第8話 スクナビの花

「スクナビの花……ですか?」


 なんでも彼女たちは珍しい植物を求めて、遥か遠いグレーカジャ魔国からこの地まで足を運んできたらしい。


「はい。一年に一度だけ花を咲かせる希少な植物で、その花を乾燥させてから特別な方法で調合すれば、どんな病や怪我でもたちまち癒える秘薬になります。ただ、魔素溜まりマナレイトが濃い場所でしか咲かないために入手は非常に困難で、その希少性故にとても高額なのです」

魔素溜まりマナレイト……?」


 シャルの説明によると、魔素溜まりマナレイトとは魔物の生息地で自然発生する魔力の吹き溜まりだそうだ。そして、濃度が高い場所ほど普通の動植物とは異なる生態を持つようになり、独自の進化を遂げて強力な個体に変化するのだという。


 そんな異様な条件下だからこそ、珍しい魔物や魔道具の原料になる素材が豊富に存在するのも魔素溜まりマナレイトの特徴らしい。


「スクナビの花はその特殊な環境でしか育たないのです。それに、古くからある魔素溜まりマナレイトに生息している魔物は強力すぎて、腕に覚えのある冒険者ですら立ち入ることを躊躇うような危険な場所ばかりで……」

「なるほど……。お二人はどうしてこの地へ?」

「私たちは危険度の低い、比較的安全な魔素溜まりマナレイトを探しながら旅をしているのですが、この地のどこかにできたばかりの魔素溜まりマナレイトがあると噂を耳にしたのです。そこで、近くの街へ向かっていたのですが、盗賊風の集団に襲われてしまい……」


 シャルがそこまで話すと、隣で聞いていたセラフィは悔しそうな表情を浮かべて俯いてしまう。おそらく、主人であるシャルを守れなかった自分の無力さに腹を立てているのだろう。


「お二人の事情はわかりました。それで、これからどうするのですか?」

「今回の旅の目的はスクナビの花を手に入れることでした。ですが、私の我儘でセラフィを巻き込んでしまい、このような事態を招いてしまったのです。これ以上、迷惑をかけるわけにもいかないので、明日にでも国へ帰ろうかと思います」


 そう言って微笑むシャルの顔はとても悲しげで、今にも泣き出してしまうのではないかと思えるくらい弱々しく見えた。


「お、お待ちください、お嬢様! 私はまだ大丈夫です!」


 今まで黙って話を聞いていたセラフィが大きな声を上げる。しかし、シャルは首を横に振った後、静かに言葉を続ける。


「いいえ、無理をしてはいけません。人間たちとの戦いで負った傷は癒えてはいませんし、体力的にも限界なのでしょう? ですから、国へ帰ってゆっくり休んで元気になってほしいんです」

「ですが、このままでは皇帝陛下のお命が!」

「そ、それは……」


 セラフィの言葉を聞いて、それまで穏やかだったシャルの表情に動揺の色が見えた。


「あの、ちょっといいですか? シャルは皇女様だから、その皇帝陛下ってまさか……」

「はい。レスト様の御察しの通り、グレーカジャ魔国の皇帝が私のお父様です。ですが、今は病のために床に伏せっておりまして……国中のお医者様や薬師様があらゆる治療を施してみたものの、一向に効果はなくて……」


 シャル曰く、父親の体には呪印のような黒い斑点が現れ、それが日に日に全身へ広がっているという。しかも、痛みを伴うために動くことは疎か食事も満足にできず、危険な状態が続いているらしい。


「そんなことが……すみません、辛いことを聞いてしまって」

「いえ、気になさらないでください。私の方こそ話を聞いていただきありがとうございました。おかげで少し気持ちが楽になりました。レスト様は本当に不思議な方ですね」

「レスト殿を見ていると魔物であることを忘れてしまいますな」


 シャルに続いてセラフィからも賞賛の声が上がる。その表情には嘘偽りのない慈愛に満ちた優しさを感じた気がした。


(それにしても……父親をむしばんでる病か。できることなら助けてやりたいけど、俺はこの迷宮から出られないしな)


 そもそも、この迷宮は初心者向けなので最下層まで攻略しても彼女たちの求めるアイテムは出ないだろう。レストが悩んでいると、シャルが再び話しかけてきた。


「それでは、レスト様。私たちはこれで失礼しますね。この度は、助けていただき誠にありがとうございました」

「私からもお礼を申し上げる」


 シャルに続き、セラフィも深々と頭を下げる。


「わかった。俺は宝箱だから二人についていくことは無理だけど、せめて中身だけでも持っていってくれ。少しは役に立つと思う」


 レストは鉄の剣や短剣、革の鎧や鉄の胸当てなどの装備品に回復薬といった、今の彼女たちに必要だと思われるアイテムを取り出していく。ダミルたちとの戦いで壊れてしまった武器や防具の代わりにはなるはずだ。


「こんなにたくさん!? レスト様、本当によろしいのですか?」

「ああ、もちろんだ。餞別だと思って受け取ってほしい」


 シャルとセラフィは再び頭を下げると、ボロボロだった防具を脱ぎ捨てて、レストの渡した装備品を身に着けていく。そして、最後に鉄の剣を腰に差すと改めてこちらへと向き直った。


「レスト様、この恩は決して忘れません。もし、困ったことがありましたらいつでもグレーカジャ魔国へいらしてください。必ずや力になります」

「うむ。レスト殿、貴殿のことは一生忘れぬ。いつか必ずお返しする」

「二人とも大袈裟だよ。それに、俺は宝箱の魔物だから迷宮から出られないんだ」

「あ、そういえばそうでしたね……」


 シャルが残念そうな声を上げながら肩を落とす。どうやら、レストがこの迷宮から動けないことを察したらしい。


「あの……でしたら、また会いにきてもいいでしょうか?」

「……」


 シャルが恐る恐る尋ねると、セラフィも真剣な表情でレストを見つめてくる。二人の瞳は微かに潤んでおり、思わずドキッとしてしまう。


「もちろん構わないよ。シャルとセラフィは俺の友人だし、話し相手になってくれると俺も嬉しいしな」

「友人……わ、私たちのことをお友達と呼んでくださるのですね!」

「お嬢様、よかったですね!」


 レストの言葉を聞いた二人は嬉しそうな表情を浮かべると、もう一度深くお辞儀をして去って行った。そして、彼女たちの姿が完全に見えなくなると、辺りは静寂に包まれる。


「ふぅ……とりあえず、今の俺にできることはここまでかな」


 異世界にやってきて初めて訪れた出会いはこうして終わりを告げたのであった。

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