うどん

 子供も、もう2歳になる。

 1人息子の健二君はうどんが大好き。


 私は熱々のうどんを子供用のお椀に取り分けて、長い麺を細かく切って食べさせる。箸で1本1本、地道に挟んでは切る。そんな事してる内に、私のうどんは少しずつ冷めていく。


 昔はね、熱々のうどんを食べるのが好きだったから、出来立てをすぐ食べないと気がすまなかった。でも、子供が出来ると不思議と子供の事優先しちゃう。愛情って凄いなって思う。昔は、考えられなかったな。



「お〜い、帰ったぞ」


 旦那の芳雄が仕事終わりに帰ってきた。健二君はパパを出迎えにパタパタ足音を響かせて、廊下を走る。

 芳雄は嬉しそうに、近付いてきた健二君を抱き上げる。いつもの光景。



「……ちょっと、食事の時くらいスマホ手放したら?」

「…………」


 芳雄はいつも、夕食中もスマホのゲームをやってる。私はいつも注意するんだけど、最近は返事さえしてくれなくなった。これも、いつもの光景。

 料理も手を抜いて作ってないから、たまには感想聞かせて欲しいんだけどな。


 幸せなんだよ、基本はね。


 でも、辛い時ある。今休職中で専業主婦だから、まともに話す相手もいない。唯一腹を割って話せる相手のはずの旦那は、まともに話を聞いてくれない。


 私、このまま年だけ食うのかな?

 もう三十も半ばだし、普通のオバサンみたいだよね。少しでいいから、輝く場所がほしい。



 そんな時、友達からボルダリング教室の誘いが来た。元々活発な方だし、体を動かすのが好き。私は興味が沸いてきて、健二君が寝静まった頃、芳雄に相談してみた。


「え? ボルダリング?……その間、健二はどうするんだよ」

「母さんに預けるから。たまには私だって息抜きしたいのよ」

「まぁ、そりゃ分かるけどさ。俺の給料も生活費カツカツだし、そんな暇あるならパートでもしてもらいたいんだけどなぁ」

「幼稚園に通い始めたら、ちゃんと働くわよ」


 芳雄は黙り込んだ。相手するのも疲れたような顔をして寝転がる。この人は、真面目な話をすると面倒くさがる。いつも視線を外して、答えを誤魔化す。


「……私は家政婦じゃないの。1人の大人としての人生もあるんだから」

「……あーそうだな。まぁ、稼げない俺も悪いけどさ、趣味より生活を優先してくれよ。母親だろ?」

「……もういい!」


 私は、気付けば外に飛び出してた。芳雄は追って来てもくれない。付き合いたての頃は、喧嘩してもすぐ追いかけて来てくれたのに。

 何か、歳を重ねると寂しい事が増えるなぁ。


 ……もう夜の9時過ぎ。こんな暗い時間に出歩くなんて久し振り。随分遅い時間に感じる。若い頃は、『まだ9時』だったのに、不思議。独身の頃は、二次会でカラオケ行ったり良くしてたなぁ。

 今はいつも子供にベッタリだから、1人になる事も久し振りかも。心はモヤモヤするけど、若い頃に戻れた気分。


 私は、自由に気の向くままに散歩した。すると、いつの間にか普段は行かない通りに出ていた。こんな所に、飲食店が建ち並んでたんだ? 私は、奥にうどん屋の看板を見つけた。喧嘩して少し小腹も空いたし、ヤケ食いでもしようかしら?


 私は、1人でうどん屋に入って鍋焼きうどんを頼んだ。このアツアツのうどんをフゥフゥして食べるのも、何年ぶりだろう?


 ……ああ、やっぱり私好み。美味しいー。

 健二君がいると、鍋焼きうどんは食べれないもんね。


 こんなの火傷しちゃうから、お椀貰って冷ましてあげなきゃ。多分、冷めるまで時間かかるだろうな。


 この鶏肉、多分健二君好きだよね。でも一口で食べれるかな? ちゃんと半分にしてあげなきゃ。


 スープも美味しい! あの子……スープも好きなんだよね。食べさせてあげたいな。



 ……私は気付けば、涙を流してた。

 1人で居る事が、急に辛くなった。


 健二君、今頃目を覚まして泣いてるかも。芳雄ってちゃんと寝かしつけれるんだっけ? オムツ変えれるかも怪しいなぁ。


 早く、帰んなきゃな……。




 ―――私が家に帰ると、芳雄と健二君は起きてた。芳雄は頭にタンコブ作ってる。


 聞けば、芳雄は私が出て行ったあと、健二君の事どうしよう? と思ってその場から動けなかったんだって。あたふたしてる内に、健二君が起きて泣き出したけど、どうして良いか分からなくなったみたい。


 抱き上げても暴れるし、離乳食をレンジで温めてみたけど、全然食べてくれないし、どうしようって慌ててたら、布団に足を引っ掛けて頭からクローゼットに突っ込んだんだって。


 そんなパパを見て、健二君は笑い出したみたい。


「泣き止んで良かったよ」


 芳雄は笑顔でタンコブを撫でながら、照れ臭そうに呟いた。健二君は眠そうにして、パパにしがみついたままでいる。


「もう、何してんのよー」


 ああ、やっぱり家族といたい。

 私は2人の様子を見て、胸の中に安堵感が広がった。


「へへっ、まぁ……確かにずっと1人は大変だな」

「あ、分かってくれた?」

「……ボルダリング教室、ちょっとどんな感じか、明日教えてくれよ」

「え、いいの? でも、まぁ……もう行かなくていいかな」

「何だ、良いのか?」


 私は笑顔で頷いた。だって、うどん1杯食べるだけでも駄目だったのに……。結局、子供の事が気になって集中出来ないんだろうな。

 私は、芳雄がちゃんと考えてくれた事で満足できた。


「うん。あはは、たんこぶ……本当に膨らんでるね」

「痛っ、触るなよ」

「ふふっ、ごめん。……あ、健二君、もう寝ちゃってる」

「本当だな。……やっぱ、寝顔は癒やされるよな。これで明日も仕事、頑張れる」


 芳雄の腕の中で、いつの間にか健二君はまた寝息を立ててる。ふふ……やっぱり、この3人でいる空間が心地良いな。



 熱々のうどんを1人で食べるより、健二君とゆっくり食べるうどんの方が、幸せの味がする。無愛想で不器用だけど、穏やかで優しい芳雄が目の前にいた方がしっくりくる。


 そんな食卓が、やっぱりいいや。

 熱々のうどんは、当面いいかな?


「ほら、早く寝ようぜ。着替えてこいよ」


 芳雄は、健二君を起こさないように布団の真ん中にそっと寝かせた。私は寝間着に着替えると、そっと布団に潜り込んだ。

 子供を挟んで、3人並んで横になる。すると……健二君の向こうから、芳雄の右手が伸びてきた。私がその手に触れると、握り返された。


 いつもの、仲直りの儀式。


 私は、この幸せを抱きしめたくなった。

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