青年期(1)

 部屋にやって来た男性は、落ち着きなく目をきょろきょろさせていた。憔悴してはいるが、まだ大学生ほどの年齢だろうか。真面目そうな風貌ではあるが、こけた頬やくまのできた目から、どこか病的なものを感じさせる。同行者の女性も、黒髪をサイドにまとめ、小ぎれいな服装ではあるものの、不安げに辺りを見回している。

 二人は、暗い部屋の中央で、パイプ椅子に腰かけていた。対面するかたちで、幅広のデスクがあり、数台のパソコンに囲まれて誰かが座っている。

 黒いシャツの、眼光の鋭い男である。

「谷口さんでしたっけ? 突然来られても、困るんですがね。どこで情報を得られたんですか?」

 男は静かに問いかける。

「あの、知り合いのバーで、事情を話したら、紹介してくれた方がいて…」

 谷口と呼ばれた男性は、おどおどと話し始める。男はそれを遮った。

「谷口さん、簡単にお伝えします。まず、『話すな』。霊のことを周囲に軽々しく話せば被害が拡大します。苦しむのは自分だけにしてください」

 突然の厳しい物言いに、谷口は顔をゆがめた。額に大粒の汗が浮かんでいる。

「でも、ずっと僕だけが苦しむわけですよね? 何か、解決策がほしかったんです」

「だとしても、バーで話すことは解決に結びつきません。結局、だれかに苦しさを分かってほしいだけの自己憐憫です」

 谷口の隣の女性が「ちょっと、そんな言い方ないんじゃない」と文句を言ったが、谷口はそれを手で制した。

「でも、今回はそれであなたの話を聞くことができました。なんでも、除霊を専門でされているとか」

「谷口さん、お伝えしたいことの二つ目は、『信じるな』です。おそらくあなたに私の話をしたのは、私の高校時代のクラスメイトです。もう何年も会っておらず、友人ですらありませんでした。過去に、私がやむを得ず人前で霊力を発揮するのを目にして、勝手に信者を名乗り始めたゴミです。いわゆるストーカーであり、私個人とは何の関係もありません」

 男は一息にそうしゃべると、深いため息をついた。ぼそりと「また事務所を変えるべきかな」とつぶやく。

「御迷惑をおかけしてしまっているのなら謝ります。しかし、助けてほしいんです」

 谷口は土下座をする勢いだ。

「どうせくだらない理由で、霊的なものにつけ狙われることになったのでしょう。聞くまでもありません。見ず知らずの私が、なぜ命を張って助けなければならないんですか?」

 谷口の顔が一瞬赤くなり、肩がぶるぶると震える。

「身勝手なのは分かっています。どうか、お願いします。全財産、用意してきました」

 震える手で、ジャケットの内ポケットから封筒を取り出す。男はそれを一瞥してから、「いりません」と吐き捨てた。

「あいにくですが、お金には困っていません。たとえいくら積まれたとしても、助けられないものは助けられない」

 我慢の限界に達したのか、谷口の隣で女性が立ち上がった。

「あんたね! さっきから聞いてりゃ、無茶苦茶言いやがって」

 谷口は「おい、ちょっと」と止めようとするが、女性の剣幕に押されて黙り込む。

「こっちがこんなに頼んでるのに、なんで助けてくれないのよ」

「一度の説明で理解してください。無茶苦茶なのはそちらでは?」

 女性は話が通じないことにしびれを切らしたのか、谷口を立たせ、「こんなやつに助けてもらう必要ないわ」と捨て台詞を吐いてから出て行った。

 ドアが乱暴に閉められる音を聞いてから、黒シャツの男は深い息を吐いて、椅子にもたれる。

「すごいキャラクターだったな」

 奥の部屋から声がし、ガタイのいい男が出てきた。つなぎの作業着姿だが、胸板の厚さが見て取れる。

「本当、疲れた」

 黒シャツの男が言うと、作業着の男が「そりゃそうだ」と笑う。

「キヨヒコも、なかなか嫌味なスタイルだったじゃないか。よくぶれずに通したな」

「だって、あの谷口とかいう人に憑いてたのは悪霊じゃなかったからね」

 黒シャツの男――キヨヒコの目には、谷口の背中に、隣の女と同じ顔をした霊が立っている様子が映っていた。

「あれは生霊だよ。大方、女の方があの男に執着するあまり、無自覚に自分の生霊を飛ばしているんだ」

「恐ろしい話もあるもんだ。だから嫌味を吐いたんだろう?」

 作業着の男――ツトムが尋ねる。キヨヒコはうなずいた。

「ああやって冷たく対応することで、あの女の人は『なんてかわいそうな人。この人には、もう頼れる人が自分しかいない。自分が何とかしなくては』だとか思ってくれるでしょ。あの女の人の欲望が一時的に充足されて、生霊もそこまで悪さをしなくなるはずだよ。もちろん、その後のことは知らないけどね」

 キヨヒコの話を聞き、ツトムは「いやだいやだ」と首を振る。それから、ポンポンと手を叩いた。

「でもまあ、これで本仕事に取り掛かれるな。ミサとトミ婆は、そろそろ工場につく頃だ。俺たちも行こう」

「そうだね」

 二人して、事務所を出ていく。薄汚れた雑居ビルの一角、扉のすりガラスには『駄菓子・玩具問屋 タケナカ』と印字した紙がテープで貼られている。キヨヒコは扉を施錠し、ツトムと共に、ビルの階段を駆け下りた。

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