第107話 奇妙な新生活

 ボルドが目覚めたその日から、レジーナという修道女とその小屋での奇妙な新生活が始まった。

 レジーナは彼の食事を作り、彼の体をき、かわやへ行く彼を車椅子いすで運ぶ。

 そんなにも良くしてもらう理由が分からず、最初はボルドも恐縮しきりだったが、そんな彼にレジーナはピシャリと言った。


「神のほどこしは素直に受け取りなさい。今のあなたは何も出来ないでしょう? ワタシに悪いと思うなら、とにかく体を治すことに集中しなさい。恩返しは元気な体があってこそ出来るものよ」


 彼女の言うことはもっともだった。

 ボルドはとにかく体を直すことに集中し、素直に彼女の善意を受け入れることにした。

 自らの死を選択した彼にはもう生きる目的はなくなってしまったが、レジーナに恩返しをするという一つの目的が出来たことで、とりあえず生きる理由が出来た。

 それからボルドは一日また一日とすごし、食事と睡眠を十分にとると同時に動かせる部分は動かして筋力の低下を極力防止するよう努めた。


 まだまだレジーナの補助がなくては出来ないことも多かったが、出来る限り自力でやれるようボルドは努力した。

 レジーナはそんな彼を決してひまにはさせなかった。

 ある日、彼女は一冊の本をボルドに差し出して言った。


「ボールドウィン。あなた文字は読める?」


 文字は奴隷どれい時代に雑務をするために最低限は教えられた。

 その後、ブリジットの情夫となってからは熱心に小姓こしょうたちが教えてくれたおかげで一通りの読み書きは出来るようになっていた。

 ボルドがうなづくとレジーナは笑顔で分厚いその本を開き、車椅子いすに座るボルドの目の前の机に置いた。


「この大陸の歴史と地理をまとめた本よ。せっかくこうして空いてる時間があるんだから勉強でもして自分をみがくといいわ」


 ブリジットの元にいた頃もこうして勉強をしたが、ボルドは存外に自分が勉強を嫌いではないことをその時に知った。

 単純に知らないことを知るのが楽しいのだ。

 奴隷どれいだった彼にとって世の中は知らないことだらけだった。

 

 彼女の申し出をありがたく思い、ボルドは本をじっくり読み進めていった。

 何よりも何もせずにいるとブリジットのことを思い返しては、あれやこれやと悩みもだえてしまう。

 ブリジットはどうしているだろうか。

 もう自分のことは忘れて女王として立派に過ごしているだろうか。

 夜中に1人泣いていないだろうか。

 そんなことがグルグルと頭の中をめぐる時間が一日に何度もある。


 だからこそ何か打ち込めることがあるのは今のボルドには幸運だった。

 そして本の内容に難解な表現があって首をひねっていると、レジーナはそれを丁寧ていねいに教えてくれた。

 彼女はかなり勉強しているらしく、ボルドが質問したことは何でも的確に答えてくれる。

 相当に賢い女性なのだとボルドは感じていた。


 食事と睡眠による体の回復と適度な運動、そして勉強。

 そうして日々は過ぎていった。

 本の内容をほぼ覚える頃には季節も移り変わり、夏が近付いていた。

 ボルドの腕と足は順調に回復し、徐々に動かせるようになりつつあった。

 

「順調ね。ボールドウィン。夏が終わって秋になる頃には歩けるようになるわよ」


 レジーナはボルドの回復ぶりに目を細めてそう言った。

 ボルドは彼女の献身に感謝すると同時に、不思議ふしぎに思うことがあった。

 レジーナは基本的にずっとこの家にいた。

 だというのに食料は尽きることなく、金銭的に困った様子も見受けられない。

 ボルドが眠っている間は彼女も別室で眠っていると思われるが、もしかしたら夜中の間にどこかに出かけているのだろうかとボルドは思った。


 一度、お金のことを聞いてみたことがある。

 ここまでの衣食住でかかった金銭は、ボルドが動けるようになったら働いて返さねばならないと思ったからだ。

 だがレジーナは金の心配はしなくていいと言う。

 食料などは近隣の親切な農民から分けてもらっているとのことだった。


 こんなふうに自分に親切にしてくれる彼女だから、おそらく修道女として相当な人徳があり、彼女に協力を惜しまない人々がいるのかもしれない。

 もし自分が彼女に恩返しを出来るとしたら、何か彼女に協力する仕事を求められるのだろう。

 そんなふうに思ったボルドはある日、レジーナにたずねた。


「体が治ったら私に手伝わせたいと言っていた仕事とは、どのようなものなのですか?」


 ボルドの問いにレジーナは少し考えるように間を置き、それから答えてくれた。


「ワタシ、新しい土地を探しているのよ」

「新しい土地?」

「ええ。あなたも勉強して分かったでしょう? この大陸は各国の領土に切り分けられているけれど、どこの国の管理にもなっていない土地がまだ残されているの」


 王国や公国、その他の諸国が主張する領土はおおよそ決まっている。

 だが領土の端のほうには管理が行き届いていない土地や、二国の領土が被るような場所があり互いが自国の領土と主張するばかりで実際にはどちらの国も手を出さない地域がある。

 大抵そのような場所は所有する価値の薄い土地であり、実質的に放置されていた。

 レジーナはそういう土地を探し、運用次第で人の暮らせる土地にならないかを調査しているという。


「どうしてそのようなことを?」

「新しい国を作るためよ」


 新しい国。

 レジーナは事もなげに大それたことを言った。

 その話におどろいたボルドだが、彼はふいにブリジットの話を思い出した。

 ブリジットと2人で食卓を共にした際、彼女が自分のひそかな夢をボルドに話して聞かせてくれたことがある。 

 

 ブリジットはダニアの国を作りたいと言っていた。

 流浪るろうの暮らしなどをせずともダニアの民が安心して暮らせる国を。

 その時のブリジットの顔はよく覚えている。

 少し照れた少女のような、それでいて大いなる野望を抱いた若き女王の顔をしていた。

 今、目の前にいる修道女のレジーナは不思議とその時のブリジットと似た表情をしている。


「大きな力に頭を抑えつけられている人々がいるわ。生きるために仕方なく我慢している人々よ。そんな人々が自由に空を見上げ、大地に根を張れる。そんな新しい国をワタシは作りたいの。でもそれにはたくさんの人の力が必要だわ。ボールドウィン。あなたがそんなたくさんの力の1人に加わってくれたら、それだけでワタシにとっては大きな恩返しよ。考えておいてね」

   

 レジーナはそう言うとボルドの手を力強く握った。

 ボルドは戸惑いつつうなづくと、ブリジットの顔を思い浮かべた。

 自分をこうして生かしてくれているレジーナには必ず恩返しをしなければならないとボルドは理解している。

 しかし……本当ならば自分はブリジットの夢の実現に力を尽くしたかった。

 今さらになってそのようなことを思う。

 もうそれは叶わぬ遠き夢だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る