第43話

あの、…「ヘンタイ男性教職員」って、いくら何でも、…って、恐る恐る私が反論すると、

「いや、だって、ヘンタイはヘンタイだもん。…え、なに、知らなかったの?」

って、逆に聞き返されました。…知らなかったって、何を?…って、質問返しを質問返しで返すっていう、少々ややこしい状況でしたけれど、目の前に座る紅麗さんに会話のボールを投げて返すと、紅麗さんは、ジャージの上からでも形の良いのが判る、ほっそりした両の腕を組んでから、一言、ううん…と唸って、

「知らなかったのか、…まずそっからかぁ…」

って、何やら慨嘆の面持ちとでも言うような、見るからに悩ましげな表情を浮かべると、うーん、と唸りながら、一人掛けソファーの背凭れに思い切り寄り掛かって、リビングの天井に取り付けられた、見るからに海外デザインと判る、洒落たペンダントライトを見上げました。

その紅麗さんの態度に、私がふと思い付いて、…あの、押谷先生って、何か「前科」でもあるの…?って訊くと、紅麗さんは、その、ギターを奏でるという、しなやかな指の先で、軽くセミロングの黒髪を捌きながら、

「…んん…。『前科』ねぇ…。確かに『前科』って言や『前科』だぁねぇ…。告発してやりたくても出来ないけどさ」って、何だか妙に投げ遣りな調子になって、その、洒落たデザインのペンダントライトを相手に愚痴るような調子でぶつぶつと呟きます。

告発したくても出来ない…って、一体どういうこと?…って、私が重ねて訊くと、紅麗さんは、やおらソファーの背凭れから、押さえの取れた起き上がり小法師のようにぴょこんと起き上がると、私の方に身を乗り出して両手の指を組みながら、何やらひどく真面目な顔で、、

「あのさ、…立花サン、立花サンが考える変態って、どんな奴?……いや、それよりも、…立花サンは、どんな行為…他人に対する振る舞いを、変態行為って呼ぶ?」

って、それはもう真剣な口振りで訊き返してきました。

何だか追い詰められたようになった私が、仕方なく、…ええと、それ…本気で答えないといけない奴…?…って訊くと、

「もちろん。…こっちもからかってるとか、洒落や冗談なんかで質問してる訳じゃないから。立花サンの変態に対する認識っていうのが、そもそもどんなもんか知りたいんだ」

って、…何だか、意中の女の子に、「僕は君のことが好きで好きで仕方ないから付き合って欲しい。君の返事を聞かせて」って詰め寄る男の子みたいに、本当にこちらの逃れ様がないくらい、私の目を真っ直ぐ見つめてきました。

ううん…と返事に詰まった私の頭に、不意に浮かんだのは、私の母の再婚相手のことでした。…ええ、初めの方でお話しした、私が小学校二年の時まで住んでいたマンションを飛び出すきっかけになった、例の一件です。

あの時、私が母の再婚相手に対して、反射的に驚きと嫌悪の表情を浮かべた時の、その相手の反応のことです。随分長いこと忘れていたのに、どうして思い出せたのか、今でも不思議ですけれど、あの時、母の再婚相手は、『この世の中にこんなに愉しいことはない』とでも言わんばかりの笑みを、満面に浮かべていたんです。あれこそ、祖母が言うところの「娑婆の違ったケダモノ」の表情でした。そして先程、私が否応なしに見せつけられる羽目になった、押谷教職員の「この上なく醜悪なにやにや笑い」は、あの時の母の再婚相手の笑い方に、驚くくらいそっくりでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る