゃ今夜はおでん。続きね。店のおでんの自慢話に、モデルは笑みを浮かべ、真面目に聞いてくれた。自然でグーとカメラマンが褒めた。そしてその後、俺の人生が変わったと、まあこんな訳」

「そうか〜。英二らしいな〜」

「帰国後しばらくして、モデルが店に来た。友達連れてね。帰りしな、よほどおいしかったのか、また来る。おふくろが言った。おまえはやっぱり営業向き。自分でもそう思うが、会社員はどうもねえ」

 筆が止まった。無限遠の視線が、言葉として出た。

「今わたしは想像してる。モデルがY O Y Oで、若い英二が好きになったことを」

「今の俺だったら?」

「もっと好きになった!」

 画家のピッチが上がった。 

「じゃ俺から質問。文学部は分かる、しかし哲学科が分からん。なぜ哲学なの?」

「物事の根本原理が知りたかったから」

「たったの四年間で?」

 再び筆が止まった。

「英二みたいな人が、恋人だったら・・・芸術学部にいってた」

「しかし無駄にはなっちゃいない。Y O Y Oの絵がそう語ってる」

 筆が動き出した。また止まった。

「親はよろこぶと思う。進化したわたしを見たら。英二、ありがとう」

「礼なんてさ。要するに芸術の世界で、哲学を学んでるのさ」

「なんかそんな気がしてきた」

 O K爺さんのドラ声が話をさえぎった。沈黙の美は名作と讃え、手招きに応じた。

 お茶に四方山話よもやまばなし。世間話から、聞きたいことをインタビュー風に問うた。

「運転は大丈夫なの?」

「目も頭もしっかりしとる。じゃが、耳が遠いから、町中は長男の嫁に頼んどる」

「安心。お子さんは?」

「六十四を頭に男三人。みんな感謝しとるよ。元気な老いぼれにな」

「病院、介護いらず。感謝しなきゃ、ほんと。ご飯は?」

「朝昼は自分で。ボケ防止に毎日手を替え品を替えじゃ。夜は業者が。うるさいからいじめんでくれ。はっはっは!」

「気の毒だ。わっはっは!達者な秘訣は?」

「もしあれば、膝の運動か。歩くより増し」

「同感。趣味は?」

「本。主にロシア、ドイツ文学。聞こえはいいが、まっ安眠促進剤じゃな。あとは民謡か。どれも歌詞がええ」

「文学に民謡、矛盾は感じないよ。日本の小説は?」

「読む気がせん。しかし明治の文豪たちは別。ほとんど読んだよ」

 なかなかの人物である。しかし絵で表現するには何か手助けが必要。

「これはと言ったものがあれば」

 アルバムを持って来た。よほどお気に入りなのか、付箋のあるページを開いた。後ろから妻を抱き、頬を寄せたツーショットだった。

「新堂君、どうじゃ?」

「いい写真だ。夫婦の情愛が写ってるよ」

「ほんと幸せそう!」

「ふた昔か。若かったな」

 潤んだ目を拭い、窓辺の椅子に座った。

「サチエさんはどんな女性でした?」

「ひとことで言えば弁才天財福の神かな。貧乏な牧場を支えてくれたんだ。分かるだろ」

「あの〜弁才天って?」

 横からスマホが教えた。

「はい。わたしも見習います」

「さてさて、出来るかな。支那人の伝え聞く話を思えばだ。ん?気を悪くしたか?」

「いいえ、当たっていますから。でもわたしはちがう。奥さんのようになる」

「そうか。しかし時代は変わった。そんな苦労など、することもあるまい」

「正直に言います。よかった〜」

 愉快だと高笑い、緊張感が無くなった。後は演出。スカーフは首に、カウボーイハットは斜めにし、妻の写真を手にした。迷わず横顔に決めた。白魚の指が木炭を掴んだ。涼しい瞳がタカの眼になった。 

「じゃあ始めます。最高の想い出は?」

「最初の牛が高値で売れたときか。抱き合って喜んだよ」

 表情のなんと言う優しさ。いっきに木炭が走った。早い、早い。高齢を気遣い、更にスピードが上がった。やはり神技だと後ろが頷いた。

 疲れてないか声を掛けた。案じるなとかすかに首を振った。

「奥さん、なにか言ってますか?」

「絵が見たい。早く来いとな。わっはっは!」

 素描再開。絶妙な黒の濃淡と鋭いエッジだけの世界。英二は感じ入っていた。表面だけでは知ることの出来ない、O K爺さんの人情の機微を、これほどまでに描けるものかと。終った。丸テーブルを囲んだ。高齢でも眼鏡無しが、物思いに浸るリアルな自分にのけ反った。

「これが女の絵とはな。しかしもう少し男前に描いて欲しかったの〜」

「男前?」

「ハンサム」

「男前、ハンサム、つまらない。画家としても、女としても」

「新堂君とはどんな関係じゃ?」

「友だち、いえ恋人です」

「ほう、それでか」

 オチで笑ったにわか恋人。深堀されそうな気配を、柱時計で交わした。

「Y O Y O、次がある。オッケー描いて」

 スケッチブックと鉛筆を手に、絨毯の端に座り込んだ。名を呼び掛けた。迷惑そうに瞼が開いた。鉛筆が走った。茶、黒、白の斑顔を、毛並みの一本一本で表した。当然時間も掛かった。

「クロッキーも味があるね」

「うん。次いでに水彩も描く」

 ふさふさの毛をなぜ、顔を寄せ、スキンシップ。通じたか尻尾を振った。今度は迅速に描き上げた。斑の特徴がY O Y O流だ。再度席に着いた。六枚の絵をじっくり味わい、窓の外へ視線を投げ言った。

「どれか幸恵に見せたいが」

「全部もらって下さい」

「なんと!いいのか?」

「また、たずねてきますから」

「うんうん。いつでも来てくれ。新堂君、額を買いたい。頼めるか?」

「インターネットは?」

「ボケ防止にな。そうか、通販だな」

 土産のバーボンと交換のカウボーイハット。それをO K爺さんが、Y O Y Oの頭に乗っけた。そして前、横と見て、

「美人は徳じゃ。よう似合うとる」と、満面笑みで褒めた。 

「じゃおじいさんは帽子を脱いで」

 何のこっちゃがカウボーイハットを取った。

「お世話になったお礼ね」で、ひたいにチユッ。

「幸恵、許せ!」

 大照れのでかい声にオッケーが吠えると、牛六頭の合唱が後に続いた。そして送る者達が遠ざかると、助手席の童謡を耳にスピードを上げた。

 途中、平地で外へ出た。目に染みる青空へ、複雑な心境のY O Y Oが、帽子に触り叫んだ。

「おじいさ〜ん!死んじゃいや!サチエさんには悪いけど!英二は?」

「人間、生きてなんぼ!いずれあの世なんだからさ」

 然りである。


  7 おとな子ども  

 

 2 0 1 X年5月 1 1 日月曜日

 子ども大人が、大人子どもと友だちになる。それを願っての寄り道だった。広い庭先に、あかねちゃんはいた。子どもたちに囲まれて。

「今日はさ、塾の先生?」

「あっ新堂さん、いらっしゃい。ちょうどっよかった。これ分かります?」

 問題を見た。円の面積。頭がくすぶった。YOYOと替わった。いとも簡単に解いた。それを機に子どもたちはボール遊び。そして英二が花畑へ行くと、茜ちゃんが自分を語った。

「不思議でしょ。顔は二十三才。なのに背丈は子ども。俗に言うこびとですね」

「病気が原因?」

「分かりません。誰にも。だから運命だと思ってます」

「運命か。えらいなあ。ご両親は?」

「気にしてません。ずっと子どもが良いと。話は変わりますが、昨日ルナさんが、占い師の方です。メールをくれました。明日マドンナが来る。魚座の全てが知りたい。あなたです」

「わたし?恥ずかしいな。でもどうして?霊感、それ以外ない。魚座も。すごい!」

「更にこんなことも。月の女神アルテミスが、茜の復活を予言した。ルナは奇跡に挑戦する。そしてマドンナは、女神の使徒になる《神聖な目的に献身する人》、と」

 空を仰いだ茜ちゃん。飲物をテーブルに並べた。英二は撮影中。話を続けた。

「いっとき、マスコミにさらされました。興味本位の、腹立たしい。そんな折り、ルナさんは尋ねて来た。ルナの表の顔は占い師、裏の顔はエクソシスト。そう言って、あたしに夢を与えてくれた」

「悪魔払いの・・・。茜ちゃん、わたしができることなら何でもする」

「ありがとう、YOYOさん。運命に逆らいたい。今、心の底から」

 涙ぐむ不幸な女が、ノートを広げた。女神から使徒を仰せつかった女が、自身の全てを綴った。新しいスマホのナンバーも、メルアドも書き添えた。

 この先、月に潜む悪霊と戦うことなど、知るはずもなく・・・。

「新堂さんとは前の道を通ったのが切っ掛け。花が美しいのは君の心が美しいから、そう言って、あたしを抱き上げ、涙をこぼしてくれた。ぽとぽとと。嬉しかった。少年のような気持が」

 YOYOは誇りに思った。英二の優しさを。その彼が時計を指した。次へと向う時間だ。切り花の芍薬に上機嫌の英二。子どもおとなと、おとな子どもの間に、何かあったと察するも、あえて聞かなかった。 

  

  8 ネコと海

 

 2 0 1 X年5月 1 1 日月曜日

 途中讃岐うどんを食べ、淡路島の最西端に立った。目的は鳴門の渦潮。迫力は無いが、潮の流れが激しく、橋桁、漁船を取り入れ、木炭で描き込んだ。ここも目を剥く早技で、圧倒的迫力画に女を疑った。ならばと胸を付き出され、苦笑いが降参。明るい笑い声が、鳴門海峡を望む小高い丘まで続いた。 

「この天気だ、最高の大鳴門橋が描けるよ」

「前景、対岸も良し。で振り向けばなんとかって、あれのこと?」

 目につく山腹の住宅地。今でもなかなか印象的だ。

「そう。であれがさ、落日でどうなるか。気が狂う?わっはっは」

 前、後ろと確認、イーゼルを立てた。夕方だが陽はまだ高く、時間待ち、ベンチに座った。するとそばの木の上からネコの鳴き声が。

「ほら、あそこに」

 指先のトラネコと目が合った。鳴き声が更に大きくなった。

「何か言いたいのかな?」

「うふふ。お花やめて、ペットの写真家になる?ネコちゃんおいで!」

「来るはず・・・」

 降りて来た。二人をしばらく見つめ、おっとり歩き出した。そしてYOYOを見上げ、膝へ飛び乗るや、完全リラックス。 

「やっぱり魔女だ!」と、又またビックリ。

「今度はちがう。なんて言うか、そう、人を見たのよ」

「てことは、分かるんだ、どんな人間か」

「つまり、かしこいのね」

 おだてに乗ったか、ひっくり返った。ほぼ大の字に。

「U L T R A W I S E C A T《超かしこいネコ》。わっはっは!」

 そこへランドセル少女が駆け寄って来た。そして、くつろぐにもほどがあるネコで、飛び上がらんばかりに。 

「始めて見ました。ミーが家族以外の人にこんなことするなんて」

「このお姉さん、不思議な才能があってね。まあ座って」

 二人に挟まれ、田代みどり、五年生です、とハキハキした声で自己紹介。

「こちらは画家でおじさんは手伝い。ええ〜と、塾の帰り?」

「おそいからですか?友だちの家で遊んでました」

「そうかい。質問ね。ミーちゃんはなぜここに?」

「海が好きなので」

「夢があってかわいい。みどりちゃんのお家はどこ?」

 振り返り、絵の対象、住宅地を指差した。

「ここから見える?」

「はい。左はしのいちばん上。三角屋根の家、わかりますか?」

「ええっ。すてきなお家ね。でもあそこだと、海は見えるはずよ」

「少しだけです。それに遠くて」

「じゃ毎日みどりちゃんが?」 

「いえ、ママです。今日は用事があって」

「愛されてるねえ、ミーちゃんはさ。でも大変だ」 

「しかたありません。ここが気に入ってますので・・・」

 立ち上がったみどりちゃん、海を見渡し、また座り、話を続けた。

「来月宝塚へ引っ越します。それでミーをどうするか、今すごく悩んでいます」

「宝塚には海がないもんね」

「おじさんのお家は淡路ですか?」

「うん。明石大橋の近く」

「うわ〜!じゃミーをもらってください」

 思わぬ展開も、話が分かったか、英二の顔を見て、膝へ飛び移った。

「ちゃんと聞いてるよ」

「はい。かしこいですから。他にもいろんなことが。ミー、おすわり」

 膝から地面へ飛び降りた。きちんと座った。拍手!

「イヌでもこうはいかん。まだあるの?」

 お手から始まって、後ろ足立ち、寝転がり、ジャンプ、終いは英二と駆けっこ。

「ミーちゃんはイヌに生まれるはずが、ネコに生まれた。わっはっは!うん、気に入ったよ」

「それじゃミーを」

「もらうのじゃなくて、あずかるでは?」

「言うことありません」

「ミーちゃんのこと、少し教えて」

「今七ヶ月です。子どもは産めません。健康検査も問題なかったです」

「幸せだもんね。ママに会いたいけど」

「おそくなりますから、今日はむりです」

「じゃあ伝えて。娘が二人になる。楽しみだ、とさ」

「むすめ?あっそうか!ありがとうございます!」

 体いっぱいの感謝に、育ちの良さを見て、ランドセルのケイタイに連絡先を入力。終ると、自転車の前カゴにミーを乗せ、みどりちゃんが手を振り帰って行った。

「英二、わたしは娘なの?もう・・・こっち向いて」

 ほっぺのキスがスケッチの始まりだった。しかし日没はまだ先。入念な下書きで間をつぶした。

 

  9 寿司屋の歌手 

 

 201X年5月11日日曜日

 鳴門海峡、そして大鳴門橋の詩情溢れる夕景が、YOYOワールドとして語れば、息もつかさず振り返った。五体に電気が走った。

「浮いてる、住宅街が。シュール!いえSFだわ」

「言っただろ、気が狂うってさ」

 真正面からの強烈な光が、山腹だけをえぐり、赤い若葉の谷は影の中に沈んでいるのだ。光と影の色彩がもたらすドラマに、画家の闘志が燃え上がった。

「もう二度と描けない。英二、チャンスは何分?」と言って、絵筆を口にくわえた。

「十分、あるなし」

「死ぬ気で描く」

「ファイトだけにして」

 鬼の形相が、モダンな家の立ち並ぶ町を、猛然と描き始めた。筆が絵の具を擦り上げ、画用紙に叩き付ける。ただ無心に繰り返す。英二が真情を語った。

「筆とカメラの差。アナログとデジタルの違い。大きいな」と。

 中央の道路、電柱、電線、家々は、半抽象的に。複雑で暗い赤の彩りは、絵の具を滲ませ描き進めていった。影の部分を若干残し陽が沈んだ。その瞬間、画家が膝から崩れた。絵の具、水入れと持つしもべが、同時にしゃがみ込み、腕で抱き支えた。弾みで白シャツ、ジーパンが水を浴びた。

「大丈夫か!YOYO、しっかりしろ!」

「寝かせて」

 手の物を捨て、芝生へそっと横にした。写真で培った冷静沈着が、左手首動脈に触れた。動いている、はっきりと。やれやれが「真の芸術家だよ」と声を掛け、どれほど見守っただろうか、睫毛がかすかに動き、瞼が開いた。

「英二、生きてる?」

 返事は力任せに抱き締めたことだった。

「お腹すいた」

「うどん食べたのに?」

「二人で一杯よ。それにパワーも使い果たした」

「じゃ寿司でも食べまくるか」

「おでんじゃないの?」

「明日ね」

「寿司って?」

「知らないのも楽しみ」

「そうね、じゃ抱っこ」

 無邪気さが可愛く、そろり抱え、歩き、車へ乗せた。次いで道具をしまい、お宝のスケッチブックを胸に、暮色に沈む住宅街へ別れを告げた。

 海に沿って続く民家や商店の一角で、源ちゃん寿司の提灯が、潮風に揺れていた。予約無しが浜に突き出た専用駐車場へ車を乗り入れた。降りるとタクシーが店の前で止まった。ほろ酔いの客数人が店主に見送られ、潮騒がエンジン音を消し去った。

「源ちゃ〜ん!」と、名を呼んだ。

 八人座れば満席のうなぎの寝床に客はなく、カウンターの端に陣取った。

「英ちゃんが極上ベッピンを連れて来た。これぞ青天の霹靂、ちゃうか?」

「せいてんのへきれき・・・ニュアンスだと、びっくり」

「ニュアンス?さすが文学部。ちなみにベッピンは?」

「知らないふり、しようかな」 

 イメージで言葉が理解出来る。英二は改めてYOYOの知力を知った。しかし店主の興味はと言えば、何処で知り合ったか、この一点に尽きる。

「親友に尋ねる。ベッピンとはどうやって?」

「友だち募集とかで。あとは文通」

 隣りがクスッと笑った。

「ぶんつう?嬉しいねえ、あっしと同じや」

「電話は?」

「あれは詰まらん。風情が無いじやん」

「言われてみると。じゃなに、愛妻とは遠距離恋愛だったの?」

「近くて遠い、大阪だと、そうなるか」

「兵庫と大阪で文通?源ちゃんらしいと言うか、わっはっは!」

 笑わないベッピン、フォローに回った。

「ロマンチストなのよ、源さんは」

「嬉しいねえ。よしっ!ベッピンのお代はサービスだ。なんでも言うてや」

「源さん、おおきに」と、ご愛嬌の関西弁は、店主を更に喜ばせた。

 がしかし、太っ腹には苦言が待っていた。 

「愛妻への言い訳は?」 

「へそくりがある」

「ん?へそくり?けしからん」

「自営業の特権や。おおめに見て」

「スズメの涙やったらな」

「惜しい。バッタの涙や」

 突っ込みにボケ。YOYOがおかしくて吹き出した。

「こづかいは?」 

「タバコ吸わん英ちゃんがさ、うらやましいよ」

 分かりやすい例えに、サービス無しでまとまった。言わば男を下げたわけだが、英二と似たようなキャラであれば、ご愛嬌で済ませ、終いはユーモアではぐらかした。

「独身博物館、館長に再度尋ねる」

「俺も出世したもんだ。どうぞ」

「まさか館長を辞めるとか」

「辞めん。ただしだ。緩くなるやろな」

 真面目に交わせば大笑い。

「じゃ緩くなった館長を祝うとともに、緩くさせたベッピンを讃え、乾杯といこう」

「ロマンチスト君、ビールでね」

「飲みたかったのよねえ」

「進化が酒だったとは。わっはっは!」

 豪快に笑い飛ばせば、グラスを合わせた。それを機に、次々と瀬戸内ネタが登場し、腹へりが食べまくり、隣りの酌には色っぽい目を向け、

「ご飯とお魚のぜつみょうなハーモニー。目と舌で味わう日本。お寿司も、うふふ、英二も大好き!」と親友を喜ばせ、羨ましがらせた。

 海を望む細長い窓に、ヘッドライトが映った。格子戸が開き、源ちゃんの妻フミが、三人の男女を引き連れて来た。いずれも中年で、和服を粋に着こなしている。

「あら、英さんお久しぶり」

「十日前に来たけど」

「うちでは一週間以上は久しぶり、忘れたの?」

「そうやったな。じゃ今日から三日伸ばして」

「寿司屋が主旨を変えるの?あっはっは!」

 駄洒落を笑い、カウンターへ身を乗り出した。初顔へ目がいった。驚いた。

「まあ、掃き溜めにツルが!英さん、紹介して」

「それよりお客さん。紹介はその後」と返したが、二日続きのツルに苦笑い。

 若旦那風が会釈、英二の左隣りに座った。挨拶。返しに名刺を差し出した。

「京都、呉服店、販売部部長、東小路信忠。ひょっとして、先祖は貴族?」

「貧乏な。ところで新堂さん。淡海荘のオーナー様、ご存知ですか?」

 とぼけようと思った。が、フミが許さなかった。

「ご存知もなにも、時々ここへ来る仲よ」

 お茶でひと休みが、急に聞き耳を立て、英二が顔をしかめた。

「女の人でしょ。独身?どんな関係?」

「あっ、妬いてんだ。はっはっは、幸せ者に聞いて」

 機嫌を損ねたのは明らか。そこでやんわりと背中をなぜ、小声で弁明。

「ひとり身。仕事でお世話になってる人。ただそれだけ」

 猜疑心が消えたか、しもべ兼恋人の太ももにOKとなぞった。

 年寄り三人が、フミを冷やかし、空いた椅子を埋めた。にわかに店が賑やかになり、大きめの声で部長が話しを続けた。

「実は、オーナー様のご友人の紹介で、今年の夏物のセールスに来たんですよ。で商談が終って、腹が減ったものですから」

 お茶を並べていたフミが割り込んだ。

「うちに電話。京都のお客様三名、紹介したからご案内して」

「内助の功、ご立派。はさておき、そのご友人だけど、どんな人?」

「宇治で料亭を営んでる方です。ちなみに、陶芸家のご主人も当店のご贔屓ひいきでして」

 淡海荘のボスと知己。夫も含めて写真屋の好奇心が頭をもたげた。 

「東小路部長。電話番号、教えて」

「小さな店です、部長は無しで。行かれるのですか?」

「うん、明日にでも」

 せっかちさに驚くも、手帳を繰り、名刺の裏に記した。

「口添えしましょうか?」

「じゃ今直ぐ」

 呆気にとられるも、顔には出さず、スマホを取り表へ出た。そして戻ると、首尾良くいったと目配せ、料亭名、所在地と名刺に書き加えた。処世術の閃きが、ジージャンの胸に収まった。

 それからも談笑が続き、ひと息つけば、ピンクの幸せ顔が、フミへリクエスト。

「歌わせて」

「カラオケないわよ」

「かまいません」

「あれを歌うの?」

「まさか。荒城の月」

 英二とフミの驚きはいかばかりか。

「どこで覚えたの?」

「ネットで。これと琵琶湖周航の歌は、わたしの心を揺さぶった」

「ほんとに中国人?はっはっは!それじゃ歌って」

 フミがYOYOを立たせ、声を張り上げた。

「今からチャイナ美人が歌います。聴いて上げて下さい!」

 帰り支度の京都組が手を止めた。年寄りたちも珍し気に耳を傾けた。歌い始めた。情感のこもったソプラノが、聴く人の心に染み入った。拍手喝采、アンコール。続いてメゾソプラノも披露すれば、老客は涙腺をゆるませ、拍手、拍手、また拍手。フミがにわか歌手の手を取り、興奮を隠さず言った。

「あなたの歌は日本人の心に届く。また日本に来たら、必ず寄ってね、絶対よ!」

 提灯の灯が消えた。

「掃き溜めのツルが飛び去って行く。英ちゃん、いい夢見たよ」

「泣かせるセリフだ」

「源さん、ありがとう。そしてさようなら」

 気持を握手に込めると、ミニクーパーが家路へ急いだ。見る間に着いた。代行運転のフミが、後部座席の眠れる美女を見て冷やかした。

「男が騒がない?」

「日本のパパだよ」

「英さん以外だったら笑うわ」

「それにさ。旦那曰く、独身博物館、館長だもんね」

「じゃ石部金吉女色に迷わされない人の館長さん、魔が差したら褒めて上げる。はっはっは!」

 どんな形でもいい。早く身を固めて欲しい。そんな願いの笑い声だった。

  

  10 欲望と忍耐 

 

 201X年5月11日日曜日

 ハードな一日と適度なアルコール。先ずは完全沈没かと思えば、以外にもおめざ。

「シャワーですっきりする」

「風呂はダメだよ。寝そうだからさ」

 寝ぼけまなこが気になるも、足取りでとりあえずは安心、自分の寝床作りから、ウイスキーへと移った。だがボトルの量で時間を判断、胸騒ぎが浴室の外から、最初は普通に呼び、直ぐに怒鳴り声に変わった。日没の光景が頭をよぎった。思い切って中へ入った。いや、飛び込んだか。

「寝とる。ったく」と、壁にもたれ、膝を横に眠る女へぼやいた。シャワーを止め名を呼んだ。返事なし。あの時は驚いたが、今回は完璧お眠。

「さてどうするか。脱衣所がベッド代わり。しかしあんまりだよなあ」

 結局自分用の寝床に決めた。見て見ぬ振りが、背中、膝と手を差し入れた。肌の匂いに息を止め、力づくで抱え上げた。そしてやけくそが、「超一級の裸や!」とわめき、「風呂は鬼門や」としおれ、窓際の寝床へ運んだ。やんわり下した。耳元へもう一度名を呼んだ。反応無し。

「いくら熟睡でもここまでは、だよな」と愚痴り、Uターン。

 バスタオル二つを手に、裸の横で胡座を組んだ。内一つを胸から下へ掛け、しもべの中のしもべになった。

 栗色がかった長い髪を丁寧に拭い、清楚な面差しで手が止まった。広告写真家時代が頭をよぎった。「これほどの女がいただろうか?」と声に出し、ため息の白い肌、女性美の象徴、首から肩で、「やはりビーナスだ」と語り掛けた。

 バスタオルをヘソまでずらした。お椀を伏せたような乳房、愛らしい乳首で喉仏が鳴った。慌てて自己反省。「奉仕だ」と我に言い、適当に拭っていった。

 今度は上にずらし、下へ。くびれた腰、ケチのつけようがない下半身で、フミが言った男が騒いだ。あのときは軽くいなしたが、現実は甘く無かった。ひとり言が漏れ出た。

「魔が差したら褒めて上げる。魔が差したら・・・か」

 長くセックスから遠ざかってる者が、拷問と等しい状況に翻弄され、遂には、目線を遮るものは無くした。首筋、肩、胸と指を滑らせた。恐る恐る乳房に触った。「つき立てのモチだ」とつぶやき、目を閉じた。すると、天の声が、ロマン派の看板が、我を叱った。思いっきり、頬をしばいた。

「俺には責任がある。白いままで国へ返すんだ」

 顔を洗った。欲望もきれいさっぱり洗い流した。

「男の地獄?いや天国から解放されたよ」

 苦笑いに、らしさが戻り、それからは完全しもべに徹した。水気の半分引いた身体をさっさと拭き、タオルケットを掛けた。合わせたようにチャイムが十一鳴った。その心地良い音色は、褒美の旋律のようだった。苦しい戦いに耐え、凌いだ者への。 


  11 天女

 

 201X年5月12日月曜日

 いきなり、背後から抱き締められた。乳房の量感がTシャツから伝わった。昨日の今日であり、料理の手を止め言った。

「レディー、忘れたの?」

「これからなる。でも悲しかったなあ」

「何が?」

「もう少しだったのに」

「ん?するとあれは、寝た振り」

「そう、チャンスだったもの」

 呆れてシェフナイフを放し、クルリ回った。フェロモンたっぷりの目を見据え、間を取り、素っ裸から目を反らすと、ぶっきら無愛想に言った。

「しもべは裸の誘惑に負け、ロマン派の看板で、どうにか勝った」

「おかげで自信なくした」

 再び背を向け、オムレツに取り掛かった。そして不機嫌に近い声が、昨日のセリフを吐いた。

「親しき中にも礼儀あり、だろ?」

「怒った?」

「怒っちゃいない。せっかくレディーになりかけたのが、これだからさ」

 後ろが膝をつき、太腿にひたいを擦り付け、半泣きで言った。

「今反省してる。ごめんね、ごめんね」

「天女は自由奔放。しかしそれは絵だけにする」

「天女?わたしが・・・」

「そう。昨日の疲れは?」

 にわかに明るくなった。

「うふふ、お寿司をあれだけ食べたら」

「三人前だもんね。じゃ今日の予定。宇治へ行く。面白い絵が描けそうでさ」

「宇治って、どこ?」

「京都の南。車だと、そうだな、一時間半ってとこか」

「泊まるの?」

「料亭の女将が許せばね。さあ、着替えて。初夏らしい服にね」

「その前にシャワー」

 変わり身の早さに笑うも、天女が効いたか、飛ぶように浴室へいった。

 ホテル並み朝食に目を通した。満足が壁のジージャンから例の名刺を取り出した。スマホを掴んだ。発信。早朝にも関わらず、三度目のコールサインで、若い女の声が。用件を告げた。待つ間もなく、耳障りの良い声が、鼓膜をくすぐった。

『清流亭の女将おかみです。新堂様、いつでもいらっしゃって』

『いいんですか?』

『ええっ、あなた様は格別ですもの』

『格別?よう分からんなあ』

『それでしたらこう申しましょう。新堂様のお名前は、わたくしの記憶の永遠と』

『ますます分からん』

『いらっしゃれば、お分かりになるかと、ほっほっほ』

 謎めいた笑い声が、しばらく耳に残った。

 ドアが半分開いた。YOYOが顔を覗かせ問い掛けた。

「名水が飲みたい。入っていい?」

「どうしたの?急に」 

「裸と同じだもん。いちおう断らないと」

「レディーに一歩、いや三歩近付いた。O K 、入って」

 道は遠いが本気度は伝わった。その気持がフランス製ラリックのグラスを選んだ。冷え冷えの名水を注ぎ渡した。窓辺で飲む水。尊敬する画家に触発された。

「ルノアールになるよ」と、指で作ったフレーム越しに声を掛けた。

「生活感よね。じゃほんとうの裸で。髪もぬれてるし」と、口調は演出家並み。

「また悩ませるの?わっはっは。そのままでね。バスタオルは白がいいな。で頭にも巻いて。ルノアールが描きたくなるよ、きっと」

「じゃルノアールと英二のために」

 器用で仕事の早いYOYO。カメラマンを納得させると、朝陽に映えるレースのカーテンに寄り添い、ポーズを取った。グラスをそっと口元に寄せた。次いで光を知る画家が、顔の角度を決めた。ありのままにもこだわった。

「写真屋は楽だ」

「もう一人の自分が見えるのよね」

「YOYO語録に残そう」

「うふふ。それではさわやかな朝に幸せを感じて」

 表情に一点の演技無く、シュート《シャッターを切る》連発。才能の多様性も知り、パソコンの大画面で見た。透き通るほど美しく、若さが光輝いていた。そしてあろうことか、この写真もまた、悪霊との戦いへ導くのだが・・・。

 初夏の装いが食卓に着いた。が、ホテル並みメニューを見た途端、涙ぽろぽろ。要するに帰りたくないのだ。しかし、英二流でなだめすかし、なんとか食べさせれば、

「残りを描かせて」と言って、スケッチブックを取った。 

「命がけの絵だ。納得のいくまでどうぞ」

 花柄のシャツ、もえぎ色のゆったりしたパンツが、床に座り込んだ。描き始めた。数分後、全体を見て筆を置いた。

「この絵は家宝にする。くれる?」

「そのかわり・・・ねっ」

「なに?」

「天女を食べて。帰るまでに」

 考えるまでもなく応えた。

「オオカミは待つ。天女が縄をほどくまで」

 感情に左右されない落ち着いた言動。乙女心が騒いだ。オオカミを抱き締めた。そして、天女の想いを切々と打ち明けた。 

「わたしにとって、はじめての愛、しあわせの愛。それだけはわかって」

 胸が熱くなった。しかし、「ありがとう」としか言えない、この朝だった。

  

  12 河畔の料亭 1昔話


 201X年5月12日月曜日

 宇治へは予想より早く着いた。店に気を遣い、川岸で一服。名水で喉を潤し、時を見て、清流亭へ向った。直に着いた。木陰の駐車場に止め、門前に立った。古式豊かな門構え、数寄屋造り《茶室建築の手法を取り入れた住宅様式》の建物、個性派文字の屋号と追って、インターホンのボタンに触れた。若い女の声が流れて来た。名を告げた。待つ間もなく、Tシャツ、Gパンの軽装が現れた。貫禄の木戸を引いた。

「女将の娘沙織です。よろしくお願いします。申し訳ありませんが、お昼のお客様は勝手口へご案内しています。ご了承下さい。さあどうぞ」

 宇治川のせせらぎを耳に、敷石を踏み、和の様式美を堪能したところで、屋根付きのほぼ玄関の戸が開いた。古希数え年70歳をとうに過ぎた感の男が出て来た。目が会った。歯に衣着せぬタイプか《思ったとおりをずけずけと言う》、いきなりストレートをかました。

「一度見たら忘れんお顔や。何処から来られた?」

「仰せの通り。淡路島です」

「おお〜、女房と同じだ。いやあ〜嬉しい、実に嬉しい」

 ひと癖ある顔が、思わずほころびた。

「俺は新堂、こちらはチャイナ娘、YOYO。ひとつよろしく」

「美女と野獣?わっはっは!あるじの吉之助だ」とおちょくれば、

「できたらゴリラにして」と顔で演じ、回りも笑わせ、終いは握手に及んだ。

「お父さん。小難しい顔はいずこへ?」

「ん?そうや沙織、しばらくいてもらうか」

「本心?冗談?どっちもとれそうね。すみません。では中へ」 

 古い物を好きが、日本情緒に浸りながら、行灯あんどんが導く廊下を歩き進んだ。火事にあっても迷うことのない造りに、感銘した所で、案内の足が止まった。

「お母さん、お連れしました」

 ふすまがしずしずと開いた。裾の緑の松が目を引く、訪問着をまとった婦人が、中腰から目線を上げ、やや背伸びして言った。

「憶測と印象が、うふふ、ぴったり」

 品ある微笑に頭をかけば、京風の庭に続く、奥座敷へ通された。  

「素晴らしい。女将さん、拝見したいが」

「茶菓子は?」

「感動と混ぜて頂くよ」

「ウイットもお人柄を表してる。ではどうぞ」

 廊下に座布団を並べ、英二を挟んで並び座った。娘が茶菓子を整え、立ち去ると、しばし沈黙。苔むした庭、絶妙な間を作る岩、赤松の下のししおどし、借景の楓の林と見て、ため息を言葉に変えた。

「庭師は有名な方?」

「主人が喜こびますわ」

「ご主人がこの庭を・・・陶芸家でしょ」

「他にも書道、日本画、料理、三味線など、要するにいっちょかみ、困った人です」

「英二、いっちょかみって?」

「なんでも首を突っ込む人。ちょうどいい。彼女は」

「YOYOさん、中国からいらっしゃった」

 客二人の驚き。くすっと笑い、その訳を話した。

「お寿司屋さんがお礼もあって、淡海荘へお電話しました。その折りに」

「話したんだ。まっ気持分かるけど。で、美咲がお友だちに電話したと」

 呼び捨てにやきもち焼きの虫が、羽をばたつかせた。

「美咲って、淡海荘のオーナーのことでしょ。まるで恋人みたい」

 あからさまなジェラシーに、女将がくすっと笑い、あるドラマを語り出した。

「新堂様が、何故わたくしの記憶の永遠か。それをお話しする前に先ずわたくしのことから。名は西園寺祐子、そして美咲は、昔からの親友。正確に言えばあるエピソードからと申し上げましょう。それではそのエピソードを。ご遠慮なさらず、お膝を崩して下さいね」

 英二はあぐらを組み、心の内へ、

『そうか、あれだ。あれしかない』と言えば、ご機嫌斜めは、庭へ足を投げ出し、『記憶の永遠、エピソード、英二がなにかしたの?』と、興味を募らせた。 

 遠い昔をたぐり寄せると、あるドラマを、想いを込め語り始めた。

「工務店を営んでいた父も、下請けの大工の留さんも、既にあの世の人ですが、と前置きして話を進めます。三十八年前、淡海荘の改装工事から戻った留さんが、我が事のように父に言った。昼の飯どきだった。旅館の裏へ出たわしが目にしたものは、死んだような女を腹に乗せ、必死に泳ぎ、岸に辿り着いた男の姿だった。事故だと気付き、慌てて駆け寄った。可愛い顔に見覚えがあった。淡海荘のお嬢さんだと声にしたとき、棒立ちのわしに、男は右太ももをあごでしゃくり、でかいクラゲに刺された、それに水も飲んでる。救急車だ。三十センチほどのミミズ腫れを、ぼ〜っと見ていた者が、今度は怒鳴られた。ぼやぼやするな!救急車だ!救急車を呼べ!いっぺんで目が覚めた。すると男はお嬢さんを押し付け、びしょ濡れのシャツを脱ぎ帰ろうとした。命の恩人だ。当然連絡先を尋ねた。すると歩き去る背中が言い捨てた。当たり前のことをしたまで、と。お嬢さんとは当時高校二年生だった本庄美咲のことです」

 やはりなと、腕組みの英二。

「クラスメートに過ぎなかった美咲と、その日を境に親しく口をきくようになりました。助けてくれた人にお礼が言いたいと、何度も聞かされた、ある秋の日のこと。釣り名人留さんが、恩人の書き付けを届けてくれたのです。ではどうやって?新堂様、話して頂けますか」

 照れた英二、少し考え、

「女将さん。忘れたよ」と首筋に手をやり、しらばくれた。

「ほっほっほ、鏡を見ますか、正直になりますよ」

「英二、わたしは感動してるの。話して」

 人情話は好きだが、自分のことだ。考えた。女将が察した。

「美談は、やはりお終いが必要かと」

 観念した。

「夕方だった。俺は港で釣りをしていた。狙いはメバルだがぜんぜん釣れん。しかし近くのおやじは面白いように釣れてる。でここは勉強だとコーチを頼んだ。親切に教えてくれた。その途中だった。おやじが、そして俺が、膝を叩いて声を上げた。『あの時の!』と。本来ならとぼけていたはずが、思わず合わせてしまった。結局、コーチの恩をメモで返した。淡海荘から電話があったのは、その夜だった。とまあ、こんなとこかな」

「それではその後の事を。行動派の美咲は、海外でホテル業を学び、三十二の折り帰国。旅館を継ぎ、恩人への想いを断ち切るように、お見合い、結婚。けれど失敗だった。女が立ち回る旅館業に、男が理解を示さねば、夫婦関係は先が知れてます。二年で離婚。お父様の後を追うように、お母様が亡くなられると、美咲は変わりました。新しい時代の実業家として。その結果が新時代のリゾートホテル、淡海荘です。春と秋、二人だけの飲み会で彼女は口癖のように言う。偶然の奇跡。命がけの感謝。無言の英雄。英二さんは私の永遠、と」

 聴き入る者の左腕が熱かった。YOYOの頬から伝わる熱情のせいだった。それを祐子が、いくぶん身を乗り出し、さりげなく見た。嫉妬も含め、愛情だと見抜いた。


  13 河畔の料亭 2ホールクロック


 201X年5月12日月曜日

 祐子が席を立ち、スマホを手に戻って来た。短縮に触れ、英二に渡した。

「美咲の伝言。必ずお電話するようにと」

 耳に当てた。直ぐに繋がった。

『英二さん、明日の予定は?』

『あるようでない・・・ひょっとして仕事?』

『ピンポ〜ン。ホームページのリニューアル。それで表紙の撮影をお願いしたいの』

『また急だな』

『お美しい方の帰国はいつ?』

『明後日だけど』

『じゃグッドタイミングね』

『ん?モデルになるの?』

『ええっ、そう。注文は三つ。和服、淡海荘が見える、インパクト』

『フミさんの話でにわかに思いついた?』

『そう。カメラもモデルも一流だもの』

 一方的に押され、持ち上げられ、その気になった。

『彼女ならインパクトは鉄板。OK!任せて。詳細はファックスで』

 スマホを返せば、地獄耳が、モデル、着物、女オーナーと、想像を巡らせ、

「がんばる!英二のために」と、意気込んだ。 

「がんばらなくても素で十分」 

 なにはともあれ貴重な現金収入であり、細々と仕事を続けるカメラマンが、やる気を見せたのは当然か。

 作法を知る足音が止み、座敷から声が掛かった。

「お母さん。北条さんがお話しがあると」

「もう終ったのかしら?」

「じゃあ俺たちはここで風流に浸るかな」

「古い時計、ホールクロックですけど、見たくありませんか?」

 懐古趣味には又とない機会。後に続いた。玉砂利を敷いた玄関の上がり前室で、中年男が待っていた。顔を合わせた。お辞儀から純朴さが伝わった。

 ホールクロックは、洋風でなく、和の工芸品だった。型は縦長の台形、丈は大人ほど。素材は檜とガラス、金属は時計板と振り子だけであり、両側面の上半分が、凝った飾り棚、下半分がメリーゴーランドを思わせれば。

「これ、あなたが作ったの?あっ失敬。俺はカメラマンの新堂、こちらは画家のYOYO」

「オルゴール作家の北条です。よろしく。父親が作りました。オルゴールが本業なのに変ですよね。母が笑って止めたんですが、わしの芸術の集大成やと言って」

「じゃこの一作だけ?」

「立ち話もなんですから、座りましょ」

 主人の吉之助も駆けつけた。脇のテーブルを囲んだ。英二は立って話しを聞いた。

「お父様は、以後、時計は作らなかった。あなた、由来から話して」

「うん。清流亭は元は友人の別荘だった。しかし英国移住が理由で、買ってくれだ。死んだ親は財産家、当てにしたんだろう。祐子と相談した。結婚三年目のことだ。料亭案で買った。客は知人だけで開業。そのおりに新聞のコラム欄でこの時計を知った。欲しい、なんとしても。作家が住む美山町京都北部の町へ行った。まっ先にこう言われた。お店次第ですと」

「後はわたくしが。あの時は本当にびっくりしました。玄関と新米女将を見て、いきなり上げます、ですもの。耳を疑いましたわ。ほっほっほ!」

「ただ!ふ〜ん。やっぱり芸術家は違う」

「作品の境遇に満足したんですね。本題に入ります。時刻が遅れるようになったのは檜の乾燥が原因かと。機械類に異常はありませんから、とりあえずおもりを減らしました。それでも改善されなければ、またお電話下さい。じゃ僕はこれで」

「お父さまの認知症は?」

「天気によって差があります。晴だと普通で、雨だと手に負えません。そうだ。YOYOさんは画家だとおっしゃいましたね。よろしければこの時計を描いて頂けませんか?」

「お部屋に飾るのですね、お父さまの」

 敬語がさまになっており、レディーにかなり近付いた。

「ええっ。雨の日のための、ヒーリングアート《患者の心をなごませ、治癒に助力するような絵画•音楽などの芸術》として」

「じゃあ、伝わるような絵を描きます」

「それと新堂さん。飾り棚のオルゴール、聴いて下さい。父の作品ですが、笑いますよ。きっと」

 温かい笑みを残し作家が帰ると、英二がオルゴールを取り出し、ネジを巻き、蓋を開けた。響きの良い金属音が高らかに鳴った。訳知りたちが笑い、YOYOが指揮者の真似をした。

「ベートーベンの運命、第四楽章よね。元気出る!はっはっは!箱も合ってる!」

 気合いが入った英二、余勢を駆って車へ走った。素早く準備、画家が筆を取った。

真ん中に主役。右隣は鹿鳴館風丸テーブルと、赤いバラで賑わう素焼きの花瓶。それにステンドグラスのシェードが灯りを投げ、壁には額装された、時代は明治か、人物写真が横に二点と、雰囲気はレトロそのもの。そして左は、座れば頭まで隠れる、黒塗りの椅子と、立て掛けた書の額。『日々これ夢なり』は吉之助作とかで、本人を重ね合わせ、ぐんぐん描き進めていった。

 沙織も加わった見学者たちが声を吞んだ。徹底したイメージだけの技に。あるいは脇役が主役を引き立てる技に。そして、圧倒的スピードに。

「美女に鬼神が乗り移った!」と、沙織が口走った。

「天才と言う言葉は好かん。が、使わざるを得んな」と、吉之助。

「天は二物を与えず。あれは嘘ね」は、神を信じて疑う、女将の心の声だった。

 惜しみない賛辞も気にせず、抽象と具象の入り混ざった、この画家特有のヒーリングアートは生まれた。そしてスケッチブックから離れた絵は、沙織が座敷の床の間に、宝物として置いた。


  14 河畔の料亭 3謎解き


 201X年5月12日月曜日

 やがてコーヒーブレイク。あるじが客の手を観察、持論を口にした

「陶芸の醍醐味とは、ろくろを回し、イメージを形にすること。これが実に面白い。が、なかなか思うようにはいかん。指先、手の平に感情が伝わらんからだ。新堂くんは無骨だが、強い意志を秘めとる。YOYOちゃんは芸術家そのもの。才気、情熱、繊細。楽しみだ。それではろくろの前にわたしの作品を見てくれ。疑問、質問が参考になる」

「先生。英二は当たってるけど、わたしはそれほどでも」

「何人か中国人を知ってる。皆謙遜など無い」

「ありませんね、確かに」

「ご両親の職業は?」 

 代わりに英二が答えた。

「大学教授で博士、父母ともさ。ちなみに父親は遺伝子工学、母親は物理学」

「ほう!独特の気品に独特の才能。然もありなん《もっともだ》」

「英二。さもありなんって?」

 スマホで知れば、頬に恥じらいの芸術家が、無骨者の手を取り工房へ入った。スタジオともアトリエとも言える部屋に、顕微鏡、カメラ、パソコン、他電子機器が、ズラリ並んでいた。

「現代的ですね」

「科学の進歩が陶芸を変えた。そう言う意味じゃ、国宝級の人は、もうおらんやろ」

「写真も同じ。昔の名人たちが懐かしいよ」

「わたしも古い物が好き。どんなに時代が変わっても」

 YOYOの頭のてっぺんを、あるじが優しくなぜた。

 隣室が作品の展示場だった。窓に沿って並ぶ花器を順に見ていき、ラストで、

「気に入ったものは?」と、生徒に問うた。 

 以心伝心言葉無しで心が通じ合うか。首が細くて長い、楕円形の花器の前に立った。風に吹かれ、飛んでいくかの、いくつかのカエデが印象的だ。

「陶芸家は気に入らんと割るが、これは常軌を逸したな」

「と言うことは、俺たちには見る目があった?」

「うむっ。質問は?」

「偶然の入る余地はありますか?」

「否定したいが」の苦笑へ、

「俺の写真は偶然ばかりだけど」と、英二が本音で笑わせた。

 壁の日本画、書と追って、いざろくろへと向えば、年代物の机からスマホが鳴った。話は短く、パソコン、メールと開いた。内容が面白いのか、笑いを噛み殺し、プリンターON。A4用紙を手に腰掛けを指した。吉之助は向かいの丸太で、ともに腰を下ろした。

「例の友人からだ」

「イギリスの?」

「うん。これが実に面白くてな。まっ聞いてくれ。スコットランドのある湖畔にだ、映画会社が城を作りよった。撮影後は現状復帰の条件でな。しかし、観光の一助にもなることから、村がそのまま保存することで合意した。三年前の話だ。しかし最近になって、金持ちたちが割って入った。村長は厳しい財政を考え、売却を決断、映画会社もなんとか聞き入れた」

 笑い顔が地の顔になり、YOYOへお茶の催促。手際よく宇治茶を並べた。

「おもしろそう。先生、続きを聞かせて」

「待て待て、茶を味わってからだ・・・うまい、さすが弥平作だ。普通なら入札が、そこはお国柄だ。暗号解読で世間を驚かせた。つまり売却価格を決め、暗号を解いた者だけが城を手に入れると、まあこいうことだ。見てくれ」

『JCBINJTWALCUFAEWIRTFAONSJITCNWEF』

 アルファベットの羅列に客は首をかしげた。

「ヒントはガーデナーの夢。村長はその方面では著名人らしい」

「でもさ〜、イギリスは真夜中だよ。映画のセットにしちゃ、熱心と言うか、まっそれだけリアルな城なんだろうけど」

「映画会社が作った。金持ちにはこれで十分なんだよ」

「なるほど。けどなんで師匠に?」

「芸大の講師に期待したんだろ」

「短絡的と言うか・・・ん?失言だな。はっはっは」

「ターシャのターシャ・チューダー。絵本作家。アメリカ北部で広大な庭を造り、スローライフを実践した女性・・・夢だけど、ちょっと違うな〜。だとすると、お花。うん、お花以外にない」

 文字を追う目が、次第にキラキラ輝いてきた。そして、お花畑の頭に風が吹いたか、「解けた」とにっこり、腕組みまで解いた。

「天才、魔女に、名探偵もプラスしよう」

 先生に紙、鉛筆と用意させた。

「三文字は消す。J、C、I、N、T、W、A、L、F、E。すると残りは、B、L、U、R、O、S。でもこれでは言葉にならない。そこで二文字のEを足す。順番から、四番目と最後に。BLUEROSE。答えは青いバラ」

「まさに園芸家の夢だ」

「京都府警に知り合いがいるが」

「先生、ジョークより早く返信した方が。そんなに難しくないから」

 慌ててパソコンへ。以後は電動ろくろにて陶器制作。笑いの絶えない時が過ぎ、茶室へと場所を替えた。女将が作法を教え、YOYOが、日本人へまた一歩近付いた。


  15 河畔の料亭 4ファミリーの肖像画


 201X年5月12日月曜日

 お昼は吉之助が打った蕎麦。いっちょかみの域を越えており、それではと、これまでのYOYO作品を披露することに。驚嘆、激賞、そしてお宝の絵にて、鬼才の称号を授かると、ホールクロックの絵に、進呈した四枚の絵が重なった。合わせたように電話が。用件はあるじで、スマホを持ち座を外した。しばらくして浮かぬ顔が戻り、その訳を語った。

「ヴェネツィア・ビエンナーレ《二年に一度開催される国際的な美術展覧会》に出展しないかとさ。日本パピリオンに空きが出たらしい」

「すご〜い!先生、チャンスよ」

「教授たちが外務省にプッシュしてるのは聞いていたが・・・祐子どうすりゃいい」

「そうねえ、最初で最後だったら」

 名誉や名声とは無縁の陶芸家であって欲しい。これは妻の一貫した願いであった。

「確か六月から、九月までだったが、間に合うの?」

「なんとかね。よしっ!ここはYOYOちゃんのためだ、やるか」

「絵よりヴェネツィアへ行きたい。先生、がんばって」

 可愛くて仕方がないが、大きく頷いた。

 ファミリーと例の花器を描くことになった。先ずは仕事を考え沙織から。藍染めの手ぬぐいを髪に巻き、紺かすり《かすれたような模様のある織物》の上下に、白足袋と、仕事着に変えた。そして、廊下に点々と続く行灯の一つに両手を添え、ポーズを取った。

「とても自然」

「へっへっへ。なにか芸しないと」

「沙織さん、兄弟は?」と問い、クロッキー開始。

「兄が二人。でも合わないのよねえ、まるっきりサラリーマンだもん」

「普通がいちばん。お父さんとお母さん、年が離れてますよね」

「二十よ。でも仲がいい。私もおっさんに乗り換えようかな」

「うふふ。英二とはその倍近く。上には上があるってことね」

「はっはっは!新堂様は?」

「お庭を見て座禅。悩んでるのかな〜」

「もうYOYOったら、座禅は無念無想よ。つまり何も考えない」

「あっそうか。英二に悩みなどないもんな〜」

「彼はおバカなの?」

 声を揃えて笑い、仲良しになった頃、モノトーンの渋い個性派娘が誕生した。

「歴史を感じさせる光と影。そして素の私。一生ものね、YOYOありがとう」

 替わって祐子は、地味な和服に着替え、土壁を背に、趣味の組紐複数の糸を組み合わせて作ったひもの道具を置き座った。 

「丸窓の光だけで描きたい」

「新堂様、雨戸を閉めて下さる」

 堅くて柔らかい光が、祐子を際立たせ、手先が色とりどりの糸を紡ぎ出した。優美な動作、洗練された色香に職業を思い、表情が自然になるまで話し掛けた。

「おかみさんの記憶の永遠は、わたしを勇気づけた。感謝してます」

「お隣り様、お聞きになりましたか?さて、どうするのかしら?」

「親代わりだからね、なんとも答えようがない」

「まっ、そんなこと言って。逃げるのが、ほんとお上手なんだから」

「逃げちゃいない。ふりしてるだけ。微妙な親心、分かるだろ?」

「言わせたかったの、ほっほっほ」

 一杯食わされた親代わり。内心の照れは隠さず、筆、パレット、水入れと渡した。画家があぐらを組み受け取った。その前でしもべがうつ伏せ、台になった。

「英二、ごめんね」と言って、背中にスケッチブックを乗っけた。

「肩車よりまし」とサーカス芸を語れば、祐子の口元から笑みがこぼれ、表情が、いっそう柔らかくなった。

「女将さん。描きます」と静かに声を掛け、美人画の世界へ、YOYOが挑んだ。

 繊細かつ流麗な絵に、時を忘れていた親子が、思い出したように席を立った。

 池のカキツバタから、茎の湾曲が美しい二輪を切り取り、吉之助が花器に活けた。そして沙織は始業前の打ち合わせ。その後両者が、合わせたように座敷へ戻れば、水彩画は、いにしえの女を今に伝えていた。野鳥のさえずりが、遠くで聴こえる時分だった。力作に見入る祐子が、

「ミレーの絵のよう。優しくて、活き活きして・・・もう感激」と、目にはうっすら涙が。

「この人、ミレーが好きなのよねえ」

「うん。大好き。ときどき真似する」

「でもやっぱりYOYO流。お母さんの心まで描き切ってるもの」

「芭蕉の句のような趣がある。祐子、何か礼をせな」

「勿論よ、あなた」

 西園寺家の客として、もてなすことで決まった。

「俺は天才のおすそ分けか《もらい物を他の者に分け与える》」と、芸人が笑いを取れば、場を工房へ移した。

 吉之助も力作だった。シャドーを重点に描き込んだ木炭画は、魔法の手と厳しい目を、妥協を許さぬ陶芸家の姿を、見事に活写。もう一泊には気持がこもっていた。

 そして、とり《最後》の花器へと。主題を円卓の何処に置くかがポイント。端と決め、障子を開き、背景として庭を取り入れた。円卓に身を乗り出し、いくぶん考え、決まると、筆が走った。

 誰もが日本画に近いものを予想した。凛としたカキツバタ、優美な花瓶であれば。しかし描き始めて驚いた。下書き無しのアブストラクト《抽象的、観念的》に。情緒とは無縁の豊富な色彩に。

 マティス《フランスの画家。色彩の魔術師と呼ばれた》的静物画が、信じられない時間で出来上がった。これに沙織が切り込んだ。

「もうぶっ飛んでる、はじけてる、おしゃれ。気を悪くしないで。別の画家が描いたみたい」

「絵を描くとき、いろいろなYOYOが話し合います。ここでは主題は花器です。もし雰囲気に流されたら、花器は花に負けてしまう。そこで子どもの、幼児かな、わたしが指名されたのです」

 一同なるほどの説明に陶芸家が総括した。

「想像力とは何か。思い知らされたよ。いい日だった。冥土にいっても忘れんだろ」

「先生、わたしは好きなように描いただけ」

 実の子を愛でるような、吉之助の顔つきだった。


  16 河畔の料亭 5晩餐そして


 201X年5月12日月曜日

 風呂よりも飯が先で、上得意大切な客専用の座敷へ通された。坐卓は掘りごたつだ。にっこりのYOYO、さっそく足を投げ、

「正座はしんどいです」と茶道を振り返り、関西弁で笑わせれば、

「生徒がかわいそうになるなんて、ほっほっほ、初めて」と、祐子が目を細めた。

「おかみさん、ありがとう。そしておかみさん、おなかすいた〜」

 贅を尽くした懐石料理の数々に、腹スキが甘えれば、好々爺気のいいおじいさんの吉之助が手を叩いた。沙織が現れ、京の名酒を置き、

「私も参加したいけど、忙しくて」と言って、悔し気に立ち去った。

「さあ、お二方、お箸をお付けになって」

「意味が〜」

「あら、難しかったかな。食べて下さいってこと」

 また一つ日本語の魅力を知り、あれもこれもとぱくついた。 

「両親が偉い人。だからかな、こんなんでも品があるのよねえ」

「天才のルーツ。知りたいわ?」

 吉之助が教えた。ビックリの祐子、行儀の悪さとは異質の振る舞いに、

「知性がそこはかとなく漂ってる、そのはずね」と、親の血筋を疑わなかった。

「学校にも優れた子はおるが、親を見たいとは思わん。しかしYOYOちゃんのご両親なら、お会いしたいよ」

「あなた、生徒が恥ずかしがってるわよ」

「わっはっは!それじゃ乾杯だ」

 ガツガツがいっぷく、盃を差し出した。祐子が注ぎ入れ、吉之助の音頭で画家をねぎらった。やがて女房の度々の中座途中で席を外すに、気を回すのが遅過ぎたと、吉之助が慇懃いんぎん。真心がこもっているに礼を述べ、席を離れた。

 それではと、ピンク顔がこたつから出て、英二のそばに寄った。膝を揃えきちんと座った。表情も態度も真剣そのものが、大胆発言に及んだ。

「英二、必ず戻ってくる。そのときは結婚して」

 相手は美女の中の美女。舞い上がって当然だが、この男は違った。

「独身博物館、館長は、確かに緩くなった。考えるよ。難問の多い宿題をさ」

 年はだてに取っておらず、現実を直視した冷静な返しだった。

「じゃ解決するまでほんとうの恋人。いいでしょ?」

 目と口の、アホ芸で笑わせれば、YOYOがくっついた。メゾソプラノが『知床旅情』を歌った。英二もついていった。恋人はもう日本人だと思いながら。

 かんばん《店を閉めること》か、女将と娘が戻って来た。

「あらまあ、仲のおよろしいこと」

「甘えん坊だからね」

「お母さん、眠ってる」

 英二の腕を抱く感情のこもった手、左肩の無邪気な顔。母親がしみじみと語り掛けた。

「新堂様とご縁があった。よかったわねえ」

「じゃじゃ馬娘と調教師。なるほどねえ」

「それで謎が解けた」

「沙織君、俺もだ。はっはっは、じゃ寝るよ」と言って、じゃじゃ馬を抱え上げた。

 風雅な寝室に布団が二つ敷かれた。まるで一つの布団のように。 

「ええ〜と、三十センチ、離して」

「照れくさいの?」

「それもある」

「私の彼を思うと、うふふ、信じられない」

 お茶目が肩をすくめ、要求に添えば、三つ指を床につき、立ち去った。そして残された者は、寝間着をどうするかで、しばし考え、

「触らぬ神にたたりなし、だよな」と天女に話し掛け、うやうやしく寝かせた。

 行灯の火を消し、横になった。薄闇に慣れた目が、時代を疑い、端整な横顔で、現実に返った。体を寄せ、じっと見つめた。指先が、額、鼻筋、唇、顎と滑り、身を起こした。油断出来ない邪念を振り払い、丸窓から見る一つの星に、手を合わせた。いや、手を合わさずにはおられなかった。YOYOと我の未来を思えば。

  

  17 運命の日 1邂逅へと 

 

 201X年5月13日火曜日

 一緒に入るを、なんとか阻止したお大尽財産家の風呂。宇治川沿いの散歩。二杯の茶粥ちゃがゆ、そして料亭内の見学と来て、別れの時だった。吉之助が木箱から包み袱紗ふくさ、風呂敷を取り、開いた。

「この二つの湯飲みは、割る寸前でとどまった運のいい奴だ。縁起も兼ねてご両親のお土産にね」

 大胆かつ繊細な作品を手に取れば、視覚、触感が言わせた。

「先生がアマチュアだなんて、もったいない」 

「うう〜ん・・・よしっ!この吉之助、今日からプロ作家として陶芸の高みを目ざす。YOYOちゃん。ありがとう、ありがとう」

「それじゃあなた。お礼として天才のプライベートギャラリーは?」

「おおっ!祐子、良いアイデアだ、うん」

「うれしいです。また日本に来たら、淡路島の絵、いっぱい描きます」

「師匠、俺は?」

「うむっ?おったか」

 転けた。転けながら車へ。そして決めは沙織。

「YOYOが国宝だとすれば、未来の旦那様は重要文化財ね」

「沙織。言い得て巧みに言い表しているさまだ」

 なるほどが、エンジン始動。

「先生ありがとう!父母ともお茶が好きですからきっと喜びます」

「うん、うん。そうかい、そうかい」

「新堂様。この後はお気楽にお越しを」

「とか何とか言って、何か企んでるとか。使い減りのしない奴だからさ」

「当たらずとも遠からず。ほっほっほ!」

「そうや。薪割り頼むか」

「やっぱし」

 ファミリーの笑い声に押され、ミニクーパーが清流亭を後にした。

 昼前、ボロ家に戻った。先ずファックスをチェック。隣りも一緒に読んだ。

「二時、通用口で待つ。美咲」の最後の名で、治まっていた嫉妬の虫が。

「誓って。恋人じゃないって」

 子を諭すように応えた。

「男と女にも親友はある。従って俺を信じる。OK?」

 やきもち焼きが、意味を理解した。

「うん、OKよ。心配だったの、ごめんね。着替える」

 ドアの前で足が止まった。少し考え、いつもより張りの無い声で。

「英二、希望があれば?」

「淡海荘のロビーに合わせよう。あのブルーのワンピースで。ん?腹へりだな」

「もう、ぺこぺこ」

「茶粥じゃねえ。そうだ!西洋風茶粥はいかが?」

「ごちそう?」

「海鮮リゾットだもん」

「イタリア料理に夜は日本のおでん。英二、おもいっきりおしゃれする」

「食い物とおしゃれ。関係あるの?」

「YOYOには」

 意味不明も天女ならではと苦笑、ごちそうに取り掛かった。オリーブオイルにニンニク、タカのツメを加え、みじん切りのトマトを放り込み、白ワイン、塩こしょうで味を決めれば、スープは出来上がり。あとはご飯、エビ、イカ、ホタテと入れ、軽く煮込み、ゆでたアスパラガスを添えると、海鮮リゾットの一丁上がり。合わせてゲストが姿を現した。シャワーを浴びたのか、長い髪がしっとりしている。

「英二、どう?」

「夢に見た青い鳥。素晴らしい!」

「うふふ、やっぱりロマン派ね」

「アドバイス。靴はプレゼントのパンプス」

「白よね。それじゃソックスも」

 姿見に映した。

「更に青い鳥になった」

「YOYOは・・・ほんとうに幸せ」

 長い髪はブルーのリボンで一つにまとめ、カモメのイヤリング、首の水玉模様のスカーフ、白のベルト、珊瑚のブレスレットで、草原ではなく、海辺を歩く姿が目に映った。そして英二の想いが伝わったか、リゾットは品良く、ゆっくり食べた。

 約束の時刻まで間があり、写真の基本を話しながら、近くの漁港まで散歩。港内に入った。通りがかりの漁師が眩しそうに目をしばたき、数人のおばさんが「きれい!」と声を上げ、立ち止って見送った。 

「目立つからさ、早く切り上げよう」

「じゃブレスレットはずす。持ってて」

 代わりに麦わら帽子を渡した。

 絵筆代わりの小型デジカメが、船、漁師と次々に撮りまくった。動作も俊敏で、ハラハラ、ドキドキが、運動神経の良さも知った頃、ホテル淡海荘へと向った。


  18 運命の日 2日本のママ 

 

