古屋の怪

 「本、そこそこあったね」

 私はリビングから、奥の部屋にいる三淵みつぶちくんに声をかけた。三淵くん――三淵英司みつぶちえいじ――は、市役所に籍を置く公務員だ。まあ公務員といってもまったく公務員らしくない変人の一種で、職場では「総務課の妖怪係」とか呼ばれているそうだ。

 私たちは空き家にいた。元の住民はしばらく前に出ていって、間もなく新しい入居者が来る。新入居の前に残された本を引き取るのが私の仕事で、三淵くんはその立ち会いだ。

 既に他の古物店が引取りに入った後なので、家の中はがらんどうだ。カーテンまで取り去られた四角い窓枠から四角い床に四角い日差しが差す。四角いのは人が作った証だから、いつか人類が滅亡したら、壁だけ残った家の窓から今と同じように四角い陽が地面に延びて、それが私たちの墓標になるのだろう。

「どうしたの、すっかり枯れた顔して」

 奥から出てきた三淵くんが陽だまりに入った。薄い茶色の髪が陽光で金色にきらめく。滅んだ人間をとむらう天使のような神々しさではないか。ま、それはある意味正しい。全人類はともかく私たちは既に――

「ねえアキちゃん、アキちゃんってば」

 三淵くんは目の前で手をひらひらと揺らした。

「うるさいな。せっかく今ひたってたのに」

「他人の家でひたらないでよ。もう入居の人、来てるよ」

 言われて振り返ると、玄関側のドアから二つの顔がのぞいていた。

「あ、すいません。もう終わってます」

「はーい、じゃあ遠慮なく。ほら、たっちゃんも来て」

「そう急かさないで、子供じゃないんだから」

 先に入ってきたのはパーカーにショートパンツという格好の、活発そうな女の人だ。後から来た方はサマーニットとロングスカートを合わせた服装の落ち着いた女性で、最初の子とは正反対の印象を受ける。ただ二人の顔はよく似ている。

「こんにちは。私はすぐそこで貸本屋をやってる一乗っていいます」

「へえ貸本屋さん。レトロでいいなあ」

 活発そうな子が言うと、落ち着いた子がその肩をつついた。

「ちょっと、先に挨拶。あの、私たちここに入居する予定の和田わだと申します。私は橘花たちばな。それでこっちが美夜みや

 三淵くんは既に市役所で面識があるらしく、二人に軽く頭を下げた。

「ご近所さんだね。今度お店に行ってもいい?」

 活発な子、すなわち美夜さんが言う。

「もちろん。あの、一つ聞きたいんだけど、お二人は姉妹?」

 二人は顔を見合わせ、そっくりの笑顔を浮かべた。

「そう思う?」

 心なしかうきうきと、美夜さんが聞く。

「え、ええ。姉妹か、それか双子か」

「こう見えて親子なんですよ」

 橘花さんが苦笑した。

「あっ、と。失礼しました」

 しまった見た目につられた。だが二人は一緒にこの街に来たようだ。それはつまり……

 私の視線に気がついたらしく、橘花さんがうなずいた。

「私たち、二人で事故に遭ったんです」

「そうそう。高速を走ってたらトラックが中央分離帯を乗り越えてきてどかーんとね。完全に即死」

 二人は顔を見合わせてあははと笑う。

「だけど、あの時美夜、私のこと庇ってくれたよね」

 橘花さんが美夜さんを見つめた。美夜さんは首を振る。

「あれは馬鹿だったねえ。そんなことで助かるわけないのに。それよりハンドルを切ってれば避けられたかも」

「あの状態じゃ無理よ。それに、変にどっちか生き残るよりこの方が良かったのよ」

「……そうかもね」

 美夜さんは少し寂しそうにうなずいた。


 今の会話からわかるように、二人は既に現世で亡くなっている。この街、比良坂市ひらさかしは、現世つまり此岸と、陰府いんぷと呼ばれる彼岸の間にあって、彼女らや私たちのような既死者きししゃが住む場所なのだ。

 ちなみに既死者の身体は、死の年齢にかかわらず、最も健康な頃、二十歳前後のものになる。さっき二人を姉妹だと思ったのもそのせいだ。


 「本はそれだけなんですか」

 リビングの隅に置かれた十数冊の本を見て、橘花さんが聞いた。

「はい。ここでは本は高いから、これでも多い方ですよ」

 だから私のような貸本屋があるわけだ。

「私、二階を見てくる。ついでに本がないか探してみるよ」

 美夜さんはそう言い残して階段を駆け上がっていった。

「美夜は本当に元気なんです」

 橘花さんは足元の埃を払って腰を下ろした。

「私の方はどっちかっていうとインドアで。親子って似ないものですね」

「お二人、仲がいいんですね」

 三淵くんが言った。

「昔はいろいろありましたけど。こうなったら喧嘩しても仕方ないですし」

 橘花さんは小さなため息をつく。

 私は立ち上がって窓を開けた。風が入るのと同時に、二階からばたばたと足音が降りてきた。

「もう戻ったの」

 橘花さんが聞くと、美夜さんは手に持っていたものを高々と掲げた。

「あったよ、本」

「えっ?」

 私は思わず三淵くんの顔を見た。いうまでもなく、私たちが既に二階を確認済みだったのだ。

「おかしいな、その本どこにあったんですか?」

 三淵くんが聞く。

「うん、天井裏。押し入れの天上板が外せた」

 美夜さんはこともなげに答えた。

「美夜、小学生じゃないんだから」

 橘花さんが呆れて言う。

「こっちに来てから体が軽くてさ、いろいろやりたくなるんだ」

 にこにこ笑いながら美夜さんは本を開いた。

「あら、これ売り物にはならなそうだね。線とか引かれてる。ええと、やまとは国のまほろば。たたなづく青垣あおがき――」

 その時、私は奇妙な気配に気づいた。

「待って! それ以上読まないで」

「――山ごもれる。えっ、何?」

 突然目まいがした。景色が歪んで、ここにはないものが見える。失くした故郷、青い山々、誰かと住んだ街、そしてこの家。一瞬の間だけ私は眩惑され、懐かしいような寂しいような気持ちで満たされた。

 周囲が妙に明るい。明るいのも当然で私たちは屋外に立っている。さっきまでいた家の玄関前の道だ。

「えっ、何がどうしたの?」

 土の道の上に座っていた橘花さんが立ち上がった。

「しまった」

 三淵くんが額に手を当てる。

「本に仕掛けられていた何かのしゅが発動したか、それとも怪異が目覚めたかしたんだ」

 美夜さんがはっと手を見る。さっきまで持っていた本がない。美夜さんは目を丸くした。

「すごい! なに今の、怪異って初めて見た。街に来る途中でも散々脅されたわりに何も出なかったし」

「そうねえ。こんなことが起こるなんて、さすがに現世とは違うのね」

 橘花さんがのんびりと答える。

「あっ、開かない! すげー」

 美夜さんは玄関のノブをがちゃがちゃやっている。

「手を離して。二人とも、はしゃいでる場合じゃないわよ」

 私は焦って言った。街中で突然呪だの怪異だのが現れるというのはまずい。

「市役所に連絡してくる。アキちゃん、悪いけどこっちは頼んだ」

 三淵くんが走り出した。

「ちょっと、頼んだって何をよ?」

 後ろ姿に声をかけたが間に合わない。

 こうして冒頭の事態に繋がるわけだ。

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