第6話 増えた繋がり

 五時ともなると、やはり昼頃よりも、人の気配が少なく、あたたかな静けさがあった。鳥が静かにさえずり、木々が、風に揺られてざわざわと葉を鳴らしている。決して人工のものではない、自然から生まれた自然の音色。その優しくて、柔らかな音たちに身を任せれば、自分が対人関係において日々負っているストレスも、少しずつ漂白されていくようだった。


 五分くらい歩いて、ようやくコンビニにたどり着く。財布を取り出し、パッケージの坊主頭の少年が印象的な、棒アイスを購入し、外のベンチに座る。冷たいもの特有の不愉快な頭痛を患わないよう注意を払いながら、一口一口、ゆっくりとソーダ味の長方形をかじっていく。しばらくそうしていると、誰かが僕に声をかけてきた。


「あれ、平谷君?」


 少し高くて、奥底からほのかな優しさを感じさせる声。その方向に振り向くと、やはりその声の主は、星見さんだった。きらびやかな日光が、彼女の耳の飾りを照らす。僕はその光に目を細めながら、彼女にあいさつする。


「あ、おはよう。星見さん。こんな朝早くに何してるの?」

「おはよう。なんかいい天気だったから、外でギターを弾きたくなったんだ。またいつもの公園に行こうと思ったら、途中にこのコンビニがあったから入りたくなっちゃって」


 彼女は、穏やかでありつつも無邪気な笑みを浮かべながらそう答えた。言われてみれば、確かに彼女は、背中に大きなケースを背負っていた。


「隣いい?」

「どうぞ」


 僕は、ベンチの端っこに寄って彼女の座る場所を確保した。彼女は、人一人分くらいのスペースを開けて腰を下ろした。


「そういえばさ、一昨日も公園であったけど、君が住んでいるところってこの辺りなの?」


 僕がアイスを食べ終わったころを見計らって、星見さんがそのように尋ねてきた。確かに一度ならともかく二度までも、こんな近所で遭遇したのだ。彼女にそういった疑問が生じるのも無理はなかった。僕は、彼女の疑問に答えつつ質問を返す。


「うん、生まれてからずっとこの辺に住んでるんだ。星見さんの家もこの辺なの?」

「そうだよ。高校に入るときにこの町に引っ越してきたんだ」


 なるほど、引っ越してきたのか。これだけ近くに住んでいるのに、今まで全く見覚えもなかったのはそういうわけか。彼女の言葉に納得しながらも、僕は質問を続ける。


「あ、そうなんだ。どうして引っ越してきたのか」

「――あー、親の転勤の都合で、仕方なくって感じかな」


 彼女は、いつものように明るい笑みを浮かべながら、そう答えた。だが僕は、彼女が僕の質問に答える際、わずかに言葉を発するのをためらったことを見逃さなかった。きっと何か言葉にするのを憚られる理由があるのかもしれない。


「そっか、大変なんだね」


 何かを察して僕は、それだけを言葉にして、この話題を終わらせた。下手に会話を続けて、彼女からのマイナス印象が、自分の腕に刻まれるのは、決していい気はしないからだ。しばらく僕と彼女の間で沈黙が流れる。柔らかに吹く春風、ゆらゆらと揺れる木々。彼女と共有する静寂の空間は、多少の気まずさはあれど、僕にとって居心地の悪いものではなかった。


「あ、そういえば」


 唐突にそう言って、彼女は沈黙を破った。僕は、彼女に『どうしたの?』と尋ねる。


「昨日さ、君にCDを一つ貸したよね。どうだった? 気に入ってくれたかな?」


 ――ああ、あれか。


 僕は、彼女の質問に対して言葉を詰まらせた。彼女から借りたCD、僕が昨晩耳にし、ひどく感情を揺さぶられてしまったCD。あのCDの持ち主に対して、僕は、どのような評価を伝えればよいのだろうか。まさか、途中まで聞いたけど、嫌になって辞めてしまったと、事実をすべて話すわけにもいくまい。


「あ、あれね。聞いてみたよ。すごくいい曲だったね」


 満面の笑みとともに僕は、そう答えた。嘘をつく、それ以外に僕にはこの質問を切り抜ける方法が思いつかなかった。


「ふーん。そうなんだ」


 彼女は、どこか不敵な笑みを浮かべながら、僕の顔をじっと覗き込む。その行為はまるで僕の嘘を心から楽しんでいるようだった。なんだ。人の顔色伺って十数年、簡単にばれるような作り笑顔をした覚えはないぞ。そのような誇り(果たして誇っていいものなのか)を胸に秘めながら、僕は、彼女の目を見る。ここで目を背けたら負けてしまう、なぜだかそんな気がして、そのまま彼女の目をじっと見つめ続ける。