 201X年5月13日火曜日

 ハイウェイを走れば四十分足らずが、恋人には逆らえぬと、海沿いの一般道を南下。三十五キロ先の目的地へは十四時ギリギリに着いた。時間にうるさい男がYOYOの手を引き、小走りで通用口に駆け込んだ。派手さを抑えた江戸小紋柄が非常に小さいにもかかわらず、遠目にはっきりと見える染め物が似合うホテルオーナーが、右手を横に、大袈裟なジェスチャーで迎えた。

「セーフ!」 

「ほんと?」

「一分は許容範以内」

「心が広い」

「でないと、この商売・・・」

 噂の美女へ目がいった。

「楊貴妃?小野小町?はっはっは!YOYOでいい?」

 楊貴妃で意味を理解し、堅い表情がやわらいだ。笑みでイエスと応えた。

「突然で、一方的で、ごめんね」

「気にしないで下さい。英二の役に立つことですから」

「もし他の女だったら、仕事は考えてるよ」

「英二さんと楊貴妃。不思議と似合ってるのが、世の中の面白いところね」

「褒めてるの?」

「私としては」

「じゃ美咲以外の人が見たら?」

「似合ってるとは思わないだろうし、そうねえ、スターのボディーガード」

「さすがだ。俺もそう思ってるからさ」

 おもろい顔が、ジャケットからサングラスを取り、それらしくポーズを取った。

「カメラ、やめる?」と、吹き出したオーナー。

「仕事は?」と、演技派が無愛想に返せば、

「淡海荘の雑務員兼、用心棒」とマジで応えれば、余りにも似合い過ぎて大笑い。

 左に警備員室、更衣室、休憩室。右に倉庫、カーゴエレベーター、備品室と通り過ぎ、ロビーへの入口が、重厚な匂いを引き連れ、開いた。

「和のモダンを追求したの、特にロビーは」

 一語で言えば、安らぎか。順に説明しよう。白木と和紙を組み合わせた天上は、白熱光が淡い円を描き、側面は、傾斜がモダンな全面ガラス張り。その向こうは、山側が和風庭園、海側は芝生と花畑にプロムナードと、オーナーの想い、心の休日が見て取れる。そして杉板を張り合わせた円柱に、木製のソファー、照明、そこかしこの緑が、和のモダンを具体的に表していた。 

「JAPANESE ROMAN!清流亭では古い日本を知り、淡海荘では新しい日本を知った」

「例えにも知性があるわね」

「ん?さては」

「聞いたわよ、祐子からいろいろと」

「やっぱりねえ」

 ロビー中央で、青々と葉を垂らす、低木の下で足を止めた。

「山深い渓谷が故郷よ」

「気の毒だ」

「ほっほっほ、確かに。インテリアプランナーと庭師のコラボ、怨んでるかも」

 一連の口調から二人の仲を読み取った。ただの親友だと。安心感が画家にさせ、創造欲をもたらした。舟を模した黒い大理石の台に触れ、木を見上げ言った。

「この木は歌ってる。聴こえるの。それを描きたい」

「天才、鬼才の、異名通りね」

「次はいつ会うの?」

「十月。清流亭のお宝、拝ましてもらうわ。ん?飲み会も話したんだ」

「もう忘れたら?昔のことはさ」

「永遠なの、私には。はっはっは!」

 時を経ても、命を救われた者の心が、笑い声にあった。英二が隣りへ目をやった。変だ。オーナーへの視線が、異様に熱いのだ。霊的波動?先方も感じ取った。YOYOがそばへ寄った。そして想いを打ち明けた。 

「ママと呼ばせて下さい」   

 いきなりだ。問われた方は困惑した。したが、ある種の幸福感があった。

「かまわないけど。でもどうして?」

 苦い過去が脳裏をかすめた。シリア難民を養女にしたことだった。知人の紹介だが、顔は東洋人、年は十七。頭脳、性格も良く、英語が分かる。この五点で将来の跡継ぎにと決めた。しかし東京の日本語学校に行かせたのがまずかった。早熟だったのか、学友と姿をくらましたのだ。無念の思いが八方手を尽くした。だが大都会に情報は少なく、結局はあきらめるしか無かった。

 十二年前の悔しさを振り払った。知性を秘めた二つの瞳を、食い入るように見つめた。YOYOもしっかり受け止めた。それが飾らない言葉として跳ね返った。

「びっくりしたでしょうね。ごめんなさい。理由は母とよく似ているので」

「そうなんだ。お母さんはPHYSICIST《物理学者》よね」

「はい。それともう一つ。母親と違って甘えられるような気がしたものですから」

 子の無い身。難しい<られる>が嬉しかった。爽やかな立ち姿を隈無く見つめた。終わりに目が合った。恥ずかしい微笑と満足の微笑。一呼吸置いた。そしてその後、力強い語調で言い切った。

「研究一筋のお母さん。昼も夜も無いお母さん。ええっ!いいわ!今から本庄美咲は、いえ美咲は、YOYOの、日本のママになる!」

 新しいママが力強く抱き寄せた。頬を寄せ、髪をなぜ愛情を示した。そして英二は、思わぬ展開も、人の運命に神秘的なものを感じ、母娘の未来に想いを馳せた。


  19 運命の日 3実業家の夢 

 

 201X年5月13日火曜日

 七階建ての淡海荘一番の特徴は、台形の基礎。斜面は二重のガラス張りで、巨大なカーテンが太陽の位置を感知、自在に動く、言わば自然光が描き出すロビー。しかし娘には、手持ちぶさたのフロントマン、数人の清掃員以外、人影が無いことの方が気になった。

「ママ、今日はお休みなの?」

「ホテルが忙しいのは朝夕。だからお昼は休憩時間。フロントの彼は、その間のアルバイト。それと今日は第二火曜日よね。月火は休館日なんだけど、別館ご利用のお客さまのご希望もあって、特別に営業してるの」

「ついでに言おうかな。ママ、働きたい。淡海荘で」

 予期せぬ爆弾発言。

「娘に慣れるまで大変ね。それじゃあなたのこと、聴かせて。英語で簡単に」

 年令、学歴、留学から性格に及んだ。C U R I O S I T Y《好奇心》で自己を語り、試験官が人間を知った。  

「もう一つ。うっかりしてミスした。どうする?やっぱり英語で」

「I honestly apologize and reflect on it. And use it for the next job.」《素直に謝り、反省する。そして次の仕事に活かす》

「発音も癖がなくホテル向き。ご、う、か、く。お仕事はフロント。勤務時間は午前は七時から十時。午後は三時から八時。大丈夫?」

 力強く頷いた。

「じゃプライベート。英二さんと知り合ったのは?今度は日本語で」

 シンプルに、なれそめから今日までを話した。年令は考えず、結婚したいと思う気持も。照れた当事者は頭をかいただけ。

「日本語は何処で?」

「独学です」

 清流亭の祐子同様、親の血筋を知った。そして一番の興味、結婚の話へ。

「いろんなことを考えると、ハードルは高いわね」

「はい、見上げるほど。だから反則します。棒高とびで」

「棒高跳び?はっはっは!ご両親には申し分けないけど、ママも応援する」

 英二は不思議だった。わずかな時間で親子の血が通い合ったことに。しかしこれも片方の特異な才能の一つだと思えば納得出来た。仕事に戻った。

「さてどうするか?」

「モデルは楊貴妃。普通に撮ればつまらない。そうねえ。娘のある日ある時では?」

「つまり、スナップショット」

 OK牧場のYOYOの言葉。なにげないものに魅力を感じる。これだと思った。

「目からうろこ。分からない?ママから聞いて。ええ〜と、問題はバック」

「淡海荘だと分かれば」

「OK。それじゃロケハンだ。歩きだから、戻るのは三時半」

 気合いが去り、ロビー名物、ゴンドラエレベーターに乗った。はしゃぐ娘の手を引き、最上階廊下へ出た。絨毯の四季の絵柄を踏み、最奥の『M・H ONLY』と刻印されたドアの電子錠を差し言った。

「ナンバー、覚えて」

 言葉では言い表せない感動。YOYOが泣きそうになった。美咲の目も潤んだ。中へ足を踏み入れた。生活感の無い豪華な部屋に、住人だけの匂いだけが漂っていた。

「今、未来を思ってる。あなたが結婚するまで、ここで暮らすことを」

 今度は本気で泣きそうだ。西欧的顔立ちから笑みがこぼれ、背中へ手を回した。そのまま広いテラスへ出た。二羽の大きな鳥が、水平線へ飛んでいくのを目で追い、テーブルに向かい合った。

「あれは親子だと思って、アイスティーで乾杯。いい?」

「うん。未来へ飛んで行く、ママとわたし。で直感。あの小さな冷蔵庫に、みんなそろってる」

 知恵も手際の良さも並みじゃなく、ホテル業と照らし合わせた。すると、孤独な実業家の夢が、ますます膨らんだ。


  20 運命の日 4ママの回想 

 

 201X年5月13日火曜日

 グラスを合わせひと口、娘の手を取った。目を見据え、小首をかしげ尋ねた。

「私の話、祐子から聞いた?」

「うん。でも、もっと知りたい」

 ティーで喉を潤し、ざっくばらんに語った。

「大学時代からお酒大好き。卒論もお酒がテーマ。就職も英語力、プラス酒飲みが買われた。はっはっは!会社は輸入酒専門。でイギリス駐在員としてロンドンへ。ん?旅館はって顔ね。嫌だったの、食べていくだけの商売は。話を戻すわね。会議でアイルランドへ行くことが多く、事務の女性と友だちになった。パブ《英国の伝統的な大衆酒場 》に始まって、いろんな所へ案内してくれた」

「うらやましい!」

「そのうちね。うふふ、目が輝いてる。オペラも飽きてきた頃、まさかのホームシック。治療は旅しか無く、アイルランドの西をドライブ、ペンションで一泊した。オーナー夫妻と話が弾み、手伝ってくれるか?絶景の地、迷わず決めた」

「会社は?」

「寂しくなったら戻って来い。日本人らしいわよね。YOYOと同じ年だったかな。三年お世話になり、ダブリンのホテルへと、これは外人相手の基本を学ぶため。そしてリゾートホテルが夢だったから、マイアミへ飛んだ。有名ホテルで一年半勉強、帰国。急かされるようにお見合い・・・」

「ママ。苦労話が聞きたい」と、娘が気を遣った。

「オプティミスト《楽天家》よ。苦労なんて。ほっほっほ。結婚を機会に私が女将になった。やがて我がまま夫に愛想が尽きて離婚。気分一新が夢に取り組んだ。ある意味、親が早く死んだのは幸運だった。弾みがついたから。で、膨大な資金よね。考えた末、先ずは本体と決めた。金融機関、贔屓の資産家たちが夢に乗った。そして淡路出身の経営者たちも協力。それもこれも経験から学んだ企画書の成果。結論。もし私がリアリスト《現実主義者》だったら、今日の淡海荘は無かった」

「わたしもオプティミスト。ママを目ざし、そして楽にする」

 運命的出会い。そんな日があるとすれば、まさにこの日だと、美咲は、青い、青い海に、感謝の心を捧げた。


  21 運命の日 5ひらめき 

 

 201X年5月13日火曜日

 一方、英二は、淡海荘近くのヨットハーバーにいた。条件を満たすベスト中のベストに立ち、美咲のアイデアからヒントを求めていた。

「日常にこだわるにしても、何かが欲しい。インパクトのある何かが・・・」

 あれこれ思い巡らし、ヨットが並ぶ埠頭を歩いた。静かな湾内を眺め座り込んだ。スマホが鳴った。あのみどりちゃんからだった。トラ猫ミーが頭をかすめた。

『おじさん。引っ越す日が決まったの。来月十五日よ。どうかな?』

『うん、オッケーだよ。今どこ?』

『ミーが一生忘れないベンチ』

『みどりちゃんは小説家になれる、はっはっは』

『うふふ。おじさん。ミーはわかってるのかな?よく鳴くようになりました』

『かしこいねえ、ほんと』

 脳みそがピカッと光った。

『ママは?』

『買物。もうすぐここにくるよ』

『それじゃさ、またあとでね』

『あっ、ママだわ。待ってて』

 親子の会話が聞こえ、しゃれた住宅街の住人らしい声が流れて来た。

『田代でございます。この度は大変ありがとうございました』

 話が長くなりそうだ。ここは単刀直入だと、遠慮無しで切り込んだ。

『実はミーちゃんのことですが、今日から預かれませんか?』

『今日から?何か訳がお有りに』

 厚かましいも、ありていに話した。

『どうでしょう?』

『私どものネコがお役に立てるなんて。ええっ、承知しました』

 そちらへ伺う、に恐縮し、結局甘えた。

 果て無き夢に生きる写真家が、少女のような女と、トラ猫のドラマを想像した。絵になる絶対と、こぶしを振り、ホテルへ引き返した。

  

  22 運命の日 6素人フロントマン

 

 201X年5月13日火曜日

 ヒマそうな警備員と雑談、時計を見てロビーへ。天井に目がいった。西日を遮るため大カーテンがスルスルと降りていた。次いで目を下に。動きに無駄のないスタッフたちが英二に気付いた。姿勢を改め、丁寧に頭を下げ、笑みを送った。プロだと冷やかし、次いでに淡海荘では数少ない男子も冷やかした。

「酒井君。耳寄りな話だよ」

「新堂さんのことです。期待します、どうぞ」

「ん?英語がいやになってきたな」

「正直言って。語学の才能、自分でも疑ってます」

「根気、これだけ。でもそれも、生きた翻訳機が来れば一件落着」

「マジですか?いや〜うれしいなあ」

「そうなるとボスはお役ごめん。で広志はリラックス出来る。わっはっは!」

 内線電話が鳴った。隣りの佐々木奈緒が、用件を聞き英二へ。

「新堂さん、ボスからご伝言です。今少し待って下さるようにと」

「OK。奈緒ちゃん、ベッピンになったねえ」

「うふふ、おおきに」

 そしてキャッシャーにも。

「悦ちゃんも負けてないよ、がんばってね」

 英二が女に人気があるのは、陽気さと気配りにあるのだが、それはともかく、人間の不思議な運命を導いた木から、元気まで貰った時分、美咲とYOYOが颯爽と現れた。ママは海へ捧げた感謝を、鮮やかな青のワンピースで表し、繋いだ手の先は、三つ編みに茶色のリボン、縞模様の黒黄八丈八丈島に伝わる草木染めの絹織物に、銀色の帯、草履と渋くまとめ、行き交うスタッフたちの注目の的に。

「二人ともアメージング!」

「私はどうでもいいの。いかが?こちらは」

「うん。文句無し!なんたってトラネコが絡むからさ」

「ひょっとして、あのミーちゃん?」

「そう。みどりちゃんから電話。閃いた!芸ネコ、ミーや。でママも協力。おおっ神様ありがとう、さ」

「お礼の気持が、英二に届いたのよ」

「黒黄八も同じ。タンスで眠ってたのが私を呼んだ。不思議・・・」

 計り知れない運命に、美咲は想いを寄せ、改めて娘を見た。

 古き良き時代を感じさせる、つぶらな瞳が、時を越えた少女を。色香を忍ばせた凛とした立ち姿が、魅惑の女をと、着物にも独特の才能があると思った。 

「YOYO。ヒギンズ教授が、職を失ったよ」

「ほんとう?」

「うん。子ども大人が、レディーになったからね」

 当然、ほっぺにチユッで、仕事前の写真屋が、

「俺たちは阿吽あうんの呼吸。名作、期待してくれ」と、をやる気を見せれば、

「あうんの・・・教えて」と、ママへ。

「微妙な気持が通じ合うの。それはそうと、待ち合わせ場所、時間は?」

「ヨットハーバー管理事務所前、五時。天気も時間帯も申し分ない」

「それじゃその間に絵を描く」

「ロビーのシンボルが、平面でどう息づくか。興味が尽きないわね」

 しもべが段取りすると、葉っぱに触れ瞑想。やがて目を開けば、画家の心象風景を白い小さな宇宙に、閉じ込めていった。

 緑と青の濃淡が、大小の弧を描き、自然が歌ってるように仕上げた。そして、コンテナ代わりの黒い大理石は、複雑な映り込みを楽しみ、背景は幼児タッチでまとめた。残りは海だけで、美咲が腕時計をチラリ。

「二十分、たった二十分よ」と声に出し、異名を知った。

 海は夕暮れの色を誇張し、抽象画風を見て、

「山深い渓谷。見たかったな〜」と、胸の内へ語り掛け、筆をしまった。

 異彩を放つ情報は、ホテル内を駆け巡り、気が付くと、スタッフのほとんどが、野次馬になっていた。これにボスが声を張り上げた。

「ちょうどいいわ。皆に紹介する。この子の名はYOYO。実家は中国。明日いったん帰国、そして再来日の折りは、私の娘として、淡海荘のメンバーとして、働く。可愛がって上げてね」

 チーフスタッフ青木法子が、一歩前に出て、興奮気味に捲し立てた。

「めっちゃきれい!着物姿も知的で品がある。絵もすごい。もしかして英語もペラペラだとか」

「中国は幼稚園から英語を教えてるのよ」

「ええ〜っ!みんな聞いた。子どもは中国に留学させよう」と笑いを取り、続けて、「そうだ。ボス、この絵はロビーに合ってます。どこかに飾りましょうよ」で、「賛成!」と、全員が手を上げ同調した。

「分かった。画家と相談する。さあ、五分前よ、今日も抜かりなくね」

 スタッフたちが握手を求め、終るとWELCOMEの旗を持ち、順次エントランスへ走った。派手なツアーバスが止まった。外人客がゾロゾロ降りて来た。それを見たオーナー、天才の能力を試したくなった。

「手伝ってくれる?」

「フロントは安心するだろうな」

「英語がわからないの?」

「そう、勉強中」

「ママ、やってみる」

 緊張気味のフロントたちに頭を下げ、若干の指導を仰ぎ、端で待機。 

 スタッフに伴われ、ツアーご一行が入館。添乗員はプロ二人が対応、手持ちぶさたへはおばちゃん数人がおいでおいでした。カウンターから出た。飾りの無い笑みを浮かべ、挨拶すれば、

「pretty!」の連呼に始まって、顔、着物と触りまくリ、揚句は抱き寄せて、

「Would you like to come to Vancouver? Whales are welcome if you are.」《バンクーバーへ来ない?あなたならクジラも歓迎よ》と真面目に笑わせ、これでもかの人気者。他も輪に入り、ホエールウオッチングの話から、記念写真攻めで幕。美咲が真情を吐露した。

「今思う。あの子が戻らない私を。だから、これは夢だと、自分に言い聞かせてる」

「それは俺も同じ。だってさ、この三日、ありえんことの連続だもん。ときどき不安になるよ。俺は夢を見てんじゃないかと。で思った。夢を楽しもうとね」

 マリンルックの外人ファミリーが、フロントへ立ち寄った。YOYOが相手した。

「Do you have a reservation?」《ご予約は?》

「No.」《ノー》

「Reservations are required for foreign customers.」《外国のお客様は予約制になっていますが》

「What do you think of us?」《僕たちを見てどう思う?》

 赤く陽焼けした肌に潮の匂いがし、近くのヨットハーバーが言わせた。

「You must be tired from your yacht trip.」《ヨットの旅はお疲れになったでしょうね》

 中年夫婦が顔を見合わせ頷いた。

「Well then.」《それじゃ》

「yes. Customers are special. What are the rooms like?」《はい。お客さまは特別に。お部屋はどのような?》

「you are very smart .OK. Ask for the best room. Stay overnight if possible.」《君はとても賢い。OK。最高の部屋を頼むよ。出来れば連泊でね》

 今週の宿泊リストを見た。和風スイートが木曜まで空きになっている。

「It's a Japanese suite.」《日本風スイートですが》

 妻が身を乗り出し言った。

「Good luck.」《幸運ね》

 日本びいきのようだ。そのうえ料金も口にしない。上客中の上客である。

「thank you.」《ありがとうございます》

 肩からクロスに下げたバッグ以外、ほぼ手ぶらが握手を求めた。夫に続き妻も。ともにきつい握手だった。胸が一杯になるも、肝心なことは忘れなかった。

「Dear customer, what is your luggage?」《お客さま、お荷物は?》

「On a yacht. I'll go get it later.」《ヨットに。後で取りに行くよ》

 宿泊者カードを提示した。

「Please sign.」《ではご署名を》

 その間にスタッフへトランシーバーで連絡。ホテルのリムジンを出すことになったが、隙の無い応対は余りにも見事で、フロント連はポカ〜ン。当然素人にも分かる。ならばと自分でキーを取った。ファミリーの笑顔に幸せを感じ、自ら最上階へ案内した。

「出来る女は何をやっても出来る、うん」

「英二さん。跡継ぎにする!」

 信じ難い寸劇は、美咲に更なる夢を与え、決意をもたらした。

  

  23 運命の日 7芸達者


 201X年5月13日火曜日

 十七時少し前、フォルクスワーゲンが到着。ネコを抱いたみどりちゃんが、飛び出し駆け寄った。忘れてなかったか、ミーがYOYOへ飛び移った。いよいよだ。挨拶もそこそこに、撮影ポイントへミニクーパーを止めた。頭空っぽの写真家が、最初のシーンに取り掛かった。

「ルーフの高さはほどほど。さ〜いくか」

「いって、自由に。はっはっは!」

 ミーがルーフに乗った。YOYOがドアを開け向かい合った。フルサイズ《画面36㎜✕24㎜》2500万画素の愛機は望遠で後ろから。右上は淡海荘。ボケ具合も含めバッチリだ。右手はドアに添え、左手を差し出した。美咲の思惑通り、少女のような女がネコへ話し掛けた。返事か。キチンと座り、ニャ〜と鳴いた。シュート!喉をくすぐった。目が幸せ。シュート!次いで指先にを寄せた。シュート!そして決定的瞬間が。滑るのを我慢し、後ろ足で立った。前足を手の平に乗せ、目が合った。何か話したいのか、ニャー。冷静さを常とする者が、肩の力を抜き、息を止め、シュート!一瞬をものにした。終いはおまけのショット。ミーの前足を取り、にらめっこ。双方可愛い。シュート!確かな手応えをノートパソコンでチエック。

「ナチュラル。ホテルも淡海荘だと分かる。なにもかも最高!もう言うことない」

「演技派同士。当然さ。よしっ、次だ」

 撫で肩が膝をつき、左腕をL字にした。窮屈だがミーは子どもサイズ。肩へ飛び乗った。そのまま立ち上がりカメラを向いた。今度は上半身。淡海荘はモデル右肩上。だがかなりぼける。感度を上げ絞り込んだ。まずまずだ。始まった。いきなり前足が着物の襟を触った。微笑に愛が。シュート!続き、ずり落ちそうになりながらも、三つ編みをたぐり寄せ、リボンと遊んだ。YOYOがカメラを見て、横向きにポーズを変えた。やはり勘がいいと褒め、シュート連発。風が吹いた。薄日に際立つたもとが揺れ、前足を伸ばしじゃれた。ここもシュート、シュート!笑ったが、芸達者ネコだと感心、ボロ家に幸せをもたらすような、そんな気がした。

 ラストは埠頭まで歩き、並び続くヨット、淡海荘と構図を取り、散歩のシーン。白と青の世界に、ミーが寄り添い歩いた。日常の一ページのように自然だった。そして琵琶湖周航の歌も。

「♫我は湖の子さすらいの 旅にしあればしみじみと 上る狭霧やさざ波の・・・」

 美声に空を仰ぎニャ〜。シュート!ラストは膝を折り、友だちと遊んでいるかのシーン。ここもやはり日常にこだわった。こうして心なごむ時が過ぎ、母子とさよならの時だった。みどりちゃんがしばらく考え哀願。

「おじさん、おねえちゃん。引っ越すまでミーといたい」 

 全員納得。芸達者ネコと別れた。

  

  24 運命の日 8頼れる娘

 

  201X年5月13日火曜日

 日本人と外人がごっちゃのロビーに、英二とYOYOは今の淡海荘を感じ、癒しの木のそばで美咲を待った。ホテルがいちばん忙しい時で、ママを思う娘が、

「英二、手伝って来る」と言い残し、疲れも見せず、フロントへ走った。

 退屈嫌いが、車に引き返した。全写真をチェック。クズがほとんど無く、「俺はまだやれるよ」と、愛しき女へ語り掛けた。

 その女が、ママへそっと洩らした。

「英二がなんか言った」

「テレパシー。うふふ、あなたなら驚かない。あら、どこへ行ったのかしら?」

「車だと思う。写真見てるのね、きっと」

「私も見たいけど、しばらく我慢ね」

 宿泊者リストに二人が目を通した。

「ウイークデーなのが信じられない」

「娘が福を呼んだのね。ええ〜と、男性が一人残ってるわ、フランスのお客様よ」

 それらしい男が現れた。ノッポが真っ直ぐ歩き、カウンターに手をつくと、首を左右に振り、誰と話すか決めた。ボスだった。

「ce soir.」《今晩は》

 両手で待って下さいと、ジェスチャーで示せば、Y O Y Oへ、

「フランス語もしゃべれたら、もう神様ね」と、持ち上げた。

「神様だなんて」と肩をすくめ、ママと替わった。

 宿泊者カードの空白欄を指し説明、順次記入、そして職業、画家で、それとなく尋ねた。

「Comment était le paysage au Japon ?」《日本の風景はいかがでしたか?》

「Je suis venu au Japon avec l'envie d'Hokusai.」《北斎に憧れて来日したのですが》

「De Ukiyo-e.」《浮世絵の》

「D'accord. Je voulais venir à cette époque, mais c'est une impressio.」《はい。あの時代に来たかったが感想です》

「Je comprends. beaucoup.」《分かります。とても》

 長方形リュックから大きめのスケッチブックを取り、開き、恥ずかしげに言った。

「Un village de pêcheurs à Wakayama. S'il vous plaît, jetez un oeil.」《和歌山の漁村です。是非見て下さい》

 手に取った。モチーフ《題材》を探す大変さ。それが伝わる絵に、プロの魂が滲み出ていた。

「Vous ne pouvez pas aimer dessiner une telle image. S'il vous plaît, revenez au Japon.」《楽してこんな絵は描けませんよね。また日本へお越し下さい》

「Restez dans cet hôtel.」《泊まりはこのホテルでね》

「Merci beaucoup. Puis dans la chambre.」《ありがとうございます。それではお部屋へ》

 ルームナンバーを確かめ、キーを取り、名物ゴンドラへ案内。これにはボスが、「もうなんでも来いね」と言えば、フロント連が同調、尊敬の籠った目で後ろ姿を追った。


  25 帰国前夜 2おでんディナー

 

  201X年5月13日火曜日

 通用口の前にミニクーパーが待機していた。YOYOは元のワンピースに、美咲は某デザイナーの手に成るツーピースに着替え、笑い声とともに車に乗った。

「ほんとに泊まるの?」

「ええ、真面目よ」

「あばら屋に驚き、帰っちゃうとか」

「外だけ見たらでしょ」

 娘のフォローへ、ママの好奇心がむずむず。

「おなか空いたわね、源ちゃん寿司へいく?」

「VIPだ。それなりの料理人がご馳走する。と言っても、おでんだけど」

「それなりだなんて。ママ、けんそんよ」

「謙遜は英二さんの美徳。季節外れのおでん。うん、帰国前夜にぴったりね」

 何を根拠にだが、娘が後に続いた。

「おでんを食べて日本を去り、おでんを食べにまたもどってくる。はっはっは!」

「よしっ!それじゃ本気のおでんだ」

「おねが〜い!」

 声が揃えば、ドライバーは、やる気をアクセルに伝えた。

 美咲をして、こんなに笑って、びっくりしたことがない、と言わしめたボロ家。

「これだけ落ち着くと着替えたいな。パジャマでいいけど」

「ママずる〜い。英二、わたしも」

 女はうるさいと頭をかき、浴室のタンスから、滅多に着ない珍品を渡した。

「YOYO、女を磨きましょ」

「みがいてどうするの?」

「二人で誘惑するのよ」 

「共有か〜、ママ、いいわね」

 男冥利に尽きるが、しらばくれた。  

 利尻産昆布と土佐の鰹節をたっぷり使い、これに純米酒、薄口醤油で味を整えたダシは、一流割烹にもひけはとらず、美味しいおでんは約束されたようなもの。

 とろ火にし、掛時計を見て、主役の大根を味見、「うまい!」と自画自賛するも、風呂組はいっこうに出て来ない。まさかと思い浴室の外から怒鳴った。

「起きてる!」

 両女の鼻に掛かった声が、こだまのように返った。

「寝てたら起こしてくれるの!」

 耳から男心をくすぐられ、嬉しくもありが、

「二人もだ!よう面倒見ん!」と中を笑わせ、格好だけはつけた。

 ドアが開いた。だぼだぼパジャマの母娘が、媚を投げ、テーブルに着いた。

「遊んでたの?」

「そうとも言えるわね。処女の真相解明、私には興味あるテーマよ」

「しつこいのよねえ、ママは」

「聖人君子の実像に迫る、当たり前でしょ」

 何をか言わんやで、押されっぱなしが、話の鉾先を変えた。 

「娘のギャラは?」

「聞いたけど、娘がお金をもらうの?嬉しかったわ。ほんとの親子だもの」

「泣いていい?わっはっは!で、カメラマンは?」

「いろんな媒体に使うから、五十万」

「わおっ!神様、仏様、美咲様」

 大受け。リビングに花が咲き、三度の乾杯。おでんディナーが始まった。

「二人とも先ず大根から食べて」

 小皿にだしを注ぎ入れ、辛子を添えると、YOYOが匂いを嗅ぎひと口。

「日本にもどって来る!ぜったい!おいしい!!」

 美咲も大絶賛。

「英二さん、ロビーでおでん屋さん、する?」

 役者がセリフ入りパントマイムで応えた。

「屋台で、前掛けして、手ぬぐいで鉢巻き。らっしゃい!」

 想像したか、大爆笑。見る間に鍋が片付いていった。


  26 帰国前夜 2独白そして

  

 201X年5月13日火曜日

 そして後半だった。

「私のモノローグ《ひとりごと》、聞いて。三十八年前の」と言って、思い出したくないあの悪夢に、今の英二を重ねた。

 遠くで雷鳴が聞こえた。キッチンの窓が西風に震えた。ポツリポツリ、雨滴がガラスを伝い出した。娘は箸を置き、対面は目を閉じた。

「忘れもしない。旅館から二十メートル先の岩場を目指し、引き返す途中だった。突然、右足に激痛が走り、計ったように、荒波が私を襲った。鼻から水が入って、もうパニック。そのうえ引きの強い潮は、私を沖へ流そうと容赦しなかった。八月の海をなめてた愚かな女に、自業自得の、無知の、審判が下った。その時だった。誰かが私の首を絞めた。苦しくてまた泣き叫んだ。するといっそう首を絞めた。背泳ぎの胸に、腹に、乗っかり、鼻を大きな手で塞がれたとき、私は天国へ旅立つように、意識を失った。英二さん、ありがとう。ありがとう・・・」

 娘がママを抱き、パジャマの裾で涙を拭った。しんみりの英二が言った。

「砕け散る波の合間に聞いた叫び声。美咲に運があった、ただそれだけ」

 清流亭の祐子の話が、リアルさを増し、情に流されたか、YOYOが思わぬことを口にした。

「英二。ママと結婚して。わたしは・・・ほんとうの娘になるから」

 言葉に詰まった男が、言葉を探し、ようやく言葉を拾った。

「後悔しないか?」

「人生が決まるのよ」

 明らかな惑いが、胸に手を当て自問自答。やがて、結論が小さな声に。

「やっぱりムリ。やっぱり・・・」 

「ママの幸せは、娘が幸せなこと」

「夫婦のような友だち、俺の理想だ」

「じゃわたしとは、友だちのような夫婦」

「ピッタリだ。よしっ!決まったな」

 合わせたように、雷鳴が轟き、稲妻が走った。

「天の祝福ね、私には」

「なるほど、名言だ」

「雷は嫌いだけど、好きになった」

 リビングが幸せな笑い声に包まれた。


  27 帰国前夜 3男と女

  

 201X年5月13日火曜日

 シャワーは要警戒だと、ママを付き添わせ、すっきりが出て来たものの、見る間に目はぼんやり。

「可愛い、ほんとに」

「処女の真相うんぬん、その答えさ」

「うふふ。どうする?」

「こうする。ついて来て」

 軽く抱き上げ寝室へ。そして慣れた手つきが寝かせれば、まるで父親であり、英二の人となりを見る思い。次いで作業室へと。壁の写真で目が釘付けになった。

「英二さんはほんとはナイーブなんだ。でなきゃこんな写真撮れない。ええ〜と全部で・・・」

 A4サイズの写真を数えだした。ラスト三十二枚目で話を続けた。 

「五十四室全てに飾りたい。わけはB E C O M E C O M P O S E D。気持が落ち着くから。他には?」

  タイトルT W I L I G H T F L O W E R S《薄暮の花》のファイルに目を通した。美咲の表情に満足が。

「花の島に癒され、お部屋でまた癒される。セレクト《選ぶ》したらプリントお願い出来る?」 

「うん。俺の写真が世の役に立つ。嬉しいよ、ほんと。よってこれはボランティア」

 英二の気持を尊重、ホームページの写真へ移った。迷った末、今回は最初のシーンで決まり、軽い慰労会へと。バーボンで再び乾杯、軽くあぶったゲソをつまみに話が弾んだ。

「駅張りのポスターに、車内ずり。どう?」

「ネコ好きにはたまらないだろうね」

「ぱっと見は着物の広告。でも違うことに気付く。この写真は何?いろいろ考える。だけど分からない。結局、ドラマに癒されるのみ。そして疲れてる人はバックのホテルに興味を持つ。CMは控え目にが、私の持論」

「理念ある実業家、俺は尊敬するよ」

「英二さんだって。作品に自分があるもの。でお願い。ず〜っと写真家でいて。これ美咲の夢」

 涙がこぼれそうになった。ふっくらした手を取った。気持を込め、握り締め、ロマン派が現実を語った。  

「愛とは何か。思い知らされたよ、今夜は」

「言った甲斐があった。はっはっは・・・お母さんのこと、よければ聞かせて」

「O K 。おふくろキヌは、質屋を営んでいた。福岡県の小さな町でね。おやじは遊び人だったから、必然商売は熱心。これだとあこぎな鬼婆を連想するが、実際は真逆。住民に尽くしたうえ、貧乏たれの子どもたちを度々博多へ連れて行き、デパートで好きなものを買い与え、うまいものを食わせ、プロ野球観戦となればね。しかし家は別。無関心と言うか、俺も弟も一切構わずでさ。中三のとき、おやじが急死、大阪へ出た。商売は吞み屋。料理と接客は得意だったから、けっこう流行った。ますます放ったらかしの兄弟。社会人になって聞いた。俺たちが嫌いだったのか。答えは。子二人は横道に反れんかった。愛情も色々あるってことさ」

「子どもはしっかり見てた。それで今は?」

「天国。八十五で逝くまで現役。で最期のセリフ。楽しかった〜。泣いたね」

「英二さんのお母さんらしい。弟さんは?うふふ。美咲の勘だと、自衛隊」

「凄い!大正解。まっ俺を思えば簡単か、わっはっは!」

「私の人生で、今日は最良の日。それじゃもう一つの夢、実現させて」

 英二に歩み寄り、立たせ、両腕を腰に回した。

「キスして。夫婦のような友だちとして」

「愛情を感謝に隠してね」

 唇を重ねた。形だけの接吻に、男と女の想いがあった。

「着替えてなければ、十秒は堅かった」

「う、れ、し、い。英二さん、ありがとう。そしておやすみなさい」

 日付が変わったことを、チャイムが報せた。

  

  28 異変 

 

 201X年5月14日水曜日

 瞼の裏のぼんやりした明るさに、美咲が目覚めた。窓際に寝返り、カーテンを少し払い外を見た。鉛色の空にがっかりし、身体を元へ戻した。そしてまだ夢の途中を抱き、これが最後かもしれないと、見つめ続けた。

 ドアのノック音で、沈みかけた心が救われた。髪を両手で整え、ベッドから降りた。隅の鏡に写る表情に、今までとは違う若さを見て、そっとドアを開けた。

「俺がスーパーマンだったらと、思うのがこんなとき」

「英二さんの優しさを感じるのも、こんなとき」

「あのさあ、オーナーだよ、もっとゆっくりしたら?」

「考えようかな」

「考えなくても」

「何時?」

「目覚まし、あるけど」

「英二さんの声が聞きたいの」

「俺のねえ〜。七時ちょっと過ぎ、かな」

 階下へ降りた。洗面所、更衣室と続き、熱いコーヒーでひと息ついた。

「娘のフライトは、確か十一時だったわね」

「そう。八時半には家を出る」

「待って」

 長椅子へ歩き、座ると、バッグからスマホを取った。スケジュールを開き、午前の予定が空白と見て、

「私も行く!」と弾んだ声を、キッチンへ飛ばした。

 野菜とウインナーがいっぱいのポトフ、オムレツ、シリアル、サラダ、フレンチトースト、トマトジュース、冷たいミルクと、食欲を満たす朝食が並んだ。

「万能の召使い。私の夢なのよねえ、どう?」

「カメラ、やめたらね」

「ほんと?」

「うん、マジ」

「ほんとにほんと?」

「武士に二言は無い。姫を起こして来て。疲れてなければ」

「昨夜のキスで若返った」

「確かめる。こちらへ」

 物言いを笑い、武士の前へ静々と歩き寄った。右、左、正面とじっくり観察され、

「まっこと不思議じゃ」と時代劇のノリで、更に笑わせた。

「豊かな人生の演出人、英二さんは」

「拙者もそう思う」

 遂には腹を押さえ、大笑いが、二階まで続いた。

 寝ぼけ眼が、シャワーでしゃきっとし、テーブルに着いた。

「体重計った。ごちそういっぱい食べたのに、四十九キロのまま」

「まっこと不思議じゃ」

「もう、英二さんったら」

 賑やかな食卓へ、聞き慣れないメロディーが紛れ込んだ。

「メールだわ、お母さんかな」

 長椅子のポシェットからスマホを取った。メールは父親からだった。読んだ。健康色の白い顔が、青ざめていくのが、二人にも分かった。読み終わった。

「母が拘束された。秘密警察に」

 この手の話はよく耳にしたが、まさか身近に起きるとは。

「共産党にマークされてた、母上は」

「分からない。でも、もしそうだとしたら、あれが原因かもしれない」

 テーブルへ戻った。

「あれって?」

「神の数式」

「数学は得意だけど、次元が違うわね」

「母は宇宙の起源にまつわる、神の数式を追い求めていた。これはわたしの勘だけど、軍事に転用出来る数式を、偶然発見したんじゃないかな」

「恐いな」

「ええっ。例えば、アインシュタインの美しい数式、E゠MC²。この単純な数式で原爆ができた。だとしたら、それ以上の、人類をいっぺんで消滅させるような」

「YOYOのお母さんだったら、死んでも話さないと思う」

「ありがとうママ。昔からそうだけど、目立つ人じゃない。それに大学では変人をよそおってた」

「すると誰かが秘密を知りたれ込んだ。心当たりは?」

「大学。間違いない」

「お友だちは?」

「わたしと同じ。よほどの人じゃないと、友だちになれない」

「俺がその最たる例」

 おとぼけに母娘が吹き出すも、リビングの雰囲気は重い。

「お母さん、取り返せる?」

「相手が相手。釈放されるのを待つ他ない」

 難しい顔が黙り込んだ。しばらくして、意を決したように口を開いた。

「無事帰って来るまで、私は待つ」

「数ヶ月、いえ数年、いえ帰って来ないときもあるのよ」

 長い沈黙。そして英二が、ネットの情報で難題に切り込んだ。

「共産党は金で動くとか。ならば、幹部とコネのある人だ」

 思いついたか、膝を叩き、返した。

「だったら賭ける、大学の先輩に」

「どんな人なの?」

「北京の大手新聞社、もちろん共産党の機関紙だけど、そこの広報、エリートね」

「男、女?」

「女。心配してるの?」

「美人の嫁。当然だ」

「私も心配。もう少し詳しく」

「卒業式の日、うちへ来ないかって、声をかけてくれたの。断ったけど、気を悪くしなかったし、それどころか、あなたは友だちよ、と言ってくれた。ときどきメールもくれる」

「新聞社の広報。エリート。うん、脈があるな」

「どうして分かるの?」

「顔が広い。幹部も面識あるはずだ。YOYO、先輩に賭けよう」 

「心配かけてごめんね。結果はメールで報告する」

「いや、手紙の方が安全だ」

 ボロ家のアドレス、中国のスマホにメモした

 それぞれが着替えを済ませた。YOYOが夫婦のような友だちを見た。そして思いを込め言った。

「二人の絵を描かせて。親に見せたいから」

「俺はなんて説明するの?」

「ママの夫」

「平凡ね。ほっほっほ!」

 長椅子に二人が座った。

「もっと寄り添って。そして英二はママの肩を抱く。あいた手は握り合って」

 照れながらリクエストに応じた。ほとんど夫婦に笑みをこぼし、万感の想いを言葉に込め、語り掛けた。

「人生ではほんの一瞬に過ぎない、この五日間。英二とママに感謝して、描く」

 両人の双眸が潤んだ。美咲が隣り、そして自分と、涙を拭った。

 持ち帰るため新しいスケッチブックで描き始めた。丹念なクロッキーが時を止め、夫婦の肖像画に笑みをこぼせば、時はまた動き出した。

「ありのままの私」

「俺は・・・味のある三枚目」

「ママ、英二が二枚目だったら、ボロ家に来てない」

「嬉しいと言うか悲しいと言うか、まっ、おおきに」

 別れに暗さは無かった。しかし、トランクから財布を取り、ありったけの紙幣を抜いたときは違った。もう帰って来ない気がして。しかし信じる他なく、

「甘える。嫁なんだからさ」と、これ以上ない優しさを、言葉にした。

「英二・・・」

 胸に飛び込み、額を押し付けた。

「涙を流したい時は、こんな時だな」

 YOYOが声を上げ泣いた。そして涙を拭うと、トランクから新しいスマホを取り、英二の手に乗せ言った。

「戻って来るのよ」

「じゃあこいつはさ、その日を待つよ。天才の活躍を夢見てね」

「もう、泣かせないで。つらいもん」

 やがて別離。白い部屋では、しばらくたたずみ、

「また来る。今度はネコもいっしょよ。待ってて、それじゃ」と語り掛け、外では、家全体を見回し、

「ボロ家がいい。英二と同じ。味があるもの」と言い残し、両人を笑わせ、車上の人となった。

  

  29 決心 

 

 201X年5月22日木曜日

 美咲が体調を崩した。ある程度予測出来たことであり、見舞いにいった。案内した秘書代わりのチーフスタッフ、青木法子が、平静さを装い言った。

「淡海荘にお世話になって十二年、初めてです、お仕事休まれたのは」

「いい機会だ。法子ちゃん、しばらく休ませて上げてよ」

「じゃあお伝え下さい。ピンチヒッターが頑張るからと」

 打てば響く、秘書代わりの頼もしい言葉を、そのまま話した。

「落ち込みがひどいの。考えまいと思っても、あの子のことが気になって・・・」

「俺は写真で救われてるけど、美咲はねえ」

「どうしてるかな〜」

「考えない」

 哀れなほどやつれた顔が、無理して笑った。手を貸し、歩きながらしゃべった。

「とにかく気分転換。ボロ家に来る?」

「いいの?」

「パジャマさえ持ってくればね」

 蒼白い顔とは縁遠い笑い声が。

「その前に旅行しようか?フィジーがいいな。ヤシの葉影で昼寝するの」

「五十五才がビキニでね」

 涙目が肩をしばいた。一度しか訪れたことのないゴージャススイートに、明るさが戻って来た。肘掛けに座り向かい合った。

「何か飲む?」

 首を横に振り話を続けた。

「上高地がいいな。陽焼けした着物美人は、想像外だからさ」

「YOYOだったら様になるけど、私じゃ、ほっほっほ!」

「まだ寒いかも知れんが、平坦だし疲れた体には打ってつけ。そうだなあ、二泊三日で。宿は帝国ホテル、オフだし大丈夫だろう」

「優しいね、ほんとに。上高地か〜、行く!」

「決まり。あとは仕事。秘書代わりに任せれば問題ないが、フロントだな」

「出来る娘が私を戒めた。フロントがいかに大切かと」

「じゃあ英語堪能が来るの?」

「ええっ、外大卒の女性が。でも迷ってる。正規か短期かで」

「娘が戻りゃいらないもんね。そうだ、こうしたら。英語ペラペラが、スタッフの力になる」

「やっぱり淡海荘へ来る?」

 苦笑いが、善は急げと話を進めた。

「山歩きはそれなりの格好が必要。今から買いに行く」

「いいけど、出発はいつ?」

「美咲の体調次第」

「もう大丈夫よ」

「じゃ明朝だ」

 幸せが全身から溢れていた。

 アウトドアジャケットに某ブランドのバーブパンツ、長袖のシャツ、トレッキング用帽子、シューズ、靴下、そして ステッキ、リュックと買い揃えて、ボロ家へ。

「誰かを思えば、やはり電車だな。で帰りは、松本から神戸まで飛行機」

「嬉しがらせてばっかり」

 ホテル、JR、航空券と予約を済ませ、山歩きの格好に満足し、近くを散歩。そして、あっさり目の夕食、ギター演奏、ついでに渋い喉も聴かせ、夜も深まった。

「英二さん、おやすみ」

「その前に、条件付きの妻、考えて」

 大きく見開いた目。逡巡しゅんじゅん。ためらいの色があった。

「条件?つまり、娘が戻って来るまでの妻・・・」

「そう。それしかない、俺たちが夫婦になれるのは」

「じゃ上高地へは」

「夫婦として行くか、もしくは友だちとして行くか。この夜決める」

「私のこと愛してる?YOYOと同じくらいに」 

「較べようが無い。今の俺にはね」

「嬉しい・・・でも、心がケンカしてる」

「じゃケンカの続きはベッドで。同罪だから俺は隣りで寝る」

 並んで横になった。美咲の胸の鼓動が伝わった。が、ある瞬間消え、耳元へ。

「キスして」

 熱い口づけ。

「愛して」

 見つめ合った。

「真の夫婦になる?娘が帰らなきゃ」

「今の私の・・・至福の言葉」 

 パジャマをせわしなく脱ぎ取った。愛の嵐が、失われた時間を、一夜にして消し去った。

 早朝、キッチンに美咲がいた。二階から声を掛けた。

「失礼を承知で言う。料理、作ったことあるの?」

「失礼じゃない。その通りだもの」

「まっ、手を切らないようにね」

 そばへ寄った。ありきたりの朝食だった。しかし料理では語れぬ喜びがあった。

「この先はYOYOを忘れる。俺も美咲も」

「ええっ・・・。忘れなきゃ・・・」

   

  30 上高地にて 1赤ズキンちゃん 

 

 201X年5月23日金曜日

 電車の旅。しかものどかな中央線と来て、美咲の心は解放感でいっぱい。

「言っちゃおうかな」

 缶ビール、既に三つ目である。

「今、淡海荘か英二さんかって、問われたら、即!」

 ごつい肩にもたれ、色っぽい上目使いが、

「あ、な、た」と、巡って来た春を告白。 

 これに対し、役者が、

「遅咲きの桜は近くで見るもんだ」と応え、美咲を凝視、両手まで握った。

「質問。英二さんと関わった女性で、私は何番目?Y O Y O以外でよ」

「言うまでもない」

「あっ照れてる、はっはっは!」

 このように熱々カップルの席は、涼しい車内にもかかわらず、やたら熱かった。

 昼過ぎ松本着。タクシーにて大峡谷の訪問者にった。美咲が香しい空気を胸いっぱい吸った。そして、雨上がりの空に薄日が射すのを見て、

「生き返った!でも松本は晴れてたのに、不思議ね」と、最初の感想を延べた。

「下界とはまるで違うからね。さて、初めての上高地を案内するかな。足は?」 

「仕事中だと思ってる」

「うん、頼もしい」

 先ずは河童橋で、大パノラマに歓声を上げ、岳沢山麓の林道を辿った。美咲を気遣いのんびり歩いた。しばらくして木道に差し掛かり、残雪が目につく湿原から、この男ならではの風景讃歌を謳った。

「来月中旬、レンゲツツジが咲く。饒舌おしゃべりを拒むシダ類の緑と、背景の六百山の汚れなき新緑が、オレンジ色の花を引き立て、調和し、ほんとに美しい。しかしそれもだ、美咲にはとうてい及ばん」

 バカバカしい世辞も、この上なく嬉しく、握る手に力を込めた。

 多種多様な樹木、流れ下る幾筋もの川、それらに原初の森を見て、小さな丸太橋に差し掛かった。赤いレインコートの少女が、両手を膝に、清流を覗き見ていた。幼児らしいハミングに、笑みがこぼれ、自然に足が止まった。そばへ寄った。三角フードがとても愛らしく、美咲の好奇心をくすぐった。

「なにかいる?」

 フードがちょこんと動いた 。

「パパ、ママは?」

 反応無し。 

「迷子になったのかな?」

 これも応答無し。

「うふふ、困ったな。じゃあお家はどこ?」と言って、身を乗り出すも変らず。

「これはあれだな。知ら無い人には口をきかないとか。歌はシューベルトのマスだよね。お魚はイワナだけどさ」 

 少し考えてる様子。しかし、イワナを見てクラシックを口ずさむなど、教養レベルはなかなかのもの。そこでやんわりと少女の心に迫った。

「ヴァイオリン、ならってるの?」

 フードはイエス。

「いくつ?」

 指五つが返事。

「えらいなあ、一人じゃないよね?」

 フードが保護者の存在を教えた。

「親は近くにいるよ」

「放っておけないし、しばらくここにいましょ」

 待つ間もなく、パパらしき人物が駆け寄って来た。

「どうもすみません!嘉門次小屋で忘れ物しちゃいまして」

「イワナ定食、うまいもんね。分かるよ」

 会社員風の若いパパが、恐縮し、頭を下げた。これに役目は終わったと、場を離れようとした。しかし遠慮がちの声が、二人の足を止めた。

「既にお気づきだと思いますが・・・」

「お子さんが貝のように、口を閉ざしていることですね」

「ええっ、まあ・・・」

「袖すり合うも多少の縁。遠慮なさらずに」

 お互い方向は逆。立ち話になった。

「はあ、それじゃ。実は、ももかは、あっ、娘の名前ですが、自閉症なんです」

 パパの優しい顔立ちに、苦悩が滲み出ていた。 

「二年前、妻がデザイナーズブランドを立ち上げました。カルダンとかジバンシーみたいな。いっときはパリオートクチュール《高級衣装店》で縫い子をしてたくらいですから自信があったのでしょう。事実その通り人も増やし順調でした。ところがそれに連れて、ももかは、言葉を忘れたように話さなくなりまた。そうですね、忙しい妻に対して、何か反抗してるような」

 そこで話を切り、川にそよぐ緑美しいを見つめ、本題へ移った。

「妻は子育てに掛かりっ切りでしたから、ももかの心中は、想像するまでもありません。要するに寂しいのです。これは幼稚園でも同じで、夫婦で気を配っても、双方の母親が遊び相手になっても、本質的なものはなんら変わりません。まっ、母親っ子の悲劇ですね」

 美咲はママの気持が痛いほど分かった。そこで、これしかないを持ち出した。

「子は親の背中を見て育つ。どうでしょ、仕事場に連れて行かれるのは」

「はあ・・・」

 煮え切らないパパに、英二が鉾先を変えた。

「ヴァイオリンを練習してるときは?」

「ご存知なので」

「ヤマカンに応えてくれたからね」

「レッスン中は普通です。よく喋って、笑って。それが唯一の救いと言うか・・・」

「じゃ大丈夫だ。で結論。妻が言ったことは一理ある。試してよ」

 妻発言。美咲は夫婦になったことを、改めて実感した。

 今日の天気のように雨のち曇り、そして晴模様のパパを見て、赤ズキンちゃんが、ステップを踏み歩き出した。ハミングがシューベルトからモーツァルトに変わった。少し先の道を曲がった。とその時だった。透き通った声が、森に響き渡ったのは。

「クマさんだ!」

 大人三人が、驚き追いかけた。追いついた。二十歩ほど先の子グマに、パパが赤ズキンちゃんを抱き止めた。英二も妻をかばった。すると、小ちゃな両手メガホンが、森を震わせた。

「クマさ〜ん!お友だちになろう!」

 胸キュンのパパに対し、英二は周囲に目を配った。山の常識を声にした。

「近くに親がいるはず。引き返そう」

 そっと後ずさりした。子グマもおっとり動いた。川辺林へ紛れ込んだ。落葉の絨毯を踏み、大木のそばで止まった。幹に片手をつき、後ろ足で立った。そして何かを思い出したように振り返った。陽光にピカピカ光る黒毛が、愛らしく背伸びした。まるで赤ズキンちゃんと名残りを惜しむように。

「ユーモラス。でも可愛い!」

「メルヘンだよ、ほんと」

 何とも言えない仕草が、四つ足に戻った。背を向け歩き出した。赤ズキンちゃんが後を追うように叫んだ。

「クマさ〜ん、ママは!さびしくないの!いっしょにあそぼう!」

 切ない声が、想いのこもった声が、森に響き渡った。

 パパの指が眼鏡の奥にいった。これへ英二が、いたわるように、肩を叩いた。

  

  31 上高地にて 2ペコちゃん 

 

 201X年5月23日金曜日

 嘉門次小屋で昼飯にありついた。隣りの明神池散策の帰りである。

「川魚は臭みがあるけど、ここのイワナには無い。むしろ香りがあっておいしい」

「白樺で焼いてるからね」

「それじゃ白樺の木炭、取り寄せるかな」

 商魂逞しき女と食通が、自然をじっくり味わい、帰り支度。

「赤ズキンちゃんから手紙が来るかもね」

「楽しみ。英二さん、次はどちらへ?」

「大正池、河童橋、明神、徳沢、横尾、それぞれ四キロ。明日は美咲の足と相談してだが、今日は無理せず引き返そう」

 ステッキを左手にし、右手は英二の腕に絡ませ、梓川左岸を下っていった。

「完全な地道ね」

「故に時間がかかる。まっ、オフロードバイクがあれば、結構楽しめるがね」

「二人乗りは?」

「仮にあったとして、こいでくれるの?」

「私が?はっはっは!転倒、怪我、救急車は無理だから、やっぱり歩く」

 たわいの無い話が続き、そろそろ終点だと励ませば、

「ほら、あんな所で絵を描いてる。女性よ」と混合樹林を指差し、妻が言った。

「白樺に何かあるのかな」

 繋いだ手の先が急に黙り込んだ。そして憐憫あわれみの情を自分に向け、今の気持をリアルに表した。

「YOYOが戻って来ないことを願ってる。ほんと最低な女ね」

「美咲。俺たちはいい年だ。ならば今現在を大事にする。二人とも幸せだからさ」

「過ぎ去る時間が愛おしい。これ、今の私の気持」

 肩を抱き、少しだけ唇を重ねた。

「めいっぱい美咲を愛するよ。それじゃ行ってみよう、迷惑でもさ」

 幸せが手を取り合い、草地をかき分け、画家の元へ辿り着いた。

「こんにちは。邪魔かな?」

 クロッキーの手が止まり振り向いた。某菓子メーカーのペコちゃん似が、ため息をつき、迷惑を顔に出し、返した。

「ごめん、乗ってるとこなんで」

 白樺の幹の空洞に咲く、一輪の花へ目が入った。

「ツバメオモト《白い小花が可憐なユリ科の植物》がこんな所に・・・奇跡だな」

「その奇跡を絵にしてるんです」

「でもさ、よく見つけたね」

「風に感謝してます、帽子を吹き飛ばした」

「ポエムだよ、ほんと」

 うすく笑ったペコちゃんに、身なりを見て美咲がたずねた。

「上高地にお住まいなの?」

「正確に言えば、ホテルの寮です」

「そう。もう一つ気になることを聞かせて。どうしてここへ?」

 これには背を向け、花を見つめ、間を置いて応えた。

「ウツが高じて、どうにもならなくなったから」

「良くなった?」

「愚問です。あっごめん、生意気言って」

 見れば分かるだろうと言いたげ。

「迷惑ついでに見せてくれないかな、クロッキーをさ」

 仕方がないといった風が、後ろ手でスケッチブックを渡した。YOYOとは比較にならないが、思い入れは確かに感じ、絵を返した。

「君の心が伝わるよ。でさ、こいつで真似させて」

 ポケットから小型デジカメを取り出した。

「うふふ、上手ですね」

 笑顔に堅さが無くなった。それを見て、寄りと引きで数枚撮撮った。モニターを見た。修正すれば素晴らしい作品になると、胸の内で言い、下がった。

 ホテルと聞き、同業者が腕時計を見て、素朴な疑問を投げた。

「そろそろチェックインよね、大丈夫なの?」

「ヒマだしズルしました」

 ペコちゃんが白い歯を見せ笑った。純真さが伝わった。

「どちらから?」

「尼崎。心配してます。下山したら、また病気が復活するみたいで」

「私のホテルに来る?」

 年令不詳の容貌に、明らかな変化があった。

「関西ですか?」

「ええっ、淡路島」

 名刺を渡した。しばし文字を追い、明らかに希望のこもった声が。

「どんなホテルですか?」

 簡単に説明するも、迷いは無かった。

「働きたい。お願いします」 

 口調は真剣で、頭まで下げた。ニヤリの英二が、奇遇をまとめた。

「天界のドラマ。俺はそう思うよ、うん」

 人なつっこい笑みがこぼれた。それを見て、美咲がツバメオモトへ歩き寄った。そしてドラマを、ポエムを、言葉にした。

「白樺に寄り添って生きるあなた。どうかこの子を見守って上げてね」

 しかし・・・。約束の冬、ペコちゃんは来なかった。かわりにメッセージが届いた。以下原文。

 あのツバメオモトは、心無い人によって持ち去られました。悲しかった。そのことが原因か、わたしはノイローゼになりました。デリケートなんですね。そうでなきゃウツ病なんて・・・。結局下山して精神科へ。医者は言った。薬で治ると。わたしは心の奥底で笑った。あなたは薬に頼るへぼ医者だと。今わたしは、熊本の牧場にいます。仕事は厳しいですが、平穏で安らぎに満ちた日々、病気から抜け出す最善の選択だったと確信しています。社長様、淡路島に行けなくてごめんなさい。ご主人(多分)にもよろしくお伝え下さい。淡海荘のご繁栄をお祈りして。

かしこ。 長尾啓子

 これを読んだ英二が、山の掟破りに激怒し、最善の選択へ、安堵の息を洩らした。

  

  32 上高地にて 3ボーイ 

 

 201X年5月23日金曜日

 十キロの凸凹道が堪えたか、美咲は熟睡していた。胸の手をそっと解き、ベッドから抜け出した。窓辺に立ち、漆黒の闇を見ることも無く見た。幻のYOYOが現れた。話し掛けた。

「お母さんは?」

「お金で片がついた」

「じゃ何故戻って来ん」

「泣いて止めるの。英二、迷ってる。もしかしたら・・・」

 その先は聞きたくなかった。闇から目を反らし、もの思いに耽った。言葉では言い表せない五日間が、走馬灯のように、脳裏を駆け巡った。

 爽やかな朝は、爽やかな口づけで始まった。

「調子は?」

「グッド」

「それじゃ」

「よ、ろ、し、く」

 かくして愛の歌を、喜びの歌を、熟年カップルが高らかに謳った。

 午前八時ホテル出発。大正池、田代池と見て、河童橋へ。そしていっぷくは梓川河川敷。紺碧の空に映える穂高連峰、オシドリ夫婦がたゆたう清流、朝陽にキラキラ輝く木立。何もかもが美しく、美咲のこの朝は、幸福感に満ち溢れていた。

「別世界ね」

「来月は更に別世界」

「また来ようか?」

「散歩は日課にしょうね」

 トレッキングの厳しさを知れば、笑って頷くのも道理である。

 そこへ一枚の写真が、風に乗って転がって来た。身を起こした英二が、数歩先で拾った。そして写真を見て、持主はと、後ろへ目をやれば、真面目学生風が立っていた。写真を渡した。人との出会い、切っ掛けは、こうしてひょんなことから。

「見ました?」

「うん。彼女?」

「はい」

「可愛い」

「あの〜しょうもない話ですが、聞いてもらえませんか?」

「いいけど、しかしなんだな、上高地は面白いよ、ほんと」

「なにか?」

「こっちの話。じゃ妻も聞くべきだな」

 会話は美咲の耳にも届いており、

「どうぞこちらへお座りになって」と、おかしさは隠さず、若者を迎え入れた。

「金沢大学電子工学科三回生、結城です。お二人のご厚意に感謝して、それでは聞いて下さい」

「まあ気楽にね」

「はい、ありがとうございます。上高地のホテルで働く人は、例外無く期間従業員です。四月から十一月までの。動機はお金ですよね。しかし僕にはこの動機が無いんです。ただ漠然とここへ来た、そう言っても過言じゃありません。そんなのが壁に当たると、もろいもんです」

