第24話 彼女の過去

――真紀さんの話――


 平谷君は京子が、レズビアンだっていうのは知っているのよね? まああんなに大々的に発表されてしまったものね。京子が昔、何があったのかを簡潔に話すとね、あの子は、中学二年生のころにひどいいじめにあったの。その中でいじめの発端になった原因があの子だったの。平谷君は感じなかったかもしれないけど、月下さんは、物事を自分のせいだって考えるのが苦手な子でね。あ、なんとなくそんな気がしてたって? そう。そう思ってくれてるのなら、きっとこの話を聞いても京子の味方でいてくれるわね。


 本当は、この話をしっかり今の先生にもしておくべきだったのよね。でも、京子がそれを嫌がったのよ。あの子は、乗り越えたかったんでしょうね。あの子の心をいまだに苦しめていた過去を。京子の決意を聞いて、私は月下さんが同じクラスに来たことを聞いても何も先生に言わなかったわ。でも結局乗り越えることはできなかったのよね。本当に母親失格だったわ。転校の話を聞いたときから、京子の意見を無視して、しっかり京子と月下さんの関係を担任の先生に伝えられていればこんなことにはならなかったのにね。


 これ以上私の後悔を話しても仕方ないわね。本題に移るわ。そもそもなんで月下さんが、京子をいじめる発端になったのかって話よね。昔はね、京子と月下さんは、中学一年生のころクラスも一緒で大の仲良しだったの。本当にいつも一緒に遊んでたわ。だからこそ、京子は、思ったんでしょうね。この人ならきっと、自分の秘密を打ち明けても友達でいてくれるって。でもね。結局彼女は受け入れてくれなかったの。やっぱり世の中がどんなにセクシュアルマイノリティーを受け入れるものになっていっても、それで日本中の人々の思考が変わるわけじゃないのよね。


 それから二人はずいぶん疎遠になったわ。二年生になってもクラスは一緒だったけど全然話さなくなってしまった。京子はずいぶん落ち込んでいたわ。やっぱり辛いに決まっているわよね。今まであんなに仲が良かった友達が、自分がほかの人と少し違うってことだけで嫌われてしまうんだもの。でもね。それだけなら別に良かったのよ。それだけで、精神がボロボロになるほど、娘はやわじゃないもの。あの子を本当に傷つけたのは、中学二年生の時に起きたとある事件よ。


 とはいっても、別に今回起きたことと何か変わるわけじゃないわ。むしろ全く一緒のことが、中学校でも起きたのよ。当時月下さんが好きだった男の子が京子のことが好きだったの。それに怒った月下さんが、京子がレズビアンであることを、その男の子にばらしたのよ。


 それでその男の子がまあプライドの高い子でね。京子に振られてイライラしているときに、月下さんがその情報を教えちゃったからもう大変だったのよ。どんなことになったかっていうと、その男の子は、腹いせにクラス中に京子の秘密を言いふらし始めた。そしてさらにいじめが始まったの。


 最初は本当に気づいてあげられなかったわ。あの子は強い子に産まれちゃったから、いじめられていることを親や先生に言おうとしないの。でも、さすがに色々な物の紛失が多すぎることに気づいて、京子に問いただしたらやっと白状した。本当に親を頼るのが遅すぎるのよあの子は。


 いじめが分かってから私は、すぐに先生のところに相談しに行ったわ。でも担任の先生は曖昧な返事を繰り返すだけで、全く動いてくれなかった。むしろどんどんいじめはひどくなっていった。京子は、学校が怖くなって休むことが多くなったわ。今でも時々遅刻してくるでしょ? あれは、京子に根付いている学校への恐怖心が原因なの。まあ、事情の知らない人には、さぼっているように見えちゃうんでしょうけど。


 京子は、学校だけじゃなくて人にも恐怖を示すようになった。ずっと彼女は、『誰に何を思われているかわからない、怖い。自分が嫌いで、何にも自信が持てない』ってよく言っていた。お父さん、京子の父親ね、彼もこれはさすがにまずいって感じて、家族で引っ越すことを決意したのよ。そしてちょうど中学二年生が終わったタイミングでここに引っ越して京子を転校させたの。この近くに結構校則の緩い古橋中学校ってあるでしょ? 京子はあそこで残りの中学生活を過ごしたの。