 すると彼女は、まん丸にした目を急にくしゃっと細めて微笑んだ。そして、そのあとにこう言葉を発する。


「ならよかった。あれが私の大好きなバンドなんだ。覚えておいてよ」


 どうやら感情を必死で胸中に抑え込んだ甲斐はあったようだ。ほっと胸をなでおろした時、昨日の昼食でのことが頭をよぎった。


 ――ああ、そうか。僕今から、この人に連絡先聞かなきゃいけないのか。


 思わず心の中でため息をつく。そうだった。そういえばそんな約束をしてしまっていた。そして、その絶好のタイミングが、星見さんと偶然二人きりになった今であるということは疑いようのない事実である。しかし、先述の通り人の顔色を窺い続けて十数年、もちろん今まで誰かの連絡先など伺ったこともない。最も世話になった親友のためとはいえ、どう言葉をかけたものか。


 そのような考えに頭を縛られていた時、彼女が唐突に言った。


「あ、そうだ。連絡先交換しようよ」

「え?」


 僕は思わず間の抜けた声を発した。どのようにして伝えれば下心が出ないのか、僕が発するまでに苦心している言葉を、彼女は難なく口にした。


「あれ嫌だったかな。同じロック好きとして、連絡先を交換していたら色々便利かなと思ったんだけど」


 彼女は不安そうな目でこちらを見る。なんだよ。簡単に伝えれば一瞬だったじゃないか。僕は、自分の臆病さに辟易しながらも、千載一遇のチャンスを逃さないため、彼女に向かって言う。


「いや全然嫌じゃないよ。喜んでお願いします」


 僕は、スマホから某携帯アプリの画面を開き、QRコードを表示した。星見さんも自分のスマホを取り出すと、僕のQRコードを読み取った。髪が派手なので、スマホも派手に飾られているのかと思ったが、彼女のスマホは、水色のシリコンケースに包まれているだけだった。


 彼女が僕を友達に追加すると、僕のスマホの画面にも彼女のアカウントが表示される。アイコンには、昨日のCDのロックバンドの画像があった。本当にあのバンドが好きなんだなと思う。軽はずみな気持ちで好きだと嘘をついたが、それは予想していたよりもずっと相手を傷つける嘘だったのかもしれない。


「よし、これでおっけ。あ、もうこんな時間か」


 彼女は、誰に言うわけでもなくそうつぶやいた。確かに時刻は、六時半。家を出てからずいぶん時間が経過している。ベンチの横に置いたギターを背負いなおすと、彼女は立ち上がった。


「じゃあ私は、そろそろ行こうかな。ありがとう。楽しかったよ」

「うん。僕も楽しかった。ありがとう」


 彼女は、ケースを重そうに背負いながら僕に向かって手を振り、去っていった。僕は、手を振り返し、彼女が見えなくなるまで、その後姿を、ずっと眺めていた。


「ゲットしたよ、星見さんの連絡先」


 昼休み、五限が国語なのにもかかわらず、適当に入った地学講義室にて、僕は海斗にそう伝えた。海斗は、野菜炒めを掴んだ箸を止め、こちらの方をじっと見つめた。


「ほんと?」

「うん、ほんと」

「いや、そっか。それはありがたいわ」


 海斗はなんでもないような顔を浮かべつつも、口角が上がるのを抑えられないようだった。ばればれのポーカーフェイスを浮かべている、どこか残念な親友に対して、僕は言った。


「で、ここからどうする? この連絡先、海斗に送ればいい?」

「えー、それは早くね?」


 上げた口角を崩さぬまま、海斗は、首をかしげながらそう答える。『そんなんだから彼女ができないんだよ』と、危うく本心を表に出しそうになるが、僕は必至でそれをこらえた。


「じゃあ海斗はどうする気でいるの?」

「なんかあれだよ。一回お前と、俺と、星見さんでご飯に行けば、俺から連絡できそうな気がする」

「そのご飯の誘いをするのは誰がやるの?」

「まあ任せるしかないんだけどさ」

「ほー」


 何となく僕は、中学のころ彼のサッカーの試合を見に行った時のことを思い出す。堂々たる様子で相手ゴールに走り、味方から上がったパスを華麗にネットに叩き込む。そのプレーは、サッカーのことを良く知らない素人でも、息をのむほどの鮮やかさだった。その男が、恋愛になるとどうだ。連絡先を聞くのも、ご飯に誘うのもすべて人に任せようとしている。

