マグロ・エゴイスティック 8

 もはや浮かんでいるのが奇跡と言えた。

 海賊船『ピニャ・コラーダ』はそれぐらいボロボロになっていた。

 二人の戦いによって。


 誓の電撃に焼かれたで、上半身だけになった瀬戸船長はうつ伏せに倒れていた。


「ふふっ……。くくくっ……終わった、終わってまった……。明日からムショだわ、くくっ」

「何がおかしいんです?」


 誓はもう身体を動かすことさえできない瀬戸船長に歩み寄った。

 瀬戸船長は目だけを動かして誓の顔を見た。


「何がおかしいってそりゃ、見てみやァよこのザマを。ほんの一時間前まで一端の海賊船長やっとった男がよォ、上半身だけなって、腕も両方ともうなってまって、今や寝返りを打つことすらできィせん。この落差よ、くくくくっ……」

「……………………」

「はー、冷てゃァ目つき……。何もかんもほっぽり出いてやりてゃァことやってみた結果がこれか……。会社辞めて、家とか全部売っ払って、必死こいて船のこと勉強して、廃船に貯金全額突っ込んで一端の武装船にして、色んなとことコネ作って……そこまでやって最後の最後に得られるモンが、若いねーちゃんの蔑むような視線だけとは……。いやそんだけありゃ上等か……今まで色んな女性を見てきたけど、あんたは格別だもんなァ、チカイさん」

「無一文になってまで海賊をやりたかったっていうんですか?」


 一ミリもときめかない口説き文句を完璧にスルーして、誓は問うた。

 ただ疑問だったから。

 会社勤めに嫌気が差してゆめおいびとになったにしても、他にもっとまともな夢が、生き方がいくらでもあったはずではないかと。

 何故よりにもよって海賊なんかに、と。


「ふ、くくっ……まぁそういう反応するわなァ……」


 瀬戸船長はまたしても笑った。

 彼はずっと笑い続けていた。


「でもしゃーないんだわァ。んだから」

「……………………は?」

「要は自分の意志に正直に従ったってだけの話でなァ。『汝の意志する所を為せ、それが法の全てとならん』だっけ? アレイスター・クロウリーの『セレマ』の教えは」

「それ、『好き放題やれ』って意味の言葉じゃないですよ……?」

「分かっとる。でもそれを踏まえた上でも、俺の意志は海賊をやりたがっとったんだわ。自由になりたかったもんでよォ、仕事とか税金とか、色々なモンから。だもんで、そうした。『自由』っちゅうんが俺にとっての『法』だったんだわな……あぁもちろん、そのことへの責任は負うで? ムショだってもう何年でも入ったるわァ。ちなみにチカイさん、折角だから聞くけど、あんたはどういう『法』の下に生きとるの?」


 答えてやることはもちろんできた。

 満里奈をこの世のあらゆる害意から護ること。

 端的に言えば『守護』だろう。

 だがしかし。


「あなたなんかに教えたくないです」

「はー、冷てゃァ反応。まぁええけど、プライベートやし。だったら今日の戦いぶりから勝手に妄想して納得するけど、ええかァ?」

「お好きにどうぞ」

「じゃ、チカイさんの『法』は『』ですよと──何せ敵の本丸にたった一人で殴り込む役を任されるようなだもんなァ。一見清楚でクールな美人に見えても、その実胸の内にはアツいものを秘めておいでで、ですよーちゅう感じで、元人事部は勝手に納得しとくわァ。……さて」

「?」

「そろそろ本船脱出したほうがええと思うで? 具体的にゃァ、あと1分以内に」

「は? それはどういう……」

でなァ」

「!? ま、まさか……!」

「そのまさかよ。拿捕さ寝取られて嬉しい船長はおらんからなァ。寝取られるぐらいなら──」


 瀬戸船長はそう言って意地の悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべた。

 そう。

 恐らくだが、この船は間もなく。


(自爆する……!!!???)


 誓の考えを裏付けるかのように、船内のどこかからカウントダウンの電子音が聞こえてきた。

 一体どのタイミングで仕掛けが作動したのかは分からない。

 というかこの際どうでもよい。

 そんなことより逃げなくてはならない。

 逃げなくてはならないが、どう逃げる!?

 本船から巡視船『しきね』までの距離はおよそ0.3海里マイル、メートルで言えば約560メートルもある。

 この距離をひとっ飛びに渡ることはいくら魔法使いの脚力をもってしても不可能だ。

 磁力操作の魔法を使うにしても射程圏外である。


(だったら〈ヴァイオレットレール・インパクト〉でぶっ飛んでみる? いやでもそれはリスクが大きすぎる。少し射角がずれただけでとんでもない衝突事故になりかねない。私一人ならまだしも、この船長キャプテンも連れて帰らなきゃいけないのを考えるとだいぶ厳しい……。でも他に方法ある?)


 無い。

 何も思いつかない、出てこない。

 そうこう迷っているうちにも時間はどんどん過ぎていく。

 推定残り時間25秒。


 迷っている暇はもうなくなった。


 誓は瀬戸船長の上半身を左腕で小脇に抱え、そのまま右手で『誉』を抜刀した。

 帯電する刀身から魔力エネルギーを開放して不可視のレールを敷く。

 初速は先程と同じマッハ20、目標は『しきね』後部のフライトデッキ。


 照準は正確になされなければならない。

 上にズレても下にズレても惨事になる。

 誓はそれでも大ケガで済むだろうが、一般人ノーマルである瀬戸船長は間違いなく死ぬ。

 そして彼に死なれては困る。

 それでは任務を達成したことにならない。

 任務は達成されなければならない。


(…………後悔は、失敗してからすればいい)


 残り時間10秒。

 カウントダウンの電子音がより甲高い、危機感を煽り立てるものに切り替わった。

 誓はそれを聞いて意を決した。

 飛ぶなら今だ──────!!




 瀬戸船長を抱えた誓がげんそくから飛び出して。

 電磁加速によって瞬時かつ見事に『しきね』フライトデッキへ着船したまさにその刹那。


『ピニャ・コラーダ』は船底部に仕掛けてあった自爆装置により船体を八つ裂きにされ、スクラップとなってはんとう沖の水底へ消えた。

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