第42話 取引内容

「なあ、待ってくれ。別に俺はアンタと敵対――」


 兼智が受付から慌てて飛び出し、佐那へ命乞い代わりの弁明を行い始めるが聞き入れてもらえる筈も無かった。夏奈の件といい、この施設を無断で所有物にしている件といい、暗逢者の取引といい、看過していい物ではない。何より探りを入れてきた龍人にまで危害を加えた以上、追及されると困る何かを隠しているのは明らかである。この兼智の態度から見ても明らかであった。


 お忙しいところ申し訳ありませんなどと、丁寧な対応で接しても誤魔化されてしまうのがオチであろう。より確実に聞き出す手段を取らざるを得ない。シンプルである。自分の身の安全と情報、どちらを取るか秤にかけて選ばせればいいのだ。佐那は行動を決めると、近づいてきた兼智の右脇腹へ躊躇いなく自分の拳を放つ。指の骨の食い込み方と感触の柔らかさが、一番いい所に入ったぞと彼女に知らせてくれた。


「グェッ…!!」


 唸り、えづいた兼智の襟首を掴み、続けてカウンターに後頭部から叩きつける。一度叩きつけた際に襟首から手を離し、更に掴みやすい頭部を両手で掴み直してから何度もカウンターへ打ちつけた。あまりにも速く、そしてこっぴどい不意打ちであったのか、兼智も抵抗できずにいる。やがて相手の抵抗する力が弱まった頃合いで、佐那は兼智のだらりと伸びていた左腕を抑え、その掌を隠し持っていたナイフで突き刺した。


「ギャアアアアアア!!」


 掌を貫通し、カウンターに刺さったナイフの方を見ながら兼智が絶叫する。抜こうとするが、佐那がナイフを抑えているせいで引っこ抜けない。その上、黙れと言わんばかりに裏拳で顔面を殴られた。その隙に林作は、一度だけ素早くパソコンに備わっていたキーボードをタイプしたが、すぐに彼女の行動へと注視し直す。


「黙れ」


 悶える兼智を咎めた佐那の眼差しからは、何の感情も読み取れない。恐ろしく平然としていた。殺意すら抱いていない。相手を殺したいという欲望が強まるのは、相手が自分と対等の生物であり、負の感情を生み出す元凶として憎悪するからである。佐那にとっての兼智はその様な相手ではない。庭師が邪魔な木の枝を鋏で切り落とすのと同じように、排除すべき対象ではあってもそこに憎しみは無い。


 長い人生を生きていくにあたって、必要とあらば戦場に赴く事もあったし、勿論汚れ仕事も請け負ってきた。その結果として形成された奇妙な価値観であった。敵として、特別な感情を抱くまでも無い相手にすぎず、命として扱う必要がない。兼智もその考えを感じ取ったのか、痛みに耐えながら声を押し殺すしかなかった。「邪魔だから消そう」と思われないため、機嫌を損ねない様にするしかないのだ。


「功影派。聞いた事は ?」

「お…俺は雇われただけです。監視カメラと、電気の配線について詳しいからって理由で仕事貰ってるだけで…それ以外は何も」


 兼智に向けた物と同じ視線を佐那から浴びせられ、林作は震えながら予め用意しておいた嘘を捲し立てる。自分だけでも助かるつもりなのである。


「言え…全部言え !」


 だが、兼智が必死に林作へ頼んだ。ナイフに少しづつ力が加えられ、掌の傷口を広げられようとしている事が痛みで分かったからである。バレていた。


「と…取引相手です」

「つまりあなたは今、私に嘘をついたのね ?」


 佐那はそう言うと、一度ナイフを引っこ抜く。だが、今度は腕の腱のある箇所へ深々と突き立てた。躊躇いが無い。再び兼智が悲痛そうに泣き叫んだ。気に入らない回答があるたびに、目の前でこの仕打ちを見せられる羽目になるぞという、ある種の脅しとも取れる行動であった。


「次の質問、取引の内訳は ?」

「暗逢者と…ついでに…その…ある品物を。いや、寧ろ…最近はそっちがメインというか」

「説明は見ながら聞くわ。どこにあるの ?」

「映画館の劇場に保管してます…施錠とドアを少し改造してるんで、俺じゃないと開けられない様になってます」

「案内しなさい」


 兼智のみを案じてか、林作の応答は素早かった。すぐに受付から出て来ると、お目当ての代物を保管してる場所まで案内役を買って出る。兼智に刺さっていたナイフを乱暴に引き抜き、うずくまっている兼智の尻を軽く蹴って佐那は前を歩くように指示を出した。借りのある相手を背後に立たせて良かった試しが無いのだ。


 散らかっている廊下を歩き、最近まで使用された痕跡のあるスクリーン達を素通りし、灯りの無い暗がりの果てへと一同は辿り着く。奥は行き止まりになっており、廊下の両側面に一つずつ扉が備わっている。林作は右手にある扉の方を向いて、自分の持っていたライターをドアに描かれた結界へかざした。すると結界は塵となって消失し、それを確認してから林作はドアを開ける。


 だが、佐那はなぜか入ろうとしない。不意に背後から嫌な気配を感じ取ったのだ。すぐさま蛇進索を発動し、霊糸を反対側にあった扉の先へと潜り込ませようとするも、その目論見は失敗に終わる。大量の札が、扉の上に描かれた結界に重ねるようにして無造作に貼られていた。麻精札と呼ばれる、興奮状態にある生物を宥めるために使う代物であった。なぜか甘い臭いが仄かにする。霊糸が阻まれてしまったのだ。


「この扉は ?」


 やろうと思えば強行突破も出来るが、佐那は敢えて尋ねた。


「暗逢者を保管してます。ちょっと今いるのは、ヤバいやつなんで…」


 先程の光景を見せられた以上、次は自分が同じ仕打ちを受けるかもしれない。そう思っていたのか、林作はやけに正直だった。それにしても不気味なぐらいである。そのまま劇場の中へ入って行く事になったが、背後から静かに蛍火が近づいてきている事に、佐那は気づいていなかった。先程、林作がパソコンを利用した遠隔操作で、こっそり別室に設置していた檻を開けて解放したのだ。


 そんな事など知る由もなく、佐那達は埃っぽい劇場の内部へ足を踏み入れる。座席がすべて外され、大きな階段のようになっている室内には大量の木箱が積まれていた。


「よいしょ」


 なぜか部屋の奥にまで歩みを進めた林作が、目についた木箱を一つ開ける。わざとらしく雑に蓋を放り、木材が床に当たったお陰で渇いた音が少しだけ響いた。


「これです」


 やがて林作が目の前からどき、彼の隣に佐那は立って木箱の中を覗く。小さな黒い球体が、木箱の中に敷き詰められていた。

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