第7話 霊気

 古いトイレに、いよいよぼく達は向かうこととした――やっと事件が解決へと向かうことになるかな、と思うとちょっとばかり悲しくはなってくるかな。いや、ちゃんと事件を解決させないと探偵をわざわざ呼んだぼくの沽券に関わるのだけれどね。

 マネージャーが先頭になって、ぼく達は幽霊の居るだろう古いトイレへと案内されることとなった。因みに幽霊を見たとされるマリサも殿を務める形で付いてきている。本当は幽霊に会いたくないから付いてきたくなかったらしいのだが、神原曰く、


「仮に幽霊が出現した場合、その幽霊が本当に被害者を苦しめた幽霊であるのか、証明が出来ない。証明するには被害者が自らそれを目撃して、これが同一人物であることを証明する必要がある」


 ――とまあ、そう言われてしまったからには、仕方なく一緒に行かざるを得なかったということになる。それでも嫌々な感じはプンプンする訳だけれど、少しは我慢して欲しい。もしかしたら、この幽霊騒動も解決する可能性が見えてきているのだから。

 マネージャーが立ち止まると、神原は入り口を見ながら呟いた。


「ほほう……、これはこれは、かなり年季の入ったものだね……。確かに何か出てきてもおかしくはなさそうな感じだ」


 壁はヒビ割れ、床は水垢だらけ、おまけに消毒液のきつい臭いがする。……消毒液のきつい臭い? いや、待てよ。それってどういうことなんだ? 幾ら何でも――幾ら何でもそれはおかしくないか。


「たーくん、きみも気付いたか。まあ、気付かない方がおかしいのかもしれないぐらい、有り得ないことではあるのだけれどね」


 神原も気付いている様子だった。

 神原はマネージャーに問いかける。


「このトイレ……掃除は?」

「使用禁止になっているはずだから、掃除すらされていないはずだけれど……。それが一体?」

「だとしたら、おかしくはないか? 消毒液の臭いが、ここまできつくしてある理由は? それも――普通なら、入った瞬間分かりそうなものなのに、さっきの説明では一切言っていなかったような気がするが」

「……、」


 マリサは答えなかった。


「マリサ、どうしてさっきは説明してくれなかった?」

「いや……、幽霊が出てきたことの恐怖の方が強くて……。トイレのことなんて忘れてしまっていたというか、うろ覚えになってしまっていた、というか……」

「普通なら気付きそうなものだけれどねえ? もしかして、何か隠している――なんて言い出さないだろうね」

「消毒液の臭いも、何かを揉み消すため?」


 有り得ない話ではない。


「例えば、強烈な臭いを隠すため……ってこともあるだろうね。要するに、ダミーだよ。ある臭いを消すために、より強力な臭いを出しておくことでそれを隠すことになる。木を隠すなら森の中、とは言うだろう?」


 そりゃあ言うかもしれないけれど――なら、何を隠していると言うんだ? この強烈な臭いじゃないと隠せない程の、何か?


「言わなくても、大方想像はつくんじゃないかな? 個室は全部で三つある。そして、さっきの話を聞いた限りだと、一番左側の部屋から声がした――さっき、そう言っていたね?」

「え、ええ……。でも何だか、さっきの件で自信をなくしてしまって……。本当に自分の言っている証言は正確なのかどうかってことが、分からなくなってきたというか……」

「自信を持って良い。取り留めのないことだって構わない。警察が被害者に理路整然とした発言をしてくれ、と言うか? 答えはノー、だ。非日常を経験して混乱している状況であるにも関わらず、冷静に発言しろと命令することは、ちょっとおかしいし間違っている。それぐらいは警察だって分かっている話だし、探偵の僕ちゃんだって分かり切っていることだ」

「そう……ですか?」


 でもまあ、あの証言が百パーセント正しいかどうかなんて、分からなくなってしまったけれどね。もしかしたらもっと違う展開になっていたのかもしれないし、それを言いたくなかったか言えなかったかはさておき、隠している可能性だってある訳だ。

 もし、もしももう幾つか隠し事があったとするならば――きっと神原が予想しているような事件の解決編は出来ないのではないだろうか?


「まあ、とにかく……百聞は一見に如かず、とは言うのだし見に行こうじゃないか。一番奥の個室、だったね。そこに行けば何かがあるはずだ――」


 今の時点で扉が閉まっているのは、その奥の個室だけだった。他の二つは開いており、和式便座を見ることが出来る。……というか、古いトイレは和式便座しかないんだったな。当たり前と言えば当たり前かもしれないけれど、アクセス面も考えるとそりゃ古いトイレとして廃止されてしまうよな――などと考えてしまう。

 奥の個室のドアノブを捻る――が、扉は動かない。


「鍵が……掛かっている? いや、それとも扉自体の立て付けが悪くなっていて開けることが叶わないのか……」

「いや、多分鍵が掛かっているね、これ。立て付けが悪いだけなら、力さえ掛けてしまえば開いてしまうはずだ。けれども、力をどちらに向けても開くこともなければ扉が動くこともない――となれば、答えはたった一つだけ導き出せる。鍵が掛かっている、ということにね」

「鍵が掛かっている……なら、どうしてさっき個室に入ることが出来た?」

「いや――わたし、一度も個室に入れたなんて言っていないような気がするけれど……。個室を見に行ったけれど、今と同じように鍵が閉まっていたんだよ。……だから、わたしもこの中は見ていない」

「だったら、何故幽霊を見た?」

「見た……というより、ずっと声が響いていたんだ。聞こえていなかった?」


 いや、聞こえていなかったけれど――そんな声していたかな?


「声は聞いていないけれど、どんな声?」

「覚えていないわよ、そんなの。恐怖心が勝っちゃって、覚えていないの。ただぶつぶつと、こっちを呪おうとしているのか分からないけれど、これを聞いてしまったら本当に死んでしまうような気がする……。そう思って、わたしは楽屋から出ようとはしなかったの。何故なら遠ざかれば遠ざかる程、その声は小さくなっていったから」

「つまり、直接幽霊の身体そのものは見ていない、と? 幽霊ではないかという声を聞いただけ?」


 神原が呆れたような表情で、状況を確認する。

 幾ら幽霊の可能性が薄れたからって、あからさまに手を抜くの止めて貰えないかな。


「……ええ、まあ、そういうことになるんですけれど……。もしかして、駄目でしたか……?」

「駄目ってことではないけれど、ちょっと興ざめかな。てっきり現物を目の当たりにしたからそういう発言をしていたのかとばかり思っていたからね。けれども、今思うとそれも当たり前だったかねえ。だって、きみから感じないから」

「感じる? 何を?」

「霊気」

「霊気?」

「要するに幽霊のオーラみたいなものだよ。一度幽霊に出会った人間というのは、暫くはそれが纏わり付く。纏わり付くから、幽霊が近づきやすくなる。そういう特性を利用して、僕ちゃんみたいな存在が探偵として活動している、って訳。何故なら、僕ちゃん自身が――幽霊にとっては格好の餌って訳だからね」

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