博多人形の日


 料理は愛情って、ほんと?


 富士山に向かったきり帰ってこない親父の分も含め。

 合計七百グラムものハンバーグをぺろりと平らげた凜々花が言う。


 確かに俺にとって、料理はもともと。

 愛情以外の何物でもなかったが。


 いつしか趣味となり、義務となり。

 そしてとうとう苦痛になり始めた。


 できる事なら俺だって。

 上げ善据え膳の毎日を送りたい。


 そもそも今時、家庭料理の方が高くつくし。

 ちゃんと意識すれば、外食でもちゃんと栄養バランスがとれるものだ。


 だから俺は、凜々花に教えた。

 親父が今までまともなことを言ったことがあるか?


 すると凜々花は腕を組んで悩みだす。

 そうか、お前はまだ即答できない程度にあいつのことを信頼しているんだな。



 それでいい。

 それでいいんだ、凜々花。



 焦げ目をしっかり付けた。

 外はカリッとしたハンバーグ。


 年齢を重ねるごとに具材の配分や調味料は変化したものの。


 ケチャップ濃い目という根幹は変わらない。


 よそじゃ食えんとお前が言う。

 保坂家オリジナルの一品は。


 誰かさんが、友達とケンカしたと。

 しょげて帰って来た時に。


 明日のごめんなさいを応援しようと。

 俺が必死に作ったものなんだから。




 ~ 八月二日(火) 博多人形の日 ~

 ※前車覆轍ぜんしゃのふくてつ

  先人の悪い例。教訓。




 告白のお返事を一ヶ月先延ばしにされて。

 ポイント稼ぎ月間となった今。


 勉強に没頭できるはずもなく。

 誰かさんが勝手にいれたシフト通りにレジに立つ。


 ――ここは、どういう訳かファンが全国にいるという不思議空間。

 個人経営ハンバーガーショップ、ワンコ・バーガー。


 オープンしたてで客もいない。

 そんな隣のレジにいるのはもちろん。



 花屋のにいさん。



「なぜ」

「仕事を始めたのはいいのですが、平日は暇なのです」

「それで副業?」

「はい。なにかと物入りなので」


 花屋の店先で、たまに見かける細身のにいさんは。

 今まで数えるほどしか話したこと無かったけど。


 シフトレバーを強引に切り替えられたかのように。

 独自の、のんびりとしたペースに巻き込まれてしまう。


 彼については親父も凜々花も。

 変な人という評価しかしてないが。


 どういう訳か、こいつだけ。

 やたらと高い評価を下す。


「あ、秋山さん? 先日はご迷惑をかけてすいません。いつも秋山さんの優しさに甘えてしまって申し訳ないです……」

「いえいえ。爆発なんて可愛いものですからご心配なく」


 爆発が可愛いって、そんな生活あり得るか。

 なに言ってるんだこの人。


「足、まだ治ったばかりなのですから。休憩取りながらお仕事して下さいね?」

「ご心配ありがとうございます。でも、こうしていることが幸せですので」

「お、お仕事がそんなにお好きなんですか?」

「いえ。立ってることが」


 そうなんですかとキッチンに引っ込んで。

 凜々花と一緒に、にゅから料理指導を受けているのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 こいつ、ちゃんと俺の告白の返事考えてるのか?

 他の男の心配ばっかしやがって。


「あのですね、保坂君」

「ああ、はい」

「舞浜さんが言っていた件なのですけど。俺、長いこと松葉づえで生活してたから歩き回るのがちょっと辛いのです」

「はあ。じゃあフロアには俺がなるべく出ま……、じゃねえ! だったら立ち仕事なんてダメだろうに!」

「いえ、そっちは平気なので」


 いやいや、俺じゃあるまいし。

 なんて無茶を言いやがる。


「それで立ちっぱなしとか。じゃあ、今日のあんたの仕事は博多人形係?」

「客寄せパンダですか?」

「パンはパンでも食べられないパンは、パーンダ?」

「なんでしょうかねえ。フライパン、なんて簡単ななぞなぞじゃなさそうですし……? あれ? 最後がおかしくありませんでした?」

「ああもう回転数!!!」


 だめだだめだ!

 こいつのそばにいるやつ、きっとみーんなこのペースに毒されるんだ!