「だよね。職種は?」

「フロントです」

 ホテル絡みの話にはやはり専門家。

「結城くん、分かったわ。いやになったのね、お仕事が」

「そうです。ホールを希望してたのに、勝手にフロント配属、頭に来ます」

「うふふ、会社ってそんなものよ。いちいち個人の希望に添ってたら、組織は成り立たない」

「妻の言う通り。それで壁とは?」

「フロントを仕切ってる、女タヌキ、いえキツネかな、もう滅茶苦茶うるさくて。こっちはマニュアル通りやってるのに」

「悪いけど、私はキツネさんを指示する。いくら教科書に忠実でも、実戦は別。ひと月も経てば、そのことはもう分かるはず。だからお小言に反発せず、耳を貸すのよ」

「あの〜ホテル関係のお仕事をなさってるんですか?」

「妻はホテルオーナー。で俺は下働き」

 夫婦を見比べ納得した様子。これに妻は大笑い、そして夫は苦笑い。 

「性格は素直なんですが、なかなか・・・それで昨日、配置替えを社長に願い出たら、ひと言です。山を降りるか、このままフロントを続けるか。二者択一だと」

「社長さんはあなたをよく見てるわね。辛抱するの。そのうち慣れるから」

「はあ・・・」

「確か写真の裏に何か書いてあったな」

「脅し文句です、彼女の」

 写真を受け取り、ひっくり返し、夫婦が声を揃え読んだ。

「途中で辞めたら別れる」

 同情するも、結局は笑った。

「プレッシャー?」

「はい、別れたくないですから」 

 英二が話題を変えた。

「ほら、キャラクターのペコちゃん似も、同じホテルだとか」

「ペコちゃん?ああ〜厨房の長尾さんのことですね」

「彼女は絵を描くことが趣味。君の趣味は?」

「これといって別に」

「じゃ部屋にいるときは?」

 左手の難しい本を見れば、容易に想像出来た。

「休学してますから、大半勉強です」

「息抜きは?」

「やはり勉強です」

「下山やむなし、だな」

 見兼ねた妻、口を挟んだ。

「結城くん。書を捨てよ、森を歩け」

「森を、ですか」

「さすが我が妻、いいことを言う」

「上高地の自然がこう語ってる。わたしを理解すれば、キミは強くなれると」

 迷えるヤングが胸に手を当て考えた。夫が決断を迫った。

「どうする?写真破るか、それとも・・・」

「破りません。森を歩きます!」

 川面を漂うオシドリ夫婦が、げきを飛ばしたか、ひ弱なやさ男が、急に凛々しく映った。

「奥さんのホテル、教えて頂けませんか」

 昨日と同じパターン。とりあえず名刺を渡した。

「下山したら日本海とは違う海を見に行きます、彼女と二人で。宿は淡海荘です」

「高いわよ」

「こんな僻地にみんなどうして来るのか」

「貯金するためだよね。じゃここは聖地だな、金遣いの荒いヤングたちのさ。わっはっは!」

「じゃあ、修業僧かしら、みなさんは。ほっほっほ!」

 まさにその通りだと、例外が口元を緩めた。それへ妻が、励ましの言葉を贈った。

「結城君。上高地があなたを変える。必ず」 

「なります!ほんとの修業僧に」 

 穂高連峰を睨み、胸を張った。そして最後は、この男が締めた。

「足元から頭上までよく見る。結果、自然から何かを学ぶ。その何かが分かれば、ボーイを卒業する。そしてわずか半年が、人生の武器になる。頑張ってくれ」

 二度、三度頷き、ボーイが、颯爽と歩き去った。夫婦にとって、我が子感覚の、心が晴れ晴れとする、出会いであった。


  33 上高地にて 4ノルウエーの女


 201X年5月23日金曜日

 下界は初夏。しかしこの地は論外。晴れ渡った青空を見て美咲が言った。

「淡路なら三月ね」

「夜冷え込めば二月さ。霧氷が見れるもの」

 装備に抜かり無く、大正池へ向う途中だった。一列で泳ぐカモの親子が可愛く、しゃがんで木道から見ていると、斜め後ろから女の声が掛かった。

「道を譲って頂けませんか」

 夫婦が首を曲げた。意外にもあちら《外国》の人だった。

 癖の無い日本語に首を捻り、ヨーロッパ風の山歩きウェア、目映いシルバーブロンド、整った顔立ちと見て、英二が青い瞳へ返した。

「おはよ〜。外国人の日本人?はっはっは」

「うふふ。確かにそうですね」

 姿勢はそのままで、向きを変え、荷物をどけ通した。が、数歩で立ち止った。そして少し考え、振り返り言った。

「間違っていたらごめんなさい。お名前は忘れましたが、二十年ほど前、CM撮影でお世話になったカメラマンの方では?」

 英二よりも美咲が驚いた。

「知ってるの?」

「俺も有名になったもんだ。知らん」

 心覚えに自信があったか、後戻り、同じように膝を折った。

「撮影が終り、来日記念だと言われて、お寿司とラーメンをご馳走してくれたこと。思い出して下さい」

「ん?ちょい待って」

 記憶が現役時代に遡り、あるモデルが、可愛い少女が、三番目に現れた。 

「そうや!ラーメン屋で笑わせた、名は、ええ〜と」

「カーリ、カーリです。ノルウエーの」

「垂れ目のカーリ、ノルウエーの。うん、思い出したよ。あれは確か天六の汚いラーメン屋だったな。ゴキブリが珍しいのか、壁、床と追い掛けて、終いは逃げられ、わたしが嫌いなのかな〜。好かれないで。わっはっは!じゃしっかり覚えてもらうか。新堂英二。こちらは妻の美咲、よろしくね」

 頭は下げたが、くすぶっている。

「ここでは何だし、歩きながらで」

 男は前、女二人は後ろと、先ずは田代池へ向った。

「ふた昔だろ、よく気が付いたね」

「個性的・・・ですから」

「顔が、だろ。わっはっは!」

 おもろいツラ、永遠不滅である。

「でも上高地で会えるなんて、奇遇も奇遇、ですよね」

「奇遇の三乗だよ。覚えてる?撮影中にさ、学生が事も無げに言ったよね。この後はニューヨーク、次はミラノ、その次はパリ。ワールドサイズに呆れて、思わず勉強は?飛行機で。一人旅の驚くべき十五才。ほんと」

「ご両親は心配したでしょ?」

「うう〜ん、どうだろ。モデルは一年だけの約束でしたし」

「可愛い子には旅をさせろ。はっはっは!お年は?」

「三十八です」

「それじゃ、二十三年前か。ご結婚は?」

「二十一のとき日本人と」

 達者な日本語。謎は解けたが。

「同民族。興味あるな」

「うふふ。その興味ある人、大正池で待ってる」

「って言うと、別々でここへ来た?」

「ええっ。彼はロープウェイで穂高から、私はハードだし直接」

「そうだよね。よければ、なれ初め聞かせて?」

「うふふ、ありふれてますけど。出会いは十九の誕生日でした。愛犬と散歩してる私に、東洋人が声を掛けた。最初は英語で、茶色のゴールデンレトリバー、珍しいね。自慢でしたから嬉しくなって、敬意を込め、日本人ですか?すると彼は、ノルウエー語でジョークを。貿易業の男は何故か国籍不明になる。ありがとう、当ててくれて。笑った。それからは公園のベンチでいろんなおしゃべり。帰りにメルアド交換。そしてオスロの港街で何度かデート、プロポーズされた。ビジネス、ジエントル、ユーモア、全て私を満足させ、承諾。結婚。現在は阿倍野に住んでる」

 淡々とした語り口には、外人特有の無駄が無かった。

 まだ冬枯れの田代池でいっぷく。名水を褒めると、大正池へ足を向けた。

「旦那の年は?」

「恥ずかしいな」

 かなり年上のようだ。YOYOが頭をかすめた。美咲に悟られぬよう頭をかいた。

「じゃ会ったとき、勝手に想像するか」

「うふふ。そうして」

 着いた。派手なジャンパー、Gパンが、手を上げ駆けつけた。年格好は英二とどっこいどっこい。しかし顔は渋い二枚目。英二が羨んだのも仕方あるまい。

「金井洋平です。似てますね。はっはっは!」

「新堂英二。体だけは、だろ」

 笑い合った。横に並び座り、ここに至る背景を話した。驚くも力強い握手。

「ええ〜と、お子は?」

「ゴールデンレトリバーだけ」

「つまり新婚のまま。じゃ俺たちと同じだ」

 再度、握手になれば、我が子が目に浮かんだか、カーリがあるドラマへと。

「犬の名前はベルゲン。ノルウエー第二の都市が好きでつけたのですが、実はベルゲンには、想い出があって。命を救われた・・・」

 美咲が敏感に反応した。

「お話しになって」

「生駒の山中で、捨て犬がマイカーの後を追った。お腹が空いていたのか、ずっと。やがて諦めた。そして悲しそうに鳴いた。その声が胸を締め付けた。洋平がバックしながら言った。あの犬は不幸だが、最後は幸せになった」

「それがベルゲンよね。人気のあるブランド犬なのに」

「俺も生駒に行くか」

 声にせず失笑。

「続けますね。子供だと思って大切に育てたベルゲン。洋平は大半留守ですから、何処へ行くにもベルゲンと一緒。あれは小雨の降る夜のことだった。交差点で信号待ち。青になった。アクセルを踏もうとした。その時、ベルゲンが左腕を引っ張った。それも激しく。合わせたように、信号無視の車が、数台の車が、凄いスピードで、目の先を走り抜けて行った。震えが止まらなかった。震えながらベルゲンを抱き締めた。ありがとうが声にならず、もう涙、涙だけだった」

「恩返し?うん、恩返しだよ」

「ほんとね。特大のお肉、ご馳走した?」

「ええっ。でもカリカリ《ドッグフード》の方が」

「やっぱり主人思いね」

 胸が熱くなったか、目尻を拭い、そして、優しい笑みをこぼした。

 ラストは、男二人が、人間の運命をまとめた。

「人生一寸先は闇。カーリから聞いたとき、正にその通りだと、僕は思ったよ」

「運、有る無しは、紙一重。事故や災害は特にね。それでベルゲンは?」

「元気よ。おばあちゃんだけど」

 リュックから写真を取り見せてくれた。眼の輝きに賢さがあった。

 連絡先を取り交わした。ハンサムが付け加えた。

「ベルゲンが待ってますから、早々に帰りますが、新堂さん、僕はさかなや。ご希望があれば、現地から送りますよ」

「魚には目がない俺、トラックがいるな」

「年中魚?はっはっは!トロ箱一つ、いえ二つにして」

「欲が深い」

「誰かさんより増し」

 明るい笑い声は青空へ。ホロリとした話は、清く澄んだ池に、溶け込んでいった。

 

  34 上高地にて 5かぐや姫

 

 201X年5月24日金曜日

 よせばいいのに徳沢まで頑張った。往復約二十キロ。けっこうな距離である。しかも悪路と来れば、行きの元気は何処へやらで、美咲を励ましながら、這う這う《ほうほう》の体で帰還した。当然、長風呂の後はアフターケアー。 

「パンパンだった足がだいぶほぐれて来た」

「ええっ楽になった」

 マッサージ係が、今度は自分の足を揉み、それとなく言った。

「夜の上高地、どう?」

「神秘的よね。ただ足が・・・歩いてみる」

 普通とは行かないまでも、そこそこ歩けた。

「目を上げれ光り輝く満月。下げれば霞沢岳から梓川まで銀色世界」

「あなた、行きましょ」

 とうとうあなたになって、月明かりの道を歩いた。梓川に沿って、ステッキの妻を気遣いながら。

「静寂が張り付いてる」

「しかし孤独は感じない」

「不思議」

「写真撮るかな」

「写るの?」

「時間掛かるけどね」

 場所探し。梓川が真横に流れを変える場所で決まった。すると背中へ、懐中電灯の光と、若い女の声が飛んで来た。

「今晩は。夜、人に会うのは初めてです」

「もしいたら、変人か、物好き」

「私たちもその類いね」

 言動で人を知り、バランスを欠いた身体が歩み寄った。

「帝国ホテルでお茶を飲んでました。その帰りなんです」

「リッチだ」

「他に楽しみがありませんから」

「なっとく。ええ〜と、君もホテルでバイトしてんだ」

「君もって、誰か他にも」

「まあ色々あってね」

「面白そう、聞かせて下さい」

「話せば長くなるからさ」

「それじゃ、あたいの話はどうですか?」

「顔が見たい、はっきりと。光を当てて」

 古風な顔立ちとピンク肌は、印象的で、北国の女だと思った。

「生まれは東北?」

「はい、秋田です。なまりは無いと思うけど、どうして?」

「いや。見た感じでさ。ちょうどいい、月光写真の合間にね」

 岩で組んだ堤防に上った。妻、そして左足が少し不自由な秋田女と、手を貸し並び座った。次に写真。月光に輝く梓川を前景に、沈黙が支配する森、山を背景にと決め、カメラを足元に固定。それを見た左隣が質問。

「あの〜、写真家ですか?」

「売れない」

「うふふ。お住まいは?」

「兵庫県、正確には淡路島。名は本庄。でこの人は奥さん」

 美咲の容貌が月光に輝いた。

「じゃあたいのことを。名前は岸佐和子、二十一です」

「いい名だ。会ってみたくなるようなね」

「初めてです。名前を褒められたのは」

「フェミニストだからさ、俺は」

 両隣と、この夜の森羅万象が笑った。

「実家は先祖代々の農家。あたいは五人兄妹の真ん中。どっちでもいいのね、母親なんて電話はおろか手紙もくれない」

「君を信じてるからだろ」

 ありふれた慰め。胸の内で恥じた。

「信じ過ぎよ・・・でも、本当にきれいなお月様。聞いて欲しいのは四年前の夢」

 月の光を瞳に写し、まだ青春が、話を続けた。

「あたいんちの裏が竹やぶで、四月になると、おっきなタケノコが、もうそこら中いっぱい。あれは高二の夏だった。竹取物語、そのまんまの夢を見た。そして夢は、直ぐに現実となった。父親が農家組合長に選ばれ、その夜の宴会で彼を知ったから。大工が本業だけど、家は格式があって、二十四才。彼が一方的に熱を上げた。両親、知人が結婚の約束を取り付けようと、うるさく言って来た。根負けが決断した。物語では月へ行かなかったわけ。高卒と同時に結婚、翌年男の子が生まれた。ここまではまあ幸せだった。夫が・・・競馬に狂うまでは・・・」

 閉じた瞳から涙がこぼれた。ロマンチックな物語に影が差し、妻がハンカチを渡した。ひと刷毛の雲が悲しい女を隠し、過ぎ去ると、唇を咬み続けた。

「実家は裕福で一人息子。ギャンブルにはまれば、後は地獄が待ってるだけ。事実そうなった。ある日、大負けして、酔っぱらって、あたいの左足を蹴った。忍耐が切れた瞬間だった」

 スカートへ顔を伏せた姿に、悲惨な光景が目に浮かんだ。美咲が手を伸ばし、背中をなぜ、いたわるように尋ねた。

「お子さんは今どこに?」

「親に迷惑かけたくないから、山形の友だちんちに」

「二才よね、出来ないことだわ」

「彼女も似たような境遇なので」

「そう。続きを聞かせて」

 しばらく月を眺め、話を結んだ。

「一昨日、別れた夫の母親から手紙が届いた。この春、息子が仕事中に右足を怪我した。医者を替え、祈祷師、神仏にもすがったが、いっこうに治らない。これは一重に酒乱の報い、佐和子の祟り。そう息子は口走り、酒も博打も断った今、なんとしても罪を償いたいと。読み終って、いろいろ考えた。そして許して上げよう、出直そうと決めたとき、退職願いを書いた。たったひと月の上高地ですが、感謝の気持を胸に、明日下山します。これは余談ですが、友だちがこう言ってくれました。夫は右足、佐和子は左足。二人で一人前だよね。これで絶対うまくいく、と。おじさん、おばさん。つまんない話、聞いてくれてありがとう」

「よかった〜、お終いが明るくて」

「再発防止策は?」

「一滴でも飲んだら別れる」

 誰かとかぶり夫婦が笑みをこぼせば、月へ帰らぬことを約束、かぐや姫が去った。「竹取物語の続編、まっ、いらんやろ。わっはっは」

「あなた、写真は?」

「いかん、いかん」

「案外、きれいに写ってるかも。ほっほっほ」

 カメラをポケットにねじ込み、月明りで妻の顔を、正面から見据えた。

「きれいだ」

「かぐや姫より?」

「比較にならん」

「じゃ私がかぐや姫ね。月へ飛んでいきそうだもの」

 ロマンチックな口づけ。またひと刷毛の雲が、大人の戯れをそっと隠した。

  

  35 上高地にて 6ロック

 

 201X年5月25日土曜日

 眠れぬ夜、日付が変わったことを、ベッドの時計が教えた。目も頭も冴え、夫の腕の中でYOYOのことを思い浮かべた。浴室で見た素晴らしい裸体。思わず触った胸、尻に、四日を共にした英二の意志の強さを推し量った。

「愛すべき価値のある人」とつぶやき、微笑んだ。

 顔を上げ夫に見入った。すると、娘が言った味のある顔が、いつしか安らぎに満ちた国へ導き、深い眠りへと誘った。

 朝早いのは職業病の一つか。ベッドから抜け出し、カーテンを少し払った。穂高を見た。薄紫の暁光明け方の空の光に映える山稜、残雪にしばし目を奪われ、気が付けば、妻の手が腰にあった。肩を抱いた。夜明けのドラマへ語った。

「俺には満ち足りた夜、そして更に、満ち足りた朝」

「遅咲きの女はかく言う。夜明けの色は、バラ色だと」

 愛し合った。そしてのち、男が言った。

「俺と美咲には、夫婦以上の、愛がある」

 ごつい胸にこぼした感涙は、揺れ動く女心の、現在を物語っていた。

 旅費、ホテル代は、夫が払った。妻がどれほどの金持ちであるか、分かっていてのことである。嬉しかった。それが言葉として集約された。

「英二さんにもし何かあったら、私がみる、かならず!」

「正直に言う。気持だけいただくと。なんて、格好つけちゃってさ」 

 愛情が天井知らずになってなっていくのは、自然だと、美咲は思った。  

 梓川のプロムナード的小道を通り、バスターミナルへ向う途中だった。しわがれ声のオールドロックンロールが、乗りのいいギターが、前方から聞こえて来た。

「上高地みやげの最後に相応しいね」

「もう、何しに来たんだか」

 英二同様おもろい顔が、夫婦に目で挨拶、適当なところで切り上げ話し掛けた。

「チャック・ベリー《ロックンロール創始者の一人》、オンリーだけど、よけりゃ聞いてよ」

「その前に質問。ホテルで働いてるの?」

「イエス。でもオヤジが倒れたんで、これから名古屋へ」

 そこへ、かのかぐや姫が通り掛った。

「昨夜はどうもありがとう。ロック、聞いたよ。お父さん、危ないんだって?」

「うん、まあな。佐和子、ご両人知ってんの?」

「ちょっとね」

「そうかい。おいらも聞いたよ、辞めるんだって?」

「うん、事情があって」

「なんだ同僚だったのか」

「はい。こっちは女子に大受けの、エンタティナー」

「城戸豊、通称ロック、よろしく〜」

「道を間違えた?」

「て言うより、道を歩くのが恐かった」

 顔に似合わぬ優しさが、夫婦にベンチを譲った。そして地面にあぐらをかくと、腕を組み、目をしばたき、話し始めた。

「ここへ来る前夜。話があるでついて行った吞み屋。ラーメン一筋の頑固オヤジが、プー太郎の息子をチクリ差しました。お前は自分の道を歩いてるのか、結果を恐れるな、やりたいことをやれ。父ちゃんはお前のうるさい歌は好かん。だが感じるものはある。上高地で考えろ、何を成すべきかと。今日帰って、話すことができたら、こう言います。決めたよ父ちゃん。ラーメン屋の跡を継ぐ、って」

「お喜びになるわ、きっと。ロックさん、お父さんに届けましょ、あなたの元気を」

 涙目を拭い、立ち上がった。

「ありがとうに、おおきに、足してサンキュー。それじゃ行くぜ!」

 すべり出しの舌の回転が、笑いを取ると、表情がクルクル変わり、更におもろい顔になったところで、もう一度笑わせ、得意芸が始まった。

「いえ〜お客さん注文は?ラーメン?あたぼうよ、こちとらラーメン屋だ、なに?塩、通だねえ。ん?おいらの歌もだって、欲張りだねえ、OK、OK、耳の穴かっぽじって聴いてくれ〜」

 英二、美咲、かぐや姫、腹を抱え笑い、ロック、ロックの連呼。押されて、背を向けイントロ。そして横へ摺り足。乗ったところで前を向き、ギターがジャカジャカ鳴れば、懐かしいJ O H N N Y B G O O D E を、ダミ声が歌い出した。

「♫Deep down in Louisiana close to New Orleans Way back up・・・」

 抜群のパフォーマンスが、コミカルな歌唱力が、座を大いに湧かせた。バックの焼岳が、のんびり噴煙をたなびかせる、天上の地、最後の朝のことだった。

 タクシーに相乗りのかぐや姫、ロック。夫が料金を払えば、「お礼の手紙書きます」で、妻が笑いながら、二人に名刺を渡した。その後カフェでいっぷく、松本空港へと向った。

 機上の人がメッセージを贈った。眼下の北アルプスに。

「上高地、私の大切な思い出。本当にありがとう、また来るわね」 

  

  36 和歌の波紋

 

 201X年5月28日水曜日

 『写真は朝夕』が、珍しく昼前にボロ家を出た。上高地後遺症とも言うべき、体調今いちの美咲を心配してのことだが、頼りなくも元気な声で、

「私より大事なものよ」と泣かされ、背中を押されてしまった。

 しかし、ぎらつく光はいかんともし難く、とんぼ返りへ、 

「私の方が大事だった?」と、目は色っぽく、口は甘えるように問われた。

「当然」

「ほんとに?」

「しつこい」

 笑みを返し、浴衣姿がベッドから降りた。そして幸せの涙を拭い、裏庭の縁台へ誘った。手入れの行き届いた畑、青空と見て、手にしたA4ノートを開き、毛筆ペンを取った。

「俳句?もしくは和歌?」

「和歌。自己流の」

「楽しみだ」

 筆が流れるように走り、先ず一句。

「君還る 祈りを込めし 千切れ雲 遥かな国へ いつぞ着くのや」 

 気持を込め詠んだ。西へ走る雲の群れに想いは伝わった。そして、YOYOの姿が目に浮かび、日本語の表現力に感心、賞賛を口にした。

「良い句だ。胸に迫ったよ、ほんと」

「季語が無いのは目をつぶって」

「そんなもんいらん」

 続きもう一句。

「君思う 夢路の果ての 寂しさへ 天女の舞いは いかに写れど」

 これには黙り込んだ。

「もう、吹っ切れたから、詠んだだけ」

「て言うと?」

「約束、守る」

「すまん」

「謝らなくても・・・」

 覚悟の確かさに、不確かさが邪魔した。

「でも、自信が無い。こんなに愛していたら。でもでも、つらぬき通す。YOYOは・・・我が子以上の娘だもの」

 抱き合った。妻は声を上げて泣き、夫には、慰めの言葉も無かった。やがて嗚咽がやむと、英二の手を取り、作業室へ場を移した。パソコンON。英二が留守中に資料として集めた中から、斬新な建物の写真、設計図と見せた。

「これは有名な建築家の作品。これをお手本にしてイベントビルを造る。三階建てで一階は多目的ホール。コンサートや会議などがが開ける。二階は娘と英二さんのギャラリー、三階はテナント村。主にアクセサリー。で来週から建築家と打ち合わせ」

「清流亭も作るけど」

「祐子から聞いたわ。天才よ。二つくらい」

「手伝いはどうなるの?」

「カメラマン、廃業」

「ったく。で場所は?」

「駐車場の北」

「離れてるし目立たんが?」

「将来を見据えてのこと。英二さん、期待して」

「うん。一流の実業家だもんね。それじゃ今夜はさ、源ちゃん寿司で乾杯」

「今、私は、誰にも邪魔されず、一分、一秒でもあなたといたい。どうしてか、娘は帰って来ると信じてるから」

 夫婦のような友だち。『言うは易く行うは難し』。男と女は、この言葉をしみじみと噛み締めていた。

  

  37 封書

 

 201X年6月9日月曜日

 ボロ家から淡海荘へ通うのは無理があり、夫婦になれるのは休館日だけになった。その日が今日で、ショッピング、ランチと楽しみ戻ると、タヌキの郵便受けに大きめの封書が届いていた。胸が踊った。しかし直ぐに失望に変った。差出人がYOYOでは無かったから。

「東京からで、名は、リン・シーハン」

「知ってるの?」

「いや、ぜんぜん」 

 がっかりがベンチに腰を下ろした。しかし、YOYOと関わりのあることは間違いなく、目を合わせ、中身を取り出した。ボール紙のカバーに送り主を思い、セロテープを剥がした。便箋が一枚、そして封筒の大と小、二つが出て来た。大は開封されており、宛先、宛名とも簡体文字中国本土の字体。二人には何のことやらで、小を見た。未開封で表裏とも日本語。そして、そして、差出人はYOYOだった。ガッツポーズの英二が、美咲の顔色を窺った。果たしてだが、今までに無い明るさを見て取り、ほっと胸を撫で下ろした。

「安心したよ」

「ええっ、安心して。先に手紙読む?」

「いや。東京の中国人から・・・ん?待てよ。先輩だよ、新聞社のね」

 美咲が相槌を打った。当たっていた。二人が顔を寄せ、さして長くもない文章を追った。以下原文。

 私は中国、北京日報の記者、リン・シーハン。6月6日東京支局へ転任。親友Lee Yoyoから頼まれた手紙と一緒にこれまでの経過、結果を書き記し、E.Shindouに送る。5月16日、最初のメールが届いた。内容は当局に拉致された母親Xinyan《欣妍、シンイェン》の救出依頼。自信があったから引き受けた。しかし難航。党幹部の要求する金額が、あまりにもひど過ぎた。そこで作戦を変えた。女だ。美人のYoyoへ確かめた。友だちになれば母親は戻ると。断られた、迷うことなく。普通の女なら出世するチャンスだというのに。私はますます彼女が好きになった。それからはコネのまたコネを頼り、ある女優を知った。取材目的で近付き、終わりにXinyanのことを話した。もし女優が、母親の高校同窓生でなければ、また良い人でなければ作戦は暗礁に乗り上げただろう。大幹部の愛人が軽く言ってのけた。50万元用意して。父親が指定の口座へ振り込んだ。私を信頼して。3日後、母親は解放された。これで親友の家は普通に戻れると思った。しかしそうではなかった。Yoyo自身の、偽のパスポートを頼まれたなら。第2のメールで事情が分かった。日本に永住したいこと。父親が激怒し、自宅3階に監禁したこと。逃げ出す自信があること。これに対し、ピンキリのピンに頼めば、安心して日本へ行けると返信した。その返信で更に驚いた。わたしにはお金が無い。働いて必ず返すから立て替えてくれ。もう笑うしかない。3万元で手を打った。そして、出来上がったものに満足、郵送した。終りにお願いがある。東京生活はお金がかかる。立て替え金、日本円にして45万、恋人が払ってくれないだろうか。預かった手紙と私宛の封筒は、サギでない証拠。よろしく。

 英語の領収書、電話番号、口座と見て、ポケットに仕舞った。そしていよいよだ。

胸の鼓動を抑え、封筒を破いた。YOYO直筆の日本語の手紙を美咲に渡した。

「読むわね」

「ちょい待って」

 深呼吸二度。これに白い歯を見せ、ドラマのナレーターになった。

「愛する英二とママへ。母が解放されたのでうまくいくと思った。父親が機嫌のいい日に話した。しかし機嫌など関係なかった。鬼のように怒り、三階の書庫に閉じ込めてしまった。使用人を見張りにつけて、日本へ行くことを断念するまで。思った。反省して親をだまそうと。でもわたしの性格が許さなかった。  

1、どうやって庭へ降りるか。それがあった!もうこれしかないが。冒険だけど。 

2、書庫にはパソコンがある。もう一人の親友に連絡すれば、必要なものはそろえてくれる。

3、毎月第二金曜日は親が会議で遅くなる日。今月は十三日。幸運って言うか、関空便もこの日。到着時間は英二が確かめて。十三日よ。夢への脱走は。

4、先輩が東京へ転勤する。ラッキー。この手紙、託せるから。ミーがボロ家へ来るのは十五日。まだ間にあう。英二、ママ。待ってて。YOYO」

「幸運を祈るだけ、とはな」

「あの子は天女でしょ。絶対うまくいく」

「更に神社へ行けば、もう鉄板」

「その前に振り込まないと。今から行きましょ」

「大恩人だ。誠意を見せなきゃね」

「お金は私が」

 黙して頷き、ミニクーパーに乗った。

  

  38 再会

 

 201X年6月13日金曜日

 眠れぬままついに迎えたXデー。広州便のフライトを確かめ、美咲に電話した。

「休める?」

「満室じゃ、とても」

「仕事してる方が楽かも」

「そうね。眠れなかったでしょ」

「これで眠れたら、俺は天下を取っとる」 

 遠慮の無い笑い声が救いだった。

「連れて来て」

「状況からしてボロボロかも。それでも?」

「この先、私が母親になるのよ」

「OK。スマホ、放さないで」

「勿論。到着は?」

「十五時。でゆっくりさせたいから、そっちへは二十時ぐらい」

「分かった。英二さん・・・もう祈るだけね」

 果たして天女が、無事舞うかだが、あのキャラを思えば、疑念などさらさら無かった。とは言えど、胸苦しさは別。それが昼過ぎ爆発した。明石海峡大橋の上で。 

「天よ、神よ!助けてくれ!お願いだ!」

 ひと月前のあの日もそうであったように、どうにも落ち着かない。その揚句苦笑いがボソボソと、自分に言い聞かせた。

「緊張感は同じ。だが痺れるようなことは。いかん、平常心、平常心や。しかし、しかしな〜」

 結局、頭をかき、腕組みし、無我の境地だと目をつぶった。いくぶんゆとりが出来て、目を開けた。入国審査場、案内板と見た。広州便到着が点滅を始めた。胸の鼓動が問題の偽パスポートで早鐘を打ち出した。いくら名人が作っても、ニセはニセ。増してや職務に忠実な日本。不安が心配に拍車をかける。

「もう、YOYOの運に賭けるしかない」

 ひとり言が、神社のお守り袋を握らせた。

 賑やかなツアー客が、エレベーター前に集まった。口々に何事かを喚きながら降りて来た。ひとしきりして別のツアーが、そして、一般客がまばらりなり、人波が途切れた。絶望が希望を飲み込んだ。弱音を吐いた。

「いかに天女でも・・・冒険過ぎた・・・どうしたらいい」

 方法などあるはずも無く、強制送還の嫁が目に浮かんだ。

「チャイナで待ってるのは警察、取り調べ、揚句は刑務所・・・」と、お先真っ暗の想像ばかりで、立っているのが苦痛になった。

 引き返そう、美咲と相談しよう、そう思ったときだった。

「英二!!!」の絶叫。

 耳を疑い、税関審査場通路の女を見た。我が目をこすった。

「夢?幻?ほんものだ!!」と口走り、エスカレーターへ走った。 

「YOYO」

 声にならない声に、一気に駆け下りた声が重なった。しばし抱き合い、地味なショルダーバッグ、運動着と見て、触り、いたわるように言った。

「ある程度予想はしてたが、ジャージで戻って来るとは・・・」

「この格好でしょ。審査官から疑われた」

「ドキドキした?」

「ぜんぜん。本物だもん」

「えっ?もう一度言って」

「ほ、ん、も、の。わけはママといっしょのときに」

 思いも寄らぬ衝撃の連続。しかし周囲を見れば好奇な目。逃れるように外へ出た。

「とりあえずショッピングツアーだ」

「お腹もすいた」

 やつれた顔に頬ずりすると、数分後には空港対岸の商業施設にいた。

「何から?」

「パンツ」

「ん?着替えもさせてくれなかったの?」

「うふふ、ち、が、う。冒険したときこすれちゃって」

「冒険?気持悪い。OK。ついでに必要なものは全部ね」

 ATMで五十万引き落とし、残高三百万切れば、ニヤリとするも、女のアイテムをいっぺんで取り揃えるとなれば、けっこうホネで、売り場と車の行ったり来たり。

「英二ごめんね、お金、いっぱい使わせて」

「なんのこれしき」

 強がって笑わせ、ツアーも終わりかと思えば、

「着がえてくる」が、車内でゴソゴソやりだした。

 様々なシヨッピングバッグから、ワンピース、スリップ、パンプス、化粧ポーチ、フェースタオルと取り出し、紙袋へ放り込み、肝心なのは尻ポケットにねじ込んだ。

「英二。ハサミないかな?」

「いろんなラベル、ぶら下がってるもんね」

 撮影用の小物入れから抜き取った。売り場フロアへ走った。可愛くてたまらない目線が、後姿を追い、スマホを掴んだ。コール音無しで美咲が出た。

『ジャージで戻って来たよ』

『まあ!』

 軽装に余分な言葉はいらなかった。

『パスポートが心配だったけど』

『本物だって』

『えっ?どう言うこと?』

『何か起きたのは事実。まっ、落ち着いたらゆっくり聞こうよ』

『そうね。で元気?』

『見た目はね』

『そばにいないの?』

『着替え中。あれじゃちょっとね』    

『女ホームレスの変身。はっはっは。泊まっていい?』

『朝起きれたら』

 笑い声が去ると、全面ガラスの店舗の入口へ目をやり、YOYOのこのひと月に想いを馳せた。しかし結論は、彼女の忍耐力で終った。ドアが開き出て来た。女は衣服で変わることを痛感、外へ出た。何とも言えぬ笑みを投げ、純白のワンピースが、英二の胸に飛び込んだ。

「さっぱりした〜」

「アヒルが白鳥になった」

「うれしい!次はおなか」

 路上に並ぶモダンな屋台が近くにあった。とりあえずでタコ焼き二舟ゲット。

「明石のタコ焼きより落ちるけど、でもおいしい。日本に戻って来た!」

 見る間に舟二つがカラになり、もうひと舟追加。そして名水で締めると、

「俺の知る女になった」と容姿を眺め、ほぼ復活を口にすれば、

「まっすぐ見て」と返され、顔中、お礼のキスを浴びた。 

 そして身も腹も落ち着けば、あとは芸術家の魂。

「クレヨン、スケッチブック、買いたい」

「売り場あったかな?」

「探す」

 別の建物にあった。次いでに、透明水彩、絵筆、他もろもろも買い揃え、帰路に着いた。疲れが出たのか、道中は居眠り。カーステのボリウムを落しゆっくり走った。


  39 決意

 

 201X年6月13日金曜日

 明石大橋が目前に迫る頃だった。助手席が目覚め、真剣な眼差しを向け言った。

「わたしはもう戻らない」

「滞在期間は、普通十五日だけど」

「働くの、就労ビザで」

「ん?そうか、その手があったな」

「ママに頼めば簡単。英二、写真を撮って欲しい。仕事中や絵を描いてるときの」

「家に送るの?」

「それもある。でもほんとうの目的は、日本人になるため」

 きつく結んだ唇には、並々ならぬ決意があった。

 赤くなり始めた海や山に、明日を思い淡路島へ渡った。ボロ家近くを通り過ぎ、あの日の観光地で車を止めた。家族連れで賑わう国営公園。そのゲートをくぐった。木立が陰を描く園内、そして、オランダの公園にも似た景観と見て、

「ひと月前と同じね」と、感慨もひとしお。

「でも気持は違う」

「うん!じゃ絵も違うにする!」

 傾斜地のポプラ並木、暖色系の花々、そして間を縫う小道と家族連れ。これらを見て、身も心も活き活きが、二枚をスピーディーに描き終えた。続き三枚目。その途中だった。通りがかりの紳士風が足を止めた。クレヨンのダンスに腕組み、しばらくして一歩前に出た。そして横顔で首をひねり、さり気なく声を掛けた。

「妻に感謝しなきゃいけませんな。素晴らしい絵を拝見出来たわけですから」

 斜め前の小型デジカメ、声の主と見て、YOYOが、親しみを込め返した。

「と言うことは、おじさんはここへ来る気はなかった」

「そうです。どうでしょう、この絵を兵庫県芸術祭に出品しませんか?」

「いきなり言われても」

「僕は神戸で画廊を運営してます。従って目は確か、入選はおろか特選だってある。そのうえ作品からは想像出来ないほどお若い。ニュースになりますよ、間違いなく」

「考えさせて下さい」

「思慮深い。分かりました。芸術祭は九月、まだ間がある。お決めになったらこちらへお電話下さい。待ってますよ」

 名を告げ、名刺を渡し去った。

「三上ギャラリー。神戸じゃ有名だよ」

「そんな方がわたしに」

「まっ俺にしちゃ驚きはしないけどさ」

「出品しようかな」

「するべき。名は武器になる」

「未来へのチャレンジね」

「しもべも頑張る!」

 英二にしっかり抱かれ、気合いが計六枚を描き上げた。そして車中。大人を感じさせる横顔へ、あの時の言葉を口にした。 

「今夜はやっぱりあれ?」

「うん、おでん。約束どおり戻ってきたもん」

 山ほどある話を考慮、食材を足すためスーパーへ向った。


  40 国籍


 201X年6月13日金曜日

 入浴時間が気になるのは、眠る場所を選ばない、自由奔放な女ならではこそ。しかしそれもドアの開く音でやれやれ、おでんの支度に取り掛かかった。が、思わぬ展開が待っていた。

「英二!ここに座って!」

 真剣な声音に、弾かれるが如く、半裸の前に座った。湯上がりのなまめかしさに、目のやり場を探しながら、やんわりした口調で入った。

「身体はピカピカなのに、ご機嫌は斜め?」

「ちがう。大事なことを話したいから」

「美咲といっしょじゃ」

「ダメ!二人だけで!結論から言う。英二と結婚できる確率は、ゼロ」

「どうして?」

「国際結婚は年齢差が問われる。十才でも難しいのよ。じゃわたしたちは?」

 でかい男が小さくなった。

「三十七。うう〜ん、絶望的だな」

「じゃ、社会的地位、収入は」

 額に手を当て、更に小さくなった。

「大したことない。つまりダメ押しって訳か」

「法律に無知な者の笑い話ね」

「でもさ、外人と結婚した人、多いよ。どうなってるのかな?」

「国籍を気にしなければ、戸籍上は夫婦になれる」

「俺はそれでもいいけど、YOYOはいや?」

 英二を見つめ、でかい声を飛ばした。

「いや!日本人として結婚したい!」

 執念は半端じゃない。

「じゃ恋人夫婦。YOYOが日本人になるまで」

「うまくいっても十年はかかる。てことは、英二は七十二」

 声を合わせ大笑い。涙が出るほど。そして出尽くすと、はるか年下の女が、

「子どもが欲しい。英二が若い間に。ママのためにも」と、目は真剣そのもの。

「YOYO・・・天女を・・・食べる時が来た」

 潤んだ目が即答した。

「たべて」

 バスタオルが宙に舞った。仰向けの天女が両手を差し延べた。膝を折り、その手を握り締めた。しばし見つめあい、上が片手を放し、唇をなぞった。ある種の儀式を笑い、落ち着いた口調で話し掛けた。

「俺も裸にならないとね」

「胸がドキドキしてる」

 乳房を見れば分かった。英二も裸になった。が、さすがに恥ずかしく、トランクスはそのまま。

「スポーツがつくった体。年をとってもきれい」

「あちこち傷があるけど我慢して」

「勲章よ。我慢なんて」

 親鳥がヒナを温めるように抱いた。ヒナは男らしい体臭にうっとり。

「天女に相応しい儀式。難しい。難しいが俺は天女だと思いたい」

「うれしいけど、やっぱり普通で」

 愛情たっぷりのキスから始まって、どれほど時が過ぎただろうか。ヒナは成長し、天へ羽ばたいた。いまだ経験したことの無い、忘我の歌声とともに。

 結ばれた愛。待ち望んだ大人の女。しかしミニクーパーの助手席は難しい顔。

「天女はじょうずに食べられた。オオカミはお腹ペコペコなのに」

 美咲との関係が余裕になったことは確か。しかしここは英二流で惚けた。

「一匹オオカミにも、年なりの知恵があるってことさ」

「疑り深いのよね〜。ごめんね」

 左頬に唇を這わせた。大人の女に変身したことが、所作と色香に表れていた。

「父上のことだが、大丈夫かい?」

「最新の研究成果を発表しなければ」

「するの?」

「お母さんと同じ。マークされてるのよ」

「いっそのこと亡命したら?」

「多分、する。そう遠くない日に、お母さんといっしょに」


  41 チャイナドラマ


 201X年6月13日金曜日

 街のイルミネーションが車窓を流れ、海岸道路を走り、淡海荘の通用口へ滑り込んだ。待ち兼ねた美咲が、辛抱たまらずと、助手席のドアへ飛びついた。涙、涙の再会。そして双方、リヤシートへ。ここでも抱きあったまま。

「明日は書き入れどき。大丈夫なの?」

「七時。送ってくれる?」

「あのさ〜、時にはのんびりしたら、ったく」

 ハードなとんぼ返りが、用意していたおでんのだしを温め、様々な具材を並べた。とろ火にしてじっくり煮込んだ。その間に母娘は入浴。英二は今日の出来事を肴にウイスキー。適当な所で時計を見た。遅い。当然もしやで様子見。しかし賑やかな話し声で安心。更に記憶を辿れば、終点間際で、お揃いの紫と紺の縞柄夏黄八が登場。

「うん、似合ってる、二人とも」

「ママとしての想い、感じてくれる?」

「勿論だ」

「袖を通したとき、泣いちゃった」

「そうだろうね。よしっ!おでんでまた泣いてもらおう」

 食卓に着いた。

「まずだいこんからよね」

「そう。今夜のは更においしいよ。信州産だからさ」

 母娘が同時にひと口。

「ええ〜っ!おいし〜!」と声を上げ、幸せを顔に描き、もくもくと食べていった。

 やがてテーブルが片付き、あの日のみやげ、鉄観音茶をグラスに注ぎ、並べた。YOYOのチャイナドラマが始まった。

「食事すら別の缶詰生活。それがただ一度だけ夕食を共にした。当然のように、暗い、重い雰囲気。耐えられなくなって席を立った。そのとき、父がわたしを止め、思いがけないことを言った。お前をどうするか、決断はもう少し先になる、我慢してくれ。ばくぜんと思った。逃げる準備をしてると。つまり亡命ね。じゃわたしは?これが話の始まり。そして終わりは今朝。九時半父が、しばらくして母が、車に乗って家を出た。使用人が朝食を持って来た。部屋から去った。計画実行。テラスの外側にある丈夫な雨どいにぶら下がった。歯をくいしばり少しずつ降りた。大成功!庭にあるサンダルを履き、約束の場所へ走った。親友、黄宇航コー・ユーハンが待っていた。メール通り、行きの旅券、電車代、靴、カバンと受け取った。そして、そして、彼女が去るのを待ってたように、母の車が、近付き、止まった。

「映画ね」

「まさに」

「続ける」

 この先はテレビの再現動画風に。

「お母さん・・・どうして?」

「朝早く夜遅い。この日しかないでしょ」

「つれ戻す?」

「おとなしく従うなら」

「お願い、日本で働きたいの」

 わたしの頭から足元までを見て、バカにしたように言った。

「その姿で誰が雇うの?」

 英二、ママのことを話そうと思った。でも、なぜか話せなかった。二人の絵も見せたのに。

「日本の友だちがついてる」

 少しだけいつもの母に。

「頑固なのは父さんゆずり、仕方ないわね」

 さびしそうな顔、胸がいたんだ。

「ありがとう、お母さん」

「YOYO、よく聞いて。就労ビザは経営者が用意してくれる。更新は三年、何回か繰り返せば日本国籍も夢じゃない。語学、絵の才能も味方になる。何が言いたいか。要するに中国には、もう戻るなってこと」 

 ここで話を切り、後方で止まった車を見て、母が怒りを声に出した。

「人間のクズね、あいつらは。待ってて」

 母が車から降り、クズへ何事か言った。途端にクズの車は逃げ去った。

「一党独裁。国民は無関心?それとも・・・はっはっは!乗って。送るから」

 拉致された母が、どんな目にあったか、わたしは知らない。でも、たった今分かった。母は人間としても、学者としても、強い人になったと。

 車が動き出した。母の横顔を見た。おだやかだった。そして声も言葉もそう。

「さきほどの話しの続き。本当はほっとしてるのかもしれない。もしもの場合あなたが・・・邪魔になるでしょ」

 本心だろうと思った。

「お父さんの悩みがなくなる。親孝行よね」

 母の複雑な気持が、笑い声から感じられた。

 空港までの三十分。わたしの成長記録をひも解くように、やさしく語り聞かせた。けれど、悲しくて、悲しくて、思い出すこともできなかった。やがて小学校卒業まで来たとき、空港に着いた。潤んだ目が見つめ合い、しばらくして、母がハンドバッグからパスポートを取り出した。わたしのだった。不安が吹飛んだ娘へ、母としての胸の内を、厳しい現実を、言葉にした。

「日本の入管入国審査官、侮ってはいけない。お世話になったユーハンには、私が礼を尽くす。そうね、母としての役目は、これでお、わ、り。この先は自分自身の力で生きて行く。いえ、生き抜く!そして、親子の繋がりは、手紙のみ!」

 泣きたいのをこらえ、わたしは車から降りた。振り向かず歩いた。クラクションが鳴った。振り返った。母が叫んだ。

「YOYO!I LOVE YOU !」

「M O M M Y!!」

 ドラマチックなラストシーン。日本のママがきつく娘を抱き締めた。おろおろ泣いた。恋人夫ももらい泣きした。タオルが各自にまわり涙を拭った。こうしてチャイナドラマは終った。そしてケジメか。英二らしさが出た。

「美咲、YOYO、手を洗って」

「えっ?なんで?」

「いいから、いいから」

「英二は?」

「無論、俺もだ」

 三名、ボディソープでゴシゴシ、きれいに洗った。リビングのほぼ真ん中だった。

「じゃ、YOYOの前途を祝し、手を合わせよう」

「そう言うことか〜、はっはっは!」

「ほっほつほ!いいわね」

 英二が想いの籠った、右手の平を差し出した。YOYOが未来を掴む、左手を重ねた。終いは美咲の幸せに満ちた手が。

「ラグビーの試合が始まる前、思い出すよ」

「なんか、気分が引き締まる」

「ほんとね。英二さん、次は?」

 掘り出し物の和風シャンデリアを見上げ、右、左と見て叫んだ。

「 L E T' S G O ! 」

 二度目は三人いっしょに怒鳴った。

「 L E T' S G O ! !!」

 新たなる夢が、リビングに響き渡った。次にあのスマホが、ひと月ぶりに登場。

「多分、没収されたはず」

「うん、まっ先に。名前つけようかな。YOYO2。どう?」

 拍手、そして乾杯。賑やかではあるが、どこか厳かな気分は、夜更けまで続いた。

  

 星の降る夜、あてどなく歩く二つの影が、漁港の桟橋で止まった。

「美人が更に美人になった。て言うことは、うふふ、白状しなさい」

「まあ聞いて。国籍さえ気にしなければ結婚は出来る。しかしYOYOは日本人にこだわってる。普通だと十年。俺は完璧爺さん。笑ったよ、涙が出るほどさ。で結論。恋人夫婦。その始まりが今日」

「そうか〜。じゃ先ず永住権ね。贔屓の代議士、弁護士、行政書士、総動員する」

 力強い語調に、ママとして、ホテルオーナーとしての決心があった。

「無力だもんなあ、俺は」

「商売が役に立つのはこんなとき。気を落さないで。それと、今年中に法人にする。娘、ひいては二世のために。で明日からスタート。私の半分は中国のお母さん、そう思って女王にする。一流の、また一流に」

「おんぶに抱っこが言う。よろしく頼む」

「任せて。あと問題は家。遠過ぎるもの」

「月曜、火曜の休みは俺と。水曜から日曜は美咲と。いかが?」

「願ってもない。うふふ、時々便乗していい?」

「大歓迎」

「人が見たら、なんじゃこれは、よね」

 おかしいほど笑った。定番ルックが、夏黄八を優しく抱き寄せた。

「夫婦のような友だち、しんどくない?」

「しんどい。でも一線引く。それが私の努め」

「なんと言っていいか」

「気にしないで。束の間でも夢が叶ったんだから。で問題はこの夢。約束違反はやっぱり重いもの」

「俺もね。だから隠さず話す。YOYOのために」

「やっぱり英二さんね、気が楽になった」

 日本髪の玉かんざしに触れた。そこはかとない椿油の香りに、しみじみ語った。

「たかがひと月、されどひと月。俺は人生を学んだよ。ありがとう、美咲」

「私も学んだ。女の、真の幸せを。ありがとう、英二さん」

  

  42 船出

 

 201X年6月14日土曜日

 YOYOが戻って来た。フロントに花が咲いた。外人なんて恐くない。などなど、館内はもうハチの巣を突っついたような騒ぎ。これにはオーナーもご満悦で、チーフスタッフ法子がかく冷やかした。

「ボスのお顔、でれ〜っとした観音様みたいです」

「認める。私は今、だらしない観音様」

 この日をどれほど待ち望んだか。おどけた顔、声に、美咲の喜びが溢れていた。 

「法子さん。みなさんに挨拶する」

「じゃ、チェックアウト後に。ああどうしょう、私まで浮かれてる」

 ママは口にしたかった。淡海荘の新たな歴史が始まると。またこの日を記念日にしたいとも。

 満室の客がおおむね片付いたところで、総務の千恵子が、ボス、新人と、フロントの隣室へ招いた。そして、パソコンのあの日の写真を差し、興奮を抑え言った。

「ホームページ、ご覧になりましたか?」

「リニューアル後、一度見ただけ」

「アクセス数がうなぎ上り、もうびっくりしてます。それに加え、問い合わせの電話もひっきりなし。YOYO効果、想像以上ですね。ボス、フェースブックも変えしょうよ」

「いいわね。千恵子、WEB会社へ連絡して」

「はい。それと、淡路出身の小谷一馬さん、ご存知ですか?」

「有名人だもの、知ってるわよ」

「その小谷さん。サイトいいねえから始まって、モデルが知りたい。教えてよ。で社員とだけ応えると、社員?困ったなあ。まっダメ元で行くか。本庄さんの声が聴きたい、です」

「ゲームソフト界の雄が私の名を?」と首をひねり、オーナー室から電話した。

 内線で娘を呼んだ。嬉しさを隠した顔が、おもむろにその訳を切り出した。

「話は新製品のCM出演依頼。もちろん娘に。どうする?」

「わたしは社員。それも新人。断って」

「そうよね・・・」と、語尾に含みを残し、間を置き続けた。

「結論。引き受けた。理由は、経験から得られものに期待したから」

「みんなはどう思うかな?」

「いずれ報告する。さて反応は?うふふ・・・気乗りしない?」

「ママが決めたんだもん、従う!」

「よかった。急いでいるみたいで、今日いらっしゃるわ。オーディションね」

「緊張するな〜」 

「あなたが?はっはっは!」

 天にも届きそうな笑い声に、娘は、明日がグングン広がっていくような気がした。挨拶は笑顔と拍手で時の人を感激させた。そしてもう一つの感激は。昼過ぎ、東工務店が展示ケースを運んで来た。この店の社長は、清流亭の女将の兄で半世紀にも及ぶ付き合いが、今日まで至っている。

「知り合いの美術品コレクターが任せろです。額はベルギー、内寸はピッタリです。写真の額はドイツ、スケッチブックはイタリア、イーゼルはフランスと、ヨーロッパ連合軍ですわ」

 時間、難問と、無茶な要求に応えたのも、おい、おまえの仲がなせる技か。

「ほっほっほ!やっぱり東社長ね。ご苦労さま」

「照明はおっつけ業者が来ます。そうそう、祐子が悔しがってましたよ」

「電話じゃ、清流亭も負けないから、なんて強がってたけど、今度見に行くは、敵前視察ね」

「いやいや、そちらの美人に会いたいのですよ」

 しんみりしたところで、法子が駆け込んで来た。

「ごめんね。休憩時間なのに」

「いえ、慣れてますから」と笑わせ、アートスペースをひねり出した。

「かってのお土産品コーナーがベストかと。現在はロビーのエアポケットですから」

 マホガニー製の家具調ケースは相当重い。しかしこの手の作業は、社員たちも慣れており、所定の位置に収まった。次いで額装、東社長自らがYOYOとミーの写真三点、癒しの木、命がけのお宝、昨日の絵から二点と並べ、終えると、今日二度目の拍手で祝った。

「もうワンダフルのひと言!お客様の反応が楽しみです」

「こうなると欲が出るのよねえ。東社長、あと二つは無理かしら」

 苦笑いが、ケース三つに首を振れば、L字型で妥協。

「我が娘。バンバン描いてちょうだい。それとネーミングよね」

「ママ。淡海荘ミニギャラリーでは?」と、提案。

 文句なく決定。詰めはスケッチブックに、ママがコメント、作家名と書き記し、イーゼルに乗せた。YOYOの記念すべき日であり、思いも寄らぬことが起きたのもこの日だった。


  43 才能計り知れず 

 

 201X年6月13日金曜日

 淡海荘のスタッフは、全員道路向かいのマンション風寮生活。責任者は当然法子。若い子の悩みを聴き、相談に乗る姿は、ホテルは法子でもってると、美咲にいわしめたほどだ。その大黒柱が、仲間を引き連れ、横断歩道を渡っていると、わナンバー《レンタカー》が止まった。窓が開き、黒いパンツスーツの列へ、女が声を掛けた。

「このホテルの方ですか?」

 アクセントに訛があった。セカンドチーフ純子が、エキゾチックな日本人顔に興味を覚え、それを表には出さず、応えた。

「ええっ、そうですけど。なにか?」

「ホームページ見ました。それで表紙の女性のことが知りたくて」

 法子と顔を見合わせ代わった。

「当ホテルの社員ですが」

「よかった・・・今日泊まれますか?」

「申し訳ありません」

「満室なんだ。キャンセルが出ることは?」

「土曜日は難しいかと」

「仕方ないわね。ありがとう」

 がっかりしたのか、肩を落し、走り去った。さっそく報告した。

「もしかしたら・・・法子さん、どんな人ですか?」

「法子と呼んで」

「新人ですから」

「あなたは別。ええ〜と、発音からして、中国人かな?三十前後。口元にホクロ。そんで、声はハスキー」

「リン・シーハン!」

「どこかで・・・あっ!英二さん宛の手紙よ。差出人がその人」

「なにもかも先輩のおかげ。会いたい、会って礼が言いたい」

 事情を知らない法子。けれど察した。滲んだ瞳で。 

「ママもお礼がしたい。スマホは?」

「電話してみる」

 通じなかった。

「大丈夫。必ず寄ってくれるから」

「シーハンがわざわざ淡路まで来てくれた。ママ、待ち遠しい」

 しんみりも、ツアー客、一般客が押し寄せると、それどころではなくなり、関西巡業中のアルゼンチンダンサーご一行で、美咲が両手を上げた。

「ラテン語も話せたら、もう太陽ね」

「その太陽も、うふふ、あとイタリア語で終わりよ。頼りないけど」

 バトンタッチ、賑やかなお色気集団に閉口しながらもなんとか裁いた。そして次に、新客たちを見て、YOYOの勘が働いた。夏黄八がカウンターを出た。メンズファッション誌から、抜け出たような四人。その内の一人に、

「小谷社長様。淡海荘へようこそ」と、商売とは無縁の、笑みを浮かべ挨拶した。

「サイトと同じ女性が目の前に。しかも想像以上。あっ失敬。ええ〜と、社長顔、してますか?」

「お顔よりも雰囲気が」

「雰囲気?いやあ、嬉しいな〜」

 面識の無い者をなごませる。これもYOYOの才能の一つであった。

「坂東君、サイン頼むよ。なんて言うか、突然の申し出、驚かれたでしょうね」

「YOYOです。それはもう」

 中国人だと知り、小谷のボルテージは、更に上がった。そして、衣服に似合わぬ真面目社員が、サインを済ませば、浮かれ気味の美咲も、面白い輪に加わった。

「小谷様、ご活躍は島にも届いていますよ」

「たいしたことないです。本庄さんを思えば」

「お電話ではお聞きしなかったけど、どうして私の名を?」

「数学、国語、英語、いつも百点満点。淡海荘の娘は我が校の誇りだ、そう親爺から聞かされてましたからね。僕が高校時代の話ですが」 

「じゃ小谷様のお父様は・・・」

「あなたが高三のときの担任」

「小谷、小谷、ごめんなさい、古い話なので・・・あっ、思い出した。小谷先生!懐かしいわ〜」 

「その親爺も六十八で人生を終えました。去年夏のことです」

「まあ!お若いのに」

「ある朝突然です。あなたは特別印象に残ったんでしょうね。本庄は、将来、旅館の器で収まらんと、何度か僕に語りました。先見の明があった、と言うことですね」

 活気に満ちた瀟洒なロビー。それを見渡す眼差しに尊敬の念があった。

 ほろりとした話がひと息つくと、娘が7Fへ案内。しかし、親友がいつ来るか分からず、途中でママと交替。おしゃべりが弾む中、奥の人だかりへ目がいった。自信が指差した。

「あそこにお客さまが集まってるでしょ。行ってみませんか?」

「何かありますの?」

「YOYOの写真と絵が」

「絵もお描きになる。ス−パーレディーですね」

 思わず口にした大袈裟なたとえ。しかし大袈裟が当たっていることを、近い将来、小谷はいやと言うほど味わうのだが・・・。

 作品、とりわけミーの写真は、家族連れに大人気。その合間を縫っての鑑賞になった。それぞれが熱心なことは、目、姿勢で分かった。とりわけクリエティブディレクター、坂東は際立っていた。写真と絵を見比べ、熱い口調が自己へ語った。

「これほど謎に満ちた女性を僕は知らない。モデルにしても、画家にしてもだ」

 ゲームプランナー、畑中が続いた。

「作品に共通してるのはアグレッシブ《攻撃的》、だが、どこかジェントル《優しい》。稀に見る人材だ」

 更にキャラクターデザイナー、野崎が。

「美が万人に想像力をもたらす。こんな人が今までいただろうか」

 秘めたる才能を見い出したプロたち。小谷が自信を深め言った。

「YOYOさんと話がしたい。勿論本庄さんもです」

 全ての業務が終了する八時で、ロビーで、話はまとまった。

  

  44 さよなら先輩

 

 201X年6月14日土曜日

 宿泊者リストの空白欄が、残り二つになった。ため息が洩れ、エントランスに目がいった。和風ガラス戸に女が写った。緊張が走り視線が一点に注がれた。

「シーハン・・・来てくれた」

 一方、女はフロアに入った。まっすぐフロントへ向う中、和装の女に小首をかしげた。が、直ぐに気付いた。

「YOYO!」と声を張り上げ、立ち止った。

 友が裾の乱れも気にせず駆け寄った。

「先輩。よくここまで・・・」と、語尾は涙、涙。

 抱き合い、何度も頷けば、フロント連は以外なドラマを見守った。

 やがて、野点傘に緋毛氈赤い敷物を敷いた床几横長の腰掛け台に並び座った。そして見つめ合い、落ち着くと、シーハンが、妹を想うように語り掛けた。

「しんどうさんに手紙送った。YOYOの手紙といっしょにね。内容は無事解決したこと、そして偽パスポートの件。彼はいい人だった。直ぐに経費を振り込んでくれたもの。その後だった。急に後輩と会いたくなったのは」

「英二が・・・なぜ家へ来なかったの?」

「そのつもりが、はっはっは。住所は?あれ?メモしてない。で、覚えてるのは兵庫県淡路市まで」

「そうか〜、ケイタイは?」

「北京空港で盗まれた」

「じゃどうやってここへ?」

「今夜泊まるホテルをネットで検索した。五つ星ホテルから入った」

「うふふ、お金持ち」

「ムリしてるだけ。ホテル淡海荘で目が止まった。着物美人とネコ。素晴らしい写真だった。でも、そのうち驚きに変った。横顔に近いけど謎めいた微笑に見覚えがあったから。YOYOだわ、まちがいない。それがドラマチックな出会いにつながった、ってわけ」

「リニューアルしてよかった」

「じゃ前のままだと、会えなかった・・・運がいい。モデルでなかったことも」

 ホームページがもたらした幸運。それがここにもあった。

「改めて礼を言わなれば、先輩、いろいろとありがとう」

 深々と頭を下げれば、美咲がやって来た。東京組を案内し、戻ったところだった。

「いらっしゃって下さったんだ」

「はい。ママ、紹介する。こちらがお世話になったリン・シーハン」

「私は当ホテルオーナー、本庄です。お待ちしてましたよ」

「YOYOがママと言いましたよね」

「私の娘だと思ってますから。お飲物は?」

「そうですね、お茶を」

 床几の横にあるドリンクスタンドから、煎茶を入れ二人に渡した。合わせたようにリュックを背負った男女が入館、フロントへ。

「先輩、ごめんね。満室になった」

「気にしない。大阪で探すから」

「私の部屋では?」

 否定の表情が、黄昏のプロムナードで変った。

「YOYO、歩こうか。仕事は?」

「ママ、いいかな?」 

「話が弾むわね。行きなさい」

 チャイナ女二人が、別れを惜しむようにのんびり歩いた。

「場所は否定するけど、やっぱりタバコが」

 笑みで火を点け、ジャケットからケイタイ灰皿を取り出した。最初のいっぷくが、青い煙となって夕空に消えると、おもむろに口を開いた。

「明日、イタリアへ行く。結婚するため」

「ええ〜っ!おめでとう!新聞社は?」

「やめた。赤が、自由に憧れたから。共産党よ、さようなら、ね」

「なんだかうれしくなってきた」

 吸い止しを吹かすと、西の山の彼方を見て、先輩が祖国を嘲笑った。

「そのうち世界は中国人がのさばる。十四億もいたらさ。恐い話さ。とかなんとか言って、あんたはどうなのよ、はっはっは。でもねえ、コップの中の雑魚とは違うと、自負してるの。プロポーズに、イエスと応え、嫁に行くんだもの」

「わかる、うん、わかる。よければ、彼のこと聞かせて」

「サッカープレーヤー」

「すご〜い!」

「一流だったらね。まあ、先物買いかな」

「じゃ生活は?」

 決意か。タバコを灰皿にねじ込んだ。

「わたしが」

「・・・きっかけは?」

「ツイッター。サッカーの話題で盛り上がり、彼が連日のラブコール」

 多民族国家の一例か。彫りの深い顔立ちは、魔力のようなものがあった。

「もしもよ、がんばっても一流になれなかったら?」

「いつ決断するかよね。そうね、彼に任せる」

「えらいなあ」

「こんな女、中国では珍しいだろうね」

「少ないと思う。って言うか、いない」

「日本の女のように、男に尽くしたい。ただそれだけ」 

 果たして日本の女はだが。いずれにしろ、シーハンのひと言ひと言が、胸に突き刺さった。更に意外なことも口にした。

「うふふ、会ったこともないのにさ」

 後輩もそうだった。思い切って打ち明けた。夫の年令も正直に。

「似た者同士、かな。でも年は逆。私は三十、彼は二十。あなたは二十五、彼は・・・はっはっは。素敵なホテルに、素敵なママ。着物も似合ってる。彼もいい人だろうな。YOYO、未来を夢見て、がんばろうね」

「はい。また日本へ来て下さい」  

「夫がメッシやネイマール《共に超一流》みたいになったら」

 雲を掴むような希望。けれど女として、夢を持てる人生だと、秘かに思った。

「子どもが男の子だったら、やっぱりサッカー選手にしますか?」

「する。女の子でも」

 笑い合い、似たもの同士がきつく抱き合った。そして別れ。百万の小切手で日本人を知ったシーハン。真心に熱いものをこぼし、遠い夢へと旅立った。 

  

  45 ライバル

 

 201X年6月14日土曜日

 同じ頃、源ちゃん寿司では、英二と連れが、腹の探り合いをしていた。

「田之上がわざわざ大阪から出て来た。何か企んでるな」

「企んでる?広告屋の営業だよ、当然さ。はっはっは!」

「なるほど。で俺に何をしろと」

「先日、淡海荘から駅張りポスター、車内ずりの依頼があった」

 ここは知らん振り。

「それで」

「写真はお前らしいな」

 ぞんざいな物言いは、親友の表れであり、年下でも気になら無かった。

「まあね」

「現役に戻ったらどうだ」

「褒めてるのか?」

「ああっ、腕は錆び付いとらん」

「そうか〜、読めたぞ。モデルに興味が湧いたんだ。別の仕事でさ」

「察しがいいのは、相変わらずだな。じゃ腹の内を明かそう。打ち合わせでサイト、原稿と見た。衝撃が走った。ドラマ性のある美女にだ。と同時に、現在進行中のCMキャラクターがオーバーラップした。さっそくゲームソフト大手、サンライズに、彼女の写真を送り打診した」

「乗ったの?」

「勿論。そこで本庄オーナーに訳を話した。結果は、モデルは日本にいないでがっかり、詳しいことはで、あっと驚く為五郎。意外な男の名が出てさ。要するに、新堂、おまえに聞いてくれと」

