第15話 王都の街並み

 吉野の部屋にまた橘がやってきた。

「あ、そうだ。そろそろ町に出てみませんか?」

「そうね。ずっと気になっていたところだよ。いつまでも部屋にこもりっきりっていうのも身体に良くないし。マルクスさんに相談してみようか」

 ケルナーにも提案されていたことだった。マルクスはやや不安そうな表情を浮かべていたが、グレンは賛成派だった。城の中の人しか知らないというのも世間が狭くなると思っていたので、吉野も積極的に外には出てみたかった。せっかくなのでこの世界についても知りたいと思うのは自然なことである。

 マルクスはやはり渋い顔だったが、二人の懇願こんがんについには負け、街の観光ができるようになった。

 転移をしてから30日目にして、王城から外に出るようになった。


「トニーくん、ごめんなさいね。お仕事もあっただろうに」

「いえ、気にしないでください。案内したい場所はたくさんありますから」

 ケルナーさんは用事があって一緒に来ることができなかったが、「じゃあトニーを使っちゃいなさいよ」という姉の横暴により、トニーが案内をする役になった。とはいえ、トニーも乗り気であった。


 転移後の次の日だった。マルクスに「これを二人に」と言われて、首飾りを受け取った。さすがに黒髪だと目立つので毛の色を変化させる魔法具を用意したのだった。染髪をしたことのない二人は、新鮮な気持ちで鏡の前の自分の姿を何度も見た。

 したがって、二人が黒髪の姿を実際に見たのは十数名程度の王宮の人間だけである。ただ、転移者であることはもっと多くの人間が知っている。

 吉野は隣を歩くフードを被った男に礼を言った。

「クリスさんも今日はありがとうございます」

「仕事だから気にしないでいい」

 マルクスとグレンも都合が付かないというよりは、王族が気軽に城下町に行くのも問題があるということで、代わりにマルクスはクリスを紹介した。「愛想はないかもしれませんが、頼りになるはずです」とマルクスは言っていたので、しっかりとした人なのだろう。体つきを見ても鍛えられているように見える。

(クリスってキリスト由来の名前なのかな……)

 そんな疑問も浮かびつつ、4人で町を見て回ることになった。

 

 グレンがホットスポットと言っていたのが関係しているのか、街には活気があるように見える。こんなに多くの人を視界に入れるのもずいぶんと久しぶりである。

「こんなに大勢がマスクをしていないのって珍しいですよね」

「はは、確かに。この世界にもマスクってあるのかな」

 トニーもクリスもこの二人の会話はよくわからなかっただろう。


 トニーを先頭にして、雑貨屋や食べ物屋、魔道具屋などの店や露店、眺めの良い場所から町を一望したり、植樹林の美しい道を歩いたりしてみた。ストリートミュージシャンのようなパフォーマンスもあって、吉野は初めてこの世界の音楽を聴いた。

 街並みだけではなく、歩く人々をも観察できた。歩きながら、吉野は自分はこの世界の女として身長が高いかもしれないと気にしていた。しかし、それも一方的な思い込みで、実際には様々な女性、いや種族がいたのである。

「獣人っていうの?」

 橘が遠くにいる人たちのことをトニーに尋ねた。指をささなかったのは育ちの良さなのだろう。

「ああ、虎人族や狼人族とか牙狼族とか、たくさんいるぞ。めちゃくちゃ強いからな。喧嘩なんか売った日にはうちの姉ちゃんくらい怖いからな」

「はは、ケルナーさんが? まさか?」

 「いやいや、本当だって」とそんな冗談を言い交わしていると、クリスが「そろそろ昼食でも」と提案し、それならばと行きつけの大衆食堂へとトニーが案内した。


「やあ、トニー。今日はデートかい? おや、クリス様もおいでで? ありがとうございます。4名ですね、すぐに案内するんで待っててください」

 すでに昼食時を過ぎているが、それでも人が途切れない店内だった。さぞや料理に定評があるのだろう。

「すまないな、忙しい時間に」

「いえいえ、昼間から飲んだくれの馬鹿者たちを追い出す良い時間帯ですよ」

 食堂のおばちゃんのように豪快ごうかいな人が案内をしてくれたが、トニーやクリスとも顔なじみのようである。言葉通り、昼間からダラダラと飲んでいた客を外へと追いやっていった。追いやられた者たちも満更でもない表情である。店と客との関係がわかるやりとりだった。

