第4話:ソルスキア家の秘宝

◆◆


「困りましたわ……お金が必要なんて」


 豪華なドレスを着た幼い少女が一人、花屋の前で困り果てている。

 産まれてずっと何不自由なく暮らしてきた彼女は、病に倒れた母の為に花を買いに来ていた。

 しかし、突発的な思いつきで家を抜け出した彼女はお金も何も持っていない。


「……どうしたの?」


 そんな少女に、ボロ布を着て手を枷で繋がれた少年が話しかける。

 少年は買い物袋を持っていて、主人に言いつけられた物を探していた。


「あ、あの。病気のお母様にお花を買いに来たのに、お金がなくて」


 お母様。と聞いた瞬間、彼の手が固まって。

 しばらく何かを考えると、ポケットから何枚かの銅貨を取り出した。


「これで、買いなよ」


「……いいんですの?」


「ご主人は怒るだろうけど、殴ればすっきりするから。じゃあね」


 少女が驚いた目で見ると、少年は達観したような瞳で、彼女を見た。

 そしてすぐに彼女に背を向けて走り出す。


「わたくしはヴァネッサですの!! あなたの名前!! 名前は!?」


 その背中に手を突き出して叫ぶ少女。

 小さく振り返った少年の口が、わずかに動いた。


◆◆


「エ……ルク……むにゃ……」


 出港翌日。旅立ちの疲れで、ヴァネッサはよく寝ていて。

 二段ベッドの下のエルクは、音も立てずに起き上がった。


「ふぁぁ……って、船旅の途中だったんでしたね」


 毎朝のようにしていた稽古。

 ヴァネッサを護るためだけに積んできた訓練。

 船旅の最中は毎朝の日課となっているそれができないことに不満を覚えつつ、エルクは軽く伸びをした。


「……お嬢様」


 そして起き上がり、彼女の寝る上の段を覗き込む。

 すやすやと眠る美しい顔が目に入って、彼は思わず目をそらした。

 その先には、普段はかっちりと着込んだドレスに隠された豊かな大波が、下着姿に顕になって。船とともに揺れ動く。

 男の性として目を奪われた彼は、生唾を飲み込んだ。


「今は僕が主人だから、ヴァネッサに何をしても」


 奴隷に何をしようが許されるはず。

 所詮主従関係だからと抑え込んできた欲望と、これまでの彼女へ恩を感じる理性が死闘を繰り広げ。

 彼の手がじりじりと彼女の胸元へと伸びていく。


「んぅ……あれ、ここどこですの?」


「! お、お嬢様。船旅ですよ船旅。忘れました?」


 エルクの心が欲望の方にだいぶ傾いた瞬間、ヴァネッサが起き上がり目をこする。

 しばらく放心したように固まって、そういえば国外追放されたのだったと思い出した彼女は、悲しいため息をついて転がった。


「そうでしたわ……あぁ、現実なんですわね……」


「ちょ、朝食に行きましょうよ。外にいますので、着替えたら出てきてください」


「?」


 旅行に連れて行ったことは一度や二度ではないのに。

 寝室の護衛も任せているし、着替えに至ってはいつも手伝ってくれているのに。

 急に顔を赤くして部屋を出る彼に、彼女は首を傾げた。


――食堂


「くっそ貧相ですわ」


「これはだいぶ豪華なやつです。ありがたいと思ってください」


 魚の丸焼きと、平たく硬いパン。それとくず野菜の塩スープに、レモネード。

 庶民の朝食からしたら随分豪華だとエルクは思うのだが、彼女は気に入らない様子。

 しかしそれでも綺麗に平らげて、複雑な表情で食器を置いた。


「……意外と悪くないですわね。さて、喫煙所に」


「待ってください。あそこに自分で返すんですよ食器」


「え、そうなんですの?」


 目を丸くして可愛らしく小首をかしげる。

 そしてエルクのマネをして、食器を重ねてお盆を持っていくと。


「お~、きれいなお嬢さんだ。美味かったかい?」


「えぇ。美味しゅうございましたわ」


 返却口にいた、しわがれた声の老船員に声をかけられ、ヴァネッサは七割は本音のお世辞を言った。

 すると彼は彼女の首に掛けられた枷と、その鎖を持つエルクを見て。


「奴隷……いや、奴隷のフリだな?」


 鋭い目をして、いたずらっぽく笑った。


「……まぁ色々ありまして」


 とっさにエルクが誤魔化そうとする。

 すると彼はいやいやと手を振って遮った。


「いいんだよ、お若いの。言わなくてもな。貴族の娘と駆け落ちかぁ。若いっていいねぇ……」


 駆け落ち。確かに言われてみれば近いかしら。

 そう、頬が緩んだヴァネッサをしみじみと見て、何かを思い返していた老船員。

 彼は小さく息をつくと、身を乗り出して二人に囁いた。


「そういや、ソルスキア公爵の噂知ってるかい?」


「!?」


「なんでも、こないだ死んだって公爵の遺産で、一番価値あるものが見つかってないらしいんだ」


 え、自分の事? とジャスチャーした彼女の手を、エルクが慌てて押さえつける。

 心当たりなんてないけどなぁ。と考えていた彼女を置いて、老船員はエルクに笑いかけた。


「なんとかの笛……とか言ってたかな。ヘクトル王子がエリトリアに探しに行くとか聞いたから、多分向こうにあるんだろ。もし見つけたら、お嬢さんの為に使ってやりなよ、若造」


 ヘクトル王子という名前に、うぇぇ……とげっそりした声を漏らす彼女の口をふさいで。

 エルクは引きつった顔で何度か頷いた。


「え、えぇ。ありがとうございます。どうして、僕たちにそんな噂を?」


「駆け落ちした先で別れる夫婦は多いもんさ。俺みたいにな。だから、人生の目的はたくさんあった方がいい。楽しく生きろよ」


「あ、ありがとうございます。でも、僕たちは駆け落ちってわけじゃあ……」


「いいんだよ。ジジイのおせっかいなんだから」


 そう言って、老船員は入れ墨だらけの手を振って。

 話は終わりだと背を向ける。

 手の甲に刻まれた色鮮やかな蝶の模様が、なんとなく二人の目に残った。

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