第49話

 神様と出会ってどれくらいが経ったか――――ガタガタという振動が、体に滲みた。硬い金属の板の上で、俺はその身を焼いていた。

 眠気が脳を揺らしていた。歩いてもいないのに動く風景が、不思議で仕方がなかった。右手が何か柔らかいものに触れた。俺の右隣では、七竈がすうすうと気持ち良さそうに寝息を立てていた。


「なんだ、やっぱり夢か」


 そう呟くと、地面がガタンと音を立てて揺れた。否、俺達が眠っていたのは、農道の上ではなく、白い軽トラックの荷台の上だった。車体が停止すると、慣性に伴って、俺の体はひっくり返った。


「大丈夫か?」


 見知らぬ老人の顔が、目の前に迫る。年寄り特有の生臭い息が顔にかかって、俺は一瞬顔を顰めた。


「目ぇ覚めたんだな。良かった良かった」

「あの、何で、俺、いや、俺達、トラックに、乗って」

「あ? あぁ、お前ら、俺ん田んぼの傍で倒れてたからよ。救急車呼ぼうと思ったんだけどな、それよか俺らが連れてった方が早いだろって、女房が言うもんで」


 老人の言う女房だろう老女は、トラックの荷台の向こう側で、七竈を心配そうに見つめていた。二人は村で見た人間ではなかった。どうやら俺のことも、七竈のことも知らない、普通の老夫婦のようだった。


「ここじゃ見ねえ顔だし、昨日の晩は山の向こうの工場が爆発したって、近くの村も燃えたって言うからよ、お前ら、そこのもんだろ。何があったのか、聞きてえけどよ。もう警察には通報してよ、病院に連れてくって言ってある。病院に着いたら、警察に言ってくれや。大丈夫、心配するな、俺達は何も聞かねえよ」

「いや、その」

「おうおう、大丈夫、大丈夫。見た目ほどひでえ怪我もしてねえみたいだし、落ち着くまでなんも言わんで良いから。な、大変だったんだろ、お前さん。女の子守って、ここまで逃げて来たんだろ。男だなあ」


 そう言って、老人は俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。俺が「いや、女の子じゃ」と反論しようとしても、彼は「良いから良いから」と俺を宥めるばかりで、話を聞こうとはしてくれなかった。ケラケラと笑って、老夫婦はトラックの運転席に戻って行った。

 再びガタガタと音を立てて、車が農道を進んでいく。この騒音の中でも、七竈は眠っていた。もう目が覚めないのではないかと、一瞬、心臓が高鳴った。不安にかられて、髪を掻き分けて頬を突くと、彼「ううん」と唸り声を上げた。もう大丈夫だ。老人の言葉を脳で反芻した。


「そうか、燃えたのか、村は。もう無いのか、全部」


 口から零れたのは、多分、喜びだったと思う。トラックの運転席には、届いていなかっただろう。乾いた笑いも、これからどうしようかという困惑も、自分だけのものだった。

 隣でいつまでも眠りこけている七竈は、一向に目覚める気配が無かった。時折、石か何かで車体が跳ねると、唸り声をあげた。稀に、ゆっくりと目を開けて虚空を見つめると、再び眠りについた。


「七竈、明日から、どうしようか」


 いつか、妹達へ寝物語を語りかけたように、俺は七竈の耳元に言葉を添えた。他愛もない、ただの雑音で、彼の耳の中身を埋めていく。微睡んでいる間も、彼は眉間に皺を寄せていた。時々熱くなりすぎる彼の黒髪を、手で仰いでは、静かにその様子を見守った。


「村の何が燃えて、何が残ってるのか、わからないんだよな。浩太と久美は生きてるかな。母さんは……まあしぶといから、生きてはいるだろ。あとは、そうだな。祖父ちゃんと祖母ちゃんが無事だと良いな。ほら、親父が死んじゃったからさ。生活出来ないじゃん、お金が無いと」


 聞こえてはいないだろう。そう思って、俺は、勝手気ままに、自分の願望を垂れ流していく。思考を零していく作業は、己の脳を整理するには持って来いだった。


「祖父ちゃんの家、親父からは小さいって聞いてるんだけど、思い出してみると、そんなに小さいわけじゃなかった気がするんだよ。だってさ、ゴミで埋まってないんだぜ。ちゃんと寝る部屋があって、ご飯食べる部屋もあって……多分、今まで住んでた所よりは、居心地は良いと思うんだ。あ、いや、それよりもあのゴミを片付けて一緒に住んだ方が、良いのかな。片づければ凄い広いんだよ、俺の家」


 今度遊びに来てよ。と、俺は友人へ語り掛けるような素振りで、七竈の耳元に囁いた。時々上げる唸り声が、返事をしているようで、俺の頬肉は無意識に上がっていった。


「――――……なあ、七竈」


 ふと、思い付いた言葉があった。朝焼けの夢に見た、あの神様の言葉だった。

 ――――もし、もしも。俺の言葉に、本当に、力があるなら。

 魔が差したのだ。思い付きだったのだ。眠っているなら関係ないと、聞こえていないのだと、思っていたのだ。それが、何年も七竈祓の中で真実として扱われるとは、思わなかったのだ。


「全部、お前が悪いんだよ。俺の父親を殺したのはお前だ。母さんを壊したのもお前の、その毒のような舌だ。全部お前が悪い。お前が、全部壊したんだ。村も、あの家も、全部。俺を友人であると言って、俺の為にやったんだ」


 丁寧に、肉に塩を刷り込むように、少しずつ、少しずつ、七竈の耳に虚偽を与えていった。


「だから俺は救われたんだ。お前が、全部壊してくれたから――――だから、俺は、これからも、お前の友人で、ずっと、隣で、お前に尽くさねばならないんだ。お前がしたことを、俺も背負うんだ」


 そんなだったら、好かったのにな。

 最後の言葉を飲み混んで、俺は七竈の隣で横になった。空は清々しくも青かった。

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