「注文は任せます。私たちじゃまだよくわからないし」

 橘も任せると言ったので、トニーとクリスが注文をした。

 中華料理店のような感じに見えるが、実際には幅広い料理なのだろう。食文化についてはまだケルナーからは詳しく学んでいなかったのでわからない。ただ、王宮で出される食事にはあまり癖のある料理はなかったので、食の違いが大きく異なって食べられないという可能性は低いように思えた。

 すぐに大皿に盛られた料理が運ばれてくる。ファーストフード並の早さである。腹を空かせた客を待たせないように、早くに出せる料理もいくつか容易されているのだろう。

 出された料理は全て二人の口に合うものだった。

「これ、毎日食べているものよりも美味しいかも」

 正直な気持ちを吉野は言った。橘も同じ意見だった。

「でしょ? ここ、おばちゃんはうるさいけど料理だけは一品なんですよ」

 トニーのように王宮に勤める者たちも吉野たちと同じものを食べている。決して口に合わないわけではないが、今食べている料理の方が確実に美味しい。


 最初の印象からは大きく異なり、トニーは実際には明るい性格のようだ。ケルナーの言う「音楽馬鹿」限定で、態度が変わってしまうのかもしれない。

「うるさいは余計だよ!」

 食堂のおばちゃんが追加で料理を持ってきた。焼き物、揚げ物、汁物、一見雑なようでいて様々な風味の料理に吉野と橘はしっかり堪能たんのうしていた。魚料理は少なく、肉と野菜が中心である。

「本当にどれも美味しいです」

「はっはっは、料理屋でまずい飯なんて出せないからね」

「他のお客さんも楽しそうに食べてますし」

 席数30程度で店員が2人、厨房には2人、店の回転数も早い。食べ終えた席はすぐに綺麗にされ、気づけば新しい客が入ってくる。

「ここ最近は外からも人が集まってきたからね。あたしらにとっては転移者様様だよ」

 さすがに自分たちが転移者であることは打ち明けていない。クリスは当然のこと、トニーもそのことは他言せずに会話をしている。

「賑やかなのはいいことですね」

「まあ、ただ人が増えれば客層も変わるからね。この店はいいけど、知り合いの店には真っ昼間から乱暴な酔っ払いが来て迷惑してるようだけどねぇ。本当に困ったもんだよ」

「客層ですか……」

 新しい仕事が手に入ったり新しい商売を始めたりして、この街には良くも悪くも人を寄せ付けるのだろう。だから、素行そこうの良くない人間も増えているのだという。

「あんたらはクリス様がいらっしゃるから安全だと思うけど、くれぐれも気をつけるんだよ」

 そう言うと、厨房に入る前にトニーの頭をごしごしとして、去って行った。

「いつまでもガキ扱いしやがって。失礼しちゃうぜ」

 トニーがすねた表情を見せる。こうしてみると、この子は年相応の子なのかもしれない。


 出された料理を小皿によそおおうしたら、吉野よりクリスが先に手を出した。

(がっつくなぁ。よっぽどお腹が空いてるのかな)

 意外と大食らいなのかと吉野は思ったが、何度も続くとさすがに違和感があったのだが、はたと気がついた。

「クリスさん、もしかして毒味役ですか? 食事を最初に口にしたのもすべてクリスさんでしたし」

 先に口に出したのは橘だった。橘の言葉の通り、クリスが一番に口に入れていた。

「気を遣わせたならすまない」

「いえ、こちらこそ、気を遣わせてしまって」

 二人の会話に驚いたトニーには、もちろんそのような意識はなかったようである。

 顔なじみの店の料理であっても、毒味をするということはクリスの用心深さとともに自分たちの扱われ方をあらためて考えさせられるのだった。

 その後、「毒の味とかわかるんですか?」と橘がクリスに訊いて、生々しい情報を聞くこととなった。


「またいらしてくださいよ!」

「はい、どれも美味しかったです。ありがとうございます」

 この日をきっかけに吉野と橘はこの食堂で料理を食べることが多くなり、間もなく常連となっていく。

 食堂を後にした4人は午後からも街中を観光することにした。

 周囲の視線が気になっていたが、今になってクリスにみんなが注目していることに吉野は気がついた。フードをかぶっているが、そこからわずかに見える容貌だけでも確かに見る者を惹きつけるように思える。

(私たちと美醜びしゅうの感覚が一致しているというのなら、たぶんクリスさんはこの世界で整った顔立ちと言えるんだろうな。いや、単にクリスさんが有名な人なだけなのかも)

