最終話 そして、1週間後

 一週間後。



 空乃は意外と味のある絵を描く、というのは色奈の談だった。決して上手いわけでもなければ、しかし決して下手というわけでもない。描いているものがいったいなんであるのかはわかるけど、その描いているものが現実の「それ」と似ているのかといえばそういうわけでもない。例えば犬なんて描いてみれば、犬だということはわかるけどそいつがどんな犬種なのかは特定ができない。例えば宇宙人なんて描いてみれば、グレイ型宇宙人とかタコみたいな火星人みたいな姿じゃないけどそれが宇宙人だとわかる。つまりは、伝えたいものが人の心に直接伝わってくるような絵というわけだ。


 ………………ちょっとよく言い過ぎたかもしれないけど、空乃の絵を言い表すのであればやっぱり味のある絵という他にない。


 というわけで、紙芝居を作るうえでの絵の担当は空乃だった。そして、話の担当は色奈である。


 が、どちらも完全に頼り切りというわけでなく互いにアドバイスを聞いたりして切磋琢磨している。


 そして今日は、最後のページに取りかかる約束だ。


 いつもの放課後の、いつもの公園に、いつもの二人がいる。彼女たちはベンチの上にいて、十二本の色鉛筆とアイデアぎっしりのノートとスクールバックとランドセルが辺りに散らばっていて、そしてスケッチブックを挟んで難しい顔をしており、周囲からはなにかの出し物を真剣に考えているのだと勘違いされて誰にも近づかれることはなかった。いつもだったら声をかけてくることはないにしても、こちらの様子をのぞき見してくる子供は少なくなかった。が、今回に関しては二人の表情の真剣さが違った。誰もが、彼女たちの邪魔をしてはいけないのだと無意識に察してしまうほどだ。


 原因は、スケッチブックの最後のページにあった。


 まず話しておくべきは、自分の家で、色奈がスケッチブックにラフを描いて、それからスケッチブックを学校に持っていき、そして帰宅することなく放課後に色奈は公園にやってくるということだ。ここで大事なことは、色奈が学校ではラフを描かないということと、空乃が今日はスケッチブックに触れてすらいないということだ。


 しかしだ。目の前に開かれたスケッチブックの最後のページには、色奈のロボットみたいな筆跡とは違う、丸々とした筆跡で『勝手に見てごめんね。だけどね、すごく面白かったよ』という文字が、小さくすみっこの方に書かれていたのだ。


「どうしよう。学校の誰かに見られたかも」


 色奈が今までにない焦った顔で言う。


「でも、面白いって言ってくれてるし別に大丈夫じゃないかな?」


「だけど、これでクラス中に噂が広がったら、」


 そこに生まれたわずかな隙間に、

「たら?」


 色奈の言葉の続きを促すように、空乃は色奈の言葉尻を繰り返す。


 色奈は自分の気持ちに戸惑っているようだった。自分の考えた作品を見られることは嫌だけど、それなのにどうして嫌なのかはうまく言葉にできず、見つめていれば答えが浮き出ると思っているのかなにもない場所をただ見つめている。


 だけど空乃はわかっている。


 きっと、色奈だって心のどこかでわかっているはずだ。


 色奈は——


「あ、柊さん」


 一人の女の子がこっちを見て聞いたことのない名前を言った。右手の親指でランドセルのショルダーベルトに隙間を作って、左の手で胸の前のところで小さく手を振っている。こちらに反応がないことを、女の子は自分の顔が見えていないからだと思ったのか小走りに近づいてくる。空乃は女の子の顔を見てみたけど記憶に引っかかるところがない。だったら、彼女は色奈の知り合いという線しかありえない。


 空乃が色奈に目を向けると、色奈は、先ほどまでの焦った表情を消していつもの仏頂面に戻っている。


「あの、こんにちは」


 女の子がぺこりと頭を下げたので、空乃もちょっとだけ頭を下げて、


「こんにちは」


 それからちょっとお姉さんぶってみたりして、


「色奈ちゃんのお友達かな?」


 女の子は手のひらを唇に当てる。ちょっと戸惑っているようだった。


「えと、私は柳井夏南って言います。夏に南でカナです。それで、ええと、柊さんとはクラスメイトで、だけど偶然見かけたから話しかけてみたというか、あの、その、お邪魔でしたか?」