「俺に?わっはっは。すまん、まっ親代わりだからな」

 ビジネス戦争に明け暮れる男が、眼鏡の奥を光らせた。

「もっかの気掛かり。帰って来るのか?」

「帰って来た。昨日ね」

「うそ!ほんと?」

「ウソとボウズの髪は」

「ゆったことがない。よしっ、話しを進めよう。ゲームは?」

「ぜんぜん」

「だよな。サンライズが八月に新製品を出す。夏休みを見越してのことだが、かってない力の入れようは、テレビ、ネットにCMを流す他、あらゆる紙媒体を利用することから、まっ想像してくれ」

「内容は?」

 フミが、空のグラスにノンアルコールビールを注ぎ、奥へ引っ込んだ。

「時代劇。主人公は女忍者。話は単純。広大な城に潜り込んで天守閣にある巻物を奪う。このゲームが斬新なのは、知恵を必要とするから。まっ、女のインディージョーンズ版だな」

「面白そうだ、俺も買うか」と合わせれば、失笑が、一転マジ顔になった。

「話は横道にそれるが、社の有志を募って、毎年淡海荘で新年を祝う。世話になってるし、義理もあってさ。費用は会社と折半」

「田之上の小遣いじゃ、ちと敷居が高い」

「しかし、嫁さんに嫌み言われても価値がある。のんびり出来て、運動不足解消」

「確かに」

「話を戻す。この企画はYOYOさんあってこそ。どうだろ、親代わりとして?」

「うん、協力はする。するが彼女は淡海荘の従業員だ。それもほやほやの新人。先ずオーナーと相談、それからさ」

「もう一つ。情報が入った。時同じく、ライバルのプラネット社が新製品を出す。噂では自信作らしい。これがもしCMで先を越されたら、パンチは半減する。よってこっちは急がなあかん」

「すると撮影は?」

「来月一日」

「OK。それじゃ美咲、いやオーナーに電話する」

 五分と要さず、二台の車が、ハイウェイ、淡海荘へと走り去った。

 予期せぬ展開に、美咲は戸惑っていた。

「ゲームソフト会社の広告依頼先、アドワークスが、まるで計ったようにここへやって来る。新製品CMのモデルになってくれと。役は忍者。どうする?」

「忍者?興味あるけど、どちらかよね」

「神様の悪戯か。代理店にはCMをお願いしてるし、ホテルも利用して下さるお客様。そのうえ英二さんは、仕事でお世話になっていた。普通に考えればアドワークスさん。でも、でもねえ」

「小谷さんに気を配ってる。わたしも同じ。ママ、まず彼の話を聞きましょ」

 その小谷が、クリエティブディレクター坂東を引き連れ、ゴンドラから出て来た。母娘が喫茶コーナー前のソファーへ招き、コーヒーを並べると、社長が隣りを紹介、切っ掛けから入った。

「せっかくの大阪、実家へ寄ろうが幸運の始まり。社員同行なので宿は淡海荘と決め、サイトを見た。おおっ!です。皆も同様で、CMは実写に変更、女神役のヒロインに会おう。とまあ、こんなわけで」

「小谷さん。率直に言います。ライバルが現れました」

「ライバル?つまり同業者ですか?」

 驚くも冷静だった。

「ええっ。問題あるでしょ」

「そうですね。よろしければ具体的に」

 苦しい胸の内を包み隠さず話した。終った。形勢不利は明らか。企業トップがそれを表に出さず、ジョークにした。

「しかしこんなことがあるんですねえ。実写CMも珍しいのに、なんと、ヒロインも同じ。うう〜ん、まっゲーム会社同士、あってもおかしくはないですが」

 ママと娘、笑えないが、結局笑ってしまった。硬さが取れ、だんまりが続いた。

「女神対忍者。分が悪いですね。あのネコの写真を見てたら」

「坂東、弱気は禁物。僕等の商売はね」

「済みません。思い入れが強過ぎました」

「なぜYOYOさんなのか。野崎が言っただろ、美が万人に想像力もたらすと。これなんだよ、僕たちが求めているのは」

 奥床しさを身に付けた女が、もの静かに言った。

「わたしはどちらも大切にしたい。だから話し合って下さい。幸わい女神と忍者、同じ女だと気付く人はいないと思う。それに背景もアクションもぜんぜん違うし」

「おっしゃる通り。分かりました、談判します」

「それじゃ物語を聞かせて下さい」

「話は大航海時代。十六世紀ですね。オランダ貿易商の船が、帰国中嵐に合い座礁、沈没。娘テレーザだけが生き残り、王が支配する島に漂着。王は運の強さから神の使徒として崇め、敬った。ある日、島民の守護神を祀る地底に異変が起こった。王が言った。参拝に行った者が帰って来ん、助けに行った者も戻って来ん。神の使徒よ、何か知恵を。テレーザは黄金のティアラを授かり、神の啓示を聴くと、気の力を会得。女神となって地底へ行く。ここからがゲームで、CMはそれまでのイメージ。ご承諾下さればもう一度こちらへ。打ち合わせと、衣装合わせも兼ねて。ロケ地はハワイカウアイ島、日程は七月五日から一週間。なるべく早く帰ります。本庄さん、YOYOさん、いかがでしょうか?」

 誰も気付かなかった。YOYOのつぶやきを。

「神の使徒・・・思い出した。ルナさんのメールよ。わたしが月の女神の使徒になる。偶然だけど、偶然とは思えない。なにかあるのよ、なにかが・・・」

 ママの声でつぶやきは途切れた。

「ハワイ、行くわよね」

「行きたい。そのためには、とにかく話し合ってください」

「ええっ、腹を割って」

 坂東が口を挟んだ。

「発売日がどうかですね」

「先を越されたくないのはこちらも同じ。うう〜ん、困ったな」

 考えるまでもなく、天才の知恵が光った。

「違うパンチが同じ日に、では」

「同時発売。なるほど」

「さすが娘ね、グッドアイデアよ」

「相乗効果も見込めるな」

「説得の決め手にもなります」

「うむっ。あと出演料だな。二百万、少ないですか?」

「ボランティアで」

「えっ?つまり、ノーギャラ・・・」

 場の空白。それを海千山千のホテル経営者が破った。厳しい声で。

「職場の花が一週間休む。目立つお仕事ゆえ従業員へ話す。さて何て思うかしら?」

「アルバイトと同じですからね。不満、不協和音・・・」 

「ママ、寄付する。日本の恵まれない子どもたちに」 

 美咲の表情が優しくなり、娘の手を取った。一方小谷は、同じ経営者として、組織のトップとして、不明を恥じていた。

「承知しました。然るべき慈善団体に全額寄付します。YOYOさんのお名前で」

「はずかしいな」と少し頬を染め、拍手にて会議を締めた。 

 プラネット社と広告代理店アドワークスの談合は、白熱した議論が交わされ、最終的に目論み通り決着。サンライズ本社の承諾を待つことで終った。これは英二の助言も寄与しており、嫁の感謝のキスに、ご機嫌でボロ家へ引き返した。

  

  46 ミー来たる

  

 201X年6月15日日曜日

 待ちに待ったみどりちゃんからの電話。

「おじさん、おはよう!ミーはわかってるみたい。そわそわしてるから。パパとかわるね」

 待ち合わせ時間、場所と決めて、淡海荘へ向った。

 天気は曇り。山並みは白く霞み、風も生温い。梅雨が近いことを目と肌で感じ、スピードを上げた。ボロ家、ホテル間三十四分の記録に気を良くし、ホテル駐車場へ。そして午前の業務を終えたスタッフたちが、手を振り寮へ向う中、仕事着の母娘が投げキッスで迎えた。照れ笑いが外へ出た。

「賢いミーちゃん、落ち着かないだろうな」

「うん、そうらしい。まっ、ウルのつくトラネコだもんね。わっはっは!乗って」

「英二さん、私は?」

「週五日、保護者になる人だよ」

「保護者?自信ないなあ」とペット初心者が、弱音を吐き、娘に続き並び座った。「まあまあ、案ずるよりなんとかさ」

 ボロ家へと引き返した。ネコ談義で盛り上がり、ひと息つけば、昨夜の話へ。

「二百万、寄付、ますます人気者になるな。YOYO、タレントに魅力は?」

「有名になるチャンスよね。でもわたしの生き方とは違う。だから心配しないで」

「もうこの子ったら」

 美咲が胸を震わせれば、英二は嫁の懐の深さを、今更のように知った。 

 みどりちゃんの父親が告げた黒のヴォルボが、時間通り、交差点手前で止まった。許可済の駐車場へ案内すると、後部座席のドアが開き、ミーを抱いたみどりちゃんが飛び降りた。 

「こんにちはおねえちゃん。ミーを見て。うれしそうでしょ」

 ニヤ〜、ニヤ〜と二度鳴き、YOYOへ飛び移った。

「かわいい!なにもかも」

「ネコの天使ね」と、美咲もニコニコ。

 そして英二は、あの日の芸達者を思い出しながら、バックドアを閉めた。父親と目が合った。頭を下げ、名前と礼を言った。真面目顔がこれに返した。

「新堂です。田代さん、職業、当てましょうか」

「ズバリだと得意を進呈します。あれ、ヒントになったかな。はっはっは、どうぞ」

「音楽家。正確にはチェリスト」

「ええっ!驚いたなあ。千里眼ですね、新堂さんは」

「じゃ千里眼の種明かし。バックスペース」

「チェロのケースですか、はっはっは!良かった普通の人で」

「そう。極めて凡人だよ。プロ?」

「いちおう」

「儲かる?」

「山谷が多いから、まっ想像して下さい」

「写真家も似たようなもの。想像しなくても。ええ〜と、奥さんは?」

 田代の表情が曇った。

「後で詳しく話しますが、入院した息子に付き添ってます」

「そう・・・」

 前を行く三人が振り返り、ボロ屋へ入った。それを見た田代から、暗い表情が消え、笑いをこらえ言った。

「ネコが喜びそうなお家ですね」

「よろしい。正直で」

「すみません。ちょっとビックリしたもんですから」

「初めての人はみんな同じ。で中を見てまた笑う」

 しかし田代は、例外の二人目になった。

 賑やかな白い部屋が、しばらくして落ち着くと、話題がみどりちゃんのママへ移った。合わせて、英二が焼きそばを作り出した。話はホットプレートに具材を炒めながら聞いた。

「今月の初め、長男の良太が、夜中に急に腹痛を訴えましてね。救急車で病院へ搬送、診断の結果、オペが必要。しかしデリケートなオペは専門医が良いと言うことから、神戸の有名病院へ入院したんです。今はまだ薬と検査で様子見。本人は元気ですが、妻が付き添ってます。ですから、今日行けないこと、本当に残念がってました」

「ご心配ですね」とYOYOが、顔を曇らせた。

「中二の良太はバスケット部。体は丈夫ですから安心はしてますが」

 こんな暗い場はやはりこの男。麺をほぐしながら、得意の話芸を披露した。

「ガキ大将の俺が、内臓はなぜか弱かった。医者いわく腸に問題がある。粗末な医療設備、何を根拠にだが、当時は天の声。手術を問われ、母ちゃんが言った。ウチは貧乏、放っといて下さい。質屋だろ。おだまり!情けない俺、怒って言い返した。死んでもいいのか。すると母ちゃん、俺に顔をくっつけ、憎たらしい顔して、ふん、またつくるさ」

 オチが分からぬみどりちゃんは演技派のボケで、大人たちは一人漫才を、腹を抱え笑った。沈んだ空気がいっぺんで吹飛べば、母親のフオローも忘れなかった。

「むやみに体は切らない。出来るだけ生まれたままで。親の願いさ。嬉しかったねえ。良太君には最低限のオペで済むことを願ってるよ」

 一同頷けば、食欲に方向転換。蒸したソバを具材に乗せ、ソースをかけ、かき混ぜると、ホットプレートは見る間に片付いた。その後嫁が茶を揃えると、パパが口を開いた。

「一昨年、母が急逝。元気だった父も、次第に老いていき、最近は認知症の気配が。年は七十三と、まだ若いので施設に預けるのは忍びなく、姉、弟と話し合いました。その結果、ぼくが面倒みることで決まったんですが、父は淡路へ行くなら、宝塚に残る、です」

「それで引っ越しを。田代さんは本当にお優しい、立派ですわ」

 美咲が感心すれば、照れたパパが話しを続けた。

「当初はミーも連れていくつもりが、ご存知のように、海が好きな変ったネコ。まっ、母親の実家が漁師なら、なるほどとは思いますが。はっはっは。とにかくクレバーですから困った、どうしょうが、あなたたちのお陰で安心して宝塚へ。ありがとうございます。それと淡路の家は、風景が自慢で、よろしければご利用のほどを」

 里親側に異論はなく、コピーした地図とカギを受け取った。そして気が付けば、ミーは美咲の膝でお眠。当然保護者の嬉しさは格別で、

「田代さま、今の私にはバッハの曲が」と、催促。

 世話になったチェリスト。車からチェロを持ち出し、『アリア』をしみじみ聴かせた。なかなかの腕前であり、それではと、英二が場の雰囲気に乗った。

「またとない機会。YOYO、試してみる?」

「楽譜があれば」

 日々練習してのオペラ。首をひねりながらも見掛けに期待して、再度車へ。そして練習量が伝わる本から有名な二曲を選んだ。最初はわりと歌いやすく短い、ヘンデルの『オンブラ・マイ・フ』を。

 楽譜を二度追い、大きく息を吸い、チェロの伴奏に乗った。

『♫Ombra mai fu di vegetabile,cara ed emabile,soave piu』 

 若干の怪しい部分もあった。しかしそれは些細なことで、田代の評価が、ソプラノの才能を言い表していた。

「いきなりで伸びのある声。いや〜驚きました。レベルはかなりのものですよ」

「おねえちゃん、とってもじょうずよ。感動した」

「みどりちゃん、ありがとう。ママは?」

「もう、胸がいっぱい。やはり天才ね。で思いついた。田代さん、ソロですか?」

「いえ、普段はトリオで。ピアノ、クラリネット、そして僕のチェロ」

「お高い?」

「日当稼ぎ、安いですよ」

「ほっほっほ。ではいかがでしょう、ロビーでミニコンサートは?」

「本当ですか?いやあ、嬉しいな〜」

「月二回、土曜日になるけど」

「かまいません」

「ついでに私のお願い。その折りは娘もよろしく。ほっほっほ」

「いやあこちらこそ。前後半三十分、後半がいいですね。美女の声に、お客さんは酔いますよ」

 勝手に進んでしまった。喜んだ英二、不安も口にした。

「あのさあ、絵はどうなるの?」

「わたしのもう一つの夢になった。両方がんばる、英二、心配しないで」

 二曲目、プッチーニの『わたしのお父さん』は、難しいので練習することに。

「おばちゃん、みどりも行っていい?」

「うふふ、ミーも待ってるわよ」 

 オペラ楽譜集を置土産に、親子が帰った。そしてミーは、もう一つの別荘へと。

  

  47 遺品

 

 201X年6月17日火曜日

 にわかランナーが、海辺で屈伸運動、往復五キロの仕上げをしていた。終ると、雲間から射す朝陽に目を閉じ、深呼吸五度で目を開け、腰を下ろした。そして、無限の可能性を秘めた女が、心境の変化にあることを、打ち寄せる波に語った。

「俺は捨て駒でいい。天才が天才であるために。六十二才。体を鍛えねば。今はただそれのみ」

 純粋な愛だと、沖で砕け散った波が、浜から去る者を鼓舞した。

 心境の変化は嫁も同じだった。大人を意識したワンピースにエプロンが、真剣に朝ご飯を作っていたら。

「勉強したの?」

「うん。料理長が先生。と言っても、おだしの取り方だけ」

「料理長?舞阪さんから。ふ〜ん」

「熱心だったので冷やかされた。フロントけって、厨房に来るか」

「YOYO。関心は音楽まで。分かった?」

 よほど嬉しかったか、潤んだ目を拭い、こっくり頷いた。

「こいもとイカの煮付け、味見して」

 ひと口、食通が大満足。加えて、手際の良さは言うまでもなく、ネギを散らしたダシ巻き、めざし、大根をすり下ろした納豆、ワカメのみそ汁、キュウリの漬け物と並び、いただきま〜す。ミーもテーブルの端で、ニャア〜。数日で大人を身につけた嫁、そしてネコのいる朝餉あさげ。朝食は、ことのほか幸せだった。

 昼過ぎ、シックなシャツ、パンツにベレー帽で決めたYOYOが、夫と腕を組み、駐車場へ。そして天気予報は気にせず、薄い青空を見て、

「どこへ行きたい?」と、しもべに変身。

「おじいさんに会いたいから、OK牧場」

「オッケー。ん?シャレにならんか、わっはっは!それから?」

「ヒマワリはまだ早いから、やっぱり不思議な大学ね、あと瀬戸内海の夕陽も」

「OK、OK。じゃ出発だ。ん?ミーは?」

「指定席。ママの部屋でもそう。一日中テラス。ほんとうに海が好きなのよねえ」

「ペットの国宝にしてもらうか」

「資格は十分だけど、マスコミが騒ぐでしょ。なんかかわいそうな気がする」

 マスコミが騒ぐで、茜ちゃんが思い出された。 

『女神の使徒になって悲劇を終らせる』と、心に誓った。

「おじいさん、どうしてるかな?」

「変らんだろ」

 変っていた。OK牧場の看板、丸太がそれを教えた。

「英二見て。張り紙が」

 ビニールで包んだ段ボールの切れ端に、マジックで何か書いてあった。

「いやな予感がする」

 二人が同時に車から降り、声を合わせ、へたくそな文字を読んだ。

「新堂さん、ヨーヨーさん、左記へお電話下さい」

 英二が電話した。三度目で通じた。

『新堂ですけど、張り紙を見たものですから』

『おおっ!新堂さんか。よかった、よかった。わしは加藤の息子や。あんたに渡したいものがあってな』

『と言うと、もしかして』

『うん。あっちへいきよった。先月、二十六日じゃったかな』

『亡くなられた・・・』

『ちょっと待ってや。直ぐそっちへ行くから』

 家は近くか。五分とせず軽トラがやって来た。

「立ち話もなんやから、丸太小屋でな」

 庭先で車を止めた。周囲へ目をやった。牛の姿は無く、雑草に混じって咲く、ハルシャギク《キク科の一年草》に侘しさがあった。

 突然入口が開いた。中年男が現われ、階段を降りて来た。そして息子の耳元で何事か言い、訪問者をジロリと見て、四駆に乗った。うるさいエンジン音が遠ざかり、物寂しさが一段と胸に迫った。

「まあ入って」

 おじいさんと談笑したテーブル、椅子。ほこりが目につき、あるじがこの世を去ったことを暗示していた。息子がきれいに拭き、客が座った。

「渡したいのは絵や」

 奥から額縁を重ね持って来た。テーブルに載せ、立ったまま言った。

「大往生やった。思い残しが無い。ただあるとすればこれ。まっ遺言やな。この絵を描いた人に返してくれと」

 英二が床に、一点一点、丁寧に並べた。ミニチュア・オーストラリアン・シェパードの、オッケーの、クロッキーが無かった。朴訥が気付き、おもむろに説明した。

「白黒の犬の絵やな。まだ元気やった、死ぬ三日前のことじゃ。用事で来たわしに、頼まれてくれるか、そう言うて、壁の絵を外し押しつけよった。訳を尋ねえた。もう直きわしは死ぬ。幸恵が、あの世のお袋の名前やが、呼んどる、このところ毎日な。その絵は冥土のみやげにする。オッケーをかわいがっていた幸恵の。死んだらいっしょに焼いてくれ。それから他の絵は、きれいなお姉ちゃんに返したい。丸太に張り紙でもすれば、目に止まるやもしれん。頼んだぞ、と」

 望みの叶った亡き人は、二人にとって、嬉しくもあり、悲しくもあった。

「さっきの男は不動産屋じゃ。牛は処分した。今月中には牧場は跡形も無くなるが、幸わいにも、こうやって絵を返すことが出来た。おやじも喜んどるやろ」

「お墓は?」

「畑の近くにある。お袋といっしょだが、参ってくれるのか?」

「はい。わずかな時間でしたけど、想い出が多くて」

「ええ〜と、オッケーは?」

「わしが預かっとる」

「元気ですか?」

「いや、明日にでも死にそうや」

「まあ!かわいそう・・・」

「犬は飼い主があってこそ。やむをえん」

 おじいさんの木炭画を返そうとした。息子が押し留めた。重い口調だった。

「オッケーもあの世を望んでる。逝かせてあげたい。それにおやじのその絵は、誰が見ても素晴らしいと思うやろ。よって気遣いは無用」

 後にOKじいさんの木炭画は、壮大なドラマになるのだが、それはさておき、息子が墓へ案内し、線香に火を点けた。二人の訪問者が、OKじいさんと幸恵さんの墓標に手を合わせ、胸の内で同じことを唱えた。

「おじいさん。よかったねえ。心からそう思うよ」

  

  48 アメポン先生


 201X年6月17日火曜日

 青空が忍び寄る雲に覆われて来た。風も出て天気は下り坂。

「帰る?」

「なにか描きたい」

「そんな愛する妻に、俺は応えたい」

「英二・・・もうなんて言うか・・・」

 左腕を抱き、寄せた頬に、愛情の深さがあった。ここはムードに応えるべきと、車を路肩に寄せ止めた。甘い口づけ。その後スマホを取り、あるブログを検索、まだ夢見心地へ見せ説明した。

「淡路にある古い建物、で検索していたら、この人のブログがヒットした」

「アメポン?ブロガーのニックネームかな?」

「そう。現在、年は八十。そして昔、昔は、音楽の先生。美人だったんだろうね、アメポンは生徒がつけたとか。アメリカ人と日本人を足して二で割った顔、想像して」

「うふふ、ちょっと軽いけど、でもエッセンスは感じる」 

「昔の子どもの方が想像力がある」

「ほんとね」

「小学校だけど、今も一部残ってる。行く?」

「アメポンは?」

「毎月十七日、この古びた校舎を訪れるとか、今日は?」

「十七日。行く!」

 その学校は山裾の丘の上にあった。

「ノスタルジックな校舎。群れ咲くユリ。見下ろせば、古い民家がいっぱい。そしてまわりは林と山並み。もう最高!一枚描かせて」

 校舎の窓、壁、主役のユリ、白く霞む遠景を、モネのタッチで二枚ものにした。

「さて先生はと」

 探すまでもなく、オルガンの音色、響きで分かった。何もない広っぱのユリに彩られた校舎へのんびり歩いた。窓から中が見える所で足を止めた。花に気を配り、英二が窓を叩いた。だがそれらしき人には届かない。再度叩いた。気付いた。オルガンの音がやんだ。窓を開けた。

「なにか御用?」

「あなたのブログを見ました。それで会いたいなと思ってここへ」

「どちらから?」

「明石大橋の近く」

「どうしてわたくしに?」

 嫁を指差し答えた。

「彼女は画家です。あなたを描きたいと」

 警戒心が解けたか、笑みで応え、中へ通した。

「あの椅子、うふふ、懐かしいでしょ。お取りになって」

「あれに座るの?」

「ほっほっほ!まさか。荷物があるでしょ」

 頭をかいた英二。角から長椅子を運び嫁と座った。

 四方の壁で、かっては生徒たちに睨みをきかせていたであろう、古典音楽家たちの肖像画を見て挨拶。これに対し、顔立ち、衣服と、異国情緒漂う先生が、アメポンこと胡桃真紗子と名乗り、もの静かに語った。

「あのブログは二つ意味があります。ひとつはこの部屋が永久に保存されることを。

もうひとつは裏山に設置予定のソーラーパネルが、キャンセルになることを願って」

「それじゃ、もっとリアルに書けば」

「わたくしは、今はよそ者。地元の声とは違います」

「願いは叶いますか?二つとも」

「残念ながら」

「ひどいな」

「行政に美意識など無い。仕方ありませんね」

 しばし沈黙、空白。それを男の声が破った。

「先生!入りますよ」

 張りのある声。引き戸が開き、男が顔を覗かせた。しかし客がいるのに驚き、帰ろうとした。

「小西くん、アメポンが結婚した頃の話、聞きたくない?」

「いやあそれはもう」

 多少の老いを感じる者に君付け、即ち、かっての教え子だと、英二は思った。従順なる者が頭を下げ、先生の隣りに椅子を置き座った。自己紹介、当たっていた。

「しもうた。お茶や」

 ノッポのユリの列の隙間に、軽自動車が見えた。

「男と違って、女は絵になるかしら?」

「なりませんね。でも、人生にドラマのある人は例外です」

「YOYOさんは・・・」

「中国人の日本人」

 微笑に温かさがあった。

「ではそのドラマを語った後、あなたの望みをお描きになって」

「わたしの好奇心が、今とても騒いでいます」

 見事な銀髪をなぜ、老いてなお美しい人の、慎ましい笑い。

 教え子が湯のみ、紙コップに茶を入れ、先生、客と順に渡した。アメポンストーリーが始まった。

「もし、彼の父親が、船会社を経営してなければ。もし、彼が、父親の代理で神戸を訪れてなければ。もし、彼が、敬虔なプロテスタントでなければ、そしてもし、わたくしの隣りの席で、牧師の説教へ、真剣に耳を傾けてなければ、こんな話はすることは無かった・・・。教会で知り合って二年後、男らしいアメリカンと結婚した。彼が二十八、わたくしが二十七のとき」

 そこで茶を挟み、窓辺のユリを見て続けた。

「ベトナム戦争インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争の総称は悲惨だった。アメリカ国民にとっても、二人の息子を亡くしたウイリアムズ家にとっても。ある日、わたくしと一才にも満たない子の前で、夫が決意を口にした。戦場へ行くと、兄たちの仇を討つと、また祖国のために戦うと。義父母は怒り泣き、止めた。けれど、わたくしは止めなかった。あなたの勇気、祖国愛は、妻の誇りだと言って。志願兵が半ば家出するように地獄の戦場へ旅立った。そして八ヶ月後。星条旗を巻き付けた棺に、夫は眠り・・・帰った。忘れ形見が三才の誕生日を迎えたとき、義父母へ言った。日本へ帰ります。ひとりで。ジョージは家の跡継ぎ。そしてこれは、決意を止めなかった妻の、せめてもの罪滅ぼし。そう言って許しを乞い、息子の足元で泣き崩れ、ウイリアムズ家を去った。教員免許を持つわたくしが、田舎の学校へ赴いたのは、心静かなる日々と、あることを伝えるため。幸いにもその願いは叶った。音楽で子どもたちに癒され、音楽で平和の尊さを教えたから。やがて時が過ぎ、廃校。二度転任して退職。そして現在は祈りの毎日。イエスへ罪深き人間の許しを願って。ちなみに十七日は夫の月命日。わたくしが元気であれば、この学び舎がある間は、オルガンを弾き、主人の想い出に浸ります。うふふ、初めてよ。こんなカビの生えた話をするのは」

「カビだなど。先生、いい話しや。感動しました」

 OKじいさんと通じ合うところがあった。英二が話し聴かせた。

「人間は死ぬ。死んだら無。無だから思う。故に、人の幸せは、ある意味、天に召された後ね」

「するとあの世の俺は、まっ寂しくないか」

「そう。わたしもママもいる。でも絶対いや!死んだら、死んだら」

「約束する、長生きする。で、ジョージ君は今?」

「会社を継ぎ、五人の子に恵まれ、良き時代を享受してますわ」 

「アメポン先生。これ以上のニックネームはない。描かせて下さい」と、目はウルウルが立ち上がった。

「それじゃ歌ってる姿を。黒人霊歌がいいわね」

 長椅子が元に戻った。オルガンが窓際に寄せられた。手際良くしもべが段取り、画家が絵筆を取った。アーリーアメリカン《アメリカ西部開拓時代の様式》の、白い衣装をまとった老婦人が、表情豊かに歌い始めた。フォスターの名曲、『主人は冷たい土の中に』を。

「♫悲しき歌声野に流れ、美空に飛び行く鳥さえ哀れ、いたましや我があるじ、呼べどもむなしや ・・・」

 歌が天を悲しませたか、雨が降り始めた。群れ咲くユリが、神の意志を感じたか、風に揺れざわめいた。それらの情景を一枚の絵に込め、全身、上半身と描き上げた。トータル四十五分に、画家の想いが、執念があった。そしてモデルは、絵の中に満ち足りた自己を見て取った。

 生徒たちのおしゃべりが聞こえそうな椅子を、雑然と積み重ねた。アメポンが、ロングドレスを広げ、その前であぐらを組んだ。テッポウユリの束が、ドレスのエプロンを濡らすも、

「気にしないで」と声を掛け、画家を奮い立たせた。

「白いコスチュームに白いユリ。モノトーンにします。ユリを見つめて下さい。そしてご主人へ想いを寄せていただけますか。あとは指で花びらをなぞるとか」

「こんな感じ?」

「バッチリです。じゃあ始めます」

 時間が逆転し、止まった。素描開始。クロッキーの早技が、教え子を黙らせ、ルネサンス時代の古典画風に描き込んだ。そして背景、光と確かめ、別のシーンへと。

「お疲れになりましたか?」

「これくらいでへこたれるようじゃ、ほっほっほ、九十は無理ね」

「ありがとうございます、心強いです」

「いずれにしろ気遣いはご無用。そちらを向くのね」

 絵のモデルは重労働。分かっているだけにうれしく、頑張ろうと我を鞭打った。

「今度は窓を半分取り入れます。優しい絵が欲しいので水彩にします。描きます」

 自らの演出でユリの束を赤子として抱いた。そのうえ表情、目線は女優並み。アメポンはただ者じゃないとつぶやき、床に座った。しばらくモデルを見つめ、膝の画用紙と相対した。そしてモデルを思い、モデルに疲れを感じたとき、優美で、慈悲深く、どこか切ない絵が、アメポンの在りし日へと誘った。

「これがわたくし!」と、二枚の絵に目を見張り、感動が冷めぬまま、教室を見渡し言葉を添えた。

「いつかは消え去る部屋。お描きになって。後世に残し、伝えるために」

 無言で頷いた。考えるまでもなくオルガンと椅子が主題になった。先ず椅子から。腕白だった子どもの頃を、懐かしむように、小西が並べ直した。そして手前に黄色いユリを束にしバケツに活けた。色調に違和感無く、背景に窓、音楽家たちの肖像画と取り入れ、水彩で、半抽象画で、想いを託した。

 次に窓辺のオルガンは、漫画風に徹した。鍵盤手前に、三本の赤いユリを置いた。直線は排除し、ガラスを伝う雨垂れ、ぼやけた外の景色は、夢、幻のように描いた。手先の格闘技が終った。肖像画二点を残し、過去から今へ、二人は戻った。

  

  49 占い師ルナ  

 

 201X年6月17日火曜日

 降りしきる雨。薄暮。そしてモヤ。視界が悪く、かの人を思った。

「アメポン先生、大丈夫かな?」

「電話番号、聞いたよね」

「うん。ええ〜と、あっ通じた」

 長いおしゃべりが、笑い声で終った。

「小西さんが泊まって下さい、ですって。教室の管理人でしょ、甘えるみたい」

「八十でこの状況じゃね。まっよかったよ」

「先生と教え子、いいなあ」

「今どき珍しい。お腹は?」

 返事より着信音、『エリーゼのために』が早かった。スマホを耳に。

『YOYOさん。ルナよ。ご無沙汰してごめんね。言い訳その一。商売が超多忙。その二。ゴタゴタした離婚。その三。アルジェリアへ行ってた。キャラバンに無理を言って砂漠を横断。月の女神、アルテミスと対話するため。二週間、ハードだった。はっはっは!今大丈夫?遅いか。はっはっは!』

 波乱のこのひと月。ルナのことは記憶の隅に追いやられていた。それが神の使徒で目覚め、ナマの声で人間を知った。そして、この人だったらと意を強くした。

『はい。タフですね、ルナさんは』

『四十よ。これぐらいは。YOYOと呼んでいいかな?』

『ええっ。なにか友だちのようで、うれしいです』

『YOYO。情報交換しない?』

『賛成です』

『それじゃあたしの写真とアジト、写メで送るから見て。話しはその後で』

 名水三口、届いた。一枚目は、ヒジャーブ《アラブ女性が頭髪を隠すスカーフ》を被った上半身。襟の無い服はアラブの土色、ロングドレスのようだ。そして顔は意外だった。表情に職業が無かったから。けれど温かい眼差し、口元には微笑んだ。英二も覗き見、ニッコリ。次に教会を思わせるアジトで少し笑った。地味で目立たない看板もあった。所在地は豊中市、屋号はルナの家。四枚目は内部。天の川銀河を投影した天井は、未知の運命を示唆してるのだろうが、簡素なテーブルと椅子二脚は極めて事務的。しかし周囲の観葉植物がそれを補っていた。五枚目は紺色の部屋。天井に投影した満月が印象的も、ステンドグラスの窓の十字架、下の聖母子像以外何も無い。要するに空っぽ。首をかしげたが、六枚目でその意味が分かった。白い衣装をまとい、白布に膝を着き、祈る姿で。そして最後の、透明な球体を両手で持ち上げ、神と対話してるかの神秘的な光景で。

 次はYOYOの番だが、これと言って無く、淡海荘のホームページにした。アドレスを送った。説明も忘れなかった。

「まさかあのときに。ほら茜ちゃんと話してたじゃない」

「さすがね。茜ちゃんが語ったルナさんのメール。もうビックリした。わたしが彼女の家をたずねて来ること、当てたんだもん。星座もよ」

「インスピレーション?だとすれば、ルナは本物だ」

「まちがいなく。それでね。月の女神アルテミスが、茜ちゃんに奇跡を起こす。YOYOはその使徒になる。信じられないよね。でも信じた。英二はどう思う?」

「茜に奇跡が起きるなら、俺はどんな犠牲も惜しまない。従って、信じる!」

 ここで再び、『エリーゼのために』が。

『今、サイト見てるところ。きれい。ほんとに。イメージも女神の使徒。ネコも賢そう。助手にしたいな、マジで。・・・絵も素晴らしい。アルテミスがYOYOを選んだのは、自然なことよね。へっへっへ、あたしはどう?意外だった?』

『そうですね。イメージとはぜんぜん違ってたので』

『ルナにとって、褒め言葉ね。アジトは?』

『怒らないで下さいね。少し笑いました』

『はっはっは!不真面目なクリスチャンだもの。話は変わるけど、あたしの客は、みな重い荷物を背負ってる。でもときどき、欲の皮の突っ張ったのが来る。大半株ね。どうでもいいから適当に言う。自分を信じなさい、と。客は簡単な教えに、怒って、悪態をついて帰る。後日、その客は大金をみやげに、無礼な態度を反省する。はっはっは!占い師はやめられない』

『おもしろ〜い!質問ですが。予言はルナさん、それとも?』

『あたしは子供のころから霊感が働いた。それも並外れて。だから人間の行動や思考は、手に取るように分かった。しかしそれには会うことが必要。よってあなたが茜の家を訪れることなど、知るはずも無い』

『それじゃ・・・』

『母親が妊娠する。胎内の子でアルテミスは祝福を決める。そして生まれた後は、その子の運命に関わっていく。YOYOは数少ないその内の一人。説明出来たかな?』

『はい。うれしいです。でもちょっと恐い』

『はっはっは!他に何か聴きたいことがあれば』

『あの透明な球体は?』

『すいぎょく(水玉)。水晶でこしらえた。祈りの場の最重要品ね。二ヶ月前だったかな。すいぎょくに文字が映ったの。金色に輝く日本語で。<アルテミスの声、心で聴きなさい>。もう目の玉が飛び出るほど驚いて、感動して、涙が止まらなかった。それからはいろんな諭しがあった。あたしは神と友だちになった、ばんざ〜い、はっはっは!』

『すご〜い!』

『話は変わるけど、今しあわせ?』

『とっても』

『じゃ気をつける。時として落とし穴があるから』

『わたしが、ですか?』

『そう。で、はまったとする。さてアルテミスは手を差し伸べるだろうか』

『・・・知りたい』

 戒めが、現実になるとは。

『答えはYOYOであれば。どうしてか。掟、定めを守ってるから』

『掟?定め?教えて下さい』

『アルテミスは厳格な処女神。分かるでしょ』

 ドキッとした。

『あの〜、今は、夫がいますけど』

『うふふ。四日前、だったかな。女神のささやきを感じた。全細胞を研ぎすまし心で聴いた。使徒は定めに背いた。しかし同情の余地はある。何も知ら無ければ、と。そして、使徒は地上では唯一無二。それ故、定めは無視する。何故ならば、わたくしの化身となって、民に光を与え、希望の扉を開くでしょうから、と』

 感動するも鳥肌が立った。 

『そんなことを。光栄です。頼りない使徒が、自信を持ちました』

『使徒の赤ちゃんが大人になった。はっはっは!」

 快活な笑い声も、次の話しが遠ざけた。 

『実は茜のことだけど。最近ぼんやりしてるとか。お母さんの話。今のところ様子見だけど、月の悪霊の可能性もある。あいつらは、気に入ったらとことんいじめるからね。で、最悪は眠らせろ。眠れば生きた屍。点滴だけで生きる、ただの人形ね』

『こわい・・・』

『淡海荘へ行こうかな。茜も気になるし・・・』

 席を立つ音。若干の空白。そしてため息。

『断れない客ばっかり。今週は無理』

『今わたしができることは?』

『あなたは既に使徒。だから悪霊が気付けば厄介。ではどうする?黒っぽい服が味方になる。防御ね。あいつらは影の色には反応しないから』

『普段着は黒にしますが、仕事ではちょっと』

『フロントよね。着物?』

『ええつ、黒黄八丈です』

『サイトと同じね。うん、結構よ。あと食事は野菜中心。毎日身を清める。そして、すいぎょくを宅配で送る。神の意志が詰まった、ある種の武器ね。これを両手に持って、讃美歌 S I L E N T N I G H Tを口ずさむ。英語で。知ってる?』

『はい。大好きです』

『聴きたい、歌って』

 電話で歌う。緊張した。しかし滑り出しで、

『使徒に相応しい声。アルテミスもきっと喜んでくれるわ』と、褒めちぎった。

『練習します。正確に歌えるように』

『打てば響く。あたしは楽ね。長くなるけど、いいかな?』

『ルナさんと話してたら時間を忘れます』

『しゃべりでお金をいただくのよ、はっはっは!スーパームーン、知ってる?』

『はい。今年は確か十一月ですよね』

『話が早い。月の軌道は楕円。最接近時は大きさが15%、明るさが30%も増す』

『じゃスーパームーンの日に』

『勝負。あと五ヶ月。もう一度アルジェリアへ行く。修行ね。商売も休む。そうそう、これが肝心。茜の絵を描いて。普通の大人で。YOYO。あなたの修行もつらいでしょうけど、勝負の日まで我慢して。それからアルジェリアの前にチベットへ。地球の屋根を見て、チベット語が多少分かるから、お坊さんの話を聞く。YOYO、力を合わせて奇跡に挑戦しようね。終わりに、ヒマなときは遊びに来て。見学に勉強も兼ねて。もちろん旦那も一緒よ。じゃあね』

 英二の幸せそうな顔。それを嫁が、伸び上がって抱き締めた。


  50 師弟談義


 201X年6月17日火曜日

 再度、『エリーゼのために』が。ママからだった。元気が更に元気になった

『料理長のお父さんのお店、行かない?』

『ママ、やっぱり料理屋さんなの?』

『そう、知る人ぞ知る、食通の割烹。英二さんは?』

『運転中。わたしの召使いは、世界でいちばんの人ね』

『じゃあ伝えて。苦労に報いるわ、って』

 ミニクーパーが反転、市街地を目指した。

 土砂降りが小雨になり、夕闇が濃くなり始めた頃、繁華街の裏筋にある、割烹まいさかの暖簾のれんをくぐった。

「もう、待ちくたびれたわよ」

「まるで滝の雨、横には俺と美咲のお宝。よって、分かるだろ?」

「安全運転よね。それじゃ謝らなきゃ。英二さん、すねてごめんなさい。そしてご苦労さま」

「わたしからも、あなた疲れたでしょ。今夜はゆっくり休んで」

 素直な発言もママは含み笑いで、二人の背を押した。建具、照明と趣向を凝らした店内に客は無く、割烹着の好男子が、椅子を立ち、オーバーアクションで迎えた。

「YOYOさんが来るなんて。I’M H A P P Y ! さあどうぞ」

「二郎さん、なにもないわよ」 

「ほっほっほ!二郎わね、たまに道郎さんから教えを乞うの。身銭を切って」

「えらい!じゃ今夜はママのおごりね」

 任せなさいを挟み、カウンターの真ん中に座った。店主の妻が茶を並べると、板前の歴史を顔に刻んだ男が、何やら難しい顔で言った。

「今日は別。ちょっと話したいことがありましてね」

 華やかな明るさが、客を呼んだか、若い女三人と、背広組の四人連れが加わり、次に隠居風二人で満席になった。二郎が忙しない師匠を見て、中腰で注文を尋ねた。

「お肉はダメなの」

「それじゃ魚で。和洋どちらに?」

「せ〜の、得意を!」と三人の合唱に押され、嬉しそうに厨房へ飛んでいった。

 賑わいが店内に広がった。

「ママ、三郎さんは?」

「デート、だって」

「恋人がいたんだ」

「双子、だったよな」

「ええっ、生真面目も双子。二郎は洋食、三郎は和食。キャリアも積んだし、道博さんも料理長ね、常々言ってるわ。いつでも引退出来るって」

「四十代だろ、冗談さ」

「それが最近・・・この話しは置いといて、三郎のデート相手が気になるのよねえ」

「ん?どうした?」

「老舗小料理屋の一人娘なの」

「養子。店はどこ?」

「垂水。なんか持っていかれそうな気がして」

「ママ、なるようにしかならない」

「そうね、あなたみたいにどんと構えなきゃ」

 話を変えた。OK牧場、アメポン先生と、かいつまんで話し聴かせた。

「淡路も話題に事欠かないわね〜」

 次に茜ちゃん、占い師ルナに及ぶと、眉をひそめ、表情が険しくなった。

「娘は私の命。そんな夢みたいな話で苦労させたくない」

「夢じゃない。そう思わせるだけのカリスマ性が、ルナにはあるよ」

「茜ちゃんを助けるためには、常識ではむり。わたしが挑戦する以外、他にない」

「・・・分かった。私も力になる。と言っても、どうしたらいいか」

「うふふ。祈るだけで十分」

「そうねえ。よしっ!淡海荘、賭けるくらいの気持で」

「美咲らしくなった。わっはっは!」

 場が落ち着き、話が今日の絵に及んだ。

「額装は雨だから、明日の楽しみにして。英二さん、持って来て」

「胸が締め付けられるよ、きっと。OK、待ってて」

 雨除けのカバーを取り、ジュラルミンケースを開いた。派手さを抑えた赤のドレスが、膝まずき、うやうやしくスケッチブックを受け取った。胸がときめき、ゆっくりと開いた。

 先ず、校舎とユリの風景では、「なつかしい」と言って、表情がやわらぎ、肖像画二点では、じっと見入り、「クラシカルエレガンス」とささやいた。そして抽象画では、「娘の感性は自由自在ね」と口走り、我が事のように自慢した。

 ひと息ついた。ハンドバッグを開け、スマホを掴んだ。おとぼけが冷やかした。

「あのさあ、明日にしたら?」

「ん?どうして分かったの?」

「嫁から聞いたもんね。ほら、あれだろ。展示ケース」

「勘が鋭いと言うか。うふふ、じゃ自宅ね」

 東工務店社長も心得ており、話は直ぐに終った。

「さすが東さんよね。既に発注済みですって。三つ目もよ」と、満足を声にすれば、 二郎が前菜、鯛のポワレ、ブールブランソース《フランス料理》を並べた。

 彩り、品、こちらも食の芸術だ。YOYOが目を輝かせ声を上げた。

「二郎さん、すご〜い。ママ、料理長が言ったこと、ジョークじゃないと思う」

 否定したいボス。いっきに食べ、途中でやめた話をむし返した。

「年に一度、道郎さんはヨーロッパへ行くの。視野を広げるため。でも今回は急。訳を尋ねたら、ポーランドの妹が体調を崩してと言って、後はお茶を濁すのよね」

「独身?」

「そう。で日本語学校の先生。気持は分かるけど・・・」

 賑わいが一段落。店主と弟子が美咲の前に立った。

「美咲さんがおいでなさった。天の計らいとはこのことですね」

「料理長は胸の内を明かさない。聞かせて」

 見つめ合い、頷き、父親が切り出した。

「ワルシャワの、ポーランドの首都ですね、商業ビルがテナントを探してる。これだと遥か大陸の彼方の、それがどうしたですが」と昔気質が、笑いを取った。

「このビルのオーナーが、息子と友だちでして。なんでもベルギーの吞み屋でウマが合い、以来親交を深めたとか。名はクリスチャン・ホフマン。過日、その男が淡海荘を訪れ・・・」

「覚えてるわ。片言の日本語も、ジョークも面白くて、もう笑いっぱなし」

「そうですか。じゃ人物は悪くないな」

「ええっ、私が太鼓判確実であるという保証押す」

「安心しました。ホフマンが息子を説得し、妻、子どもたちと話し合った。問題の学校も娘が動いた。結果・・・」

「分かった。道郎さん、あとは私に任せて」

 会社連れが去り、かわりに新客三人が空席を埋めた。

「師匠、ぼくが」

「待て。二郎、頼めるか?」

「はい!足して二で割れ。おやじさんの最近の口癖です。ぼく等に板場を任せるための言葉だと、そう理解してます。師匠、親日国に日の丸料理の旗、おやじさんなら高々と上げますよ」

 三十四と、年に似合わぬ叙情詩。店主が目頭を押さえれば、美咲が一番の気掛かりを口にした。

「三郎が結婚、そして垂水へ」

「あっはっは!ボス、ケリはつけましたよ。六十まで、待てるかと」

 優等生の双子に美咲も胸を熱くし、ドラマその三は終った。そして最後のドラマへと、割烹まいさかを出た。

  

  51 告白、そしてTWO LOVE

 

 201X年6月17日火曜日

 雨上がりの空を見上げ、美咲がタクシーに手を上げた。おふざけ浪花弁が飛んだ。「今夜は飲みたい気分や。なんでか。美咲はん、言わずとも分かるやろ?」

 軽い語調だが、意味は伝わった。いよいよだと、上げた手を下ろした。空振りのタクシーが、わざとか、水しぶきを上げ、走り去った。

「濡れて・・・ない。ついてる」

「おまけに月も出てきた。こいつは幸先がいいぞ」

「二人とも変よ。もしかして隠しごと。わたしに」

 勘の鋭さはここでも同じ。慌てた、二人とも。しかし役者がそれとなく交わした。

「気にしない。誰だって胸に何かあるさ」

「でも怪しいな〜」

「それじゃ飲み会で話すよ」

『さて運命はいかに』と、半ば祈るように、胸の内へ言った。

 告白の夜は、ビールと簡単なつまみだけにした。

「ルナ、使徒と知って、真実は今夜にと決めた。決めたが、どうしてもなあ」

 いかに肝の太い英二でも落ち着かなかった。最悪が頭にちらつき、動物園のクマの如く、リビングをウロウロ。終いは座り込み、瞑想。母娘が風呂から出て来るのを待った。ドアが開いた。ドキッ、である。

「俺のワイシャツ、引っ張り出すとはね」

 冠婚葬祭用はほとんど出番がないから、浴室の整理ダンスにしまったまま。それを失敬したのだが、色香はともかく、別の意味で、告白の夜に似合っていた。

「ピカピカの肌。もう後光が差してた。英二さん、菩薩だと思って・・・」

「菩薩か、いいね」

 ??顔にはウインクでとぼけ、二十二時のチャイムで、地味な飲み会が始まった。ビール二杯目だった。美咲が急に席を立ち、長椅子のバッグから手紙とハガキを取り、英二に渡した。

「これは大事な話をする前の、言わば前奏曲。読んで」

 何のことやらが、便箋二枚を取り出した。後ろ足立ちの可愛いクマの絵に、笑みがこぼれ、次なる文章の字面を追った。そして最後で声を出し読んだ。

「奥さんの助言で娘は変りました。しゃべるようになったんです。僕も妻も感謝しています。ホテル淡海荘のオーナー様、並びにご主人様、妻ともども心よりお礼を申し上げます・・・更に、上高地の大自然の中での出会いにも」

 次第に意味が飲み込めてきた。再度黙読。そして、愛の命運は! 

「目に浮かんでくる、すてきな夫婦が」

「怒らないの?」

「どうして怒るの。相手はママよ。よかったねって、わたしは言う」

 口調は穏やかで、まさに菩薩だった。他方、美咲の目は涙に濡れ、そして英二は、

「二度・・・救われたな」と、脱力感を声にした。

「一つだけ聞かせて。ママとの愛は今も?」

「約束が始まりだった。夫婦はYOYOが帰って来るまでと」

「恋人夫婦が、うふふ、もう一つあってもいいけど」

 よもやの大胆発言。美咲は声を無くし、苦笑いの英二は、年の功で切り捨てた。

「人生はシンプルにね」

 微笑の嫁、英二に歩み寄り、耳元へささやいた。

「わかった。それと、オオカミがじょうずに食べたことも」

 どこ吹く風と返した。

「オオカミは知っていた。いつだって、愛は優しく。キザ?」

「英二・・・TWO LOVE。こんな歌作って。ママが作詞、作曲は英二。ヴォーカルはわたし。そして、ミニコンサートのテーマソングにする」

 リビングがにわかに明るくなってきた。

「俺が作曲?無理。そうだなあ、敬愛するベートーベンに頼むか。『悲愴』第二楽章、これ!」

「うふふ、歌いやすい。それにママだったら、簡単に詩ができそう」 

 美咲が涙目に笑みを浮かべ、席を立った。娘、英二と手を取った。

「あれは悲愴じゃなく希望。私たちに相応しいわね」

「もちろん、オペラ風で」

「そして詩情豊かにでしょ。大変」 

「むつかしく考えないで。そうだなあ、恋人と愛の女神の話。もちろん女神はママ」

「それで不特定多数に分かるような詩。でないと、なんのこっちゃ、になる」

 なるほどであり、笑った。気が付けば、ミーがノルウェー産トラウトサーモンをごちに。こうなれば祝杯である。冷蔵庫からありったけの海鮮物を取り、料理人が片っ端からさばいた。酒も美咲の要望通り、有名バーボンを開け、これに在庫整理だと、ワインも並べた。

 始めはワイン。グラスを合わせた。YOYOが一息に煽り、もの静かに言った。

「ママ、やっぱり真実が知りたい。英二の嫁として、生きていくために」

 深く頷いた美咲。テーブルに指を組み、忘れ得ぬ想い出を語った。

「あなたが帰って落ち込んだ。身体もおかしくなった。予想してたのか、英二さんが来てくれた。旅行の話は何よりだったし、出発前夜、ボロ家へ泊まったことも嬉しかった。本当に優しくしてくれた。そして旅へ出るに当たって決心した。娘が帰るまでの、妻でいようと。ママは一生大切にする。瞬く間に過ぎ去った、至福の時を」

 話が終るや抱き合った。母娘が声を上げて泣いた。結末はハッピーエンドに英二は胸を撫で下ろした。そして、手にしたかぐや姫の礼状に、こっちも再出発だよと語り掛け、安堵の息を吐いた。

 肉親にも優る情が、更に増すと、あることを思い出し、腕の中へ尋ねた。

「昨日、小谷さんから電話があったの。YOYOさんは泳げるかって」

「だめ、ぜんぜん」

「かなづちなの?」

「かなづち?なにそれ」 

「我が嫁よ。水泳の授業はさぼってたな」

「うん。体育は好きだったけど、必要性がな〜」

「あのさあ、OK、練習しよう。別館のプールでね」

「淡路島の住人よ、少しくらいは」

「いや、カッパにする」

「カッパ?あっはっは!英二、なる!カッパヒロインに」

「水着は競技用がいいかしら?」

「ビキニじゃさ、コーチはおかしくなる」

 母娘、声を合わせた。

「せ〜の、ビキニがいい!」

 英二、頭をかき、大笑い。かくしてファミリーは、いつもに戻り、時をまたいだ。

  

  52 新人の出世


 201X年6月18日水曜日

 PRIVATEの金ロゴが光るドアが開いた。東工務店社長以下数名の社員、建築設計士が談笑しながら出て行った。入れ替わりに隣室の総務平井千恵子が中へ。図書館を思わせる部屋の半分は大テーブルが占め、娘が会議後の後片付けをしていた。

「ごめんなさいYOYO、私が」

「じゃわたしはボスの紅茶を」

 イベント館建設資料に目を通した美咲が、明日の淡海荘に自信を深め、隣りの真新しい机を触った。するとインド産の一押しを持って来た娘が、小首をかしげ、

「ママ。その机は?」と、疑問を投げた。

「ないしょ。ほっほっほ!」

 椅子を取り、オーナーデスクの前へ。三人が顔を合わせた。

「話は三つ。先ず娘から。今日付けでマネージャー。どう、千恵子?」

「もう、ピッタリです!YOYOマネージャー、よろしくお願いします!」

 穴があったら入りたい、そんな感じが、 

「ママ、いきなり言われても」と、顔をピンクに染め抗議。

「あなたは才能のかたまり。そのうえ私の後継者。分かって」

 しばし考え、そして覚悟を決めたか、

「ボス!がんばる!」と、声を上げ誓った。

「まっ、ボスだなんて、ほっほつほ!発表は今日のミーティングで。二つ目は娘が戻ったことでスタッフに変わった柴崎加奈子。大阪の母親が株で穴を空けたとか」

「で借金を。額は」

「百五十万」

「本採用じゃないのに、絶対反対です」

「母子家庭の履歴書の裏に潜んでるもの。外大卒も含めて、私には嘘だと言ってる」

「ホテルは初めて。その割には卒なくこなしてる、怪しいです」

「加えてあの子の英語にはなまりがある。そこから察するに、素行の悪い外人が目に浮かぶ」

「ママ、探偵ね」

「ホテル業は内にも外にも気を配る。マネージャー、忘れないで」

 鳶色の瞳がキラリ光った。その後、法子も呼び出された。

「スタッフの何人かが見てます。彼女が中米系男性といっしょのところを」

「やっぱり・・・寮、または更衣室で、お金が無くなったとかは?」

「盗難と言えるのかな?更衣室で二度おかしなことが。ポケットの五千円とお財布の一万円がお昼に消えて、帰りにちゃんとあった、戻ってた。不思議です」

「カギは掛けなかったの?」

「みんな掛けません。仲間を信じてますから」

「そう・・・。でも法子、一事が万事よ。報告して。必ず」

「本人たちも記憶があやふやでしたから・・・でも言い訳ですね、すみません」

「この件は早急に手を打つ。三つ目は、フロントの菜穂。辞職を願い出た。理由は、自信喪失」

「YOYOと比較してもねえ」

「法子、なれなれしいわよ」

「ん?どう言うこと?」

「今日付けでマネージャーに就任したのよ」

「ほんと?うわあっ!おめでとう!いえ、おめでとうございます!」

「ありがとう。でも法子、今まで通りYOYOでね」

「二人だけのときは」

 おどけた法子、胸の内へ言った。このマネージャーならついていけると。折った話を続けた。

「ここんとこぼ〜っとしてたし、悩んでたんだ。ボス、配置替えでは?」

「言ったわ。でも聴く耳無し。性格、学歴、実に惜しい。そこで法子にお願い」

「うふふ、ボス、久しぶりの姉貴相談室。純な菜穂なんてイチコロです」

「そのイチコロになるような人、早くめっけて」

「うわあ!言われた!」

 とんだとばっちりのチーフ。カラ元気で寮へ引き上げた。そして、千恵子も職務につけば、真新しい机の主が、恐る恐る座った。

「責任感が伝わって来る」

「ママにとって、これ以上ない言葉ね」

「でも反感持つ人、いないかな?」

「新人だから?じゃこう考えて。もしいてたらそれは仕事の出来ない子。スタッフ二十人の中にそんな子はいない。どう?」

「ママの言うとおりね。みんな素直で、仲が好くて、助け合ってるもの」

「こちらを向いて」

 MANAGER、YOYOと、上下に刻印された金色のバッジを、着物の襟に取り付けた。

「その気になってきた」

「うふふ、似合ってるわよ。それとママから記念のプレゼント」

 隅の紙袋から、自然な色合いのポンチョ、ハンチング帽、ウールハット、ショルダーバッグ、アイリッシュレザーウォレット《財布》と取りデスクに広げた。

「全部アイルランド?」

「そう、向こうで買ったの。私のお古だけど、いい?」

「娘よ。一生大切にする」

 ポンチョを手に取り、頬に当てると、ママの旅情が伝わった。そしてケルトデザインが目につく財布では、お金のいらない身に初めて気付いた。

「マネージャーがお財布無しでは。ほっほっほ!」

 三つ折りを広げ中を見た。一万円札の束、有名クレジットカードに声無し。

「英二がなんて言うかな?」

「嬉しいような、嬉しくないような」

 声を合わせ笑った。

「じゃ記念写真ね。座って。執務中だからペンを持つ。抽き出しのレポート紙を取る。表情もそれらしく。うん、決まってるわよ」

 スマホで寄り、引きと数枚撮った。

「写メより写真の方がいいわね。送りなさい。ご両親、きっとお喜びになるわ」

 何とも言えぬ微笑に、ママへの感謝があった。


   53 純愛

 

 201X年6月18日水曜日

 十五時。休み明けのミーティング。マネージャー告知で拍手と祝福の嵐。終ると問題の女をオーナー室へ連れていった。緊張の極みを大テーブルへ着かせた。レポート紙、ペンと前に置いた。

「書いて。うそ偽りのない履歴を」

 もはやこれまでと、観念したか、ペンが動き出した。よどみなくスラスラと書いた。対面が目を通した。面接時の履歴書とは似ても似つかぬものだった。

「細かいことは今更聞かない。私が知りたいのは事実。話して」

 複雑な話をどう説明するか、しばらく考え、しゃべり出した。

「昨年夏、ジャマイカ人、ニコ・ベラスケスと出会わなければ、わたしの人生に波風は立たなかった。ある日、四階の洗濯物が道路工事の溝の中に落ちた。それを拾い、持って来てくれたのが、彼ニコ。工事が終って挨拶に回ったのも彼。英語と日本語のチャンポンが面白く、きれいな目と歯が印象的だった。けど、ただそれだけ。後日近所のスーパーで彼と会った。そのときも偶然に驚くだけだった。三ヶ月後、今度はコンビニで会った。そのときは違った。彼の話に真面目に耳を傾けたから」

 そこで話を切り、斜交いに美咲を見て、また続けた。

「テキサスから日本へ。出稼ぎ労働者として来たわけを語ってくれた。十五才の弟が優秀で大学へいかせたい。しかしアメリカの大学はべらぼうに高い。貧しいからローンも組めない。そこで給料が良い、安定して働ける日本の会社に目をつけた。来日。大阪の水道工事会社へ」

 一問一答になった。

「ご両親は?」

「ブッキー《非合法賭博組織》の抗争に巻き込まれ死んだとか」

「生活は?」

「妹が」

「なぜお金なの?」

「大学へ入学金を納めるのが八月なので」

「大阪では一緒だったの?」

「外人労働者には独特のコミュニティーがあります。安アパートで似た者同士が住む。ニコもその一人です。仕事はほぼ毎日、そんな人にデートなんて。言わば純愛ですね」

「・・・英語は何処で?」

「ビジネスホテルで働いていたとき、同僚のフィリピン人から」

「そう。分かった。結論ね」

 柴崎加奈子が判決を聴くように目を閉じた。

「ニコに言いなさい。入学金残り一万五千ドル。それくらいだったら融資する銀行もあるはずと。そしてあなた。全てが片付いた後、もう一度私をたずねて来て」

「ボス・・・」

「慈善行為。確かに素晴らしい。ただし、それは余裕のある人だけ。よく考えて」

 ハンカチを目に当て、問題の女は去った。やりきれない虚しさを残して。

 次に問題その二が、マネージャー、法子に付き添われやって来た。

「処置無しです、ったく」

「法子が投げた。マネージャーはどうする?」

 迷わず言った。

「経済学部よね、なぜフロントに?」

「なんとなく」

「てことは、自分とよく相談しなかった。じゃ向いてる仕事よね。つくる、今から」

 ママのプレゼント、モンブランの万年筆を握った。レポート紙を睨んだ。そしていっきに英文で書き記した。Naho Sasaki. As of June 18, 201X, he will be appointed as the first group leader of the Internet Group of the General Affairs Department.Hotel Tankai-so manager, YOYO.

