絵描きの異世界旅

@takamitu

第1話 異世界への旅立ち

 

 自室のベッドで寝ている筈なのに、余りの眩しさに薄っすらと目を開けた。

 目が痛くなりそうな真っ白な部屋。否、何もない真っ白な空間と言った方が正しいだろう。上下左右何処にも境目が存在していない。

(夢を見ているのか?それとも女神様の部屋なのか?)

 唐突に最近読み更けているライトノベルに出てくるワンシーンが脳裏に浮かんだ。

「残念だが、女神の部屋ではないんだな」

 渋くて重みのある声が空気を震わせた。

「もしかして、神様?」

 心を読むかのように突然現れた白髪白髭の老人を、驚愕の眼差しで見詰めた。白いワンピースのような服を着て、白いマントを羽織っている。

 日本の神様のイメージではなくヨーロッパの神官のように見えるが、なぜか手に持っているのはステッキではなく木の杖だった。

「正解だ。なかなか察しが良いでははいか」

「僕って、死んでしまったのですか?」

 パジャマ姿の身体をはたいてみたが、手がすり抜ける事はなく実体があった。

「死んではおらんぞ」

 神様は穏やかな笑みを浮かべている。

「でも、神様の前に居ると言う事は、何らかの理由で死んでしまい異世界に転生したりするのではないのですか?」

「最近の人間は異世界への知識があって、説明が楽で助かる。相澤貴弘君、君に異世界に転移して貰いたいのだよ」

「何のためにですか?僕は運動音痴で体力もないので、魔物退治とか魔王討伐なんて絶対に無理ですからね」

 通っている高校では美術部に籍を置き、どんなささいな争い事も避けてきた気弱な性格の僕には、命がけの生活など考えられなかった。

「魔物はおるが魔王が現れたとは聞いていないし、勇者になれるような強い奴を頼むとも言われていないしな」

 血の気を無くしている僕を見詰めている神様は、白髭を触りながら独り言のように呟いた。

「では、何のために転移など……。それに、なぜ僕なのですか?」

「世界は神によって造られたのは分かるな。地球を造ったのは儂で、異世界を造ったのは別の神なのじゃが、その世界が発展しないので刺激になる人間を送って欲しいと言ってきたのじゃ」

「それで、なぜ僕なのですか?彼女いない歴十七年、際立った才能も知能もない僕が行っても、異世界に何の変化も起こりませんよ」

 自分の能力を知っている僕は、絶対に無理と、首を左右に振った。

「今までにも勇者や賢者になり得る優秀な人材を何十人か送ったのだが、あまり変化は起こらなかったらしんだ。それで今回は、凡人を絵に描いたような君に是非とも行って貰いたいのだよ」

「それで、僕が選ばれた訳ですか」

 神様の依頼を完全拒否しながらも、チートな力を貰って無双するのを心のどこかで多少期待していたが、凡人の中の凡人と聞いて深く落ち込んでしまった。

「無理なら断ってくれても構わないんだぞ。その時は儂と会った記憶を消して自宅に戻してやるから」

「帰れるんですか?」

「勿論。目が覚めたら自室のベッドの上だよ」

「では、すぐに帰らせて下さい」

 神様の言葉に安堵した僕は即答した。

「そうか、それは残念だなぁ。異世界は美人が多いから、色々と楽しい事があると思うんだがのう。二度とこのような機会はないぞ」

 白い顎髭を扱く神様は、口元に意味深な笑みを浮かべた。

「魔物が居るような世界に僕のような軟弱者が行っても、すぐに死んでしまうだけで、楽しい事などある訳がありませんよ」

 僕はレジャーランドに行っても、絶叫マシンには乗らないタイプの人間だ。勇気がないと卑屈な考えをしているのではなく、危険を冒してまで楽しむような事は何もないと考えているのだ。

