第11話 自分の気持ち

 昼休みはまだ続いている。職員室を出た後、僕は、学校をふらふらと歩きまわっていた。まだ弁当を食べてはいなかったが、教室に戻って海斗と食べようという気は起こらなかった。一人になりたい、ただただ今はそう思った。いつもの僕なら、昼食を一人で食べようとは思わない。だが、この瞬間に自分を見つめないならば、僕はきっと何かを逃す、なんだかふとそんな気がしたのだ。


 ロッカーに寄りかかって、恋バナなどをつらつらと話している女子。運動場で一つのボールを囲い、わいわいと騒いで遊んでいる男子。そんな彼らを三階の窓から眺めながら、のんびりと校内を散策していると、立ち入り禁止の張り紙が目に留まった。重厚なコンクリートのドアに、その紙は貼ってある。そうだ。ここは、確か屋上に行けるドアだ。


 高校生の自殺の増加や、転落事故の防止など様々な理由から屋上を立ち入り禁止にしている学校はいくつもある。そして僕らの学校も、そんな学校と何ら変わることなく、屋上への立ち入りは許可されていなかった。


 うちの学校の屋上ってこんなところにあったのか。初めて知った。僕は、灰色のドアをまじまじと見つめる。様々なドラマやアニメで描かれる屋上での青春。そういったものに憧れを抱くことはあったが、入学してからすぐに屋上が立ち入り禁止であることを知ったため、実際に探したことはなかった。


 僕は興味本位でドアノブに手をかけた。別に開けようなどとは思っていない。ただ何となく鍵が閉まっているのを確認したかっただけだ。


 ところが、予想と反してドアは簡単に僕の事を屋上に迎え入れた。鍵なんて全くかかっていなかったのだ。僕はそのことに驚いて、立ち入り禁止であることを一瞬忘れ、すたっと屋上に足を踏み入れてしまった。すると、コンクリートだけが敷かれた広々とした空間に、ただ一人立って景色を眺めている先客がいた。その先客は、ドアの音に反応すると振り向いた。


「おお、平谷君。どうしたの? ここは立ち入り禁止だよ」


 先客は、星見さんだった。僕は驚きながらも、彼女に言葉を返す。


「それはこっちのセリフでもあるよ。こんなところで何しているの?」

「いつも昼ご飯の時、ここで食べてるんだ。意外と見つからないものなんだよ」


 彼女はそう言って、足元ですでに準備されていたレジャーシートのようなものに腰かけた。『まあまあせっかくだからどうぞ』と彼女が、スペースを開けてくるので、僕もそこに腰かける。一人用のレジャーシートだったからか、思ったよりも距離が近くなってしまって、少しだけ動悸がはやまる。そんな思春期の動揺など全く気にする様子を見せずに、彼女は言葉を続ける。


「あれ、そういえば山井先生のところに言ってきたんだよね。どうだったの? やっぱり叱られた?」

「ん。あー大したことじゃなかったよ。ちょっと話したぐらいだった」


 『君のことについてだよ』そんなことなど言えるはずもなく、曖昧な言葉で彼女の質問に答えた。なぜ答えを濁されたのだろうか、そうとでも言いたげに、彼女は、長い髪を右に垂らして首をかしげる。耳たぶに着いた二つのピアスが彼女の動きに合わせてチャラチャラ音を鳴らす。その様子を見つめていると、不意に僕の口から疑問が溢れた。


「星見さんはさ。その格好はやめるつもりはないの?」


 ――あ、ちょっと感じ悪い言い方だったかな?


 言葉全てを発し終えた瞬間に、そんな不安が頭をよぎった。彼女の顔色を伺うと、少しだけ苦しそうな笑顔を浮かべた。そんな彼女を見て、僕は慌てて自分の言葉を修正する。


「あ、ごめん。別に注意したいわけじゃないんだ。ただ以前公園でなんでそんな派手な恰好をしてるか聞いたとき、星見さんは『自分の色を見つけたいから』って言ってたじゃん。それってまだ見つからないのかなあって思って」


 星見さんは、顔の傾きをゆっくりと戻すと、空を見上げて呟くように答えた。


「うーん。どうだろうなあ。私的にはもう少し探したいかなあ。後、もう少しで見つけられる気がするんだよ」

「その色探しは、みんなの評判がどれほど落ちたって、続けたいことなの?」


 きっとまたきつい言い方をしてしまっている。それは自分でもよく分かっていた。でも、先ほどの山井先生の言葉を思い出すと、どうしても自分の熱が制御できなくなる。


「星見さんだってわかってるでしょ。みんな君の格好だけで君を判断して、壁を作っている。見た目だけで、君のすべてを決めつけて、適当なことばかり言っている」


 彼女はまた、僕の方を向いて困ったような笑顔を浮かべる。違う。違うんだ。僕は決して君のことを怒りたいわけじゃない。君の髪を黒に染めたいわけじゃない。僕は、僕は――。


