第19話『アンタはお兄ちゃん失格だよ』

 観覧車を降りると、俺たちは『グッバイアニマルゾーン』を通って退場ゲートへ向かう。途中、動物の方に引っ張られていく悠里を無理やり引きずりながらゲートをくぐった。


 ――結局、今回の作戦は成功だったのだろうか。


 まあただでさえ、成功か失敗か判別がしづらい作戦だ。感覚的な判断で言えば作戦は失敗に終わってしまったが、すべてが失敗だったというわけでもない。


 結果的にこの作戦にどんな意味があったのか、自分でもよくわからないけど……。


 遊園地に浮かされた熱が冷めて、賢者タイムになった俺は、『一体なにをしていたんだ……』という自己嫌悪に陥り、若干の気まずさを伴いながら駅までの道を歩いていた。


 まだ昼過ぎということもあり、退場ゲートから駅に続く通路はガラガラだ。

 それもそうだろう。だって、せっかく『ハッピーアニマルパーク』に来たら夜のパレードまで見ないともったいないし。こんな時間に帰るのは俺たちくらいだ。


 この後は一緒に芋野古いものこまで戻って、そこでお別れという流れになるだろう。


 出し抜けに、俺たちの間に流れる気まずい沈黙を破ったのは背後から迫ってきた足音だった。


「――ユ、ユリたん……ッ‼」


 その声に振り返ると、そこに立っていたのはぽっちゃりとした汗だくの男。

 黒いキャップを目深に被り、メタルフレームの地味な眼鏡をかけた男はフホフホと息切れしながら額ににじんだ汗を服の袖で拭いとる。その怪しげな男は、俺のことなど見えていないかのように悠里だけを凝視しながらゆっくりとこちらに近づいてきた。


「こ、これェ……。ユリたんのだよね?」


 男が差し出してきたのはアライグマのストラップだった。

 それを見た途端、悠里は目を丸くして徐々に表情を明るくする。


「ア、アラ太くんのストラップっ⁉ どうして……⁉」

「ぐ、偶然、道端でこのストラップを拾って……。も、もしかしたらユリたんが近くにいるのかもって思ったんだ。ユリたん、前にこのストラップのこと話してくれたでしょォ……?」

「覚えてくれてたんだ。これ、すごく大切なものだったの……」


 少し涙ぐんだ悠里はギュッとストラップを胸に抱いていた。


「ホントにありがとう、けんじ兄ちゃんっ!」


 ユリちゃんが、太陽のような笑顔をたたえる。

 それを受け、「けんじ兄ちゃん」と呼ばれた男はオドオドしながら照れ笑いを浮かべていた。


 ――やれやれ。妹を奪われたような気分は拭い切れないが、まあすでに所要時間は過ぎているし、ストラップが見つかったなら良しとしよう。


 ふぅー、と俺も安堵のため息を吐いたときだった。


 モジモジとなにか躊躇うように黙り込んでいたけんじ兄ちゃんが、突如意を決したように血相を変え、ガバッと悠里の両肩を引っ掴んだのだ。


「ユリたんッ! こ、こんなところで会うなんて。やっぱりボクたち運命だと思わない……⁉」

「そ、そうだね~。運命かも……」


 突然のことで動揺したのか、悠里は戸惑った様子ながらも『ユリちゃん』を演じ続けていた。

 しかしその表情には恐怖の色が混じっているように見える。

 けんじは悠里のそんな様子には気が付かないまま、怒涛どとうの勢いで言葉を紡いだ。


「あ、あのさ。ボクたち、ホントは実の兄妹じゃなかったんだよ……‼」

「え? えーっと……」

「本当は血が繋がってないんだよ! だ、だからもうボクたちをさまたげる障害はなにもないんだ……ッ! ユリたんが望むなら結婚だってできるんだよォ!」

「ちょ、ちょっと待って。なに言ってるのかよくわかんないよっ……」


 若干頬が引きつっているものの、こんな状況でも笑顔を崩さない悠里。だが、ちらと助け船を求めるような視線をこちらに向けてきた。

 相手の男が妹代行の顧客である以上、適当にあしらうこともできず困っているようだ。


 仕方なく、俺は二人の間に割り込んで悠里の肩からけんじの手をどかした。


「ちょっと。ユリちゃんが困ってるじゃないですか」

「だ、誰だよお前ェ!」

「誰って、おと――おほんっ。……今はユリちゃんの兄ですけど」

「はァ? ユリたんはボクの妹だぞォ!」

「いや、時にはそうかもしれないけどさ。今は俺がお兄ちゃんの番なんだよ」


「うるさいッ! ボクとユリたんはお前なんかとは違う! ボクたちには決してお前みたいな有象無象うぞうむぞうには越えられない繋がりがあるんだァ! なにせボクたちは血の繋がった兄妹なんだからッ!」