 だけど、新しい学校生活が開始しても京子の対人恐怖症は治らなかったわ。だから私は、京子に言ったの『いい? 京子。せっかく転校してきたんだから、あなたは目いっぱいここで学校生活を楽しみなさい。勉強とか、別にいい高校に行こうとしなくていいから。あなたはここで大好きなものを見つけて、それを目一杯楽しむの。そうすればきっと、あなたは自分のこともきっと好きになれるはずだから。自分らしい自分が見つかるはずだから』って。


 すると京子はああいう格好をして、ギターを弾くようになったの。『AFTER CUT』だったかしら? 昔からあの子はあのバンドの曲が好きだったのよね。きっと今の格好も、好きなものと自分を近づけて、自分嫌いを克服したかったのかもしれないわね。とにかく朝から晩までギターを弾いて、ちょっとだけだけど友達もできて、少しずつあの子はあの子の青春を見つけ始めたの。普通の親なら娘が非行に走ったって思うのかもしれないわね。でも、私はそうは思わないわ。だってあんなにあの子の笑顔が増えたんだもの。あれが娘にとっての幸せなら私は応援する。


 それから笑顔であの子は、中学校を卒業して、高校に進学したわ。もちろんあんな服装だったから、相変わらず友達は少なかったけど、でも、平谷君や東根君っていう素敵な友達ができた。だから、もう京子の心配はしなくていいと思ったんだけどね。どうしてこう、神様は残酷なのかしらね。




 真紀さんは、目を伏せながら、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。かすかに震える彼女の手が、カップに写る水面を震わせていて、そこから彼女の怒りややるせなさが見て取れた。


 僕はそんな彼女にかける言葉を慎重に選びながら、彼女へ言った。


「そうですか。知らなかったです。色々なことを、彼女は乗り越えてきたんですね。あの、よければ中学校のころの写真とか見せていただくことってできますか。当時彼女が、どんな感じだったのか知りたくて」


 彼女は、僕の言葉を受けて少し不思議そうな顔を向けた後、答える。


「そう? 確かあそこの本棚に、京子の転校した後の中学校の卒業アルバムがあったと思ったから取ってくるわね。ひょっとしたらこれも京子に怒られるかもしれないけど、まあその時はその時だしね」


 彼女は、少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべた後、星見さんの卒業アルバムを取ってきてくれた。真紀さんがする星見さんの話を聞きながらのんびりとページをめくる。そこには、星見さんの黒髪だったころの姿や、今とは違った髪色に染めた姿など、僕が今まで見たこともないような星見さんの姿があった。あの星見さんにもこんな時代があったんだなと、ページをめくるたび、どこか温かな気持にさせられる。


 しかし、僕が星見さんの母親に、急に彼女の写真を見せてもらった理由は、彼女の昔の様子を見たいからというわけではなかった。僕は気づいたのだ。真紀さんが彼女のことについて意図的に伏せている情報があるということを。理由はわからない。もしかしたら、星見さんにそれだけは僕に話さないよう口止めされていたのかもしれない。ただ、その情報を明らかにするためには、どうしても、彼女の昔の写真を見せてもらう必要があった。


 『JULY』その英単語をページの右端に確認し、僕はページをめくる手を止める。そしてそこに映る彼女の姿を確認し、呟く。


「やっぱり、長袖なんだね」


 僕は、決意を込めて立ち上がり、真紀さんに言った。


「写真見せていただきありがとうございました。もう少し見ていきたい気持ちはあるんですけど、今日はこれで失礼いたします」

「あらもう行っちゃうの? もう少しゆっくりしていってもいいのよ」

「いえ、急ぎの用事を思い出してしまったんです。今すぐいかなければいけなくて、今日は本当にありがとうございました。紅茶おいしかったです」


 僕は大急ぎで荷物をまとめて玄関へ向かった。大丈夫、きっと見つかる。そのような言葉を心の内で何度も繰り返して。


「平谷君」


 ふと、真紀さんが僕にそう声をかけたので、僕は外に出る一歩手前で立ち止まった。彼女は、優しく僕に笑いかけながら、僕に言った。


「娘をよろしくね」


 どうやら彼女には何もかもお見通しらしかった。卒業アルバムを見せてくれたのも、こちらの意図を知っての行動だったのかもしれない。うちの母親といい、やはり母はわが子のためなら本当に強い生き物になるのだと思う。


「はい行ってきます」


 僕はアパートを駆けだし、行方も知れぬ彼女のところへ向かった。

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