「僕は、悔しいよ。君の内面が見てもらえなくて。君はこんなに優しいのに」


 拳を握り締め、うつむきながら、僕は、コンクリートに言葉をぶつけた。そうだ、きっと僕は悔しかったのだ。彼女の優しさは、きっとこの学校なら僕が一番良く分かっている。『君は間違っていない』彼女のこの言葉に、僕はどれだけ救われたことか。その彼女の美しさが、彼女の外見だけで、簡単に否定されてしまう。そういった怒りがあったから、僕は教師に対して自分をぶつけることができたのだ。


「ひょっとして先生に呼ばれたのって私が原因?」


 じっとコンクリートを見つめる僕に、彼女がそう声をかけた。何も言うことはしなかったけれど、僕は静かに首を縦に振る。彼女は僕の答えを受け取ると、急に立ち上がった。そしてコンクリートに柵に手をかけ、広がる景色に、言葉をぶつけるように言った。


「私はさ。空っぽな自分に中身を詰めたいんだ」


 彼女に合わせて、僕も立ち上がり、彼女の方をじっと見つめる。青空を背景に映る彼女は、なんだかまぶしくて、僕は思わず目を細める。


「昔、自分の色がなくなったんだって感じてさ、私は、いやだったんだよ。だからさ、今、色を付けるために、こんな格好をしているんだ。『AFTER CUT』私が人生で一番好きになったロックバンド。そんな彼らに近付きたいって思った。そしてそう思うのは、確かに私の意志だったから、今私は、彼らの色をかぶってる。透明な自分に戻りたくなくて、自分が憧れた色に必死でしがみついている。きっとさ。色が見つかりそうだったら、こんな格好にしなくてもすむんだよ。髪の色が黒だったとしても、私は、私のことを、他の誰でもない私だと思える」


 彼女は、そう言って、自分の髪に指を通した。金色からほんのりと除く肌色は、するすると毛先に向かって移動していき、さらさらと、髪を優しく揺らした。


「平谷君に迷惑をかけたのは、本当にごめん。でも、もう少しだけ待ってほしいんだ。今さ。私、すごく楽しいんだよ。平谷君や東根君と遊んで、色々なことをして、少しずつ気持ちが前向きになってる気がする。だからさ。きっといつか髪を黒くしても、胸を張って自分のことを誇れるようになると思うんだ。だからそれまで平谷君には見守っていてほしいんだよ。私のわがままなのかもしれないけど」


 そう言って、彼女は、まっすぐに僕の目を見据えた。今まで見た誰のものよりも、まっすぐで真剣なまなざしだった。本気だ。彼女は、誰よりも自分自身の個性に本気で向き合おうとしている。僕が何よりも恐れ、獲得することを拒んだ個性。それを彼女は、一生懸命に、つかみとろうともがいている。


 ――きれいだな。


 思わず僕は心の中で、そんな言葉を呟いていた。


 薄々感じてはいたが、改めて彼女の言葉を聞いてみると、やはり僕の考えとは真逆だった。個性を出すことを恐れる僕と、個性がないことを悲しむ彼女。僕らが日々積み重ねている価値観は、きっとどうしようもないほど交わりようがないのだろう。しかし、いや、だからこそ、僕は彼女を、彼女の自分に対する真摯さを、美しいと思った。


 まるであのバンドの曲の再生ボタンを押すように、僕は彼女の目と対峙した。


「僕には、やっぱりそこまで星見さんが『個性』を求める理由はわからないよ。たくさんの人に見限られてまで、それを求めたいとは思えない。でも君が僕にそうしてくれたように、僕は君のことを否定しないよ。でも、一つだけ約束してほしい」

「何を?」


 彼女は、首をかしげて僕に尋ねる。僕は、ひと呼吸おいて、彼女に言葉を届ける。


「絶対に、自分の色を見つけてほしい。それまでちゃんと見守ってるから。星見さんの友達でいるから。だから僕が個性っていいなって思えるような星見さんの色を見せてほしい。そのためなら僕だって手伝うから」


 彼女は、僕の言葉をただ黙って受け止めてくれた。そして僕の言葉が終わると、くしゃっとした笑顔を浮かべて、彼女は言った。


「うん。ありがとう。ヤンキーみたいな女ですけど、これからもよろしく」


 その笑顔は、今まで見た彼女の表情の中で最も輝いていた。そして、その笑顔を見た瞬間、僕はようやく気付いたのだ。きっとそれに気付くのは、あまりにも遅すぎていたと、今では思う。いつからだったのだろうか。公園で自分の気持ちをさらけ出した時だったか。彼女のギターを始めて聞いた時だったのか。それともあの傷を見られ、肯定された時からだったのか。とにもかくにも、僕は、この彼女の笑顔を見て、ようやく自分の気持ちに気づいたのだ。


 僕は、『色』を見つけようともがく彼女が、人の価値観を認められる彼女が、僕の苦手な『AFTER CUT』が好きな彼女が、ギターの得意な彼女が、そして、親しくなった人にだけ見せるとびっきりの笑顔が素敵な彼女が、とっくの昔から好きになっていたのだ。

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