第13話:ツノマリちゃん

「えーっと、確かこの辺の洞窟の……」


 海岸をしばらく歩いた先の、岸壁の近く。

 ランプを手にしたエルクが先導する。

 二人分の着替えを背負ったヴァネッサは、てくてくと彼の後をついていった。


「結構危なそうなとこですわねぇ」


「穴場ってやつですからね。潮が引いてるときにしか入れませんし」


「……それ、普通に危ないやつですわね?」


 ジト目で彼の背中を見守る。

 そんな視線を気にもせず、エルクは目的の洞窟を見つけた。


「あ、ここですここ。ほら、水が温かい」


「あら、お風呂にちょうどいいですわね」


「真水で流さないとベタベタになりますけど。痛んだ身体には効きますよ」


「では、お先に失礼しますわ」


 二人はちゃぷちゃぷと触って確認して。

 ヴァネッサはすぐに服を脱ぎ始めた。


「ちょ、ちょっといきなり!?」


「一度抱いたくせにぃ、ですわ」


「意味が違うでしょ!? ほら、奥行って下さいよ! 僕が潮位見張ってますから」


「もう、意気地なしぃ」


「からかわないでください!!」


 ほんとに、いいんだけどなぁ。なんて思いながら。

 ランプを渡され背中を押されて、岩の陰で服を脱ぎ。

 溜まった水に浸かると、思わず声が漏れた。


「うべぁぁぁぁぁ~~~」


「どっから声出してるんです。はしたない」


 岩の向こうからエルクの呆れた声がする。

 それを聞いて、ヴァネッサの口から素直な言葉が出た。


「エルク。今日はありがとうございましたわ。養ってくれるってのは恥ずかしかったですが……本当に、嬉しかったのですよ」


「……いいえ。今までのご恩がありますし」


「それだけですの?」


「……」


 言葉が帰ってこなくて、彼女は微笑んだ。

 きっと、思い上がりかもしれないけれど。

 何もかも失った自分のことを、本当に大事にしてくれている。

 そんな彼のことをたまらなく愛おしく感じて立ち上がった。


「エルク。そのまま背中を向けていてくださる?」


 水の音。波の音。

 真っ暗な海を眺める彼の背中に、ヴァネッサが歩くたびに小さな波があたって。


「よいしょ。わたくしも、しばらくこうしていたいので」


 彼女はそっと、背中をぴたっと合わせて座る。


「……お、お嬢様」


「ヴァネッサと呼びなさい。わたくしの、名前で」


「ヴァネッサ……」


 これは完全に、チャンスでは。とエルクの頭によぎる。

 ずっと忠誠を誓ってきた彼女に、男として認められた。

 しかもこの展開は確実に、おおおおおおおおお夫としても。

 そんな風に脳を震わせて混乱する彼が、もうどうにでもなれと振り向こうとすると。


「おああああああああ!!! エルク!! あれ!!」


「は?」


 急に叫び声を上げた彼女に何もかも萎えて、とりあえず後ろを向く。

 艷やかに濡れた肩の向こうに。


 きゅぅぅぅぅん……と悲しげに、まるまるころころとした幼い魔獣が、岩と岩の間に挟まって泣いていた。


「ツノマリちゃんですわ!!」


「嘘でしょ?」


 超希少な魔獣の、更に希少な幼体を見つけて、彼女は慌てて服を着る。

 そしてすぐに走り寄ると、恐怖に震えるその子を調べ始めた。


「……ヒレを怪我しているようですわ。エルク、治癒魔法を」


「え、えぇ。このヒレ、リヴァイアサンとは違うような」


 リヴァイアサン種の、簡単に剥がれる魚のような鱗ではなく。トカゲのようにガッシリとした鱗で覆われたヒレ。

 ただエルクはそんな事考えている場合じゃないとすぐに呪文を呟き、血の滲んだ傷口を撫でる。

 痛みに一度びくっと震えた身体が、だんだん安らかに落ち着いていくと。

 ヴァネッサはほっと胸をなでおろして、彼の方を見て言った。


「多分、潮が引いて取り残されて。無理に帰ろうとして岩に挟まったんでしょうねぇ」


「そうなの。助けてほしいの」


 エルクの方から、甲高い子供の声が聞こえて。

 彼女は思わず吹き出した。


「ふふっ……エルク。何変な声当ててるんですの?」


「僕じゃないですよ! ってか僕にも聞こえましたけど、この子……」


 彼は一度声を張り上げると、震えた指でツノマリちゃんを指す。

 そして二人は改めて。よく耳を澄ませてみると。


「苦しいの……うぅ……」


「人語喋ってますよ!!」


「ふぁー!」


 小さなうめき声に驚いて。

 大きく口を開けて凍りついた。


「あれ? あなたたち、わたしたちの言葉を話してるの?」


「どどどどっちですのエルク!?」


 ツノマリちゃんとヴァネッサは、顔を見合わせて混乱している。

 その最中にエルクは岩を調べて、壊してもこの洞窟が崩れないかを見定めて。

 

「知りませんよ……まぁ、とりあえず応急処置はしたんで、家に連れていきましょう」


「ありがとうなの」


「氷の柱で周りを支えている間に岩を崩します。君も、ちょっと寒いですが耐えてください」


「氷魔法? 効かないの。大丈夫なの」


 冷静に氷で支えを作り、挟まっている岩を崩す。

 不穏にギシギシと鳴る洞窟。ぱらぱらと落ちてくる埃を払って、彼の血の気が引いた。


「やっぱりまずかったかな……早く出ましょう。先導します」


 あちゃー、と表情に出た彼はランプを拾い、荷物を掴んで。

 ヴァネッサはツノマリちゃんを抱き上げようとした。


「うごっ! 重っぁぁぁぁぁぁ!」


 スイカほどの大きさなのに、同じ大きさの鋼鉄や鉛よりも重く。

 一撃で腰を痛め、思わず涙がこぼれた。


「ごめんなの人間。ちょっと待ってて」


「飛べるんですの!? あぁ、ダメですわ。なにか被せないと目立ちすぎますの」


 そして彼女は、ふわふわと浮かぶツノマリちゃんを服の中に納め。

 エルクを追いかけて走り出した。

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