第6話 幼馴染神絵師攻略作戦
修行シーンを馬鹿丁寧に描写すると追う側として辛いものがある。ましてや五百枚のコピー用紙を消費しきるほど書いては没になり、没になっては書いてを繰り返した「企画書激闘編」なんて誰も詳しく知りたがらないだろう。だからダイジェストでお送りする。だいたいの場所は夕方以降の俺のアパートで、夕食(コンビニかスーパーのお弁当)持参で上がり込んできた翠さんが監督するというパターンだ。朝夕毎日、顔を合わせて食事するようになってしまったのである。
「伝えようとする姿勢は理解できますが、ゲームのコンセプトがよく分かりません」
「重要な語句を色分けしてくれたので見易いですね。しかし、この4枚目の紙はレギュレーション違反です」
「全体スケジュールをチャート図にしたのはお見事です。コミックフェスタの開催日は決まっていますから、そこから逆算する形ですね。ただし項目が網羅されておらず漏れがありますね」
「休憩にしましょう。エネルギーを補充してから再開した方が効率よく進むケースが多々あります」
「あ、もう10時ですね。お風呂に入って寝る時間です。スマホもパソコンも控えてください。リラックスしてベッドに入りましょう」
「エナドリが飲みたい? 禁断症状で手が震える? では、充電で元気にしてあげます。後ろを向いてください!」
「決まっていないことを未定と正直に書くのは良いことです。ここでさらに『いつまでに決めます』という日程が入ればさらに良いですね」
「むむ、見事なエロ設定です。しかしこれは企画書であり小説ではありません。余計な描写は省きましょう」
「確かに箇条書きは有効な手段です。しかし項目が多いと箇条書きの意味が薄れます。最大でも三項目までにとどめましょう」
「某ダウンロードサイトで一定以上の売り上げを達成した同人エロゲを分析し、ボリュームについてまとめた資料がこちらになります。価格帯・容量・CG枚数・ボイスの有無など表にしてみました。参考までに」
「マリアさんの作業時間の見積がいくらなんでも早すぎませんか? えっ、一日でそんなにたくさん描けるんですか!? 塗りも背景もひとりでできる!? か、怪物ですね……」
「なんでいつもコンビニ弁当なのかって? ちゃんとカロリー表示をチェックして栄養のバランスも取れるように配慮してますよ。もとはといえば、ヒロキさんが私のキャラ設定で『壊滅的に料理ができない』なんてするのが悪いんです!」
「そんなに悩まないでください。そうだ、気分転換にあの公園まで散歩しましょう。月が綺麗ですよ」
「だいぶ良くなってきましたね。もう一息です」
「諦めないで。ヒロキさんなら絶対できます!」
と、まぁ企画書完成までは二週間を要した。十四日で五百枚の紙を消費したのだから単純計算で一日あたり約三十六枚だ。平日と土日の作業時間のバランスもあるから実際はもっとバラついている。
翠さんは本当に厳しい。厳しいのだが面と向かって怒ったりしないし、どこが良くないのか丁寧に説明してくれるし、フォローも欠かさない。お手本のような教師キャラである。
だからこそ、出来上がった企画書はズシリと重かった。たった三枚の紙なのに、とてつもない努力が詰まっている。
「……ついに完成した」
「はい、あとはプレゼンテーションの練習ですね!」
「へっ?」
「企画書はあくまで伝えるべきことを伝えるための手段です。さらに言えば、伝えること自体は目標ではありませんよ。大きな目的は『ゲームを完成させ、コミックフェスタに参加して1000本売ること』なのですから」
「あー……」
半ば忘れかけていた。ゴールはずっと先で、企画書作りはスタートラインに過ぎない。
道のりは果てしないなぁ……
「さぁ、その企画書を使って私に説明してみてください! 本番でマリアさんを説得するのと同じ要領ですよ。喋るスピードや内容も煮詰めていきましょう。いざスタート!」
同じ轍は踏まない。今度こそマリアから協力を得る。
そのための舞台として選んだのは駅近くの映画館である。ショッピングモールもレストランも併設されていて、休日はかなり賑わっている場所だ。まぁ、これは翠さんの入れ知恵なんだけどね……