 クリスはほとんど口を開かないのでどういう素性の人なのかも詳しくはわからない。

 ただ、代わりにトニーと橘が楽しそうに会話をしているので退屈はしなかった。


「じゃあ、次は……」

 トニーが次の場所へと案内しようとしたら、言葉が止まった。どこかを凝視ぎょうししているようだった。

 気になって視線の先に目を向けると、小さな男の子と女の子だろうか、見るからに乱暴そうな男たちに囲まれている。男たちはこんな時間だというのに酔っ払っているようだった。

「おう、クソガキども! 勝手にぶつかってきやがって何様のつもりだ!」

「なんだよ、そっちから倒れかかってきたんじゃないか!」

 男の子が勇ましく男たちに言い返している。

「何かあったのかな?」

 吉野がそうつぶやくと、「ここを頼む」とトニーに言ったクリスが騒ぎのある場所に素早く向かっていった。クリスは子どもたちをかばうように、男たちと対峙たいじしている。

「馬鹿な奴らだな。クリス様が出てきたら勝ち目なんかないっての」

「クリスさん、やっぱり強いのね」

 トニーの言葉の通り、クリスに手をかけようとした男たちが次々と倒されていく。この場から動かない方がいいとは思いつつも、三人はクリスの方に近づいていった。

 倒れた男たちをよそに、クリスは膝を折って子どもたちに頭に手を置いていた。女の子の方は不安だったのか涙目であり、男の子の方はクリスの姿に感動しているように見える。

「お前たち、こういう時には逃げる選択をするものだ」

「へへへ」

 誇らしげに笑みを浮かべている男の子はクリスのことを知っているのかもしれない。


 和やかな雰囲気になっていたところに、一人の男がなおも挑んでいくのが吉野に見えた。

(クリスさん、気づいていないのかもしれない!)

 吉野は咄嗟とっさに酔っ払いの男の前に飛び出した。

「なんだ姉ちゃん。お前なんか出る幕じゃねえ!」

 足取りが不安定、武器も持っていない。それでも吉野よりも遙かに大きな男である。武器は持っていなかった。

 男の声に気がついたクリスがすぐに応戦しようとした。

 しかし、次の瞬間、大の男が投げ飛ばされている光景を目にした。

 吉野の肩を強引につかもうとしていた男の右腕を両手でつかみとり、姿勢を低くして素早く男の懐に入り、慣性に従って投げたのであった。

「よしっ」

 これにはクリスだけではなく、様子をうかがっていた他の男たちも一時茫然ぼうぜんとしていた。やがてすぐに周囲で見物していた人たちから「いいぞいいぞ」「ざまあみろ」「もっとやってやれ」と歓声が上がった。

(さすがに地面の上に何もせずに投げ飛ばしたら大怪我するよね。というか他の人も見てるだけじゃなくてこの子たちを助けてあげたらいいのに)

 吉野は投げた後も冷静に男の右腕を引き、受身を綺麗にとらせるようにしたため、投げられた男からすれば微かに背中に痛みを感じる程度である。だが、ただの女に投げられたというショックの方が大きかった。

 自尊心を傷つけられたのか、起き上がった男たちの一人がついに刃物を持ち出そうとした時、2本の剣が首元に当てられた。

「これ以上騒ぎを大きくするか?」

「ひぃっ、いつの間に、それにその双剣!?」

 クリスの脅しにも刃の感触にも冷ややかなものを感じた男は冷静さをなんとか取り戻し、皆情けなくも逃げ去って行った。


「うわあ、伝説の一本背負いですね。数々の猛者たちを鎮めたとかいう」

「橘くん、誰が流した噂よ?」

 吉野と橘が笑い合っていると、険しい顔つきをしたクリスが吉野を問いただした。

「なぜあんなことをした?」

 吉野は自分が手を出さなくても男たちにクリスが負けるはずはないと思っていた。クリス自身もそう思っていただろう。だからこそ、クリスは吉野に対して軽いいらつきを覚えていたらしかった。

(クリスさん怒ってるなあ)

 吉野も自分の立場がわからないでもない。しかし、身体が勝手に動いた、という以外に言い訳はできない。

「守られるばかりっていうのも性に合わないので……。ごめんなさい、クリスさん。ご心配おかけしました」

 吉野は正直に謝り、真っ直ぐにクリスを見た。

 じっと吉野の瞳を見つめていたクリスは、しかしすっと目元を緩めた。

「見事な投げ技だった。あなたも長く鍛錬されているのだな。ただ、全力ではなかったようだ」

 クリスは口元にうっすらと笑みを浮かべて、吉野を素直に褒めたのだった。

(うわぁ、貴重な笑顔だ……)

 久しぶりに気合いを入れすぎて実は少し身体を痛めてしまったことは黙っておこうと吉野は決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る