「すぐに死んだりしない程度の力は儂が授けるし、他に希望があれば望みも叶えようではないか」

「力を授けて頂けるのは嬉しいのですが、家に戻れなくなるのは嫌ですし、戻れたとしても浦島太郎のようになるのは嫌ですよ」

「なに、十年間異世界で暮らしてくれたら呼び戻して、向こうで得た知識や力を持ったまま十七才の君に戻して上げようではないか、それでどうかな?」

 神様は思春期の多感な男子の心を揺さぶってくる。

「本当にそのような事が出来るのですか?」

 ライトノベルなどでは、片道切符のように書かている異世界。小心者の僕の想いは、まだまだ変化のない日常に向いている。

「簡単な事だよ。儂は神だからな」

 神様が右手を差し出して広げると、突然真っ赤なリンゴが現われた。

「これは、青森県のリンゴの木に今まで実っていた物だ、食べるか?」

「今は結構です」

「そうか、ではリンゴは木に戻しておこう」

 と、神様が言うと、掌に乗っていたリンゴがパッと消えた。

「どうだ、簡単な事だろ」

 手品のような現象をポカンとした表情で見ていると、神様は悦にいっている。

「それだけではないぞ。君が異世界で稼いだ金銀財宝は、自宅に戻る時に儂が日本円で買い取ってやろうではないか」

「それで、どのような力を授けていただけるのですか?」

(時間の経過もなく家に帰れるのなら、ファンタジーの世界を覗いてみるのも面白いかもしれないな)

 ライトノベルで読んでいたハーレム状態を想像すると、少しだけ乗り気になってきた。

「魔法と剣の世界だからな。魔法は中級魔法使い程度、剣も中級剣士程度は授けようかな」

「それって、どれ程の強さなのでしょうか?」

「そうだな、魔物が住む森に入らなければ直ぐに死ぬ事はないだろう」

「もしも、異世界で死んだらどうなりますか?」

「残念じゃが、その時は魂が消滅してしまうな」

「やはり家に帰ります。僕には、何かをするのに命を懸ける勇気はありません」

「そうか、ハーレムやモフモフは諦めるか」

「命あっての物種ですからね」

 神様の渋い顔を見ながら、ペコリと頭を下げた。無敵無双で居られるだけのチートな力がなければ、直ぐに死んでしまうのが目に見えていた。

「急に呼び出してすまなかった。今回の事は記憶から消しておくから、よい朝を迎えてくれたまえ」

 杖を掲げた神様は、

「チートな道具は、次の候補者に渡すか」

 と、独り言を言った。

「ま、待って下さい。今、何か仰いましたよね」

「よい朝を迎えてくれと言ったが、何か気に障ったかな?」

「その後ですよ。チートな道具とか、仰いませんでしたか?」

「異世界に転移して貰う者には、特別な力の他にアイテムを授けておるのだが、死を逃れるようなアイテムは無いので君の要望には答えられないのだよ」

 神様は申し訳なさそうに、小さく首を振っている。

「どのようなアイテムが授けて貰えるのですか?」

 少なからず異世界転移に興味があるので聞いてみた。

「不死身になれるアイテム以外、君ならどのようなアイテムが欲しいんだね」

「魔物退治や魔王討伐のような危険な任務が無いのでしたら、美女に囲まれてのんびりと絵を描いて暮らしたいと思いますので、切り取ってもページの減らなスケッチブックと、使っても減らない画材道具一式。あとは、それらを持ち運ぶのが便利になようなアイテムが欲しいですね」

 絵を描くのを趣味にしているので、のんびりと鉛筆や絵筆を握っていられたら幸せだろうと、フッと思った事が口に出てしまった、

「勇者しか持てない聖剣などと言われると困るが、その程度ならお安い事だぞ」

 神様は空間に手を伸ばすと、こげ茶色した表紙のスケッチブックを取り出して渡してきた。

「これって普通のスケッチブックですよね。本当に画用紙が減る事は無いのですか?」

「神の言う事を疑うとは、罰当たりな奴だな。一枚切り取って一度閉じたら、枚数を確認してみるといい」

「分かりました」

 半信半疑ながら、言われた通りに確認した。

「確かに、十八枚あります。疑って申し訳ありません」

 切り取っても画用紙が減っていなかったので、深々と頭をさげた。

「どうだね。異世界へ行く気になってくれたかね?」

「はい。凡人なりに異世界を楽しんできたいと思います」

 画用紙の減らないスケッチブックにテンションが上がり、神様の言葉に頷いてしまった。

「そうか。あと画材道具と当面の生活費をアイテムボックスに入れて置くから、異世界に着いたら確認してみるといい」

「はい。ありがとうございます」

「十年経った呼び戻してやるから、それまで元気でな」

「はい。行ってきます」

 いつの間にか神様に言いくるめられてしまった僕は、頭を下げると眩しい光に包まれた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る