第27話:ヘクトルの宝剣

「ふぃ~、今日も帰りの準備をしましょうか……」


 段々とオレンジ色に染まる海岸。

 金剛石を散りばめたようにキラキラと光る海を背に、最後のツアーを終えたヴァネッサが汗を拭く。

 木の実のジュースを飲みながら、てくてくとレース会場に向かうと。


「おぅヴァネッサ。今日も結構売れたぜ」


 操者テイマーの男が笑顔で手を振って、片付けを始めていた。

 彼がジャラっと渡した売上袋から、組合に上納する分をより分けて手渡して。


「ありがとうございましたの。あら? エルクは?」


 優雅に一礼してお礼を返し、キョロキョロとあたりを見回す。

 すると男も不思議そうな顔をして、やれやれと首を振った。


「今日は来てないな。仕事が忙しいんじゃないか?」


「うーん、漁港の仕事は午前中だけなのですが……」


 眉間にシワを寄せて考える彼女に、彼は笑顔を向けて。


「片付けならやっとくから迎えに行けよ。アウローラちゃん帰ってきたら結界も張っといて貰うし」


 アウローラと二人きりで話そうと。

 ほんの少しの下心と一緒に、仕事はしておくと胸を叩いた。


「ありがとうございますわ。ちょっと行ってみますの」


 彼の下心に、それくらいの報酬は欲しいですわよね。と思いつつ。

 ヴァネッサは感謝して走っていった。


――


「エルクの仕事道具ですわ!」


 道の途中で彼のナイフを拾うと、その近くから地面が溶けたような痕が続いている。

 何か魔獣にでも襲われたのかしらと顔を青くして、支配の笛ドミナートルを握りしめた。


「あっちに向かって続いていますわね。エルク! 今行きますわ!!」

 

 人があまり来ない、遊泳禁止の海岸に向かってポタポタと続いているその跡を追って走り。

 立入禁止の看板をくぐると、岩と藪に覆われた整備されていないところへ出た。

 遠浅の向こうには、幽霊鮫ゴーストシャークレースのコースも見える。


「随分戻ってきましたわね……えっ? ヘクトル?」


 そこから見覚えのある人影が歩いてくる。

 ガチャガチャと音を立てる鎧が、バキバキと岩を踏み砕き。

 昔からよく見知った顔で、張り付いたような笑顔を浮かべた。


「ちょうど良かった。やっと見つけたぞヴァネッサ。さあ、こっちへ来い」


 彼は全身から怒気を振りまき、担いだエルクを投げ捨てた。

 真っ青な顔をしたヴァネッサが走り寄って膝を付き、抱きかかえて頬を撫でる。

 小さく息をして眠る彼に安堵のため息をつくと、ヘクトルはそれを待っていたように口を開いた。


「ヘクトル!? エルクをどうしましたの!?」


「安心しろ、眠っているだけだ。デュランダルを抜いたのは、それ相応の相手だったという敬意に他ならん」


 ぎらつく夕日を反射して、オレンジ色に輝く刀身。

 それをヴァネッサに突きつけて、彼は険しい表情で言葉を続ける。


支配の笛ドミナートルを渡せ。父上は価値に気づいていなかったが、俺がそれを使ってやる。お前も貴族に戻してやろうじゃないか」


「嫌ですの!! どうせ、戦争でもする気なんでしょう!?」


「他に何がある。魔獣共が扱えれば、兵士が死なずに済むだろう」


「王国はそうでも、相手の民がどうなるか分かって言ってんですの!?」


 支配の笛を使って、エリトリアの魔獣たちを連れ込んだら。

 元々魔獣の居ない向こうの大陸では、なんの対策もしていないのだから……。

 それを分かっていて、ソルスキア家は代々この笛を封印してきたのに。


「そそれがどうしたんだ。てて敵を皆殺しにして、最後に魔獣共を殺し合わせれば全て問題ないじゃないかかか」


 ヘクトルの笑顔が歪む。

 ヴァネッサはその顔に恐怖して、しかし何かがおかしいことに気づく。

 確かに彼は愛国心の塊だし、王国の繁栄のために努力と献身を続けていたことは知っている。

 ただ、幼馴染だから分かる違和感がある。


「……ヘクトル。貴方が戦争にこれを使うだろうことは薄々勘付いていましたが」


「なななんだヴァネッサ。言ってみろ」


「貴方、わたくしですら死罪にしなかった程度には、人殺しを嫌ってましたわよね」


「そそそれがどどどうした?」


 領地を隣国に売るなどと言語道断の行いをしたソルスキア家は、本来死罪以外にならないのに。

 ヴァネッサを生かすために激怒したふりをして、国外へ追放したヘクトル。

 それが気軽に敵を皆殺しにするなどと言うはずないと、彼女は気づいた。

 本物のヘクトルが考えるとすれば、強力な魔獣を数体連れ帰って、脅しと交渉による征服のはず。


「貴方、誰ですの?」


 眉をひそめ、支配の笛を突きつけるヴァネッサ。

 ヘクトルはその問いかけに軽く笑い。


「おおお俺はへへへクトル。お前のもも元婚約者で、幼なななななじじじじみみみでででで!!」


 うつろな瞳でガクガクと首を揺らしながら、震える声で唾を撒き散らす。

 首だけでなく、段々と震え出す彼の身体が、一瞬だけぴたっと静止して。


「ヴァネッサ!! デュランダルを折れ!!」


「うるせぇぞバカ王子が!! お前がこの女を追い出さなきゃ、俺の勝ちだったのによぉ!!」


 一人の喉から二人分の怒鳴り声が響き、宝剣を自らの喉に突き立てた。


「へ、ヘクトル……?」


 何が起きたかわからないが、この幼馴染の大男が何かに操られていた。

 何かから一瞬だけ這い出てきたヘクトルは、彼の宝剣デュランダルを折れと叫んだ……と思う。

 そう頭を整理して、とりあえず宝剣を奪おうとした彼女の前で。

 デュランダルの刀身が一度水のように弾けると、繭のようにヘクトルの身体を包んだ。


「ふぃ~」


 そしてその中から出てきた、ヘクトルの身体に角と翼の生えた毛むくじゃらの大男は。


「惜しかったな。女に未練タラタラだったから手を貸してやったのに、俺にはひとつも協力しねぇ……使えねぇ王子様だよ」


 コキコキと首を鳴らしてため息をつき。


「あ、貴方誰ですの?」


「自己紹介か、一度してみたかったんだ。聞いてくれ! 俺こそがデュランダル!! お前の先祖がこのクソみたいな剣に封印した……!!」


 青ざめるヴァネッサの問いかけに何度かうなずくと、満足そうににんまりと笑って。


「そうだな、お前らクソ人間の言葉で言えば、『悪魔デーモン』って奴だよぉぉぉぉ!!」


 狂喜の絶叫を上げた。

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