第2話 騎士モチェニーゴ
私はセルバ市の大通りを闊歩する。
修道院のあるシルリーの町から馬車に乗って数日、セルバ市に到着したのが今日の昼前のことだった。
セルバ市はセルリア地方の中心都市であり、かなりに栄えている。
シルリーの町と違って、大きな通りは石畳で、端には排水口も備わっていた。明け方に雨が降った様子があるのに水が溢れたり、ぬかるみで泥だらけになったりせずにすむ。
交通の要衝でもあるので、人通りも多いし、商いは活発だ。その一方で文化の中心である都のヴェヌージアからは距離がある。
もともと都には叔父がいるので私は出向くつもりはない。
そこまで悪辣では無いと思いたいが私が野垂れ死んでいないと分かったら、なにか陰謀の手を伸ばしてくる可能性は考慮しなくてはならなかった。
相続財産が1サンスたりとも減るのを許せない超のつくほどドケチな男だ。しかも性格は陰険。父も変わり者だったらしいが、まだ常識人の範疇の留まっていたと母から聞いている。
栄えてはいるが都からは遠く文化が遅れているセルバ市は、これから私が第二の人生を始めようというのにはうってつけだった。
私はどうやら探していた家を見つけ出すことに成功する。大邸宅と言えるほどは大きくはないが表通りに面した居心地の良さそうな家だ。
母の手紙と見比べ、通りの名前と番地を再度確認する。
ドアをノックして固唾を飲んで返事を待った。昼食を取らずにやってきたせいもあって胃がきゅっとなる。
「どなたかな?」
低い落ち着いた声が聞こえてほっとした。
「モチェニーゴさんですね。私はアンジェリーナ・オルシーニと申します。母のナタリアを御存じと思います」
扉が開かれて長身の男性が現れる。髪は既に真っ白だったが年老いたという印象は全くさせない紳士が私を見下ろした。肩幅は広く力強さを感じさせるが粗野な感じはしない。澄んだ青い瞳が見開かれた。
「おお。これはナタリアお嬢様に生き写しだ。さあ、お入りなさい」
扉を大きく開いて私を迎え入れる。
モチェニーゴさんは奥に向かってよく通る声を出した。
「セシーヌ。ナタリアお嬢様の娘さんがお見えだよ」
その声に応じて品の良い女性が現れる。どことなく感じが似ていた。
「あらあら。まあまあ」
私は応接間に通される。感じの良い調度品が置かれていて、壁には私によく似た娘が描かれた一枚の絵が飾ってあった。
若いころの母だろう。理知的な容貌で長い黒髪を編みこんで片側から垂らしている。手にしているのが分厚い赤い革の背表紙の本というところが母らしかった。
勧められた椅子に座りお茶の饗応を受ける。
しばらく母の思い出話をした後にモチェニーゴさんは切り出した。
「それで、ナタリアお嬢様の忘れ形見がこの老いぼれを訪ねて下さったのはどういうわけですかな?」
私は単刀直入に今の状況と私がこれからやろうとしている計画を話し、それに対する協力を求めた。
「母の施してくれた教育のお陰でなんとか一人でやっていけるとは思います。ただ、若い女の身の上では侮る方もいるでしょう。モチェニーゴさんに私の後見人をお願いしたいのです」
「ふむ。うら若き乙女に助力を求められては騎士たるもの助力は惜しみません。ましてやナタリア様のお嬢さんだ。それで、おっしゃっている計画に反対するわけでは無いのですが、叔父上に対して財産の帰属を争うつもりは無いのですかな?」
「幾ばくかの化粧料を取り戻したところで、きっと叔父からは交換条件としてろくでもない縁談を押し付けられるでしょう。どこかの貴族の奥方になると言えば聞こえはいいですが、籠の中の鳥には変わりありません。私は自分の力で自由に生きたいのです」
モチェニーゴさんはセシーヌさんと顔を見合わせる。この世代の人にはこういう奔放な生き方は歓迎されないかもしれなかった。私は微笑みを浮かべながらも背を伸ばす。
セシーヌさんは一言。
「あらあら。まあまあ」
モチェニーゴさんは相好を崩した。
「聞いたかい。セシーヌ。姿だけでなく言うこともお嬢様そっくりだ。あいにくとナタリア様は意志を貫くことができなかったが……。いいでしょう。余人ではなく、このモチェニーゴを頼って頂いたことは後悔させませんぞ」
私は心の中で安堵しながら上品に軽く頭を下げる。
「モチェニーゴさん。お引き受け下さりありがとう存じます」
「いやいや。老後の楽しみが増えて私も喜ばしい限りです。そうだ。今後はモチェニーゴとお呼びください」
「かなり年配の方に対してそれでは失礼ではありませんか?」
「なんの。その方が周囲にむしろ話が通しやすい。私にとってアンジェリーナ様は主家筋にあたるとはっきりさせた方がいいでしょう。このモチェニーゴ、剣を取ってはまだまだ若い者には負けないつもりです。アンジェリーナ様を粗略に扱うことはこの私に剣を向けることと同じ。それと知って愚かな真似をする者はまずいませんよ」
「あらあら。まあまあ。お兄様張り切りすぎですわよ」
セシーヌさんが優しい笑みを浮かべる。
このような頼りがいのある人物にいざというときに助力を得られるように手配していてくれたことを私は母に感謝した。
「それで、お店を開かれるということですが、それには先立つものが必要ですよ」
私は旅行鞄を開け、二重底の下から宝石を取り出す。
小指の先ほどのルビーが窓からの明かりをうけて煌めいた。
「こちらを売って資金を作ります」
「よろしいのですか?」
「いいのです。しょせんは石ころ。持っていても何の役にも立ちません。お金に換えて有効活用したほうが死蔵するより何倍もいいでしょう」
「分かりました。信頼できる宝石店があります。そちらにご案内しましょう」
「よろしくお願いします」
「それで、当面の住処はお決まりですか?」
「いいえ。どこかお勧めの宿があればそれも教えて頂けると助かります」
モチェニーゴさんがセシーヌさんの顔を見る。
セシーヌさんが首を縦に振った。
「差し出がましいかもしれませんが、宿を使うぐらいでしたら、私どもの家にお泊り下さい。多くの者が出入りする宿よりは落ち着けると思います。それに色々と今後の相談もしやすいでしょう」
そこまで甘えていいのだろうか。逡巡したが、宿にはトコジラミが出ることがあるとの言葉に、結局私は二人のお世話になることにした。
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