第8話 

*泡沫に聞く*



「名前、どうする? 帰るまで不便でしょう?」


 海中の泡が出るところをぼーっと見つめる青年。

 そんな彼に海中側から人魚イザベラが下から這い出しながら聞く。

 この海中都市に運ばれた時は全身を包帯で巻かれて一時ミイラ状態になるくらい重傷だった。

 そんな彼もやっと包帯が残り腰の部分だけになるくらいには回復した。今では貝殻のベッドから出てすぐ隣の小さな椅子に腰掛けていた。


 その彼に聞いても結局答えは出てこず首をこてんと横に倒し、「ん? なぁに?」と言うだけだった。


 おそらく青年は天使族という獣人の一族が戦いの中で落ちてきた。そしてその傷と思われていた。


 運良く海に落ちるが、そのせいで記憶喪失であり不幸にも名前や出生だけ無くしているだけでなく、物の名前、使い方の何から何まで失っている。


 だからイザベラや他の人魚たちはまるで母親のように彼の教育をしていた。一人で地上に行ってもおそらく生活できるくらいに教え込んでいた。

 その教育の中でたどたどしい彼に母性が働いている者もいると聞いた。


「あの仕草可愛いのよ」とか「もう教えずここで匿う?」とまで言ってくる人魚もいたくらいだ。それを効く度天使族は天然たらしがおおいのかしらと、イザベラは思っていた。


 また、傷からして羽も失っているらしく歩行もよたよただった。これも、他の人魚たちの庇護欲を煽った。


 そしてその平衡感覚を戻すため今は歩く練習を水陸大丈夫な魚人たちが担当している。


 こちらもやはり「あんよが上手」と、にっこにこな魚人が言いながら補助しているところをイザベラは目撃してしまったことがあった。

 また歩くより泳ぐ方が上達していると聞いた時イザベラは少し呆れてしまったのと、

 ——空と似ているから、なのかしら?

 と納得してしまった。


 それを看護担当で最初に見つけたイザベラが報告で聞いている。ずっと名前がないのは流石に不便だと思ったイザベラ。記憶が戻るまでの呼び名を考えてみるが何も思い浮かばず、本人にも聞いてみた。


「んー……、なんて呼ばれたい?」


「えっと……」と、泡を見ながらしばらく唸っていた。


「やっぱり私で考えようか」と、イザベラは言い、「今度までに考えとくわ」と伝えようとする前に青年から「……イザベラ」と、呼ばれた。

 

「何?」と答えてみるともう一度。


「イザベラ」

 と返って来た。イザベラはもしやと思って彼に尋ねてみる。


「……もしかして、呼び名? 君の? 私と同じだけど…」


「イザベラが、いい」と、駄々をこねるように言う。

 

「なんで?」と問うと、

「だってお姉さんが助けてくれたんでしょ?おなじがいいな…」とにこりと笑った。


 イザベラが助け、面倒を見たところが嬉しいから同じものが良いらしいと言うことがわかった。

 その目はここに来て初めてキラキラしている気がしてイザベラは断れなかった。


「……わかったわ。もう少し回復したらまた陸に帰してあげるから。改めてよろしくね、イザベラ」


(彼が良いなら、いっか。それに、なんだか私も嬉しいし……。

 他の子がこの子に惹かれる理由が分かるわ。)

 そう頭を抱えながら人魚イザベラは思った。そしてキラキラ光る琥珀色の瞳を閉じてにこっとする青年イザベラに微笑み返した。

 

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