第二十一話 絆


 膝の上の鴉は少年の脇に頭を突っ込んで隠れる素振りを見せているが、お尻を出していれば無意味である。


「名前を付けるのって良くないんですか?」


 恐る恐る問えば、白戸しろとは軽く首を左右に振った。


「御使いは神が直接作り上げる。その鴉は神と呼ばれるに至った神粒しんりゅうの集合体が目的達成の意図をもって作ったものだろう。何故そんなに実際の鳥に近づけているのかはわからないが、神には人のような雑念が一切無い分、作られた御使いはひたすら純粋に任務を遂行するし、強固に実体化するからその意図が何かによる。人に対して攻撃的な場合もある」

「目的……。主を守るため、というような事は言ってましたが。今はその主探しのために協力するように言われてます」

「それなら問題はないか……。名がつくと、より思考の方向性が明確になるというのは、あの雑誌を読んだならわかっていると思うが」

「はい。姿も名前もない漠然としたものを対象にするより、目に見える姿がある事や、呼びかける名前がある方がより明確に意思は届くという感じの事が書かれていました」

「名を付けるというのは繋がりを持つという事でもある。たっくんはその鴉に名を与える事で、使役の権利を得た事になるな」


 ヤタは少年の脇に突っ込んでいた頭を慌てて抜いて、ぐるっと白戸しろとの方を向いた。


「何にびっくりしてるんだこの鴉は。まさか知らなかったのか」

「自分こそが僕を使役してると言ってましたよ」

「残念な事に、名を付けた者が優位に立つな」


 鴉は嘴をパカーンと開けて茫然としている。本当に知らなかったらしい。つまり、本気で拓磨たくまを使役する気満々だったという事でもあるが。


「ヤタ、顎が外れちゃうよ」


 拓磨たくまが嘴をつまんで閉じさせると、白戸しろとは急に楽し気に笑い始めた。


「気が合うというなら、上手く付き合っていくのもいいだろう。その鴉はあまり知識がないようだから、ちょっと教育した方がいいな。やたらと人の体に溜まった神粒しんりゅうを吸ってはいけないという事とか」

「人の体にも溜まるんですね」

「どんな生物も、一細胞に一粒はあると言われているな。まだ観測されたわけではないが、細胞分裂に寄与してるという話もあるぐらいだから」


 白戸しろとは話をしながらヤタを持ち上げると、拓磨たくまの隣に荷物の如く粗雑に置いたので鴉は不服そうにカァと鳴いたが、男は一切意に介さない。白戸しろとにとって御使いという存在も、神粒しんりゅうという物質そのものと同等のものらしい。


「とりあえず、その悪い念を抜こう」

「僕、どうしたらいいですか」

「俺を信頼して、全てを預けて欲しい。体の中の神粒しんりゅうを動かすから気持ち悪いと思うが、その動きの邪魔をしないようにリラックスしていてくれ」


 少し怖い気がしたが、彼の事はもともと信頼している。恐らくこの人は陰陽師としてかなりの術者なのだと。

 白戸しろとに両手首を強く掴まれるが、力を抜いて目を閉じる。コツンと額に衝撃があって、首筋にかかる熱い呼気で額を合わせたのだという事がわかった。少しくすぐったいが耐える。隣でヤタがソファーの上を行ったり来たりしているせわしない爪が刺さるような足音が聞こえていたが、拓磨たくまの腰の後ろにソファーとの隙間があるのに気づいたのか、そこに体を押し込んできた。


――ヤタ、何やってんの!


 背中でもぞもぞ動く鴉が気になって仕方がない。このヤタの行為が白戸しろとの邪魔になってしまうかもしれないと思うと気が気でないというか。でも声を出すのも体を動かすのも良くない気もするしで、どうにもならない。

 狭い隙間にぐいぐいと押し込まれる体に、パジャマの裾がめくりあがり地肌に羽毛が触れて滅茶苦茶くすぐったい。


 意識はすべて背後のヤタに持っていかれ、ほんの数分であろうに永遠に感じられた。ついにはフッと笑う気配がして白戸しろとが離れ、掴まれていた両腕も解放された。


「終わったよたっくん」


 目を開けると白戸しろとの手にある人型の紙片が墨で染めたように真っ黒になっていて、掌でふわりと起き上がったかと思うと、ボッと音を立てて発火し一瞬で燃え尽きる。トドメのように白戸がぎゅっと手を握りこんで再び開くと、そこには灰の汚れすらなかった。

