三、歪み

 有紀を探しに宮田家を後にしたオレは一度自宅に帰った。荷物が邪魔だからだ。買った本をはじめとした荷物は置き、スマートフォンと財布だけワンショルダーバッグに入れることにする。

 有紀の傘の持ち出し許可は晴香さんの目配せでもらった。有紀の傘を持ったまま自宅へ到着。母親の驚いた顔を横目に見つつ階段を上がる。本を机の上に出し、荷物の軽量化は終了。一度、有紀の動向を落ち着いて考える。

有紀が持って行ったのは帆布のショルダーバックのみ。中身は分からないが、スマートフォンと財布ブライはあるだろう。だが、この雨の中傘置いていったのだから雨が凌げる場所にいると考えるのが自然。友人の家、店の中あるいは。有紀はオレと同じ烏丸学園高校に通っているが、コースは違う。絶対に同じクラスにならないし、教室もどうしても遠くなる。高校からの交友関係は分からないが、宮田家付近に住む友人で心当たりは二人。まずはそのうちの一人、オレの彼女でもある麻結に連絡を入れる。

 電話を数回コールするが出てくれない。メッセージアプリで状況を打ち込み、送信。もう一人の心当たりである河原かわはら奈緒なおさんにも電話をかける。切ろうかと思ったところで出てくれた。


『何?』

「急にごめん、ちょっと聞きたいことがあって」

『…なんかあったの?』


 声で何か良くないことがあったと察してくれたようで、聞く体勢になってくれた。


「有紀が家を飛び出してったんだ。河原さんのところに行ってないかと思って」

『来てないわよ。てか、家飛び出してったって有紀んちから?』

「うん。傘持たないでい走ってったからあんまり時間が経つと…」

『体が冷える、ってことね。何が何だか分かんないけど、良くない状況なのね?あたしも探すわ』

「ありがとう」

『麻結んとこは?』

「電話でないからメッセージ飛ばした」

『分かった。いったん切る』

「うん」


 切ると言ってから切れるまでの間にかすかに「ちょっと出る」という声が聞こえた。本当に探しに出てくれるようだ。しかもすぐに。

 メッセージアプリの方も念のため開くと麻結からの返信が来ていた。河原さんから「いない」と言われたことを打ち込む。


『有紀が家出?した。麻結のところに行ってない?』

広瀬麻結「ううん。来てない」

広瀬麻結「私も探してみるね。奈緒には聞いた?」

『聞いた。いないみたい』


 あまり時間が空かずに既読が付いた。そして、


広瀬麻結「分かった。私も探す」


  ◇


 三人でバラバラに捜索開始。有紀が転校してから使っていなかった三人のグループトーク「烏の部屋」をそのままにしていて助かった。各々調べたところといるかどうかを簡単に打ち込んでいく。近所のスーパーは三店舗とも不在。駅の中、不在。駅内のコンビニ、不在。駅前の本屋、不在。喫茶店黒鳥、不在。近場の公園も覗くが、雨を凌げるようなものが無い。

 中学校の近くも見て回る。ふと気になって通学路と反対方向に行ってみた。こちら側にはオレ達はあまり向かわない。繁華街とは逆方向だからだ。不意に気配を感じた。有紀が近くにいるときに感じるあの嫌な感じ。反対属性の気配。気配を辿って移動すると小さな公園があった。今ではあまり見かけないドーム型の遊具。あの中なら雨も凌げるだろう。

 ぬかるみに足を取られないように慎重に歩く。遊具の中を覗くと、見慣れた癖のある栗毛が見えた。

「こんなところにいたのか、有紀」


  ◇


 グループトークで二人に報告を入れる。既読はすぐについた。河原さんは「見つかったのね。じゃ、帰るわ」とそっけない文章だったが心配していたのは明らかなので、お礼を言っておく。麻結は「後で何があったか教えて」とのことだったので報告を約束してスマートフォンを閉じた。遊具の中に入ってからスマートフォンをオレがしまうまで、有紀は何も言わなかった。

「有紀、風邪ひく前に帰ろう」

有紀は何も言わない。

「有紀」

「嫌や」

「何で」

「帰りたない」

 いつもの元気がどこに行ったのかと思うほどか細い声だった。

「アタシは、アタシは…。お母ちゃんにとってどうでもええもんやったんやろし」

 晴香さんにとって有紀がどうでもいい者?そんなことないだろう。今まで二人きりの家族だったのに。

「何でそんな…」

「そうやろ!何も話さんと、何にも…」

 鼻をすする音が遊具の中を反響する。涙が、決壊した。

「おっ、父ちゃんのことすら、話さ、へんかったのにっ、弟、なんて…」

 不意に中学三年生当時に広瀬家で仏壇を見た有紀の反応を思い出した。父親が死んでいると晴香さんから聞かされていた有紀。にもかかわらず自宅に仏壇やそれに類するものはなかった。有紀がちょっと調べてみると言ってからその後を聞いていなかったが、存命だったのかもしれない。

「お父さん、生きてたのか?」

 オレの言葉にこくりと頷く有紀。つんのめりながら有紀は話す。

「前、お母ちゃんが夜、電話しとったんを、聞いた。相手、男の人やった。アタシのこと、話しとった。元気?とか。アタシがもう、寝たと思うて、電話しとった」

 つまり、有紀が寝静まった後に父親と思しき人物と電話していたのを聞いたらしい。有紀のことが話題に上がっていたのと、実際にその会話を聞いた有紀がそうだと思ったのなら、もっとそれらしい会話をしていたのかもしれない。

「アタシ、何も、知らん。お母ちゃん、話してくれへんッ」

 父親のことすら真実を話さない母。その上双子の弟までいた。

「もうッ、アタシ、信じられん!」

 この状況で無理やり連れ帰るのは酷だ。とはいえ、このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。せめて身体を乾かさなくては。

「風邪ひくかもしれないから、移動しよう。着替えないと」

「…分かった」

 そこからは、有紀が自分で連絡を取った。麻結に泊めてもらえないか連絡し、晴香さんに電話を入れた。その時にちらりと見えた帆布のショルダーバッグの中身。雨に濡れ、歪んだスケッチブック。オレの目にはそれが嫌に鮮明に映った。オレは有紀に傘を渡し、広瀬家まで送った。オレはオレにできることはしたつもりだ。それでも内には無力感しかなかった。他に何かできることはないのだろうか。

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