伊福くんと経理部の仕事

 結澄さんが走り去った先を私がぼけっと見ていると、後ろから声がかかった。

「この度は怪異の被害に遭われてお気の毒でした。被害額相当のプノイマが支給されますので、二週間以内に必要書類をお持ちください」

 振り返ると伊福くんがスクールバッグから書類の入った分厚いファイルを取り出したところだった。

「見た限りの被害は店の扉と本棚か。本そのものはおおむね大丈夫そうですね。本は高価だから多少破れたくらいは我慢してください。はい、じゃあこれ」

 書類を差し出され、私は訳もわからず両手を出した。

「まず被害者本人確認書類。住所氏名だけで、後は住民課で住民票を取って貼り付ければいいです。次に怪異被害届。遭遇した怪異と被害内容を具体的に書いてください。それから怪異被害プノイマ供出申請書。これは被害届とほとんど同じです。プノイマ供出量はこっちで査定しますから空欄にしてくださいね。それと怪異被害経理決裁書、総務部写し、教導部写し……」

 両手にうずたかく書類の山ができていく。

「ちょ、ちょっと待ってよ。これみんな私が書くの?」

「そうですよ。ここにはコピーを取る手段がないから全部手書きです」

 伊福くんは事務的な口調で言う。

「だからって何で全部私が。決裁書とか普通あんたたちが作るもんでしょ」

「当事者が書くのが一番間違いがなくて手っ取り早いですから」

 積木を積むように伊福くんは書類を重ねていく。

「さて最後に必要書類全部提出確認書類。これは氏名を書いて丸をつけるだけだから楽ですよ」

「うええ」

 げんなりしながら書類を見下ろす。後で三淵くんに手伝ってもらおう。

「しかし今回は結澄さんが物を壊さなくて良かった。壊してたらこっちで弁済申請書を書かなきゃいけないところでした」

 伊福くんが明るく笑い、私の心は暗く沈んだ。

「あなた経理部なんだから書類仕事得意でしょ。ちょっとくらい手伝ってよ」

「それはできません。ご本人に書いていただくのがルールです」

 経理らしく融通が効かない……と思った時に気がついた。

「そういえば経理の人がどうして来たの? 待てよ、結澄さんも教導部って言ってたよね。何で警備部じゃないの?」

 市外から来襲する怪異に対応するのは警備部の仕事のはずだ。さっき市役所に電話した時も警備部を回すとか言っていた。教導部は嘆きの川から来る人、忘却の川に向かう人の案内が業務だし、経理はPCがないからそろばんを弾いているくらいしか頭に浮かばない。

「それはですね」

 伊福くんは手慣れたふうにうなずいた。何度も同じ説明をしているのだろう。

「まず結澄さんですが、教導部の中には、既死者の受け入れや送り出しの際、怪異に襲われた場合に応戦するための、教導特殊課というものがあります。特殊課は人数が少ない分、個人の技能に優れた人が多いんですよ」

 言われてみれば結澄さんは特殊課なんとかと名乗っていた。 

「結澄さんは中でも特に強い。津村さんという方と二人で教導部のツートップってよく言われますね。でも僕に言わせれば結澄さんの方が断然強い。強いしかっこいい!」

 伊福くんは急に一人で熱くなった。

「はあ。……かっこいいといえば、あの服装は教導部の制服なの?」

 私は結澄さんの和装を思い出して聞いた。

「いえ、教導部には特に服装規程はありません。あれは結澄さんの趣味です」

 どうやらかなり個性的な人らしい。

「教導部はそんなところで、次に僕の方。経理部には、プノイマの予算編成を行う主計課の他に、プノイマの使用を管理する運用課があります。僕は運用課の防災係で、有事の際に警備部や教導部にプノイマを補給するのが仕事です。今はほぼ結澄さんの専属ですが」

 話しながら伊福くんはスクールバッグに手を伸ばし、木刀を引き抜いた。

「この木刀にはエネルギー変換されたプノイマが込められています。だからさっき怪異に攻撃を通せたんですよ。消耗が早くて何本も予備がいるのが欠点ですけど」

「へえ、じゃあ私も護身用に一本貰っとこうかな」

 私が手を伸ばすと、伊福くんは首を振って木刀をバッグに戻した。

「ダメです、素人が持っても危なっかしいばかりで。結澄さんの身体能力があるからあんなふうに扱えるんですよ」

 伊福くんは「結澄さんの」を強調して言った。この子は結澄さんの話になると熱が入る。それでちょっとからかいたくなった。

「結澄さん、かっこいいよね」

「そうでしょう」

「きれいだしね」

「そ、そうですね」

 伊福くんは少しどもった。初々しい。

「憧れるなあ。今度市役所に会いに行こうかな」

「え? ……でも彼女忙しいですから、お礼なら伝えておきますよ」

「いいじゃない、ちょっとくらい。私は直接お礼を言いたいの」

「そういう人、たくさんいますから」

 伊福くんは私を遮るように目の前に立った。

「だから僕が代わりに」

「でもあなた経理部でしょ。教導部と関係ないんじゃない?」

「でも専属だから」

「あなたたち付き合ってるの?」

「なっ⁉︎」

 伊福くんは飛び上がった。

「そっ、それは関係ないでしょう!」

「関係あるよ。付き合ってないなら私が結澄さんと何したってかまわないでしょ」

「な、な、何したって何ですか!」

 噛みつきそうな表情になって伊福くんは言う。

「だからお礼に行くって言ってるじゃない。ああ楽しみだなあ、おみやげ何持って行こうかなあ、玉龍堂のラスクがいいかなあ」

 玉龍堂というのは名前はすごいが近所にある普通のパン屋である。ラスクは売れ残りで作っているので安い。

「もう勝手にしてください!」

 伊福くんは荒っぽくスクールバッグを肩に掛け直した。

「じゃあ僕は他の場所も回らなきゃいけないんで」

 言い残すと大股で去っていく。反抗期の中学生みたいだ。あっちでそれなりに人生を積み重ねただろうに、ここでは皆が外見並みの振る舞いに戻っているのは何故だろう。


 伊福くんの後ろ姿が角を曲がって見えなくなるまで見送って、私は小さなあくびを一つした。とりあえずどたばたは一息ついたようだ。

 ガラスや木片を店の端に集めてからシャッターを閉め、店内に散らばった本を拾い集める。本の被害が少なかったのが不幸中の幸いだ。

 一通り片付けが終わると急に頭が重くなり、自分がまだ酔っているのがわかった。しまった伊福くんにはバレてるな、結澄さんには気づかれてないだろうからまあいいか、と思いながらのろのろ二階に戻る。あとはまた泥のように眠った。

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