 

 こんな男に本当にゴールなんて決められるのか。僕の呆れかえったような視線に気づいたのか、海斗は、申し訳のなさそうな顔を浮かべて僕に言った。


「いやわかってるよ。今のところお前に任せきりだっていうことぐらい。でも、これで最後だから。一回面識あれば、後は何とかするから」


 これだけ発している言葉が情けないと、せっかくの整った顔立ちが台無しである。なんだか見ていられなくなって、彼の頼みを聞き入れてもいいような気分になってくる。もしやまだ開花していないだけで、彼には意外と紐になる才能があるのではないだろうか。


「分かった、別にいいよ。でも僕だって異性を食事に誘うなんて初めてだよ。どうすればいいの?」

「まあ、和也は、なさそうだよなぁ」

「……協力してやらないぞ」

「ごめんて」


 相変わらず海斗は良くも悪くも、僕にとって良い親友だった。これだけ気軽に軽口を叩ける人間は、彼位のものである。昨日ラーメンを食べに行ったクラスメイトは、基本自分が聞き役に回るだけで、こんな風に軽口をたたき合うことはなかった。あのコミュニティは、自分の人当たりの良さだけでできた、ただのクラスの友達でしかないのだ。

 

 だからこそ、今こんな関係を築けている親友の力にはなってあげたいのだが、先述の通り、僕には、圧倒的に経験値というものが不足している。とにかく、頭の中にある知識を総動員させようとしていると、昨日駅前に行ったとき、たまたま目に着いた建物を思い出した。


「そういや駅前にあるイタリアンって新しくできた奴だよね。そこに行きたいってことを口実にすれば自然かな?」

「え? 最初にイタリアンとかハードル高くね? セレブかよ」

「いや、それは大丈夫だって。女子みんなイタリアン好きだってネットで見たよ。じゃあ行くところはイタリアンで決まりで、あとは送るメッセージを考えよう」


 僕は、スマホを取り出すと、某アプリを開いた。既視感のあるバンドマンたちが写っているアイコンをタッチし、星見さんへのメッセージを書く。『今度の休日開いてます? 新しく駅前にできたイタリアンに行きたいんですけど、よければ一緒にどうですか? 僕の友達の海斗と三人で』とりあえず、そう打ち込むと、送信する前に海斗が画面をのぞき込んできた。


「え?敬語?」

「やっぱため口の方がいいかな? でも、慣れ慣れしくない?」

「でも、敬語だと丁寧すぎるって。後、もっと絵文字使ったほうがいいよ」

「じゃあ海斗がやれよ」

「え、緊張する」


 男二人でつまらない論争を繰り広げながら、のろのろと文章を完成させる。そしてようやく程々の敬語を、程々の絵文字で彩った文章を完成させ『せーの』で送信ボタンをクリックする。


「送った」


 一歩も動いていないのにも関わらず不思議と息を切らせながら、僕らは声を合わせてこう言った。気が付くと、あと十分で昼休みも終わろうとしている。どれほど中身のない話をしてもやはり時間は、いつもと変わらず過ぎていくものらしい。


「返事どれぐらいで来るかなあ」


 海斗が、窓を眺めながらそうつぶやいた。その口調は、留守番している子どもが、母親が早く帰ってくるのを望んで発する言葉の響きと似ていた。


「どうなんだろうね。今、ライン見れる状況なのかな」

「星見さん、まだ学校来てなかったからなあ。俺たちのスケジュールは参考にならないんだよなあ」


 海斗の言う通り、今日、星見さんは、まだ学校に姿を見せていなかった。もちろん今朝コンビニで、僕は星見さんの姿を見かけているため、体調不良ではないとは思う。とはいえ今日のように今までも彼女が午後から遅れて登校してくることは何回もあった。なんでいつも彼女は遅れてくるのだろうか。思えば、あれほど聞くチャンスはたくさんあったのにも関わらず、僕は彼女の謎について何も触れようとしていなかった。


 五限目は、古文。もちろん教室での授業だ。昼休みも終わりに差し掛かっているため、僕と海斗は、弁当を畳んで、教室に向かおうとする。すると、僕のスマートフォンが、机の上で振動した。紛れもなくメッセージが届いた合図だ。僕は、机の上のスマホを慌てて手に取り、海斗とともに画面をのぞき込む。


『了解! 実は私もそこに行ってみたかったんだ!』


 海斗は、メッセージを見るや否や、わずかに口角を上げながら、僕に向かってこう言った。


「ほら、やっぱりこういう時敬語はいらないんだよ」

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