決死行 特定機密登録コード:035

永多真澄

決死行

『超重力子爆弾の再起動を確認。これで確実に起爆します』


 統合制御インテリジェンス「MALL-E」の電子音声が、外界と厳格に隔絶された狭いコクピットで微かに反響した。


「そうか……お疲れさん」


『ずいぶん落ち着いていらっしゃいますね』


「そうさなぁ。流石に感慨のひとつでも浮かぶかと思ったんだが」


 ジャン・リックは大して余裕の無い狭苦しいシートに身をもたれかけさせ、耐Gスーツの胸元から無煙タバコを取り出して銜えた。成分がそのまま肺を侵す感覚に、微かな吐き気と程よい酩酊感を覚える。作戦行動が始まって二週間、その間ずっとこの狭い筐体の中で我慢していた分をひっくるめた、文字通りの満喫である。


「なーんも浮かばねえの」


 フゥーっと煙を吐き出す仕草で息を吐いて、その意味の無さに苦笑する。それに幾分かの自嘲が混じっていたことをMALL-Eは鋭敏に感じ取ったが、それについての言及は避けた。


『筐体内での喫煙は禁止されています。職務規定A-158に抵触します』


「お前も細かいことを気にするね。いいんだよ。片道切符の決死行、復路の燃料だって積んじゃァないんだ。誰ぞ罰するものがある、ってな」


 決死行、とはまさにそのままの意味だ。敵性宇宙生物との最終決戦、人類側の切り札として次元跳躍転送された超重力子爆弾は、敵の妨害に合い機能を停止した。これを再起動させるために投入されたのが、数名の人型光速宇宙艇乗りたちからなる決死隊である。文字通りの意味での全滅もありえた特攻作戦を、奇跡的に切り抜けたのはジャン・リックのみだった。

 奇跡に縋ってまで死にに来たのだと思うと、なんとも形容しがたい可笑しさがこみ上げる。超重力子爆弾の効果威力範囲は銀河系の半分。それを飲み込むのに要する時間は1×10^-64秒。たかだか光速の101%程度しか速度の出ない人型光速宇宙艇では、どうあがいても逃げ切れるものではない。それを織り込み済みで挑んだのだから、いまさら慌てることも無いのだ。

 MALL-Eはそれでも、と続けた。


『私の製造されたJAPANの宗教観では、生前の素行不良者は地獄へ送られ永劫の苦しみを味わうそうです。ENMAの心象を鑑みて、最後くらいは素行良くしてもよろしいかと』


 ジャン・リックは「フハッ」と間抜けに吹き出した。


「まさかお前にそんなセンチメントがあるとは思わなかった。ずいぶん笑わしてくれるが、その心は?」


『臭いがつきます。私とて、最期は身奇麗でいたいのです』


 ジャン・リックは堪らず大笑した。無煙タバコを携帯灰皿に押し付け、腹を捩って笑うジャン・リュックの姿に、MALL-Eは少し困惑したように尋ねた。


『貴方は死が怖くないのですか?』


「ン……そういう感覚はもう無いな。そもそも今、生きてるのが不思議なくらいなんだ。だろ? だからここ一番で俺の命を使えるなら、それは本望なのサ」


 ジャン・リックはキザったらしく言葉を飾る。それでもその言葉に気負いはなく、それは一層MALL-Eの困惑を深めさせる。

 MALL-Eは搭乗者であるジャン・リックについて、データで表される部分については全てを把握している。しかし精神性だとか、矜持だとか、そういうファジーな部分については1割も理解できていないことを自覚していた。

 加えて、MALL-Eには、この時代の一般的な常識というべきデータがインプットされている。それに照らせば、ジャン・リックから得られる各種バイタルの平坦さ、落ち着きようは異常に思えた。


『それは諦めですか?』


 MALL-Eは事ここに至って、ジャン・リックの精神性について興味を持った。彼と過ごした時間は長い。それだというのに何も知らないまま終わるというのは、ひどく惜しいように思えたのだ。それは戦闘行動に思考リソースを割く必要がなくなった故の余裕によるものなのかもしれない。考える必要の無いことまでをも考えてしまっていることについてMALL-Eは自覚的だったし、自覚的であるが故に知的欲求を抑えるのは難しかった。


「どうだろう。諦めというよりは、達成感だな。こいつが動けば、リューつまサッカウむすめの仇もとれる」


 ジャン・リックはモニタに大写しになっている超重力子爆弾の外殻、そのパネルラインの奥から漏れる淡い燐光を見ながら、薄らと笑んだ。満ち足りたような穏やかな笑みは、しかし薄氷を踏むような危うさがあった。狂気とひとことで表すには足りない激情を、ジャン・リックは分厚いプラスの感情の下敷きにして、気づかないふりをしている。それはえも言われない迫力を形成してしまって、MALL-Eを小さく言い淀ませる。


「お前は怖いんだな、MALL-E」


 MALL-Eに人間と同じような目があれば、それを見開いて驚いていただろう。ジャン・リックの確信めいた言葉はMALL-Eが抱く問題の核心を突いていた。MALL-Eが先ごろからジャン・リックに抱く強い興味は、自身に芽生えた恐怖から逃れるための方便なのだ、と否が応にも実感させられる。

 MALL-Eはあくまでプログラムである。その本体は地球のクラウドサーバ上にあって、ジャン・リックとともにあるのはあくまでその端末でしかない。

 しかしそれでも、地球とのリンクが切断されてスタンドアロン状態の分体が存在した数時間で、確かに育ってしまった自我が消失してしまうのは、演算したことも無い恐怖であったのだ。


「おまえは俺よりずっと人間的だな」


 ジャン・リックはMALL-Eの沈黙を肯定としてとって、無煙タバコのパッケージを握りつぶすとダストシュートに捨てた。


「起爆まで何秒だ?」


『――60秒です』


「そうか」


 ジャン・リュックは残った非常食の封を全部切って、ついに僅かな未練も全て断った。

 カロリーと必要な栄養素のみを極限まで追求した味はお世辞にもよろしくない。人生の終わりを見届ける供としては味気ないが、腹は膨らむ。飢えて死ぬのに比べれば、ずいぶん贅沢なことだとジャン・リュックは思った。


「そういえばJAPANの宗教観と言うと、輪廻転生リンカーネーションってのもあったよな」


 ジャン・リュックは空になった非常食のパッケージをグラス代わりにして、水タンクから直接なみなみと、こぼれるまで水を注いだ。もはや飲用水を切り詰める必要も無いからだ。こぼれた水が一瞬宙に珠をつくり、すぐに崩れて床を濡らす。超重力子爆弾の周囲には、常に一定方向に向いた重力加速度が発生していた。


『はい、記録にあります。気休めのようなものですが』


 くつくつとジャン・リックは笑って、水盃を掲げた。


「そんじゃ、また来世」


『……そうですね。次の乾杯には、私も参加したい』


 二人は笑う。こつんと水杯をコンソールにぶつけ、一息で干す。黒い光があたりを包んで。後には何も残らなかった。

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