 オーナーがそれを手に読んだ。

「佐々木菜穂。201X年6月18日付けで、総務部インターネット班初代班長に任命する。ホテル淡海荘マネージャー、YOYO」

 嬉しくもあり、恥ずかしくもありの当人。書状を胸に、新任マネージャーの意気に応じた。

   

  54 戦いの讃美歌 1茜の危機


 201X年6月20日金曜日

 紺のスウェットレディーが、水泳コーチを伴い、ミニギャラリーを通り過ぎた。窓が広がる最奥でガラス張りのエレベーターに乗った。三階は直ぐ、アプローチへ出た。天井と床の青いイルミネーションが売りの空中アーケード。その中ほどで足を止めた。別館、プロムナード間の二面のテニスコートへ目がいった。銀鱗の海をバックに、男女のプレイヤーが動き回る様は、ナイター照明に映え非現実的。しかし本館、別館と視線を移した英二は、現実的だった。

「ICカードにした方が、なにかと便利だと思うが」

「別館もよね」

「そう。一階から出入り出来るだろ」

「でも、メンバーさんはロビーから。理由は分かるでしょ?」

「エグゼクティブのプライドだよな」

「それとなんて言うか、ママはいやなのよ。電子化された味気ないホテルが」

 別館入口で警備員が会員チエック。

「メンバーズカードを」

「この方をどなたと心得ておる」

 演技派がおちょくった。これに嫁が照れ笑いを浮かべ、気の毒そうに言った。

「いつも着物でしょ。分からないのよ」

 美形に気付いた。

「あっ、失礼しました」と慌てて頭を下げ、敬礼すれば、

「ごくろうさま」で、中へ入った。

 イタリアンカフェ、スポーツショップ、二階のトレーニングジムと覗いて、責任者の労をねぎらい、一階プール更衣室へ。英二に続き、競技用フイットネス水着が出てきた。抜群のプロポーションだ。当然様になっており、これをかなづちだと言い当てる向きは、先ずいないだろう。

「鏡見たらやる気になった」

「ビキニだったら?」

「セクシーポーズでさよならね」

「わっはっは!競技用の意味を知った。それだけでも価値がある。まっ頑張って」

 閉館まで一時間足らずと、水泳好きが引き上げて行く中で、人目につくボディーが入念なストレッチング。それを見て、こんにゃく肢体に水泳楽勝と乗せれば、キャップを被り、勢いで足からドボ〜ン。が、深さ1・5メートルに慌てて側壁にしがみついた。縦25メートル、横15メートルは6人が競泳出来る本格的なもので、かなづちなど論外と言わんばかりに女性見張りが、頭上からソフトに怒鳴った。 

「マネージャー、泳げますか!」

「洋子さん、心配しないで。コーチがいるから」

 近くのごついおっさんに見覚えがあり、頭を下げ引っ込んだ。

「俺流か、教科書通りか、どちら?」

「おれりゅう!」

「じゃバタ足から。自然体でね」

 レーンラインをくぐり、コーチにつかまった。飲み込みは早く、直ぐに合格。

「じゃ息継ぎね、こんな感じ」

 しばらくして、息を吐き、吸うタイミングもスムーズになった。

「今週中にはビキニが見れるかも」

「自信あるのよね、運動神経は」

「認める。さて、次は赤ちゃんになろう」

 コーチが体を浮かせ、見本を示した。

 これは難しかったか、何度トライしても、直ぐに足から沈んでしまう。

「じゃ目を閉じて。YOYOは漂ってる、暗黒の宇宙を。もう一度」

 イメージが効いたか、浮いた。が沈みそうになった。尻を軽く支えた。

「え、えいじ。だめ。か、かんじる」

「ん?あのさ〜」

 呆れて手を放した。途端にポッカリ浮いた。

「感じて力が抜けた。わっはっは!」

「うふふ、敏感肌が役に立つなんて」

 何はともあれ、結果良しが、背泳にチャレンジ。しばらくすると、真っ直ぐ泳げるようになり、長い手足も、美しいフォームを描くようになった。

「明日はクロール。予習だ。プールサイドからしっかり見る。特に上半身をね」

 スタート台から飛び込み、軽快、かつ豪快なフオームが往復、そしてターンしたときだった。小走りの洋子が、内線電話を持って来た。

「マネージャー、ボスからです」

 通話ON。耳に当てた。

『ルナさんよ。急いでるみたい。繋ぐわね』

 切り替わった。明るいようで暗い、そんな声だった。

『YOYOのスマホが留守電。でホテルに電話。そしたらもう慌てちゃった。社長、オーナーかな。あたしの名前を知ってたもの。話したんだ』

『はい。ママですから、ないしょにはできません』

『ママ?』

『うふふ。日本の』

『そうなんだ。それで信じてくれたの?』

『むりやりに』

『はっはっは・・・』

 以前の弾むような笑い声ではなく、悪い話だと感じ取った。その通りだった。

『今朝、茜が目覚め無かった。手を尽くしたお母さんが、昏睡状態だと知ったとき、あたしに電話をくれた。これではっきり分かった。悪霊のせいだと。一昨日は新月。暗黒では女神は無力。それをいいことに茜へ忍び入った。使徒への見せしめとして』

『ひどい!ルナさん、使徒の反撃は?』

『今夜は頼りない三日月。アルテミスが気付くか、どうか。もし気付かなければ、YOYOが危険にさらされる。それでもやる?』

 迷わなかった。

『相手は宇宙の魔物。わたしは無にも等しい存在。命なんて。教えて下さい』

『男勝りね、女の勇者。ルナはそう呼ぶ。じゃ早い方がいい。今夜では?』

『かまいません』

『地球には茜のような子が数多くいる。みな月の悪霊のせい。気まぐれな。でも不幸から逃れた子もいる。信心深い家庭がそう。では何故無宗教の使徒なのか。答えは、前にも言ったように、女神の祝福を受けたこと、そして汚れなき純真な心の持主だから。勇者、三日月では悪霊を打ち負かすのは、正直言って苦しい。命がけの理由。住まいは?』

『ホテル最上階のママの部屋』

『じゃあスイートよね』

『はい。南向きですから、月は目の前に』

『まだ日も浅いけど、ルナのアドバイス通りやってるよね?』

『十八、十九日の二日間ですが、それはもう』

『すいぎょくは?』

『言われた通りに。月はありませんがテラスで。それ以外にも、アルテミスだと思って、いろんなことを語り掛けました』

『そうか〜、やっぱりYOYOね。もしかしたら、気付くかもしれない』

『危険だと言われましたが、どのような攻撃を?』

『一種の精神感応。超自然現象だから知らずに気を失ってる。最悪は心臓にダメージを与える。恐くなったでしょ?』

 まさかルナ自身がそうなるとは。

『うふふ。正直言って』

『やる?』

『もちろん』

『アルテミスが信頼するはずね』

『わたしは茜ちゃんを救いたい、ただそれだけ』

『もう、泣かせないでよ。あっ電話だ。客ね。ちょっと待って』

 恐怖に立ち向かう勇気を心に問い掛けた。が、ルナの声で何処かへいった。

『九時の予約がキャンセル・・・行く!淡海荘へ』

『うわあ!!うれしい!待ってます』

 百万の援軍が来る。そんな心境だった。

『段取りはあたしがするけど、とりあえず簡単にね。茜を連れて来てもらう。これは絶対。問題は衣装。自作のキトン《古代ギリシアの衣服》が二枚あるけど、一枚はあたしが、もう一つは茜が身につけるから、あなたのはどうするかな・・・』

『裸で勝負、は?』

『裸?はっはっは!案外正解かもね。YOYOだと女神も許すはず。じゃ決まりね。茜の親にはあたしが話す。こまごましたことはそっちで。今からだとホテルへは十時頃。対決は十一時。営業時間外だから玄関にいて。あなたなら直ぐ分かる。それと、ママによろしくね』

 小気味良いしゃべりが、元気を与え、通話 O F F 、英二に手を上げた。


  55 戦いの讃美歌 2エクソシスト


 201X年6月20日金曜日

 ルナの話に暗雲漂うスイート。美咲が本音を吐いた。

「もしもよ。娘に何かあったら、私は気が狂うか、心臓発作で死ぬかもしれない」

「俺はどうなる?アル中?わっはっは!」

「一人の若い命を救う。わたしがやらなければ、いったい誰が?ルナさんも来てくれるのよ。大丈夫、心配しないで」

「・・・娘を誇りに思う」

「私利私欲とは一線引く人間愛。さすが我が妻だ!ええ〜と、俺に出来ることは?」

「裏方ね」

 英二が苦笑すれば、夜間警備員から内線が。ホテル専用の電話に切り替えた。美咲が取った。相手の声が先だった。

『花井と申します。夜分済みません』

『茜ちゃんのお父さん、ですよね』

『はい。ルナさんから連絡頂いたものですから』

 娘へバトンが渡った。

『YOYOです。茜ちゃんはいつ頃こちらへ?』

『十時半とお聞きしたので、その頃に』

『症状に変化は?』

『同じです。息をしてるのが不思議なくらいで』

『この先は未知の世界。祈りましょう、みんなで』

 すがるような声が切れた。ますます暗い雰囲気。しかしこんな場は英二。

「ルナと茜はキトンで、嫁は裸。不謹慎だがカメラに収めたいよ。こんなチャンス二度とないだろうからね。怒る?わっはっは!」

 YOYOが軽くにらみ、その後、いつもの弾んだ声で。

「重苦しい空気が吹飛んだ。やっぱり英二よね〜」

「裏方だもんね」

「救われるわ、英二さんがそばにいると」

「美咲。裏方だもんな」

 二度目の裏方には大笑い。スイートの暗雲が霧散した。

「対決は十一時。あと二時間ある。讃美歌の仕上げして、すいぎょくを膝に瞑想する。そして、身も心も清めて勝負!」

「頼もしい、うん、実に頼もしい」

「その前に何か食べないと」

「ママ、チーズとレタスにする」

 十時五分前。YOYO、英二がエントランスに立った。十五分経過。

「何かあったのかな〜」

「車で正確に着く。めっちゃ難しい。おまけに商売も絡んで来る」

 波のざわめきだけの海岸通り。ヘッドライトが車道を照らし、夜陰に消えて行く。その中で、左ウインカーの点滅が、目に飛び込んだ。小躍りのYOYO。

「英二!ルナさんよ」

「ドキドキするな」

 左折。エントランスの淡海荘のネオンへ向って、真っ直ぐ迫って来た。二人の前で紺色のルノーが止まった。ドアが開いた。黒いロングドレスの女が走り寄った。

「YOYOごめんね、遅くなって」

 感に堪えないか、今夜の主役が、涙を浮かべ抱きついた。ルナも頬ずり、しばらくは抱き合ったまま。英二はもうニコニコ。

「あったか〜い。ルナさんの心と同じ」

「ヨガの成果ね。関係ないか、はっはっは!」

 駐車場へ目がいった。ほぼ満車。

「人気があるのはネットで知ってたけど」

「ルナとルノー、発音が似てるし、迷わず決めたとか」

「ええっ、そうですけど・・・あなたは?」

「連れ添い。名は新堂英二。車は俺が。オーナー専用が二つあるからね」

 人間観察に秀でた女が、ほの暗い中で、おもろい顔の人を知った。

「ルナです。じゃお願いします」

 神の使いとエクソシストが、仲良く手を繋ぎ、通用口へと向った。特別な夜であることは警備員には連絡済みで、詰所前にて目を光らせていた。


  56 戦いの讃美歌 3祈りの時へ


 201X年6月20日金曜日

 美咲が紅茶を並べ、肘掛けの初対面に先ずは挨拶。

「親代わりの本庄です。お家は豊中と聞きましたが」

「ええっ、表の顔は。つまり本業のアジトです」

「じゃ他にも?」

「手付けを払ったばかりなので、まだこれからですが」

「どちらに?」

「京都の田舎。古い民家ですから中は改造します。裏の顔に相応しいような」

 古い、改造で、先輩格が口を出した。

「ルナさん、いや俺はルナと呼ぶ。ルナ、それだったらさ、ボロ家を見るべき」

「はっはっは!ほんとね」

 嫁がスマホのアルバムから、ボロ家の内、外と見せ説明した。ルナから特大の笑い声が。収まれば心残りを顔に描き言った。

「新堂さんにお願いしたいけど、通うのが大変だし、いろんなこと思うと・・・」

「どの辺?」

「福知山」

「大阪から淡路へ通ったんでしょ」

「福知山は倍以上。うう〜ん、辛いな」

「はっきり言って、無理です」

「ルナさん。どうして福知山に?」

「息抜きと、裏の顔が重要なときに。あと、適度に町で田舎。それで」

「淡路も負けてないけど」

 英二の独断、割り込み発言。女たちが前のめりになった。

「淡路島・・・山の声も、海の声も聴ける。いいなあ」

「じゃあもう一押し。海辺はにぎやか。でパス。島の真ん中あたりがいいな。開けた山里が点在してるし、山頂付近だと、広々として気持がいい。ルナの裏の仕事にはピッタリだろ。そのうえ高速も近いし、豊中からは楽勝。違う?」

 異論の無い顔つきが、胸に手を当てた。目を閉じた。空白の時間を惜しむように、目を開き言った。

「手付けは諦める。新堂さん。よろしくお願いします」

「ルナさん、ほんとに?」

「アルテミスに誓って」

「キャア!!うれしい!しあわせ!」

「表のお仕事も一緒では?悩んでる人にとって、遠い近いは、関係ないはず。それに花の島でしょ。案内して上げたら喜ばれると思うわ」

「美咲。まさにその通りだ。じゃさ、とりあえずは俺が探す。条件次第ではメールでしらせるよ。まっ地元の役者に任せて」

「もうなんて言ってよいか・・・みなさん、ありがとう!」

 胸で十字を切り、写メ通りの優しい顔を見せた。

 時計は十時二十五分。美咲と英二がかの人の迎えに出た。タイミング良く、乗用車が滑り込んで来た。まっ先にリヤドアが開いた。英二が駆け寄った。父親が娘を抱き、降りた。運転手の母親は、エントランスの端へ車を止め、小走りで。

「茜ちゃんは俺が」

「地獄に仏です。よろしくお願いします」

「それは当事者に言って」

「淡海荘オーナー、本庄です。さあ、こちらへ」

 通用口からロビーへと。

「ご心配でしょうから、ドラマの一部始終、ご覧になりますか?」

 夫婦が目を合わせ、妻が気遣いを口にした。

「ルナさんの気持を思うと・・・ここで待ちます」

 切なさがひしひしと伝わった。

「朗報を」と、気休めにしろ、言わずにはおれなかった。英二の後を追った。

 スイートが慌ただしくなった。

「本庄オーナー、変装したいけど」

「ルナさん。美咲と呼んで。あなたはもう親友だもの。じゃ私はルナね」

 裏の顔から白い歯がこぼれた。

 やがてギリシャ時代そのものが登場。YOYOとほぼ同サイズが、いにしえの白い布を身体に巻き付け、肩は止め具が、腰は紐で結び、ドレープをきかせた衣装は、英二をして唸らせた。

「キトンがはまってるよ。うん。写真撮りたいな」

「どうぞ」でスマホが写し取った。時計は十一時十分前。いよいよだ。キトンの切れ端がテラスに敷かれた。身体をきれいに拭った、古代の茜が横たわった。子どもだから足の先が余っている。が、ルナは気にしなかった。三分前、身を清めた裸の使徒が現れた。美咲がため息を感動に混ぜ、小声で言った。

「神々の世界。夢を見てる。夢を」

 英二もつぶやいた。

「カメラ?無礼者だよ」

 ルナの指示で茜の後ろに立った。エクソシストとなりし女が、キトンの切れ端を敷き、すいぎょくを手にひざまずいた。使徒へ声を掛けた。

「十一時きっかりに手を上げる。合図ね。歌って。無心で。すいぎょくは手の平で支え、胸の前で。そして歌い終われば、すいぎょくを月にかざし、この者に目覚めの光を、悪霊に懲らしめの光りを、とささやくの」

 YOYOが深く頷いた。一分前。言われた通り、スイートの灯りが消えた。


  57 戦いの讃美歌 4見えない悪魔


 201X年6月20日金曜日

 細い三日月が不気味に映った。微動だにせずの英二。美咲がその手を握り締め、幻のような蒼白い光景を、息を殺し、天にすがり、見つめた。十一時。ルナが手を上げた。絹の如きソプラノが星空に流れ始めた。

♫ Silent night! Holy night! All is calm, all is bright Round yon virgin mother and child! Holy infant, so tender and mild, Sleep in heavenly peace!・・・

 讃美歌だけが、神の世界を現実だと語り、わずか三分そこらの、途方も無い時間が過ぎ去った。使徒が三日月にすいぎょくをかざした。何かを語った。その刹那、金色の光が、矢とも思える光が、茜の身体を突き刺した。

「美咲、見た?」

「えっ?何を」

「そうか。あれは動体視力が優れてないと見えないな」

「何か見えたの?」

「うん。金色の矢のような光が、茜の身体にね。まばたきしてたら見逃してた」

「カメラマン、再認識したわ」

「年はとっても目だけはね。ん?茜が動いた」

「分からない」

「鳥の肝を食べろ。目が若返る」

 両人が笑った。その隙に、人間では感知出来ない魔の手が、忍び寄った。闇の一部が、目にも止まらぬ早さで、二手に別れ、使徒を飲み込んだのだ。いや、襲ったか。それはエクソシストも同じであった。ただしこちらは執拗で、二度、三度と、闇が渦を巻き、押し包んだ。では、魔の手の正体は?別次元のパワーと、解釈する他無い。当然、英二の目には、静止した現実以外、何も映らなかった。

「茜ちゃんからよね」

「待て。変だと思わないか。終ったのにじっとしてる」

「言われてみれば。英二さん、心配・・・」

「美咲。嫁からだ」

 六歩先が遠かった。心臓が早鐘を打った。バスローブを手に恐る恐る近付いた。手が届くところまで来た。おかしい。マヌカンのようだ。変だと思いながらも肩に掛けた。マヌカンがもたれ掛かった。悲鳴が闇を切り裂いた。間髪入れず、英二が飛びついた。大きく息を吸い、吐き、首の動脈に触った。確かな手応え、生を伝える律動!

「よっしゃ!!生きてる。気を失ってるだけだ」

「よかった!よかった!英二さん、ベッドへお願い」と、涙ポロポロが天に感謝。

「この状態でもすいぎょくは離さない。使徒に相応しいよ」

 愛しさを手先に込め、抱き上げ、ベッドへと。

 室内の灯りを全て点けた。次は茜だ。膝を着き、顔を覗き込み、名を呼んだ。睫毛が微かに動いた。思わず子どもの手を握り取った。瞼に視線が張り付いた。少しずつ、そして、パッチリ。開いた!体がブルブル震え、感動が走った。

「新堂さん・・・」

「茜ちゃん。何も言うな」

 時間と争うように抱え上げ、使徒の隣りへ寝かせた。そしてルナへと。

 これもおかしい。凍りついたが如く動かないのだ。血相が変った。

「ルナ!!ルナ!!」

 耳元で怒鳴った。反応無し。横にした。即刻、嫁同様、首動脈に触れた。

「動いとらん。くそ〜っ、ルナ!死なせんぞ!」

 直ぐに一次救命処置、その一、人工呼吸から始めた。片手で額を押し下げ、その手で鼻をつまんだ。次に顎を持ち上げ気道を確保。普段の倍以上の息を吸い、ルナの口へ送った。五秒に一回続けた。胸を見据えた。動きが無い。冷静沈着が、素早く心臓マッサージに切り替えた。右手が、両乳房の真ん中少し下を、一分間に八十回、押さえ、放しと、単調な動作を繰り返した。時は無情に過ぎ去り、汗がルナの額に滴り落ちた。左手で拭った。そのときだった。表情に微妙な変化が起きたのは。写真屋の鋭い眼が、それを見逃さなかった。手の平を鼻孔にかざした。確かな息!

「蘇った!!やったぜベイビー!!」

 手も放した。キトンの隆起が、ゆっくり上下に動いていた。更に歓喜が、勢いをつけ、抱き上げ、大股でベッドへと。

「英二さん。ルナも・・・」

「うん。危機一髪さ。後二分、いや一分遅れてたら」と言って、指を天井に向けた。

「まあ!ほんとうに運がいい」

「裏方が仕事したよ、わっはっは!ところで嫁はと」

「目を閉じたまま。大丈夫かな?」

 念のため脈拍を調べた。  

「一分間に80。普通だよ」

「良かった〜。頭は影響無いかな?」

「寝顔で判断して」

 穏やかに眠っていた。

「いつもと同じ」

「じゃ心配いらん」

 そして茜には。

「今夜は泊まるかい?パパ、ママはロビーにいるけど」

「昏睡状態であったこと、オーナーからお聴きしました。みなさんのお陰です。ありがとうございます、ほんとにあり・・・」

 後は言葉にならなかった。

 帰るに反対はせずが、足元を心配し、抱き運んでの面会になった。涙、涙のご対面。次いで母親の「いずれ挨拶に」は、「それは奇跡が起きてから」と言えば、身体を震わせ嗚咽、英二も胸が詰まった。

 そして、親子の車が走り去るのを見届け、「次の決戦は果たして」と、我に語り、武者震いがスイートに戻った。


  58 似た者同士

  

 201X年6月21日土曜日

 露天風呂からルナが上がって来た。白いバスローブが朝陽に眩しく、腰までの髪をタオルで拭いながら、ガーデンチェアに座った。思いっきり背伸びした。そして、危うかった命など知らず、声を張り上げた。

「生き返った〜!」

 美咲が含み笑いを浮かべ、料理の載ったトレーを、テーブルに置いた。

「英二さんが作ったのよ」

 メニューは、フレンチトーストにバター。オムレツ。カリカリのベーコンに蒸したポテト。ロメインレタス、ミニトマトに、ほぐしたシャケが混ざったサラダ。コーンスープ。メロン一切れ。冷たいミルク。オレンジジュースと、トレーから皿があちこちはみ出ている。

「これを新堂さんが。カメラマンでしょ?」

「ほっほっほ、そうね。彼はなんて言うか、オールマイティーなのよ」

「YOYOがいかれたのも当然ね。ん?彼は?」

「ランニング。ほら、あのヨットハーバーまで。六十二。信じれる?」

「ええ〜っ!なにもかもビックリね。おいしそう!食べていいかな?」

「ルナのためにこしらえたのよ」

 オムレツの最初のひと口で、フオークが止まった。

「別れた旦那には、遊び心がなかった。羨ましい、YOYOが」

「私はコーヒーね、ちょっと待って」

 ミニ冷蔵庫上のポットから、愛飲を注ぎ入れると、海辺を見回し座った。ひと口すするとルナが話を継いだ。

「迷い人がアジトを訪れた。三十五のとき。会社の業績が上がらない。上司からさんざん虐められる。ストレスが溜り、もう死ぬしか無い。あたしは言った。死ぬ勇気があるの?黙り込んだ。突き放した。我慢することね。しばらくして又たずねて来た。死ぬ気で頑張ったら、成績が上がりました。で、独身ですかと?笑った。次に結婚して下さい。言ってやった。あたしは何もして上げられない、それでも?真剣な目つきが頷いた。たいして考えもせずが、ぶっきらぼうに、仕方無いわね」

「仕方、無い?はっはっは!愛情は?」

「ぜんぜん・・・あたしの孤独に負けたのかな」

「分かる、私には」

「美咲さんのことが知りたい。いい?」

 記憶の永遠だけを語った。それで十分だと思った。

「命がけよね。でも恩に着せなかった。新堂さんは稀な人」

「今だから話すけど、あなたは仮死状態だったとか。多分呼吸が止まってたのね。それを蘇らせた。オールマイティーのなせる技ね。そしてルナには、ひと言も無い」

 大きく見開いた目。両手で顔を覆った。指の間から涙がこぼれ落ちた。手を放し、頼りない足取りが、部屋へ入った。メモ用紙を手に戻って来た。再び涙を滲ませ、思いを綴った。書き終えると美咲に渡した。目で読んだ。

『悪魔払いが、悪魔に殺された。洒落にならないよね。でも、でも言い訳させて。やはりあの月ではと。新堂さん。命を拾った女が、心から、心からのお礼を。ありがとう、ありがとう。淡路の新しいアジト、へこみそうなルナ。オールマイティーの力、貸して下さいね。そして応援も。うふふ、泣きながら書きました』

 似た者同士。先輩が、何とも言えぬ微笑を、後輩へ送った。

「まだ走ってるのかな?」

「敵を思わば、よね」

 更に、更に胸を打たれたルナ。料理を食べ尽くすと、ヨットハーバーをしばらく見つめ、爆眠中の使徒の髪をなぜ、ロビーへ。そしてYOYOの写真、絵に、元気を取り戻すや、美咲に案内され、大阪へと走り去った。フロントが忙しくなる前のことだった。


  59 ミニギャラリー2

  

 201X年6月21日土曜日

 満室の客が片付き、美術館作りが始まった。追加注文の展示ケース二つが、L字型に収まった。照明も美術館並みに変更、満足の施工業者が引き上げた。次いで、ワゴンに乗った十点の額装した絵が、業務室のカーゴエレベーターから出て来た。英二が静々と展示スペースへ運んだ。美咲が待っていた。

「英二さん。マイルームに泊まった感想は?」

「貧乏人が王様になった。しかしその王様も、讃美歌が耳にこびりついて眠れずさ」

「ほんとね。一生忘れない、あの讃美歌は」

「歌声、裸体、雰囲気。女神だよ、あれは。ところでさ、美咲もベッドで?」

「ええ〜っ。三人仲良く」

「気分は?」

「母親と言うより、修学旅行ね。はっはっは!」

 見えない恐怖。無力の人間。英二がしみじみと言った。

「まっ、みんな無事でなによりだよ」

 本音であろう。

 YOYO芸術の陳列に取り掛かった。二列目はアメポン先生他、計五作、三列目はOK牧場の五作として、余裕を持たせ並べた。微調整、終れば美咲が、スタンドのプレートへ筆を滑らせた。

 タイトル『想い』。文は、「懐かしい音楽室は、昔々、教師だった人の想い出を旅する場所。そして、過ぎ去った人生を辿る部屋。けれど今、古き学び舎は語る。優しい歌声と、オルガンの旋律が聴こえなくなる日は、いつ?」。筆を止めた。

「話を聴いただけ。でこれ。テーマソング、期待できるな」

 昨夜のことなど忘れた感のYOYO。爆眠と夫の手料理で元気いっぱい。

「ママ、アメポン先生に電話する。よろこぶよ、きっと」

「来月十七日、招待するわね」

「うわ〜、待ち遠しい!」

 続きOK牧場。タイトル『死は願い』。「ある日、牧場主がこの世を去った。九十二才。悔いなき死であることは、生前の彼の願望、言葉から伺えよう。あの世へ旅立つ日が待ち遠しい。何故なら、愛する妻がわしを待っているのでな」。筆を折った。

「詩人だよ、美咲は」

「おじいさん、きっと喜んでる。ママ、ギャラリーページも差し替えよう」

「善は急げね。じゃ冥福を祈りましょ」

 手を合わせれば、スタッフトップと準トップが、駆け込んで来た。新作に目を見張り、コメントで腕組みすれば、今後が気になった。

「ボス、ミニギャラリーはイベント館へ?」

「マネージャー、どうする?」

「あの癒しの木と同じ。法子、そう考えて」

「じゃ独立したものとして」

「お客さまに楽しんでもらう」

「YOYO、すみません。マネージャー、安心しました」

「二人にお願い。YOYOと呼んで。その方がつながりを感じるの」

「うれしいです。甘えます。純子いくわよ、せ〜の」

「YOYO!!」の、合唱になった。

 肩書きは必要だが、果たして意味があるのかと、オーナーは心へ問うた。

  

  60 科学者 1身辺警護

 

 201X年6月21日土曜日

 水の抵抗も敏感肌が退けたか、クロールが様になって来た。まったくもって不思議な嫁だと、背泳ぎが横目で呆れていたら、隣りを金髪娘が追い抜いていった。速い!こっちとはクジラとイルカの差だ。ターン、また並んだ。横目がイルカへいった。無駄のない美しいフオーム、腹の上で拍手してしまった。これにクジラが嫉妬したか、スピードが増し、最後はよれよれになってゴール。側壁に捕まってスイミングゴーグルを上げ、次いでに目もつり上げ言いがかり。

「浮気した!」

「はあ?」

「ブロンド女に」

「ブロンド?ああ〜あれか、わっはっは!」

 純なジェラシー、可愛いくも、うれしくもありで、笑って男心を誤摩化した。

「おかしくない。言って、女はわたしだけって」

 耳元へお望みの返事。更に念を入れ、濡れた額にキス、機嫌が直った。そのうえで水泳好きが、

「あのブロンドには俺も負けるかもしれん」と、ライバル心を燃やした。

「英二が・・・そんなにじょうずなの?」

「理想に近い、クロールのね。嫁も練習だ、練習すれば負けん」

「する!ハワイもビキニも待ってるから」

 想像すれば夫もやる気になった。

「ターンは難しいから、来週。で明日が飛び込み。そして今日はクロールに磨きをかける。そのためには真っ直ぐ泳ぐこと。まっすぐね。やってみて」

 満室の疲れは確かに見て取れた。しかし根性が並みでなく、『天才とは努力を惜しまぬ人』、そう胸に語ると、戻って来た。

「もう一周する」

「ヒマな嫁さんだったらね。上がろう」

 先に出て嫁を引っ張り上げた。入れ替わりにブロンドが飛び込んだ。負けん気が出た。スタート台に上った。

「よ〜し、チャレンジするか。YOYOは見学だ」

 英二が追った。豪快が、優美に迫った。相手も気付いた。ひねり気味のターン。間が空き浮上すると、体半分交わしていた。これにイルカがむきになった。横目がニヤリ、力を抜いた。ゴール。ほぼ同着。合わせてブロンドへ声が掛かった。日本語だ。

「マリア、もういいだろ」

「パパ、負けたのよ」

「負けを知る。いいことだ、上がりなさい」

 日本的名言に興味が湧いた。さりげなくスーツ姿を窺った。知的風貌に、上着はなで肩で三つボタン、短い折り返し襟、ズボンは細め。間違いなくアイビールックだった。完璧白人娘も共通した堅さがあり、遺伝子を信じ、疑いながら慰めた。

「男と女のハンデ、それを思えば二秒は俺の負け。気にすることはない」

 不機嫌がにっこり、そして返した。

「勉強になった。すごいおじさんがいるんだって」

「海で鍛えたからね。いくつ?」

「はたち」

「オリンピックが楽しみだ」

「アマゾネス《マッチョの女傑》になるの?」

 和洋折衷の可愛い顔が、肩をすくめ笑みを投げれば、スタート台から見下ろす、嫁の険しい顔。ぶるって首を振り、慌てて上がった。パパがやって来た。ごつい体に視線が這い、少し考え、思い切った。

「勅使河原です。なんて言うか・・・僕たちのガード、警護ですね、頼めませんか」

 いきなりの依頼。ちょい引き、ひと呼吸おいた。正統派眼鏡の奥とぶつかった。苦笑いが首を横に振り返した。

「プロに頼んだら」

「日本にいますか?」

「さあ、どうだろ。とにかくお門違い、悪いけど」

 依頼者の失望と不安。しかしいかんともし難く、パパも感じ取った。

「突然の申し出、気分を悪くされたでしょうね。この通り謝ります。じゃ聞かなかったことで」

 娘の肩を抱き、帰ろうとした。それにYOYOが待ったを掛けた。

「スイートのお客さまですよね」

 足が止まり振り向いた。

「君は・・・マネージャーだったね」

「はい。よければお話しだけでも」

「そちらの方は?」

「夫です」

 全身教養が、にこやかに笑い、助け舟に望みを託した。


  61 物理学者 2超 S F

 

 201X年6月21日土曜日

 危ない話はヨーロピアンスイートで聴くことになった。トラッドが英国製ソファーに腰を下ろし、定番ルックは肘掛けに収まり向かい合った。グレーのトレーニングウェアが茶を並べ、父親の隣りに。ブラックのスポーツウェアは、菓子を配り、肘掛けを寄せ、夫に寄り添った。自己紹介から軽い談笑へ進み、YOYOがそれとなく尋ねた。

「あの〜奥様は?」

 親子の表情が暗い過去を示唆した。しまったと思った。

「マリアが七才のとき、交通事故で」

「・・・ごめんなさい」

「アメリカではよくある話。気にしないで」

 こんな場はやはり朗らか男。

「博士の出身校は、プリンストンアメリカ合衆国の名門私立大学、いかが?」

「ほう!どうしてお分かりに?」

「服は語る。アイビーリーグ《アメリカ北東部にある八つの私立大学の総称》の名門だと」

 有名校であるが、日本では知名度今イチ。それ故、嬉しかったか、クールフェースが崩れた。

「新堂さん、あなたの大学は?」

 おもろい顔を指し、得意のボケに出た。

「卒業後、一度だけ面接に行った。就職のためにね。大学は、ええ〜と、聞いたことないですなあ。ラグビーは有名ですけど。人材派遣会社に行かれたら。まさか建設業とか?ピンポンですわ。怒って帰った」

 受けた。暗い影が消えた。物理学博士勅使河原直人が、本題へと徐々に迫った。

「今春、プリンストン高等研究所を辞して、NASAの、あるプロジェクトに参加しました。前々からオフアーはあったのですが、こちらも事情がありましてね」

 著名な研究所は、宇宙大好きの、知るところでもあった。

「じゃ大先輩、アインシュタインが悲しんでるかも」

「NASAへ行ったから?はっはっは。喜んでますよ、物理学の難問に挑んでますからね。まっ単純に言えば、夢にチャレンジするような」

「てことは、研究は極秘中の極秘」

「従って、アウトラインだけ。と言っても、NASAはどこも同じですが」

 甘いものが好きか、マリアが和菓子の包みを取り渡した。ひと口、茶をすすった。

「おいしい。京都ですね」

 スイートだけの逸品にニッコリの博士が、 S F のまた S F へぶっ飛んだ。

「亜空間、つまり通常の物理法則が通用しないとされる想像上の空間、それが僕の仕事場。お分かりにならないかと思いますが、おおよそのイメージで」

 イメージのイも想像出来なければ、ただ笑うだけ。

「そして亜空間ワープが、僕の研究テーマ。空間をねじ曲げ、何光年も離れた星へ瞬時に着く。まっ、S Fですね、現在では」

「スタートレックも真っ青だな」

「はっはっは!まっそうですね。光速ロケットですら夢のまた夢。更にその夢が叶ったとしても、宇宙ではたかがしれてます」

「まったくだ。天の川銀河を渡るにしても十万光年、だもんな」

「それも無数にある銀河の一つに過ぎない」

「博士は酒が飲めるの?」

「多少。その多少も、ヒマがなくて、飲めないに近いですね、はっはっは!」

「宇宙ネタでバーボンをいただく。博士、いかが?」

「頭の中が空っぽだったら」

「じゃ不可能だ。わっはっは!話を戻す。半世紀前までは世の中がこれほど変わるとは、誰も想像出来んかった。そう思えば博士の研究は、あながち絵空事じゃない」

「励みにします。新堂さんの今の言葉は」

「壮大な夢に挑戦する。羨ましいよ。ところでさ、物理は全て数式で表すだろ。あれって暗算?」

「ええっ、頭の中で。ちなみに、僕の数式は黒板が三ついります」

 何をか言わんやで絶句。それを見て嫁が笑い、話を少し前に戻した。

「英二。宇宙の話、わたしでは?」

「ん?そうか〜、物理学者の娘だもんね」

 博士のご同業である。即、飛びついた。

「YOYOさん。名字は?」

「L E E です」

 端正な目鼻立ちが、ある女性の面影と重なった。

「お母さん、ですよね」

「はい。名はX I N Y A N《シンイェン》」

「やはり」

「あの〜、ご存知なんですか?」

「ご存知も何も、チームの一人だもの」

 いきなり現れた母。衝撃はきつかった。が、にわかには信じられず、

「ごめんなさい、もう一度」と、身を乗り出し確かめた。

「驚かれたでしょうね。じゃ念を入れて。事実ですよ、神に誓って」

 右手を上げ、真面目に応えた姿は、証言台に立つ者と同じであった。


  62 物理学者 3スパイ

 

 201X年6月21日土曜日

 奇跡の中の奇跡であり、落ち着いてと、自分に言い聞かせ、肝心なことを尋ねた。

「じゃ亡命したんですね!」

「いや、まだだ。相手はチャイナ、慎重の上にも慎重にと、手紙に書いたよ」

「パパ。最高レベルの偶然ね」とマリアが、研究者の娘らしいセリフを。

「チームにはいつ?」と英二も、突然現れた母親には、驚き桃の木山椒のたいそう驚くこと

「二ヶ月前。正確には四月二十三日。それじゃ長くなりますが、経緯を。今年の三月下旬。友人の数学者、アーサー・ヤンと中国南部へ行った。ヤンが勧めたからです。その際、彼の母校である広州大学へ立ち寄った。前もって伝えていたのか、大先輩だと言って、お母さんを紹介してくれた。しばらくしてヤンが席を離れた。L E E 教授が僕を見て首を左右に降った。自然に。場所は来賓室。盗聴器、カメラの存在を示唆したのです。当然物理学者同士の話題は、興味を持たせない軽い話に終始した。ヤンが戻ってきた。もう用事は済んだと話し掛け、先に廊下へ出た。お母さんが送ってくれた。ごく普通に、僕に寄り添って。出口手前で握手。そしてこう言った。アメリカ風に親愛の情を込めて。僕を抱いてくれた。そして耳元で『ポケット』。意味は直ぐ分かった。しかしここは演技。彼女に言った。感激です、教授のフアンになりましたと。でもあなたのお母さん、本音かもしれませんね。はっはっは!ヤンは慣れてますから無視した。歩きながらポケットをまさぐった。メモリーカードだった。この国で安心出来る場所など無い。ホテルでも。結局N A S Aへ戻って再現した。論文だが、お母さんのメッセージが最後に。僕に会うことを知って、急いで付け足したのでしょう。これは『実在する亜空間』の論文を収めたものです。この理論は、数式は、未来の兵器となる可能性を秘めています。それ故N A S A及びプリンストン高等研究所の教授たちへ、私の思いを届けて欲しいのです。そして米国へ亡命したいとも。力になろうと決めた。論文はメンバーに刺激を与え、一も二もなくウエルカム。N A S Aもプリンストン高等研究所の教授陣も高く評価してくれた。あとは渡米するだけ。中国ではグレートファイアウォール《ネット検閲システム》がメールを脅かす。必然手紙のやりとり。五月二十日、お母さんでは無く、お父さんから手紙が届いた。妻が拘束されたと」

「なぜ?」

 博士が少し黙った。口を開いた。

「申し分けない。ヤンのせいです。彼はチャイナのスパイだった。恐らく、僕とお母さんの話に狙いを定めたのでしょう。数学者にとって物理学は興味の的ですから」

「その人は今?」

「刑務所。後になってですが、ヤンには不自然なところがあった。特に大学では。疑惑が F B I に調査依頼。結果、二ヶ月後にスパイだと判明した」

「と言うことは、母の研究を知ってた」

「はっはっは!もしそうなら、お母さんはとっくに拉致されてるよ」

「じゃふたたび、なぜ?」

「ヤンの妄想が弾けた、そう思うしかないね。L E E 教授とアメリカの物理学者が、親し気に話していた。怪しいと。当局もヤンの情報だ。とりあえず、引っ張れでしょう。目に見えますよ、手柄を立てたい愚か者が」

「そうですか・・・当時の母の様子は?」

「とにかく警戒してた。あの論文が表に出ればどうなるか。ナーバスなお母さん、よく分かるし、本当に気の毒だった」

「母をどう思いますか?」

「信念ある夢想家。これに尽きますね」 

「うふふ、わたしと同じ。軍事転用、可能ですか?」

「未知のRを解決すれば。しかしクリアしたとして、実験は宇宙の何処かでやるしか無い。太陽系以外の。分かるでしょ。悪魔がどれほどのものか」

「じゃ完成しても無用の長物」と、英二。

「気が狂った独裁者の、最期の選択以外は」

 お茶を一息で飲み干し、場の沈黙へ、僚友を思い語った。

「恐らくお母さんはRにこだわらないでしょう。独創性はチームの折り紙付きですから。とにかく皆首を長くして待ってますよ。僕もね」

「母がそんなに偉い人だとは・・・Xデーはいつごろだと思いますか?」

「高名なご主人も一緒だと、恐らくですが、来月中旬」

「どのようにして?」

「いったん日本に寄れば、普通に渡航出来ますよ」

 ぼんやりしていた両親の姿が、はっきりと目に映った。


  63 物理学者 4博士の実家

 

 201X年6月21日土曜日

 勅使河原博士が、話題を自分へ切り替えた。

「某宇宙機関の依頼で来日。T大学で講演したのですが、中に異様なほど熱心な学生がいましてね。女性です、まっ話し手としては嬉しいのですが、度が過ぎると恐いと言うか、案の定、終ると質問攻めです。それも講演内容のダークマター《暗黒物質》とはかけ離れた、亜空間理論の話ばかり。しかも日本語でなく英語で。不自然がチャイナスパイに結びつき試してみた。留学生はミヤゲ次第で道が開ける、と言って。彼女が反応した。僕を睨みつけ、走り去ればね。そして昨日、梅田の書店へ立ち寄ると、亡き妻と少し似た女が、あなたのファンですと声を掛けて来た。怪し気な微笑にピンと来た。ハニトラ《ハニートラップ。女性スパイが色仕掛けで騙すこと 》だと。でからかった。キツネ君、尻尾が見えてるよ。はっはっは!」

「あの〜早く帰られた方が」

「心配だよね。じゃ本題へ」

 マリアがコーヒーに変えた。

「月曜、そして来日最後の火曜、この二日間のガードをお願いしたいのです」

「実家にいたら」

「普通の家でしたら」

「まさか城のような」 

 苦笑いが頷き、百聞は一見にしかずと。

「マリア、動画」

 スマホのアルバムが、恐ろしく古い、バカ広い屋敷を、映像で示した。横で覗き見る嫁が、声を吞み吐き出した。

「勅使河原家のこと、お聴かせ下さい」

「それじゃ簡単に。相場師の祖父市蔵は、時代の風雲児と呼ばれ、財を成したのですが、世間では謎の人だった。用心したんですね、家が家ですから。結局人知れずこの世を去り、跡を継いだ父は、田畑は小作人たちに分け与え、家族で渡米しました。先進国の医療を学ぶためです。ちなみにフロリダに住む兄、姉とも医者です」

「じゃお家はどなたが?」

「かって祖父に仕えてた人が、夫婦で住んでます。でも年ですからねえ」

「英二、格闘技は?」

「あのさ〜、アクション俳優にしたいの?」

「俳優じゃない、本物」と、嫁の無理難題。

「六十二だよ」と、泣きが入った。

「信じられない」と、マリアが調子に乗せた。

「この二日間は僕の思考の時。新堂さん、お願い出来ませんか?」

「広い屋敷を俺一人で。うう〜ん、無理」

「そばにいてもらえたら、それで十分ですが」

「英二、質問の答え」

「小学空手、中学柔道」

 女二人、満足の笑みと拍手で持ち上げた。こうなれば引くに引けない。

「ガード料、一日五万。少ないですか?」

「スイート連泊だろ、ただでけっこう!」

 美咲が喜ぶ威勢のいいセリフ。しかしオチがあった。

「超未来から昔へ。頭の回路がショートするよ、ったく」

 トーンダウンのボヤキ。同情されるも、失笑で幕になった。


  64 怪しき庄屋 

 

 201X年6月22日日曜日

 ここで淡海荘の概要を少し。全てに紀淡海峡を望む客室は、二階から五階までのスタンダードが四十八室。六階は厨房、和食と洋食が別のダイニング、大浴場、それにインターネット室。七階は露天風呂付きセミスイートが三室、天然にこだわった露天風呂付きスイートが、実質二室で、今、勅使河原博士は、その極楽温泉に浸り、深い思考にも浸っていた。そして様々な推論の果てに、宇宙のチリが存在しない、亜空間へ辿り着いたとき、娘の声で我に返った。

「パパ、安さんから電話よ」

「怪人でも現れたか」と苦笑、ガウンを羽織った。

 安さんこと安田茂は、市蔵翁を師と仰ぎ、おきなの死後は、アメリカから届く管理料で屋敷を守っていた。

「どうもコソ泥が入ったような気がして。坊ちゃん、今どこに?」

「淡海荘。ガラクタばかりの家だよ」

「売ればなにがしかの金になります。とにかくいらっして下さい」

 時が時、気になった。

「マリア、新堂さんだ」

 即座に動けば、嫁が下へ声を張り上げ、ランニング男が手を振り戻った。 

「出番よ、用心棒」

「頼もしい助っ人さん、力になって上げて」

「任せろ!」

 知ってか知らずか、ミーもニャ〜と後押し、お人好しがその気になった。

 飾り物に近いベンツが、エントランス前に止まった。 

「しばらくは私の車で。娘はアシスタントね」

「さすがママ」

 十一月まではと、黒のトレーニングウェアが、胸を弾ませた。

「YOYOも来てくれるの。マリアうれしい、ありがとう!」

「本庄さんのご好意に感謝します。そうだ。YOYOさん、絵を描かれたら。なにしろ江戸時代そのままですからね」

 状況は穏やかじゃないが、とりあえずで、しもべが段取りした。 

 ホテルから四十分余りで山間の集落へ。そして、一面夏野菜畑の道が遠ざかり、なまこ四角い平瓦を張り、その目地に漆喰をかまぼこ形に盛り上げて塗った壁に沿ってゆっくり走れば、歴史の入口に到着。貫禄の楼門二階造りの門を仰ぎ見、中へ。安さん夫婦が待っていた。   

「博士の用心棒、新堂です。こちらは、助手兼画家のYOYO、よろしく」

 面、体に納得。さっそく周囲へ目を配った。恐いほどの静寂が言わせた。

「近くに民家無し。博士、どうして?」

庄屋江戸時代の村落の長ですからね」

「なるほど。小作人にとっちゃ、殿様と同じだもんな」

「しかし不思議です。太閤検地領主が行った土地の測量で消滅したはずなのに」

 意味難解の嫁は、歴史に興味があるも、素材の山に顔はキョロキョロ。これに安さんが気を回し、妻、八重に案内させた。

 豪壮な構えの母屋、隣りで昔を語る茅葺きの家、凝った井戸、旅籠屋旅行者を宿泊させる食事付きの宿屋、ひときわ高い望楼やぐら、倉、牛舎、納屋、その他雑多な小屋と見て、大感激。画家の血が沸騰しそうになった。

 一方博士は、この家から何をと、首をひねるばかり。

「思い過ごし、気のせいとか」

「だったらいいのですが」

 築地塀土だけをつき固めた土塀に沿ってナマコ壁の倉が三棟並んでいた。それぞれ黒塗りの観音開き《真ん中から左右に開く戸》の扉に、鼠、丑、寅と刻まれ、銀の塗料が施してある。いずれも自然の猛威に耐えたつわもので、奥の寅が問題の場所だった。

 安さんが地面の足跡を差し言った。

「これでも気のせいだと」

 他の倉に足跡は無く、侵入者と断定。昔ながらの錠前が外された。安さん、博士、英二、そして背中に隠れて、嫁、マリアと順に中へ入った。

 そこは名前だけの倉であった。い草の丸座布団。両横の燭台。手前の三方白木の台に、興味深い半紙の結びと、いわくありげな小刀。そして正面の虎の掛け軸と、ただそれだけであれば。

「確かブリキの箱が、整然と並んでたよね」

「坊ちゃんが幼稚園の頃までは」

「て言うと?」

「神の諭しがあったと、市蔵翁はおっしゃり、ある日このように」

「神との対話・・・するとここは修行の場」 

「ですからおきなは決して誰も入れなかった」

 宇宙の神秘を論じるように、倉の神秘を博士流にまとめた。

「爺さんの命がけ人生。このちっぽけなスペースから、ひしひしと伝わるよ」

 それを耳にした英二、三方に目がいった。

「博士。半紙だけど、気になるね」

 安さんが手に取り言った。

「書と能は翁の趣味。何か書かれてるはず」

 結びを解いた。広げた。

『神は我に有り』

 勝負師の力感溢れる書体に、英二は痺れ、畏敬の念を抱いた。

  

  65 推理

 

 201X年6月22日日曜日

 時間の感覚を奪う母屋。その囲炉裏端が賑やかだ。

「神聖な場所?なんか違うのよねえ。英二、そう思わない」

「シンプル過ぎるから?」

「そう。日本人の美意識にしても」

 嫁の鋭い洞察に舌を巻き、それではと、エセ刑事になった。

「侵入者に心当たりは?」

「想像もつかんな」

「翁の友人、知人は?」

「気難しい方。推して知るべし」

「集落の人は?」

「恩を仇で返す者など」

「要するに、まるっきり見当もつかない。それじゃあの足跡を見てどう思う?」

「あれは足袋だよ、間違いない」

「足袋?ふう〜ん。で目的は寅の倉。てことは中を知ってる。お宝が無いことも知ってる。じゃこの風流さんは、いったい何をしに?精神統一したいから?」

 場は失笑。雄弁家が調子に乗った。  

「分からん、分からんが、第三者でないことは事実。すなわち翁と係わりのあった人物。これは断言出来る。そして昨夜の侵入は、錠前の型を取るため。カギは簡単にコピー出来そうだもんね。従ってもう一度来る、必ず」

「英二、つかまえるの?」

「無論だ」

「新堂さん、警察に任せた方が」

「そうよ、危険よ」

「マリアの言うとおり。やめて」

「誰だ。空手、柔道を持ち上げたのは。とにかくあの倉には秘密がある」

「わたしもそう思うけど、英二になにかあったら・・・」

「それじゃこうしましょ。僕の思考は寅の倉で」

「ありがたい。一石二鳥だ。じゃ賊はいつ来る?それはカギ屋の腕次第。普通なら、あの程度だと、俺は二日後、つまり火曜夜と踏む。この時が勝負!」

 英二の男らしさに、嫁の目は恍惚とし、マリアの胸はときめいた。そしてその後は、二人仲良く庄屋探訪。やがて昼ご飯と進み、八重の郷土料理を堪能すると、古文化の宝庫にYOYOは絵筆を走らせ、ジャーナリストを目指すマリアは、ペンで思いを綴った。

  

  66 怪人

 

 201X年6月24日火曜日

 下弦の月が不気味な夜だった。

「博士、思考出来る?」

「意外にね」

 ロウソクの火にフードをつけた。外へ出て高窓を確認、ほぼ真っ暗。ニヤリとして中へ入れば、安さんが施錠、そしてボソボソと声を掛けた。

「お嬢さん、YOYOさん、それに本庄さんは、このヤスが守りますから」

「百人力だ」 

「ご冗談を。しかし、よわい《年令》七十六、意地でなんとか」

 実直が去った。山麓の屋敷が、深い闇に閉ざされて来た。観音扉のかたわらで横になった。あぐらの博士はただ瞑想。いよいよだとガードが胸の内に言い、普通に、自然にと、つぶやいた。

 どれほど経っただろうか。スモールランプのセダンが、楼門を過ぎ、林道に変わる所で止まった。面をつけた。怪人が地に降り立った。築地壁、その向こうの倉を目指し歩き出した。青黒い闇も夜目が利くのか、歩調に乱れは無かった。樹間、草地と通り抜け、築地塀まで辿り着いた。黒装束の腰袋から真田紐木綿糸で平たく厚く織った紐を手に取った。先っぽのかぎを確かめ、塀の中へ放り投げた。たぐり寄せた。塀のどこかに引っ掛かった。手応えを確かめ、紐にぶら下がった。グイッ、グイッと屋根の上へ。そして軽業師のように中へ飛び降りた。

 かすかな足音を英二のレーダーが捉えた。そっと身を起こした。沈黙の人は真後ろ。一撃で決めなければと、我を励ました。

 怪人が腰袋からカギを取った。錠前に差し込んだ。ひねるとカチッ。外れる音。扉の片方の取っ手を握った。開いた。その刹那、面の瞳孔に驚愕が走った。

 一方英二は、落ち着いた口調で、

「待ってたぜ」と言うや否や、黒装束の襟をグイッと掴んだ。

「だ、だれだ!」

 問答無用。力任せに押し、地に倒した。寝技に持ち込んだ。馬乗りになった。羽交い締め、そして面を引っぱがした。かすかな明りにやさ男が浮かんだ。

「三十秒もすれば気を失う。警察へ突き出すには手ごろだが、能面が俺に言う。訳を聞いてやれと。武器は?」

 苦痛に呻き、首を横に。戦意などかけらも無い。力をゆるめた。

「名は?」

「言えん」

「そうか。職業は?」

能面師面打ち師

「興味が尽きんな。聴こうか、話を」

 組伏した者の手を取り立ち上がった。腰袋に目がいった。中を確かめた。刃物は無く、小型デジカメと丸めた紐だけ。その紐で手首を縛った。沈思黙考の博士も異常に気付いた。

「忍者?」

「そうとも言えるけど、能面師だって」

「この家の侵入者らしい」

「博士、みんなを呼んで来て」

 地面を蹴る音が耳につき、桃色の熱気がぶつかった。女三人に抱きつかれ、そのまま倉へ入った。後を苦笑いの博士、安さんが続き、扉を閉めた。い草座布団のうなだれし黒装束を取り巻いた。英二の裁きが始まった。

「こちらを向いて」と優しい口調に、正座の賊が半回転、目を閉じた。

 侍にも似た姿勢に、職業を感じ取った。英二も座り込み、真正面から尋問。

「先ず、君の名前と、この家の係わりから聞きたい。話してくれ」

「勅使河原雅比呂。ゆかり《縁》は母」

「勅使河原・・・続けて」

「母は、勅使河原市蔵様の、妾でした」

 場の驚き。ひと呼吸。そして目を開き、在りし日を偲ぶように語った。

「奈良のお茶屋で働いていた母。市蔵様のことは一切語らなかった母。二年前に死んだ母。これからの話は、その母の晩年の受け売りとしてお聴き下さい。切っ掛けは能楽。一緒に行かないかと誘われた事からお付き合いが始まった。市蔵様が六十、母が三十七の折りです。以来親交を深め、三年後妊娠、私が生まれた。子どもはお一人でしたのでたいそう喜ばれたとか。勅使河原雅比呂と名付け、認知したのはその例で、度々能楽堂へ連れていかれたことは、本妻の子ども並みと、わたしは受け取っています。それ故、能に興味を抱いたのは必然の流れで、高校へ進学すると、市蔵様はこうおっしゃいました。面打ち師にならないかと」

 間を取り、淡々と話を進めた。

「能楽師でなく何故面打ち師なのか。当初は分からなかった。またそんな職業があることすらも。でも父の意に従った。有名な面打ち師の弟子になった。勿論父の紹介です。学校に通いながら学んだ。三十を機に独立、能楽の世界でも多少知られるようになった。感謝しました。適性を見抜いた父の見識に。だが、次第に彫れなくなった。俗に言う、スランプです。見兼ねた母がこう言った。お父様の遺言。苦しい時が訪れたら、実家を尋ねなさい。寅の倉の地下室の壁に、室町時代の面があると」

 場がざわついた。博士が静かにとたしなめた。

「見たい。けれど、私は日影者。淡路島へ行くなど。母が亡くなった後も、決断出来ず、悩んだ、ずっと。遂にはまったく彫れなくなった。そんなある日、龍右衛門作の名品『雪の小面』を見た。五体が震えた。と同時に、勅使河原家の面が脳裏に浮かんだ。見たい、触りたい、しかし、しかし・・・」

「OK、雅比呂。それじゃ地下室だ。知ってるの?」

 悩める者が顎を引き、手を差し出した。紐を取った。

「これも父の遺言です。ついて来て下さい」


  67 地下室、そして悟り


 201X年6月24日火曜日

 虎の掛け軸の前で立ち止った。幅六十センチ、大人の背丈ほどを目繰り上げた。隠れるには程良い隙間の正面に、真鍮製スイッチレバーがあった。指先で軽く押し上げた。階下がぼ〜っと明るくなった。計算したような暗さに、ある種の趣を感じ、十五の階段を降りた。

 かすかな換気扇の音を耳に、鈍い光沢を放つ、褐色の板張りの部屋を見まわした。倉の重さに耐える四本の柱、六本の梁に、いにしえの技を思い、壁の炎を真似た電球で、翁のセンスを感じた。

 目の端に写るスポット光へと、雅比呂が足を向けた。後に続いた。うっすらとほこりで化粧した女の面が、いかに重要かは、広い壁面の半分をを独占していることと、真下の三方に横たわる白木の小刀、巻物からも容易に理解出来た。

 博士と奥へ移動。壁に架かる長短五本の槍と、その前で二つの燭台を従え、睨みをきかす黄金の甲冑は、二基のスポット光が極限の緊張を与えた。更に角を曲がって右へ。壁の三丁の火縄銃、五張の弓、横の壷に差し込んだ一抱えの矢、七振りの刀と見て、それぞれの下にある黒塗りの箱へ目をやった。柱のライトを幾分調節した。

「鉄砲、弓、刀。盗賊が多かったのかな?」

「新堂さん。ここはやはり城ですね」

「もう、間違いなく。でも城に似た庄屋なんてあったかな?映画や写真で見た庄屋はこんなに物々しくなかった」

「じゃ勝手な推理を。太閤検地から逃れたことも含め、この地を治めていた君主が、庄屋に砦も兼ねさせたのでは。屋敷の造り、武器を見れば、そう思う方が自然な気がします。新堂さん。どうですか?」

「なるほど、筋が通ってるよ。うん」

 いずれにしろ不思議な庄屋だと首をひねり、鉄砲の箱を開けた。けっこうな数だ。一丁を手に取り構えた。長さ一メートル強、重さ四キロほどか。

「当時の男たちの腕力、再認識したよ。だってさ、めっちゃ重いフランス製の三脚といい勝負だもん。高いはずだ」

「いくらぐらい?」

「物の本によると、一丁で高級車が買えるとか」

「じゃ砦が先で、庄屋はつけたしですね。いや、カムフラージュかな」

「これではっきりしたね。ここは城の一つだってさ」

 銃弾の箱も見た。一つを手に取った。五匁5もんめ。やく20グラム、直径15mmほどの鉛の丸玉に、背筋が寒くなった。弓も手にした。日本古来の長弓だ。差し渡し二メートル強。材質は木と竹。軽いが、弦を引っ張るには腕力がいった。

「俺はこっちの方がいいな。身も心も引き締まるからね」

 終いは刀箱を開けた。折り重なる大刀、小刀に圧倒され、次の角を曲がった。

 能面と相対する文机が、地下室特有の異臭の無いわけを教えた。貝をちりばめた漆の芸術品上に香炉があったからだ。疑問が解け、ギヤマンランプ、赤漆の文箱、竹の水筒としばし見入り、大きく息を吐いた。そして最後の角を曲がった。合戦の水墨画、掛け軸二点で、英二が、翁と幽玄世界の関わりをまとめた。

「ここが砦だとすれば、身を隠す地下室は、生死の境い目。それが翁の生き様に、魂に触れた」

「爺さんの精神力、決断力、まさにその通りですね」

 文机へ戻った。向かいを見た。女たちと微動だにしない男がいた。 

「笑顔の裏に情念を感じる」

「よく分からない」とYOYO、マリアが、声を合わせた。

「つまり、抑えがたい、女の愛や憎しみの感情」

 美咲の思いに、悩める芸術家が閃いた。面を外し見つめ、指先で感触を確かめ、深く頷き、声を上げた。

「形ばかりにこだわっていた。分かった!分かったぞ!!」

「悟りを開いた!」と美咲。 

「ええっ!あなたのお陰です。感謝します」 

 それからは、苦悩から解放した面をつけ、立方役に扮する人地謡方声楽をうたう人 を一人で演じ、見物客のやんやの喝采を浴びた。

 セダンが楼門前で止まった。スーツに着替えた能面師が車から降りた。見送る人が集まった。

「お召しになっていた衣装、よければいただけませんか」

「この人さあ、忍者になるのよ、CMで」

「そうですか。テレビは見ませんから、想像で楽しみます」

 つけていた面も含め、丸ごと風呂敷に包み渡した。

「雅比呂。アトリエとしてこの家を使ったら。お母さん、爺さんも、きっと喜ぶよ」

「兄さん・・・兄さん、ありがとう」

 涙、涙の車が、人の情けを胸に、村里の灯りの中へ消えていった。


  

  68 結婚式は

 

 201X年6月25日水曜日

 岩に樹木を配した本格露天風呂。早朝だが法子、純子もいっしょだ。

「マネージャー、新堂さんは恋人でしょ」

「法子には隠せないな〜」

「もう〜何を言ってるやら。公然たる事実よ」

「スタッフ一同、もうがっかり」

「恋人としては、心中複雑ね。はっはっは!」

 つがいだろうか。野鳥が二羽飛んで来た。話が気になるのか、フェンスから樹木の枝に止まった。鳴き声も小さく、まるでを澄ましているよう。

「ご結婚は?」

「法子、ママに聞いて」

「私が?はっはっは!じゃ結婚のお節介ね。とりあえず式だけは上げる。これからのこともあるから。その際、従業員も招待する。日取りは、そうねえ、夏は忙しいから秋。九月の後半がいいわね。場所はロビーじゃなんだし・・・」

 純子が口を挟んだ。

「牧師さんを呼んでプロムナードでは?」

「いいわね。知ってるの?」

「はい。スペイン人ですけど、なんて言うか、穏やかで親しみやすい」

「会いたいな」

 勝手に進んでしまった。がYOYOは、照れながらも嬉しそう。

 ママが裏話を明かした

「結婚は国籍を取得してから。うふふ、新堂さん、気の毒でしょ。だっておじいちゃんになっちゃうもの」

「それほど日本人に・・・」と法子、純子が、声を合わせ感動。

「素晴らしい国だもん」

「純子、式は盛り上げるわよ」

「チーフのスピーチだと、盛り上げるより、泣いちゃうよ」

「ご明察。はっはっは!」

 仕事に備え、朗らか両女が先に上がった。野鳥が飛び去った。それを見て缶ジュースで結婚の内定祝い。そして、母娘だけの気が置けない話へと。

「英二と別れたら、マリアがチャレンジするって。どう思う?」

「二十五才の次はハタチ。ほっほっほ!冗談でしょ」

「冗談じゃない。見て。わたしを」

 湯玉が弾けママの目の前で仁王立ち。愛の女神アプロディテも、一目置きそうだ。

「ピカピカよ」

「そんなわけない。二日も別々だったのよ」

「じゃこっちへ来て」

 湯船に並んだ。ママが娘の耳元へひそひそ。

「ええっ!休んでいいの?」

「明日はアドワークスさんと打ち合わせ。金曜日はプラネットさん、衣装合わせ。で土曜はミニコンサート。ピカピカになってもらわないと」

「なる!ピカピカに。・・・でも心配だなあ。ずっと博士のそばにいてたでしょ。それでホテル、空港。やっぱりやめる」

「いいの。本当に妻なの?」

「ママ・・・ありがとう、行く」

「うふふ、もう帰ったかな?」

 サンデッキのママのスマホを娘が取った。短縮、耳に当てた。しばらくして英二のけだるい声が。

『美咲じゃないの?なんだ嫁か。ベンチで寝てるよ。空港対岸のさ』

『かわいそう。ゆっくり寝てて。わたしがお料理作るから』

『休めるんだ。ママによろしくね』

 いくら鉄人でも限界はある。

「よくやるよ、ったく」

 愚痴り眠った。白さを増す朝陽が遠ざかり、空港での博士とマリアが現れた。

『僕等の研究は、次の代、又その次の代へと受け継がれていく。その結果、夢で終ることだってある。アメリカが偉大なのは、そんな得体の知れないものに援助するからです。YOYOさんに伝えて下さい。お母さんと遥かな夢を追いかけると』

『彼女と姉妹の契りを結んだの。恋敵として。はっはっは!英二はマリアの理想の男性。優しくて面白くて強くて。キスして。唇だと嫁が怒るからほっぺに。大学卒業したら日本へ行く。もう一つの日本を取材するため。ガードしてくれる?恋敵もいっしょに。うふふ。英二、さよなら』

 中天の陽光が瞼の裏を赤くし目覚めた。のろのろと身を起こした。公衆トイレでジャブジャブ顔を洗い、とりあえずは生き返った。ぶらぶらと歩いた。その途中、スポーツショップで足を止めた。ハワイロケ用のフイットネスウェア、キャップ、シューズと、黒と紺だけの色を選び、買い求め店を出た。青い海を見ながらストレッチ、完全復活が、淡路島へとベンツを飛ばした。