 「すごい」と言いながら少し体を起こすと、ヤタがよたよたとソファーと少年の隙間から這いずり出て来たので捕まえて膝の上に置く。


「ちょっとヤタ、何してたんだよ」

「まあそう言ってやるな。一応手伝いのつもりだったようだし」

「え、どう見ても邪魔してたでしょう」


 くつくつと指を口元に当てて男は笑う。

 

「頑張ってたっくんの気を引いてたんだな。鴉に向かう意識がたっくんのもの、鴉にまったく意識を向けないのが取り込まれた念だ。見分けやすくて助かった。その鴉、無知ではあるが頭は良いようだ」


 「ふふん」と誇らしげに胸を張ったヤタだったが、拓磨たくまの膝上という不安定な足場であったため、後ろにコテンとひっくり返った。慌てて助け起こすと、ばつが悪そうに目を逸らし、頭の毛がぶわっと一瞬膨らんだので照れてるようだ。


「で、どうだ」

「あ、なんだか怠さが無くなりました」

「……犯人は女だったな。かなりのストーカー気質だが外聞を気にするタイプで、実際の行動に移さない分、強い念が籠ったという感じだが」


 ふと、ゴミ掃除をしていた主婦が脳裏をよぎる。

 彼女に夫がいるとしたら、新たな恋の相手に対してアクションを起こす事は出来ないだろう。それでも知りたくてたまらないという念が、ゴミという個人情報の塊を漁る願望に繋がったというところなのか。


「……ここ十数年で、どうも日本国内の神粒しんりゅうの濃度バランスがおかしくなっているようなんだ。今まで一人程度の願望では大きく固まる事はなかったのに、濃度が濃い分、人数が少なく済んだり、願望が足りなくても形になったり。俺自身の術も、自分の実力が上がったのとは違うベクトルで強くなっている」

「何か原因があるんでしょうか」

「ひとつの符号だが、十六年前の光返山ひかえしやま山体崩壊の頃を前後にして、というのはあるみたいだ。ただ山の崩壊が引き金になったのか、濃度バランスの崩れが山を崩壊に向かわせたのか、前後はわからない」


 拓磨たくまが生まれる一年前の出来事だ。白戸しろとの見た目年齢からみて、当時の彼も今の自分ぐらいの年齢で詳しく知る所ではないのかもしれない。


 改めて壊れた鈴の御守りを見てもらう。平らになりかけてるへしゃげ方に、改めて白戸の眉間に皺が刻まれる。


「とんでもない力だな」


 白戸しろとがぎゅっとそれを握りこむと、次に開いた時には元の球体に戻っていて、以前と同じように紐で拓磨たくまの左手首に巻かれた。


「そのゴミ捨て場の念、現況の女性の心理が変わらないままなら、また集まるかもしれない。強く大きくなる前にたっくんが祓うんだ。神粒しんりゅうに対するいい練習になる」

「祓う、なんて」


 襲われた恐怖が蘇る。


神粒しんりゅうの塊が見えるようになった時点で、君はその意識で幽霊も妖怪も、魔物も悪魔も創出してしまう可能性があるという自覚をもってくれ。今回のだって、君の恐怖心が生み出したイメージでさらに強化されてる可能性が高い。襲われる状況を想像しただろう? 君はゲーマーらしいが、そのせいで敵に襲われる状況というのをかなりリアルに想像出来てしまっているんだな。ゲームとはいえ何度も体験している事だろうから」


 俯きがちに頷くと、白戸しろとは少年の前に膝をつき、頬に手を添えて顔を上向かせる。


「この眼鏡も、初めて会った時から気になっていたが伊達だね。避ける事や逃げる事も時に必要な事もあるが、ずっとそのままではいけない」

「これは……この目が気持ち悪いと言われて、それで……」


 消え入りそうな声でつぶやくと、頬にあった男の手は眼鏡にかかり、すっと耳上からつるが引き抜かれた。


「綺麗な目だよ」

「でも」


 涙腺が熱くなって涙が出ようとしているのがわかった。潤んだ瞳は鏡のように白戸しろとを明確に映し出す。


「それは気持ち悪いと言った本人が、君の瞳に映った己の醜い性根が滲み出た顔を見ただけだ」

「今は?」

「中々の、爽やかなイケメンが映っているな」


 ニヤリと笑いながらそう言われ、少年は思わず吹き出す。


「眼鏡を外して一日生活してみるといい、それだけでも自信になる。君が逃げ出すのも些細な事で怯えるのも、自分に自信がないせいだ。自信がつけばどうとでもなる」


 まっすぐ白戸しろとの顔を見て頷いた。


 結構いい話を聞いた感動的な場面だったはずなのだが、会話に飽きたらしいヤタは膝上で、すでに羽毛に首を突っ込んで寝ていた。

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