 このまま喋ってると脳が老ける。

 とっとと隠居させよう。


 ……そうすりゃ。

 秋乃もこいつの世話焼かねえだろうし。


「やっぱダメですって。事務とかしてたらどうです? パソコン仕事」

「そっちはからっきしでして」

「じゃあ他に得意なのは?」

「これでしょうか」


 そう言いながら、頭を指さすにいさんだったが。

 もちろん、知能という話じゃなさそうだ。


 だって、バカにしか見えねえもん。

 その、ちょっと長めの髪に挿さった花。


「突っ込んだものか、ずっと悩んでいたんだが。それ、なに?」

「マツバボタンといいまして、スベリヒユ科スベリヒユ属の……」

「じゃなくて! なぜ飲食で帽子もかぶらず花咲かせてるんだよ!」

「昔馴染みのお客様が喜ぶかと思いまして」


 そんなやり取りをしていると。

 表を通りかかったご近所さんが軒並み店になだれ込んできて。


 ほんとに、あら懐かしいわねとか盛り上がり始めたから。

 信用することにはしたけれど。



 納得できるわけあるか!



「それが得意技とか! わけわからん!」

「花言葉も完璧なのです」

「……じゃあ、その花は?」

「忍耐」

「はあ」


 ご近所客の行列は。

 花屋の兄さんの前だけに並ぶもんだから。


 俺がせっせとオーダー通してドリンク淹れて袋に詰めて。


 これで同じ給料とか洒落にならん。

 俺の方が忍耐だぞバカ野郎。



 ……そんなこんな。

 なんとか、集中豪雨を潜り抜け。

 満身創痍になった俺に。


 レジを打つだけでまるで動かない兄さんが話しかけて来る。


「すいません。歩くのは、まだそれなり辛いのですよ」

「松葉づえって、骨折でもしてたのか? 聞いていいのかわからんが」

「理由ですか? 構いませんが、手をもう一度洗うことになりますよ?」


 ああもうこの人意味わからん。

 なんで手を洗うことになるんだよ。


「ええと、経緯を話すと大変なので結末だけ話しますと」

「ああそうだな手短に」

「おじいさんに投げ飛ばされて、崖から海に落ちたのです」

「話せ長くなってもいいから!」


 どういう事態なんだそれ!


 思わず前のめりになったけど。

 いや、ただの冗談か。


 俺は眉間に指をあてて。

 聞いた以上、こいつの与太話に付き合わなきゃならんのかとかぶりを振った。


「奇跡的に、右足の骨がなかなか複雑に折れただけで済みまして」

「複雑骨折だけで良かったと言っていいのやら悪いのやら」

「いえ? 複雑骨折じゃないですよ?」

「複雑に折れたって」

「皮膚から出ちゃったらまっすぐ綺麗に折れても複雑骨折」

「妙な形に折れても皮膚から出なかったってこと?」

「そうです」

「ややこしい」


 ああもう、やっぱこいつの相手は無理。

 気付けばあまりの頭痛にこめかみを押さえていた。


 いかん、手を洗わねば。


「保坂君は、来年受験?」

「そうですが」


 レジ並びに据え付けられた流しで。

 マニュアル通りにしっかりと手を洗いながらの生返事。


 もう、こいつがどんなおかしなことを言ってきても信じてやらない。


 そう心に決めた俺だったんだが。


「それじゃあ、なにかと忙しいでしょう」

「あんたと違ってな」

「そうなのですか。でも、俺も一つ問題を抱えていて大変なのです」

「へえ」

「困ったことに、探すことになったのです」

「何を」

「知人がですね? 十年ちょっと前、この辺りで女の子に会いまして」

「……ふむ」

「その子に八の字の何かをあげたら、橋を掃除しなくちゃいけなくなったらしいのです」


 …………ん?


「それが何のことだったか教えておくれと頼まれまして」

「教えてやりゃいいじゃねえか」

「でも俺、その場にいなかったのですが?」

「はあ!?」


 思わず声をあげちまったが。

 いや、ちょっと待て。


 それってまるで……。


「すいません。ご理解いただけないとは思いますが、そういうことを当たり前のように頼む知人なのですよ」

「すまん。ご理解いただけないとは思うんだが、あんたの言葉を理解できる」

「…………ほんとに?」

「ほんと」

「だとしたら……」

「だとしたら?」

「ご愁傷様なのです」


 心から悲しそうな目を向けられて。

 なんだか自分が可哀そうに感じて来た。


 でも、俺だって。

 あんたが不憫でならねえよ。


 それだってのに。


「……あんたは、その知人とやらといて幸せなのか?」

「困ったことに」

「その秘訣を教えてくれ。是非」

「さあ……。分からないのです」


 期せずして邂逅した戦友が。

 優しくも寂しい笑顔で小首を傾げる。


 すると、髪に挿した花が。

 揃って俺に手を振った。

 

「もう一度教えてくれ」

「はい」

「その花の、花言葉は?」

「忍耐」



 俺は、一か月後の予定をキャンセルすべきか。

 一晩寝ずに考える事になった。

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