 二時きっかりに駐車場へ滑り込んだ。美咲が待っていた。 

「さすがね、時間通りだもの」

「ボスが遅刻、考えられん」 

「ほっほっほ!ご苦労さま。体調はどう?」

「なんのこれしき」

 乗り替わった。

「明日は忍者よ。来る?」

「当然。あと泳ぎもあるしね。そうだ。美咲もいかが?」

「見たい?私のビキニ」

「貧乏人の王様がだ、眠れなくなる」

 想像したか、ご機嫌オーナーが、サングラスを掛けアクセルを踏んだ。

 そしてボロ家では。ハワイ用のプレゼントでひと悶着。原因はフィットネスウェア。ボディーラインがあまりにもリアルだったからだ。

「返品する」

「気に入ったのに?」

「ならジャージで隠す」

「わかった。セクシーだからでしょ」

「嫁が目立つと俺は焼きもち焼く」

「焼きもちはわたしだけど」

 夫婦とも吹き出し、仲直り。その後、嫁の手料理を絶賛、浮かれて朝のめでたい話を持ち出した。

「とりあえずで、結婚式、ママが決めちゃった」

「抜かりが無いと言うか」

「式は九月。場所はプロムナード。スペイン人の牧師さん、お世話になりそうよ」

「美咲に感謝だが、恥ずかしくてさ、うう〜ん困ったな」

 年を思えば同情はするが。

「芸人でしょ」

「よっしゃ!笑わせるか。わっはっは!」

 話題がハワイへと。

「英二もついて来て欲しい」

「来月から写真。分かって」

「ガーデンアイランドよ。お花がいっぱい咲いてると思う」

「ん?いいな。行くか〜」

 歓喜が爆発、勢いでそのまま寝室へ。嫁がピカピカになったのは言うまでもない。

  

  69 変身

 

 201X年6月26日木曜日

 アドワークス、田之上に今ひとつ覇気が無い。

「あれもダメこれもダメ。予想はしてたが、城はほんとうるさい、参ったよ」

「お得意のCGでは?」

「実写でなきゃ、話は無いことにする、だってさ」

「太秦映画村」

「あのさ〜、必殺なんとかにしたいの?」

「いいじゃん、それなりだもん」

「それなりじゃこっちの首が飛ぶ。なあ新堂、知恵を貸してくれ」

「俺に言われたってさ」

「ラストの天守閣は合成するとして」

「おいおい。それじゃつまらん。表情の変化、これさ。で城内のシーンは瞳に写す。戦国時代だから山城がいい。今のデジカメだったら手持ちでいけるしね。とにかくアップだ。アップでこそYOYOの意味がある。違うか?」

「アイデアマンは変らんな。よしっ、乗った!逃げて勝つ!」

 オーナー室から会社役員風二人が出て行った。母娘が見送り、戻ると同席した。

「田之上様、今日もお一人で?」

「クリエティブは外注なもんで・・・おっ、来た来た」

 男性一人、女性二人が、早足で加わった。それぞれ自己紹介、終ると田之上が英二の名案を披露した。異論無く撮影場所、コスチュームへと移った。外注リーダーが注文を口にした。 

「リアルなシーンも必要かと」

「城はダメだ」

「別に城でなくても」

「探すのか。時間がな」

 英二がニヤリと笑い言った。

「お望みの時代劇が近くにある。行くかい?」

「ウソ。ほんと?」

「ウソと坊主の髪は」

 以前のセリフであり笑った。そして笑いながら安さんへ電話、二つ返事だった。 

「ついでに大サービス。YOYOが忍者になる」

「またまた、ほんと?」

「田之上様、しばらくお待ちを」

 娘の手を引きオーナー室へ入った。気もそぞろな田之上以下。衣装からして時間が掛かるのは承知で、首を長くし、今か今かと待った。そして遂に忍者登場。どよめきが変身の見事さを語り、席を立ち、拍手で迎えた。英二も時代劇そのまんまに驚嘆。頭から足元まで丹念に見ていった。

 頭巾、上着、はかま手甲てこう。手の甲や手首をおおい保護するもの脚絆きゃはん。すねに巻き付けた布、わらじ、足袋、それに加え、面打ち師のこだわり、腰袋で、ほぼ完璧と唸った。合わせて忍者が後ろを向いた。手にした女能面を顔に当て、ずらしながら振り向いた。場がどっと湧いた。

「素人だなんて、信じられない!」と、クリエーターたちの驚愕。

「うむっ!よしっ!新堂、案内してくれ」

 幸運のレールに乗っかった部隊が、ベンツに続き、勅使河原邸へと向った。


  70 忍者熱演 

 

 201X年6月26日木曜日

 江戸時代に陥った者たちが、囲炉裏端にいた。管理人の話を聴くために。

「重文の指定を断った。また県が観光の目玉にしたいと。これも同じく断った。何故か。人知れず昔のままで保存したいから。有名になればどうなるか。考えなくても分かるだろ。そこでお願いだ。俯瞰、広範囲の撮影は控える。要するに、ここはどこだと興味を持って欲しくないから。あとはスタッフ。極力少人数で。それも信頼出来る人を。意味はお分かりになるはず。この二点さえ守って頂ければ、どうぞご自由にと申し上げる」

 勅使河原家の願いが、英二には痛いほど分かった。

「田之上、どうする?」

「話はデリケート、しばらく待ってくれ」

 降って湧いた幸運。何とかしたい尋ね人たちが輪になった。真剣な討論に英二が、「いっぷくだな」と言って、表へ出た。

 元は行商人詰所で茶話。テーマはほこりの少なさと香の匂い。

「誰かが管理してた」

「だとすれば集落に住む市松。月に一度寅の倉を掃除してたからな。もっとも、最近死んだが」

 謎が解け、伊賀上野出身の八重が、女忍者へ寄り、ケイタイで撮影。画像を見て、感心したように言った。

「こんなにきれいでも、本当の忍者に見える。Y O Y Oさん、自信持って」

 安さんも我が意を得たり《自分の考えにぴったり合う》と後押し。それではと、英二が愛機を取った。

「秘密の部屋で撮影したいけど」

「もう秘密じゃない」

 安さんを先頭に地下室へ降り立った。八重が掃除したとかで、空気まで違う。気分良く光源を確かめた。天井光は無く、四本の柱のスポットライト八基だけが頼りだった。全て調べた。球切れ無し。そのうえ明るさは新品並み。撮影に弾みがついた。

 ほこりを拭いさった室町芸術を慎重に外し、女優へ手渡した。

「リハーサル?」

「いや、本番。スーパードキュメントさ」

「じゃがんばる」と言うや、まるで別人になった。

「壁の光と影の間に立って。そうそう。顔は少し斜め。いいぞ。でここからが演技。面はあごを左指で挟み、顔半分が隠れるくらいで。OK。顔は戦闘モード。わおっ!おしっこちびりそう。下品か。わっはっは!」

「そんなに恐いの?YOYO、自信持った」

 信頼絶大の愛機。I S O感度 3200でも画質の劣化に耐え、暗い灯りでも能力を発揮した。ただし若干のザラツキはあった。が、ドキュメントであれば、荒れた写真の方がベターだと思った。

 モニターを見た。インパクトは半端じゃない。満足が設定を変えた。

「安さん。小刀、使っていい?」

 返事より絶品が渡るのが早かった。切腹用か。白木の柄、鞘が、映画で見た侍たちの、悲壮な光景と結びついた。

「逆手で握り、少し抜いて左頬へ寄せる。目は・・・」

「殺意よね。半眼にする。英二、気持が乗って来た」

 極限のリアリズムへ、刃がピカッと光る角度を指示。鳥肌の立つ芸に挑戦した。

終れば、美咲が、同じ芸をスマホで連写。

「俺よりうまい」と冷やかし、母娘にモニターを見せ、感想を語り聞かせた。

「暗躍の勇者、くノ一。女忍者ね、は冷たく、儚く《はかなく》、美しい。YOYO、まさにくノ一だったよ」

「英二がほめてくれると、やる気になるのよねえ」

 以後はほぼ全身。当然、刀が無いと様にならず、刀籠から年季の入った脇差し《武士が腰に差す大小二刀のうち、小刀の方》を取った。

「かっこいい!」とはしゃぎ、腰に差した。クライマックス。巻物は黄金の甲冑かっちゅう。戦場で身を守るための武具、兜の中と決め、天井の梁に真田紐の鉤を引っ掛けた。軽々と上り、ぶら下がった。カメラは甲冑の後ろ、構えた。

「これじゃ面白くないから、体操選手になる。見て」

 ママの心配をよそに、これでもかと、全身を左右に振った。ちょっとした曲芸であり、「掛け値無しの女優だ!」と声を上げ、連写!ふわり飛び降りた。姿勢も自然で文句無し。激写!一連のアクションに見とれていた安さんが、兜を器用に剥ぎ取り、中に巻物を入れた。

「先ず金ピカヘルメットから巻物を抜き取る。OK。次は流れるように、左手で巻物を支え、口で、歯かな、紐をほどく。で転がしながら素早く見る。ちょい難しいけど、やってみて」

「結びがきつそう。ゆるめる。要は本物か確認ね」

 完璧主義者だ。N G 。安さんに頼んで巻物を元に戻した。三度目で納得。

「次は冠って。いいぞ似合ってる。やったと巻物を握り締め、ふところへ。半分入れたところで、ニヤリ。しかしあくまでもクール。単純だけど意外にね」

 もっともでありN G連発。四度目でモニターを見て親指を立てた。

「これも撮っていい?」と、美咲が甘えた。

「安心だ。俺もヘボがあるからさ」

「ええ、安心して」と、澄まし顔。

 これは大受けで、手抜き無しが同じ演技で、ママを喜ばせた。

 ラストは敵に気付かれた!が始まった。先ず火縄銃を握り取った。

「おも〜い!構えるのはむりだから、そうだなあ、うん、兜に乗せたら?」

「おもしろい。ちょい滑るが、やってみて」

 なんとか踏ん張った。嫁を思わば、ここはスピードだ。急ぎワイドで銃口を大きくとった。女優兼演出家が、それらしくポーズを決めた。構えた。高さも申し分無い。

「うん、絵になってる」

 一発終了。お次ぎは長弓。場所は合戦の水墨画の前。矢をつがえた。弦を引っ張った。しかし女の腕力では頑張って三分ほど。

「鉄砲以上に大変」

「わっはっは!分かってたけど、格好だけでもね」

「どうしょう?」

「目一杯でいこう」

 歯をくいしばった。必死のリアルさが、演技を嘲笑った。お陰で嫁はへこたれた。気の毒なほど。これを見て美咲が怒った。

「大事な跡継ぎよ!無茶させないで!」

「ほんとの女優なら泣き言は言わない」

 プライドをくすぐったか、一転してにっこりへ、冷やかしの暴言を吐いた。

「N Gだったら?」

「ほうり投げる!」

「よっしゃ!その元気や」

 ふくれっ面が笑った。肩を抱き場所替え。短い槍を手に刀箱を開け横に立った。ワイドで寄り、アングルは箱を手前に、背景は弓、鉄砲と取り入れ、緊張感を出した。

「槍は左手に。刀箱から大刀を抜き取るシーン」

「さっきはごめんね。ほんとに情けないと思った」

「ハワイで役に立つ。苦しいときがあるもの」

「うん、そうだよね。よしっ!根性、きたえなおす」

 天才の負けん気に火がついた。

「武器を取るシーンも撮って」

「いいな。じゃ得意の早技でね」

 長い槍に手を掛けた。シュート!握るだけの火縄銃。シュート。弓はジャンプ。シュート!刀は壁に張り付き握った。シュート!一連の動作はリアルだった。

「あとは逃げ出すところ」

「俺は撮るだけ。どう、演出家になる?」

「いや!マネージャーがいい」

 ママ、安さんから笑いを取った。

 演技再開。本気で走り、能面の隣りにくっついた。槍を右手に、脇差しを抜き、逆手で真横にかざした。迫力のシュート!首を左右に振り、また走った。黒い風?連写!槍は床に、脇差しは後ろ手で、柱の影へ身を潜めた。逃げ場を探す目は、真剣そのもの。緊迫のシュート!更に走った。出口の階段下で、脇差し、槍と構え、周囲を窺った。今度は脱出への希望が表情にあった。歓喜のシュート。カメラは上から。槍を捨ていっきに駆け上った。連写!

「嫁の素早さについて行くのは、この年じゃしんどいよ」

「ジョークでしょ?」

「半分ね」

 役から離れた笑顔に、夫のパワー復活、ラストへと気合いを入れた。

 カメラは背後から写し取り、表へ出た。槍、大刀と渡した。

「掛け軸は槍で押し開いて。ストップ。今度は大刀だ。重いからダラリと下げて。そう。演技は全身が勝負。絶対生きる。トライ!」

 九死に一生を得る《絶望的状況で生きる》。そんな気迫のこもった表情、姿は、これが演技かと、疑うほどの出来だった。次いで美咲もスマホに。そしておまけは。

 安さんが観音扉を開いた。

「外に敵がいる。槍を投げる。真似だけね」

 投げれば槍が傷むから。ウオーミングアップ。そして本番。

「構えて。明日へ向って、G O !」

「くらえっ〜!!」

 夜叉インドの鬼神の顔、絶叫!で決めにした。

 囲炉裏端へ戻った。水掛け論へ英二が割って入った。

「見て。これで決まり」

 ノートパソコンへ繋いだ。ゲームのプロたちが声を吞んだ。女優の演技、迫力に。作り物とは次元の違う地下室に。田之上が口角泡を飛ばし、賞嘆の声を浴びせ、終いは偉い人まで持ち出した。

「光といい、影といい、リアルさといい、黒澤 黒澤明。徹底してリアリズムを追求した映画監督に見せたいな。生きていればだ」

 ラストショットまで丁寧に見ていった。結果は。最高の食材を手にした料理人か。「首の皮一枚が、危うく助かった。新堂、ありがとう!」

 気持悪いほど深々と頭を下げ再度協議。簡単に意見がまとまり、田之上が結論。

「安田さんの話はごもっとも。動画はやめて、新堂の写真でいく。クリエティブもアイデアに事欠かんと言ってる」

「じゃ七月一日は?」

「クライアント次第だが、まっ予備日だと思ってくれ」

 美咲の「してやったり」の笑み。英二の感覚が、娘の演技が、功を奏したと、言うべきだろう。

  

  71 女神オーディション


 201X年6月27日金曜日

 寸暇を惜しんでまで淡路へ来た小谷。プラネット社の新製品に賭ける意気込みが、オーナー室の美咲にも伝わった。

「今少しお待ちになって」

「チエックインの最中に申し分けないです」

「いえいえ、お忙しいんですもの。小谷様。今回は女性三人。何かわけが?」

「仁科くん、ご説明して」

 大テーブルを挟んで美咲の正面が小谷、その右隣が立ち上がった。

「ロケの進行を努める、セレクタリー仁科です。どうぞよろしくお願いします」

「仁科さん、お座りになって」

 フオーマルスーツが、気遣いに甘えた。

「撮影の正否は、YOYOさんが、いかに気持よく演じるかです。そのためのサポートが、衣装担当のスタイリスト、中道アンナさん」

 小谷の左隣で、派手さを抑えた独特のファッションが、頭を下げた。

「そしてアクションシーンが多いことから、パフオーマンス指導並びに体調管理を担当するスポーツアドバイザー、ケイ・水沢さん」

 ハーフだろうか。小麦色の職業カラーが、爽やかな笑顔を送った。

「とにかく主役が全て。お分かりになって頂ければ」

「気持も身体も元気な娘。ですけどやはり始めてのこと。よろしくお願いしますね」

 ライバルが気になるか、小谷がそれとなく言った。

「忍者の撮影は七月一日。僕等は五日。疲れが残ってないか心配です」

 企業秘密に差し障りない程度で応えた。

「小谷様。もう終りましたよ」

「はあっ?終った?本当ですか?」

「それもあっという間に」

「はっはっは、マジックですね」

「アドワークスさんはついてた。そのひと言」

「興味が尽きんな」

「お話出来れば良いのですが、やはり問題があるかと」

「じゃ興味のいくつかだけでは?」

 微妙な笑みが返事。

「衣装は?」

「こちらが」

「場所は?」

「ある古いお屋敷」

「写真だと思うから、カメラマンは?」

「娘の夫が」

「ほう。ちょうどいい。ご主人を紹介して下さい」

「ハワイは映画では?」

「決め兼ねてます。で今のお話。ご夫婦だから最高の絵ができた、そう思って」

「小谷様。娘はイメージさえ伝えれば、どんな演技にも応えます。ですからどなたが撮られても問題ないかと」

「いや、決めました。カメラはご主人だと」

 わずかな時間でクリエーターを黙らせた。女優もさることながら、写真もすご腕だと、小谷は見抜いた。話はそこで中断、ミニギャラリーへ。天才の天才たる作品に圧倒され、魅了され、アメポン先生で釘付けになった。

「このおばあさんですが、おいくつですか?」

「八十だと聴いておりますが」

「新しい企画にピッタリですね」

「仁科くんもそう思うか・・・本庄さん、この方も紹介して下さい」

「絵とは違うかも知れませんよ」

「YOYOさんは本質をとらえる画家。先ず間違いないでしょう」

「どんなお話しですの」

「舞台は中世ヨーロッパ、地方都市。黒魔術師のパワーに、おばあさんと孫が、助け合って挑戦する物語」

「おもしろそう。でも、もしかして孫は?」

「はい。YOYOさんにお願いしようと思ってます。撮影予定は十二月、ロケ地はハンガリー。すみません。ちょっと一方的ですね」

「マネージャーになった娘が、果たしてなんて言うか。それに外国はおばあさんにとって大変。恐らく断られるかと。紹介はしますが」

 難しい顔の社長と秘書。そこへYOYOと英二が。

「お待たせしました!」

 元気印の隣りを見て、小谷がおもろい顔を思い出した。男はやはりツラである。

「新堂さん、先日はお世話になりました」

「いやいや。いらんお節介、気を悪くしたんじゃ」

「とんでもない、助かりましたよ。ご主人、ですよね」

「ええっ、まあ」

 照れ臭さかった。が、これからを思えば開き直るのみ。  

「良かった。話が早い」

 渡りに舟が、会議の輪に入った。

 衣装選びから再開。しかし着物である。

「ママ、着替えて来る」と席を外せば、母娘の間柄に頭がくすぶる仁科が、

「あの〜」と、その先は言葉を呑み込んだ。

「ほっほっほ。あの子の母親は中国。で私は日本の母親代わり」

 次に推測が外れたモードのエキスパート。

「渋い黒黄八丈がとても素敵なお二人。親子だと思いました、ほんとに」

「とっておきのコーヒー、出しましょうか」

 笑って総務へ電話。平井千恵子がコーヒー専門店の一押しを並べた。堅さの無いくつろいだ雰囲気。ここもやはりこの男。

「小谷社長。YOYOの泳ぎ、見たくありませんか?」

「そりゃもう」

 熱心さは身を乗り出すほど。

「じゃ会議が終わったらプールで」

「いやあ、来てよかった」

 続いてママが。

「明日、当ホテル最初のミニコンサートを開きます。場所はロビー。夜八時開演は前後半合わせて六十分。小谷様、よろしければ」

「歌うのですか、YOYOさんが」

「ええっ。でもレパートリーが少ないので、その辺はご了承を」

「ポップス、ジャズ、演歌。なんでもいけそうだけど」

「オペラ。歌劇ですね」

「おお〜っ!仁科くん、明日の予定は?」

 遂にはスケジュールの調整までやり出した。  

 紺のTシャツ、緑の半ズボンと、約束は守るが、戻って来た。さっそくアンナに押され別室へ。やがて気を持たせるようにドアが開いた。白いミニドレスの女神登場。眩しい!場がどっと湧いた。威厳ある色香に。

 シンプルの極みとも言えるドレス。説明しよう。布地は古代色の白。それを背中から巻き、胸横で重ねる。次に銀の紐が、襟のループ《紐を通す輪》をくぐり、縛り、金の帯が腰を締め付ける。そして裾は、左太腿から斜めに大胆カット、はいかにもコスプレである。例え黄金のティアラ、金地にライオンを掘った腕輪、足首の鳥を模した飾りがあったとしても。

 スタイリストがつぶやいた。「YOYOに救われた」と。 

「ゲームのヒロインがそのまま現れた。嬉しい。実に嬉しい」

「社長。もうギリシャ神話です」

 仁科の指摘。あの夜のルナを思った。胸へ言った。

(キトンとはまるで違うけど、気持はアルテミスで)

 ケイ・水沢が続いた。

「激しいアクションもこれなら」

「卑弥呼。私が思うに」と美咲が、日本の古代に思いを馳せれば、英二が、

「しもべがますますしもべになる」と、とりで笑わせた。

 小谷がハワイロケとだぶらせた。

「本庄さん。この衣装で泳げますか?」

「水着厳守ですが・・・」

「それじゃ閉館後では?」

「英二さん。ベストアンサーよ」

「水着と同じ。違和感がない。これなら普通に泳げる」

 主役が力強く言い切ると、一同大満足で、あとは小谷がロケの内容、仁科が旅程の詳細を説明、会議は終った。

 そして、夜のリハーサル。プールサイドに会議のメンバーが集まった。ヒロインが歩き出した。ファッションショーだ。軽快なステップ、カモシカの走りと見て、小谷が満足の笑みを声にした。

「ロケはもう成功したようなもんだ」

 努力で極めた自信がスタート台に上った。アンナがドレスを決めた。これにカメラマンがセクシーミニで絡んだ。予想してたか、思わせぶりに答えた。

「予備は二着。パンツは白のビキニ。パンチラですか?うふふ、アドベンチャーはセクシーに」 

 苦笑いが引き下がった。ケイ水沢が心拍数を計り、かつ助言。 

「YOYO、スピードよりフオーム。意識して。じゃ気楽にね」

 主役がスタート台に上った。ドキドキのコーチが、日曜夜のプールを思った。 

「ちょっと荒っぽい。やっぱり男じゃな。マリア、教えてよ。君の女らしい泳ぎ、飛び込みをね」

 水の妖精が、手取り足取り教えた。何度も練習。それはもう執念だった。そして飛び込み。ある瞬間、見事に水面へ飛んだ。マリアが「O N C E M O R E !」《もう一度》と叫んだ。歯をくいしばり応えた。ボディーラインが崩れないフオーム、着水時の水柱の少なさ。結果、二人が抱き合った。そしてターンもマスターしたとき、YOYOとマリアは、真の友だちになった。

「博士が感慨深気に言った。お母さんに最初に話すことは決めてます。二人のこと。それ以外ないですよね、と」

 ひとり言の先が飛び込んだ。百点満点に拍手。自信が軽快に水を切り、折り返し、戻って来た。ケイ水沢が見栄えのする泳ぎに舌を巻けば、ラストは助走してジャンプの本番を意識した飛び込みへ挑戦。これは冒険であり、心配のコーチが声を掛けた。

「スイミングゴーグル、つけた方が」

「英二、笑わせたいの?」

 完璧、役にはまっている。びしょ濡れの衣装も要チエックで、再度ファッションショー。まあまあのセクシーさが、川を歩き渡る姿とリンクし、大一番へ。

 ここまで下がるかの助走ポイント。走り出した。秒8コマのデジカメが追った。

「チエ〜ッ!」と、何語か分からぬ叫びが、スタート台を蹴った。宙へ飛んだ。天に舞うかの落下点。瞬時に入水角度を測った。手足が一直線。水しぶきもきれいに着水した。プールサイドの惜しみない拍手。とりわけ美咲は、「この子の可能性は無限」と、つぶやきながら。

 そして夫は、胸の内へ。

「あの夜がYOYOを変えた。霊力が備わったんだ。そう思わざるをえん」と。

 このようにハプニングリハーサルは、女神に相応しい女の独壇場であった。

  

  72 ミニコンサート開演前

 

 201X年6月28日土曜日

 今朝のYOYOは、たっぷり睡眠と散歩でリフレッシュ。活気が全身にみなぎり、お伴のミーを抱き、スイートへ戻れば、夫がキーボードを組み立てていた。

「いずみちゃんのさ、粗大ゴミだもんね」

 スタッフナンバースリーの加納いずみが、コンサートの練習用にと届けてくれたもので、とりあえずお礼の電話。

「出来た。弾く?」

「うん。中学生以来よ」

 難易度は初級のツェルニー100番練習曲も三度目でクリア、更に上級の40番では、ミスもあったが、卒なくまとめた。着替えの終ったママが、紅茶を入れながら、スーパー娘を言葉にした。

「昨日の今日。もう何があっても驚かないわ」

「同じく。ええ〜っと、テーマ曲は?」

「お昼休みに。さあ着物よ」

 宝物の肩を抱き別室へ入った。そして英二は、紅茶を口に含み、曇り空の海へ向った。

 七月末、ポーランドへ一家で移住する舞阪料理長。その彼が用意した三人分の松花堂弁当。日本の粋が随所にちりばめられ、それを目と舌で味わい、ごちそうさま。そして一服する間もなく、本格レッスンが始まった。

「和歌風にしたかったけど」

 そう言って笑わせ、作詞家美咲が、TOW LOVEを披露、朗読した。 

『ぎん色の船に乗って あらしも恐れずに 未だ見ぬ世界へと

 かがやく空を舞うの 頼りなきつばさ広げ しあわせ探すのよ 

 あなたの夢に生きる こころの愛の女神と とわにどこまでも

 こころの愛の女神と いついつまでも』

 絶賛。さっそく『悲愴第二楽章』の旋律に乗ってYOYOが歌った。結果は?

「水泳効果絶大。ソプラノに磨きがかかったからね。あと変化だな。いいとこどりは単調だからさ。三、四行目は一オクターブ上げた方が」

 二分余りの後半をアレンジ、キーボードに向った。努力の天才が二度目でキッチリものにした。

「決めた、決めたわ」

「ん?何を?」

「グランドピアノよ。買うわ」

「本業、画家、女優、歌手、でピアニスト。あのさ〜」

「いっぱい欲が出ちゃって。怒る?」

「多少」

「みんなホテルのため。英二、分かって」 

 健気さにダメを押され、そして心打たれた美咲にも。

「淡海荘の明日は娘次第。英二さん、協力して」

 むくれ夫が折れた。

「場所は?」

「ミニギャラリーの隣り」

「ママ、あそこだったら邪魔にならない」

「アートホテルだな、ほんと」

 芸術家の端くれが、幸せ過ぎて愚痴った。

 話しは本業へ。宿泊予約は電話のみが、サイトでも可能になった。インターネット班班長、佐々木奈緒が提案、実施したものだが、成果はてきめんで、夏休みを日付順に繰り、嬉しい悲鳴を上げた。

「ボス、マネージャー、覚悟して下さい」

「奈緒の大ホームランに感謝して、次のセリフは娘が」

「夏休なし!わたしたちは」

 決めは総務部に新人が内定し、部長に指名された平井千恵子が。

「どなたが先に倒れるかね」と、リアルな顔と声で笑わせた。

 外国人が二割の満室。チエックインが始まった。ママとお揃いの夏物黒黄八丈が、テキパキとさばき、記念写真にも応じ、スタッフに繋いでいく。そして新たな客が。身に付けているもの全てが一流のイタリア人夫婦だ。サインは妻が応じ、夫が今夜の興味を口にした。

「È un concerto, ma il cantante è un professionista? 」《コンサートだが、歌手はプロかね?》

「Sig. Orlandi, il cantante è un dilettante. Perché questo sono io. 」《オルランディ様、歌手はアマチュアです。このわたしですから》

 驚きは隠さずが、美貌の声に首を傾げた。そしてオペラ通か、核心に触れた。

「Voglio conoscere la tua estensione vocale.」《君の声域が知りたい》

「Forse 2 ottave.」《多分2オクターブかと》《一般の人の声域》

 紳士のその上を行く紳士が、相手を思い遣るように言った。

「Bene. Sei onesto Goditi il ​​concerto Lo sto facendo.」《よろしい。君は正直だ。コンサート、楽しみにしてるよ》

「Canto con sentimenti. Per favore vieni.」《気持で歌います。どうぞお越し下さい》

 何とかこなしたイタリア語。そして卒のない対応に、ママは、マネージャーが板に付いたことを再確認した。

 一段落すると、チェリスト田代がやって来た。

「みどりちゃんは?」

「初日ですから」

 田代のやる気、すなわち成功させたいが、短い言葉にあった。次いで他のメンバーも顔を揃え、オーナー室へ。昨夜の女神に続いてのリハーサルであり、全くの未経験が、開演までの二時間に命運を託した。

「トリオ名はタイムズ。仲間を紹介します。キーボードの高岡修二、クラリネット及びヴァイオリンの石井直久。YOYOさん、新堂さん、よろしくお願いします」

「俺は嫁の応援団団長。うるさいよ〜。わっはっは!ええ〜と、ギャラは?まさか出来高払いとか」

 フロントの美咲が聞けば、吹き出しただろうし、一同とて大笑い。この辺はさすがであり、田代も合わせた。

「楽しみにして、です」

「なんちゃって値切り倒すとか」

 ギャグ連発に緊張がほぐれ、演奏内容に至った。バッハの無伴奏チェロ組曲第一番から始まり、ラフマニノフのヴォカリーズでまとめると話し、田代が総括した。

「ぶっちゃけ迷いました。で結局、デパート風なんでもありで」

 手探りの初回に、田代の開き直り、思い入れが表れていた。そして問題の後半へ。

「テーマソングですか。TOW LOVE。ベートーベン悲愴第二楽章をアレンジ。うん、いいな」

「これはわたしの弾き語りで」

「ピアノも弾けるの?」

「この人さあ、やっつけ仕事が得意でね」

 笑わせ、二分半でまとめた曲へのぞんだ。プロたちの目が鍵盤の指さばきを追い、ソプラノの真骨頂、最高音域は、熟練の耳が逃さなかった。終った。途中から目を閉じ聴き入っていた高岡が、感想を注文に変えた。

「二行目の幸せさがすのよ〜、は、三行目へ繋ぐように声を上げていく」

 手本として歌ってみせた。結果、思わず拍手。

「もう一度歌います」

「それじゃついでだ。もう一オクターブ上げた方が、よりドラマチックになります。声が出ればですが。ラストは、語りかけるように、静かに。ピアニシモですね」

「四オクターブ?すげ〜な」と、英二の半ば心配。

 試した。注文通りに。三行目へ徐々に声を上げていき、繋いだ。ファルセット《自然に出せない高音部を、技巧的に発声すること》では無い超高域が、聴く耳を疑わせた。ラストは祈るように終った。

「マリア・カラス《二 十世紀最高のソプラノ歌手》の足元くらいは」

「新堂さん、ヘソあたりですよ」

 ギャグの応酬へ、高岡が真面目に絡んだ。

「やっつけ仕事も才能があってこそ。YOYOさん自信持って。作詞はどなたが?」

「ママ。オーナー」

「我々のテーマソングも作ってもらうか」

「石井くん、俺はギャラの心配するよ」

 爆笑。名進行役が嫁へバトンを渡した。

「最初は荒城の月、それから竹田の子守歌この二曲、お願いしたいのですが」

「中国の方がこんな古い曲を・・・。分かりました。楽譜なしでどこまでですが」

「楽譜はこちらに」

 コピー三部は願ってもないことで、トリオに弾みをつけた。しかし英二には疑問が。源ちゃん寿司の歌手を思い出したから。

「歌詞の意味、分かってんの?」

「荒城の月は難しくて、メロディーからイメージを描いた」

「歌詞は味わい深いけど、ちょい難しい。滝廉太郎が作曲してなきゃ、後世に残らなかっただろうな、そう思うよ」

 二十四才でこの世を去った早熟の天才。英二は深く敬意を表した。

 プロはなんでもこなすが、三度の練習で実践した。

「竹田ですが、ぼくらもハモリます」

「うれしい。みなさんありがとう」

「じゃあ仕上げに」

 音域の違う声が、ひとつになって、嫁の声に重なり、夫を酔わせた。こうなると押せ押せである。度胸に慣れがくっつき、フオーレのピーイエス《requiem pie jesu》はこれでもかの透き通った声で、ヘンデルのオンブラ・マイ・フ《Ombra mai fu》は詩情豊かに、そして、プッチーニのわたしのお父さん《O mio babbino caro》で、石井がアドバイス。

「歌詞の意味は?」

「ええっ、わかります」

「じゃ表情、動作は、歌詞を思い浮かべ、オーバーなくらいで。しかし、過ぎると嫌らしい。その辺を意識して歌って」

「YOYOらしさ、見て、聴いて下さい」 

 忍者の演技力。英二が自信を口にした。

「嫁にすりゃ、朝飯前。軽い軽い」

 本番さながらに歌い切った。石井が、熱唱、全身の表現と見て、言葉をなくし、間を取った。そして彼の言うオーバーなくらいが、賛辞になった。

「文句のつけようがない。オール百点満点。ほんとにアマチュア?」 

「こないだと較べたら格段の差です。何か特別なことでも?」

「田代さん。水泳、こいつを見直したよ」

「水泳?ですか。なるほど、説得力がありますね」

「そのうえ保証書付きの努力家」に加え、霊力もは、さすがに喉元までだった。

「あとわたしからのリクエスト。愛の夢第三番リスト、それにノクターン第二十番遺作ショパンを間で演奏して欲しいのですが」 

 ポジションの高岡が、長髪をかき上げ、鍵盤を見つめ、いきなり弾き出した。二つの作品は、YOYOの心の風景であり、演奏が終った後、しばらく動けなかった。

「アバウトでわたしが二十分、高岡さんが十分。余裕がない。一曲減らそうかな」

「これこれ。何を言う」

「アンコールだってあるし、コンサートなんて時間通りに終りませんよ」

 確かにそうだと思った。田代が腕時計を見て即断した。

「グノーのアヴェ・マリア。これでいきましょう」

「ラストにぴったり!時間は?」

「三分、くらいかな」

「初演だ。時間なんてケセラセラ《なるようになる》さ」

 お気楽夫の言い回しが効いたか、極限のソプラノに挑戦。難度の高さを根性でパスするも、石井があるアイデアをひねり出した。これは後のお楽しみで、結局リハーサルが終ったのは、開演間際だった。いよいよだ。

  

  73 歌姫誕生


 201X年6月28日土曜日

 コンサートのシンボル、癒しの木。その前が仮のステージになった。スタッフが五十人分の椅子を並べ、楽屋がわりの金屏風を立てた。英二がスポットライトにカラーホルダーを取り付け、調整。マイクもOKの声を上げた。ディナーの済んだ客が、次々に集まり出した。そして関係者たちも。

「小谷様。女性軍もご一緒とは」

「何がなんでも、見たい、聴きたい、です」

「娘が喜びますわ。お帰りは?」

「新神戸から新幹線で」

「じゃ俺が送ろう」

「ありがたい。と言うのも、観光ガイド役の兄が、後はかってに帰れ、なもんで」

 失笑。続いて源ちゃん夫婦が。

「店は?」

「閉めた。商売よりYOYOちゃんだ」

「英さんの電話、もう嬉しくて。なんて言うか、夢を見てるよう」

 最前列のリザーブシート。オルランディー夫妻に会釈、それぞれが収まれば、美咲は楽屋へと。そして、思わぬ客が。

「ルナ!メールで報せたがまさかだよ」

「はっはっは!新堂さん。奥の手、仮病よ」

「そいつは気の毒だ。犠牲者がさ。車は?」

「美咲さんの隣り」

「スペースに書いとくか、ルナってさ」

 笑った。そして急に態度を改め言った。

「メモ、読みました?」

「勿論。この先は俺がルナの守り神になる。とは言っても、敵は物のもののけ。気持だけでもね」

 ルナが守り神の手を握り締めた。しばらくはうつむいたまま。それへ気遣いが。

「今夜も三人で寝たら?美咲は修学旅行だと笑ってたけど」

 手を放し、顔を上げた。素の優しさが戻っていた。

「修学旅行か、いいな〜。新堂さんは?」

「ボロ家。ここんとこハードでね。ゆっくりするよ。ん?そうや!明日の昼休みはロケハンにするか。ルナが休みだったらね」

「うふふ。犠牲者は何人だったかな〜」

 双方大笑いのギャグ。

「骨休めとしては打って付け。じゃ明日は四人でピクニックだな。ランチ、楽しみにして。ええ〜と、席だが」

 残り二つが目に入った。指を差すと想いのこもった声が返った。

「新堂さんはあたしの心の支え。応援よろしく!」

「スーパームーン、待ってるもんね。わっはっは!」

 開演。見渡せば、演奏会場の回りはけっこうな人垣。ホテル従業員もそこかしこに集まり、クラシック通になろうとしている。

 ロビーの灯りが暗くなった。英二がスポットライト点灯。青い光りが着物姿のボスを捉えた。マイクの位置を調整、周囲へ目を配り、感無量がしゃべり出した。日本語、次に英語で。

「当ホテルオーナー、本庄でございます。私の思いつきで始めたミニコンサート。お客様の想い出に、また旅の慰めになることを、心から願ってやみません。つきましてはアーティストたちを、どうぞ温かく見守って上げて下さい。ではメンバーを紹介します」。そして、「I am Honjo, the owner of this hotel. A mini concert that started with my idea.We hope・・・」と、流暢な英語で。

 屏風裏からタイムズ三人が、次いでお下げ髪のYOYOが登場。クラシックにそぐわぬ着物が、際立つ容姿が、聴衆の目を釘付けにした。流れるように、歌手、進行と二役の歌姫が各自紹介。最後に今の気持は、鳥が初めて空を飛ぶ心境と語り、ジェスチャーで笑わせた。ひと呼吸、客席を見廻した。ルナに気付いた。ニッコリが両手を振れば、「YOYO!」の、でかい声が返った。

 演奏家が下がり、椅子が置かれた。スポット光点灯。チェロを手に田代が座った。いきなり弾き出した。『無伴奏チェロ組曲第一番』が、荒々しい重厚な旋律が、ロビーに響き渡った。これ以上ないオープニングだった。余韻を残し、『白鳥』へ。先ずチェロが引っ張り、ヴァイオリン、途中からピアノが追いかけた。何とも優美だ。曲のセレクト、アレンジが当たったことを、拍手が伝えた。余勢でメインの『クラリネット協奏曲』へ。本業の石井が、モーツァルト晩年の作を、気負わず淡々と吹いた。人々は哀しさ、切なさを感じたか、水を打ったような静けさ。音楽家の幸せな時が過ぎた。そしてラスト二曲。『愛の喜び』は明るさ、軽快さが、それまでの場内の雰囲気を変え、『ヴォカリーズ』は、雄大な情景が目に浮かんだか、聴衆のハートを熱くさせた。美咲も胸が震えた。屏風の影で。リアリティーのない光景に。

 五分の休憩を挟み、高岡がステージ真ん中へキーボードを移動。今夜のスターがマイクの前に立った。

「ミニコンサートのテーマ曲、TOW LOVE。ベートーベンの悲愴第二楽章に、オーナーが詩を添えてくれました。恋人たちと、心の愛の女神へ」

 立ったまましばし瞑想。やがて目を開き、感性を伝える指が、鍵盤に触れた。前奏。そして情景を想い、歌い出した。

「♫ 銀色の船に乗って 嵐も恐れずに 未だ見ぬ世界へと かがやく空を舞うの 頼りなき つばさ広げ しあわせさがすのよ〜 あなたの夢に生きる 心の愛の女神と・・・」

 高岡のアドバイスが、歌を寄り高みへと導いた。オルランディーが大きく頷いた。超高音の繊細さに、または歌詞の表現力に。小谷もつぶやいた。ハワイでも歌ってもらうと。余韻が去った。手応えは拍手の大きさが教えた。再びマイクへ。 

「わたしの故郷は中国。でも今は日本、そう思ってます。日本が大好きです。その気持が日本の古い歌を選びました。聴いて下さい。荒城の月、そして竹田の子守歌を」

 意外な選曲にざわめきが。しかし、しかしだ。

「♫ 春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして 千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいずこ 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて・・・」

 情感のこもったソプラノが、切々と歌えば、懐かしい時代の叙情詩として、人々の胸に、これでもかと迫った。

 当然スタッフは気がかり。加納いずみが、純子へ不安を洩らした。

「もう心配。プロになりそうで」

「ありうるわね。チーフは?」

「私は信じる。マネージャーは淡海荘の人だって」

 続き竹田の子守歌は。

「♫ 守もいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子も泣くし 盆が来たとて 何うれしかろ かたびらはなし 帯はなし ・・・」

 地味な着物が、歌詞にリアリティーを与え、悲哀は高音域が、郷愁は中音とはもりが表した。予想外の喝采。やれやれが右後方からキーボード高岡を呼んだ。

「高岡さん。みなさんに何かプレゼントがあるとか」

「ええっ。でも物じゃなく音なんです。うちの台所が火の車なもんで」

「火の車?なんですかそれは」

「中国の方に説明するのはちょっと」

「聞いて得します?」

「いや聞かない方が」

 大受け、大笑い。そして間を置き、会場を見渡し、静かに語り掛けた。「聴いて下さい。リストの『愛の夢第三番』。そしてショパンの『ノクターン第二十番遺作』を」

 アドリブの短いコント。高岡は舌を巻いた。何もかも桁外れなアマチュアに。驚き慣れした美咲も言葉が無かった。いっぱしのショーに。そして英二は、もうエンターテイナーだと。

 愛のドラマを華麗に語ったリストからショパンへ。美咲はピアニストへ話し掛けた、心で。精いっぱい。

「高岡さん。次回はピアノよ。頑張って」

 伝わったか、切なく哀しい旋律が、心に染み入り、涙さえ浮かべる人も。

 貫禄まで備わってきたYOYOが、拍手で迎えられた。

「宗教を越えてこの曲は胸に迫ります。フオーレのピエ・イエス。そして、夏の暑い日。木陰で安らぎを覚えるとすれば、やはりこの歌。ヘンデルのオンブラ・マイ・フ」

 本来ならボーイソプラノも、安らぎに満ちた清らかな声であれば、作曲家も納得か。

「♫ Pie Jesu, Domine Dona eis requiem.Dona eis requiem Sempiternam・・・」

 心が洗われた。そんな感の会場だった。続いてヘンデルは。

「♫ Ombra mai fudi vegetabile,cara ed amabile,soave più・・・」

 歌詞が分からなくても、イメージを思い描かせる歌唱力で、十分に伝わった。

「ミニコンサートもこの曲が最後。恋する娘の切ない気持。歌います。プッチーニのわたしのお父さん、オーミオバッビーノ!」

 もう100%、オペラ歌手になりきっていた。

「♫ O mio babbino caro mi piace, bello, bello; vo’ andare in Porta Rossa・・・」

 絶唱が燃え尽きるように終った。拍手、歓声の中、メンバーに抱かれ仮楽屋へ。するとアンコールの手拍子。田代が勢いに乗り声を掛けた。 

「終りよければ全て良し。さあ行こう!」

 トリオがYOYOとハイタッチ、楽器の元へ。そして歌姫登場。両手を顔に当て泣いてる様子は、客席を感動させた。拍手が鳴り響いた。歌姫が涙を拭い語り掛けた。

「みなさん、今夜はとても幸せです。ありがとう・・・ありがとう。グノーのアヴェマリア。ポップス調にアレンジしました」

 石井のアイデアが見事にはまった。極限のソプラノに挑戦しながらも、打楽器に転じたチェロに、アップテンポの乗りに、体を揺すり、リズムを取る人が多ければ。

 一方英二は。熱唱に職業が騒ぎ、夢中でシャッターを切った。

「♫Ave Maria・・・Santa Maria Santa Maria Mara ora pro nobis・・・Amen Amen」

 限界に挑戦し、なんとか歌いきった。予想外のスタンディングオベーション。歌姫が本気で泣いた。美咲が駆け寄り抱きついた。英二は一歩も動けなかった。そしてまたアンコールの嵐。メンバーが輪になった。

「YOYOさん、歌える?」

「田代さん、ごめんなさい。もう胸がいっぱいになって」

「ライブはお客さん次第。分かるでしょ?」

「ほんとそうですね。じゃちょっと待って下さい」

 顔を上げ、深呼吸二度、歌姫に帰った。

「上を向いて歩こう。みなさんと歌えるもの」

「なんでもや君、ギターは?」

 頭をかき石井が屏風裏へ。ギターを抱え、フオークシンガーに変身。

「歌詞は?」

「田代さん、私が」

「じゃついていきます」

 ママを先頭に娘、トリオが、子どもを真似、一列に並んだ。

「みなさん!いっしょに歌いましょう!」と飛び入りのママが、声を張り上げれば、「上を向いて歩こう!」と、娘が調子を合わせた。

 イントロのギターが鳴り、そこそこの美声が、列を引っ張った。右へ、左へと。会場も盛り上がり一体となった。こうして最初のミニコンサートは、大盛況のうちに幕を下ろした。

  

  74 ピクニック

 

 201X年6月29日日曜日

 オルランディ夫妻が、法子に伴われやって来た。

「Orlandi, qual è il tuo bagaglio? 」《オルランディ様、お荷物は?》

「Chiedi a lei.《彼女に聞いてくれ》」

 法子が頼りなく説明した。

「私の解釈だと宅配で送ってくれ、です」

「そうだ」

「あの〜、日本語が・・・」

「わっはっは!ばれたか」

「主人はバカがつくくらい、日本びいきなの。許してね。うふふ、私もだけど」

 洗練された老婦人の、流暢な日本語と、庶民的言葉ずかいが嬉しかった。 

「よろしければご感想をお聞かせ下さい」

「うん。君は確かにアマチュアだった。しかし僕は期待する、プロを驚かせる、偉大なアマチュアになることをね」

「これはチップと、その期待料。受けとって」

 宗教画の描かれた封筒、胸が熱くなった。涙を滲ませ言った。

「オルランディご夫妻様。ありがとうございます。偉大なアマチュア。とても感銘しました。こののちもよろしくお願い致します。またお越し下さい」

「うん。コンサートのある日にね」

 夫妻と握手を交わした。温かさは富もあるだろうが、人間性だとYOYOは思った。そしてまた、ソプラノ歌手として、未来に元気を与えてくれた、VIPだとも。

「法子。チップを二十で割ったら、うふふ、タコ焼きぐらいは」

 中身を取り出した。三万の金額に思わず目を見張った。

「ランチにドリンクもいけるわね」

「YOYO。これは別。ミニコンサートの記念だもん」

「袋はね。じゃ、みんなでおいしいものでも食べに行こう」

 法子が冗談でステップを踏んだ。マネージャーがケラケラ笑った。明るい笑い声には他にも理由があった。ピクニックだ。時計は十時。雑用を済ませスイートへと。

 通用口から、最初に美咲が、次に娘とルナが手を取り現れた。幸せ気分が待ち人へ声を掛けた。

「英二さん。今日は私ので」

「次はさ〜、もう少しグレード落してよ。肩が凝るからさ」

「娘が乗るのよ。下げるどころか上げるわ。ほっほっほ!」

「まっ、ほどほどにね」

 手を尽くしたランチ。飲物が入ったクーラーボックスと、ベンツへ移し、エンジン始動。海岸通りから市街地へ向った。天気は梅雨を忘れたような快晴。であれば、車内は大賑わい。

「露天風呂。女三人、もう歌いまくって、飲みまくって、楽しかった〜」

「ルナはジャズ調、私は演歌風、で娘はへたくそなアルト。はっはっは!」

「この年で人生の面白さを知るなんて。ルナの気分はH I G Hで飛びまくってた」

「まだそんなエネルギーがあったとはさ」

「英二さん。疲れたときを思い出して」

「俺は寝るけど」

「男と女の違いね」

「女は強い。証明出来たな。わっはっは!でタイムズのギャラは?」

「びっくりしてた」

「少なかったから?」

「はっはっは!ママはコメディアンね」

「コンサートは月一回、四週目の土曜日にしてくれ、ですって」

「大切にしたいのよ。田代さん、いい人だな〜」

「ピアノコンサートは?」

「第二週、土曜日」

「ピアノはヤマハ?」

「STEINWEY & SONS」《米国のピアノメーカー。ドイツにもある》

「また頑張ったな。じゃ夏休は無償で奉仕するか。用心棒と雑用でさ」

 ホテルとしては鬼に金棒であり、本気にしそうだ。

「淡路に決めて良かった。今ほんとに、ほんとにそう思う」

 孤独だった女の偽らざる気持だろう。

 市街地を抜け、山間部を通り、山裾を縫うように走れば、棚田の美しい村に出た。民家はポツンポツン、いずれも立派。が、一軒だけ和洋折衷の古い家があった。ドライバーが車を止め、上着からオペラグラスを取った。美咲も気付いた。

「あの家、わざと土を盛ったのかな?」

 覗きながら応えた。

「多分だが、大震災で盛り上がった。無人のようだ。行ってみよう」

 奇妙な佇まいは、北の雑木林以外、のどかさをさえぎる物は無かった。四人が車から降りた。注目の家は直ぐそこ。

「ルナのアジトに相応しいが、地震に関係してたんじゃ、ちょっとなあ〜」

「家は普通です。見に行きません?」

 土台は高さは三メートルあるかないか。幅二メートル程の石段を上った。

「こいつは直したのかな。被害の痕跡、ないもんね」

「英二、じゃどうして無人なの?」

「家に聴いてくれ」

「お家もただ古いだけで、地震の跡などカケラも無い」

 とりあえず一周。和と洋を巧みに取り入れた造りは、住人のセンスを感じさせた。しかも二階建てで広い。

「持主に会いたいな」

「そうだね。はいいが、どこにいるか、だよな〜」

 自転車が目に入った。一本道だ。石段を降りた。道へ出た。親爺が通り掛った。

「あの家のことですが、ちょっと教えてもらえませんか」

「三原さんの家だな。だっただな」

 女三人も駆け寄った。

「今どちらに?」

「大阪だ。地震にあって恐くなったらしい」

「それじゃ、あの奇妙な出っ張りは?」

「あれは元々から。気に入ったんだな、面白いのが」

「そうですか。この辺に被害は?」

「無論あったよ。しかしあの家だけは、奇跡的に無事だった」

 ルナの目が輝いた。

「神様のご加護?」

「そう思わざるをえんな」

「三原さんのご住所は?」

「家内が知っとる。ちょっと待ってや」

 スマホを取った。繋がった。ルナもメモ代わりのスマホを手にした。

「大阪府箕面市・・・」

「出来れば、電話番号も」

 終った。さっそく英二が持主へ電話。コールサイン五度目だった。

『突然で済みません。新堂と言います。淡路島のお家のことで』

『借りたいの?それとも買いたいの?』

 持主の奥さんだろうか。察しもテンポも良く、ある程度は正直にと思った。

『友人、占い師ですけど、精神修行の場として、お借りしたいとのこと』

『精神修行?商売とは違うの?』

『うう〜ん。半々ですか』

『困ったわね。どちらかにしてよ』

『とおっしゃいますと?』

『前者だったらただ。後者なら七万円から十万円まで』

『後者でけっこうですけど』

『じゃあ話し合いましょ。保証金もあるし。七月二日、時間はそうねえ、三時』

 内部は改造したいのですが?は、さすがに喉元で止まった。

「お家賃十万まで。こんな広いお家を。新堂さん、ありがとう!」

「改造がどうかな?保証金もまとめて、まっ、役者に任せて」

「ここだとインターも近いし、道もわかりやすい。それにホテルへは三十分ほど。ルナさんのお仕事、忙しくなって、ついでに気分転換も楽。文句なしよね」

「娘の言う通りだわ」

「よしっ!ランチだ」

「英二さん、何処で?」

「段々畑のいちばん上。歩ける?黒服も」

 荷物は女性軍が気遣った。だが両肩にすればそろって拍手。なだらかな傾斜を登って行った。途中、西側の景色に歓呼の声。谷間から農家、野菜畑、町並み、漁港と続き、瀬戸の海が目を洗えば、それも当然か。

  

  75 天の鳩

 

 201X年6月29日日曜日

 てっぺんへ登り切った。オール背筋を伸ばし深呼吸。次いで、平らな場所を選び、ビニールシートを敷いた。荷物から重箱が載った。三段積みだ。美咲、YOYO、ルナと順に取り開いた。

「すご〜い!」と、三人が同時に声を上げ、大感動。

 カレイの唐揚げ。野菜の天ぷら。塩サバ。焼きタラコ。蓮根、里芋、コンニャクの煮付け。キンピラ。ポテトサラダ。漬け物、のり巻き他を、品よく重箱に並べ、飾り付けた技量は、もはや本職並み。

「やっぱり英二さんよねえ〜」

「疲れてるのに、あなた、ごくろうさま」

「YOYO。大事にしてる?」

「自信ないなあ〜、いつも甘えてばかりだもん」

「奉仕はしもべの生き甲斐。大いに甘えてくれ」

 女子三名、「男の中の男!」と持ち上げ、いただきま〜す!話題はコンサートの裏話。大いに盛り上がり、食べまくり、ご馳走が半ば片付いた頃だった。頭上を舞う白い鳩に気が付いた。輪を描きながら、下の様子を窺っている。美しい!息を飲むほど。これに美咲が、額に手をかざし言った。

「私たちに用事があるみたい」

「伝書バトかもしれん」

 翼を広げ音も無く降りて来た。なんと、ルナの膝の前に。そして鳴き声も無く。

「ええ〜っ!!飼ってたの?」

「そんなヒマあると思う?」

「きれいな伝書バト。だとすれば、この子はさぼってた」

「はっはっは!不思議の極めつけね」

 コーンを手の平にのせ、鳩の口ばしへと。食べなかった。

「ルナさん、足に何かついてる」

 もう食欲どころでは無い。

「ほんとだ。ちっちゃな筒。何か入ってるのかしら?」

「やっぱり伝書バトか。ルナ。慣れてるみたいだし、取ってみたら?」

 嫌がらなかった。筒を取り、長さ四センチほどのフタを開けた。

「おみくじみたいなのが。もうドキドキね」

 つまみ出した。広げた。文字を追った。

「ギリシャ語?・・・あたしとYOYOは英語。思うにメッセージみたい」

 文章はかくの如し。『Εκείνο το σπίτι σώζει τον άτυχο. Luna και μετά στο YOYO. Άρτεμις.』

「ルナさん、見せて」

 YOYOが手に取った。

「まちがいない。ギリシャ文字だわ!」

 興奮が爆発しそうになった。ギリシャ好きも覗き込んだ。

「うん、確かに。ええ〜と、美咲なら読める?」

「もう、冗談言ってるとき?」

 みんなお手上げ。しばらくして英二が膝を叩いた。

「スマホの翻訳が味方になるかも」

 なった。オール頭を寄せ、簡単な文字を読んだ。

「あの家は不幸な者達を救う。ルナそしてYOYOへ。アルテミス」

「ええ〜っ!!!」

 オール度肝を抜かれた。次いで西空に薄く浮かぶ、丸い月を見た。鳩が用事は終ったと言わんばかりに飛び立った。月へ向って。直ぐに青空へ溶け込んだ。そして、YOYOの手にあるおみくじも、す〜っと消えた。呆然が我に返った。

「英二!ほっぺをしばいて」

「ルナも」

「美咲も」

「俺の手で?わっはっは!四人が同じ夢を見る。ありえんから事実。俺は信じるよ、アルテミスの励ましのメッセージをさ」

「もう、なんて言っていいか。ええっ!ルナも信じる!」

「YOYOも!アルテミスは見てるのよ、わたしたちを」

「英二さん。ほら、あれよ」

 思い出した。L E T' S G O ! を。

「O K!じゃ名水で手を洗おう」

 ペットボトル一本、丸ごと使った。濡れた手を合わせた。

「L E T' S G O ! !」が、三度、山間の地に響き渡った。


  76 画商

 

 201X年6月29日日曜日

 満室の金曜、土曜としのげば、日曜はのんびりである。しかし、のんびりさせてくれない客もたまさかいる。それがスイートの客であれば尚更。 

「ねえ、酒井くん。桐生様、遅いわね」

「スイートのお客さまは、おおむね遅いですよ」

 気になり予約リストを見た。氏名桐生信親、職業画商、スイートAで首をひねり、つぶやいた。

「なんか怪しいなあ」

 聴こえたか、隣りが周囲へ目をやった。合わせたように千恵子がやって来た。

「マネージャー。桐生様からお電話がありました。直にいらっしゃるようです」

「ありがとう。あら?まだ帰らないの?」

「ボスが帰してくれません。奈緒もですよ」

「さびしいのね」

 ありえないユーモア。笑って総務室へ戻った。エントランスへ向った。その途中だった。肩を並べ歩く法子が、内心の不安を口にした。

「まぶしいほど輝いてる。でもそれは、淡海荘だけで」

「心配してる」

「画家に歌手にピアノも弾けて、もうめっちゃかっこいい、無理ない」

「楽しんでるだけ。約束する。法子が言ったように」

「みんなに報告しなきゃ。じゃ指切り」

「指切り?」

「約束。こうするの」と、三十路を越えた女が、後ろ手でむりやり小指を絡めた。

 嬉しかった。組織の中で働き、幸せを感じるのは、こんなときだから。

 玄関でタクシーが止まった。初老、中年の順に下車、エントランスホールへ姿を現した。先を行く一癖も二癖もありそうな芸術家風に声を掛けた。

「桐生様。ようこそ淡海荘へ。お待ちしていました」

「うむっ。トランク頼むよ」

 法子がカートを押し、中年に挨拶、要求に応じた。どこかで見た顔だった。しかし、記憶のパズルが形にならない。予約者リストの他一名が気になってきた。もやもやがフロントへ案内した。酒井が宿泊者カードを差し出した。初老がそのもやもやに命令調で言った。

「三上君、達筆だろ」

 名でパズルが形になった。形を口にした。

「思い出しました。国営公園のあのときの」

「ん?ええ〜と」

 ペンを止め、首を振り、角度を変え、美しい女の記憶を辿った。

「おおっ!君か〜」

「マネージャーのYOYOです。先ずはサインを」

 なんのこっちゃの酒井に送られ、名物エレベーターへ。その途中だった。ミニギャラリーを指差し桐生が言った。

「三上君、あれだよ」

 勝手に横道へ反れた。法子は先に7Fへ上がり、マネージャーは後に続いた。イーゼル上のスケッチブックから、ギャラリー名、作家紹介と目に入れ、作品を順に追い、OK爺さんの木炭画で足を止めた。画商の鋭い眼光が声になった。

「YOYOと言ったな。君が描いたのか?」

 笑みで応えた。

「旅先の息子がべたぼめしよった。自在なタッチは誰にも真似できんと」

「あの〜、息子さんはいつごろこちらへ?」

「最近だ。ホームページのこれを見て思い立ったらしい」

「じゃ、絵を見るために、わざわざ」

「わし等は画商だ。耳寄りな情報があれば、何処こへでも行く」  

 うれしさよりも戸惑いが。いっぽう三上は、我関せずと、作品にはまっている。

「君に話があってな。聴いてくれるか?」

「お食事が先かと」

「うむっ・・・部屋食か?」

「はい。スイートのお客様は」

「それじゃ、飯を食いながらでどうだ?」

「従業員の同室はご遠慮願ってます」

「ダイニング、だったら?」

 重要な話だと、しぶとさに感じた。

「それでしたら」

 かすかな和楽器の音が、はっきり聴こえるほど、和のダイニングは静かだった。法子がワゴンから料理長、三郎合作の逸品を並べ、飲物を尋ねた。画商がせわしなく手先を振った。季節の花の中で息ずく食の芸術。一品から箸をつけた。 

「・・・話だが」

「法子、あとはわたしが」

 レシピの説明に来た三郎。それを押し戻し、厨房へ去った。

「この件は三上君が持ってきた」

 対面が話を継いだ。

「要点だけを手短に。日本の石油王と呼ばれた人が。余命半年の癌と宣告された。七十八才です。この方が、この世の置きみやげとして、肖像画を残したい。ついては画家を紹介してくれと」

「それをわたしが・・・」

「ご自身洋画コレクターなんで、誰でもとはいかなくて」 

「美大の後輩が、わしに泣きついてきたわけ、まっ汲んでくれ」

「肖像画ですと、油絵の方が」

「そんなもん掃いて捨てるほどある。あの爺さんの木炭画、あのタッチなら」

「コレクターも喜ぶでしょう。お願い出来ますか?」

「その方のお写真があれば」

 法子が呼ばれ、預かったクラッチバッグを手渡した。几帳面さが伝わるハガキ大のファイルから、二枚の写真を抜き取った。いずれも砂漠がバックで、ターバン《頭に巻くスカーフ状の長い布》を巻き、ラクダに乗ったのと、陽焼けした裸の上半身。じっくり見た。隙の無い表情から、男の生き様を感じ取った。

「承知しました。でいつごろ?」

「フランスから戻られるのが八月始め。従ってそれ以降だったら」

「お元気なんですね」

「ピカソ美術館。ここで元気になって死ぬとか」

 真の英雄だと思った。描きたい。その気持が伝わり安心したか、両人、もくもくと箸を進めていった。あらかた食べ終わった頃、画商が商売っ気を出した。

「君の作品は売れる。どうだろ、他にあれば見せてくれるか?」

「じゃお飲物を用意しますのでその間に。ただ、お気に入られても・・・」

「売らんかもしれん。分かった、商売から離れる」

 勅使河原邸滞在中の歴史絵巻、これしかない。取りに行った。十五ページのスケッチブックを手にした。開いた。茅葺き家の台所が最初だった。苔むした井戸、大きなかまど、大小の釜、壁に広がる鍋、様々な瓶、煤けた竹の天井、そこから垂れ下がり、波打つ、不思議な布、傷だらけの火鉢と茶箪笥、これらに女たちのざわめきが聴こえ、夢中で筆を走らせた。

 四ページ目は納屋の新旧二台の機織り機。明かり取りの微妙な光りが、朽ち果てた方を選ばせた。五ページ目は廃屋の蚕棚。クモの網とほこりにまみれた世界は、完全アートだった。

 七ページ目は旅籠屋。ママが能面をつけ遊女になった。セピア色の廊下、階段、そして色褪せた土壁の部屋で。笑いを堪えながらの演技も、ママの言う女の情念が、どこか感じ取れた。十ページ目は囲炉裏端でくつろぐ安さん夫婦。深い味わいがあり、寄りと引きで二枚ものにした。

 残り四枚は、先ず物見やぐらを大胆な視点で。納屋の様々な農機具は形の面白さを。牛舎の車輪の羅列は子どものように自由で。最後は、倉で見つけた朱塗りのお膳、食器、酒器などは、箱から出さず、雑然とした面白さを楽しんだ。

「夫には申し分けないけど、わたしにはまたとないタイムスリップだった」

 そう言って、モノトーンを意識した十五ページに満足、スケッチブックを閉じた。

「部屋でじっくり見たい」

「僕もです」

「ではチエックアウトのときにお返しを」

「礼を言う」

 源チャン寿司がちらつき、それとなく壁の時計を見た。桐生が見逃さなかった。

「一分我慢してくれ。ある企業が東京本社を立て替えとる。完成すれば一階の壁半分に絵を飾りたいと。わしは君を推薦したい。どうだろ?」

「それでしたら明るい絵の方が」

「何故君か。これは絵を見んと理解出来ん。そこで会長を連れて来る」

「名誉なことですが」

「来月二十日、大阪に来よるからな。しかしなにぶんにも、取り巻きが多い。よってスイート二つ、よろしく頼むよ。悪かったな。それじゃ」

 名刺を押し付け引き上げた。ワンサイド負けへ、三上が小声で言った。

「神戸芸術祭、あれは無し。子どもとケンカしてもね」

 別れの日、母が洩らした言葉を思い出した。『絵の才能も味方になる』。日本人になる夢が、叶いそうな気がした。

  

  77 梅雨の晴れ間

 

