カレンダーには書ききれない

甲池 幸

第1話 女装男子と狂気のカレンダー

 俺の部屋には、十一年分のカレンダーがある。


 俺が八歳のときに作ったらしいそれは、線も文字もガタガタで目を覆いたくなるほどの拙さだが、日付にも曜日にも、ただのひとつもミスがない。

 幼馴染が言うには、夏休みを返上して作っていたらしく、その年は宿題を半分以上残して、臨時で三者面談が開かれるくらい怒られたという話だ。

 名誉のために言っておくが、俺はなにも、普段から不真面目で宿題をほったらかすような児童だったわけではない。むしろ、帰宅したら何よりもまず宿題を片付けるような、真面目で勤勉──というと語弊があるが、怒られることを嫌う子供だったのは確かだ。

 そんな子供が、宿題よりも優先して作った狂気のカレンダーには、たったひとつだけ、予定が書き込まれている。

 八月十六日火曜日の欄に、子供の乱雑な字で『寄神よがみ神社 よる四時』と真っ赤な記載がある。寄神神社は俺の家から徒歩五分もかからない、土地神を祀る小さな神社だ。たまに真っ青なのに熟れているリンゴや錆びたナイフなんかが賽銭箱の傍に落ちているだけの寂れた場所で、俺もほとんど行ったことはない。

 ちなみに、錆びたナイフを供えた不届き者は、まず間違いなく、俺の隣の家に住んでいる幼馴染だろう。本人に聞いたわけではないが、そういう、よく分からないうえに、大した害も利益も生まないことを、そいつはよくやる。

「ばあ」

 噂をすれば影、というコトワザはどうやら本当らしい。声がしたベランダに視線を向ければ、頭の螺子が五本は外れている幼馴染が立っていた。

「やあやあ、元気にしてたかい? 秋声しゅうせい

 何がそんなに楽しいのか、そいつはにっこりと笑みを浮かべて俺に手を振っている。その姿を見るだけで、くらりと眩暈がした。それは何も、俺が幼馴染のことが嫌いだとか、こいつの奇行に胃をやられているとかではなく。

 単に、こいつの格好があまりに奇妙だったからだ。

「なんで女装してるんだ……? おまえ」

 あまりの奇妙さについベランダの鍵を開けてため息交じりに問いかける。俺の記憶では、幼馴染の性別は男だったし、スカートを履く趣味もなかったし、髪ももっと短かったはずだ。

 白地に薄い水色の襟が付いたセーラー服とか、風になびく長い髪なんてものは、持っていなかった。ような気がする。

 では、どんな格好をしていたのか、と思い出そうとしても、俺が持っているのと同じ学校指定のブレザーしか浮かばない。……そういえば、休日のこいつを最後に見たのはいつだった……? もしや、こいつの休日のスタンダートスタイルは『女装セーラー』なのか?

「うーん、違うよ?」

 じとっとした目を向ける。

「あはは、これは、うーん、コスプレ? みたいな? 今日はこういうの着てみたい気分だったんだよ。着てみたいって言うか、君に見てもらいたい、みたいな?」

 見てもらいたい?

 素っ頓狂な申し出に、俺は思わずまじまじと幼馴染の女装姿を見つめる。紺色のスカートから伸びる両足は白くて細いし、かつらなのか長い髪には艶もあって綺麗だ。もともと中世的な顔つきをしていたのか、服装が女物になっても大して違和感がない。むしろ、どちらかと言えば、いつものブレザーよりもこのセーラー服の方がしっくりくる。

「綺麗だな」

 素直に言えば、ゔ、と変な声をあげて心臓を押さえ、二歩後ずさった。

「君さぁ、ほんと、ほんっと、そういうところだからね?」

 言われた意味はよく分からないが、まあ、いつも通り大したことではないだろう、と勝手に話を打ち切って、背を向ける。ベランダから勝手に室内に侵入した幼馴染にきちんと鍵をかけるように声をかけてから、俺はもう一度、カレンダーに目を向ける。

『寄神神社。よる四時』

 現在時刻は午後三時半過ぎ。今から向かっても早すぎる。かといって、何かをして時間を潰すにも微妙だ。

「ねえ、秋声」

 心なしか不機嫌な声で名前を呼ばれて振り返る。そこには思った通り、眉を寄せて唇を尖らせる女装野郎が居た。そんな仕草も様になるあたり、こいつは随分整った顔をしているらしい。今まで、まじまじと見たことが無かったから、気が付かなかった。

「君、まさかそれで神社に行くつもりかい?」

 問われて、自分の服装を見下ろす。白いカッターシャツに、黒のスキニーズボン。シャツの胸元にある青い花の刺繍がお気に入りポイントだ。

「何もおかしくないだろ」

「えー。つまんない。テンション上がらない」

 お前の好みなんて知るか、と一蹴しようとして、幼馴染が後ろでに何かを持っていることに気が付いた。嫌な予感がして、思わず後ずさる。けれども、四畳半の小さな部屋に逃げ場などあるはずもなく。そもそも、この変なところで執念深い幼馴染が俺を逃がすはずもなく。

「じゃじゃーん!」

 俺は、散々抵抗した挙句、結局は変な効果音声と共に目の前に掲げられた学ランに袖を通すことになった。

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