夏の日の出来事

haruka/杏

序文

 もう何十年も前の話。

 母方の祖母の家はある地方の山間やまあいの集落にあり、私が小学生の頃は夏休みになると泊りがけで毎年帰省していた。

 父は仕事があったため、母と私と妹で母の運転する車に乗って帰省するのが常だった。大量のお菓子や母が朝早くから作ったお弁当を車に詰め込み、それらを道中に食べながら車窓から見える景色を眺めるのが好きだった。

 あのワクワクとした心持ち。日常から非日常の世界へ踏み入る直前のあの胸の高鳴り。


 –––国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。


 川端康成著作の雪国の一文。日常と非日常の世界の境界をここまで分かりやすく、美しい描写で表すことができるのかと授業中にも関わらず感動のあまり鳥肌が立ったのを覚えている。内容は私には難しいものだったが。

 それに、祖母の家へ向かう際に通る森を抜ける道。右も左も、更には上までも枝を大きく伸ばした木々に囲まれ、トンネルのような道なのだ。その森のトンネルを抜けると、一気に視界が広がり、美しい田園風景が目の前に飛び込んでくる。

 その瞬間が本当に私は好きで、それをこの短い一文で表していることにも感動したのだと思う。

 今でも道中のことを思い出すと、哀愁に近い懐かしい思いが湧き出てくる。

 あの頃は、父を休ませてくれない会社はひどいとか、祖母の家に行けない父が可哀想だと思っていた。けれど、そうではなかった。

 世の中、知らなくていいことがあるということを、私はあの夏の日に思い知ったのだ。

 その時の話を今からしようと思う。

 今日まで、誰にも話すことなくこれまで生きてきた。誰も信じてくれないだろうし、思い出すのもしんどいから心の奥深くに仕舞い込んでいた。

 けれど、いい機会なのでここに吐き出そうと思う。






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