 201X年6月30日月曜日

 早朝のプロムナード。紺のトレーニングウェアのYOYOが、咲き始めのヒマワリを仰ぎ、脇道へ反れた。ルドベキア《キク科多年草》が縁取る終点は憩いの広場。晴れ曇りの空、穏やかな海、行き交う漁船、柵に沿って咲くハマユーと見て、ベンチの一つに座った。合わせてミーが、傍のディゴ《 アメリカディゴ。マメ科の落葉低木。独特の赤い花が印象的》の木に上った。リュックから水筒、便箋、写真、万年筆と取り、サイドテーブルに並べた。潮の香りと冷たい名水でリフレッシュ、シンプルな手紙へと進んだ。こだわりの日本語で。 

『現代のシンデレラね、わたしは。じゃ魔法をかけたのは?うふふ、恋人。名は新堂英二。年令六十二才(ビックリよね)、独身、職業は写真家。人柄は写真で想像して。ホテル淡海荘のオーナーと出会ったのも魔法使いのお陰。名は本庄美咲。五十五才、独身。日本の素敵なママよ。で週の内五日はママと、二日は恋人と。お父さん、お母さん、もう毎日が楽しくて、楽しくて。写真の裏のコメント、読んで。それからホームページも見て。幸せなわたし、きっと分かるはず』

 ボロ家の夕餉、ママと一緒の露天風呂、執務中のマネージャー、フロントの仕事ぶり、忍者、女神で少し照れ、ミニコンサートの熱唱、これに英二、ママの間でミーを抱いたほのぼのショットで幸せをアピール。終いはサイトのアドレス、そしてホテル、スマホの電話番号と記した。 

 博士が頭に浮かんだ。少し考え、

「サプライズよね、やっぱり」と、水平線の彼方へ笑みを送った。

 五分咲きのハマユー。その一輪へと歩き寄った。膝まづき白い花弁へ話しかけた。心からの声だった。

「あのときのいいねは、一人の女の人生を変えた。今わたしは思う。感謝以上の言葉あれば、海の彼方でも探しにいくと。ありがとう。ハマユーさん」 

 花びらに指を滑らせ、ポストカードにペンを走らせた。数枚描き、一枚は所以理由、訳を書き記し、手紙、写真とともに便りに添えた。父母を思い浮かべながら、A5封筒に仕舞った。そしてロビーへと。ミーが後を追った。

 チエックアウト間もなく、桐生、三上がやって来た。画商がスケッチブックを渡し、芸術家の深遠さを言葉にした。

「日本人にはとうてい描けん」

「わたしは日本人ですけど」

「気持と魂は違う。来月、楽しみにしとる」

「是非、三上ギャラリーで個展を」

 あわただしいコンビが立ち去ると、法子が純子の背を押しオーナー室に入った。マネージャーが手招き、デスクの前でかしこまった。

「青木法子。あなたを七月一日付けで、新設、スタッフ部部長に任命する。そして岩崎純子。あなたをスタッフ部次長に任命する。201X年6月30日。ホテル淡海荘マネージャーYOYO。堅苦しいのはここまで。二人ともよろしくね」

 新作のハマユーが書状に箔を付け、これにボスが補足した。

「お給料、肩書きが泣かないようにする。三割アップよ」

「ええ〜っ!ありがとうございます。純子、この花のように力強くね」

 四人が輪になった。「ファイト!」の声が、部屋中に響き渡った。

 続き総務の二人が。

「奈緒が経理もやらせてくれ。どうする?」

「経済学部。得意よね」

「はい。給料計算は税理士に任せてますが、ソフトを使えば私でも」

「従業員はパートも含め四十二名。中小企業の小の方。一人でもやれるわね」

「ただ保険類は複雑なので」

「分かった。税理士と相談するわ」

「あの〜、マネージャーのお給料は?」

 母娘、顔を見合わせ、難問に笑った。

「部長はいかほどに?」

「いくらでも。奈緒は?」

「貢献度がすご過ぎて、私にはちょっと」

「それじゃボスが。プロスポーツを真似る。契約金五百万、年俸七百万。これを十二で割ってお給料。月締めの二十日払いだから今月は日割り計算。YOYO、どう?」

「てことは、初年度は、月給百万!もらい過ぎだよ」

「励みにしなさい、ほっほっほ!」

「奈緒。いくわよ。マネージャーだったら?」

「安い!安い!」

 総務女子二名、声を合わせれば、電話が鳴った。それを潮に解散、美咲が取った。アドワークス、田之上からだった。

「いかがでしたか?」

「ええっ、先方はもう大喜び。次の仕事もです。しかし、これだけの写真をいつ、と問われたときは、正直慌てましたが。わっはっは!とにかく我が社にすれば、土壇場の逆転ホームラン。本当に有り難うございました。近々お伺いしますが、熱演料はその時に。新堂はギャラよりも、次は知らんぞです。冷たいと言うか、本庄オーナー、YOYOさんにお伝え下さい。マスコミ対策は万全だと。約束は必ず守りますと。では今後ともよろしくお願いします」

 美咲の表情が曇った。ハワイと違い、忍者は、正式の仕事では無いから。

「素晴らしい演技だったけど、ママは、やっぱり気になる」

「お金よね。じゃ英二が三分の一。残りは、お屋敷の保存に使ってもらう」

「YOYO・・・佳き日本人になったわね」と感無量が、袂で涙を拭った。

 またしばらくして行政書士もやって来た。

「オーナーが後見人。淡海荘マネージャー。語学堪能、加えて芸術家。YOYOさんは在留資格どころか、永住権許可申請も可能ですよ。それも三年、いや二年くらいで。スキルが優遇措置を満たしてますからね。帰化は早期実現出来るよう、実績のあるベテランが当たります。任せて下さい」

 在留カードを手に、チャイナ女がハードルをひとつ越えた。


  78 旧家の持主


 201X年7月2日水曜日

 嫁の月給百万で、さてこれからはと考えた。凡夫であれば我慢に見合うが、へそ曲がりの夫はぜんぜん違う。

「労働意欲欠落、まかない雑用専門、かかあ天下、男嫁・・・労働意欲は年だし、まかないも気にしないが、あとのは勘弁して欲しいな。まっYOYOのことだ。返って気を遣うだろが。ん?そうだ!全額貯金だ。生活は今まで通り。何年かすりゃ金持ち、いろんな国で絵も描ける。俺はボディーガード。うん、言うことなし」

 陽気男が勝手に絵を描いた。ミニクーパーがスピードを上げた。

 約束の十五時。三原夫人のレクサスが、英二のそばで止まった。一人だった。年は英二と同じくらいか、高級住宅地に住むプライドが、小太りの服にあった。 

 ルナは断れない客を悔やみ、芸人だけで話し合いに望んだ。

「新堂です、よろしくお願いします」

「まあ大きな体のこと。三原よ。ここじゃなんだし、町へ出ましょうか?」

「出来たらお家のそばで」

「座るとこも無いのよ」

「座布団を用意しましたから、石段のいちばん上で」

「はっはっは!用意がいいわね」

 物言い、気遣いで安心したか、夫人の表情から硬さがとれた。ソフト帽は車に放り込み、石段下まで来た。段数を数えた。十六。しかし傾斜はなだらか。座布団は頭に乗せ、クーラーボックスを肩に上った。横が転んでもいいようにと、右手に注意を払った。運動不足か、一歩一歩が苦しそうだった。終いは危なっかしく、手を貸した。上り切った。座布団のほこりを払い敷いた。夫人が「よいしょ」と、声に出し座った。冷え冷えの名水を紙コップに注ぎ、さり気なく渡した。喉が渇いていたか、ひといきに飲み干した。そして二杯目を手に、旧居を振り返り、おもむろにしゃべり出した。

「夫は普通が一番ね」

「どこか?」

「惚けて来たの。それも突然て言うか、急に」

「おいくつですか?」

「私より二つ年下の六十二」

「いつ頃から?」

「あなたが電話くれた日から」

 衝撃がきつかった。月の悪霊の仕業ではないかと。偶然にしては余りにもタイミングが良過ぎるからだ。しかし黙るしか無かった。話せば家はおじゃんである。

「おかしいですね。医者には?」

「診てもらったけど、首を捻るばかり」

「じゃ占い師に頼ってみては?」

 興味が湧いたか黙考。しばらくして口を開いた。

「新堂さん、先ずあなたのことから話して」

 年令、住所から入って、笑える話を挟み、アバウトに語り聴かせた。

「バカがつくくらいのいい人。大きな体から伝わるわよ。で、占い師だけど」

「名はルナ。名字は知りません。家は豊中ですが、このお家が気に入りまして」

「それであなたへ・・・どうしてこんな田舎に?」

「環境かな。精神修行はやはり都会では」

「分かるけど、商売はどうするの?」

「悩んでる人は距離に関係ないとか」

 夫人が再び黙った。ここぞとばかり畳み掛けた。

「実はルナには裏の顔があります。エクソシスト、悪魔払いですね。ご主人が病いで無ければ、どうでしょう、試しに」

 茜を口にすべきか迷った。が、必要無かった。にわかに顔つきが変れば。

「溺れる者はワラをもつかむ。会わせてその人と。もし治れば、この家、土地の他に、報奨金も差し上げるわ」

「ルナはお金は受けとりません。純粋に人のためです」

「今どき珍しいわね・・・それじゃ結論を」

 少し考えた。そして次の言葉で。

「お家賃は、四十年後から」

 夫人を知った。

「百才、越えますよ」

「つまりあの世。てことは。はっはっは!好きなように使って。例えルナさんの祈りが、天に通じなくても」

「それじゃ改造しても」

「ご自由に」

「保証金は?」

「主人がお世話になるのよ。そんなものもらえて?」

「三原さん、感謝します」

「私もあっちこっち病院通い。祈りの日が決まったら、早めに教えて」

「その前にルナが、三原さん宅をお伺いするかと」

「嬉しいわね。じゃご馳走、用意しておくわ」

 とりあえずで彼女の電話番号をメモにした。

「春、秋のお掃除、業者に頼んでたの。でも目が届かないから手抜き、おざなり」

「写真とかでチェックは?」

「はっはっは!最初は本気の写真。後は分かるでしょ?」

「たらい回し。そいつはひどいな」

「今年から信頼出来る業者。中はきれいなはずよ。お水、とてもおいしかった」

「これは自慢の名水でして、ペットボトル二本ですが、よろしければ」

「主人も、私も、ミネラルウオーターにこだわってるの。じゃ今夜は焼酎を名水で割って飲むわね。楽しみ」

「階段は下る方が恐い。俺が、いや僕がおんぶしますよ」

 笑って断られた。

「新堂さん、手を出して」

 家のカギがごつい手にのった。ルナの幸せがカギに重なった。嫌がる手を取り、慎重に十六段を降りた。そして名水を助手席に置くと、レクサスが視界から消えるまで手を振った。

 引き返した。話の概要をメールで送った。すると家の中が見たくなった。しかしこれはルナが先だと思い、座布団を頭に乗っけたまま車へと。そして丁寧な言葉に、

「ベンツ以上に肩が凝ったよ」と苦笑し、地震に堪えた奇跡の家を去った。

 

  79 落とし穴


 201X年7月3日木曜日

 その昔、ホテル裏は岩が剥き出しの海岸だった。それを海水浴が出来るようにと、美咲の計らいで大量の砂をまいた。言わばワイキキビーチのミニミニ版である。しかし向こうと違ってこちらには台風がある。一発とんでもないのが襲うと、なんのこっちゃの、元の木阿弥いったん良くなったものが、再び元の状態に戻ること。それにもめげ砂を補充。現在、なんとか面目は保っていた。

 昼休みのことだ。無人のそのビーチにYOYOがいた、サンバイザーに黒のジャージ姿が白砂を踏み、岩場で立ち止った。よじ登った。さして高くもないが、足元に気をつけ反対側へ出た。男がいた。気配を感じたか、キーボードの明るい旋律が止んだ。目が合った。そばへ寄った。飽きない顔、でかい体は、誰かさんとそっくり。

「ごめんなさい、遅れちゃって」

「YOYOさん。僕はヒマ人、気にしないで」

 岩に載せた楽器から離れ、座るに適した場所を差し、腰を下ろした。

「お声掛けしたのは、お名前、ご住所、ご職業で、興味が湧いたものですから」

「醍醐竜、隠岐の島町、ユーチューバー、でですか?」

「ええっ。それと、あっこれは言ったかな」

「ご主人と似てる、からでしょ。はっはっは!」

 薄青い空に浮かぶ白い月に気付いた。ピクニックのハプニングが頭をかすめた。しかしそれも、醍醐の爽やかな笑い声が、何処かへ押しやった。

「サインを頂いてから、島根県の地図を見ました。日本海に浮かぶ島々。私も行ってみたいです」

「じゃ夏に。冬は荒れ狂う海と、肌を刺す風雪以外何も無いです」

「絵を描きたいので、わたしは冬の方が」

「荒涼としたドラマ。確かに絵になります。しかし筆が震えて絵は描けず」

「そのうち凍死」

 笑い合った。

「ご結婚は?」

「僕は二十八ですが、ませてたんですね、五年前、幼なじみを口説いて」

「うふふ、ませてますね。お子さんは?」

「息子が二人。ともにやんちゃで困ってます」

「元気がなにより。旅行の目的は作曲ですか?」

「ええっ。隠岐に閉じこもってるとバカになりますから」

 白のスポーツ帽、上着、Gパン、スニーカー、いずれもくたびれて、醍醐の行脚の旅が容易に想像出来た。

「先日、お客さまのお子さんが、ボクの夢はユーチューバー、びっくりしました。人気があるのですね」

「僕がその子の親だったら、ひっぱたきますよ。で泣いたら、勉強しろ!」

「はっはっは!ほんとだ」

「待ってる間一曲出来ましてね」

「先ほどから流れていた?」

「耳に入りましたか。シンセで聴いてもらえれば、もっと印象に残ったはず。飯のタネですから」

「シンセサイザー奏者なんですね。じゃユーチューバーは?」

「今、登録者数は二十万ちょっと。新曲だと再生回数はだいたい二十五、六万。飯が食える程度。シンセでライブに参加しなきゃ、おかずが買えません」

 淡々とした話にもユーモアがあった。

「日本のトップミュージシャンだと、どれくらい稼ぐのかな?」

「数億。再生回数も桁外れです。でも上位ランキングをたまに聴くけど、なんで?と首を傾げてしまう。ほんと分からんです、流行りのポップスは」

「さっきの曲。シンセサイザーで聴きたい」

「あれはアンプ、スピーカーが必要で、旅先はキーボードピアノです。僕の曲は例外なくインストルメンタルなので」

 歌いたくなった。

「どうでしょう?例外を一つ作られたら」

「あなたの声が気に入れば」

「ソプラノですが」

「興味が尽きませんね。じゃ何か」

 コンサートでは歌わなかった日本の童謡に決めた。

「赤とんぼ、知ってますか?」

「日本人だもの」

「わたしは中国人だけど、日本の童謡とか子守歌が、大好きです」

「子どもに聞かせたいな。うん。それじゃ赤とんぼを。伴奏は?」

 首を横に、立った。海を見ず山を見た。歌い出した。ソプラノの真価を問うた。

「♫夕焼小焼の赤とんぼ 
負われて見たのはいつの日か〜。十五で姐やは嫁に行き 
お里のたよりも 絶えはてた〜」

 終った。醍醐の目が白く光っていた。

「初めて。ソプラノで涙を浮かべたのは。ほんと胸に迫りましたよ」

 嬉しさを隠せない歌手が、今度は身を寄せ座った。

「うふふ。イタリアのお客さまが偉大なアマチュアを目ざせ、ですって」

「僕ならプロを目ざせ、ですよ。それじゃ歌って下さい。スキャットで」

「スキャット?初めて」

「歌詞は曲より難しい。作られたことは?」

「大学は文学部だったのに、詩や小説はまるでだめ。笑えますよね」

「その代わり絵が素晴らしい。芸術家ですよ」

「醍醐さんも芸術家。じゃイメージをつかみますから、二度聴かせて下さい」

 海がライブ会場か、ボリュームを上げた。前半は哀しく、後半は明るく。そしてなにより覚え安い。YOYOは作曲家に未来を感じた。

 演奏家の隣りにて本番。心地良いソプラノが、スキャットが、淡いブルーの水平線へ流れ、消えていった。醍醐が深く頷き、歌手の手を取り言った。

「もう一人の僕が、生まれました!」

「とおっしゃいますと」

「人の声が時には必要なんだと」

「新しい醍醐さん。お願いがあります」

「どんなことでも」

 流れに身を任せた。

「わたしを抱いて下さい」

 とっさに手を放した。そして告白先を見て、うつむき、言った。

「マジですか?」

「ええっ。どんなことでも、でしょ?」

 見つめ合った。しばらくの間。やがてグイッと抱き寄せた。

「わたしは夫の・・・若き日を知りません」

「ご主人のお年は?」

「六十二」

 沈黙。気まぐれな大波が打ち寄せた。砕け散った。

「そうか〜。はっはっは!」

 なにもかもが英二だった。だとすれば、醍醐は、愛する人の幻影に過ぎなかった。

「わかります?」

「人の気持が分からなければ、曲は作れませんよ」 

 抱き合ったまま尋ねた。

「これからどちらへ?」

「四国、その次は九州です」

「奥さんがかわいそう」

 口にしたくないことを、臆面も無く。

「風の人だと、妻はあきらめてますよ」

「風の人?すてきだな〜」

 力を込めた腕の意味するところは、理性の頼りなさだろうか。

「キスして下さい」

 サンバイザーを取った。唇を合わせた。ただそれだけで終るはずが・・・舌をねじ込んで来た。受け身も遠慮がちに迎え入れた。次第にディープなキス。頭が痺れ、倫理観が甘い泉に沈みそうだった。思った。もし幻影が身体を求めてきたらと。抵抗するだろうが、自信は無かった。そんな妄想が男にも伝わったか、陽焼けした手が肌を這い、波打つブラジャーを掴んだ。それを白い手が、上着越しに頼りなく抑えた。呼応するように時が止まった。何とも言えぬ空白。やがて居たたまれなくなったか、下の手が体を放した。そして相手の目を見据え、男らしい口調で言った。

「ラブシーンを演じる。本気になる。監督は喜ぶでしょうが、僕らは穏やかじゃ無いですよね。潮風が隠岐からだと思わなきゃ、いったいどうなったか・・・」

 なんと応えて良いか、言葉が見つからなかった。代わりに醍醐が続けた。

「降って湧いたロマンス。これを曲にします。ありがとう、YOYOさん。今度来るときはご主人を紹介して下さい」

 話し振りも、優しさも、心配りも、愛する人と同じであった。

「うふふ、目を回すわよ」

「風の人は、決して驚きません。流浪の民、ですからね」

 また女心が騒いだ。なんとか食い止めた。いくぶん落ち着いた。

「立ち入ったことをお聞きしますが、昨夜はどうしてお車で?」

「月に二度、贅沢します。でないと潰れます、ボディーもハートも」

「安心しました。それともう一つ・・・お願いが」

 言葉に躊躇があった。悟ったか、流浪の民が笑みは崩さず言った。

「男心に釘を刺す。僕の持ってる勇気、全部使い果たしました。はっはっは!」

 胸が熱くなった。必死で踏ん張り、もう一つのお願いで凌いだ。

「ホテルのコンサートで醍醐さんの曲を歌いたい。費用はどれほどになりますか?」

「僕が頼みたいくらいですよ。じゃ、YOYOさんを思い描いて。期待して下さい。東京にオフイスがあります。貧乏な音楽仲間が寄ってたかって作った。はっはっは!女の子が一人常駐してます。曲が出来ればこの人から手紙がくるでしょう」

 醍醐がクルリ背を向けた。海を見渡した。長髪が風にもつれ、無造作にかき上げた。そしてキーボードを抱え、振り向きもせず、最後の言葉は。

「旅人が、道に迷いそうになった。じゃ」

 罪ある女が、歩き去る背中へ、声を上げた。

「握手して下さい!」

 応じ無かった。醍醐が去った。後悔が未練を飲み込み、津波のように襲った。

「想いは叶えた。でも、でも、好きになるなんて・・・もうYOYOのバカ!英二。ごめんね、ごめんね、ごめんね・・・」

 遂には泣き出した。それは悪さした子どもが、親から叱られ号泣するのと、なんら変わりは無かった。

 

  80 過ちは 1波紋

  

 201X年7月3日木曜日

 隠しごとの嫌いなYOYOも、さすがに迷っていた。

「感情に流されるまま。ほんとに情けない。英二は許してくれるかな?別れる。怒ってそう言ったら、どうしょう。淡路にいてられない、悲しくって。じゃママは?ホテルは?結婚式は?ハワイは?どうしょう、どうしょう」

 しばらく考え、意を決し、スマホを取った。

 ルナは驚いた。YOYOの告白に。使徒として失格の烙印を押される事態に。

『落とし穴にはまったわね。で最後の一線は?』

『越えてない、キスだけ』

『不道徳は許さない女神。よかった〜。とにかく今からホテルへ行く。九時には着く。それまでは何もしゃべらない、分かって!』

 ルノーのエンジン音が、伊丹空港を離陸するジエット機に、かき消された。

 英二は首をひねった。夜分、ルナが尋ねて来ることに。

「家が上手くいったから、お礼でも言いに来る?メールで感謝は堪能した。やっぱり無理があるな〜」

 しかし大切な客だ。簡単だが料理に取り掛かった。

 美咲はオーナー室。アナリスト《証券分析家》の意見に耳を傾けていた。YOYOは顔を覗かせただけで、7Fへ上がった。

 ぼんやりがスイートへと。ミーが飛んで来た。抱き上げ話し掛けた。

「お姉ちゃん、これからミーと遊べないかも。大変なことしたんだもん」

 ママが買ってくれた黒いドレスに着替えた。袖を通しながら泣いた。終いは肩を震わせ、しゃくり上げた。座り込んだ。涙一杯が掛時計を見た。おぼろげだが、長針は分かった。約束の時間だ。

『ルナさんといっしょにボロ家へ行く』

 そうメモに残し、外へ出た。しばらくしてクラクションが鳴った。

 助手席は無言だった。ルナも語らなかった、何一つ。ナビの指示通りボロ家近くまで来た。電話。英二が小走りでルノーへと。

「ん?嫁もいっしょなんだ」

「・・・」

「済みません、突然押しかけて」

「いやいや。ちょい待って」

 駐車場の許可を取り、空いてるスペースへ誘導した。歩きながら、だんまりが気になった。まるで葬儀の親族だ。

「どうしたの?二人とも」

「新堂さん、昨日は電話だとメロメロだからメールにした。それでもお礼が言いたくて、こうやって」

「英二・・・」

「何かあった?O K!深刻そうだから、俺は気楽にならないとね」

 状況もあるだろうが、ルナは外、中と見て、驚かない客の三人目となった。


  81 過ちは 2神の諭し

  

 201X年7月3日木曜日

 腹へりが顔にあれば食事は先。両女、ニコリともせずご馳走さま。急ぎ片付け、テーブルに向かい合った。英二は片方の椅子をどけ、真ん中へ。そして冷めかけの紅茶をすすると、深刻な雰囲気に首をひねり、感じたことを率直に言った。

「多分、ルナは、YOYOの付き添いで来た。心配になって。間違ってる?」

 突然、堰を切ったように嫁が泣き出した。本来なら訳を尋ねただろうが、辛抱強く待った。おとなしくなるまで。時間は掛かったが泣き止んだ。

「ひょっとして、浮気?」

「・・・うん」

「話して」

 始めから終わりまで、洗い浚い。終った。間を入れずルナが疑問を呈した。

「醍醐と言ったわね。なんか変。だって相手はそんじょそこらの美女とは違うのよ。欲望に狂って自分を見失うはず」

「でもキスだけ。信じて」

「勿論信じる。新堂さんはどう思う?」

「俺に聞かれてもさ」

「怒ってるの?」

「怒らない奴がいたら、ノーベル平和賞もんだ」

「そうよね」

「じゃ賞は俺が頂くか」

「えっ?」

「まあ聞いて。若い英二が現われた。空白の時間、埋めたくなった。埋めた。愛情?無けりゃ埋めたりしない。いいじゃん、YOYOらしくてさ。ルナ、不条理かな?」

「微妙」

「英二・・・」

「それともう一つ。これは本音。年の差考えてよ。あって然り出し、真剣だったら俺は身を引くよ。潔くね。ん?強がりか。わっはっは!」

「英二ったら、もう・・・」

 涙が溢れ落ち、精一杯の声を詰まらせた。

「微妙、取り消す。不条理じゃない・・・あっ!来た!」

「ん?何が」

「アルテミス。感じるの。諭しが」

「ルナさん、ほんと?」

「うん。身体中の細胞が、耳になってるから」

「マジかよ。で、どうすりゃいい?」

「寝かせて」

 急ぎタオルケットを敷き横にした。しゃべり始めた。

『長くなれば、命の危険がある。それを防ぐためには、使徒と負担を分かち合う。ルナ、手を繋ぎなさい、YOYOと』

「神の声。奇跡のまた奇跡だ!」

 添い寝のYOYO、しっかりルナの手を握った。

『悪霊ゴルドスは恐れていた。この先敵となる勇気ある使徒を。そこで絶好の機会に知恵を働かせた。使徒に不道徳の汚名を着せ、使徒の座から追い出そうとしたのです』

 英二は唖然、呆然。

『獣になれ、女を食い尽くせと、男の魂に命じた。自然が育んだ強靭な精神も、押し潰されそうになった。使徒に危機が迫った。肯定も否定も無い愛。燃え盛る前に火を消さねばと、わたくしは男の理性に、勇気に力を添えた。例えて言えば、アルテミスとゴルドスの代理戦争です。結果は邪悪が敗れ去った。ただ問題が残っています。何故神の掟を知得したか。人間界を思えば容易なことですが。では次へ移る前に、一休みしましょう』

 目を閉じ動かない双方。恐る恐る覗き込み、声を落し言った。

「生きてるよね、二人とも」

「名水を」

「わたしも」

 こんな場合の英二は素早い。

「起きれる?」

「ええっ、なんとか。YOYOは?」

「声を感じた使徒。もううれしくて、うれしくて、元気いっぱい」

「嫁も聴こえたの?」

「うん、心で。そうとしか言いようがない」

「どんな声?」

「声だったらうれしいけど、一種の精神感応、テレパシーね」

「だから全神経を集中する」

「疲れるはずだ。対話は?」

「修行を積まないと」

 心なしか威厳を感じる双方。名水二杯目で元気を取り戻した。

「隠岐の島、また行きたくなったな」

「行ったことがあるの?どんな島?」

「十六年前の夏にね。大らかで、素朴で、堂々として、頭が空っぽになる」

「醍醐さん、そのもの。あっごめん、怒った?」

「怒るも何も、イコール俺だろ。わっはっは!」

 豪快に笑い飛ばせば、ルナにまた異変が起きた。

「YOYO、手を繋ぎましょ」

 二人身体を寄せ仰向けになった。

『わたくしの伝言通り、家はルナの物になった。しかし恐れていた事が起きた。ゴルドスが気付いたのです。それ故、持主の夫への悪戯は、単純に嫌がらせに過ぎないでしょう。底意地の悪い月の闇の支配者。哀れな女を眠りにつかせ、卑怯にも使徒まで陥れようとした。けれどわたくしの念じる力が優った。敗者の怒りは想像するまでもありませんね。即ち、必ずや荒々しい牙を剥いて来る。恐くなりましたか?』

 悪魔払いと使徒が、同時に首を横に振った。

『意を強くしました。ゴルドスはアルテミスの命をも狙っています。あやつを殺さねば何としても。勝負はまだ先ですが、気の毒な夫を思えばこの月十六日の弓張り半月に、三度目の戦いと致しましょう。武器は月にちなんでわたくしの弓矢。既にあの家へ届けましたよ。戦いの手立ては又後日。ルナ、YOYO。共に神の威光あれ』

 こうしてショッキングな御告げは終った。

 

 黒いドレスに合わせ、英二もアウトレットで買った黒のTシャツ、モスグリーンの半ズボンでテーブルに着いた。お茶でひと息入れ、キッチンカウンターのメンズバッグを取った。三原夫人から預かったカギを抜いた。ルナへと渡った。

「家の中だけど、掃除はしてるが春と秋の二回。覚悟した方が」

「それじゃ六日は見学とお掃除ね」

「俺たちはハワイだし、まっ、ぼちぼちね」

「YOYO、十六日だけど、大丈夫かな?」

「水曜日よねえ。八時以降だったら問題ないけど、早ければ仮病つかう」

「それってあたしよ。はっはっは!」

「戦いは何処で?」

「庭にする」

「三原さんも安心するだろうな。じゃ草刈りだ」

「よしっ!農家のおばさんになる」

「うん、ピッタリだ。わっはっは!ええ〜と、箕面へは?」

「明日、夕方」

「あの家が原因だろ。なんか申しわけなくってさ」

「新堂さん、ごめんね。辛い思いさせて」

「気にしない。夫人から聞いたとき、腹をくくったからさ。で、面談はどんな?」

「あたしを知ってもらう。それで十分」

「衣装は?」

「アルジェリアで頂いた男性用キトン。風格があって戦いには打ってつけ。従って、必ずや祈りが通じる」

「それに神の武器。英二!ぜったい勝つ!ご主人もよみがえる」

「三原夫人はほんとにいい人だし、よろしく頼むよ」

「見えるのよね〜、初対面を丸め込んだ新堂さんが。思うに、いつもの調子だとまずいし、うふふ、疲れたでしょ。改めてご苦労さま」

「役者だもん。じゃYOYOからも。あなた、お疲れさま」

「営業向き。この年でも変っとらん。わっはっは!」

 勝利を願ってバーボンで乾杯。何だかんだの夜は、こうして過ぎて行った。


  82 受胎願望

  

 201X年7月3日木曜日

 ルナがグラス半分で沈没してしまった。神の御託宣お告げに神経を尖らせる事は、如何にハードであるかの証左であり、英二が抱き運んでのお眠になった。

「嫁はしっかりしてるけど」

「わたしは補佐。疲れは比べ物にならない」

「なるほど。話は飛ぶが、若い俺に会いたな」

「ムリ。ふられたんだもの」

「YOYOを振った男。うん、実に格好いい。俺の歴史に名を残すよ」

「うふふ、なんかうれしいな」

「熱い。裸になるか」

「わたしも」

 トランクス男とスリップ女が床に座り込んだ。仲良くタオルケットを被った。缶ビールで乾杯。二口目でYOYOが気になることを口にした。

「弓が見たい。いっときも早く」

「そうだよね。仕事は?」

「明日は普通。でも外国のお客様が多いから、チエックアウトは大変」

「じゃ早朝に。話しは祈りの日ね。ご主人は俺と同い年。裸はなあ〜」

「うふふ。他の男には見せたくない」

「焼き餅焼きだもんね」

「よく言うよ、はっはっは!」

「キトンのYOYO、想像が現実になる。感激するだろうな」

「古代衣装の使徒が弓を引く。神話、ほんとに。でも勝負は命がけ」

「やめる?」

「アルテミスに従う!ゴルドスをやっつける!」

「勇ましいが、俺はもう見てられないよ」

 本音だろう。が、一転して嫁の表情が変わった。 

「英二・・・死んでも・・・子どもだけは残したい」

「俺は子連れオオカミ?はっはっは。忍者のラストシーンさ。絶対生きる!」

「英二・・・あなた!」

 我が子への想いが、母への願望が、雪崩の如く夫を求めた。狂おしいほど。

 やがて満ち足りた時が訪れ、夫が幸せの腹をなぜ、自信は無いがそれとなく。

「俺の分身が妻を尋ねたようだ」

「ほんと?」

「表のルナに聞いてみるか」

「はずかしいよ」

「じゃアルテミスに任せるとして、明日だけど、四時、起きれる?」

「早起きは慣れた」

「けど、がんばり過ぎだよ」

「英二がでしょ」

 抱き合って大笑い。

「ウイスキーにするか」

「うん。すぐ眠くなって、女神の元へ」

「帰って来てや、なんてさ」

 グラスちょっとで、本人の言う通りになった。しかし裸だ。しもべに戻り、諸々を着せ、抱っこでルナの隣りへと。

 飲み足りないが、スコッチ、タリスカー10yを開けた。独特の塩見が今の自分に合い、荒波を描いたパッケージへつぶやいた。

「常人には遠く及ばぬ世界。いったいYOYOは?ルナは?」と、二人の命運に耽れば、夜もまた更けていった。


  83 驚異の弓矢

 

 201X年7月4日金曜日

 特性サンドイッチ、コーンポタージュ、冷たいミルクと用意すれば美咲へ電話。

『どなた?いったい何時だと思ってるの!』と、あからさまに不機嫌。しかし、

『俺』で、機嫌が直った。

『英二さん・・・どうしたの?』

『話せば長くなるから、イエスかノーで』

『イエスだと思うけど』

『新アジトに天から弓が。ありがたい弓だ。それを見に行く。いかが?』

『イエス!時間は?』

『五時。仕事に間に合わせたくってさ』

『弓と同じ。ありがたいわね。早く見た〜い!じゃ向こうで』

 新たなる衝撃へと、期待が伝わった。 

 そしてボロ家は。意外と言えば失礼か、YOYOが時間通り降りて来た。

「さすがマネージャーだ」

「て言うか、責任感ね。悪霊をやっつけ、気の毒な人も助ける」

「両方叶えば、淡路、一周するか」

「走って?」

「自転車で。わっはっは!ルナは?」

「死んだように眠ってる」

「アルテミスの御神託、長かったもんな〜」

 心配だ。二人してベッドへ。嫁が長い髪をかき分け、耳元へ小声で。

「ルナさん。大丈夫?起きれる?」

 同じことを三度、瞼が開いた。

「何時?」

「四時、十分」

「見に行くの?」

「うん。いっときも早く」

「守り神さん、抱っこしてくれる?」

 苦笑いが横に抱き上げた。

「目が覚めた!YOYO、シャワーで元気復活ね」

 リビングに活気が満ちて来た。黒服二人がバスタオルを頭に巻き朝食。話題は弓。当然おしゃべりは尽きず、車中もわいわい、がやがや。窓の外は明るさを増し、天気も晴模様。話が弾むはずだ。

「三十八万キロ彼方の半月に向って弓を引く。笑ったら怒る?」

「怒らない。神の世界だもの、ロジック《理屈》なんてない」

「そうだよな」

「ルナさん。キトンだけど、わたしが作りたい」

「いいわね。器用だと思うから任せる。でもドレープが難しいわよ〜」

「じゃ、布地といっしょにアドバイスも送って」

「日本へ戻ってからだと、ギリギリね」

「徹夜しても」

「やる気満満ね、はっはっは!」

「話し変るけど、あそこで一人だろ。番犬がいるな」

「ご近所の方がミニチュア・ピンシャーの里親にならないかって。パッと見はミニドーベルマン。でもぜんぜん別。性格は番犬向きだとか。いただこうかな」

「ルナはほんと金がいらん。わっはっは!もう一頭、室内犬は?」

「トイプードルのメス。これは最初から買うつもりだった。意外に用心深いもの」

「ネコは?かわいいわよ〜」

「ミーちゃんの子どもがいいな」

「ブウ〜。残念」

「手術してんだ。じゃアメショー《アメリカンショートヘアー》にする」

「でかいし、丈夫だし、めちゃ可愛い。まっ嫁には負けるけど」

 バックミラーのYOYO、ご機嫌だ。

「にぎやかでいいなあ〜」

 新アジトが見えて来た。ベンツが先だった。後ろにつけた。三人揃って下車。先に降りた美咲が、家の二階を差し言った。

「あれって、灯りにしては変」

 三日月形のネオン?そんな感じだ。

「ここへ着いたのは?」

「五、六分前。そのときは無かった」

「すると俺たちに合わせた。もう届いているからね」

「配慮ね。あのままだと目立つもの。行きましょ」

「ルナさん、ドキドキしてきた」

 十六段を上り、石畳のアプローチを程なく歩けば玄関。ルナがキーを取りあか抜けたドアを開いた。揃って中へ。広さではボロ家のリビングが勝り、おしゃれ度は完璧負けている。これはほこりが少ないことも一因で、ルナがニッコリ。南向きの窓際の廊下を歩き、いくつかの部屋には見向きもせず階段を上った。やたら広い踊り場で全員感心。真ん中の廊下に立った。北側は二部屋とトイレ、そして南側が注目の部屋であった。

 ルナの静かにで、上品に歩き、入口の前で息を凝らした。

「みんな、覚悟は?」と、新アジトの主が脅した。

「もう、たいそうなんだから」

「美咲がさ、神のお告げを聴いてたら、覚悟が分かるよ」

「じゃ覚悟する」

「YOYO、開けて」

 初めての合掌。落ち着いた。内開きのドア、そっと押した。全開。

「ええ〜っ!!弓も矢も宙に浮いてる!!」

 それぞれが中に、そして弓矢のそばへ寄った。

「ストップ。これ以上近付いたら、多分」

「どうなる?」

「あたしとYOYO以外は、殺される」

 驚くべきこことが起きた。矢が動き、弓の中心を滑り、弦へと、まるで獲物を狙うかのように。それもあっと言う間だ。

「アルテミスは決して油断しない」

「神を信じるよ」

「美咲も」

「YOYO、取って」

 白い弓は長辺一メートル弱。武士の長弓に較べれば半分以下。しかしその美しさはため息が出るほど。見たこともない材質。装飾は女神達の刻印と、グリップに当たる真ん中の緩やかな突起、その曲線。優美のひと言だ。そして麻に似た弦は、何か薬を塗布した感も、神のこしらえた物であれば、追求すると消えそうだ。

 恐れもせず握り取った。感激の極みか、神妙だ。

「震えてるけど」

「アルテミスの武器よ。当たり前。でもほんときれい。芸術品ね」

 利き腕は左。右手で弓を持ち、矢に触った。軽く引いてみた。

「感触は?」

「あのとんでもない弓に較べると、まるで夢のよう。で感触は、あるけど、実感がない。そうだな〜、なんか真似をしてるような」

「それ!真似でいいのよ。試すように矢は二本。YOYO、外へ出ましょ」

「待って。もう一つの矢で」

 意志が通じたか、矢が指をすり抜け、勝手に入れ替わった。

「わたしの気持がわかった。神秘を味わってる」

「私も触りたいけど、ダメなのよねえ〜」

「美咲さん、長生きしたいでしょ。はっはっは!」

 ぞっとし、笑い、近くの雑木林まで歩いた。クヌギ《ブナ科の落葉高木》が多く、その一つに狙いを定めた。

「ルナさん、引いていいかな?」

「全てが感覚無し。頼りないけど、引いてみて」

 本番を思うも、弦は七分程度で矢を放った。回りが驚いた。文字通り矢のような、いやジエット機か、いや目に見えないと言うべき。矢が瞬く間に消え去れば。

「英二。ほっぺ、しばいて」

「これこれ。こないだを思い出して」

「同じこと言ったよな〜」

「神の武器、美咲は実感してる」

「故に常識は捨てる」

「矢は目に見えなかった。どこへいったんだろ?」

「見に行くべきね」

 目標まで来た。YOYOの胸元ほどを見て回った。表は見逃したが、裏で美咲が声を上げた。

「英二さん!これ見て!」

「ん?すげえ!穴が空いてる。貫通した・・・」

 矢の軌跡を辿り、ルナが、少し離れた幹で声を吞んだ。

「これも貫いてる」

 英二が二本の木を基点に次々と見て言った。途中で阿呆らしくなり引き返した。

「魔法の国のアリスだよ、俺は」

「YOYOも!」

「美咲も!」

「はっはっは!じゃルナも」

「探さななきゃ」

「多分だけど、元の場所にある。魔法の国だもの」

 戻った。あった!

「狐に化かされたって言うか、時間が逆転したって言うか、頭はもうパニック」

「美咲。俺はもう慣れたよ。アリスと同じさ」

「常識は捨てる。ルナの言う通りね」

 注目の部屋は、畳にすれば十六畳ほどか。床は渋いフローリング、壁はベージュのクロス張り、そして天井は、天然木を井の字の形に組み合わせた、神社仏閣式と、とにかく品がある。二十数年の経年変化も、やすらぎを与え、裏の顔が結論を下した。

「ここに来たときの三日月の灯り。今は無いよね。で思った。あれはあたしへの示唆だと。この部屋にしなさいと」

「そうよ!祈りの場にふさわしいもん。ルナさん、決まりね」

「改造の意味あるかな?触るとこないもんね」

 残りの二つの部屋も見た。純和風だった。

「お金の掛からない奴、はっはっは!」

「いかにもじゃ無く、悩みの相談室風にすれば?」

「美咲さん、そうする」

 ベランダへ出た。物が無く殺風景だが、広さは特筆すべきで、荒れた庭を見て、ルナが夢見るように語った。

「一面お花畑にして、真ん中には芝生の通路。道の終りは、そうだな〜、直径二メートルほどの祈りの場」

「灯りは?」

「ロウソク。風をどうするかね」

「フードは俺が。じゃとりあえずだ。農家のおばさん頑張って」

「草と土から自然を学ぶ」

「学んで知る。園芸は根気だと」

「雑草よね」

「きれいな公園も手入れしてこそ。まっ頑張って」

「うん。土着の精神、強者つわものたちに見せてやる」

「その意気だ」

「ルナさん。わたしも手伝う」

「陽焼けしないようにね。ええ〜と、仮に泥棒が入ったら?」

「即、運が悪いことを知る」

「あの弓、あの矢よねえ。かわいそう、はっはっは!」

「でその後、亡骸なきがらは、うふふ、行方不明」

 同情し笑えば、ママが腕時計を見て、

「愛する娘。そろそろよ」と、肩を抱き、

「さあ、がんばるか〜!」と娘が、拳を振り上げた。

 ベンツに乗った。YOYOが英二を手招き、次いで耳元へこっそり。

「ちょっと心配」

「何が?」

「浮気」

「アルテミスが怒る。さあ月給百万。仕事だ」

「それ言われると、ファイトが湧くのよねえ、はっはっは!」

 二台の車が、占い師の、エクソシストの、新アジトを去った。

  

  84 四角関係

 

 201X年7月4日金曜日

 ボロ家まで三十分足らず。ヒマつぶしにはもってこいだ。

「今思うと、ここまで来れたのは、みんな新堂さんの力」

「さんはやめようよ。YOYO流か、美咲風にして」

「じゃYOYO流で、英二」

「O K!ファミリーになった」

「いっぱい質問あるけど。三つにする」

「どうぞ」

「美咲さん、親友より奥さんみたいよね。実のところは?」

 ちょい考え正直に。

「ひと月だけね」

 経緯を話した。

「そうか〜、うまく収まったんだ。でも英二以外だったら悩むよ。実業家美人対芸術家超美人。悩み過ぎて気が狂うとか。はっはっは!」

「内緒ね。怒られそうだからさ」

「勿論。二つ目は写真の仕事。もうけてる?」

「現役の頃、広告写真家ね、将来を見据えてコツコツ貯金。それで息をしてる。俺の作品は地味だし売れないからさ。でもYOYOと巡り会えたのは俺流のお陰、で差引プラス、これは言える」

「お花の写真よね、分からない、どうやって?」

 なれ初めを語った。

「フェースブックか〜。あたしもメンバーになろうかな」

「ツイッターの方が」

「淡路でどうなるかだけど、今、客は二百人くらい。これ以上増えたら手に負えないし、修行も中途半端。だから様子見て考える」

「P R だもんね。こまめに情報発信すれば、ルナの信者はもっと増える。で俺は用心棒兼、苦情処理係。わっはっは!」

「信じていい?」

「出来るだけ額面通りにね」

「最初の五文字は、うふふ。無しで。三つ目。週の内五日は一人よね。寂しい?」

「ずうっと一人。孤独慣れしてると言うか、当たり前になってるからね。別にさ」

「そうだよなあ〜。じゃあたしはもっと孤独ね。上辺だけの結婚だったもの」

「よけりゃ具体的に」

 美咲に話したこと以外、しゃべるネタはなかった。

「とんでもない奴よね、それでも離婚に応じなかった。家裁に泣きつけばあたしは不利。だから、得意の手でハンコ押させた」

「得意?ひょっとして本業でたらし込んだとか」

「ピンポ〜ン。あなたには素晴らしい未来が待ってる。あたしに関わってると未来が逃げていくわよ。すると、成績はいいのに出世しない。原因が分かった。憑き物が落ちた。ルナ、おおきに。単純なのよねえ、はっはっは!で別れ際のセリフは、看板変えたら。福を招く疫病神とか。はっはっは!おかしいでしょ」

 車を路肩に停めた。腹を抱え笑った。再び車道へ。ひとしきりして明石大橋が見えて来た。ボロ家まで五分少々。

「先ず村人たちに挨拶ね」

「うん。ルナだったら親切にしてくれるよ」

「それと嫁が休みの日は泊まりに行く。邪魔?」

「多少。わっはっは!他の日でも構わんが」 

「変な気起こしたらどうするの?」

「神に仕える身だろ」

「それでも」

「じゃ寝室にカギを掛ける」

「出れないようにするの?はっはっは・・・英二。愛してる。嫁と同じくらい」

「ありがとう。気持だけ頂くよ」

「世の中にこれほど素晴らしい男、二人といない」

 急に黙り込んだ。海岸通りに入った。信号右折、駐車場へ。ルナは降りなかった。こんな場合構わないのがこの男。さっさと歩き、振り向きもせず、ボロ家へ上がり込んだ。リビングの床に転がった。寝不足がたたりいくらもせず夢の旅。そのうち、体臭に覚えのある女が現れ、ルナだと声にすれば、独特の圧迫感で目が覚めた。

「あたしの夢を見てた。英二・・・真似だけでも」

「よ〜し、役者になろう」

 目一杯抱き締めた。ルナの涙が胸元を濡らした。

「やっぱり愛してる以外、言葉が見つからない。英二、ありがとう。傍観者の想い、忘れないで。いつまでも」

「俺は幸せ者だよ。三人の女に愛されてるからさ」

「女だったら誰でも好きになるよ」

「ドンファン《女たらし》になるか。わっはっは・・・YOYOは子どもを欲しがってる。いつ死ぬか分からんし、気持は分かるが」

「アルテミスの意に、背けば」

「出来んだろ。使命感に燃えてるからさ」

「あたしもよね。ギリギリ命賭けて」

「俺はさ、切に願うよ。ルナが戦友と、心を一つにして、魑魅魍魎いろいろな化け物と戦うことをね」

 長い沈黙。突然、上が放れた。キチンと座った。そして声高に言い切った。

「美咲さん、見習う!じゃキスして。最初で最後の接吻」

 体は寄せずに、形だけでは無く、気持の籠った愛を伝えた。

「俺は生涯、元気な間ね、ルナの守り神さ」

「勇気も元気も百倍ね。ありがとう、英二」

 軽やかな足取りが、テーブルへ着いた。

「お腹すいた〜」

「衝撃が原因?」

「あんなので?はっはっは!愛にも色々あるって悟ったから」

「それで腹が減った、わっはっは!ルナは面白いよ、ほんと。それじゃ蕎麦がいいな。特性ざる蕎麦。ワサビたっぷりで、新しいルナになる。いかが?」

「英二!よろしく〜!」

 迅速かつ丁寧に、エビ天、野菜天、海苔天付き、ざる蕎麦。いっきに食べた。

「引っ越しは?」

「近いうちに」

 強い意志を秘めた四つの瞳が、視線が、静かに交差した。

「茜が目を開いたとき、体がブルブル震えた。無力と知りながら誓った。奇跡に挑戦する二人を、俺は、なんとしても守護する、と」

「来世を覗いた女が言う。英二がそばにいる限り、絶対、死にはしないって!」

 L E T' S G O!が、二度、リビングを揺さぶった。

 ルナが去った。意気揚々と。思った。覇気に輝く瞳は、挑戦者の闘志だと。

  

  85 地均し《じならし》

 

 201X年7月4日金曜日

 始業前だった。美咲がパート以外の従業員をロビーに集めた。そして、殊勝な娘を横に一席ぶった。

「突然だけど、聞いて。ゲーム大手二社が、YOYOへCM出演を依頼、承諾した」

 一瞬の静寂、そして反動のどよめき。手で制止、続けた。

「この話はホームページがもたらした、言わばYOYO効果ね。演じるのは忍者と女神。うち前者は終った。後者は明日から一週間、ハワイで。急な報告は事情を考えてのこと。じゃ本題」

 組織の長として、一人一人の顔色を窺った。YOYO効果がここにもあった。

「ゲームの主人公だから運動能力も問われる。事故が心配?無事を祈りましょ。ほっほっほ。二つのCMは話題になる。私の勘ね。そこで企業と広告代理店に注文をつけた。関係者はマスコミから娘を守る。要するにお口にチャック。あの子は誰?そうなったときに備えて。これが一番大事。次に、高額の報酬。女神は慈善団体に寄付する。忍者はお世話になったお屋敷の維持管理に使ってもらう。そして、女優は最初で最後になる。以上!質問は?」

 スタッフ部次長純子が、小首をかしげ言った。

「不思議です。忍者はいつ撮影されたのですか?」

「だって忍者だもの。はっはっは!詳細は新堂さんに聞いて。純子、血も凍る演技だったわよ」

「ボス。そのときのお写真があれば」

「見たい?」

「見た〜い!!」で、極秘前提にスマホの写真を披露。

「年の順よ」

「ええっ!かっこいい!」

「早く!」

「もう少し」

「後がつかえてるのよ」

 などなど、黄色い声が入り乱れ、スマホ争奪戦になった。そしてとりは法子が。

「女神さま。お財布が軽ければ、マカデミアナッツで!」と従者口調で、門出を祝い笑わせた。   

  

  86 カウアイ島の冒険 1機中にて

 

 201X年7月5日土曜日

 十九時五十分、定刻通り成田を発ったハワイアン航空A330便。機内のプラネット社ロケチームは、男三人、女四人と、主役の話で持ち切り。男たちの話を聴こう。

「社長が陣頭指揮。気持、伝わるな」と英二が、重い雰囲気に切り込んだ。

「YOYOさんが忍者。胸の内、察して下さい」と小谷が返し、口元を引き締めた。

「社内もピリピリしてます。なにしろ最大のライバルですからね」と、難しい顔の坂東が合わせた。

「同業他社の仕事は、業界では異例。それだけに両方気を遣う。しかし嫁は信じている。素でやれば忍者に負けないし、両方の面目が立つとね」

「坂東聞いたか。いや〜ありがたいな。新堂さん、もう大船に乗った気分ですよ」

「決して気休めじゃない。あの写真、あの絵を思うと」

 半月の夜の光景が目に浮かんだ。ぼかして口にした。

「YOYOはクソ度胸がある。そのうえ情に厚い。で夢を見た。人の心に押し入る悪霊。そいつと戦う月の女神、これYOYOの話。もうドキドキさ。わっはっは!」

「うう〜ん、心配だなあ。何かあれば本庄さんに」

「大丈夫さ。旦那がカメラマン。注意は怠らないよ。ところで坂東君、動画は?」

「あると助かります」

「静止画で伝えきれないシーン。何か多いような気がしてさ」 

「以前カメラマンに両方お願いしたところ、断られました。大変なのは分かるけど」

「写真家のプライドだろ。まっ俺も多少はあるが、今回は別。水中カメラで動画撮りまくるよ。ええ〜と社長、ロケハンは?」

「現地コーディネーター《ロケの準備及び進行係》、カイマナが、道が無いから動画か写真でと」

「車で行けそうなところは?」

「海岸部と開けた森だけ。前者は戴冠式、後者は王との対話シーンで」

「つまり大半は、歩くか舟か」

 小谷、坂東が頷けば、嫁の苦労が忍ばれた。

「お二人ともカヌーは?」

「ぜんぜん。ボートなら自信あるが」

「それじゃカヌーの練習、及び休養ですね、今日は。時差ボケに寝不足ですから」

「社長は人使いがうまい。わっはっは!まっ楽しもうよ、カウアイ島をね」

 人生楽観論者が、一足先に、緑の島へと夢で飛んだ。

  

  87 カウアイ島の冒険 2世話人カイマナ

 

 201X年7月5日土曜日(現地時間)晴

 八時二十分ホノルル着。接続が良く、十時前にはカウアイ島の東、リフエに上陸。快晴の元、現地世話役、カイマナのワゴン車に乗った。住居兼事務所でいっぷく。やがてロケ地の写真、説明から、1は森の水辺、2に苔むした岩場、3はS字の滝、4に原始の森と決定。以後は倉庫の小道具を確かめ、エキストラの検討。これに英二が首をかしげ、声にした。嫁が通訳だ。

「若い人がいないけど」

「I don't have any young people.」

「countryside. Young people go to the mainland.」

「田舎だ。若者は本土へいってる」

「日本も同じ。しかし困ったな」 

「新堂さん。話としては、年配の方が」

「俺は思う。冒険には愛が必要だと」

 黙考の小谷、坂東。ゲーム屋の本質を知った。

「僕にはロマンがない。今気付きましたよ」

門外漢畑違いの思いつきさ。前のビーチでサーフインやってたな」

 話がそれとなく分かったか、カイマナが口を挟んだ。

「how is my son?」

「息子はどうだ?」

「ポリネシア人だよね。いくつ?ハンサム?」

「You're Polynesian. what year? good looking?」

「Twenty seven. Imagine my face.

「二十七。顔はわしから想像しろ」

 若さで期待、連れて来た。

「ラグビー、強いはずだ」と、マッチョに感心すれば、YOYOが、

「英二は引退ね」と言って、笑わせた。

 名はヒロ。縮れ毛の長髪にビーズ、野性的風貌、そして、ぱっと見寡黙、まずは合格で、更に厚かましく。

「古いカヌーがあれば」

「Do you have an old canoe?」

「listen to a friend. wait.

「友に聞く。待ってろ」

 五キロ北のワイルア川河口、レンタルカヌー屋が持っていた。続き押せ押せで、

「鳥カゴのインコ、可愛いねえ」

「The parakeet in the birdcage is cute, isn't it?」と、飼い主をくすぐれば、

「Milo likes humans. She talks a lot and is very helpful.

「ミロは人間が好きだ。よくしゃべるし、役に立つぞ」と、大サービス。

 英二の現場感覚に異論無く、もうお任せになった。そして『食よりも寝る』で、庭の芝生へ一目散。それぞれが木陰で横になった。小谷が眠い目をこすり、機中で見たカウアイ島から、漠然と言った。 

「映画用のコマ割りの絵、だんだんつまらなくなりました」

「調べて描いてるだろうが、やはり体で感じないとね」

「少人数のロケ隊。ならばハプニング。これに期待します」

「嫁はアルテミス、俺は親爺のゼウス。年も感じもいいとこ。ワクワクドキドキ、させるよ」

「新堂さんはお若い。僕も見習わなきゃ」 

「心は少年だもんね」と、おだてに乗ったゼウス、昼寝ならぬ朝寝となった。

  

  88 カウアイ島の冒険 3水辺にて 

 

 201X年7月6日日曜日(現地時間)晴

 流れはゆったりのワイルワ川。カヌーの練習には最適で、ケイ水沢の熱心な指導にて、主役、英二とも自在に操れるようになった。これで憂いは無し。そして翌朝。

 三人乗りカヌー三艘が、森の支流に静々と現れた。青空を写す川の水溜まりで、野太いカイマナの声が響いた。

「This is the waterfront of the separation. Please be careful when you get off.」「ここが別れの水辺です。気をつけて降りて下さい」

 YOYOの和訳で総勢九名が岸に降り立った。

「どうですか?新堂さん」

「イメージ通り。うん、素晴らしいよ」

 聞き耳のカイマナ、意味が気になるのか、YOYOへ尋ねた。

「Just like the image. yeah, that's great.」

 ニッコリすれば、野鳥のさえずりを耳に、撮影準備。タイミング良く、神木を切り抜いた、年代物のカヌーが到着。レンタル屋がタンキニ水着上下に分かれた水着のケイに、パドル《櫂》を渡し、舟の自慢を。

「I used it on a movie shoot last year. Even before that.」

「去年映画の撮影で使った。それ以前にもね」

 英語が分かるのは主役だけ。忙しい、が意外に楽しそう。

「Internet this year. Commercial though.

「じゃ今年はインターネットね。コマーシャルだけど」

「I am looking forward.」

「楽しみにしてるよ」

 老ハワイアン、気分よく迎えのボートで引き上げた。

 念のためケイが試乗。だが乗っただけで納得、主役と替わった。軽く水辺を一周、回りは拍手で、いっそう自信を深めた。

 万事素早いYOYOが、中道アンナの手は借りず、木陰で着替えた。   

「楽ねえ、スタイリストは」

「うふふ、そのうち楽じゃじゃなくなるから」

「そうよねえ。覚悟はしてるけど」

 この先を思えば真実味がある。

「ヘア、メイクは専門外でしょ。正直言って不安だったの。でもオーディションでほっとした。YOYOの肌、髪、ツルツル、ピカピカだったもの」

「ノーテンキのお陰ね」

「意味分かってるの?」

「うん。スタッフの一人が自慢してたもん」

「自慢?はっはっは!ドレス、ティアラ、腕輪、足首の飾り、O Kよ」

 設定は王の息子、ヒロが川を渡り歩いた。茶色の鉢巻きに地味な羽飾りのマッチョが、花輪を持ち、片手で舟を支えた。Tシャツ、サーフパンツの英二が、

「サービスだ」と言って、裸足の嫁を抱き上げれば、

「あとがこわいな」で笑いを取り、舟に乗せた。 

 これを合図に、カイマナがミニ発煙筒ON。白煙が青い川面を伝い流れた。愛機を動画にし、舟先で三脚へセット。素人だが外人のキャラに期待、撮影が始まった。

「旅立つ恋人を想って、見つめる。じゃレイを掛けて」

「I think of my departed lover and stare at it. Put on your lei.」

 嫁の適切な英訳も、数日前の珍事を、本当に忘れたのか、この一点が気になった。だが真剣な演技の中に後ろめたさは無く、取り越し苦労杞憂であった。

「手を握り合って、少しずつ放していく」

「Hold hands and let go little by little.」

 樹間から見える大河。青く澄んだ水辺。優しさを感じる野鳥の鳴き声。これらが別離の情景をいっそう引き立てた。

 互いの手が、感情を表し、ゆっくり離れた。文句無しのO K!

 次いで去り行くシーン。ここは胸が引き裂かれそうな演技だ。

「ヒロ、恋人は?」

「Hiro, who is your lover?」

 かなりシャイである。間を置いてポツリと。

「I'm alone.」

「一人ですが」

「一人で十分だ」

「One person is enough.」

 通訳、他、おかしくて吹き出した。

「それじゃ、君の恋人だと思ってね」

「Then think of me as your lover.」

 外国のロケで通訳がいない。もし嫁が話せなきゃどうなったか、小谷のチョンボを責めたいが、ロケの内容からすれば、分からなくも無かった。気を取り直した。

 パドルさばきにも哀しみを込めた、末は女神。注文が効いたか、立ち尽くすヒロ。両者の切なく、哀しい演技に、拍手でO K。そして一度は試したかったマル秘へと。

 ジュラルミンケースから水中カメラを取った。ハワイ専用で買った優れものだが、果たして一台でどこまで頑張るか、である。動作確認、問題無し。川に浸かった。積み重なった枯木や葉っぱが、足元から伝わった。それらをかき混ぜないよう、気をつけて歩き、嫁へ話し掛けた。

「下から撮るからさ。水面を指でなぞって。L O V E、と」 

「スイミングゴーグル、なくても大丈夫?」

「素潜りはメガネ無し」

「安心ね」

 川底に尻をつき、鼻をつまみ、仰向けに倒れた。横座りのヒロインが、傾く舟を気にせず、身を乗り出した。

「入ります!」と、ポケットだらけの上着、半ズボンのアンナが声を上げた。

「水底の堆積物、乱さないようにね」

 船縁を伝い、そろり歩いた。YOYOの髪を触り、梳き、ティアラの位置を確認。親指が水面から出ると、抜き足差し足で場を離れた。動画ON。水面下二十センチ。指先の演技は、広角レンズが誇張し、憂いを込めた表情は、青く透き通った水が真実味を与えた。胸の内へ語った。『使徒の心象風景だ、ファンタジーだ』と。終いは渦を作らせた。これは未来への不安だった。

 オールメンバー、ノートパソコンで一作目の確認。

「お話しが絵になってる!すご〜い!」と、これは女性軍。

「カメラマンが少年でよかったよ」と、社長がニヤリ。

「それじゃわたしは少女ね」

 息の合った夫婦コンビ。小谷が困難なロケに希望を見い出した。


  89 カウアイ島の冒険 4ユートピア

 

 201X年7月6日日曜日(現地時間)晴

 次のロケ地は苔に覆われた緑の岩場。ハワイで最大の川幅を誇るワイルワ川の上流にあり、旅立ちの水辺からはおおむね四キロ。けっこうな距離のうえに、流れに逆らってである。

「社長。まさか手漕ぎで上るとか」

「はっはっは!新堂さんだけは」

「勘弁してよ」

 ジョークと知りつつも、貸し切り観光船が登場すれば、やれやれで、カヌー四艘を載せ川上へと向った。

 途中船着き場で、カイマナ、小谷、秘書が降り、四駆に乗り換えた。そして観光船が再びエンジン音を響かせると、しばらくして野鳥が増え、支流のせせらぎが耳に付き出した。川幅も次第に狭くなり、森が原初の様相を濃くしていった。

「船長。観光地らしくないが」

「Captain. It doesn't look like a tourist spot.」 

「I don't like swimming or walking.

