──このお祭り、一体どうなっているんだろう?


 もしかして、も今日がお祭りなんだろうか。それとも、行きの道すがら買い求めた銀簪がこういったモノと私を引き合わせてしまうのか。


「お面ってのはね、昔は呪具だったんですよ。あ、呪具って分かります? 呪いをかけたり、儀式をする時に使う物ってことですよ」


 そんなことを思いながら、私はお面屋さんの口上に捕まっていた。


 有名キャラクターをかたどったお面に、天狗やヒョットコ、オカメなんかの昔ながらのモチーフのお面も混ざる屋台。たくさんの顔がズラリと並んでいるけれど、店主さんの顔にだけ顔がない。


 行きに狐の店主が妖火を商う店を開いていた大木の下に、帰りの道ではのっぺらぼうの店主がお面の店を開いていた。『ちょいとそこの妖火簪のお嬢さん、良かったら見ていってくださいよ』という声に足を止めてしまった私も、学んでいないというか、甘いというか。


 ──最近、気が緩みすぎなんじゃない? 私。


 口がないのによくしゃべる店主さんはペラペラと何かを絶え間なく話しているけれど、私は話を聞き流しながらさりげなく退路を探していた。ジワリと背中ににじむ汗は、暑さから来るものではない。


 ──だから、こんなヤバそうなやつに捕まるんだ。


「今でこそ子供が被るようなお面も出てますけどね、『面』っていうのは、顔そのものなんですよ。簡単に被っていいもんじゃあないんです。能や神事で面を付けるのは、面の力を借りて自分じゃないになるため、なんですね? 降ろしたいの面を付けることで、我が身にそのを降ろすわけですよ」


 頬かむりに裾を絡げた着物という、お面屋さんというよりも移動蕎麦屋の方が似合いそうな姿をした店主さんは、饒舌じょうぜつにお面について語り続ける。きびすを返して走り出せば簡単に逃げられそうなようでいて、多分私はそう簡単に逃してもらえない場所に立たされている。


 ──狐かのっぺらぼうだったら、のっぺらぼうの方が害がないはずなんだけどな……


 行きよりも遠く感じる人影。数もまばらで、影も淡い。お祭りが終わってしまったせいか、お店の軒先に吊るされた赤提灯も次々と灯りを落としていく。そんな中、この屋台の灯りだけがいつまでも煌々と明るい。


 ジジッ、と。灯りが微かに音を立てたのが聞こえた。


「あっしはねぇ、こんな顔ですから。『面』っていうものに興味が尽きないんですわ。ヒトの子が生み出した面にも、いくつも面を重ねるヒトの子そのものにもね」

「面を、重ねる?」

「重ねてるでしょう? いくつも」


 店主さんは目鼻立ちが一切ないツルリとした顔を私に向けた。目がないのに私を見ていると分かる、口がないのにわらっていると分かる、そんな顔で。


「家族といれば家族としての面、友人といれば友人としての面。学校に行く人は学校に行く時の面を、仕事に行く人は仕事に行く時の面を。そりゃあ器用に付け替えていらっしゃるじゃあないですか」


 基本のツラさえ持たないあっしには、そんな器用な真似はできないねぇ、と、店主はどこか小馬鹿にしたような口調で続ける。


「しかもそれだけじゃあない。とある友人の前で友人としての面を付けたと思ったら、また別の場所ではその友人を悪しざまに言う面を付ける。相手を出し抜くためなら悪人が善人の面を付けるし、絡新婦ジョロウグモが仙女の面を付ける。仙女が面を削って鬼女を彫り直すこともあれば、修羅が割れて翁になることもある。まこと、ヒトの子はいくつ面を持ち歩いていることやら」

「……集団でうまくやっていくためには、面の付け替えも必要なんじゃない?」

「しかし、いくつも面を取り換え続けると、自前のツラがどれだったかを忘れちまうもんなんじゃあないのかい?」


 店主さんはそう言うとズイッと私の方へ身を乗り出した。継ぎ目のないつるっとした肌が、私のすぐ目の前にさらされる。


「世の中にはきっと、間違えて自前のツラを捨てちまったヤツもいるんだろうねぇ」


 ケタケタと、店主さんは心底楽しそうに笑った。笑い声を発する口も、弧を描く瞳も、何もかもがそこにはないのに。


「そんな風に捨てられた面を拾って集めるのが、あっしの数少ない趣味でしてねぇ。いやぁ、今日もここで店番をしていただけなのに豊作豊作」


 店主さんは私の前から体を引くと、少しお店の裏に入ってそこに置いてあった柳行李を叩いた。ピッチリ蓋が閉められた行李は、なぜかカタカタと震えている。まるで中に小動物でも閉じ込めているかのように。