「や。さっき血が繋がってなかったって嬉しそうに言ってたじゃないすか……」

「うるさいうるさいうるさいッ! お前にボクとユリたんのなにがわかるんだァ‼」


 そう声を張り上げて訳の分からないことを言い出すけんじに俺が半ば諦めかけていると、悠里がすかさずフォローを入れる。


「け、けんじ兄ちゃん。少し落ち着いてよ」

「だ、だって。アイツがボクとユリたんの邪魔するから……」

「ユリは優しいけんじ兄ちゃんが一番好きだよ……?」


 困惑しながらも妹として最善の対応で男をなだめようとする悠里に俺は感心すらしてしまう。


 しかし同時に、はたして業務外でそこまでする必要があるのかと疑問に思ってしまった。客を大切に思う気持ちはわかるけど過剰すぎやしないか。


 そんな大変な思いをすることがコイツの言う『やりがい』なのだろうか。だったらそれは間違っている。その自己犠牲は単なる自己満足に過ぎないのだから。


 そもそも、コイツがこんな対応をするから相手は勘違いしてしまうんだ。

 その優しさは、時にオタクを傷付けることになるとも知らず。


 俺はギュッと拳を握りしめて、正面からけんじを睨み付けた。この場を収めるには悠里に言っても無駄だ。この男に現実を見てもらうほかにないだろう。……それに、この男が『お兄ちゃん』を名乗るならひとつ言っておかねばならないことがある。


「アンタはお兄ちゃん失格だよ」

「な、なんだとォ? わかったような口を聞きやがってェ……」

「妹に迷惑ばかりかけるヤツがお兄ちゃんなわけないだろ――ッ‼」


 俺の怒号にけんじはたじろぎ、その隣に立っていた悠里も驚いたような表情をしていた。

 そんな二人をよそに、俺は続きの言葉を吐き出す。


「お兄ちゃんってヤツはなァ、妹の笑顔を守るために存在するんだろうがッ! 妹が困ってるのにも気づかねぇでなにがお兄ちゃんだ! お兄ちゃんならユリちゃんの笑顔を守ってみせろよ、バカ野郎ッ‼」


 思ったことをすべて吐き出した俺は酸欠でフラフラになっていた。

 ぜぇぜぇ、と肩で息をしながら二人の様子を窺うと、二人は依然として呆気に取られた様子のままだ。しばしの沈黙が流れ、それを破ったのは意外な人物だった。


「チクショー、その通りだ。……ボクは知らず知らずユリたんを困らせていたのかもしれない。でも、ユリたんとずっと一緒にいたいって気持ちはお前にもわかるだろォ⁉」

「ああ。けど、ユリちゃんはみんなの妹なんだ」


 理想を買う妹代行サービスには制限時間が存在する。その時間の中では俺たちはお兄ちゃんでいられるが、終わりのアラームが鳴った後は別だ。もう俺たちはお兄ちゃんではないし、ユリちゃんも自分だけの妹ではない。

 でも、そのルールの中でたしなむのが俺たちの義務なんじゃないのか。


「……妹代行サービスってそういうものだろ。妹を持たない哀れな俺たちにひとときの夢を与えてくれる。だからこそ妹の尊さを実感できるし、このために頑張ろうと思えるんじゃないのか? それ以上求めるな、そこを踏み越えれば妹にも迷惑をかけることになるんだぞ」

「で、でも、ユリたんはボクの手を握り返してくれたんだッ! ボクに……ボクだけに、だ‼ だから妹代行サービスなんて関係ない。これはボクとユリたんの問題なんだァ! 部外者が口を出すなァ……‼」


 そう吐き捨て、けんじは再び悠里の方に向き直って懇願こんがんするような視線を送った。


「ねぇ、ユリたんはボクを受け入れてくれるよねェ……? ボ、ボクだけの妹だって言ってくれよォ~~~ッ‼」

「け、けんじ兄ちゃん……。あたしは……」

「――オイ。いい加減にしろ」


 俺は咄嗟に口を挟んだ。この状況で悠里になにか言わせるのは良くないと思ったからだ。

 なにかあるはずだ、この状況を収める方法が……。


 必死に頭を働かせる俺にけんじが怖い顔をして詰め寄ってくる。


「だから邪魔するなって言ってるだろォ。さっきからその身内ヅラがムカつくんだよ!」

「――待ってよ、けんじ兄ちゃん! やめて!」

「な、なんでそいつを庇おうとするんだよォ……?」

「だってこの子、あたしのなんだもんっ!」

「え?」


 一転。けんじの険しい表情が驚きの色に変わった。

 俺と悠里を何度も見比べ、口をパクパクとさせている。


「で、でも、さっきは兄って……。妹代行の客なんじゃ……」

「そう、だけど。実の弟っていうのはホントだよ。証明もできる」


 悠里がおこなった『姉弟だと明かす』という打開策は、たしかにこの場を収めることができるかもしれない。でも、これでは問題を解決することはできないだろう。


 解決するには、この男のユリちゃんに対する依存をどうにかするほかない。でもそれは恐らく悠里の信条に反するものになってしまう。


 けんじは俺たちが証明書を見せるまでもなく、納得したような顔をしていた。


「た、たしかに……。お前、ちょっとユリたんに似てるかも……。じゃあ、ボクは君のお兄ちゃんでもあるわけだ」

「は?」


 え、何言ってんの……?


 もはや、呆れて声も出なかった。だが、ここで俺が認めればこの男のユリちゃんに対する依存がさらに強くなるかもしれない。


 俺は意識して眉間にしわを寄せる。


「ふざけん――」

「湊斗、お願い。あとは自分でなんとかするから」


 ふいに悠里が声を潜めて囁いてきた。

 悠里の意図はわからない。でも、コイツがそう言うなら俺は引き下がるしかなかった。


「…………わ、わかった。けんじ兄ちゃん」


 まさか、自分が弟代行をする日が来るとは思ってもみなかった。

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