第8話:支配の笛

「行きますよ、お嬢様!!」


「えぇ!!」


 エルクが剣を振りかざして叫び、ヴァネッサは彼を信じてついていく。


「八の五、閉じろ氷獄、沈黙の静寂! フフバ!!」


 かざした剣が冷気をまとい、びしびしと音を立てて周囲の触手が凍り始める。

 驚いてのたうち回るそれを、エルクの剣が砕いて進む。

 口も開けられない寒さの中、ヴァネッサは必死で彼の服を掴んで走り。


「や、やりましたわ!!」


 真っ白な息を上げて、煙管を掴み上げた。

 口の中に氷が張り始めて、彼女は慌てて口を閉じる。


「クソが!! しぶといんだよ!!」


 砕いた根本から次々と触手が生え変わり、背を向けたままの彼は剣を振って打ち払う。

 今度は何かを探すふうでなく、明確に彼を殺そうと振るわれる触手。

 鉤爪の付いた吸盤に当たれば即死であることを身をもって理解している彼は、必死に氷を張り続けた。


「ん~~~!!」


 その彼の背中を、彼女は必死に煙管で叩いて。

 早く逃げようと合図をするが、彼は気づかず。

 仕方なく自分だけ走って逃げると、エルクの魔法の射程から逃れたお陰で体が温まってきた。


「ここままじゃエルクが死んじゃいますわ……どうしたら止まるんですの!?」


 途端に流れ出す滝のような冷や汗。

 何もかも失った自分に、たった一人残ってくれた最後の家族が、目の前で死と戦っているのに。


「なんとかしなさい! ヴァネッサ! 貴女は何のために守られていたんですの!!」


 しかし気合を入れたところで、虹色にきらきらと光る煙管から溢れる魔力は止まらない。

 この魔法が、あのクラーケンを操っていることは確実なのに。止められなければ、彼はやがて魔力が尽きて。


「それは嫌ですの!!」


 ぶんぶんと首を振り、最悪の想像を吹き飛ばす。

 そんな彼女は、ふとひらめいた。


「……これがクラーケンを操っている……としたら?」


 この煙管の魔力を、なんとかして操ることができれば。

 そう考えて、彼女は願う。


「きえええええええ!!! お父様! お母様! あとソルスキア家の祖先の皆さん!! 誰でもいいから力を貸してくださいましぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」

 

 特にお父様は責任を取れと。思い切り、気合を込めて。

 目を閉じ、全身全霊を込めて祈る。

 すると彼女の手にした部分から、段々と煙管の輝きが薄れていった。


「うぉぉぉぉぉぉ!! なんか知りませんが!! 鎮まりなさい!!」


 白い膜が張り、段々と元の姿に戻る煙管。

 使い方が、急に頭の中に流れ込んできた。


「エルクゥゥゥ!! 今助けますわぁぁぁぁぁ!!」


 それはきっと、血に刻まれた一族の意志だろうか。

 触手のもとへ走り、手に持った煙管を叩きつけると。


 ぺちん、と音がして。


「クソボケタコ野郎がぁぁぁぁ!! 死ね!! 死ねぇぇぇ!!」


 魔力が切れ始め、触手を剣で受け止めるエルクの前で。


「……あ?」


 全ての触手がぴたっと動きを止めた。


「……や、やりましたわ……」


 ヴァネッサは腰が抜けて、ぺたんと座り込む。

 エルクが振り返ると、彼女は力なく笑って。


「あはは、エルク、良かったですわ」


「っ! お嬢様、これは……?」


 脱力して倒れ込んだ彼女を、慌てて走り寄った彼が抱き上げた。


「……”支配の笛ドミナートル”……あはは、なるほど、なるほどですわ」


 混乱したように、目をぐるぐると回して笑うヴァネッサ。

 何が起こったのか分からずに抱き上げるエルクを無視し、彼女は煙管を手に持って、触手を指した。


「悪いことをしましたわ。海へお還りなさい」


 そう告げると、ひゅいっと音が鳴る。

 触手達は、その命令を聞いて一瞬震えて。

 にゅるにゅると、船体に空けられた大穴から這い出ていった。

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