「ねぇ、お嬢さん。あっしも、面を被ったら、なりたい自分になれるんでしょうかねぇ」


 そんな柳行李の蓋を愛おしそうに撫でた店主さんは、ユラリと顔を上げて私を見た。


 その顔に。何もなかったはずである顔に亀裂が入って、バグリと口が開く。ズラリと牙が並んだ口は、ニンマリと弧を描くと、今までと変わらない声で禍々しい言葉を紡いだ。


「お嬢さん、お嬢さんが持つ面を、あっしに一枚譲ってくださいよ」


 私の中の警鐘がうるさく鳴り響いて、急に静かになった。危険度を示すメーターが振り切れて、壊れてしまったかのように。


 ストン、と。私の中を騒がせていた感情も一緒に静かになって、凪いだ水面みなもを見るかのように全てが急にクリアになる。


「……私の面を付けても、あなたはなりたい自分にはなれない。私の面を付けたら、あなたは私になるだけ。面に彫られた私の一面を知るだけ。不完全な私になるだけよ」

「不完全?」

「だって面は、モチーフのひとつの側面だけを打ち出した物でしょう? だから神事でだって、能でだって、必要に合わせて面を付け替えるんじゃない」


 私は真っ直ぐに店主さんを見上げた。ツルリとした顔の中、ズラリと鋭い牙を並べた口だけが開いた、何かであってナニモノでもない店主さんの顔を。


「ヒトがいくつも面を持つのも当然なの。だってヒトは、いくつも感情を持っていて、いくつも立場を持っていて、その間を渡り歩いて生きていくのだから。場面によって面を付け替える。それは、さっきも言ったけど、神事でも能でも当たり前のこと。何もヒトが持つ面だけじゃないの」


 その口元が、私の言葉にひるんだかのようにすぼまった。


 不思議。牙が並んだ口は何もない時よりも直接的な危機を私の視界に訴えてくるのに、何も顔になかった時の方が私は店主さんが怖かった。


 ──『見えないモノ』に『鬼』と名前を付けて恐怖を減じた昔のヒトも、私と同じ心境だったのかもしれない。


 何もない方が怖い。そこに何があるのか想像するヒトの子は、現実以上の恐怖をそこに描き出すから。


 ヒトがヒトの間を渡るために分かりやすく面を付けるのも、多分そんな心理があるからで。その心理はきっと、ヒトではないには分からない。


「だからあなたは、他人の面を拾うよりも、自分の顔に面を彫り出してみた方がいいんじゃない?」


 詭弁きべんではなく、心からのアドバイスのつもりだった。


 今、言葉を向けている店主さんはヒトならざるモノだけど、多分、似たようなことで悩んでいるヒトの子もいると思うから。私も、似たようなことで悩んだことがあるはずだから。何だか、他人事に思えなかった。


「……そうかい。いやぁ、これは一本取られた!」


 そんな私の言葉が届いたのだろうか。それとも、臆せず論破しようとするヒトの子が珍しかったのだろうか。


 店主さんはペチッと額を叩くとおどけるように体をけ反らせた。牙が並んだ口はまたケタケタと笑い声を上げる。そこに嘲笑う色はなくて、心の底から店主さんはを楽しんでいるのだと分かった。笑う口の形はさっきとまったく同じなのに、なぜかその感情の変化が私には見える。


「なるほどなるほど、ヒトの面は奥が深い。あっしには中々理解が追っつかない世界のようだ」

「……中途半端にあるよりも、ない方がいいのかもしれないよ?」


 また『ツラのないあっしには~』と続きそうな気配を察した私は、そっと店主さんの言葉に己の言葉を差し入れた。『ん?』と首を傾げる今の店主さんからは、足を止めさせられた時に感じた危機感を覚えない。多分、今なら伝えても危険はないはずだ。


「あなたの感情は、下手に面があるよりも豊かに伝わってくるから。『何もない面』っていうのはきっと、全ての面を含んでいるんじゃないかな」


 面があれば、面に表されたモノを簡単に降ろすことができる。視覚情報でより簡単に相手に感情を伝えることができる。


 だけど、ヒトは何もない所に想像力を働かせて、より鮮やかな色を見るイキモノだから。


「あなたは自分にない誰かの面を探すよりも、『何もない自分の面』を生かす道を探すべきだと思うよ。その方がきっと、素敵で、楽しいと思う」


 言い切って、店主さんを見上げる。あっけにとられたように固まった店主さんは、言葉を失ったまま呆然と私を見ていた。


 店主さんは、私の言葉をどう受け取ったのだろうか。


 ジジッ、と。音を鳴らした赤提灯が、不意にパンっと弾けて灯りが落ちる。


「……え?」


 シパ、シパ、と目をしばたたかせる。


 そんな私の視界に映っていたのは、薄闇の中に身を沈めた大木だった。のっぺらぼうの店主もお面屋さんも、周囲の店も何もない。周囲に散らばったゴミだけが、お祭りの余韻を残している。


「……────」


 何がきっかけになったのかは分からないけれど、とりあえずこっちの世界に戻ることができたらしい。深く安堵の息をくと、ほつれて落ちてきた髪がフワリと揺れたのが分かった。


 ──面をいくつも使い分けていかなければならないヒトの子と、面を一枚も持たないのっぺらぼうと。


 店主さんとの問答を思い出しながら、私はカラコロと下駄を鳴らして歩きだす。今度友人達に会ったら、行きのみならず帰りもはぐれたことを謝っておかないといけないなと考えながら。


「そのどちらの方が、幸せなんだろうね?」


 呟きながらも頭で別のことを考える私は、きっと今、ふたつの面を中途半端に付けているに違いない。


 月明かりが照らす夜道を歩きながら、私はそんなことを考えていた。

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