なんでも同じ場所で同じことを繰り返しても結果が変わらない可能性があるそうだ。「雰囲気はすごく大事です。今日はいつもと違うということを肌で感じてもらいましょう」と力説されてしまった。だから部室として使っている歴史資料室は避けたのである。
映画に誘ってみるとマリアは素直に「行く」と即答してくれた。なお、不意打ちすると不信感を抱かせてしまうので映画の後でエロゲ制作の話をしたいとも伝えてある。そっちについては「別に構わない」と平坦な返事をされた。
待ち合わせは改札口の近く。ガラス張りの吹き抜けになっていて明るい。ここから遊歩道を渡って直接劇場まで行ける。
スマホでボヤイッターを開き、ちょっと角度を付けてショッピングモールの屋根の写真をアップした。コメントは「これから映画」と付けておく。
マリアがやって来たのはそのすぐ後だった。
「お待たせ」
癖っ毛はいつも通りだが学校には付けてこない花の髪飾りが乗っていた。眼鏡も普段とは違うピンクのフレームの可愛らしいやつをかけている。そこに白基調のワンピースがよく似合っていた。学校の制服じゃないと余計に年齢が低く見えてしまうのだが、そのことには触れないでおく。
「よし、行こうか」
歩き出して横目でマリアの表情を確認しておく。機嫌はかなり良さそうなので安心した。チケットを発券して映画館の中に足を運ぶ。俺もマリアも鑑賞中は飲み食いしないから売店には寄らない。
首が疲れないように劇場のちょうど真ん中あたりの席を予約してある。客の入りは疎らで、パッと見た感じは映画好きの人が多そう。これなら上映中にスマホの着信音が鳴るようなこともないだろう。
「ヒロキと出かけるのは久しぶり」
席に着くなりマリアは口を開く。視線はこっちを向いていない。ジッとスクリーンを捉えていた。
「そうだっけ?」
「うん。二十日ぶり」
「なんで日単位で覚えているんだよ」
ツッコミは無視されてしまった。毎日、学校で顔を合わせているから久しぶりなんて印象は全くないんだけどな。
劇場が暗くなって映画が始まり、それから百分間は息を潜める。俳優にシーン・演出・音楽……可能な限り分析しながら鑑賞するのがクセになっていた。ストーリーの山場はどこだとか、区切りはここかとか、この話を観て俺の心がどんな曲線を描いているとか、次の場面でどんな期待をしているかとか。
我ながら面倒臭い。もっと素直に楽しめという内なる声が聞こえてきそうだ。
ともあれ、映画は筒がなく終わった。最初はどうしようもなかった主人公が最後には成長してあたらしい世界が拓けたのである。めでたし、めでたし。
「まぁまぁだった」
「うん。まぁまぁだな」
お互いの評価が一致したところで、今度は同じモール内にあるハンバーガー屋さんで昼食にする。店の希望を聞いてもマリアは「なんでもいい」としか答えない。肉好きなのは知っているし、フライドポテト類なら黙々と食べる。だからこそのチョイスだ。ここは値段がややお高いが全国的にも店舗数の少ないチェーン店で、味もいい。文句は出ないだろう。
「自分の分は自分で払う」
「俺が誘ったんだし」
「無理しなくていい。払う。映画のチケット代は奢ってもらえたから」
「そ、そうか?」
食事まで奢るつもりで多めに持ってきたお金を使わずに済んでしまった。カウンターで注文を終え、俺たちはアーケードの下に並ぶ屋外席のテーブルに付いた。ここからはショッピングモールを楽しむ人たちが行き交うのを眺める。みんな家族連れか恋人同士だった。
やがて網カゴに入った肉厚チーズバーガーが二つとラージサイズのポテト、それに飲み物が運ばれてくる。マリアは小柄な割に大食いだ。みるみるうちにハンバーガーが消え、ポテトもなくなってしまう。食べる姿はちょっと小動物っぽくて微笑ましい。
「話」
「ん?」
「話があるんでしょ」
「あぁ、そうだった」
あとはストローの挿さった飲み物を残すだけ。他は網カゴごと片付けてテーブルの上を拭いておく。
生憎と持ち運ぶための道具はひとつしか持っていない。通学用のくたびれたリュックからクリアファイルに入れた企画書を取り出し、マリアの前に置く。
「ちゃんと企画書を作ったんだ。まずは読んでみてくれ」
眉毛を片方だけ持ち上げながらマリアはファイルの中から企画書を取り出し、一枚ずつめくる。だいたい五分くらい経ったところで紙をテーブルの上に置いた。