「泳ぐのも、歩くのも嫌なんだろ」 

 通訳の嫁が白い歯をこぼし、洒落たウイットに夫が感心すれば、緩やかなカーブを過ぎた。木立が川と緑の坂を二分する光景が目に映った。船長がクイズ風に言った。

「A rock rolled down into the river. Now what would have happened without the grove?」

「岩が川へ転がり落ちて来た。さてあの木立が無ければどうなったか?」 

「ヒマがあれば考えるよ」

「I'll think about it if I have time.」

「Humans stopped thinking. In that sense, this island is the perfect island to think about.」

「人間は考えなくなった。そう言う意味じゃこの島は考えるに最適な島だ」

 嫁が船長の見識になるほどと笑みをこぼした。 

 直に近くまで来た。観光船はここまで。四艘を下ろし、梯子を伝い、それぞれがカヌーへ乗り込んだ。

「Don't hurt the moss.」

「苔を傷つけるなよ」

 船長がさよなら代わりのセリフを吐いた。

「Because Japanese people have delicacy.」

「日本人はデリカシーがあります」

 そう嫁が返せば、ウインクで、観光船は森の陰へ消えた。

 荷物運びのヒロを先頭に、老カヌーのYOYO、次いで英二、坂東組が、最後にアンナ、ケイ組が追い掛けた。一方、断崖道路では、緊急事態に備え、仁科秘書が双眼鏡と無線を、小谷も責任者らしく、ロケ隊の行方を見守った。

 

 その地はまさに緑の天国だった。カメラマンが興奮気味に声を上げた。

「素晴らしい!絵になる!うん、絵になるよ!」

 即刻、希望へ急ぐ物語の使徒を写真で。そして接岸。船長の訓告通り、オール裸足で緑の仙境俗界を離れた静かで清浄な土地へ上った。吹き渡る風に、神の地を感じながら。

「歩くことさえはばかれるな」

「はばかれるって?」

「気がねする」

「ほんとね。じゃあやまる。コケさんごめんなさい」

「こんな別天地をさ、多人数のロケ隊が踏み込んだらどうなるか」

「想像するのもいや!」

 カメラマンとディレクターが、その別天地をグルリ見回した。川を分断する樹々、向かい合って風にそよぐ花々、野鳥のさえずり、垣間見る険しい山並み、そこかしこの木漏れ日。心が癒され、洗われた。 

「話の最重要シーンに相応しいな」

「ええっ。なんて言うか、これ以上は望めませんよ」

 ケイがある場所に気付いた。

「見て!あのブルーの花のそば。あそこだけ水が流れ落ちてる」

「ん?ケイ、ボーナスもんだ。行ってみよう」

 冷静なる男も花が絡めばうるさい。急ぎ足が平らな岩の前で止まった。湧き水が四方から白い糸を引いている。

「よっしゃ!ここが舞台だ!」

「いやあ!素晴らしいな。花といい、水といい、まさに女神誕生ですね」

 樹々の葉っぱを見上げた。風に揺れると、太陽が目に入った。

「木漏れ日がポイント。アンナ、急ごう」

「YOYO、もう感動して、興奮してる!」

「その気持でね」

 即、といきたいが、シワの目立つミニドレスは若干の手間。それに加え、長い髪も長時間カヌーでほつれている。しかし頑張ったアンナ、何とか仕上げた。YOYOが舞台に立った。愛機は動画で広角レンズ。原始の背景、清冽な湧き水、奥まで続くブルーの花。心が弾み、踊り、「生涯ただ一度」と声を上げ、気合いを入れた。

「体はYの字で。バッチリ。顎は少し上げて。そうそう。天の啓示、聴こう!」

「待って!ティアラが見えにくい。腕輪も上腕の方が」

 カメラ目線のスタイリスト、機敏に動いた。

 木の葉から舞い落ちる光。それが天の声。

「目を閉じて。瞼が光を感じた瞬間、女神になる。全身で演技して」

「わかった。見事な変身、見て!」

 じっと待った。五分、十分、来た!顔、肩と光りが当たった。ここぞとばかり五体が震えた。表情が一変した。見事なYOYO芸が、気の力を得た瞬間を、真の女神誕生を、演じ切った。

 そのままクルッと回った。二度目だった。半回転で静止。五十メートルは余裕の緑の坂。途中の二本の木と見て、目を輝かせ言った。

「最初は喜びを胸に、冒険へと駆け上がって行く。ミロといっしょに。次はあの木のそばで歌う。歌はアヴェマリア。シューベルトで。どう?」

「脚本家になる?」

「演出家じゃないの?」

「そいつは前に言った」

「はっはっは!じゃ同じ返しを、マネージャーがいい!」

 一同大笑い。

「こんな楽しいお仕事始めて」

「アンナ。芸人夫婦だもんね」

「合点承知の助。はっはっは!」

 打ち解けた雰囲気の中、ケイが走りやすいルートを探し、駆け足で戻ってきた。 

「ついて来て」

「覚えた」

「ええ〜っ!目印の無い坂よ」

「記憶力は自信があるの」

 呆れたケイ、鳥かごを取った。ミロが登場、右肩に乗った。さっそくボケた。

「I am hungry.《腹が減った》」

「Shut up!《おだまり》」で、シュンとなれば、ワクワク感を写真に収めた。

 次いで愛機を動画に変え三脚へ。そして期待を胸に、

「もうお任せ」と、信頼の声を放った。

 走った!弾むように、飛ぶように。まるで子鹿だ。それではと、ミロが思ったか、肩から飛び立ち、女神につきまとい、青い羽をばたつかせた。

「夢を見てるようだ」と、坂東。

「ディズニーアニメね」とアンナ。

「泳ぎと同じ。フォームがほんとにきれい」と、ケイ。

 二つの木が終点。振り返リ叫んだ。

「どうかな〜!!」

 これも絵になった。モニターで確認。坂東が夢の続きを楽しむと、大声で。

「A M A Z I N G!!そっちへ行く!!」

 緑の地表から突き出た木は、葉っぱが生い茂り、大きさからして盆栽風。それが仲良く立ち並び、うち一本が、「さあ、ここで」と、言わんばかり。当然主役も感知、ご機嫌でカメラと合流した。

「泣きそうになるだろうな」

「うふふ、泣かせてあげる」

「YOYO。五分待ったら、新堂さん、もう大泣きね」

 長い髪を丁寧に梳いた。艶艶だ。ティアラが映えた。ミニドレスO K。選ばれし一本へ歩き寄った。幹の横でポーズを取った。次にミロが左肩へ。お口にチャックが分かったか、おとなしくなると、裾が右からの風に舞った。腕組みがしばらく見つめ、にっこりが声になった。

「ギリギリだけど、見えない!」

「アンナの自信作だもん!」

 笑ってカメラへと。レンズに目を合わせた。

「女神ね、ほんとの」

「同感。シューベルト、アヴェマリア、どうぞ!」

 四オクターブが歌い出した。聖母マリアを思い描くように、想いを天に届けるように、あるいは、誰かへ語りかけるように。

 動画の固定カメラは、超広角で楽園を丸ごと写し取り、手持ちの愛機は静止画で、表情、仕草と撮りまくった。

 大自然に抱かれ切々と歌った。

「♫Ave Maria! Jungfrau mild, 
Erhöre einer Jungfrau Flehen, 
Aus diesem Felsen starr und wild 
Soll mein Gebet zu dir hinwehen・・・」

 緑、緑、緑の心安らぐユートピア。清らかな声が、立ち姿が、聴き入る者たちから、時も、我も奪った。歌い終わった。オール沈黙。感無量の英二が親指を立てた。現実に戻った。拍手鳴り止まず、それぞれが、目に涙を笑い合った。

「ご苦労さま。どうでした?」

「言葉では語れんよ」

「早く見たい。次ですが、緑の坂の二つ目のカーブの先に支流が。突き当たりは赤い壁の峡谷。滝は二手に分かれ、滝壺は楕円。何かドラマを感じさせると、社長が」

「分岐までは遠いの?上りだしさ」

「二百メートル、くらいかな」

「支流はおおむね流れが早い。そっちで見た感じでは?」

「波が立ってますから、多分」

「滝までは歩けるの?距離は?」

「上流に向って左は砂地です。目測で一キロ。大変ですけどよろしくお願いします」

「S字の滝は?」

「無しでけっこうです。YOYOさんに伝えて下さい。夕食はお好きなものをと」

「ならシェフは俺だ」

 笑い声が切れ、聞き耳の坂東が、浮かぬ顔で。

「しばらくは散歩ですか」

「色々あって楽しいよ。それはそうと、地底への入口は?」

「洞窟ですか。絶対必要だけど、カイマナが知らないんじゃ」

「困ったな」

「最悪は観光地で、と」

「パス。しかし何とか探さないとね」

 アルテミスに頼みたくなった。

   

  90 カウアイ島の冒険 5危機一髪


 201X年7月6日日曜日(現地時間)晴

 ゆったりした本流の湾曲一つ目で、嫁の手を見た。赤い。痛そうだ。しかし泣き言は言わず、二つ目を過ぎた。波が目に着く支流に差し掛かった。左へ曲がりくねった先は、森と険しい山々。難行が目に浮かんだ。

 ヒロが左岸の開けた砂場を指した。合わせて英二がぼやいた。

「カヌーは下ってなんぼ、不便な奴だ」

 四艘が横に並んだ。荷物は一番のカメラマン。助手の無い海外ロケを笑い、ジュラルミンケース二つを肩に掛けた。次いで三脚はヒロが、小道具バッグは坂東が気を利かした。スタイリストもこれに負けないが、何とか一つにまとめた。

「アンナ、三つに分けよう。重そうだもん」

「大事な主役よ。いいから気にしないで」

「みんなで苦労するの。下ろして」

 泣かせるYOYO、いっきに株を上げた。

「優しい嫁。俺の自慢だ」

「英二。自慢は、体力と忍耐でしょ」

 笑いを取れば、女三人が荷物を分けあった。砂地、草地と踏み、白布を垂らした感の二つの滝が見えて来た。やれやれだが、重労働の散歩。腹へりである。

「サンドイッチあるけど。ちょうど五人分。ええ〜と、ヒロは?Are you hungry?」 もの静かに笑い、ごつい首を横に振った。

「やっぱり英二よねえ〜」

「ドリンクは私が」

「さすがスポーツアドバイザーね」

「トマトジュースだけど」

「文句言わない」

 で、車座になり、賑やかなランチとなった。これで勢いがついた。がむしゃら歩きまくった。無線だ。英二と替わった。

「仁科君はアバウト過ぎるかも」

「ごめんなさい。女の距離感、当てになりませんね」

「歩数計は二千ちょっと。距離にすれば約一キロ。残りは見た感じ五百」

「社長がにらんでます」

「言って。みんな楽しんでるとさ」

 小谷の笑い声が聞こえた。

 木陰を選んでの散歩も、次第に急ぎ足になり、赤い崖が迫る終点に辿り着いた。さっそくロマン派が一席ぶった。

「二つの滝、前世期の崖、見たことも無い木、滝壺の底知れぬ色、回りを見れば大小のシダ。うん、ドラマに負けないよ。さてさて坂東君、何から?」

「そうですね。滝壺で泳ぐシーンでは?」

「いきなりビショビショになるの?」

「アンナの言う通り」

「うう〜ん・・・新堂さんは?」

「設定、決めなきゃ」

「冒険その一ね。見て、あれを」

 YOYOが、瀑布間の真ん中を指差した。

「ん?段差?まさかあそこから」

「飛ぶの。先を急ぐ女神が」

「二十メートルってとこか。しかしどうやってあそこへ?」

 オール、首を回した。

「段差は右側の林まで続いてるはず。あの木を見て。崖に倒れてるでしょ」

 木立から突き出た高木へ目がいった。

「じゃあいつによじ登って」

「木登りは得意。任せて」

「私は高所恐怖症だけど」

「アンナは見物。ジャージ、あるかな」

「原始の島よ。抜かりない」

「その前にあいつを見に行かなきゃ」

 木々をくぐり抜け、そいつをじっくり観察した。枯れかけか、葉っぱが少なく、枝ぶりも登るにはお手ごろ。戻った。

「あと滝壺の深さだな。色からして問題無いとは思うが」

 試しに潜った。驚いた。英二の知る滝壺とは、まるで違っていたから。上がった。

「坂東君、あれはさ、太鼓の名残りだよ」

「地底が裂けた・・・」

「うん、そう思わざるをえん。要するに底無しさ」

「魚は?」

「ケイも潜ったら。いろんなのが泳いでるからさ」

「おさかなさん、うふふ、ビックリするだろうな」

 と言う訳で休憩後、チャレンジすることに。アンナが心配を顔に出し、フード付きジャージ上下、運動靴と決めた。英二が付き添い、高木の根元へ。

「アルテミスに願うよ、無茶な嫁を守ってくれとさ」

 抱き合った。しばらく。そして軽いキスで、フードを被り登り出した。

 最初はスイスイ、途中からゆっくり、ゆっくり。そして段差へ伸びる枝でひと息入れ、足もすくむ眼下を見た。びびらなかった。代わりに冒険の真理が声になった。

「恐いと思ったら負け。思わなければ、もっと恐い、複雑ね」

 枝にぶら下がった。段差の幅は背丈有る無し。奥に決め、足元から一メートル程へ、手を放した。着地。が、思いっきり滑った!尻もちが仰向けに倒れた!不気味な光沢を放つ斜面。そのまま崖っぷちへと、足が半分宙に浮いた!ジリジリと滑落が迫った。もう終わりだと、観念した。実にそのときだった。左指先に救いの手を感じた。「つるだわ。まるで生き物のよう」。たぐり寄せ思いを声にした。「アルテミスの救いの手よ!」。ギュッと握り締めた。蔓の先は見えず、すがるが如く、引っ張った。びくともしない。狂喜乱舞が土壇場で反転、這い上がった。

 体勢を立て直し、全神経を集中、四つ這いになった。そのまま滝の裏へと進み、途中で一人言を洩らした。

「滑るのは同じだけど、さっきよりはるかに増し」

 しかし用心は怠らず、カメの歩きで、一つ目をくぐり抜けた。

「やった〜!!」と、声の限り叫んだ。

 先は急がず横になった。最初はうつ伏せで、痛む尻をマッサージ。しばらくして起き上がり屈伸運動、「うん、大丈夫」で、仰向けになり、紺碧の空を見渡した。くっきり浮かぶ白い月。しばらく見つめ、涙目が声を掛けた。

「女神が助けてくれたのよね。ありがとう、ありがとう」

 一方、主役登場を今か今かと待つ英二は、気が気で無かった。

「遅い。何かあったんじゃ」

 そこへ待ちわびた元気嫁の声が。

「英二!みんな!お待たせ!」

「大丈夫か!」

「心配ない!今から足場を調べる!滑るからね!ちょっと待ってて!」

「OK!慎重にね!」

 夫の声に押され、岩盤の表面を両手で押さえた。滑らない。ガッツポーズ!心配が吹飛んだ。しかし問題は流れの両端。飛ぶ込むときの足場だ。瀑布の轟音に負けじと、英二へ、ジェスチャーを交え、声を張り上げた。

「左右、どちらがいいかな?!」

「社長が見たら腰抜かす!左だ!」

 向かいの流れへ、足元を確かめながら歩き寄った。また四つ這いになり触った。わずかに滑った。

「ムリかな〜・・・そうだ、ジャージでこすってみよう」

 上着でゴシゴシ。崖の端から五十センチ角を根気よく。しばらくして、手の平でなぜた。努力の結果が実った。立ち上がった。足の裏で感触を確かめた。

「やれる!やれるわ!」

 二度目のガッツポーズへ、下から怒鳴り声が。

「どうした!?何かあったのか!?」

「あったけど終った!英二!注意することは?!」

「着水は藍色!二メートルだ、二メートル飛んで!」

「二メートルか〜!がんばる!」

 背丈幅を斜めの助走も考えた。が、ほぼ真横から流れへ突っ込むことであり、結局は真っ向勝負以外無かった。続きケイへ。

「服と靴、落すから受けとって!」

 真下でナイスキャッチ。そのままスリルを味わうことに。

「アンナ!ティアラは大丈夫かな!?」

「予備は二つ!安心して!」

「よかった!英二!いつでもG Oよ!」

「ちょい待って!」

 華麗なるダイブは、真横から三脚愛機に任せ、水中カメラを手にした。ケイの元へ泳ぎ渡った。

「真下だと画面に入るよ」

「そうか、私としたことが、はっはっは!」

 反対の滝の端へ移動、おおむねでストップ。

「見たことないな。下からの冒険シーンなんて」

「普通じゃ面白くないだろ」

「夫よりカメラマンね」

「批難してるの?」

「半分賞賛しながら、はっはっは!」

 段差を仰ぎ見た。見えたのか、嫁が手を振った。ヒロがやって来た。

「見学じゃないよね」

「Worst《最悪》・・・Help《助ける》」

「Thanks」

 心配顔、男らしい態度に胸を打たれ、肩を叩いた。坂東へも手を上げた。愛機のシャッターボタンに触れた。そして英二は秒八コマの連写に設定、頭上の青白い流れを取り入れ、構えた。

「GO!!」

 ヒロが胸で十字を切った。他は手を合わせ、無事を祈った。いよいよだ。

「気を得た女神。いくわねえ!!」

 目印の岩肌の模様へ寄った。不安が声になった。

「二メートルは頭で無く足。つまり三メートル以上は飛ぶこと。助走無しで・・・。アルテミス、お願い、もう一度助けて」

 水しぶきを浴び真摯に祈った。

『可愛い使徒、飛びなさい』

「聴こえた!感じた!テレパシーを。もう夢のよう」

 気合いが入った。無の境地が、膝を折った。思いっきり地を蹴った!一瞬ふわりと浮き空を飛んだ。きれいに弧を描き、宙へ舞った。そして飛沫を浴びながら落下。緑色を越え、藍色に水しぶきが上がった。成功だ!!

「女神より天女だ!」と、英二が叫べば、 

「YOYO!!G R E A T!!」と、ヒロが怒鳴った。

「こんなにエキサイトしたの、初めて」

 やや涙声へ英二が感動を被せた。

「助走無しで二メートルを飛んだ。あの時点で俺は成功を信じたよ」

「神は平等じゃない。YOYOを見て、ほんとにそう思う」

「ケイ、悲観せず努力だ。努力が全てさ」

 背泳ぎの英二、平泳ぎの冒険女とハイタッチ。回りは目一杯の拍手。そして岸へ戻れば、直ぐ様モニターで確認。

「ノートパソコンは?」

「カヌー。一グラムでも軽くさ」

 小さなモニターでも、それぞれが天女の舞いを、凄まじい迫力を満喫した。

「アンナごめん。ティアラが衝撃で無くなった」

「あと二つ。で冒険は続く。スタイリストは神に祈る。はっはっは!」

 何をしでかすか、と思えば、祈りたくもなるだろう。


  91 カウアイ島の冒険 6原始の裂け目


 201X年7月6日日曜日(現地時間)晴

 カメラマンがいつの間にか、ディレクター、おまけに進行係まで兼務するようになった。

「新堂さん、次は?」

「あのさ〜、坂東君が決めてよ」

「雰囲気は洞窟がありそうな」

「言われてみれば。それじゃ女神の泳ぎと、水中ダンスを撮りながら」

「水中?夢の続きがまた見れるな」

 先ず動画で、滝壺を泳ぎ渡るシーンから。その一は、瀑布を背に流麗なるクロールで。その二は、赤い峡谷の全てを取り入れ、超広角で背泳ぎを。これはゆったりと優雅に。その三は、英二も一緒に泳ぎ、水中カメラで迫力のクロールをものにした。そしてラストだった。半周後の平泳ぎが、しぶきの裏から何事か叫んだ。

「来て!英二!」

 滝壺の轟音にかき消された。二度目はヒステリックに。聴こえた!白い煙の端をくぐり抜け、赤い岩壁へ泳ぎ渡った。

「どうした?」

「見て!壁が割れてる!」

「ん?すげえ!」

 嫁までは七、八歩。膝までの水を蹴飛ばした。でかい亀裂に息を飲んだ。

「何でもありだな、この滝は。わっはっは!」

「地底への入口ね」

「ひょっとしてアルテミスにお願いしたとか」

「はっはっは!そんなにヒマじゃないよ」

 灯りが必要だが、とりあえずは様子見で。

「女神は待機ね」

 斜めに鋭く走る亀裂。上下、左右とつぶさに見た。地震もそうだが、自然の驚異に圧倒され、大人三人でも余裕の入口に立った。足元は砂と小石の坂で、水面を辿り中へ入った。直に密生するシダへ変った。姿勢は若干斜め。奥へと向った。徐々にシダは数を減らし、剥き出しの岩盤に沿って奥へ向った。裂け目は徐々に暗くなり、ジワリ前進。雰囲気は恐竜の末裔子孫がいそうだが、出てこずで、極端に狭い十歩先にて後退。嫁とともに引き返した。

 まさかの朗報に興奮気味の坂東が、バッグから松明たいまつを取り出した。

「社長に感謝ですね」

「宝くじが当たったようなもん。じゃ火をつけてさ、上に振ったら」

 言われた通りへ、直ぐに無線が。ヒロから坂東へ渡り、ラッキーを話した。

『賽銭の一万、十万でもよかったな。はっはっは!』

 快活な笑い声も、機材をどう運ぶかで消え去った。いろいろ考えた。結果、これしか無いの名案をひねり出した。

「浮き輪持ってる人」

 アンナが手を上げた。

「泳げない女の必須アイテム」

 さっそく膨らませ、ジュラルミンケース、三脚と縛り付けた。

 冒険その二が始まった。松明を掲げ、バタ足で浮き輪を押し、主役が続いた。絶壁に辿り着いた。裂け目に立った。アンナは水着でないことを悔しがり、上着を脱ぎ、Tシャツ、半ズボンで水に浸かった。小物はビニール袋に詰め、ケイの背中に乗った。楽しそうだ。親ガメ、小ガメを笑いながら到着。

「ずぶ濡れの髪、ドレス、さてどうするか?」

「ケイ。コードレスドライヤー二つ、ありったけのタオル、持って来て」

 泳ぎのベテランが、即、注文に応じた。

「半乾き、ですよね」

「やはりプロだ」

 ケイも手伝い、状況に見合った女神に満足。二個目のティアラが更に映えた。

「先ず地底の入口までを」

「表情は?」

「物語だと知ってる訳だから、決意、これだね」

「それプラス女神らしさ」

 本来なら愛機だが、この場では無理。やはり水中カメラだ。しかし三脚は水の中。どうにか安定させ、動画でスタート。女神が松明を高く掲げた。未知へ挑む女神らしく、グイッグイッと前進。内に秘めた気が、演技から伝わった。

 リハーサル無しで一発O K、空洞へ移った。フラッシュライトで、準備はスムーズ。スタンバイ。戻ると、松明の英二にYOYOが続いた。だがシダの根元は歩きづらく、後ろが気になった。

「歩けるかな?」

「段差よりましね」

「ん?何かあったの?」

「滑って尻もちついて、仰向けでズルズル。ほんとに危なかった」

「ぶら下がって降りた、その後だな。しかしよくもまあ無事で・・・」

「せとぎわで捕まったツル。あれはわたしを救うために、アルテミスが・・・」

「手を貸した。貸さなきゃ、YOYOは・・・よかった、よかったよ!」

 冒険女を抱き締めた。その時だった。

「英二見て!壁に文字が」

 背中が呼応、灯りをかざした。金色に輝く英文だった。

「女神、女神だよ!」

「読むわね。A vindictive Guildos. I invited spring water only in that place and made it slippery. Apostles, take your adventures in moderation.執念深いギルドス。あの場所だけ湧き水を誘い、滑るようにした。使徒よ、冒険もほどほどに」

「やっぱりあいつか。くそ〜っ」

「要するに注意は怠るなって、女神は言いたいのよ」

「そうだね」

「英二。ダイブも助けてくれた。空を飛んでるような気がしたもの」

「言われてみれば。よしっ!感謝の気持、文字に伝えよう」

 空洞に心からの声がこだました。そして、しばし頭を垂れ、やがて仕事へと。

「シダの感触は?」

「見た目より肌触りがいい。でも暗いよ、映るの?」

「松明の灯りだけで十分。あくまでもリアルにこだわってるからさ」

「じゃあ地底へと、顔は厳しく、品は失わず、闘志を秘めて」

「嫁でなきゃボロ家へ帰ってるよ」

 いつもの笑い声だった。三脚カメラは愛機。動画、ISO感度1600と設定し、最奥から。スタート!背景は鋭く割れた壁、そして瀑布と砕け散る水の叫び。それらを背に、恐れを知らぬ顔つきが松明に映えた。シダを払い除け、カメラへと、一歩一歩力強く迫って来た。英二は痺れまくった。演技を越えたYOYOの凄みに。シリアスの極みに。 

「やっぱ女優になる?」

「いや!」

「マネージャーがいい。わっはっは!」

 二度目はアンナと協議。更にリアルさを求めることで一致。滝の飛沫を浴びて望んだ。正解だった。YOYOの演技に鬼気迫るものがあったから。こうして大収穫の撮影は終り、原始の裂け目に別れを告げ、バカ丁寧に頭まで下げた。

 迫真のモニターが、坂東へ、複雑な心境をもたらした。

「この先はゲーム。うう〜ん、なんか悲しいような、もったいないような」 

「冒険映画に負けず劣らず、だもんね」

 ケイ、アンナも異口同音に声を上げた。

「やっぱてんさ〜い!」

 滝のラストショット。水中へと。

「ここは水面の陽光を目ざすだけ。この色だ、女神の希望が伝わるよ」

「じゃわたしは人魚に。ゆったりとおおらかに」

 ケイも参加。大きく息を吸い、三人同時に潜った。限界の七メートル、開始。カメラは当然下から。人魚がのんびり水面を目ざした。小魚の群が後を追った。濃度を変えていく青い水が、何処か神聖なる世界を思わせ、パンチラを気にさせなかった。浮上。魚と遊んでいたケイも上がった。直ぐにモニター。坂東が口笛を鳴らした。

「もう夢ばかり見てるよ」

「セクシーだけど、いやらしさがない。不思議」

「アンナ。あくまでも自然体、その結果さ」

「演技でない演技。真の女優ね」

 ケイの実感に、一同納得で店じまい。しかし演出家が待ったを掛けた。

「滝に打たれる、裸で」

「沐浴か。いいけど裸じゃなくてもさ」

「女神は真剣なのよ。だったら」

「分かった、分かった」

「俳優の鏡ね」

「アンナの言う通りだわ」

「僕はどうすれば?」

「その辺で寝てたら」

 残念がシダの影でひっくり返った。上にも配慮を求めた。英二が後ろ向いた。女二人が笑い、影になると言った。蕩ける微笑に否定を混ぜ、さり気なく脱いだ。

 原始の峡谷の美しい裸体。アンナ、ケイのため息を背に、緑色の水面を泳ぎ、散乱する岩を伝い、瀑布の端に立った。乳房半分まで浸かり手を合わせた。

 水中カメラは静止画。超広角で滝壺丸ごと、望遠で白日夢に迫った。意外にも、飛沫が飛び散る祈りの顔は、横顔は、野性的だった。

 思い残しの無い撮影。それぞれがYOYO讃歌を謳い、ドラマの滝を後にした。


  92 カウアイ島の冒険 7急流下り


 201X年7月6日日曜日(現地時間)晴

 カヌー四艘が目に入った。やれやれだ。しかし一服させないのがこの女。

「ラストよね。じゃやりたいこと全部やる」

「ええ〜っ!疲れてないの?」とアンナ、ケイが、声を合わせ驚いた。

「楽しいもん」 

「新堂さん、どうしょう?」

「アンナ。お好きなように、だよ」

「みんな疲れてるのにごめんね。やりたいのは三つ。急流を歩く。泳ぐ。そしてカヌーに乗って川下り」

「ケイに聞くけど、ポンコツ、壊れないかな?」

「丈夫よ。それに乗りやすい。でもライフジャケットがないと。うふふ、変よね」

「ライフジャケットの女神、面白いが、とりあえずは歩くから」

 水深は浅く、ミニドレスが半分隠れる程度。川底は砂地と滑る岩盤で、歩くのは注意がいる。そのうえ波がある。大きいの、小さいのと。そして流れは、果たして急流と呼べるかだが、川へ足を踏み入れた。幅五メートルほどの、真ん中に立った。

「油断すると流されそう」

「見掛けで騙す。性格、悪いな」 

 それを耳にして、アンナがケイの手を借り主役へ歩き渡った。ドレスを触り見た。

「新しいのに着替えようか」

「汚れてる方が自然だと思う」

 異議無しで岸へ戻った。写真、広角レンズで、女神に相対した。前もって足場を決め、上流へと歩き出した。でかい波がドレス、顔と襲った。懸命に踏ん張った。恐いほどの目つきが絵になった。タフな精神を必死で演じ、それをきっちり写し取った。

「どうだった?」

「最強のチャレンジャー、うん」

 終わりかと思えばまたアイデアを。

「パドルを持つ。気合いが増すもん」

 古さがお話しに合っていた。左手で握り、岩場を避け、川を横切った。流れにふらつけば女神も形無し。頑張った。耐えた。さすがの男も嫁の根性には脱帽。しかし左岸目前で足を取られた。ひっくり返った。英二が豪快に笑った。

「YOYOも人の子ね」と手を差し出し、冷やかしたケイ。

「えっへっへ。女神もたまにはしくじる」

 ずぶ濡れがニッコリ、岸へ上った。ケイがタオルで世話を焼けば、アンナが、

「ノーメイク、しみじみ有難みを感じてる」と、若干陽焼けの両頬を触り言った。

「羨ましい。なんか特別なことでも?」

「ケイ。いつもほがらかに、よね」

 納得に押され、泳ぎへ移った。ここも水中カメラだ。動画、広角レンズと選び、上流に向って、斜めに横断する迫力のクロールを撮りまくった。そしてお騒がせの急流下りは。

「やめた方が」

「新堂さん、試したら。この川は初心者向けの急流。岩がゴロゴロのもっとえげつないのが、いっぱいあるもの」

「英二、引っ張って来て!」

 言い出したら聞かない嫁。チャレンジすることに。

 貴重な老カヌー。坂東と抱え、二十メートルほど先のスタート地点へ運んだ。入念にチェック。終ればくたびれた者が、川の真ん中へ引っ張り歩いた。支えた。しかしとりあえずは急流だ。持っていかれる舟を、都会人の根性が、どこまで持つかだ。

「カメラはどうするか」

「舟は私が、新堂さんは前に乗って撮る。どうかな?」

 決まりだ。見た目より軽いカヌーを、川に浮かべ、運んだ。主役の隣りへ引きずった。坂東が二艘を支えた。顔は真っ赤だ。さてこれからである。YOYOが這いつくばって乗った。必死が笑えた。続きカメラマンがジャンプ一番、中へ転がった。最後はスポーツアドバイザー、軽く乗り込んだ。

「ケイ。ひっくり返ったらどうしょう」

「舟から手を放さない。元に戻す。乗れたらまたチャレンジ。乗れなかったらあきらめる。未経験だもの、多分後者ね」

 我慢の限界か、坂東が手を放した。

「キャア!ウワァ!」

 いきなり、左右、上下と大揺れ。恐いのか、面白いのか、サッパリ分からずの叫び声も、次の波で声を吞んだ。我に言った。

「恐くても、女神らしく」と。

 ビギナーが演技だとパドルへ伝えた。ドラマのある必死に変わった。様になって来た。しかしどのみち冷や汗で、ケイが大声で励ませば、小走りの坂東、アンナが声援。英二は、苦闘するYOYOの演技に、ファインダーへこう語った。

「ハリウッドでも成功する」と。

 誇り高き女神の絶叫川下り。動画で、超広角レンズで、二度と撮れないシーンを、余す所無くものにした。そして最後はご愛嬌。波に持ち上げられ、大きく傾き、残念無念の転覆。髪、顔から水が滴るヒロインが可愛く、これもカメラに収めた。こうしてハワイロケ、初日は終わった。


  93 カウアイ島の冒険 8社長の想い

 

 201X年7月6日日曜日(現地時間)晴

 バラ色の夕焼けである。当然ガーデンディナーも大賑わいと思えば、何やら雰囲気がちょっと違う。原因は小谷社長。表情が硬いのだ。これに英二がやんわりと。

「動画、写真と気に入ら無かった?」

「とんでもない」

「YOYOがもうひとつだった、とか」

「そんなこと・・・」

「分からん。朝とは別人だもの」

 仁科が、英二、YOYO、回りと見て、秘書らしく擁護した。

「お二人に何をどう言ってよいか、言葉を探しておられるのです」

「つまり、感謝の?」

「ええっ、そうです」

「水臭いと言うか、小谷社長、無線でも言っただろ。俺たちは仕事を楽しんでると。そんなのに感謝など必要あるかな。YOYOは体を張った。しかしそれも自信の裏付けがあるから。またいろんなアイデアも出した。俺もみんなも従い楽しんだ。結果、いい仕事が出来た。それでいいじゃないですか。気楽なロケだもの」

 小谷が英二に歩み寄り、目を潤ませ手を取った。人生の先輩がきつく握り返した。YOYOも席を立ち、手を重ねた。坂東、アンナ、ケイが、泣き顔で拍手した。

「あの〜お腹すきました。もうペコペコです」

 小谷から白い歯がこぼれた。三人が席に着いた。

「うふふ。それじゃお料理を」

 仁科がウエーターを呼んだ。用意が出来ていたのか、次々にテーブルへ並んだ。

「小谷社長様。乾杯の音頭を」とYOYOが、思い遣りを声にした。

 返しに顔を上げ、目をしばたき、でかい声が。

「新堂さん、YOYOさん、アンナさん、ケイさん、ええ〜と、坂東も入れるか、ありがとう、ありがとう、では、乾杯!」

 にわかに宴の場が賑やかになった。社長がそれぞれに頭を下げ、ビールを注いでいった。英二が背中合せの嫁を盗み見た。さすがにガツガツは無かった。むしろしとやかで紺色の地味なアロハシャツが良く似合っていた。

 終盤だった。小谷が腰を上げビックリを口にした。

「みんな聞いてくれ!坂東とも話し合ったんだが、明後日帰国する。理由はいっときも早く、クリエーターに見せたいからだ。素晴らしいミヤゲをね」

「たった一日のロケで、そんなに収穫があったとはね」

「新堂さん。望む物はあらかた手に入れましたよ」

「じゃ明日は?」

「早朝の戴冠式、その後の王との対話、昼からはテレーザの漂流シーン、ですか」

「それで終わり?」

「ええっ、まあ」

「じゃ、もう少しミヤゲ増やすよ。明日も天気みたいだしさ」

「せっかくのハワイだもん。あと三日はがんばりたい」

「YOYOなら手弁当でものアンナよ。いっしょに苦労する」

「苦労?あっはっは。ええ〜と、手弁当って?」

 英二が反り返り、耳元で説明。

「自費で嫁の仕事を手伝う」

「アンナ。マネージャーのお仕事、手伝ってくれる?」

 大笑い。そしてほろ酔いのケイが。

「天才のその上の天才は、私の心の宝石。YOYO、がんばろうね」 

 当人、涙ポロポロでケイの肩を抱いた。アンナも席を立ち、両女に手を回した。

「いやあ、ご夫婦にお願いして、ほんと良かったよ。なあ坂東!」

 黄昏の水平線に消え行く大型客船。それへ小谷の右腕がつぶやいた。

「新堂さん、YOYOに、また会う機会があるだろうか」と。


  94 カウアイ島の冒険 9受胎告知


 201X年7月6日日曜日(現地時間)晴

 さんざめく星の下、アロハシャツに半ズボンのペアが、波打ち際を歩いていた。ロマンチックなおしゃべりが、こぶし大の白い貝で止まった。

「英二見て、大きな貝が、きれい!」

「寝ぼけてたんじゃ。どう見ても場違いだもんな」

「おみやげにしようかな」

 膝を折った。掴もうとした。大きな波が打ち寄せた。慌てて下がった。引くと貝は消えていた。代わりに文字が残されていた。砂に刻んだ美しい英文字だった。

『I also gave a blessing to the apostle's son. Artemis.』

 YOYOが海を背に読んだ。

「ええ〜っ!!」

「意味は?」

「使徒の子にも祝福を与えましたよ。アルテミス」

「ん?てことは妊娠した?三日前だよ」

「処女にさよならした日は?」

「あれは、うう〜ん、ちょっと」

「それ以後は?」

 突っ込まれ、頭をかいた。

「実はさ、ベビーは来年と決めてたんだ。仕事、芸術を思えばね」

「うふふ、英二、愛してる。口では言えないほど」

 手を取り歩いた。夫が嫁の半ズボンを見て、女神を疑った。

「まだ影も形も無いのにさ」

「わたしの未来、知ってるのよ。アルテミスは」

 夫婦が目を上げた。上弦の月が、頭上で、光り輝いていた。


  95 カウアイ島の冒険 10白馬の親子

 

 201X年7月7日月曜日(現地時間)快晴 

 海に突き出た農地の一角。ここが戴冠式のロケ地で、暁雲が赤味を増す頃リハーサル完了、陽が昇った。動画ON。民族衣装をまとったエキストラたちの歌が流れ、王が黄金のティアラを授けた。神の使徒が形だけの女神に変貌した。緑の岩場とは違う厳粛さは、光、構図と緻密に計算した絵が表現した。続き場所替え。

 奇怪な山の島は、人が住むのは海岸部だけ。スケールは違うが、オーストラリアと同じだ。しかしそれでも開けた山村はある。今、ワゴン車が眼前の山塊を見て村の片隅で止まった。戴冠式から連投のイノア・クプナが、別棟の家へ案内した。ハワイのコテージか。板張りのやたら広いテラスへ通された。小さなプールの傍らに目がいった。屋根と柱だけの休憩室風は、白布が四隅に弧を描き、いかにも涼し気で、ここが対話の場だった。

「昔と今があって。社長、おもしろいよ」

「話に合う家なんて、そうありませんからね。まっ、最大公約数ってとこかな」

 妥協の産物を笑い、撮影準備。ギャラに目が眩んだクプナが、お愛想を並べ、前と同じ衣装で籐椅子に腰を下ろした。お話では使徒に転じた重要部であり、YOYOはミニドレス以外何の飾りも無い。当然アンナは手持ちぶさたで、初々しさを表現することに専念した。

 そして英二は、見たこともない朝の光に胸が踊り、構図に知恵を絞った。その最中だった。青い森に映える白馬の親子に目が奪われた。手前の池も緑美しく、もう仕事どころではない。そこで考えた。王が馬に乗って対話することを。社長に話した。

「ここのリース料、いくらだと思います?」 

「吹っ掛けた?」

「はっはっは!冗談です。新堂さん、やりましょう、あそこで」

「さすがだ、話が早い」

「ゲーム屋です。面白いと思えば即ですよ」

 クプナは驚くも、タレント料の高額報酬でO K。世の中すべからず金である。しかし、この爺さん、面の皮が厚かった。

「My beloved horse is not in the contract.

「愛馬は契約に入ってない」

 通訳した嫁、機嫌が悪い。それを見て役者が言った。無愛想な英訳。 

「対話の場所が変わる。あなたは馬に乗る。それだけだよ」

「Change the place of dialogue. you ride a horse. That's all.」

 何やら難しい顔の欲ボケ。カイマナを呼び別室でヒソヒソ。終ったか、英二へ。

「I got scolded by my friend. Then the dialogue will be on the horse.

「友から怒られたよ。それじゃ対話は馬の上で」

 YOYO、ニッコリの通訳だった。

 クプナが馬の親子へ何事か話し掛けた。平和な日々の邪魔者たちを、安心しろとでも言ったのだろう。母親のいななきで親指を立てた。合わせて坂東に注文。

「発煙筒、あれば」

 坂東が車へ走った。朝陽を上目で見た。陽が高くなればインパクトがなくなる。急がなければと、アンナを呼んだ。

「カメラは池の反対側。ロングショットだね。手で合図。グーがO K、パーが待て。

スタートはチョキ。チャンスは今しか無い。頼んだよ」

「YOYOの近くにいたいから、ケイがフレーム構図外の目印にする」

 坂東が背景の木立に向ってミニ発煙筒O N。煙が風に流れ、樹々を白っぽくした。

 王が馬に乗った。実際の使徒ではなく、配役の使徒が膝をついた。

「映画監督もいけるよ、新堂さんはね」

「世辞もうまくなきゃ、社長にはなれん。あれ?仁科君は?」

「車。休ませてるよ」

「気遣いがなけりゃ」

「社長にはなれん、はっはっは!」

 一方現場では。

「子馬がそばに来てくれないかな?」

 話を聞いたか、近寄って来た。臭いが分かるほど。

「白馬ちゃん、お名前は?」

 ヒヒヒ〜ンがお返し。

「ドリームね。ドリームちゃん、かわいい!」

 可愛いが、使徒は馬の影になる。そっと立ち、子馬のたてがみをなぜた。つぶらな瞳に親愛の情を感じた。草を食み出した。急ぎ場を変えた。カメラへ演技の位置を確認、O Kだ。アンナが髪、衣装と最終チェック。早足で退いた。ケイの立つ位置でカメラへグー。英二が手を上げチョキ。YOYOへG O!使徒が膝を着き、顔を上げ、王を見つめた。始まった。しかし英二は、ベストの瞬間を待った。

「台本あるの?」

「あります。でも世間話でいいんじゃ、はっはっは!」

「サイレントの方が厳粛かも」

「そうですね」

 セリフを忘れた?それとも聴こえた?無言のクプナが悪びれず、それらしく振る舞った。英二はとことんついてた。朝陽が演技者にのみ光を放ち、木立までも、光芒を与えたのだ。動画O N。

 風が煙を上へ、奥へと導いた。幾筋もの光。物語がひときわ幻想的になった。愛機が、望遠レンズが、英二の夢を映像で捉えた。ついでに写真もおさえた。モニターだ。横から覗いた小谷。ロマンを絵にするカメラマンに舌を巻いた。

 アンナにバックの手招き、わずか数分の撮影が終わった。

 クプナを褒め、笑いながら村を後にした。次は原始の森、カイマナと話し合った。今日の最終ロケ地ナパリ海岸に合わせ、

「I have some recommendations along the way.」

「途中におすすめがある」で決定、カウアイ島西部へと向った。


  96 カウアイ島の冒険 11森の広場

 

 201X年7月7日月曜日(現地時間)快晴 

 ワイニア湾を背に山間部へ入った。道路の両側は、ポツリポツリだが、あか抜けた住宅が目についた。極楽浄土の環境。主役が羨ましいを声にした。

「長生きするだろうな〜」

「YOYOならね。しかし俺は、退屈して早死にさ」

「そうよ。たまにだからいいのよ」

「アンナの言う通りね。景色の素晴らしいお家、けっこう泊まったけど、慣れたら新堂さんと同じ。退屈。やっぱり人間は刺激を求めるのかな」

「別荘、考えるか」

「社長、都内では?」

 大笑いがのどかな緑の風景に弾けた。やがて美しい森が目に映った。行き止まりで車から降りた。横並びの大木、垂れ下がる蔓、岩盤の間を流れる藍色の川と見て、YOYOがニッコリ。次いで下心を隠し、

「空気、緑、せせらぎ、お腹すくわよねえ」と、誰にいうことも無くランチの催促。

「ホテルのお弁当、ビックリするわよ」と、覇気の戻った秘書。

 ゴツゴツした岩場から離れ、草地で輪になった。朝の気配が残るも、腹へりの主役には逆らえず、早飯へと。

「英二、お昼の前に対話の絵が見たい」

 ノートパソコンへ繋いだ。四女顔を寄せ覗き見た。青い色調とドラマチックな光、白馬の親子と演じる者のそれらしさ。まるで西洋古典画であり、うっとりとした眼差しが、同じことを口にした。

「名画!」と。 

 魅入ったのだろう、しばらくは誰も動か無かった。

「ところでさ、王はなんかしゃべったの?」

「Nice to meet you.よろしく」でおわり。セリフ忘れたのね」

「食えん爺さんがさ、どうだ、わしの演技は。日本語分からんから、名優だよ。面の皮だけはね。わっはっは!」

「悩んだよ、どう説明するか」

「で、なんて?」

「Acting without lines, same as your face. You're a famous actor. セリフ無しの演技、お顔と同じ。名優ですね」

 これには一同大失笑。ランチが始まった。小谷がご馳走から目を上げ、ロケの感想を言葉にした。

「最強のスタッフだよ。YOYOさん、ハンガリー、お願い出来ませんか?」

「従業員にはハワイが最後だと」

「お願いします。ハンガリーだけでも。是非、是非!」

 妊娠が頭に浮かんだ。半年後だ。ちょい腹が目立つ。言い訳には最適だが、

「仁科さん。わたしはホテルを大切にしたい。ごめんなさい、ムリです」と、マネージャーらしく、卒なく交わした。

 クライアント《顧客》の意気消沈。

「甘え過ぎですよね。分かりました、動画は諦めます」

 吹っ切れたか、ランチの場が、途端に騒がしくなった。

 三十分の休憩を挟み、植生豊かな原始林へ分け入った。小道もしくは獣道をのんびり歩き、気が向けば、スナップショット。そして思わぬ光景が。

「見て!あそこだけ木がない。小さいけど不思議な広場ね。森から流れ出る小川も、両岸を飾る白い花も、そのうえ背景までも不思議。険しい山々からいくつもの滝が糸を引いて、もう不思議だらけ!」

 カイマナにも同じことを英語で。

「You seem to like it.」

「気に入ったようだな」

「カイマナ、偶然見つけたの?」

「Did you find Kaimana by chance?」

「Whenever I have free time, I roam the island. There are very few coincidences.」

「わしはヒマがあれば島をうろつく。偶然は滅多に無い」

 YOYOの英語力を褒め、カイマナ自慢の広場へ向った。はやる心が着いた。

 カウアイ島は川と滝の展示会だ。それ故小さな川などバーゲンセール並み。

しかしこれほど絵になる場所は、そうざらには無いだろう。

「坂東君。設定は?」

「テレーザが上陸して最初の日を」

「じゃ、くたびれて、故郷を思ってる。O K! O K!」

「テレーザ、やりたかったのよねえ〜」

「スタイリストは腕の見せどころね」

 ヨーロッパの中世衣装に着替えた。話は遭難、漂着後だから、荒れ狂う海を彷徨ったドレス、そんな風に仕上げた。髪も疲れた感じが伝わるように。

「YOYOが着ると、衣装がそれらしくなるのよねえ〜」

「うふふ。それらしくしてるもん」

「はっはっは!メイクはどうしようかな?」

「気持を顔にする」

 アンナが笑みで応えた。仁科とケイが白い花を千切り、ひとまとめにした。テレーザが胸に抱え、小川に足を投げた。自己演出だ。

「俺は楽だよ。ほんと。わっはっは!」

 つづら折りの山々と険しい谷。滝の競演。夕方の斜光線であれば傑作が出来たと思うも、次がある。気を取り直し、主役を見つめた。太陽は真上。陰影がきつく、ケイが助手になった。銀のロール紙を広げ、シャドーを明るくした。

「何か歌ってよ」

「それじゃ、シューマンのトロイメライを。ハミングで」

 テレーザになり切った。イメージを口にした。

「絶望にも希望は失わない。それなら顔を上げ、明日を信じるようなハミングで」

「やっぱり演出家に」

「もういいよ。はっはっは!」

 メゾソプラノが、郷愁を感じさせ、物語に相応しかった。また、表情も身のこなしも、テレーザそのものであり、カメラマンを幸せにした。


  97 カウアイ島の冒険 12サーカス芸

 

 201X年7月7日月曜日(現地時間)快晴 

 夕陽に未練を残し終了。そして次へと思えば、やっぱり待ったが。

「英二。サーカス、見たくない?」

「また驚かせるの?」

「冒険その三、ん?四か、ああ〜わかんない。行きましょ」で、全員後へ続いた。

 その場所はご馳走で賑わった、草地の真向かいだった。

「決めは女ターザンになる」

 崖っぷちに垂れ下がる蔓の一本を握り取った。手元へ引っ張り、体重に耐えられるかテスト。ニッコリすれば、英二がミニュチア峡谷の、藍色の川へ目を落した。深さは十分。しかし小谷は猛反対。それを二人が、

「軽い、軽い」と、声を合わせ押し切った。

 新しいミニドレスに着替えた。ティアラ、他も身に付けた。スタンバイ。

「最初は練習。次は飛び込む。両方動画で撮って」

「じゃ本番は川から。安全も確かめたいしね」

「丸見えよ。飛んでるときは」

「アンナ。アドベンチャーはセクシーに、でしょ」と腰をくねらせ、色っぽく応えれば、カメラマンは苦笑い。 

 パンチラ程度をケイと話し合った。結論は。天に任せよう。笑うしか無い。

「英二。ワンチャンスよ」

 これが嫁かと呆れ、唸り、ダイナミックな後姿を撮った。器用に戻って来た。

「勇ましいと言うか、ターザンも顔負けだよ」

「でもレディーは忘れてなかった」

「しとやかじゃないけど」

「しとやかでターザンができる?」

 水掛け論に回りは大笑い。これにスポーツ帽を取り、頭をかけば、ジュラルミンケース、三脚と肩に掛けた。カイマナに先導され、行きと同じく小道の先の橋を渡り、ランチの場へ到着。ミニ峡谷を覗き見た。岩壁はほぼ直角。

「巨大な溝ってとこか」

 原始の裂け目がかぶり、ジェスチャーでロープの催促。カイマナが車を寄せ、バンパーにくくりつけた。バーミューダショーツの英二が、水中カメラを首から提げ、ロープにぶら下がった。カメラは手に持ち、途中で飛び降りた。幅約五メートル、高さ約八メートルと目で計り、上を見た。蔓を手に嫁が声を掛けた。

「飛び込めるかな〜?」

「ちょい待ち。潜るからさ」

 真下はかなり深く、障害物も無し。上へ報告と注文。

「問題無い!テストだ!頑張って二度飛んで!こっちもサーカス芸だからさ!」

「川に浮いてだもんね。はっはっは!」

 でか男が川に流されないよう、足だけの背泳ぎで何とか食い止めた。トライ!空中散歩二度、思ったより出来がいい。しかしパンチラは諦めた。そして考えた。流されながら取るべきだと。

「アングルが変って行く。画面に変化が出る。うん、面白い」

 傑作へ気合いが入った。アドベンチャーの全てを撮り切ろうと本番へ。

「GO!」

 女ターザンが思いっきり下がった。小谷以下目をつぶり、そっと開いた。

「ハワイ〜!!」 

 お礼の世辞か。絶叫もろともぶっ飛んだ!蔓が放れた!反転、真っ逆さまが、ワイルド女の真骨頂が、川面に白い輪を描いた。 

「もう中国雑技団ね」とケイが呆れ、社長以下相槌を打てば、

「俺はボリショイにするか!」で、なるほどの拍手。

 モニターもアクションがお色気を蹴飛ばし大満足。一同、意気揚々、美しい森を後にした。 

  

  98 カウアイ島の冒険 13イルカ対サメ

 

 201X年7月7日月曜日(現地時間)快晴

 つずら折りの山道の終点が、有名なナパリ海岸、カララウビーチである。背景の山々は、古代の地形そのままで、見るからに恐竜がいそうだが、女四人はそれどころでは無い。険しい山岳道路の犠牲者であり、車酔いが治るまでじっと待つことに。しかし環境は抜群、直に回復した。

 穏やかな雲が険しい山塊へ流れ、コバルトブルーの海は鏡のよう。願っても無い好条件だ。

「Such a sea is rare. You are lucky.」

「こんな海は滅多に無い。君は運がいい」

「カイマナ。日頃の行い、その結果さ」

「Kaimana. Daily actions and results.」

 嫁の通訳に澄まし顔で笑いを取り、ルーフキャリアから下ろした、モダンカヤック二艘が浜へ並んだ。機を見て目の先でモーターボートが停止、ヒロが手を振った。ライフジャケット装着のアンナ、ケイが、続き中世衣装のYOYO、サーファーパンツの英二が、ヒロへと向った。

 合流。仮想、難破船の残骸が海へ放たれた。

「荒れ狂う海に翻弄され、漂い続けたテレーザ。GO!」

 主役が飛びついた。アンナが身を乗り出し、ケイが支え、入念にチエック。

「OK。それらしくなったよ」

 撮影開始。水中カメラは動画、レンズは超広角。

「惜しい。波があればな〜」

 この天気、贅沢な注文である。しかし太古の山々で御破算。眠れる漂流女から、島に気付いたショットへと移った。そのときだった。

「イルカよ!こっちへ来るわ」と、ケイが叫んだ。

「サメじゃないよね」

「見て海面を。波が立ってないでしょ。サメなら波が左右に分かれるはず」

「さすがアドバイザー」

「要するに泳ぎ方が違うの。イルカは上下、サメは左右」

 英二、YOYOも振り返った。

「うん。確かにイルカだ。けど信じられんよ」

「なんか、ドラマが生まれそう」

 しかし世の中そんなに甘くない。二頭のイルカが、ほっぺをつねる間もなく、通り過ぎてしまえばだ。

「女神にお願いしてみたら?」

「怒られるよ、こんなことで」

「そうだよね。じゃまぐれに期待するか」

「まぐれ?はっはっは!冗談でしょ」

 撮影再開。目は海底が、イルカたちの舞い踊る光景に気付いた。

「船の残骸より、イルカの方が夢があるよね」

「冗談、と言ったけど」

「取り消す。アルテミスに願う」

「月があればね。ん?探してみるか」

 紺碧の空へグルリ首を回した。あった、白い下弦の月が。

 指を組んだYOYO、希望を月に伝えた。通じた!後方で二頭がジャンプした。が、無念にも二手に分かれ、何処かへ去った。

「惜しいな〜。もうちょっとだったのに」

「それじゃ本気の作戦」

「どうするの?」

「板っ切れ、放して」

「そうか〜、海を漂う使徒ね」

 放した。その途端、YOYOが胸を押さえた。

「どうした!心臓マヒ、は無いよな」

「黙って!感じるの、アルテミスのお告げが」

「ん?ルナになった。ほんとに?」

『邪気の無い使徒。願いを叶えましょう』

「すげえ!!完璧ルナだ!」

 叫び声に誘われたか、斜め後方で二頭が大きくジャンプ。恐れもせず向って来た。並んだ。うち一頭が止まった。鼻孔からキュッ、キュッと鳴き声を発して。

「乗れって」

 三メートルはあろうか、背びれをつかんだ。嫌がらない。ここは英語だ。

「Your name is Peace. Thank you Peace.」と夢見心地が、友だちへ語り掛けた。

 返事か、またキュッ、キュッと鳴いた。乗った。英二はもう疑わなかった。新しいルナが誕生したことを。

 しかし訳の分からぬアンナ、ケイ、ヒロは、お口を開け、ただ呆然。

  

 一期一会が動いた。必死がイルカの先に出た。叫びたい衝動を抑え、動画でゲット。次いで後ろから島に向っても。ラストは迷わず海底へ。仰ぎ見た。陽光きらめく青い宇宙に、神話世界が遠ざかろうとしていた。『夢でも見れん』と胸へ叫び、カメラに想いを託した。数秒後、ドラマは終った。一方、浜辺では。 

「社長!YOYOさんがイルカに乗って、こちらへ、こちらへ」

「うん、うん。坂東、夢、夢じゃないな、現実だよな」

「ええっ!現実です。ねえカイマナ」

「Impossible, impossible.」《ありえん、ありえんよ》が、奇跡を物語っていた。 

 

 異様な山容が迫って来た。YOYOがイルカへ語り掛けた。 

「Peace, that's all. Thank you goodbye.《ピース、ここまでね。ありがとう、さようなら》」

 背びれを放した。P E A C E が、鳴き声も無く、緑の波間に消えた。

 気だるさを感じ仰向けになった。ドラマチックな昨日、今日と思った。

「主役はアルテミスよね」と月に語り、円を描き半回転、カヤックの英二が目に入った。嫁を心配してか、がむしゃらに漕ぎ、途中で怒鳴った。

「漂流するテレーザ、そのものだ!待ってろ!」

「うん、早く来て!」

 ヒロは残骸を拾って港へ。アンナ、ケイは岸へと向かい、このまま何事もなく終るはずが・・・。

 注意は怠らないの知覚が、ある危険を感じ取った。平泳ぎに戻り右手の海面を見やった。不気味な背びれに恐怖が声になった。

「サメ、サメだわ。わたしへ向って来る。どうしょう、どうしよう」

 英二も気付いた。顔が色を失い、腹の底から叫んだ。

「最悪のサメだ!こっちへ来い!必死で泳げ!」

 静かなる敵が、ゆったりと、秘かに距離を縮めて来た。得意のクロールも衣装が妨げ、スピードが出ない。気付いた英二、鬼の形相で漕ぎまくった。サメも本性を剥き出した。ご馳走だと言わんばかりスピードを上げた。眼前の敵。一巻の終わりへカヤックが間に合った。

「思いっきりジャンプだ!」

 互いに地獄目前でのクソ力。功を奏し、嫁を抱き取り、舟底に折り重なった。

「あいつはどうしたかな?」

「諦めたか、もしくは」

 もしくはだった。舟の真下をくぐり抜け、姿を消し、反対側十メートル程で浮上。そして向きを変え、突進して来ればだ。

「ぶち当たればカヤックなどひとたまりも無い」

「イルカより大きかった」

「サメが人を襲うのはエサと間違えるため。その服だと」

「まちがえるよね。アルテミス、お願い助けて」

 返事は無かった。が代わりに、思いも掛けぬことが起きた。二人にとって生涯忘れ得ぬ奇跡が。それは、鼻から上を覗かせ、手を握り合い、見たものであった。

 衝突まで後わずかの出来事だった。突然、前方で海面が膨らみ、イルカが現われた。「お前は敵だ!」。そう言わんばかりに、一直線でサメの横っ腹へ突っ込んだ。それも凄いスピードで。これには海の荒くれも弾き飛ばされ、のたうち回った。次いで息もつかせず、とどめとばかりの再アタック。快心のボディーブローが決まった。勝負あり。サメは鮮血を流し、ヨロヨロと海底へ姿をくらました。そしてイルカは、鼻から血を流し、高々とジャンプ、「キュッ、キュッ」と鳴き声を残し、遠ざかっていった。

 恐怖劇が終わった。平和な海が戻った。一方岸では。何がなんだか分からぬまま、見守る者達の歓声。他方、事なきを得た小舟では。

「英二、あれはピースだった」

「ん?」

「イルカのニックネーム。わたしを乗せてくれた」

「そうか〜、それじゃ恩返ししなきゃ。と言ってもピースは海の中だし」

「アメポンが言ったでしょ。思うって。あれよ。思うしかない、感謝は」

「よ〜しっ!毎日思う!ところでさ、救いは女神が命じたのかな?」

「多分。でも、でもわたしは、ピースの友情だと信じたい。命がけの・・・」

「同じ哺乳類だもんね」

 頷き合い、手を合わせ、気持を海に伝えた。長い間。そしてその後、自然に唇を合わせた。絶体絶命から救ったピースを思いながら。


  99 カウアイ島の冒険 14ハワイロケ余談

 

 201X年7月7日月曜日(現地時間)快晴

 月も星もピカピカの夜。テラスの夫婦が、ディナー話に花を咲かせていた。

「カイマナとヒロ。すごく楽しそうだった」

「招待されたらね。でさ、ヒロがなんか言ってたじゃない。あれはもしかして」

「はっはっは!新堂と別れたら付き合ってくれ。恋人は?二人いても。両方失うわよ。やっぱりやめます。大笑いね。妬いた?」

「妬いた。妬きまくった」

「うそばっかし。はっはっは・・・英二、毎年七月七日、カウアイ島へ行く。感謝を捧げるため」

「うん、決まりだ!鼻を擦りむいたピース。きっと会えるよ」

「大丈夫かな?ちょっと心配」

「思いっきりジャンプしたじゃない、心配いらん」

「そうだよね。安心した。話しは明日、明後日ね。予定はすべてキャンセルでしょ」

「社長がもうミヤゲはいらん。俺は思ったよ。忍者と同じだってさ。YOYOが勝手に絵を描いた、それをありがたく頂いた、だもんね」

「味をしめてハンガリー」

「あきらめたけど、フリしてるだけ」

「衝撃のイルカ、サメでなおさらよね」

「ゲーム屋だからさ。それはそうと、海水浴は?」

 部屋で何やらゴソゴソ。出て来た。悩ましい黒のビキニ姿で。女優が演じた。両手は腰にセクシーポーズ。顔もそれらしく、しかも鼻に掛かった声で。

「えいじ〜、うふ〜ん、お気に召したかな〜」

「わお〜っ!ん?ちょい待った。写真、写真や」

「もう〜いっぱい撮ったじゃない」

「あれはあれ。これはこれ。・・・はいいが、やっぱここじゃな〜」

 雰囲気にこだわる男だ。あの滝壺、裂け目であればと、悔しさを顔にした。これに同情した嫁。夫の腰に手を回し、しみじみと言った。

「この二日で感じた。英二の才能はお花だけじゃないって」

「料理と同じ。ネタが新鮮だったから。それにさ、YOYO以外興味ないしね」

 泣かせ上手にキスのお礼。そして間を置き、両腕を触り見て。

「これ以上陽焼けしたくないから、海水浴はやめる」

「着物が嫌がる。わっはっは!ケイ、アンナも帰国するけど、ご機嫌だったな」

「伊豆の温泉巡り、約束したもの」

「俺も入れてよ」

「ダメ。女だけで」

 夫が頭をかけば、嫁は一変しんみりと。

「もしも、もしもよ、わたしが死んでいたら、英二は?」

「二通りある。一つは水平線に向って泳ぐ。力尽きて終わり。そしてもう一つは、とことん生きる。YOYOの墓に、手を合わせるためにね」

 涙溢れるまま、夫の胸に頬を寄せ、月光に輝く海へ想いを告げた。

「祝福に恥じない女・・・英二!わたしはハワイで、生まれ変わった!」

「それじゃハネムーンだ。たった二日だけど」

「キャア〜!どこへ?」

「天国。あの緑の。嫁が歌って、絵を描いて、昼寝して、俺も天国さ」

「だけど、あそこまでどうやって?」

「勿論カヌーで、は無いよな。わっはっは!ヒロに頼めば簡単」

「そうか、モーターボートね」

 また部屋へ。そして、一見地味なムームーに着替え、オペラ楽譜集を手に戻ると、灯りを点けた。

「ご希望の曲があれば練習する」

「それと天国の絵もいっぱい描いて」

「久しぶりだもんな〜、よしっ!描きまくる!」

「土産は社長が気を利かした。完全フリーの俺たち。あの別天地でウクレレを奏で、しもべが、ナイトが、夫が語るだろう。これ以上の幸せはあるだろうか、と」

 嫁の拍手。そしてワインで乾杯。やがて灯りを消した。スマホから『テネシーワルツ』が流れて来た。

「踊れないけど」

「適当にね」

 笑みを交わせば、抱き合い、ワルツのリズムに乗った。

 こうして夫婦水入らずの時が、ゆっくり、ゆっくりと、流れ過ぎていった。


 過日、スーパーヒロインが、巷の話題になった。インターネットで。それがテレビにも波及した。しかし関係者は守った。約束の沈黙を。

  

  100 おわりは  

 

 201X年7月10日木曜日

 娘のいない間、寂しさは隠せなかった美咲。しかしそれも成田からの電話で元気復活。その勢いでチエックインの客をさばいていると、奈緒がやって来た。

「ボス、びっくりしました。お母さんからお電話です。YOYOマネージャーの」

「ええ〜っ!中国語、いや英語か、分かったの?」

「それが日本語だったので」

 胸が高鳴りオーナー室へ。深呼吸二度、震える手で受話器を取った。

『もしもし、本庄ですけど・・・お母さん・・・』

『声で人を知る。私が思い描いた通りの方ですね・・・本庄オーナー、そして日本のママ。主人とともに心から、心から・・・お礼を、お礼を・・・』

 言葉に詰まった先は泣き声だった。夫のすすり泣きも聴こえた。胸がいっぱいの美咲、ようやく言葉を絞り出した。

『今どちらに?』

『成田空港です』

『じゃアメリカへ』

『はい。いろいろありまして、そちらへは・・・』

 空港で会えるかもしれない。 

『出発は?』

『十八時十五分です』

 チャンスはある。伝えた。李欣妍リー・シンイェンの感謝に、遠く離れた子を思う、母としての心情があった。 

                       TOW LOVE 後編へ

作者あとがき

 忘れられない想い出が人生にはある。

 例えて言えば、ガラクタの山で輝く小さなガラス玉。

 そいつらを、このハッピーな物語に、大人のメルヘンに、

 所々、ちりばめてみたのだが。 

            令和四年十一月 さとうひさと         


 

  


 

 

 

  


  

 

 


   

 

 

 

  

 


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