 夏南は上目遣いに瞳をうるませる。わざとやっているなら大したもんだが、しかしこれを天然でやることのほうがすごいことなのかもしれないと思う。


「ううんそんなことないよ。ね、色奈ちゃん」


 色奈は無言のまま、ベンチの上のスケッチブックを、少しだけ移動することで夏南の視線から遮るようにした。


 夏南は色奈の顔色をうかがって、おそるおそるといった風に喋り始める。


「実はね、学校でスケッチブックを見たのは私なの」


 色奈が勢いよく顔を上げて、視線を夏南のほうに向けた。


「あなたなの?」


「うん。スケッチブックにも書いたんだけど、勝手に見ちゃってごめんなさい。でもね、面白いと思ったのは本当だよ。あれって柳井さんのオリジナルだよね。ああいうものを描いたりするんだなって、ちょっと意外だった」


 色奈がほんの少し顔を赤らめた。


 ——そうだ。学校の宿題とは違い、スケッチブックに物語を描くのは誰もがやっていることではない。自分がやりたいからこそやっているものであり、それは色奈自身の表面的な部分ではなくて色奈自身の内面的な部分を少なからず見せていることになる。それは、自分自身をさらけ出しているということだ。自分の一端に触れられたとき、相手に対して無関心ではいられない。恥ずかしかったり、嬉しかったり、もしかしたら怒っちゃうかもしれない。


 色奈が言う。


「あれはこっちのお姉さんが絵を描いたの」


 空乃がそれに補足するように、

「話は色奈ちゃんが考えたんだよ」


 夏南の姿勢が前のめりになっている。どうしてスケッチブックに紙芝居を描くようになったのか、その経緯を聞いてくる。


 色奈がぽつりと断片的に事の経緯を話す。


 空乃がうんうんとかそうだったねえとか色奈の話の合間に合いの手を加える。


 それから、色奈が後ろに隠していたスケッチブックを取り出し、

「また見てみる?」


 夏南は満面の笑みで「うん!」と返す。


 物語のタイトルは『へっぽこ天使』。


 天界に住んでいる天使は、ある日人間界での調査を命じられる。人間と同じようにランドセルを背負って小学校に登校して、人間と同じように教科書を見ながら授業を受けて、だけど人間と同じように友達を作ることができなかった。周囲が楽しくしているのに、自分はちっとも楽しくない。人間と同じことをしているのに、自分にはどうして友達ができないのか。——所詮は人間と天使、結局のところ分かりあえるはずもない。だからいつものように人間たちの行動を逐一観察する。ある日、学校のグラウンドのすみっこで、天使の足下に一個のボールが転がってくる。「おーい、そのボール取ってくれよ」なんて声が聞こえてくるけど、人間たちに関わる意味もない。ボールをただ見つめて、再び人間の観察に戻る。だけど思う。もし——もしかしたらの話だ。このボールを拾って、このボールを投げ返して、そして、一緒に遊んでもいいのかと彼らに話しかけたら私にも友達ができるのだろうか。しかしさっき呼びかけてくれた子が、こっちのほうに走ってきて「ボールぐらい取ってくれてもいいだろ」と言いながら天使の足下のボールを取っていく。


 それから、この時のことが頭から離れない。


 もしもボールを拾っていたら、という仮定のその先をずっと考えている。


 羨ましかった。あんなに笑い合えること、一緒になにかをするということがとんでもなく眩しいものに見えた。だけど自分から人間に関わる気なんてない。どこかで線を引いてしまっている自分がいる。


 しかし、きっかけは唐突に訪れるものだ。


「ねえ、一緒に給食たべない?」


 一人の人間が、天使の引いた線に踏み込んできた。


 これを拒絶するか、もしくは内側に入れてしまうのかは天使次第である。


 そして、——最後のページに繋がる。


 現実では、夏南が一大決心をして言葉を発した。


「ねえ、私も一緒に参加してもいいかな。柳井さんと一緒になにかを作ってみたい」


 この後の色奈の表情は相も変わらずの仏頂面だったけど、だけどどこか嬉しそうに見えた。





 空乃が、へっぽこ天使の最後のページの絵を描き始める。


 そこに描かれた天使の表情は、色奈と同じような不器用な感情表現をしていた。うつむきがちに、相手の目を見ずに、手の位置も定まらずにそわそわとしている。そして意を決した一言を口にする。


 笑っているのかはわからない。だけど、天使の心には暖かい色がいっぱいに広がっているに違いない。

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