掴みは悪くない。ここから練習に練習を重ねたプレゼンテーションを……と思った矢先、マリアは口を曲げる。
「……ヒロキらしくない」
「え?」
「いつものヒロキならダラダラと頭の中にあることを話すだけなのに」
うっ、そう言われてしまうと……今まではそうだった。マリアにエロ小説の挿絵を描いてもらうときはアイデアをどんどん口頭で話していたのである。
マリアは黒い瞳でジッと俺を見つめていた。浮かんでいるのは疑いの色である。
「誰の入れ知恵?」
「いや、誰のって……」
「最近はお風呂にちゃんと入っている。朝ちゃんと起きてる。授業中も寝ていない。エナドリの臭いがしない。急に変わり過ぎた」
強い圧がかけられて、たじろいでしまった。絵を描く以外に関心の薄いマリアでもこういうことがある。妙に勘が鋭く、いきなり怖くなるのだ。
けれど正直に言えるわけがない。新しい担任の先生が実は未来の俺が書いたエロゲのヒロインで、毎日のように家に上がり込んでは生活指導しながら企画書の書き方を教えてくれたなんて。信じてもらえそうにない部分が明らかに混じっているので話す自信がなかった。
「答えないなら、イラストは描かない」
まずい。企画書の出来栄えとは別の角度から拒否されている。さっきまで機嫌が良さそうだったのに、今は大荒れの空模様だ。胃が潰れそうなプレッシャーの中、俺の脳は必死に言葉を紡ぎ出した。
「じ、実はアドバイザーがいるんだ」
「アドバイザー?」
これは嘘じゃない。翠さんの立場はアドバイザーで間違いなかった。苦し紛れとはいえ、黙り込んだままにならずに済む。しかし、皮一枚で繋がった首をマリアは容赦なく刎ねようとしてくる。
「女?」
なんで性別に拘るんですか!?
嫌な汗が一気に噴き出ちゃったじゃないですか!!
「女か」
まずいまずいまずい。無言の肯定になってしまったぞ。いや待て、後ろめたいことなんて何もないんだ。だったら正直に……
(話せるわけないだろ!)
具体的にどうまずいのか言語化できないけど、話してしまったらマリアは協力を拒みそうだ。マリアとの長い付き合いから確信が持てる。
ならば嘘を付かず、真実には触れず、乗り切るしかない。創作のための思考回路がフル稼働してもっともらしいストーリーを練り上げる。
「これ、入社試験なんだよ」
「エロゲを作るのが試験?」
「そう! 二週間くらい前に、部活やらずに急いで帰った日があっただろ? あの日、きつねソフトの面接に行ったんだ」
「確かにそんな日があった」
なんでちゃんと覚えているんですかね? いや、覚えてくれていてありがたいんだけど。
「そこで採用担当の人に言われたんだよ。実績のないキミの入社は認められないけど、同人でゲーム作ってコミックフェスタで1000本売れば採用するって!」
「だから急にエロゲを作るなんて言い出したの?」
「そういうこと!」
マリアは顔を背けて大きなため息を吐いた。怒っているのか消え入りそうな声で「だったら最初からそう言え」と吐き捨てていた。なんだこのデジャヴは……
「マリア?」
「ヒロキはきつねソフトに入りたいの?」
「入りたいよ。憧れのエロゲメーカーだもん」
「はぁ……」
さっきよりも大きなため息を吐き、マリアは残った飲み物をストローで吸い上げる。いつの間にか威圧感はすっかり消えていつもの状態に戻っていた。
「分かった。絵を描く」
「ホントか!?」
「……この企画書くらいハッキリとスケジュールと作業量が出ていれば請けてもいい。最初に話を聞いたときは曖昧すぎて無理だった。いつ終わるか分からないのは嫌」
やった! 企画書作戦大成功だ!
ありがとう翠さん!
喜びのあまり身を乗り出した俺はマリアの小さな手を取って握り締めた。翠さんがよくやる癖である。
「ヒロキ!?」
「ありがとうマリア! 請けてもらえてすげぇ嬉しい!」
「は、は、離して…… 周りに見られてる……」
「あ」
ここは大勢が行き交う休日のショッピングモール。老若男女が足を止めて俺たちを見ていた。やばい、大声で騒ぎ過ぎた。
それから何を勘違いしたのか周囲から温かい拍手が起こってしまい、俺とマリアは顔を真っ赤にしながら足速に去るしかなかった。
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